誘いの意図は
「お義母様、私とアザレリアは陛下から婚約の話を賜りました」
お義母様に嫌われているかどうかなど、答えが出ない事を考えていても仕方ない。
時間は限られているのだから、有意義に使わなければ。
「……一体どなたと」
「アザレリアは第二王子のセヴィオリ殿下と、私は東の国の王子クヴァイシュ殿下です。セヴィオリ殿下は恐れ多くも我がターナマー公爵家の入り婿となるそうです。降嫁、男性の場合こういう時なんと言うのか分りませんね」
通常王家の陛下となられる方以外の男性は、妻を娶る際に新しい家名を立てる為一般貴族や庶民の様に誰かの家の婿になる事は無い。だから第二王子とアザレリアの婚約は、この国で初めての婚姻となる。
私と東の国の婚姻が原因とはいえ、とんでもない相手が婿になったものだ。
「あなたの相手が、誰ですって?」
「東の国のクヴァイシュ殿下です。今回友好の証として東の国のルドラザーデ王女がシヴァジェイル殿下に嫁ぐ事になり、私は東の国に嫁ぐ事になったと陛下に伺いました。十日後にクヴァイシュ殿下がルドラザーデ王女と共にいらっしゃるそうです。その後二十日程この国で過ごした後私を伴って帰国されるとの事です。詳しい事は今お父様が陛下と決められているかと思います」
お義母様の顔を見つめながら、私が一気にそれだけ告げると、部屋の隅で固まった様に動きを止めていたお義母様付きの侍女シシリアが、弾かれた様にお茶の支度を始めティーカップをテーブルの上に置いた。
かちゃかちゃと耳障りな音が部屋に響く。何事にも動じないシシリアらしからぬ失態に驚いて視線を動かすと、本人は困惑した顔で私とお義母様を交互に見ている様だった。
「それはすでに決定したことなのね」
「陛下自ら私とアザレリアに話して下さいましたし、その場には王妃様もいらっしゃいました」
私の答えにお義母様の顔色は青を通り越して白くなっており、震える手でティーカップを持ち上げると気を静める様に一口だけ口に含み、ガチャリとテーブルにカップを戻した。
カップに残った紅茶の滴が振動でテーブルに飛び散る光景に目を見開き反射的にお義母様の顔を見るが、本人はそれに気がついていないのか何やら口の中でブツブツと呟いていた。
「お父様はすでにご存知の様でしたが」
いつ決まった話なのか分らないし、お父様がいつからご存知だったのかも分らない。
けれど、お義母様は知らされていなかった。
無表情で考えている事が分らない。微笑みを浮かべいつも穏やかで、だからこそ何も分らない。それが常だったお義母様の初めて動揺する姿を目の当たりにし、私はそう確信した。
これがもしも演技だとしたら、私は余程人を見る目がないと言うことになる。
「旦那様と陛下のお二人で決められてしまったという事なのね」
私の言葉に我に返ると深く息を吐き、お義母様は私に確認するように言った。
「はい。アザレリアの婚約もお二人で決められたのかと思います。王家の男性が、例え相手が王弟の娘とはいえ婿に入る等前代未聞ですから、大臣達では進言出来ないでしょう。アザレリアの婚約については時期がいつになるかわかりませんが、私はあと一月程で東の国に嫁ぐ事になります」
「嫁ぐ、あなたはこの話を受けるつもりなの」
受けるつもりも何も、誰が陛下から賜った結婚の話を断る事が出来るというのだろう。国の為の結婚だと理解してそれでも断れば、次に陛下から賜るのは首を吊るための白絹になる。
この国は陛下が絶対的な権力を持つ、兄弟とは言いながら一臣下でしかないお父様でも陛下の決定を覆す事は難しい。それを知らぬ方では無いのに、動揺していると言っても今のはお義母様らしからぬ言葉だ。
「断る必要があるでしょうか」
「それを言うなら受ける必要がでしょう。龍人と婚姻など」
「国の為なら仕方のない事ではありませんか」
この人は何故こんな事を言うのだろう。
シシリアもアリアも、普段のお義母様らしからぬ物言いに戸惑っているのが分る。
私がいなくなれば、自動的にアザレリアがこの家を継ぐことになる。
お義母様と血の繋がりがない私では無く、実の娘がずっと側に居る事になるのだからこんなに嬉しい事はないだろう。
そして私がこの国から消える事は王妃様の喜びだ。大切な息子に大嫌いな娘を、これ以上近付けずにすむのだから。この国の貴族は何人でも妻を持つ事だ出来る、お母様亡き後(お母様の後もう一人の妻も亡くなっているそうだが)お義母様のみを妻とし愛人すら持たないお父様の様な方は稀だ。
王妃様を寵愛しているとはいえ、陛下には何人もの側妃がいらっしゃる。シヴァジェイル殿下が東の国の姫を娶ったからといって、側妃を持たないということは無いだろうから私がこの国にいる限り王妃様の憂いは無くならないのだ。
「国の友好の証として結婚話が出た以上、王弟の娘が嫁ぐ必要があるのでしょう。ですから、仮に私がこの話を断れたとしても今度はアザレリアに話が来るだけです。私は可愛い妹にしなくてもいい苦労をさせたくはありません」
「あなたが国の犠牲になる理由は」
「強いて言うならこの家の長女だからでしょうか。私が嫁ぐ事で妹を守れるのなら、私は喜んで嫁ぎます。私はこの家を愛していますし、妹を愛していますから」
お義母様と私の間には溝がある、昔はこうでは無かった。血の繋がりは無いのだから甘えてはいけないと思いながら、お義母様に甘えていた。それが少しずつ話をしなくなり、同じ家にいるのに食事の時以外殆ど顔を合わせなくなっていったのだ。
どこで歯車が狂ったのか分らない。何が悪かったのかも、覚えていない。
お義母様との関係はそんな状態でも、アザレリアは可愛くて大切な妹だ。
「ですから、お忙しいお義母様にお願いするのは大変恐縮ではありますが、私が嫁ぐ際にあちらへ持参する物について」
「あなたの気持ちは分りました。旦那様がお帰りになり次第日程を伺って準備始めましょう。でも東の国の気候がよく分らないわね。姉……王妃様に相談すれば教えて頂けるかしら」
いつもの無表情に戻ったお義母様は、そう言うとシシリアを呼び寄せ耳元に囁いた。
「お忙しいお義母様にお時間を頂いて申し訳ありません。よろしくお願い致します」
「娘が嫁ぐ為の支度に心を砕くのは母親の努め、謝る必要はありません。でも同じ支度をするなら嫁ぐ日が待ち遠しいと思える様な相手だと良かったのに」
それはどういう意味に取ればいいのだろう。
困惑しながら、これ以上の長居は避けた方が良いだろうと立ち上がり軽く頭を下げた。
「トリテア、次はお茶を味わう余裕がある時にいらっしゃい」
「え」
「シシリアがいれるお茶はとても美味しいの。一ヶ月後に嫁ぐとあなたが本気で言っているのなら、この味を知らないままこの家を出るのは勿体ないわ。私がこの部屋に居る時ならいつでもいいからいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
訳も分からず部屋を出て、数歩あるいて立ち止まると私は深く息を吐いた。
緊張していたのだろう、ほんの数分の事なのに肩が凝っていた。
「アリア、あれはお義母様の本心なの? 私の知っているお義母様じゃない」
部屋を出る時お義母様は微笑んでいた。
いつもの作り笑いではなく、まるで私を労るかの様な微笑みで「いつでもいいから」と言ってくれたのだ。
「分らない、分らないわ」
頭を振って、私は黙ったままのアリアを置いて自分の部屋に逃げ帰った。
ただ私は、お義母様の反応が見たかっただけなのに、どうしてこんなに動揺しているのだろう。
怖くて、ただ怖くて、早足で自分の部屋に逃げ帰ったのだった。