お義母様の真意
「お帰りまさいませお嬢様」
馬車を降りると執事長と私達のそれぞれの侍女が玄関前で待っていた。
子供の頃から見慣れた彼らの笑顔を見るとほっとする。アリアは幼い頃から大人の使用人達に交じって私に仕えてくれたし、執事長のバッカスは私達がするいたずらを父の様に叱ってくれた。そんな彼らとも1ヶ月でお別れなのかと思うと涙が出そうになった。
「お嬢様、何か問題でも」
冷静にしていたつもりだったのに、アリアに気がつかれてしまった。私はこんな事で他国に嫁いでやっていけるのだろうかと不安になる。今日は感情を上手く操れそうに無い。
「問題は何も無いわ。バッカス、お義母様はお部屋かしら。少しお時間とって頂けるか確認してきて頂戴」
「畏まりました」
執事長のバッカスは理由も聞かず頭を軽く下げると、急ぎ足で階段を上っていく。
「お姉様、お母様とお話しされるなら私も」
「まあ駄目よ。あなたはこれから巫女様とのお勉強があるのでしょう?」
光の魔法の優秀な使い手であるアザレリアは、週に一度神殿の巫女様にご指導頂いている。
光の魔法は癒しの力、私の様に女性のくせに癒しの魔法より攻撃魔法が得意なんて役に立たない者とは違う。幼い頃は強い力を持つ自分が自慢だったけれど、大きくなるにつれアザレリアの力が羨ましくなっていった。
私が使える癒やしの力はかすり傷を治す程度、攻撃魔法なら苦も無く使えるのに戦いに出る事の無い女性の私が持っていても何の意味も無い。
「巫女様、いらっしゃってるわよね」
「はいお嬢様、先程からお待ちです」
「分かったわ。お忙しい中来てくださってるのにこれ以上お待たせしたら失礼ね」
巫女様がいらっしゃっていると聞いて諦めたのか、アザレリアは素直に侍女と一緒に部屋に向かった。
「さて着替えないと。アリア」
「はい。湯編みはお話の後でございますね」
「そうね。お義母様が良いと言ってくださればだけれど」
自分の部屋に向かいながらアリアと話す。
本来なら婚約の話はお父様がするべき事だけれど、お義母様の顔を見て私が直接話しをしたかったからお父様がいらっしゃらない今が絶好の機会だった。
「急いで着替えないとね」
会って頂けない可能性もあるけれど、準備は抜かりなくしておかなければ。
本当のお母様相手なら、こんな気遣いはいらないのだろうけど。考えても仕方ない事なのにくよくよと考えるのは昔からの悪い癖だった。
「服は藤色の胸元にリボンが付いている物を持ってきて頂戴」
「奥様はあまりお好きな色ではありませんが、よろしいのですか」
「いいのよ」
藤色は亡くなったお母様が好きだった色だと、乳母だった女性が話してくれた事がある。
その話を聞いてから私は藤色の服を好んで着る様になった。
私を産む時の出血が原因で亡くなったお母様、私はお母様の命を頂いて生まれたのだ。
お母様が使っていた物は何一つ残っていない。お母様の死を悲しんだお父様は、思い出の品を見る事が辛くすべて縁の人に渡してしまったり捨ててしまったりしたのだという。
私が幼い頃は、お母様の話をすることも禁忌だった。乳母がこっそり教えてくれる話が唯一のお母様の記憶で、屋敷の敷地内にある教会に納められた一枚の絵だけが、お母様を知る為の手段だった。
「執事長が奥様から承諾を頂いたとの事です」
「そう、じゃあすぐに伺うと伝えて」
アリアに髪を整えて貰いながら、メイドに告げると慌てて去って行く。
あの子は確か最近入ったばかりのメイドだ、お義母様のお客様を接客する為に雇ったと聞いていたのだけれどどうしてここに来ているのだろう。
「アリア、あの子はパーラーメイドでは無かった? 私の覚え違いかしら」
「いいえ、パーラーメイドとして雇ったそうですがあの通り落ち着きが無く、奥様が暫くはハウスメイドをして勉強する様にとの仰せで」
鏡越しに困った表情のアリアを見る限り、彼女は色々問題があるらしい。
「そう。ではお母様の機嫌を損ねない様に、様子を見ておいてね」
「畏まりました」
伝言を伝えに来るだけであの調子では、細かいところまで気を使わなければならないお義母様の近くではとても働けないだろうからお義母様とあまり交流の無い私の所に回されてきたのだろう。
あと一月で私は居なくなるというのに、困った人が来てしまったものだ。
「ではお義母様のお部屋へ行きましょうか。アリア、私が何を話しても驚かないでね」
「畏まりました」
アリアを伴いお義母様の部屋に向かいながら、どの様に話をしようかと考えていた。
お義母様の部屋は、お父様の部屋の隣ではない。お義母様の部屋はお父様の部屋がある二階の一番南側にある。広く美しい壁紙と調度品に飾られて部屋ではあるけれど、部屋に入る度疑問に思う。
どうしてこの場所に居るのだろう。
お父様の部屋の隣、この家の女主人が使うべき部屋はなぜか使われておらず私は入った事も無かった。
「失礼いたします。お義母様。お時間作って頂きましてありがとうございます。ただ今戻りました」
「お帰りなさい。アザレリアは巫女様と一緒なのかしら」
「ええ、帰りが遅くなってしまい少しお待たせしてしまった様ですが」
私を迎えたお義母様は、金の髪をきっちりと結い上げており顔はおしろいと紅だけの簡単な化粧だというのに年頃の娘がいるとは考えられない程、若々しく美しい。
私の本当のお母様が今生きていらっしゃったら、どんな風になっていたのだろう。
教会の一室に飾られたお母様の絵は、優しい笑顔と銀色の長い髪が印象的な美しい人だ。
お父様の元へ嫁いできたのは十七の時だと聞いた事があるから、あの絵は多分今の私とそう変わらない。
お母様はずっと若く美しいまま、あの場所で微笑んでいるけれど私はいずれお母様の年を越えてしまうのだ。
「どうしたの、掛けなさい」
「はい。ありがとうございます」
ぼんやりと自分の思いに沈んでいた私を不思議そうに見ながら、お義母様は自分が座る向かいのソファーを私に勧めた後眉をひそめた。
「若い娘なのだから、家の中でももう少し装ったらいいのではないかしら」
「華美な服は得意では無いもので、家の中では好みの物を身に付けたいと」
「あなたは綺麗な顔をしているのに、装わないのは勿体ないわ。アザレリアの様にフリルやレースが過剰についた服を好み過ぎるのも考え物だけれど、まあああいった物は若い頃にしか着られないから大目に見るしかないかしらね」
確かにアザレリアはレースやフリルをたっぷりと使った服を好む。
家の中ではスカートの膨らみは慎ましいけれど、夜会用はとても華やかだしそういうドレスが良く似合う。
「アザレリアはその名の通り、美しく艶やかなアザレリアの花そのものの様ですしフリルもレースもあの子にはぴったりです」
「でもあなただって品のある美しい顔をしているでしょう。あなたの母親そっくりの銀の髪に緑色の瞳、白い肌は透き通る程だし、顔は小さくて華奢な首をして。本当に生き写しだわ。その美しい顔を地味な服と髪型で隠すのは勿体ないわ」
昔から表情の変わらない人だったけれど、今のお義母様は更に無表情で何を考えているのか全く読めない。お母様を褒めている様に聞こえるけれど、これは本心なのだろうか。
私は嫌われてはいないと思うけれど、良く分らない。
この人にずっと育てられてきたというのに。