勉強する理由は「就職するため」-就活を終えた大学生が勉強する理由を考える
こんにちは、斑鳩銀鶏と申します。私は地方国立大学理系の4年生で、今年の3月から8月まで就職活動を行っていました。インターンシップや就活セミナーなども含めると、2014年の8月から活動をしていたので、丁度1年間就活に取り組んでいたといってもいいかもしれません。就活の結果としては、選考を受けた企業は10社、そのうち面接までたどり着いた企業は4社、そのうち内定を頂けた企業は3社です。よくネット上では「100社の選考を受けた」とか「寝るまを惜しんで履歴書やエントリーシートを書いた」などの不安を煽る話が多く、私は戦々恐々として就活に挑みましたが、実際はそんなに大変ではなく、周りの友人や過去の先輩のデータを調べても、多くて10〜20社程度しか受けずに就活を終えている人がほとんどでした。
就活というと大変であったり、苦労した話がよく聞かれるのですが、私の場合はそうでもありませんでした。今まで知らなかった企業を数々知ることができ、企業研究や自己分析を通して、働くとは何か、自分とは何かということを真剣に考えることができ、それにより自分の人生について思い悩んで哲学や心理学に手を出したり、また就活という名目で東京・大阪・京都などを観光し……とまあ、思い返してみると割と楽しい思い出も多く、思い悩んだことも自己成長だとすれば有益だったのかなと思います。あと、私は理系ということもあり、4年生から配属された研究室が結構忙しく、というか肌に合わず、正直就活を理由に欠席できるので「ああ、いつまでも就活をやっていたいなぁ」と思ったこともありました。
このような就活話はこれくらいにして、今回の主題は「勉強する意味とは」について私なりの結論にたどり着いたので、それを説明したいと思います。誰しも一度は思ったことがあると思います「どうして勉強するの?」と。私たちは小学校から中学校まで、変人ともなれば大学院まで行き、修士だの博士だのそこまで勉強してどーするんだというまで勉強(研究)する猛者もいます。大学院で博士号を取得して研究者として生きる人は、もうその分野の研究が好きでずっと勉強をしているのだと思いますが、世の中の多くの人は高卒や大学卒くらいで就職してしまいます。それくらいで就職するとなると、中学生のとき習った数学の因数分解や方程式、理科の力学や地学、日本史、古文、音楽だの技術だの、そういったことは一切使わなくなるのではないでしょうか。
どうせ将来使わなくなるのに、なぜこんなことを勉強しているのだろうか? こんなにイヤイヤ勉強することに何の意味があるのだろうか? と考えてしまうことはごく自然なことではないでしょうか。現に私もそうでした。小学生のときに日本の歴史を丸暗記しようと奮闘しているとき、キッチンにいた母に「なぜこんなことやらなきゃいけないんだ!」と腹を立てながら聞いたところ、母は「それはいい学校へ行って、いい会社に入って、お金を稼ぐためよ」と面倒臭そうに答えました。
当時の私は当然そんな答えでは納得するはずがなく(私は目が醒めるような、すごい「勉強する理由」が知りたくて、期待していたのかもしれない)、しかし勉強を全くしないとテストで点が取れずおこづかいに影響が出るので、世の中は理不尽だと思いながらしぶしぶ勉強を続けた。
中学、高校と上がっても一向に勉強は楽しくなく、ネットで「勉強 意味」とかで検索しても「勉強は嫌なことを我慢して行うための訓練」「勉強すると自分が将来進みたい分野が決まったときに役に立つ」「勉強すらできないやつが仕事できるの(笑)」みたいな、どーも腑に落ちない意見ばかりで、つまり「嫌かもしれないけどやっとけ、理由は大人になったら分かるから」と切り捨てられたような気分になった。これは子供には答えにくい質問をされた大人が「そのうちわかるわよ」とお茶を濁すようなものではないか!
そしてなんだかんだで大学生になり、理系らしく数学や物理なんかを学ぶものの、正直興味なんてこれっぽっちもわかず、テキトーに授業を受けて、友達のレポートをコピペし、その場しのぎでここまで生きてきた。
こんな「そもそもたいして勉強してねーじゃねーか!」と怒られそうな私が「勉強する理由」なんてことを語るのはおこがましいかもしれないが、一応イヤイヤながらも勉強をして来春大学卒業(予定)するところまで来れたのだ、語らせていただこうではないか。
私が人生を振り返って悟った勉強する理由、それは「就職のため」だ! それ以外意味は全くない!
この「私にとって」という言葉がミソで「この意見はあくまで私個人の意見であって、皆様にとってそうであるとは限らないし、私の意見が正解であるとも限らない。世の中にはこんな考え方をするやつもいるんだなぁくらいの、参考程度という姿勢で受け取ってもらいたい」という予防線を張っているのだ! なので「その理由はおかしい!」と思った人がいたとしてもそれはあなたの考えであって、私の考えではない。私は誹謗中傷されるのが怖いので、あなたに大人になっていただきたい。
私の人生を思い返してみると、
小学生:おこづかいのため+中学校の勉強についていくため
中学生:高校受験するために勉強
高校生:大学受験するために勉強
大学生:大学新卒という肩書きを持って就職するために勉強←イマココ
というかんじだ。
ああ、なんということだろう。小学生の頃からセコセコ続けてきた勉強が、巡り巡って就活のためになっているではないか。そうだ勉強することにそんな大それた理由なんてなかったのだ。それなのに大人が知恵を絞ったありがたい「勉強する理由」を子供に教え、「勉強する理由を理解してほしい」なんてことを考えてしまうから、子供は余計わからなくなるのだ。
「ねぇ〜なんで勉強なんてしなきゃいけないのぉ?」なんていう世間知らずの子供に、手取り足取り理由を理解させようとすることこそおかしいのだ。なぜならそんことを言うような子供は、大人が考えたおあつらえ向きの、きれいごとの、いかにも、といった理由では納得しやしない。「受験のためだ、就職のためだ、金稼ぎのためだ」と言ってくれる方がいいのではないか。
父「勉強する理由? そうだね、まず今は無意味に思えることでも、もしかしたら将来役に立つかもしれない。他にも、困難を自分の力で乗り越える経験を養うことで、自分の力になるんだよ。そして、難しいことでも自分で乗り越えられる力を持つことで将来……」
こんな「将来きっと役に立よ」みたいなふわっとした話を聞いて、目を輝かせて「しゅごーい! ぼく勉強しゅるー!」というマジキチダブルピースなんているのかよ!(※個人の意見です。根拠はありません)
父「勉強するのは受験のためだ! ひいては将来の就職のためだ! 他の理由? そんなもんはねぇ! なに、納得できない? 納得できなくていいんだよ! いいから勉強しろ! 子供はな、勉強が仕事なんだよ! なに、それは理不尽だって? お前もそのうち気づくと思うが、社会は理不尽なんだ! やりたいことやりたかったらな、やりたくないこともやらなきゃいけないの! いいからさっさと勉強しろ!」
こんなふうに切り捨ててくれた方がいいんじゃないかと私は思う。話は変わるが、なんでもかんでも子供に納得させる必要がないと私は思う。「なんで人を殺しちゃいけないの?」という子供がいれば「法律でそう決まっているから、はい論破」くらいで取り付く島を与えない。「なんで法律で決まってるの?」と聞かれたら「偉い人がそう決めたんだ。そして法律は破ってはいけないんだ」と言えばいい。世の中には理不尽なこともあるし、納得できなくても従わなくてはいけないこともある。それを子供のうちから分からせておいてもいいんじゃないだろうか? 現代はネット社会で分からないことがあっても検索すればすぐ答えが出てくるが、かつては分からないことがあっても調べる術がなく、分からないままにせざるを得ない時代もあったろう、そうなんだ、なんでもかんでも答えがあると思っちゃいけない。大人がそれっぽいようなことを言ってしまうからいけないんだ、「知らね。自分で考えな」と突き放して、自分なりの答えを見つけ出すような人間に育って欲しいと私は思う(※この文章は深夜のテンションでお送りしています)。
話が飛んでしまったが、結局私の言いたいこととして「勉強する理由は巡り巡って就職のため」だということ。なんの目的もなしに高校へ行って卒業するのも就職のため、工業高校へ行って専門技術を学ぶのも就職のため、私みたいにコピペで大学を進級し続けるやつも就職のため、何浪してでも大学医学部を受験するのは結局は医者として就職するため、大学で勉強をずーっと続けているやつも、将来教授として就職するため。そう割り切ってしまおう。
いやぁ、最初は真面目に書こうと思ったけど、書いてるうちに日付が変わってしまい、なんかテンション上がってきて、結局めちゃくちゃな文章になってしまった。もし「勉強する意味が分からない」なんて悩んでこれを読んでいる中高生がいたら、受験に役に立つからいますぐ勉強しなさい。