12
無事にグラシアルの港で旅行手形を発券してもらって、船に乗る。
国外へ出国する際は、出入国の管理をする旅行手形が必要らしい。
身分証があれば即時発行してもらえる。今度は、これが身分証の代わりになるらしい。
相変わらず、上級市民という肩書が消えることはなかったけれど、キルナ村の兵士みたいな態度を取られることもなく、すんなり終えた。
これから、グラシアルを出る。
城を出て、国を出て。
なんだかあっという間だ。
けれど。
船からの景色を楽しめたのも、海の揺れや、飛んでいく渡り鳥をのんびり眺めることができたのも、出航してから一日目まで。次の日の夕方には、船は嵐にあって、大揺れになって…。
『大丈夫?リリー』
「うん」
客室から出られない。
それどころか、ベッドから起き上がることもできない。
気持ち悪い…。吐きそう。
「こんなに、揺れるなんて」
「リリー、飲んで」
起き上がって、エルから水をもらう。
「…変な味」
「吐き気を抑える薬」
効くのかな。それ。
味わって飲むようなものじゃないから、一気に、コップの水を飲み干す。
「真っ青だな」
「…大丈夫」
「症状を言ってくれないと薬の作りようがない」
「作る?」
「とりあえず、吐き気がするっていうから」
だから、吐き気を抑える薬を?
今、作ったの?
「薬は要らない」
「食欲は?」
「ない」
「腹痛は?」
「ない」
「頭痛は?」
「…ないかな」
「くらくらする?」
「少し」
「苦しい?」
「うーん…」
「だるい?」
「…だるい?」
とても、起き上がれる感じはしないけれど。
だるいわけではなくて。どうしようもない。
ただ、ひたすらある、不快感。
「…難しいな」
難しい?
「原因は揺れなんだろうけど…」
それは、間違いないと思うけれど。
今から船を降りるっていうのも無理だから、港に着くまで、横になってるしかないんだろう。
「ごめん。何もできなくて」
「どうして謝るの?」
「俺のせいだから」
「違うよ」
「陸路で行くべきだった」
「船に乗りたいって言ったのは、私だ」
「ポルトペスタでは怖がってた」
「楽しかったよ」
「でも」
「エルらしくない」
そんなこと言うの。
「俺らしくない?」
「落ち込んでるの、初めて見る」
「落ち込んでる?」
「…違うの?」
いつも自由で。なんでも自分で決めて。
迷うことなんてない人だから。
強くて。なんでもできる人だから。
困ることもない人だから。
エルが、困ってるのって初めて見た。
私のせい?
そんなに顔色を悪くするほど、悩まないで。
「私は大丈夫だよ」
さっきほど、吐き気もない。
気持ち悪いのは相変わらずだけど。
「真っ青だ」
「エルの方が真っ青」
「え?」
「自分の心配もして」
「俺は船酔いなんてしてないよ」
「じゃあ、どうして?」
きっと。できないことなんてないから。
私が船酔いで。
それを楽にする方法を見つけられないから。
本当に、他人の心配ばっかりする人。
「エル。信じて」
「…?」
「私は平気」
「どこが?」
体を起こす。
気持ち悪い、けど。
「きっと、部屋が薄暗いから、顔が蒼く見えるだけだよ。…少し、体を動かしてくる」
「リリー」
「だから、病人のエルは休んでて」
客室を出る。
『強がっちゃって』
揺れが激しい船の廊下を、壁に手をついて歩く。
「だって。エルの負担になりたくないよ」
『心配かけたくないなら、大人しく寝てなよ』
「だって…」
『その方がしおらしいって』
「しおらしい?女の子っぽいってこと?」
『リリーは、エルに好きになってもらいたいんだろ?』
「…違うよ。そんなこと、望んでない」
『違うの?』
「呪いの力がある限り、誰かに好きになってもらうなんてできない」
『そうかな』
「そうかなって…。だって、好きな人とキスもできないのに」
『ちょっとぐらいなら平気だったじゃないか』
「ポルトペスタのこと?」
確かにあの時、エルは気を失わなかった。
『そうだよ。ばれなかった』
「ばれなかったけど、魔力は奪ってたんでしょ?」
『もちろん』
あぁ、やっぱり。
私にはわからないけれど、魔力を得ているイリスにはわかるだろう。
「私はエルにしてもらってばかりで、何もできないのに。エルから魔力を奪うなんて考えられない」
『あんなに無抵抗だったリリーに言えることなの、それ』
だって。抵抗できなかった。
力が入らなかった。
『だから言っただろ。気をつけろって』
言い返せない。
『それで、エルに好きになってもらう気がないなんて、聞いてあきれるよ』
「呪いのことを知ったら、エルは私のことを好きにならないよ」
『どうしてそう思うのさ』
「だって、エルがすごい魔力を持ってるから、近づいたって思われちゃう」
『リリー。本気でエルがそんなこと思うと、思ってるの?』
思ってもおかしくない。
でも、エルなら、思わないかもしれない。
でも、そんな相手と一緒に居ようとは思ってくれないかもしれない。
「ばれたら、一緒に居られない」
『信用してあげないの』
イリスは、エルがそんなこと思わないって確信してるの?
私は…。怖い。
エルが本当のことを知って、離れて行ってしまうのが。
だって、こんな呪われた人間、一緒に居ようなんて思ってくれるだろうか。
いくらエルが優しいからって。
それに。
「一緒に居られるのは、もう、三年もないんだよ」
だって、紅のローブに誓約させられたんだ。城に帰ってくると。
『もしかしたら、ずっと一緒に居られるかもしれないじゃないか。呪いも解いて、女王からも逃げられて』
「本気で言ってるの?」
イリスらしくないよ、それ。
「女王からは逃げられない。女王には逆らえないよ。…イーシャだって、そうだった」
一番目の女王の娘。帰ってこなかったディーリシア。
『わからないじゃないか。どこかで幸せに暮らしてるかも』
「それも、本気で言ってるの?」
『わからないっていうのは本気だよ』
女王が許すわけがない。
『エルが、解決するかもしれない』
「それも、本気?」
『本気だよ』
どうして、そう思えるのかな。
「イリスは、エルが好きなんだね」
『えっ』
「私は、イリスみたいに信じられない。エルが女王の娘について解き明かして、私の知らない真実を知ったとしても。これが、解決できる問題だと思わない。だって、今までずっと。今までずっと、誰も、この制度から逃げられた人間はいないんだ」
『リリー…』
あぁ。だめだ。歩くなんて、もう無理。
向きを変えて、今来た道を戻る。
動いたせいで、余計に気持ち悪くなったかも。
歩いて、戻って。客室の前で、座り込む。
『入らないの?』
「もう少し、回復してから」
上手くいかない。
私が元気でいれば。笑っていれば。楽しんでいれば。
エルが、心配することなんてないのに。
ごめんなさい。
一緒に居ることがどれだけ迷惑になってるかわかってるのに。
離れたくないの。
好きだから。