07
ポルトペスタに来て、三日目。
『おはよう、リリー』
「おはよう、イリス…」
『まず、着替えたら?』
「うん」
昨日。あのまま寝たらしい。
急いで身支度を済ませる。
『リリー。大丈夫?』
「うん」
昨日、あったこと。
どうしよう…。
『大丈夫だよ、リリー。エルは気付いてない』
「本当に?」
『本当』
本当に、気づいてないんだろうか。
私がエルの魔力を奪ったこと。
なんか、イリスの言うことじゃ信用できない。
『大丈夫だって』
「…エイダ、聞こえる?」
『どうしました?』
「あの…」
『大丈夫。エルは気付いてないみたいですよ』
「…そっか」
『ちょっとリリー。ボクのことは信用できなくて、エイダは信用できるっていうの?』
「だって。イリス、エルと仲が良いから」
『えっ?』
「エルに言いくるめられてそう」
エイダがくすくす笑う。
『私は、リリーに信用されているの?』
「うん。…だって、エルの魔力がなくなって困るのは、エルと契約している精霊たちだ。もし、私がエルから魔力を奪ったら…。エルは、重大な契約違反になる」
精霊との契約は、精霊の力を引き出す代わりに、魔力を提供すること。
魔力の提供が滞れば、精霊は強制的に契約解除できる。
『そうね。もし、あなたが魔力を奪うことに、エルが気付いて。何も対処しないのなら。みんなはエルとの契約を解除できるわ』
『リリーがそこまで考えてるなんて意外だな』
「だから、イリスは信用できないの」
『ひどいよ。十八年間連れ添った仲なのに!』
『リリーは、十八歳なの?』
「うん。そうだよ。女王の娘は、十八歳の誕生日に、修行に出発するんだ」
『そうだったのね』
さてと。
「散歩に行ってこようかな」
『散歩?…そうだわ』
エイダが顕現する。
本当に、綺麗な女の人の姿。
「ちょっと待っていてね」
エイダがエルの荷物から何かを出す。
「はい。お買いもの、するでしょ?」
「あ…」
銀貨と、銅貨、蓮貨。
「持ってるよ」
「金貨を崩すところなんて、わかります?」
わからない。
商人ギルドなんて、どこにあるだろう。
「大丈夫。エルはちっともお金に困ってないから」
「そういうわけにもいかないよ」
自分の荷物から金貨を取り出して、エイダに渡す。
「これ、エルに渡してほしい」
「エルは受け取らないわ、きっと」
「私からの方が、受け取ってくれないと思う。これ以上、お世話になりっぱなしっていうのも悪いから。お願い。エイダが渡しておいて」
「わかったわ。預かっておく。その代り、何か欲しいものがあったら、ちゃんと相談してね」
「うん」
「…聞いておくけれど、金貨が、この国でどれぐらいのレートかわかっている?」
「レート?…うーん。あ、ドレスの価格ぐらい?」
「あのドレスも、金貨があれば余裕で買えちゃうわ」
「そうなの?」
「金貨は、およそ五十万ルーク」
「五十万?」
あれ?確か、最初にグラシアルの王都で買い物をしようとしてたファストフードって、一つ二十五ルークだったよね?
『世間知らずって怖いね』
「気を付ける」
というか、買い物は全部エル任せだ。ちゃんと、金銭感覚を身につけなきゃ…。
よし。
「朝食、買ってくる!」
『大丈夫?リリー』
「大丈夫だよ。エイダ、いってきます」
「えぇ。気を付けてね、リリー」
※
…迷った。
ここ、どこだろう。
『リリー、どこ目指してるの?』
「市場?」
『もしかしなくても、迷ってる?』
「迷って、ないよ」
『迷ってるね』
どこかな。人の多い通りを目指してるんだけど。
「…あ」
良いにおいが漂ってくる。
パンのにおいだ。
「イリス、お店だよ」
『そうだね』
「あそこにしよう」
パン屋さんに入っていく。
「いらっしゃいませ」
店員さんが、焼き立てのパンを並べていく。
美味しそう。
何にしようかな。
『エルの好みなんてわかるの?』
「エルは、甘いのは苦手みたいだよね」
紅茶の飴ですら甘いって言っていた。
『リリーと正反対だ』
そんなこと、わかってる。
だったら、私が食べないようなのを選べば良いのかな。
「うーん」
「何かお探しですか?」
「えっと…。甘くないの…」
店員さんが首をかしげる。
『リリー。甘いパンの方が珍しいんじゃない?』
「あのっ。私は、甘いのが好きなんだけど、その、そういうのが苦手な人で…」
あぁ。笑われた。
「かしこまりました。こちらの、黒胡椒のパンや、黒茶のパンはいかがですか?」
黒茶。エルはきっと、コーヒーが好きなんだよね。
「うん、きっと好きだと思う。ありがとう」
あれ?そういえば、エルって…。
『リリー、自分のはいいの?』
「あ、うん」
メロンパンとイチゴジャムのデニッシュを選ぶ。
「ねぇ、イリス。エルって、全然食べないよね」
『そう?昨日のレストランでは、デザート以外、全部食べてたじゃん』
グラン・リューの紹介で行ったレストラン。
確かに、あそこでは食べてたけど…。
「でも…」
エルが食事を残すってことはないけれど。こういう軽食って、私よりも食べてない気がする。
なんでだろう。
…お酒は、あんなに飲むのに。
『気にしてもしょうがないんじゃない?早く会計して帰らないと、エルが起きるよ』
「あ、そっか」
パンを載せたトレイを持っていく。
「合計で七十ルークになります」
ルーク。
「えっと、これしかないんだけど」
銀貨と銅貨、蓮貨を見せる。
「あぁ、旅の方なんですね。蓮貨二枚になります」
蓮貨を二枚渡す。
「ありがとう」
店員さんがパンを紙袋に詰める。
「ありがとうございました」
早く持って帰ろう。
店を出て、通りを歩く。
『リリー、どっちに行くの?』
「え?」
『来た道を戻るなら、逆だからね?』
「えっと…」
帰れるかな。
『もう、しょうがないな。ついて来て』
「イリス、帰り道わかるの?」
『リリーと一緒にしないでよ。ボクは方向音痴なんかじゃないんだからね!』
イリスが私の前を飛ぶ。
本当にこっちで合ってるのかな…。
そんなに歩かずに、見覚えのある宿泊施設の通りに戻る。
「あれ?こんなに近かったんだ」
『そうだよ。リリー』
「イリス、ありがとう」
『普段もそれぐらい感謝してくれるとありがたいね』
「拗ねてるの?」
『最近、リリーが冷たい気がする』
「だって、イリスはエルと仲が良いから」
『何それ。妬いてるの?』
「違うよ。だって、会ってまだ、全然経ってないのに…」
『エルは、精霊に好かれやすいんだよ』
「そんなのあるの?」
『少なくとも、エルはボクらを差別しない。精霊だとか、人間だとかじゃなく、ちゃんとボクを一人の意識ある生き物としてみてくれるよ』
「それって特別なこと?」
『そうだよ。人間にとって精霊とは使役するものだ。リリーはボクと生まれた時から一緒だから気づいてないけど、魔法使いたちが連れている精霊っていうのは、みんなそうだよ』
「イリスは、私の家族だよ」
生まれた時からずっと一緒に居る。
『リリー。それ、本気?』
「どうして?」
『だってさ、ボクは…』
イリス?
『もう、いいよ。ほら、戻るよ』
「戻る?」
『話してるうちに、宿を通り過ぎちゃったんだよ!』
「え?」
確かに。見覚えのある宿が後ろにあった。
宿に戻って、部屋の扉を開こうと、扉の取っ手をつかんだところで、扉が急に前方に動く。
「あっ」
引っ張られて体制を崩したところで、抱き留められる。
『だから、すぐに戻ります、って言ったでしょう?』
「もう宿に着いてるなら、そう言えよ」
心配して、探そうとしてくれてたのかな。
「あの、」
「なんだ?」
「朝食に。これ」
持っていた紙袋をエルに差し出す。
「いい匂いだな。せっかくだから、外で食おうぜ」
「うん」
気に入ってくれると良いけれど。
「昨日は悪かったな」
「私も、ごめんなさい」
呪いのことを、言えなくて。
「さ、行くか」
私が持っていた紙袋を持って、エルが私の手を引く。
外は、さっきより、人通りが増えてきたみたいだ。
「今日はどこに行くの?」
あれ?
何か、考え事?
「何考えてるの?エル」
エルの顔を覗き込む。
「ん?」
やっぱり。考え事。
「明日にでも、ポルトペスタを出発しよう」
私に、言えないことなのかな。
「わかった。北の港を目指すんだよね?」
ここから北上すれば、ラングリオンへ行く船に乗れるって言ってたはずだ。
「北ってどっちかわかるか?」
「え?ええと、宿があっちで、船に乗った場所があっちだから…」
絶対、間違えられない。
船に乗ったメロウ大河はポルトペスタの東!
「あっちかな?」
エルが笑う。
「あぁ、だいたいあってるぜ」
「良かった」
エルについて行った先は、初めて行く公園。
メロウ大河に隣接する細長い公園には、多くの木々と噴水、そして彫刻家の作品が立ち並んでいる。
ドリンクワゴンでレモネードを二つ買って、公園を眺めるベンチに座る。
「コーヒーのパン?」
「うん。売ってたの。もう一つは、黒胡椒のパン」
「おぉ」
あ、やっぱり好きなんだ。
「どこに売ってたんだ?」
「ええと…」
宿からは近かったみたいだけど…。
「こんなの探せるなんてすごいよ。リリーは天才だな」
エルに言われたくない。
どう考えても、錬金術と魔法に長けている人を天才と呼ぶんじゃないかな。
「からかってるの?」
メロンパンを食べながら、目の前を眺める。
大河には船が行き交っている。
大河の流れに沿って動く船もあれば、それに交差して向こう岸に行く船もある。
「向こう岸に行くには、船しかないの?」
「あぁ。これだけでかい河だからな。橋を作っても、船が通れないから不便なんだろう」
「そっか」
それもそうだ。
でも、また船に乗るのか…。慣れないと。
「あんなに大きなものが浮いているなんて、不思議だね」
あぁ。メロンパン、甘くておいしい。
ここのは、全体的にしっとりしてる。
「リリー。女王にならなかったら、何になりたい?」
「んん?」
今、口開けない…。
「ほら」
エルが笑って、私にレモネードを渡す。
「ありがとう」
女王にならない。女王に選ばれなかったら。
「女王にならなかったら、女王を守る魔女部隊に配属されるんだ」
「魔女部隊?…確か、女王直属の少数精鋭、だよな」
龍氷の魔女部隊と呼ばれている、最強の魔女部隊。
女王にならない王位継承権保持者はみんな、所属する。
「そう。試練を潜り抜け、女王になる資格を持っていた、強力な魔力を保持した精鋭」
もちろん、魔力の保持の方法は、リリスの呪いによる。
敵から魔力を奪うこともできるし、相手の魔法は効かないんだから、最強の魔法使いだろう。
しかも、女王の娘となってからずっと、剣の稽古をしているのだから、簡単に攻撃を受けるようなことだってしない。私に剣の稽古をしたのだって、今の女王の姉妹だ。
ただ。
その中に私みたいな大剣を扱う人はいないから、外部の人間が一時的に稽古をつけてくれたことがあるけれど。
…そういえば、あの時。魔法使いでもない外部の人が城に入っていたっけ。
どうしてだろう。
「だから、修行も試練も放棄して、城に帰らない場合の話をしてるんだよ」
え?
「それは…」
それは、私が魔力を集められなかった場合。
「それは、女王が許さない」
だって、女王の娘の役割は、呪いの力で魔力を集めることだから。
集めなければ私は…。
「誰も、女王には逆らえないんだ」
それだけは確か。
逆らう方法がない。
「なんだよ。将来が全部決められてるっていうのか?」
エルは、わかってない。
「うん。私は、修行の期間が過ぎれば、帰らなければいけない」
紅のローブに約束させられたこと。
「それは、魔法を使えるようになって?」
そう。魔力を集めて…。
「その努力はしてるのか?」
してない。けど、頷く。
「…うん」
「俺と一緒に居て、修行になるのかよ」
「うん」
だって。今、私が選べているのはそれだけ。
エルと一緒に居たいって気持ちだけで、ここに居る。
「で?質問には答えないのか」
「なんの?」
「もし、女王にならなかったらって話し」
「だから、それは…」
女王にならなかったら。帰還しなければ、どうなるかわかってる。
「夢や希望を持つことを禁止されてるわけじゃないだろ」
夢?
私の夢?
…夢なんて。子供のころにしかなかったな。
絶対に叶うことのないものだから、夢っていうんだろう。
好きな人にキスだってできないのに。
「もし、この呪いが解けるなら。…幸せな家庭を築きたい」
好きな人と一緒になって。
好きな人と一緒に過ごしたい。
きっと、好きな人と居れば毎日が幸せだから。
呪いが解ければ、子供だって生めるから…。
あぁ。そうか。
女王の娘になってから。修行の三年を超えた未来を想像したこと、なかったな。
「ラングリオンに行ったら、一緒に暮らそう」
「え?」
今、なんて?
「全く違う環境で暮らすっていうのも、きっと楽しいだろ」
暮らす?
どういう、意味?
私が?エルと?
待って。それって、いわゆる…。
「エル、私…」
「さてと。今日は何して過ごす?」
えっ。
今の話し、もう終わり?
だって、あれって、どう考えてもプロポーズの言葉だよね?
違うの?
返事だってしてないのに。
もしかして、それすらも、誰にでも言うことなの?
「エルって、すごく変」
信じられない。
「なんだよ、それ」
「何考えてるか、全然わからない」
言葉に重みが全然ない。
だって、今のって女の子の憧れの言葉だよ!
そんなのだから、自覚ないなんて言われるんだ。
「会ってまだ、そんなに経ってないんだぜ。わかるわけないだろ」
「そんな相手と、一緒に暮らせる?」
「暮らせるだろ?俺はそういうのばっかりだ」
「そういうの、ばっかり?」
やっぱり、誰にでも言うの?
「前にも言ったけど、俺は砂漠の出身だ。王都の養成所に通っている間、世話をしてくれた人が居たんだよ」
そういえば。エルは、ラングリオンの市民権を得るために、砂漠から…。
一人で?
世話をしてくれた人がいたってことは、一人で来たんだよね?
あれ?エルの家族って?砂漠に居るの?
どうして、ラングリオンに家があるの?
どうして、ラングリオンの市民権が必要だったの?
「それに、店を任せてる奴もいるし」
「店?」
「あぁ。俺は王都で薬屋をやってるんだ」
「薬屋?」
そういえば、エリクシールが作れるんだっけ。
「錬金術で?」
「そういうこと」
「たぶん、仕事も溜まってるだろうしな」
そうだよね。
ラングリオンで天才と呼ばれた錬金術師って言ってたっけ。
ええと。
「あの、整理しても良い?」
「ん?」
「エルは、砂漠の出身で、錬金術と魔法を勉強してラングリオンの市民権を得て、王都で薬屋さんをやってる人?」
「あー、一応、王都の魔法部隊に所属してる」
「え?」
「兵役なんだよ。養成所に通った人間の。研究所に所属してれば兵役はないんだけど」
あ。イリスが言ってたっけ。養成所で育てた人は、研究所に所属させるはずだって。
エルは、所属してないから…。
「兵役があるのに、国を離れていいの?」
「出動要請がなければ大丈夫だろ」
絶対、大丈夫じゃないよね。
でも、エルらしい。
「エルは自由だね」
「リリーも今は自由だろ?」
自由?
「うん、そうだった」
今だけは。
「じゃ、出かけるぞ。行きたいところ決めなかったら、昨日と同じところに行く」
「昨日って…」
昨日は…。
「次は何色のドレスにする?」
エルが笑う。
「そ、それは、もう嫌だ」
冗談じゃない!
やっぱり面白がってただけなんだ!
…でも。
なんか、はぐらかされたな。
エルの家族って?