06
ポルトペスタ、二日目。
今日は、のんびりしよう。
エルがそう言って連れてきてくれたのは港近くの広い広場。
チュロスワゴンで買ったチュロを食べながら、アコーディオン奏者の演奏や、吟遊詩人の詩を聞き、大道芸人たちの出し物を眺める。
全部初めて見るもの。初めて聞く音楽。
大きな街の広場では、たいていこういう人たちが居るらしい。
グラシアルの王都にもいたのかな。
城の中では、こんなことをする人たちはいなかったけど。
それから、広場にあるベンチで、遅い朝食にフィッシュバーガーを食べる。
「ちょっと寄りたいところがあるんだけど」
「寄りたいところ?」
「魔術師ギルド」
「魔術師ギルド?…ギルドって、魔術師ギルドもあるの?」
「あぁ。冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルド、盗賊ギルドに、魔術師ギルド。大都市には必ず揃ってる」
『リリー。ちゃんと学んでるはずだよ』
「…城にはなかったから」
「城にあっても意味はないだろうな。あれは、非政府組織だ。国を超えた繋がりを持つ組織だから」
「一通りの歴史とかは知ってるよ。でも、私が外に出てお世話になるのは、冒険者ギルドだけだと思ってた」
「旅をするなら、それで十分だ」
『エルは甘いな。リリー。しっかりしてよ』
ギルド。
同じ目的を持った集団が、国や地方領主に嘆願するために集まったものが起源と言われている。
最も古いのは商人ギルドで、国の税制度に対して商人たちが文句を言ったのが最初だっけ。
商人ギルドは物販の流通。共通通貨の管理を担って、職人ギルドは、職人の保護を担う。
冒険者ギルドは、流れ者に仕事を与えて、都市の安全に貢献したことで知られる。
現在では、旅人から市民まで、合法的な手段でのあらゆる依頼を受け付ける何でも屋。仕事に困ったら、ここに行けば必ず仕事をくれる。旅人の駆け込み寺としても知られる。
ただし、犯罪者に対してはとても厳しいギルドだ。
昔、国を巻き込んだいざこざがあった時に、冒険者ギルドは犯罪行為からすべて手を引くことで、ギルドを守った。
その結果生まれたのが、盗賊ギルド。
犯罪者集団としても知られるこのギルドは、冒険者ギルドで受け付けなくなった非合法な依頼を受け付けることで急成長し、結局、国はその存在を容認せざるを得なくなった。
非合法な手段を頼みたいのは、権力階級も同じだったから。
「魔術師ギルドって、何をするギルドなの?」
「んー。魔法使いや錬金術師向けの仕事を請け負ってるところだよ。魔法使いっていうのは、そんなに居ないから。数を管理してるんだろ」
何か、隠してる?
「どうした?」
「それだけかな、って思って」
「勘が良いな」
エルがほほ笑む。
「後は、非合法な魔法使いの討伐だよ。魔法使い退治するのは、魔法使いが一番適任だからな。精霊から情報を集めたりして、常に監視されてる。だから、魔法使いによる犯罪っていうのは少ないんだ」
「そっか。エルみたいに強い人が本気出したら、街なんて壊滅しそうだもんね」
「本気で言ってるのか。それ」
「だってそうでしょ?私に魔法でダメージを与えられる人が、そんなに居ると思う?」
私が気を失うほどの力を受けるなんて、あり得ない。
「もう、あんなことするなよ」
「え?」
「魔法で、死なないわけじゃない。あの魔法使いは防御魔法を使ってるから、俺の魔法を受けたところで死なない。でも、リリーはまともに受けたんだ。生身の人間なら死んでる」
「私は魔法で死なないよ。現に、魔法を受けても、すぐに目が覚めた」
『リリー。エルが言ってること、わかる?』
「え?」
「いいよ、イリス」
『エルは甘いな』
「あれは、俺の責任だ」
『リリーの責任だ』
「うるさいな。いいんだよ」
イリスにはわかるの?
イリスとエルって、本当に仲が良い。
「ギルドに行くぞ」
「うん」
※
魔術師ギルド。
その名の通り、魔法使いがたくさんいるし、精霊も集まってる。
「リリー、ちょっと待っててくれ。…見えても、無暗に話しかけるなよ?」
「うん。わかった」
たぶん、精霊のことを言ってるのだろう。
エルがギルドの奥の扉に入って行く。たぶん、ギルドに所属している人しか入れない部屋なんだろう。
張り紙を眺めてみると、討伐依頼や、仲間の募集、錬金術の作成依頼などがたくさん貼ってある。
中でも、一際目を引くのが黄昏の魔法使い退治。
まだ、退治されていないんだ。キルナで聞いた魔法使い。
「そこのお嬢さん」
「ちょっと良いかい」
知らない人に声をかけられる。二人とも、光が見えないから魔法使いじゃない。
「なんですか?」
「ここじゃ話せない内容だから、ついて来てくれるか?」
「えっと…」
エル、まだかな。
「大丈夫。すぐ終わるから」
「すぐ終わる?」
「あぁ」
「わかった」
すぐ終わるなら大丈夫かな。
店を出て、男の人の案内に従って歩く。
「どこへ行くの?」
「こっちですよ」
『リリー。ついて行って大丈夫?エルを待ってた方が良いんじゃないの』
「すぐ終わるって、」
「もちろん、すぐ終わりますよ」
あ。イリスと会話できないな。
『なんか、やばい感じがするよ』
やばい感じ?
『リリー、あんまり遠くに行って、魔術師ギルドに戻れるの?』
あ。それはちょっと、自信がないかも。
「あの、どこに行くんですか」
「まぁまぁ、ついて来てもらえれば分かるんで」
どこまで行くんだろう。
だんだん人通りが少なくなって、朽ちた建物が目立ってきた。結構、遠くまで来たような気がする。
そして、二人の男が立ち止まる。
「ここまでくれば大丈夫だろ」
「お嬢さん。手荒な真似はしたくないんで、大人しくしていてくださいよ」
二人の男が、ロープを取り出して私の腕をつかむ。
「触るな」
その腕を、振り払う。
『リリー、戦うよ』
「うん」
背中に背負ったリュヌリアンを抜いて、薙ぎ払う。
薙ぎ払った衝撃で、二人の敵が叫び声をあげて吹っ飛ぶ。
『リリー、囲まれてる』
「人数は」
殺気を感じる。
『いっぱいいるよ。やるの?』
「うん。エルのところに、連れて行けないよ」
背後から、一人。剣を振り上げて攻撃する。
短剣を持った敵が避けるのが見えると同時に、剣の向きを切り替えて振り下げて斬りつけ、胴体を薙ぎ払う。
魔法がいくつか飛んできたけれど、これぐらいなら問題ない。
今度は目の前に二人。
同時に攻撃してくるのを剣で受け止めて、押し返す。よろけた一人を剣で斬り、もう一人の頭に柄を当てる。
最初の一人がまだ起きていたので、足で蹴り飛ばす。
次は背後から。
攻撃を避けて、相手の背中を柄で殴る。
さっきから魔法が飛んでくる方向に走って行き、魔法使いを斬る。
もう一人。隠れていても、光が見えたから位置がわかる。剣で、その胴体を斬る。
『リリー、まだ居るよ』
振り返る。
三人いる。
「まだやるの?」
三人が向かってくる。
無駄な動き。技術のない剣の扱い。
まるで子供のようだ。
三人まとめて薙ぎ払う。
絶叫。
一人、立ち上がった相手の顔に、剣先を突きつける。
「私に何の用だ」
問いただす前に、男はその場で倒れた。
『あ~あ。全部倒しちゃ、何も聞けないじゃん』
「…つい」
体が動いて。
なんだったのかな。
城の人間が、こんな貧弱な敵を私に向かわせるなんて考えられないし。
今さら教育係が私に近づこうと?
まさか。だって、エルと旅をするって約束してる。
「リリー」
上から声が聞こえて見上げると、エルが建物の上に居る。
「あ、エル」
リュヌリアンをしまう。
エルが建物の上から飛んで、ふわり、と着地する。
風の魔法かな。
「何やってるんだ」
え?怒ってる?
「あの、用事があるって言われて。それで…、」
怒らせるようなこと、したかな。
「あの、殺してはいないと思う」
エルがなんだか脱力して、私の両肩に手を置く。
「いいか、知らない人間に勝手について行くな」
「え?」
「自分が危なかったって自覚ないのか?」
危なかった?
何が?
「あの…、怒ってる?」
「当たり前だ。なんで勝手に居なくなるんだよ。…とにかく、来い」
エルが私の腕を引く。
だけど、急に立ち止まって、近くに倒れていた人の側に跪くと、相手を起こす。
「おい!」
一声かけた後、薬を出して、相手にかける。
「う、うぅ」
あの薬は、気絶した人を起こす、着付け薬だったかな?
「誰の命令だ」
「お前、誰だ?」
まだ意識がもうろうとしている相手に、エルが左手で短剣を突きつける。
「誰の命令だ」
「ひっ。…黄昏の魔法使いだ」
黄昏の魔法使い?
「どこに居る」
「し、知らない。俺たちは雇われて、」
「何のために?」
「そいつ、貴族の娘なんだろ。さらって来いって」
貴族の娘?何か、勘違いしてる?どういうこと?
喋るだけ喋って、その人はまた気を失う。
エルは何も言わずに私の手を引くと、歩き出す。
「エル?」
黙ったまま、しばらく歩いて、人通りが増えてきた辺りで、エルが口を開く。
「リリー。ちょっと仕事が入ったんだ。協力してくれないか?」
仕事?魔術師ギルドから?
「もちろん良いよ。どんな仕事?」
「…そうだな。…とりあえず、リリーを着替えさせるか」
「着替え?」
「あぁ。黄昏の魔法使いの討伐を請け負ったんだ」
そういえば、魔術師ギルドに貼ってあったっけ。
「今、ポルトペスタに来てることはわかってるんだけど、それ以上の情報がない。でも、あいつはリリーを狙ってるってことは確かだ。またリリーを捕まえにやって来るよ。だから、囮になってくれないか」
「囮?…うん。かまわないよ」
「良いんだな」
「え?」
その、いたずらっ子みたいな笑みは、どういう意味?
「富裕区へ行こう」
「富裕区?」
「貴族や金持ちを相手にした商店が並ぶ場所」
「この街って、そんなに貧富の差があるの?」
「リリーが連れて行かれたのは、貧困区だぞ。これだけ大きくて、商業も発展した場所だ。貧富の差があるのは当たり前。貴族階級を厳重に守るのも当たり前だし、無法地帯ができるのも自然な流れだ」
「そうなのかな」
「何か気になるのか」
「意外だったから」
「そういえば、グラシアルの王都にはなかったな。貧困区ができる背景には、収入の差や教育の差、治安の差なんかがある。収入の差はわかるな?教育の差っていうのは、倫理的な価値観を教える人間がいないってことだ。悪いことをやれば捕まる。幼い頃から犯罪歴がつくと、どうしてもまともな仕事につきにくくなる。そういった悪循環が起きるんだ。治安の差は、富裕層を重視すれば、手が空く場所が出てくるからな。都市を守る守備隊にとってどうでも良い地区。必然的に、富裕区と貧困区は離れた場所にできる。…けれど、一番の要因は差別だ」
「差別?」
「身体的特徴による差別、血統による差別、病気による差別。人間は、自分とは違うもの、理解できないものを避ける。集団から避けられたら、都市で生きていくことは難しい。…一度そういうレッテルを張られてしまうと、なかなか抜け出せないんだよ」
「……」
言い返せない。
差別なんて、するべきじゃない。でも。
城の中でもそうじゃないか。絶対的な階級制度に逆らうことはできない。
言葉一つで人を殺せる場所。
絶対に外に出られない空間でも、仕事があり、教育や病気の治療も受けられて、生きることに困らない分、貧困区より、ましだったんだろうか。
「貧困区を解決する方法もある」
「え?」
「長期的な支援。都市による富の再分配。…要は、街を上げて仕事と生きる力を与えてやればいい」
「それがないから、貧困区ができたのに?」
「どれだけ自分の街のことを考えられるようになるか、だ。貧困区は犯罪の温床になる。それに気づいて、どこまで市民が協力的になれるか。だから、こういうことにギルドは口を出さない。街の問題だから」
「そっか」
「富裕区は、全然雰囲気が違うだろ?」
「…あ」
いつの間にか、富裕区に入っていたらしい。
道の舗装の仕方も違えば、お店の煌びやかさも違う。どれもこれも綺麗だけど。
でも、ちょっと威圧的で怖い感じもする。さっきから、兵士を多く見かけるからかもしれない。
「この店に入ろう」
エルはそう言って、洋裁店に入る。
「いらっしゃいませ」
洋裁店。服を置いている場所だけど、ここに置いてある服って…。
「まぁ。…えぇ。すぐにできますよ。…あちらのお嬢様に?」
「あぁ。頼むよ。…そうだな。これが似合いそうなんだけど。明るい色にしないといけないからな」
「それでしたら、こちらの赤なんていかがでしょう」
「ちょっと、くどいな。こっちの方が良い」
「それでしたら、良い布がございますよ」
「…それに、これを載せて」
「ラインはいかがいたしましょう」
「可愛いのかな」
「では、ふんわりした感じに仕上げますね」
「後は適当に。似合うように作ってくれ」
「かしこまりました」
「……?」
「では、お嬢様、こちらへどうぞ」
「え?」
店員さんが、私の手を引いていく。
「暴れるなよ?」
「え?」
店員に連れて行かれて、奥の部屋へ。
「では、お嬢様。できるだけ早く終わらせますから、じっとしていてくださいね」
「え?」
ま、待って、何?どういうこと??
「仮縫いが仕上がりました」
お針子の一人がそう言って、扉を開く。
どうしよう。こんなの、城でだって着たことがない。
「エル、だめだ、こんなの、恥ずかしい」
お姫様みたい。
こんな恰好。私に似合うわけがない。
「うん。似合ってるな」
あぁ。見ないで。だって、こんな可愛いの。私には勿体ない。
きっと、メルの方が似合う。あの子はとても可愛いから。
プリンセスラインのふんわりと広がったドレス。
薄いオレンジ色のスカート部分には、刺繍の細かいレースが巻いてある。
ビスチェタイプの上半身部分は、首と肩が露出していて少し肌寒い。
とても、誰かの顔を見れる気がしないから、選べと言われた帽子は、一番つば広のものにした。
髪を下ろすのだって、寝るとき以外ではしないのに。
「お似合いですよ」
「素敵ですわ」
聞きたくない、そんな言葉。
「あぁ。それにリボンでもつけてやってくれ。寒いならストールもいるな。帽子は、もう少し顔が見えるような奴がいい。すぐに仕上がるか?」
「あの、エル、」
「ええ、おまかせ下さい」
「さぁ、お嬢様、仕上げますよ」
私の声を遮って、お針子たちがまた私を部屋に入れる。
どうして、こんなことに。
お針子たちが仕上げ縫いをして、背中の紐をきつく締めていく。
「苦しい…」
「あら。お嬢様はウエストのラインが美しいんですから、もっと我慢してくださいね」
更に、きつく締められる。
「そんなに、締めないで」
「大丈夫ですよ」
なんで、こんなに力があるの。
「何も食べられなくなっちゃう」
「心配いりません。どうせ緩みますから」
更に。
…辛い。
「脱ぐ時は、誰かに解いてもらってくださいね」
「え?」
腰に大きなリボンをまいて、帽子が小さめのに取り換えられる。
「お履き物はいかが致しましょう。おすすめはこちらの靴ですよ」
出されたのも、可愛らしい靴。
「歩きにくそう。もう少し、ヒールの低いのはない?」
「でしたら、こちらは?」
だめ、だめ。そんな動きにくそうなの。
「あ、あれがいい」
「あちらのブーツですか?。こちらのドレスには、この靴の方が…」
「お願い。どうせ見えないんだから、それぐらい好きにさせて」
「…かしこまりました。それでは、こちらを」
こんなの着せて。エルは一体何するつもりなんだろう…。
「さぁ、ストールを。ここの部分を結ぶのが、ポルトぺスタの流行ですよ」
「…ありがとう」
肩を隠すと、少し落ち着く。
「さぁ、仕上がりましたよ」
言って、お針子の…、たぶん一番偉い人が扉を開く。
扉を開いた先にいる、エルと目が合って、思わず目をそらす。
「あぁ。綺麗だな」
綺麗?
綺麗って、私のこと?それとも、ドレスのこと?
「からかっているわけじゃ、ないんだよね?」
こんなの着せて…。
「この鎧と剣はどういたします?」
ドレスを縫う時にはぎ取られた鎧と剣を、お針子たちが持っている。
「宿に届けておいてくれ」
待って。
「だめ、リュヌリアンは持って行かないで」
「…剣のことか?」
頷く。
だって、リュヌリアンがないと戦えない。
「代金はさっきので足りるか?」
「えぇ。ブーツもサービスさせていただきますよ。お似合いの靴があったんですが、お嬢様がどうしても嫌だと申されまして」
「あぁ、うちのお嬢様は、お転婆なんだ」
そう言って、エルが笑う。
ひどい。
「エル、私にいったい何をさせたいの」
「お嬢様らしくしてほしいだけだよ」
エルがリュヌリアンを背負って、私に手を差し出す。
「さぁ、お姫様。お手をどうぞ」
あぁ。王子様みたい。
物語で読んで、憧れていた光景。
どうしよう。ドキドキする。
エルの手に、自分の手を載せる。
「なんか、恥ずかしい…」
夢みたいな光景。
店の扉が開いて、エルが私を外に連れ出す。
店から出ると、小さな歓声が上がる。
…すごく、注目を集めてる。どうしよう。
「恥ずかしいよ、エル。注目を集めるのは、好きじゃない」
「注目を集めるのが仕事だぜ」
「ドレスの裾、踏みそうだ」
「転びそうになったら助けてやる」
「本当に、これが、エルに協力することになるの?」
エルはくすくす笑う。
「ちゃんと説明しただろ?」
これが、黄昏の魔法使い討伐に関係があるの?
囮になることに?
「それなら、エルも着替えた方がいいじゃないか」
「俺はいいんだよ。別に貴族じゃないんだから」
私だって、貴族ではない。
「納得がいかない」
「心配するな。後は、あそこのテラス席で、ゆっくりお茶でも飲んでればいいから」
そう言ってエルが、大きなカフェのテラスを指す。
「エルは、私を見せ物にしたいの?」
あんなところでお茶なんてしていたら。
しかも、こんな恰好で。
恥ずかしい。似合ってもいないのに。笑われるだけだ。
「嫌だ」
「じゃあ、どこに行く?」
どこへ?
…どこに、行こう。
そういえばポルトペスタって、城に出入りの商人が多い街だ。
もしかしたら、あの人に。会えるかもしれない。
「宝石店」
もし、実在する人物なら。
城に出入りの商人は、必ず魔法使いたちを通して取引をするから、顔を合わせることはない。
だから、もしかしたら架空の人物かもしれないけれど。
「グラン・リューっていう宝石商が、石を売りにポルトペスタから来るんだ。そこに行きたい」
「いいぜ」
そう言って、エルが近くの人に声をかける。
「すまない、この辺りにグラン・リューの宝石店はないか?」
「グラン・リュー?…探している人のお店か知らないけれど、宝石店なら、この道をまっすぐ行って、二番目の角を左に曲がった場所にあるわ」
「そうか。助かる」
エルは人に声をかけるのが上手い。
私は、そう簡単に声なんてかけられない。
「行こう」
エルが私の手を取って、歩き出す。
なんで、そんなに楽しそうなのかな、エル。
宝石店。
「いらっしゃいませ」
そう言って、老紳士がおじぎをする。
『いろんな魔法がかかっているな。無暗に触れないほうがいい』
メラニーの声が聞こえる。
気を付けよう。
エルの手を離れて、宝石を見る。
…あれ?
この石は、カットの仕方が荒い。
ちょっと見ただけじゃわからないぐらい輝きは美しいけれど、おそらく、まだ半人前の職人が作ったものだろう。
この首飾りも、細工が。少し、センスを疑う。
こっちの首飾りもだ。どうして、こんな良い宝石を中央に置いて、周りはイミテーションの石を使うんだろう…。
一通り見て、エルの元に戻る。
「どうした?」
「ここは、違うと思う」
「違うって?」
「グラン・リューの店じゃない」
グラン・リューが。
尊敬するあの人が、こんなものを売り物にすると思えない。
「グラン・リューのお客様ですか?」
入り口で声をかけてくれた老紳士が口を開く。
グラン・リューの知り合いだろうか。
でも。城の外の人間に名乗るのは厳禁だったから、私が名乗ったところで、グラン・リューにはわからないだろう。
「あぁ。直接会ったことはないが、王都でお嬢様が石を買われた相手だ」
エルが説明してくれる。
すごく、正しい説明だ。
「左様でございましたか。では、こちらへどうぞ」
え?
エルと顔を見合わせる。
エルに手を引いてもらって、その人の後を追う。
地下に続く階段みたいだ。
そこに、グラン・リューが?
「なんで、違うって言ったんだ?」
エルが聞く。エルは見てないから、わからなかったのかな。
「あそこに置いてあるものは、どれも二級品以下だ」
グラン・リューが城に持ってきたものは、どれも素晴らしいものばかり。
それに、あの人が得意なのは、宝石よりも化石。
「左様でございます。最近は、目利きをできるお方が少ないものですから、店頭には大事な商品を並べておりません。お嬢様でしたら、地下をご覧になる資格がおありです」
暗い地下に着くと、老紳士が部屋に灯りをつける。
「さぁ、どうぞご覧ください」
ここは…。
「これが、門外不出の宝石…」
部屋の中央にある、巨大な鉱石。
それに、近づく。
ずっと、見たいと思っていたもの。
間違いない。
グラン・リューの手紙に合った通りの石。
こんなに、こんなに大きい物だったなんて。人間の背丈ぐらいある。
「ほら、見て、エル。宝石の中央に、卵があるの」
鉱石に包まれるように、鉱石の中で浮いている卵の化石。
「本当だ。随分でかいな」
「うん。ドラゴンの卵だ」
「ドラゴンの卵?」
「それも、そうとう古いんだ。これは宝石であり、化石である。…それに、この模様。本来縦に入るはずのラインが、ここだけ渦巻いているだろう?特殊な状況下でしか、鉱石はこんな模様を描かないんだ」
太古の夢。
グラン・リューはそう名付けていた。
古い時代、そこに生きていたものを、現代に伝える石。
あ…。
「あの…、ごめんなさい。つい、興奮してしまって」
エルがこういうの好きか、聞いていなかった。
「好きなんだな」
「うん」
私が、勉強で唯一まじめに取り組んだもの。
たぶん、私がやる気を見せたから、城の魔法使いも、グラン・リューと私の取引を許可してくれていたんだろう。
「宝石や、化石。太古の記憶を持ったものたち。今、そのままの姿を見られるのは、奇跡みたいな出会いだから」
この部屋には、他にもいろんな化石が並んでいる。
あぁ。城に持ってきてくれたことのある宝石もある。
間違いない。ここは、グラン・リューの店だったんだ。
「失礼ですが、リリーシア様では?」
「え?」
どうして、私の名前を?
「…私、エイトリ・グラン・リューと申します」
え?グラン・リュー?
「あ、あの、ええと、」
本当に?本当に、この人が?私のあこがれの?
「あんた、リリーシアのこと知っているのか?」
「もちろん。女王陛下の四番目の姫君が旅立たれたと連絡を受けたのは、昨日のことです。きっと、私の店にいらっしゃると思っておりました」
「なんで名前を知ってる?リリーが話したのか?」
「違う、私は一言も名前なんて言ってない。そういうのは禁止されてるんだ」
女王の娘はもちろん、城の人間はみんな、名前を言ってはいけない。
すべて、間に魔法使いたちが入る。
「城の者が言っていたのですよ。私との取引を楽しんでおられるのが、四番目の姫君であるリリーシア様だと」
城の者って、魔法使いしかいない…。
もしかして、ソニアが?
「いつも、聡明なお手紙、楽しく読ませていただいておりました」
手紙。勉強と称して、やり取りしていたもの。
「いや、私みたいな若輩者に付き合ってくれて、いつも感謝していたよ」
私みたいなのに、化石のこと、宝石のことを教え込むのは、相当大変だっただろう。
けれど、手紙の内容はいつも優しくて。なんでも教えてくれた。
「リリーシア様に、贈り物があるのです。少々お待ちください」
そう言うと、グラン・リューは、奥にある部屋に入っていった。
「城の外にも知り合いがいるんだな」
正確には、実在の人物だったと知ったのは、今。
「手紙のやり取りをしてくれていたのが、本当に外の人間だったなんて、初めて知った」
「どういうことだ?」
「だって、もしかしたら城の人間かもしれなかったから」
城の中と外を完全に隔離するために、魔法使いたちが気を使っているのは知っていた。
だから、勉強のためでも、グラン・リューとのやりとりを、どこまで魔法使いたちが許してくれていたかはわからなかった。
「グラン・リューは、私の、宝石学と考古学の先生なんだ」
「教育だから、手紙のやり取りが許されていたのか?」
「たぶん。もともと、城に出入りの…、出入りって言い方は変だね、会わないから。そういう商人の一人だから」
「会えて良かったじゃないか」
「うん。ありがとう、エル」
会えると、思ってなかった。
「なんで?」
「こういう機会がないと、たぶん、来なかった」
きっと。あきらめていた気持ちの方が強かったから。
グラン・リューが実在することも、門外不出の宝石が実在することも。
エルといなかったら…。
「お待たせいたしました。…こちらを」
グラン・リューが、持ってきた宝石箱を開く。
「これは…、まさか、暁の虹石?」
石を手に取って眺める。
見る角度によって色が変わる現象、イリデッセンスの輝きを持つことから、虹石と呼ばれる石。
ほとんどが色味の薄い透明で、その色の変化を楽しめるものではないが、赤系の色で輝く石が火の虹石、青系の色で輝くものが水の虹石と呼ばれ、珍重されている。
最も希少価値が高いのは黄色系で、幻の虹石、黄金の虹石と呼ばれる。
原石は丸い形をとり、宝石として加工される時も丸く加工されることが多いが、加工すると欠けやすくなるのも特徴だ。
その為、原石がいかに球形に近いかで、その価値が飛躍的に跳ね上がる。
宝石箱にあったのは、手のひらサイズの卵型をした、幻の虹石。
中央付近に丸く浮いた気泡の位置が奇跡的と言っていい。
気泡の部分が石全体とは違う輝きを放つことで、この石は、まるで朝陽の光景を、その中に閉じ込める。
「ええ。虹色の輝きを持つ虹石の最高峰。私が取り扱ったものの中で、もっとも貴重な石です」
グラン・リューが最も大切にしている石。
「どうぞ、お納めください」
「え?」
グラン・リューが、この石をどれだけ大事に思っているか知っている。
私は、持っていた石を宝石箱に戻す。
「こんな大切なもの、私は受け取れない」
「いいえ、これはもう、リリーシア様のものなのです」
私のもの?
だめだよ、そんなの、受け取る資格がない。
「…私は、修行中の身なんだ」
「それでは、ご帰還された暁に、お送りさせていただきましょう」
帰還。…私は、帰還するのかな。
「うん…。もし、無事に修行が終わったら。その時に、ここに寄らせてもらうよ」
「かしこまりました。…しかし、せっかくお越しいただいたのに、何もお渡しできないというのは、宝石商として恥でございます。どうか、お好きなものをお選び下さい。それを贈り物といたしましょう」
「そんな、悪いよ」
「いいえ。友情の証に。是非」
友情の証。
あぁ。手紙のやり取りをしてくれていたのは、本当にこの人だったんだ。
「うん。わかった」
城で見たことのないものにしよう。
どれにしようかな。
…持ち歩けるのじゃないと。
『リリー、良かったね』
「うん」
『リリーが唯一、まともに頑張ってたもんね』
「…ちゃんと、授業は受けていたじゃないか」
『そうだったかな。いつもアリシアに面倒見てもらっていたじゃないか』
アリシア。二番目の女王の娘。なんでも卒なくこなして、とても頭が良い人だった。
城の魔法使いたちの信頼も厚くて、どういう方法を使っているのか、城の外とのやり取りを、女王の知らないところでしていた。
禁止されていることを行えば、命を取られるというのに。抜け穴を見つけていたのかもしれない。
女王の娘。私の姉妹。
女王の娘は、新しい女王が即位すると、城の中の人間から選ばれる。
私たちに血縁関係はないし、年齢もばらばらだけど、召集されてから修行の日まで、ずっと一緒に生活する。本当の姉妹のように。
一番目はディーリシア。いつも私の剣の稽古の相手をしてくれた、強くて優しいみんなのまとめ役。
三番目はポリシア。いつも元気で、おしゃべりで。明るいムードメーカーだった。
四番目は私。
五番目はメルリシア。可愛くて賢くて、良く一緒に恋物語の話をしていた。
懐かしい思い出。
そして、十八歳の誕生日に一人ずつ出発する。
私が帰る前に帰還するはずだったディーリシアは帰ってこなかった。
「これに決めた」
雫の形をした、水の虹石のついたペンダント。
球形を取る虹石では珍しい形だ。
「流石、リリーシア様。お目が高い」
「水の虹石で、雫型なんて珍しい。加工してあるの?」
「いいえ。その状態で発見された、珍しい形の石でございます」
「すごいな」
「えぇ。どうぞ、お持ちください」
グラン・リューが、私の首にペンダントを付けてくれる。
「ありがとう。大切にするよ」
虹の涙って呼ぼうかな。
「とても良くお似合いですよ。さぁ、上までご案内しましょう」
エルに手を引いてもらって、階段を上る。
店から外に出ると、もう夕方だった。
「ささやかですが、夕食のご用意もさせていただきました。蝶陽亭というレストランです。こちらの馬車をお使いください」
「何から何まで、ありがとう」
「いいえ、リリーシア様に会えた喜びに勝るものはございません」
グラン・リューがお辞儀をしたので、私もそれに倣って頭を下げる。
「また、ここに来るよ」
「はい。いつでも、お待ちしております」
エルに支えてもらって、馬車に乗る。
『グラン・リューに色々取り計らってたのって、たぶんソニアだよね』
私とグラン・リューとの手紙のやり取り。グラン・リューに私の名前を教えた人物。
いつも、私のことを一番に考えてくれる優しい魔法使い。
『この前のこと、謝る暇もないね』
「…うん」
それなのに。
酷いことを言ってしまった。
もう、目の前に現れるな。
言葉はその人間を縛る。
城の中では絶対だったことが、城の外でどれだけ効力を発揮するかわからない。
けれど。ソニアは、もう私の目の前に現れることはないだろう。
ごめんなさい。
「ごめんなさい、ソニア…」
尽くしてもらったのに、気持ちにこたえられなくて。
でも、これ以上私に関わって、ソニアの身に何かある方が怖い。
エルが乗って、馬車が動き出す。
手紙?
エルが何か読んでる。
エルの体から大地の精霊、バニラが出て、エルと一緒にそれを覗き込んでいる。
『……?』
「何見てるの?」
私に気付いたエルが、手紙を折りたたんでしまう。
私と目があったバニラが、慌ててエルの体に戻った。
「秘密だ」
秘密…?
バニラ、どうしたんだろう?
※
馬車がたどり着いた場所は、煌びやかで大きなレストラン。
というか、レストランに見えないぐらい大きい。この規模で、宿泊施設がないなんて、と思っていたら、すべて個室のレストランらしい。
料理長が出てきて、メニューの詳細を教えてくれる。
要するに、ポルトペスタの創作料理のフルコース。この恰好で、食べられるかな。
「ワインはいかがいたしましょう」
「ええと…」
全然わからない。
「シェリーを」
シェリー?
「かしこまりました」
すでに用意してあるワインの中にあったのだろう。
ウェイターが栓を抜いて、白いワインをグラスに注ぐ。
「御用がありましたらお申し付けください」
そう言って、ウェイターが出ていく。
「なんだか、すごいところだね」
「個室だし、肩がこらなくて良いんじゃないか」
エルが差し出したグラスに、自分のグラスを合わせる。
「本当は、もっと目立って欲しいけど」
「目立つことに意味があるの?」
「あるよ。向こうがリリーの居場所を把握してくれないと、捕まえてもらえないだろ」
向こうって、黄昏の魔法使いのことだよね。
私、エルの仕事の役に立ってるのかな…。
あれ?おびき出すんだよね?
「それなら、貧困区を歩いていた方が良かったんじゃ?私にこんな恰好させる意味、あった?」
「あるよ。…リリーはすごく綺麗だし、可愛い」
「えっ」
綺麗って。
可愛いって。
それ、どういうこと?
「か、からかわないで」
「からかってないよ」
どうしよう。
ずるいよ、そんなの。
全然、似合ってもいないのに。
…あれ?おかしい。論点、ずらされてる。
「そうじゃ、なくって」
「料理が冷めるぞ」
冷めるって、前菜は冷菜だ。
からかわれてる。
「流石、ポルトペスタの一等地にある宝石商のおすすめだ。うまいよ」
エルに言われて、前菜を口に運ぶ。
「あ…、美味しい」
口の中でとろりと溶ける。
野菜も、とても新鮮だ。
あぁ。ドレスじゃなかったら。
ちゃんと全部食べたんだけどな。
最後のデザートが食べたくて、メインの皿を一つ拒否してしまった。
デザート、すごく美味しかったから、良かったんだけど。
「リリーは本当に甘いものが好きだな」
「だって、あんなに可愛くて、美味しいのに」
エルは要らないって断ってたっけ。
ワインだけは軽く一本開けちゃうのに。
本当に甘いものが嫌いなんだ。
「リリー、ここで待ってろ」
ここは、蝶陽亭の、店の門。
「え?」
「その辺で馬車を拾ってくるから。その恰好で歩いて帰るわけにもいかないだろ?」
「うん。わかった」
今日は何も起こらないのかな。
『リリー、気を付けてよ』
目の前に男の人が現れる。
「ちょっといいかい」
「……」
これって、素直に捕まるべきなのかな。
エルがそばにいないけど…。
今度は目の前に馬車が止まる。
「おとなしく、これに乗ってくれ」
「それは…」
囲まれてる。でも、このドレスじゃ、上手く立ち回れる自信がない。
リュヌリアンもないし…。
どうしよう。
考えていると、後ろにいた男が私の口に布を当てて、私を馬車に押し込む。
「んん」
この匂い。
たぶん、眠りの粉がついてる。
魔法で作った眠りの粉なら私には効かないんだけど。
「早く縛るんだ」
「武器を持ってなきゃ、こっちのもんだ」
「大事な人質だ。傷をつけるなよ」
目と口をふさがれて、両手も縛られる。
「おい!早く馬車を出せ!」
馬車が動き出す。
どうしよう、怖い。
エル…。
『リリー、大丈夫よ。エルがそばにいる』
エイダ。
…良かった。
大丈夫。
「上手くいったな」
「しかし、本当に貴族のご令嬢だったんだな」
「オーダーメイドのドレスをあの店に作らせるなんて、相当な金持ちに違いないぞ」
「宝石店の裏店にも入れるし」
「おまけに、あのレストランだ」
…ずっと、尾けられてたんだ。
気が付かなかった。あんまりにも、私を見てる視線が多すぎて。
「これでしばらくは安泰だな」
「黄昏の魔法使いからも、がっつり金をもらわないと」
「これで貧困区ともおさらばだ」
貧困区。
エルが、犯罪の温床になるって言ってた。
お金があれば、貧困区から抜け出せる。
その為に、こんなことをするの?
どれぐらい移動したのだろう。
馬車の揺れが激しくなる。たぶん、街から出たんだ。
しばらくして、止まる。
「さぁ、お嬢さん。降りてくれ」
「手荒なことはしたくないんでね。大人しくしてくれよ」
『リリー、段差に気を付けてね』
入り口はどこだろう。
縛られた手で探りながら、馬車を降りる。
「おい、馬車は遠くに捨ててこいよ」
馬車が走り出す音が聞こえる。
そして、腕をつかまれて歩き出す。
どうなってるのかな、今。
全然、周りの状況が分からない。
…エル。
なんで、ドレスなんて着せたの。
身動きが取れない。
周りにいるのが何人かも把握できない。
すごく、たくさんの人に囲まれているような感じもする。
怖い。
せめて、リュヌリアンさえあれば。
でも、ドレスを着たまま、走れるだろうか。
せっかく、エルが作ってくれたのに…。
急に、歩みが止まる。
「お前ら、ボスを呼んで来い」
「わかった。…くれぐれも、手を出すなよ」
「わかってるって」
また、腕を引かれる。
扉の開く音。
家?
家の中に入って、扉が閉まる。
すると、急に背中を押されて、床に倒れる。
腕が縛られているせいで受け身も取れない。
「さて。ちょっと遊んでやるか」
「良いんですか?」
「良いだろ。人質の価値が下がるわけでもない」
体を起こす。
今いる人数は、何人?
『リリー。危なくなったら、顕現するからね』
イリス。
「残念だったな。身分違いの恋で駆け落ちなんて、現実には成功しないことだぜ」
なんの話し?何か、勘違いしてる?
また、扉の開く音が聞こえる。
「…なんだ?」
動揺する声が響く。
「な。何が…」
どさり、どさり、どさり。
三人。人が倒れる音がする。
そして、足音が私に近づいてくる。
『遅いよ、エル』
「悪かったな。大丈夫か?」
エルの声。
ようやく、目と口が自由になる。
あぁ、エルだ…。
三人しか、居なかったなんて。気づかなかった。
「怖かった」
「…ごめん」
エルが私の両手を結んでいた縄を解く。
「私、剣がないと…」
リュヌリアンがないと、戦えない。
「剣がないと、ただの女の子、だって?」
「え?」
ただの、女の子?
「私は、自分がただの女の子なんて…」
そう思えたのは、きっと。女王の娘になる前だけ。
『エル、外に人が来た』
「大人しくしてな。これは渡しておくから」
エルからリュヌリアンを受け取る。
「私も戦う」
これがあれば。怖くない。
「だめだ。お姫様に戦わせるなんて聞いたことがない。…すぐに終わらせるから、大人しく待ってろよ」
そう言って、エルが外に出ていくのを目で追う。
お姫様…?
私が?
お姫様なんかじゃ、ないよ。私は。
でも。
良いのかな。
こんなの初めてだ。
こんな扱い。
騎士に守られるお姫様。
…良いのかな。
「エル?」
外が静かになった。
リュヌリアンを持って立ち上がり、外を見る。
なんだろう、あの魔法陣みたいなの。
上に人が倒れてる。
「あぁ、そういや、中にも居たな」
エルが小屋の中で倒れている人をロープで縛り上げ、魔法陣に運ぶ。
「何してるの?」
「逃げ出さないように、魔法をかけておくんだよ」
「魔法?」
エルが左手に杖を持つ。
「宵闇の眷属よ、我は闇の精霊と契約する者也。汝の力持って、ここに永久の悪夢を」
エルの声に反応して、魔法陣が黒く光る。
「これは魔法陣。周囲の精霊の力を借りて、強力な魔法を仕掛けるんだ。これは闇の魔法。迎えが来るまで、眠っててもらうんだよ」
「迎え?」
エルは私の剣を背負うと、私を抱える。
「わっ」
「こいつらを運ぶ手段がないからな」
私を運ばなきゃいけないから?
「あの、歩けるよ」
「この恰好で、歩きにくい道を歩かせるわけにいかないだろ?せめて、舗装された場所まで抱えてやるよ」
街まで?馬車で移動するような距離を?
「重いよ」
「鎧着てないんだから、重いわけないだろ。いいから、ちゃんと掴まれ」
エルの首に腕をからめる。
あぁ、どきどきする。心臓の音が伝わっちゃうかも。
だって、こんなの。
「お姫様みたい」
「お姫様だろ?」
あぁ、もう。
どうして、嬉しいことばかり。
「うん。それも、良いかな」
物語のようなお姫様。
本当に、夢みたい。
※
黄昏の魔法使い退治の報告をするために、ポルトペスタの騎士団へ向かう。
管轄が、騎士団らしい。
「連絡は受けています。エルロックさんですね」
「ここが、あいつらのアジトだ。周辺のトラップを破壊して眠らせてきたけど、早めに回収しに行ってくれ」
エルが、ポルトペスタの地図を使って説明している。
あそこは、ポルトペスタ西の郊外だったらしい。
「すぐに隊員を向かわせましょう。報酬は魔術師ギルドでお受け取りください。こちらにサインを」
あ。文字を書くのは左なんだ。
やっぱり、左利きなのかな。
「失礼ですが。ラングリオンの方だから、この依頼をお受けになったのですか?」
「いや。違うよ」
「黄昏の魔法使いという名前は、ラングリオンにとっては英雄じゃないですか」
「公式には存在しない魔法使いだ」
「…そうでしたね。失礼いたしました」
公式には存在しない?
エルについて、騎士団の事務所を出る。
「さっきの、どういうこと?」
「さっきのって?」
「公式には存在しないって」
「…そうだな」
あれ?話したくなさそう?
「昔、ラングリオン王国と、その南にあるラ・セルメア共和国の間で、国境ラインを巡った戦争があったんだ。ラ・セルメア共和国がラングリオンの重要拠点だったオリファン砦を落とし、優勢になったと思われていた。…けれど、それから三日のうちに、戦争は、国境をローレライ川に定めて終結」
それは、オービュミル大陸で起きた最後の戦争のこと?
「それの、どこに魔法使いが出てくるの?」
「そうだな。不思議だろ」
からかってるのかな。大陸史ぐらい、一通り勉強してる。
「誰も何があったか知らないから、ラングリオンの英雄譚が作られたんだよ」
「架空の存在?」
「そういうこと。砦を一人で取り返し、国境ラインを約束させた人物、って」
だから、ラングリオンの英雄で、セルメアの悪魔?
「そうなんだ。読んでみたいな、その本」
きっと、素敵な物語に違いない。
※
ようやく、宿に戻る。
長い一日だった…。
…あ。
そうだ、このドレス。
ベッドに倒れこんでいるエルを引っ張る。
「ん?」
「エル、脱がしてほしい」
「は?」
「一人じゃ、脱げないんだ」
このドレス。
調整は全部後ろの紐でするから、私ひとりじゃ絶対に脱げない。
エルが起き上がって、私の腰のリボンをほどき、背中の紐もほどいて、緩めていく。
ようやく、楽になれる。
「ドレスは苦手だ」
「綺麗だよ」
また、そういうことを言う…。
「恥ずかしい」
わかってるのかな。
エルが、可愛いとか、綺麗って言う度に、私がどんな気持ちになるか。
締め付けていた紐がどんどんゆるくなって、ようやくドレスが、足元に落ちる。
「ありがとう」
振り返ろうとしたところで、後ろから抱きしめられる。
「エル?」
「無防備にも、程があるだろ」
無防備?
あ。今、私が着てるのって…。
エルの唇が、首筋にあたる。そこから、耳へ。
「あ…」
手が、私の体をなぞる。
どう、しよう。どうすればいいの、こういうの。
「エル、」
エルが私の体を正面に回して、ベッドに押し付ける。
「抵抗しろよ」
「抵抗?」
エルが、私の体に唇をつけていく。
あぁ、どうしよう。
「思いっきり、蹴り上げて、殴る、とか」
そんなの、無理だよ。
ドキドキしすぎて。
触れられる場所が熱くて。
体に力が入らない。
「できない、よ」
「好きでもないやつに、こんなことされたいか?」
好きでもないやつ?
「私は、エルのことが、好きだよ」
だから、エルが私を求めるなら、抵抗なんてできない。
でも。
でも、どうしよう。
口にキスされたら。
「リリー」
エルが私の頬に手を当てる。
濃い、紅の瞳。
あぁ、吸い込まれる。
だめだよ、そんなに見つめられたら。
何もできない。
あ…。
「だめ、」
だめ。
お願い。口にキスはしないで。
だめ…。
気づかれてしまう。
私の呪いが。
「エル、だめ…」
エルの顔を見ることができなくて、唇が離れた後に自分の顔を覆う。
「だめ…」
あぁ。涙が止まらない。
奪いたくないのに。
私の意思に反して、呪いが魔力を奪ってしまう。
「リリー?」
「ごめんなさい」
エルが私から離れる。
良かった。
エルが気を失わなくて。
また、あんなことになったら、私は…。
「俺が悪かった」
エルがそう言って、私に布団をかける。
違う。エルが悪いわけじゃない。
私が。
「行かないで」
ベッドから離れようとするエルの腕をつかむ。
「一緒に居てほしい」
ごめんなさい。
エルが、私の頭を撫でる。
「一緒に居るって、約束しただろ」
気づいてないのかな。私が魔力を奪ったこと。
「私が、どんな存在でも?」
「俺だって、またリリーを襲うかもしれない」
「それは、困る」
また魔力を奪うなんて。絶対に嫌。
「なら、お互いのリスクも承知の上だ」
そう、なのかな。
だって、エルはわかってない。
私が。
私が、何をするために城の外へ出てるのか。
どうして、何も言えないのか。
どうして、エルと一緒に居たいと思ってるのか。
あぁ。ひどい。
きっと、私が好きだって言ったことも、エルにとってはどうでも良いことに違いない。
エルが私に可愛いっていうのと同じぐらいに。