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旧作1-2  作者: 智枝 理子
Ⅳ.夜を終わらせる炎
44/46

77

 日が昇って来た。

 もうすぐ、山の麓に着きそう。

 王都まで、どれぐらいで到着するかな。

「ねぇ、カミーユさん。カミーユさんってお酒に強い?」

「強くないよ」

「どうやってエルに勝ったの?」

「ん…?飲み比べのことか?」

「うん」

「俺が最初に飲んだのは、ワイン一本だけだった。その後は、エルにはワインを飲ませて、俺はグレープエードを飲んでたんだよ」

「エル、気づかなかったの?」

「気づくわけないだろ。あれだけ騙されやすいのに」

「…確かに、そうかも」

 人を疑うってあまりしないよね。

 矛盾にはすぐ気づくから、悪い人に騙されることはないのだろうけど。

 たぶん、カミーユさんが同じ色の飲み物を飲んでいたら、ワインだと疑わないだろう。

「でも、途中から、あいつ、俺のグラスにワインを注ぎだしたんだよ。おかげで吐くほど飲まされた」

「えっと…。勝ったんだよね?」

「勝たなきゃいけなかったからな」

「どうして?」

「…俺が言ったって、言うなよ?」

「え?」

「養成所の中等部の時だよ。マリーがエルに告白したんだ」

「えっ?」

「エルはマリーを振って、マリーを避けるようになった。…だから、俺が勝ったらマリーと前のように接してやれって、賭けをしたんだよ」

 そんなことが、あったんだ。

 マリー。そんなこと一言も言ってなかったのに。

「昔の話しだ。マリーは惚れっぽいから。あいつの恋愛談なんて、掃いて捨てるほど知ってるぜ」

「惚れっぽい?」

「あぁ。なのに、とにかく婚約者が嫌いでな。俺たちで、婚約破棄させてやったことがあるんだぜ」

「えっ」

「いつだっけな、あれ。たいてい、エルが発案して計画を立てて、シャルロがそれを実現可能にして、俺が根回しをして…」

 本当に。三人で色んなことやってたんだ。

 マリーも言ってたっけ。

「って言ってる間に、着いたぜ。ほら、これが、転移の魔法陣だ」

「え?…えぇっ?」

 何、この大きさ。

「街一つ分の大きさだからな。圧巻だろ?」

「これ、二人で作ったの?」

「精霊にも手伝ってもらったけど」

「信じられない。カミーユさんって、本当にすごい人なんだね」

「…あいつはもっとすごいぜ」

「え?」

「ほら、こっちの魔法陣」

 カミーユさんが案内してくれた場所には、見慣れた魔法陣が二つ。

「入口と出口?」

 こんなところに、どうして?

「エルが作って行ったんだよ」

「えっ?」

「あいつ、使いこなしてたぜ」

「エル、転移の魔法陣が使えるの?」

「あぁ。ただ、氷の精霊と契約してないから、遠くの魔法陣に飛べないらしいけどな」

 そういえば、城の魔法使いは必ず氷の精霊を連れていたっけ。

「イリスが力を貸してあげれば…、っ」

 え…。

「どうした?リリーシアちゃん」

 何、この感覚…。

『リリー?』

 私は今、何かを失った。

「あ…っ…」

「リリー!」

 倒れそうになる私の体を、顕現したエイダが支える。

「おい、大丈夫か」

 身を引きちぎられるような、感覚。

 一体、何が…。

「リリー、大丈夫?」

「うん…。大丈夫…」

 物理的なダメージでも、魔法のダメージでもないのに。

 どうして。

「どうして、泣いているの?」

「え?」

 泣いてる?

 あぁ。確かに。

 視界がかすんで、頬が熱い。

「わからない」

 どこも痛くないはずなのに。

 この感覚は何なんだろう。

 私の何かが壊れてしまったような。

 あれ…?

「エイダ、熱い…?」

「え?」

 エイダの熱を感じる。

「私は炎の精霊だもの。通常の人間よりも体温を高く感じるでしょうけど…」

 そんなの、初めてだ。

 一体、どういうこと?

「リリーシアちゃん。まさか、魔力が戻ったのか?」

「え?」

「だって君は、すべての魔力を女王に奪われ続けてたんだろ?」

「…え?」

「知らなかったのか?エルが言ってたぜ。君は自然から得られるすべての魔力を、精霊を通じて女王に捧げてるって」

「え…」

 それって。

 つまり。

『おい、カミーユ。始まったぞ』

「なんだって?こんなに早く?」

「始まった?」

「街が転移してくる」

 巨大な魔法陣が光り輝く。

 描かれた図柄が光となって浮き上がり、おぼろげな影が浮かび上がる。

 そして、光が消えた瞬間。

 私が昔住んでいた、見慣れた街並みが、現れる。

「成功したな」

『案外あっさりしたもんだなー』

 街が、無事に転移したってことは。

 それって。エルが、もうリリスと戦ってるってこと?

 え?

 じゃあ、イリスがエルを通した?

 あれ?

 私はイリスを通じて魔力を女王に捧げてた?

 そして私に、魔力が戻った?

「イリス!姿を現せ!」

 何も、起こらない。

「リリー?」

「リリーシアちゃん…」

「イリス!…嘘だ、イリス!姿を現せ!」

 どうして。

 どうして来ないの。

 精霊は、契約者が呼べば必ず来るのに。

 今まで、呼んでも来ないことなんて一度もなかったのに。

「イリスっ!イリス!」

「リリー、落ち着いて」

「エイダ、どうしよう。イリスに何かあったんだ。私、城に行かなきゃ!…エルは?エルは今どうしてるの?」

「…かなり、まずいわ」

「まずいってどういうこと?何が…、え?」

 エルが描いた、転移の魔法陣が光ってる。

「リリー?」

―お前が帰還を望むならば、お前の為に扉は開かれる。

「エイダ、行こう。きっと、これはエルの所に続いてる」

「リリー?」

「大丈夫。カミーユさん、私、エルを助けに行く」

「あぁ。…死ぬなよ」

「うん」

 転移の魔法陣の上に乗る。

「お願い。リリスの所へ」

『約束を果たそう』

 聞いたことのない声が響く。

 そうだ。

 女王は私に言ったんだ。

 私の為に、扉を開いてくれるって。



 リリス。もう、いいんだよ。解放されて。

 私は一度守ると決めた人間を見放したりはしない。

 いいんだよ。この国は豊かになった。

 この国の為に居るのではない。お前だけの為に居るんだ。

 優しいリリス。愛しい私の騎士。君の愛を受け入れよう。

 私の永遠の姫に、愛をもって応えよう。



 眩暈。

 今のは、誰の言葉…?

 一つは、私をここに運んだ声と同じだった。

 もう一つは…。

 剣撃の音が聞こえる。

 目を開いた先で。

 エルと。私が。戦ってる。

 エル。エルだよね?髪切った?

 なんで、私と戦ってるの?

「だからまずいって言ったの」

 あれは。私の姿をした、リリス?

 だめだ。エルは絶対に勝てない。

 エルは私を傷つけるなんてできない。

 夢の記憶が蘇る。

『リリー』

「ジオ」

『エルを助けて』

「うん」

 リュヌリアンを抜く。

「私がリュヌリアンに宿るわ」

 それって懐かしい。

 エイダが宿った剣が、炎を帯びる。

「加速してあげるよー」

「お願い、今の私は魔法が効く」

『エル!』

 精霊の悲鳴が響く。

「あっ」

 まずい。

 エルが背後を取られた。

 ここからじゃ…。

「ジオ、これをリリスに誘導して!」

 ポケットに入っていた光の球を、思い切り投げる。

「了解。あっちにはユールがいる」

 風の魔法は、真空の魔法が吸収する。

「リリー、行こう」

「うん」

 ジオの風を背に受けて、走る。

 軽い。

 そして、走りやすい。

 これがエルの使っている魔法。

 光の球がユールの誘導でリリスの頭に当たる瞬間。

 眩しくて、目を少し細める。

 と。目の前に闇が現れて、視界がクリアになる。メラニーの魔法だ。

 エルがリリスの側から離れるのを確認する。

 エルに向かってリリスが振り上げた剣の一撃を、バニラの岩が防御する。

 二撃目を、ナターシャの氷が防御する。

 リリスは二本持ちの剣士か。

 炎の鎖がリリスを縛る。あれはアンジュの魔法だ。

 完璧なタイミング。

 思い切り力を込めて、リュヌリアンでリリスを薙ぎ払う。

 薙ぎ払われたリリスは遠くまで吹き飛び、壁にぶつかって地面に落ちた。

「リリー…?」

 エルの声に振り替えると、エルは吹き飛ばされたリリスを見て、驚いた顔をしてる。

 いつ、髪切ったのかな。

 どうして背後なんてとられるの。

 どうせ、私に攻撃できなくて身を引いたに決まってる。

 エルに近寄って、その、頬を叩く。

「エルの馬鹿!どうして一人で行っちゃうの?」

 どうして、なんでも一人でやろうとするのかな。

 絶対、こんなの勝てないのに!

 と。

 エルの右の瞳から、雫が落ちる。

 続けて左からも。

「あ、あの…、」

 叩いてしまった頬に触れる。

「ごめんなさい。痛かった?」

 どうしよう。

 エルの涙なんて初めて見た。

 そんなに痛かった?

「信じてた」

 エルが、私を抱きしめる。

「良かった、信じて」

 私を、信じてた?

「エル?」

「会いたかった」

「私も、会いたかったよ。いつの間に、髪切っちゃったの?」

「イリスに渡したんだよ」

「イリスは…、」

 ここには居ない。え?髪を渡すって…。

「話しは後。あいつを殺そう」

「うん」

 もう一度、エルが強く私を抱きしめる。

 そして、私を見る。

「あいつの弱点は炎だ。俺が炎を集める間、まかせてもいい?」

 それ、本当?

「まかせて!」

 エルが、私を信頼してくれる。

 まかせて。

 エルの信頼に応えるために、私はリリスをエルに近寄らせない。

 まだ地面にうずくまっているリリスの方へ走る。

「リリー、援護するよー」

 ジオ。

「手伝おう」

 メラニー。

「リリーに攻撃なんて当てさせないわ」

 ナターシャ。

「私たちが守る。攻撃に集中してくれ」

 バニラ。

「さ、やるわよぅ」

 ユール。

「小娘が。私に勝とうなど、千年早いぞ」

 私の姿をしたリリスが立ち上がり、二本の刀を振り上げる。

 リリスの右手が振り上げた刀に、バニラが岩を当てる。

「くっ」

 がら空きになった胴体めがけてリュヌリアンで斬りつける。

 リリスは一歩引き、それをかわして左手の刀を振り上げるが、今度はナターシャが雪の塊で防ぐ。

「ちょこまかとうるさい精霊め!」

「相手は私だ!」

 リュヌリアンを突き刺す。

 エルと戦っていた時より、リリスの攻撃はかなり鈍い。

 さっきの剣撃は、目で追えないほど早かったのに。エイダの力を宿した一撃で、かなり消耗したに違いない。

 右手の刀がバニラの岩を破壊して私に振り降ろされる。

 リュヌリアンで受け止め、エルがやっていたように剣に角度をつけて刀を受け流し、二撃目をガントレットで防ぎながら、リュヌリアンで薙ぎ払う。

「くっ」

 リリスの胴体に直撃したリュヌリアンが、リリスの鎧にひびを入れる。

 刀が私を狙う。

 一歩引く。

 私の残像が目の前に現れて、リリスが左手の刀でその残像を斬る。

 すかさずリリスの左手にまわって、リリスを背後から斬りつける。

 が、リリスがガントレットでそれを防ぐ。

「リリー、引っ張るわよぅ」

 リュヌリアンに、リリスの腕が吸い付く。

「あっ」

 思い切り振り上げてリリスを蹴りあげると、リリスは左手に持っていた刀を落とす。

「このっ…」

 がら空きになった左の胴体を薙ぎ払おうとしたが、リリスが右の刀でそれを防ぐ。

 両手で力を込めたのに、右手一本で受けるなんて。

 押し切る。

 そう思って、力を込めると、リリスは両手で刀を持って、押し返す。

 鍔迫り合い。

 なんて、強い。

 と。急に、リリスが身を引く。

 それに合わせて、私も一歩引く。

「うるさい精霊め」

 リリスが刀を空中に放す。

 刀は、意志を持ったもののように宙を舞い…。

「死ね!」

 空中を舞う刀が、バニラを狙う。

「バニラっ」

 ジオがバニラを抱えて、刀の攻撃を回避する。

「リリー、あの刀、あたしたちを殺せるのよ」

「あれに魔法は効かない」

 それって…。

 精霊にとって一番安全な場所は。

「みんな、エルの所に帰って!後は私にまかせて!」

 武器を持たないリリスをリュヌリアンで薙ぎ払おうとすると、リリスは高く跳躍して回避し、大剣を手にする。

 あれは…、リュヌリアンのコピー?

 私と同じ剣を持つ。

 リリスの刀を目で探すが、視界でとらえられる場所にはない。

 リリスがにやり、と口元に笑みを浮かべた。

「…リリー!」

 エルの声に、振り返る。

 あれ…。

 これって。

 エルから見たら、私とリリスは区別がつかないんじゃ…?

「準備完了だ」

 エルが炎を掲げる。

 あれ、ポルトペスタで見た炎の比じゃない。

「うん」

 私から発せられたのではない私の声が、エルに応える。

 エル…。

 エルに向かって、リュヌリアンを構える。

 大丈夫。私は、エルに殺されたりなんかしない。

 だから、リリスと私をその炎で飲み込んで。

 エルが、微笑む。

 そして。見慣れた風のロープが。

 隣に居るリリスを縛りあげる。

 そして、エルがリリスに向かって炎を放つ。

「え…」

 どうして?

 どうして、そんな一瞬で、私が私だって、わかったの?

「エル…」

 この、声?

「ようやく、会えたのに」

 私の声じゃない。

 あれ?

 さっき、聞いた…?

 ここに転移してくる直前…。

「…待っていたのに」

 炎に包まれたリリスが、エルに向かって蔦を放つ。

 その蔦は炎で焼かれることなく、エルを縛り上げた。

「エル!」

 炎で燃えないの、これ?

 急いで、その蔦を斬る。

 意外にも、その蔦はあっさりと斬れた。

「一緒に逝こう、エル」

 リリス…?

「リリー!危ない!」

 エルの声だけに反応して、跳躍してその場から離れる。

 離れた瞬間、地面が砕けた。

 あの、蔦だ。

 あの蔦が地面を砕いたんだ。

 まだエルにまとわりついてるのに。

 炎の中を見ると、リリスが風のロープを解こうともがいているのが見える。

 させない。

 炎に飛び込んで、リリスの胸をリュヌリアンで貫く。

「ぐっ」

 そして、そのままリリスごと地面に突き刺す。

 これで動けないはず。

「これは…、月の…」

 炎が、熱い。

 炎の中から離脱しようと立ち上がりかけたところで。蔦が私に絡みつく。

「逃がさない。お前はここで死ぬんだ」

 もがいても、この蔦が剥がれる気がしない。

 エルの炎で燃えない蔦なんて。

「私の大切なものを奪いに来た、報いだ」

―リリス。もう、いいんだよ。解放されて。

―私は一度守ると決めた人間を見放したりはしない。

 リリス。

 あなたは…。

「私が、私たちが築き上げたものを…」

―いいんだよ。この国は豊かになった。

 そうだ。

 リリスの目的は。

 リリスの存在は、この国を豊かにした。

 その方法は、私たちを苦しめ続けたけれど…。

―この国の為に居るのではない。お前だけの為に居るんだ。

 リリスは…。

「愛しい者を、その手で殺させてやる」

―優しいリリス。愛しい私の騎士。君の愛を受け入れよう。

―私の永遠の姫に、愛をもって応えよう。

 あなたは。

 初代女王との約束をずっと…。

 私は、また間違っていたの?

 …違う。

「私は、死なない」

 あなたが、女王への愛を貫くなら。

 私はエルへの愛を貫く。

「不可能だ。お前は最早、生身の人間。イリスの加護も失い、この業火で焼かれて死ぬ存在」

 エルに殺されない方法。

 エルが私を殺せばエルは悪魔になってしまう。

 だめ。

 そんなことさせない。

 今、私にできること。

 エル。

 ごめんなさい。

「リリス。残念だったね」

 腰の短剣を取り出して、リリスに見せる。

「その、石は…」

 わかるんだ。

 長い時を生きた悪魔だから?

「エイダはエルとの契約を破棄した。私はエイダの契約者。私、ちっとも熱くないよ。炎の大精霊が守護する私を、エルの炎は殺せない」

「まさか、」

「これが本物の精霊玉かどうか、わからないの」

「おのれ…。どこまでも、計画を崩す、呪われた運命の娘!」

 リリスの声と共に、刀が飛んでくる。

 そして、その刀が…、私の胸を、貫く。

 勝った。

「リリス。私を…、殺したね…」

 痛みが。

 炎の熱さを忘れさせる。

 この刀が。私に致命傷を与えた武器。

 リリスの体の一部が、灰になる。

「すべて、すべて殺してやる」

 リリスが、もう一本の刀をエルに向かって放つ。

 だめ。この蔦は、エルに絡んだまま。

 思い切り、短剣を持っている腕を振り上げる。

「エル!」

 そして、刀に向かって放つ。

 間に合って。

 お願い、カーネリアン。

 エルを守って。

 刀に、カーネリアンが当たる。

 二つが地に落ちた。

 エル。

 私、エルを守れた?

「あぁ…。ここまでか…」

 さらさらと。リリスだった灰が、炎と共に舞っていく。

「リリス、ありがとう」

「…ありがとう?」

「ずっと、この国を導いてくれて」

「…ふざけた、娘だ」

 刀で、自分の体を抉る。

 この炎で焼かれる前に、死ぬんだ。

 力が入っているのか、入っていないのか。

 胸も腕も感覚が消えていて、判別がつかない。

「嘘をついてごめんなさい」

「嘘?」

「私、エイダと契約してない」

「…私が、騙されたのか。…さよなら、…リーシア」

 最期。

 すべてが灰になる瞬間。

 微笑んだような気がしたのは。

 気のせいかもしれない。


「リリー!」

 炎が消えた。

 まだ、意識がある。

「エル…」

「なんで」

 あぁ。エル。

 そんな顔しないで。笑って。

「大丈夫だよ、エルは、悪魔になんてならない」

 心配しないで。

 エルの炎が致命傷じゃない。

「私を殺したのは、リリスだから」

「死なないで」

 泣かないで。

 私。間に合ったんだよ。

 エルを助けることが出来た。

 エルを悪魔にすることもなかった。

「リリー」

「エル…」

 エルの頬に、手を伸ばす。

 ただ、一つだけ心残りなの。

「一緒に居られなくて、ごめんね…」

 死なないって。ずっと言い続けてたんだけどな。

 エルの為に死なないって。

 とうとう、できなかったな…。

 ごめんね、マリー。

 一緒に桜を見るって約束したのに。

 ごめんね、ルイス、キャロル。

 エルと一緒に帰るって約束したのに。

 ごめんね、エル。

 ずっと一緒に居るって約束したのに。

 幸せにするって。

 エルの隣に居られるぐらい強くなるって。

 せっかくエルから信頼してもらったのに。

 信頼に応えられなくて。

 ごめんね。

 ごめんなさい。

 エル…。

「リリー、起きて?」

 エイダ?

「エル、起きて」

 目を、開く。

「あれ…」

 死んで、ない?

「エル?」

「リリー?」

 カーネリアン。

 濃い紅の瞳が。

「うん…?」

 エルが私を抱き起こす。

「生きてる?」

「うん」

 エルの温もりを感じる。

「どこも痛くない。エルが、助けてくれたの?」

「違う、俺は何もしてない」

「いいえ。エルが助けたのよ」

「エイダ?…と?」

「初めまして。私の名前はパスカル」

「氷の大精霊…?」

「そうだ。エイダを連れて来てくれてありがとう。エルロック」

「エイダを連れてきたのは、リリーだ」

「エイダの封印の棺を開いたのはエルだよ」

 エイダとパスカルは、顔を見合わせて笑う。

「さて、どこから話したらいいのかな」

「そうね。でも、まずは女王に会いに行くべきよ」

「そうだね。彼女も、二人に話しを聞いて欲しいだろう」

 エイダとパスカルが見つめる先。

「女王の間が、開いてる…」

 開いてるところなんて、一度も見たことがない。

「エルロック。少し、いいか?」

「なんだ?」

 パスカルが、エルの額に手を当てる。

 そして、水色の光を両手に包み、広げる。

「さぁ、出ておいで」

 その手の中で形をとったのは…。

「イリス!」

 妖精の姿をした、イリス。

『あれ、エル?…リリーも?』

 生きてたんだ。

「契約を交わしていて良かったな。イリスはエルロックの中で生きてたんだよ」

「契約?」

『ボク、エルと契約したんだよ。エルの髪をもらって』

「だから呼んでも来なかったの?」

『リリーの側に行けるほど、魔力がなかったんだよ』

「イリスは俺を通すために魔力を使い果たして…」

『死にぞこなったんだ』

「イリス、良かった…」

 続けて、イリスの中から、マリリスが出てくる。

 イーシャの精霊が、どうしてこんなところに?

「さぁ、マリリス。お前はもう自由だ。主の元へ届けてあげよう」

『ありがとう、エルロック』

 そう言って、マリリスが転移していく。

 エル、マリリスまで連れて来ていたの?

『エル、リリー、リリスを倒したんだな?』

「うん」

「…リリーが?」

 エル、何が起こってたか見えなかったのかな。

「違うよ、リリスはエルの炎に焼かれて死んだんだよ」

「だって、リリーが炎の中に入って行ったのは、」

「私はリリスの動きを止めていただけ。リリスが、炎から逃げ出そうとしてたから」

「なんで、そんな危ないことするんだよ」

「だって…」

「魔法、効くんだろ?」

 なんでも知ってるんだから。

「死んでないよ、ほら」

 死んだかと思ったけれど。

「エルが、その魂をリリーを救うために捧げたから、パスカルはリリーを救ったのよ」

 魂を、捧げた?

「私は、契約によってエルを救ったの」

 どういう、こと?

「俺が助かったら、代償にならないんじゃないのか」

「いいのよ。ねぇ、パスカル?」

「問題ないな。さぁ、女王の元へ」

 エイダとパスカルが女王の間へ歩いて行く。

「ねぇ、エル。魂を捧げるって、どういうこと?」

『エルはぁ、リリーが死んじゃったから、自分も死のうとしたのよぅ』

「ユール!」

「どうして、そんなことするの?」

「聞く必要、あるか?」

「あるよ」

「リリーが居ない世界に、興味なんてないからだよ」

 あぁ、もう。

「エルの、ばか」

 そして、私は助けられてしまったの。

 本当に助けられてばかり。

 あぁ。本当に。困った人。

「もう、離れないで」

「ずっと、一緒に居よう」

「好きだよ」

「愛してる」

 エル。

 私は女王から解放されたんだね。

 もう、何も怖がらずに、愛して良いんだね。

 エルも、私を失うなんて考えなくて良いんだね。

 ようやく、自由を手に入れたんだね。

『困ったねぇ』

『エイダもパスカルも、先に行ってしまったな』

『大精霊を待たせるなんて、なかなかできないよねー』

『いいじゃない。ちょっとぐらい待ってあげましょうよ』

『良かった』

『うん』

 ごめんね。みんな。

 もう、離れたくないの。

 だって。ずっとずっと会いたかったよ。

「会いたかった。ずっと」

「会いたかったのに、先に行っちゃったの」

「だって、リリーが。婚姻届なんて書くから」

「どうして、サインしたの?」

「…手紙は読んだ?」

「手紙?って、あの、問題?」

「そう」

 ルイスの言うとおり。手紙だったんだ。

「解いた?」

「うん」

「自分で?」

「王立図書館で調べたんだ」

 本、借りっぱなしだ。

「花は、喜んでくれた?」

「うん。嬉しかった。すごく」

 思い出す。花で埋め尽くされた部屋を。

 あんなに素敵なプレゼント、一生忘れられないよ。

「手紙も、嬉しかった」

 エルって、本当に不器用な人。

「あの、花言葉。私が受け取ってもいいの?」

「その為に、考えたんだ。受け取ってくれる?」

 一生懸命、考えてくれたんだろうな。

「はい」

 きっと、私が繋いだ言葉は正解だよね。

「リリー。次も、はいって言って」

「次?」

 エルが、私の左手を取って。

 指輪を嵌める。

「え…?」

 私に指輪を嵌めるエルの左指にも、同じものが。

「俺と結婚して」

 息を、飲む。

 あぁ。なんて嬉しい言葉なんだろう。

「はい」

「一緒に、幸せな家庭を築こう」

「はい」

 エル。私の夢を叶えられるのは、あなたしかいない。

「本当に、俺で良い?」

「はい」

 エルが笑う。

 あぁ。幸せ。

「幸せにする」

「今、とっても幸せだよ」

「もっと」

「じゃあ、私も。エルを幸せにする」

「リリーが居てくれるだけで幸せなんだ」

「私ももっと、エルを幸せにしたい」

 エル。

 一緒に幸せになろう。

「行こう、リリー」

「うん」

 立ち上がって、エルと手を繋ぐ。

 いつも繋ぐのは。

 私の左手と、エルの右手。


 ※.


「エル、契約の完了を」

「…あぁ」

 エルが私の親指の指輪を外す。

 ようやく、返す時が来たんだ。

「エイダ、今までありがとう」

 エイダが、契約の証である宝石を、その身に取り込む。

 これが、契約の完了。

「エルの髪は、アンジュが持ってるの」

「いいよ、返す必要なんてない」

「ありがとう。アンジュを、大切にしてあげてね」

「あぁ。大切にする」

 エイダが、これから何をしようとしているのか。

 それをすれば、エイダは…。

「リリー。封印の棺まで連れて行ってくれてありがとう。一緒に旅できて、楽しかったわ」

「うん…」

「そういえば、何を取りに行ってたんだ?」

「これよ」

 エイダが、水色の精霊玉を出す。

「パスカルからもらった、大切な石なの」

 エイダの記憶。

「エル、リリー。良いことを教えてあげる」

「良いこと?」

「精霊は、大きな嘘をついてるの」

「嘘?」

「精霊が契約に当たって欲しいものは、魔力じゃないのよ」

「え?」

『どういうこと?』

『え?』

『ナターシャとアンジュはぁ、新しい精霊だから、知らないよねぇ』

 新しい精霊は知らない?

『エイダ。それを語るのか』

『ルール違反だよー』

『もう、忘れ去られたことだ』

「忘れ去られたこと?」

「どういうことだ?」

「精霊には感情がなかったの」

「感情が?」

 まさか。

 こんなに人間と同じように生きて、愛にあふれているのに。

「私たちは、人間の感情、特に、愛情というものの虜になった。私たちは、人間に寄り添うことで、その感情を手に入れようとしたの」

「それが、契約?」

「そうよ。人間が、その短い命の中で、最も労力をかけるもの。人間は、誰かを救うことを、精霊に奇跡として求め続けてきた。私たちは奇跡を起こすたびに、人間に近づき、その感情を、もっと知りたいと願った」

 そうだね。エイダがずっと知りたいと願い続けたもの。

 最初から、ずっと、そうだった。

「私はパスカルを愛した。でも、その感情が良く理解できなかった。きっと、これが愛なのだろうって。漠然とした気持ちでいて、不安だった。これは本当に愛なのか。対になる魂が引かれあってるだけじゃないのかって」

 勇気が、なかったから。

「わからないまま。私たちは一緒に居たいと願い、その為に、封印の棺を作った。私は棺に入り、ずっと、パスカルを想い続けたの」

 ずっと、棺を開いてくれることを願いながら。

「私は、パスカルの声が聞きたいと思った。その瞳で見つめてもらいたいと」

 わかるよ、エイダ。

 会いたかったんだよね。ずっと。

「私は、エルと一緒に居ることで、リリーと一緒に居ることで、愛が何か、理解できた気がするの」

 大丈夫。

 エイダ。

 間違いないよ。

「それは、イリスを通じてあなたたちを見ていた、パスカルもそう」

 エイダが、パスカルの方を向く。

 そして、二人が近づいて。

 エイダが、パスカルの手を取る。

「あ…」

 触れ合った場所から、二人の体がどんどん溶けていく。

「エイダ!」

 炎と氷。

 絶対に一つにはなれない存在。

 エイダ…。

 これが、二人で出した答えなの。

 これは、魂の消滅。

「エル、リリー。ありがとう。楽しかったわ」

「ありがとう」

 違う。

 これが、一つになる方法。

 魂すらも、溶け合っていく。

 これが、二人の愛の答え。

 すべてが一つに混ざり合っていく。

 そうだね。

 愛とは、目に見えないもの。

 これも一つの答え。

 カラン、と、二人が消えた後に、一つの音が響く。

「精霊玉…?」

 エルと一緒に近づいて、その石を拾う。

「ヴィオレット」

 消えなかった。

 すべて、消滅しなかった?

『エル、リリー』

『崩れるよ!』

「え?」

 天井に大きなひびが入る。

「逃げるぞ」

 エルが私の手を引いて、転移の魔法陣の上に乗る。

「エル?」

 そうだ。エルは転移の魔法陣が使える。

『エル、ここだ』

「イリス?」

『飛ぶよ』

「あぁ。リリー、手を離さないで」

「うん」

 さよなら、エイダ。

 パスカル。



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