77
日が昇って来た。
もうすぐ、山の麓に着きそう。
王都まで、どれぐらいで到着するかな。
「ねぇ、カミーユさん。カミーユさんってお酒に強い?」
「強くないよ」
「どうやってエルに勝ったの?」
「ん…?飲み比べのことか?」
「うん」
「俺が最初に飲んだのは、ワイン一本だけだった。その後は、エルにはワインを飲ませて、俺はグレープエードを飲んでたんだよ」
「エル、気づかなかったの?」
「気づくわけないだろ。あれだけ騙されやすいのに」
「…確かに、そうかも」
人を疑うってあまりしないよね。
矛盾にはすぐ気づくから、悪い人に騙されることはないのだろうけど。
たぶん、カミーユさんが同じ色の飲み物を飲んでいたら、ワインだと疑わないだろう。
「でも、途中から、あいつ、俺のグラスにワインを注ぎだしたんだよ。おかげで吐くほど飲まされた」
「えっと…。勝ったんだよね?」
「勝たなきゃいけなかったからな」
「どうして?」
「…俺が言ったって、言うなよ?」
「え?」
「養成所の中等部の時だよ。マリーがエルに告白したんだ」
「えっ?」
「エルはマリーを振って、マリーを避けるようになった。…だから、俺が勝ったらマリーと前のように接してやれって、賭けをしたんだよ」
そんなことが、あったんだ。
マリー。そんなこと一言も言ってなかったのに。
「昔の話しだ。マリーは惚れっぽいから。あいつの恋愛談なんて、掃いて捨てるほど知ってるぜ」
「惚れっぽい?」
「あぁ。なのに、とにかく婚約者が嫌いでな。俺たちで、婚約破棄させてやったことがあるんだぜ」
「えっ」
「いつだっけな、あれ。たいてい、エルが発案して計画を立てて、シャルロがそれを実現可能にして、俺が根回しをして…」
本当に。三人で色んなことやってたんだ。
マリーも言ってたっけ。
「って言ってる間に、着いたぜ。ほら、これが、転移の魔法陣だ」
「え?…えぇっ?」
何、この大きさ。
「街一つ分の大きさだからな。圧巻だろ?」
「これ、二人で作ったの?」
「精霊にも手伝ってもらったけど」
「信じられない。カミーユさんって、本当にすごい人なんだね」
「…あいつはもっとすごいぜ」
「え?」
「ほら、こっちの魔法陣」
カミーユさんが案内してくれた場所には、見慣れた魔法陣が二つ。
「入口と出口?」
こんなところに、どうして?
「エルが作って行ったんだよ」
「えっ?」
「あいつ、使いこなしてたぜ」
「エル、転移の魔法陣が使えるの?」
「あぁ。ただ、氷の精霊と契約してないから、遠くの魔法陣に飛べないらしいけどな」
そういえば、城の魔法使いは必ず氷の精霊を連れていたっけ。
「イリスが力を貸してあげれば…、っ」
え…。
「どうした?リリーシアちゃん」
何、この感覚…。
『リリー?』
私は今、何かを失った。
「あ…っ…」
「リリー!」
倒れそうになる私の体を、顕現したエイダが支える。
「おい、大丈夫か」
身を引きちぎられるような、感覚。
一体、何が…。
「リリー、大丈夫?」
「うん…。大丈夫…」
物理的なダメージでも、魔法のダメージでもないのに。
どうして。
「どうして、泣いているの?」
「え?」
泣いてる?
あぁ。確かに。
視界がかすんで、頬が熱い。
「わからない」
どこも痛くないはずなのに。
この感覚は何なんだろう。
私の何かが壊れてしまったような。
あれ…?
「エイダ、熱い…?」
「え?」
エイダの熱を感じる。
「私は炎の精霊だもの。通常の人間よりも体温を高く感じるでしょうけど…」
そんなの、初めてだ。
一体、どういうこと?
「リリーシアちゃん。まさか、魔力が戻ったのか?」
「え?」
「だって君は、すべての魔力を女王に奪われ続けてたんだろ?」
「…え?」
「知らなかったのか?エルが言ってたぜ。君は自然から得られるすべての魔力を、精霊を通じて女王に捧げてるって」
「え…」
それって。
つまり。
『おい、カミーユ。始まったぞ』
「なんだって?こんなに早く?」
「始まった?」
「街が転移してくる」
巨大な魔法陣が光り輝く。
描かれた図柄が光となって浮き上がり、おぼろげな影が浮かび上がる。
そして、光が消えた瞬間。
私が昔住んでいた、見慣れた街並みが、現れる。
「成功したな」
『案外あっさりしたもんだなー』
街が、無事に転移したってことは。
それって。エルが、もうリリスと戦ってるってこと?
え?
じゃあ、イリスがエルを通した?
あれ?
私はイリスを通じて魔力を女王に捧げてた?
そして私に、魔力が戻った?
「イリス!姿を現せ!」
何も、起こらない。
「リリー?」
「リリーシアちゃん…」
「イリス!…嘘だ、イリス!姿を現せ!」
どうして。
どうして来ないの。
精霊は、契約者が呼べば必ず来るのに。
今まで、呼んでも来ないことなんて一度もなかったのに。
「イリスっ!イリス!」
「リリー、落ち着いて」
「エイダ、どうしよう。イリスに何かあったんだ。私、城に行かなきゃ!…エルは?エルは今どうしてるの?」
「…かなり、まずいわ」
「まずいってどういうこと?何が…、え?」
エルが描いた、転移の魔法陣が光ってる。
「リリー?」
―お前が帰還を望むならば、お前の為に扉は開かれる。
「エイダ、行こう。きっと、これはエルの所に続いてる」
「リリー?」
「大丈夫。カミーユさん、私、エルを助けに行く」
「あぁ。…死ぬなよ」
「うん」
転移の魔法陣の上に乗る。
「お願い。リリスの所へ」
『約束を果たそう』
聞いたことのない声が響く。
そうだ。
女王は私に言ったんだ。
私の為に、扉を開いてくれるって。
リリス。もう、いいんだよ。解放されて。
私は一度守ると決めた人間を見放したりはしない。
いいんだよ。この国は豊かになった。
この国の為に居るのではない。お前だけの為に居るんだ。
優しいリリス。愛しい私の騎士。君の愛を受け入れよう。
私の永遠の姫に、愛をもって応えよう。
眩暈。
今のは、誰の言葉…?
一つは、私をここに運んだ声と同じだった。
もう一つは…。
剣撃の音が聞こえる。
目を開いた先で。
エルと。私が。戦ってる。
エル。エルだよね?髪切った?
なんで、私と戦ってるの?
「だからまずいって言ったの」
あれは。私の姿をした、リリス?
だめだ。エルは絶対に勝てない。
エルは私を傷つけるなんてできない。
夢の記憶が蘇る。
『リリー』
「ジオ」
『エルを助けて』
「うん」
リュヌリアンを抜く。
「私がリュヌリアンに宿るわ」
それって懐かしい。
エイダが宿った剣が、炎を帯びる。
「加速してあげるよー」
「お願い、今の私は魔法が効く」
『エル!』
精霊の悲鳴が響く。
「あっ」
まずい。
エルが背後を取られた。
ここからじゃ…。
「ジオ、これをリリスに誘導して!」
ポケットに入っていた光の球を、思い切り投げる。
「了解。あっちにはユールがいる」
風の魔法は、真空の魔法が吸収する。
「リリー、行こう」
「うん」
ジオの風を背に受けて、走る。
軽い。
そして、走りやすい。
これがエルの使っている魔法。
光の球がユールの誘導でリリスの頭に当たる瞬間。
眩しくて、目を少し細める。
と。目の前に闇が現れて、視界がクリアになる。メラニーの魔法だ。
エルがリリスの側から離れるのを確認する。
エルに向かってリリスが振り上げた剣の一撃を、バニラの岩が防御する。
二撃目を、ナターシャの氷が防御する。
リリスは二本持ちの剣士か。
炎の鎖がリリスを縛る。あれはアンジュの魔法だ。
完璧なタイミング。
思い切り力を込めて、リュヌリアンでリリスを薙ぎ払う。
薙ぎ払われたリリスは遠くまで吹き飛び、壁にぶつかって地面に落ちた。
「リリー…?」
エルの声に振り替えると、エルは吹き飛ばされたリリスを見て、驚いた顔をしてる。
いつ、髪切ったのかな。
どうして背後なんてとられるの。
どうせ、私に攻撃できなくて身を引いたに決まってる。
エルに近寄って、その、頬を叩く。
「エルの馬鹿!どうして一人で行っちゃうの?」
どうして、なんでも一人でやろうとするのかな。
絶対、こんなの勝てないのに!
と。
エルの右の瞳から、雫が落ちる。
続けて左からも。
「あ、あの…、」
叩いてしまった頬に触れる。
「ごめんなさい。痛かった?」
どうしよう。
エルの涙なんて初めて見た。
そんなに痛かった?
「信じてた」
エルが、私を抱きしめる。
「良かった、信じて」
私を、信じてた?
「エル?」
「会いたかった」
「私も、会いたかったよ。いつの間に、髪切っちゃったの?」
「イリスに渡したんだよ」
「イリスは…、」
ここには居ない。え?髪を渡すって…。
「話しは後。あいつを殺そう」
「うん」
もう一度、エルが強く私を抱きしめる。
そして、私を見る。
「あいつの弱点は炎だ。俺が炎を集める間、まかせてもいい?」
それ、本当?
「まかせて!」
エルが、私を信頼してくれる。
まかせて。
エルの信頼に応えるために、私はリリスをエルに近寄らせない。
まだ地面にうずくまっているリリスの方へ走る。
「リリー、援護するよー」
ジオ。
「手伝おう」
メラニー。
「リリーに攻撃なんて当てさせないわ」
ナターシャ。
「私たちが守る。攻撃に集中してくれ」
バニラ。
「さ、やるわよぅ」
ユール。
「小娘が。私に勝とうなど、千年早いぞ」
私の姿をしたリリスが立ち上がり、二本の刀を振り上げる。
リリスの右手が振り上げた刀に、バニラが岩を当てる。
「くっ」
がら空きになった胴体めがけてリュヌリアンで斬りつける。
リリスは一歩引き、それをかわして左手の刀を振り上げるが、今度はナターシャが雪の塊で防ぐ。
「ちょこまかとうるさい精霊め!」
「相手は私だ!」
リュヌリアンを突き刺す。
エルと戦っていた時より、リリスの攻撃はかなり鈍い。
さっきの剣撃は、目で追えないほど早かったのに。エイダの力を宿した一撃で、かなり消耗したに違いない。
右手の刀がバニラの岩を破壊して私に振り降ろされる。
リュヌリアンで受け止め、エルがやっていたように剣に角度をつけて刀を受け流し、二撃目をガントレットで防ぎながら、リュヌリアンで薙ぎ払う。
「くっ」
リリスの胴体に直撃したリュヌリアンが、リリスの鎧にひびを入れる。
刀が私を狙う。
一歩引く。
私の残像が目の前に現れて、リリスが左手の刀でその残像を斬る。
すかさずリリスの左手にまわって、リリスを背後から斬りつける。
が、リリスがガントレットでそれを防ぐ。
「リリー、引っ張るわよぅ」
リュヌリアンに、リリスの腕が吸い付く。
「あっ」
思い切り振り上げてリリスを蹴りあげると、リリスは左手に持っていた刀を落とす。
「このっ…」
がら空きになった左の胴体を薙ぎ払おうとしたが、リリスが右の刀でそれを防ぐ。
両手で力を込めたのに、右手一本で受けるなんて。
押し切る。
そう思って、力を込めると、リリスは両手で刀を持って、押し返す。
鍔迫り合い。
なんて、強い。
と。急に、リリスが身を引く。
それに合わせて、私も一歩引く。
「うるさい精霊め」
リリスが刀を空中に放す。
刀は、意志を持ったもののように宙を舞い…。
「死ね!」
空中を舞う刀が、バニラを狙う。
「バニラっ」
ジオがバニラを抱えて、刀の攻撃を回避する。
「リリー、あの刀、あたしたちを殺せるのよ」
「あれに魔法は効かない」
それって…。
精霊にとって一番安全な場所は。
「みんな、エルの所に帰って!後は私にまかせて!」
武器を持たないリリスをリュヌリアンで薙ぎ払おうとすると、リリスは高く跳躍して回避し、大剣を手にする。
あれは…、リュヌリアンのコピー?
私と同じ剣を持つ。
リリスの刀を目で探すが、視界でとらえられる場所にはない。
リリスがにやり、と口元に笑みを浮かべた。
「…リリー!」
エルの声に、振り返る。
あれ…。
これって。
エルから見たら、私とリリスは区別がつかないんじゃ…?
「準備完了だ」
エルが炎を掲げる。
あれ、ポルトペスタで見た炎の比じゃない。
「うん」
私から発せられたのではない私の声が、エルに応える。
エル…。
エルに向かって、リュヌリアンを構える。
大丈夫。私は、エルに殺されたりなんかしない。
だから、リリスと私をその炎で飲み込んで。
エルが、微笑む。
そして。見慣れた風のロープが。
隣に居るリリスを縛りあげる。
そして、エルがリリスに向かって炎を放つ。
「え…」
どうして?
どうして、そんな一瞬で、私が私だって、わかったの?
「エル…」
この、声?
「ようやく、会えたのに」
私の声じゃない。
あれ?
さっき、聞いた…?
ここに転移してくる直前…。
「…待っていたのに」
炎に包まれたリリスが、エルに向かって蔦を放つ。
その蔦は炎で焼かれることなく、エルを縛り上げた。
「エル!」
炎で燃えないの、これ?
急いで、その蔦を斬る。
意外にも、その蔦はあっさりと斬れた。
「一緒に逝こう、エル」
リリス…?
「リリー!危ない!」
エルの声だけに反応して、跳躍してその場から離れる。
離れた瞬間、地面が砕けた。
あの、蔦だ。
あの蔦が地面を砕いたんだ。
まだエルにまとわりついてるのに。
炎の中を見ると、リリスが風のロープを解こうともがいているのが見える。
させない。
炎に飛び込んで、リリスの胸をリュヌリアンで貫く。
「ぐっ」
そして、そのままリリスごと地面に突き刺す。
これで動けないはず。
「これは…、月の…」
炎が、熱い。
炎の中から離脱しようと立ち上がりかけたところで。蔦が私に絡みつく。
「逃がさない。お前はここで死ぬんだ」
もがいても、この蔦が剥がれる気がしない。
エルの炎で燃えない蔦なんて。
「私の大切なものを奪いに来た、報いだ」
―リリス。もう、いいんだよ。解放されて。
―私は一度守ると決めた人間を見放したりはしない。
リリス。
あなたは…。
「私が、私たちが築き上げたものを…」
―いいんだよ。この国は豊かになった。
そうだ。
リリスの目的は。
リリスの存在は、この国を豊かにした。
その方法は、私たちを苦しめ続けたけれど…。
―この国の為に居るのではない。お前だけの為に居るんだ。
リリスは…。
「愛しい者を、その手で殺させてやる」
―優しいリリス。愛しい私の騎士。君の愛を受け入れよう。
―私の永遠の姫に、愛をもって応えよう。
あなたは。
初代女王との約束をずっと…。
私は、また間違っていたの?
…違う。
「私は、死なない」
あなたが、女王への愛を貫くなら。
私はエルへの愛を貫く。
「不可能だ。お前は最早、生身の人間。イリスの加護も失い、この業火で焼かれて死ぬ存在」
エルに殺されない方法。
エルが私を殺せばエルは悪魔になってしまう。
だめ。
そんなことさせない。
今、私にできること。
エル。
ごめんなさい。
「リリス。残念だったね」
腰の短剣を取り出して、リリスに見せる。
「その、石は…」
わかるんだ。
長い時を生きた悪魔だから?
「エイダはエルとの契約を破棄した。私はエイダの契約者。私、ちっとも熱くないよ。炎の大精霊が守護する私を、エルの炎は殺せない」
「まさか、」
「これが本物の精霊玉かどうか、わからないの」
「おのれ…。どこまでも、計画を崩す、呪われた運命の娘!」
リリスの声と共に、刀が飛んでくる。
そして、その刀が…、私の胸を、貫く。
勝った。
「リリス。私を…、殺したね…」
痛みが。
炎の熱さを忘れさせる。
この刀が。私に致命傷を与えた武器。
リリスの体の一部が、灰になる。
「すべて、すべて殺してやる」
リリスが、もう一本の刀をエルに向かって放つ。
だめ。この蔦は、エルに絡んだまま。
思い切り、短剣を持っている腕を振り上げる。
「エル!」
そして、刀に向かって放つ。
間に合って。
お願い、カーネリアン。
エルを守って。
刀に、カーネリアンが当たる。
二つが地に落ちた。
エル。
私、エルを守れた?
「あぁ…。ここまでか…」
さらさらと。リリスだった灰が、炎と共に舞っていく。
「リリス、ありがとう」
「…ありがとう?」
「ずっと、この国を導いてくれて」
「…ふざけた、娘だ」
刀で、自分の体を抉る。
この炎で焼かれる前に、死ぬんだ。
力が入っているのか、入っていないのか。
胸も腕も感覚が消えていて、判別がつかない。
「嘘をついてごめんなさい」
「嘘?」
「私、エイダと契約してない」
「…私が、騙されたのか。…さよなら、…リーシア」
最期。
すべてが灰になる瞬間。
微笑んだような気がしたのは。
気のせいかもしれない。
「リリー!」
炎が消えた。
まだ、意識がある。
「エル…」
「なんで」
あぁ。エル。
そんな顔しないで。笑って。
「大丈夫だよ、エルは、悪魔になんてならない」
心配しないで。
エルの炎が致命傷じゃない。
「私を殺したのは、リリスだから」
「死なないで」
泣かないで。
私。間に合ったんだよ。
エルを助けることが出来た。
エルを悪魔にすることもなかった。
「リリー」
「エル…」
エルの頬に、手を伸ばす。
ただ、一つだけ心残りなの。
「一緒に居られなくて、ごめんね…」
死なないって。ずっと言い続けてたんだけどな。
エルの為に死なないって。
とうとう、できなかったな…。
ごめんね、マリー。
一緒に桜を見るって約束したのに。
ごめんね、ルイス、キャロル。
エルと一緒に帰るって約束したのに。
ごめんね、エル。
ずっと一緒に居るって約束したのに。
幸せにするって。
エルの隣に居られるぐらい強くなるって。
せっかくエルから信頼してもらったのに。
信頼に応えられなくて。
ごめんね。
ごめんなさい。
エル…。
「リリー、起きて?」
エイダ?
「エル、起きて」
目を、開く。
「あれ…」
死んで、ない?
「エル?」
「リリー?」
カーネリアン。
濃い紅の瞳が。
「うん…?」
エルが私を抱き起こす。
「生きてる?」
「うん」
エルの温もりを感じる。
「どこも痛くない。エルが、助けてくれたの?」
「違う、俺は何もしてない」
「いいえ。エルが助けたのよ」
「エイダ?…と?」
「初めまして。私の名前はパスカル」
「氷の大精霊…?」
「そうだ。エイダを連れて来てくれてありがとう。エルロック」
「エイダを連れてきたのは、リリーだ」
「エイダの封印の棺を開いたのはエルだよ」
エイダとパスカルは、顔を見合わせて笑う。
「さて、どこから話したらいいのかな」
「そうね。でも、まずは女王に会いに行くべきよ」
「そうだね。彼女も、二人に話しを聞いて欲しいだろう」
エイダとパスカルが見つめる先。
「女王の間が、開いてる…」
開いてるところなんて、一度も見たことがない。
「エルロック。少し、いいか?」
「なんだ?」
パスカルが、エルの額に手を当てる。
そして、水色の光を両手に包み、広げる。
「さぁ、出ておいで」
その手の中で形をとったのは…。
「イリス!」
妖精の姿をした、イリス。
『あれ、エル?…リリーも?』
生きてたんだ。
「契約を交わしていて良かったな。イリスはエルロックの中で生きてたんだよ」
「契約?」
『ボク、エルと契約したんだよ。エルの髪をもらって』
「だから呼んでも来なかったの?」
『リリーの側に行けるほど、魔力がなかったんだよ』
「イリスは俺を通すために魔力を使い果たして…」
『死にぞこなったんだ』
「イリス、良かった…」
続けて、イリスの中から、マリリスが出てくる。
イーシャの精霊が、どうしてこんなところに?
「さぁ、マリリス。お前はもう自由だ。主の元へ届けてあげよう」
『ありがとう、エルロック』
そう言って、マリリスが転移していく。
エル、マリリスまで連れて来ていたの?
『エル、リリー、リリスを倒したんだな?』
「うん」
「…リリーが?」
エル、何が起こってたか見えなかったのかな。
「違うよ、リリスはエルの炎に焼かれて死んだんだよ」
「だって、リリーが炎の中に入って行ったのは、」
「私はリリスの動きを止めていただけ。リリスが、炎から逃げ出そうとしてたから」
「なんで、そんな危ないことするんだよ」
「だって…」
「魔法、効くんだろ?」
なんでも知ってるんだから。
「死んでないよ、ほら」
死んだかと思ったけれど。
「エルが、その魂をリリーを救うために捧げたから、パスカルはリリーを救ったのよ」
魂を、捧げた?
「私は、契約によってエルを救ったの」
どういう、こと?
「俺が助かったら、代償にならないんじゃないのか」
「いいのよ。ねぇ、パスカル?」
「問題ないな。さぁ、女王の元へ」
エイダとパスカルが女王の間へ歩いて行く。
「ねぇ、エル。魂を捧げるって、どういうこと?」
『エルはぁ、リリーが死んじゃったから、自分も死のうとしたのよぅ』
「ユール!」
「どうして、そんなことするの?」
「聞く必要、あるか?」
「あるよ」
「リリーが居ない世界に、興味なんてないからだよ」
あぁ、もう。
「エルの、ばか」
そして、私は助けられてしまったの。
本当に助けられてばかり。
あぁ。本当に。困った人。
「もう、離れないで」
「ずっと、一緒に居よう」
「好きだよ」
「愛してる」
エル。
私は女王から解放されたんだね。
もう、何も怖がらずに、愛して良いんだね。
エルも、私を失うなんて考えなくて良いんだね。
ようやく、自由を手に入れたんだね。
『困ったねぇ』
『エイダもパスカルも、先に行ってしまったな』
『大精霊を待たせるなんて、なかなかできないよねー』
『いいじゃない。ちょっとぐらい待ってあげましょうよ』
『良かった』
『うん』
ごめんね。みんな。
もう、離れたくないの。
だって。ずっとずっと会いたかったよ。
「会いたかった。ずっと」
「会いたかったのに、先に行っちゃったの」
「だって、リリーが。婚姻届なんて書くから」
「どうして、サインしたの?」
「…手紙は読んだ?」
「手紙?って、あの、問題?」
「そう」
ルイスの言うとおり。手紙だったんだ。
「解いた?」
「うん」
「自分で?」
「王立図書館で調べたんだ」
本、借りっぱなしだ。
「花は、喜んでくれた?」
「うん。嬉しかった。すごく」
思い出す。花で埋め尽くされた部屋を。
あんなに素敵なプレゼント、一生忘れられないよ。
「手紙も、嬉しかった」
エルって、本当に不器用な人。
「あの、花言葉。私が受け取ってもいいの?」
「その為に、考えたんだ。受け取ってくれる?」
一生懸命、考えてくれたんだろうな。
「はい」
きっと、私が繋いだ言葉は正解だよね。
「リリー。次も、はいって言って」
「次?」
エルが、私の左手を取って。
指輪を嵌める。
「え…?」
私に指輪を嵌めるエルの左指にも、同じものが。
「俺と結婚して」
息を、飲む。
あぁ。なんて嬉しい言葉なんだろう。
「はい」
「一緒に、幸せな家庭を築こう」
「はい」
エル。私の夢を叶えられるのは、あなたしかいない。
「本当に、俺で良い?」
「はい」
エルが笑う。
あぁ。幸せ。
「幸せにする」
「今、とっても幸せだよ」
「もっと」
「じゃあ、私も。エルを幸せにする」
「リリーが居てくれるだけで幸せなんだ」
「私ももっと、エルを幸せにしたい」
エル。
一緒に幸せになろう。
「行こう、リリー」
「うん」
立ち上がって、エルと手を繋ぐ。
いつも繋ぐのは。
私の左手と、エルの右手。
※.
「エル、契約の完了を」
「…あぁ」
エルが私の親指の指輪を外す。
ようやく、返す時が来たんだ。
「エイダ、今までありがとう」
エイダが、契約の証である宝石を、その身に取り込む。
これが、契約の完了。
「エルの髪は、アンジュが持ってるの」
「いいよ、返す必要なんてない」
「ありがとう。アンジュを、大切にしてあげてね」
「あぁ。大切にする」
エイダが、これから何をしようとしているのか。
それをすれば、エイダは…。
「リリー。封印の棺まで連れて行ってくれてありがとう。一緒に旅できて、楽しかったわ」
「うん…」
「そういえば、何を取りに行ってたんだ?」
「これよ」
エイダが、水色の精霊玉を出す。
「パスカルからもらった、大切な石なの」
エイダの記憶。
「エル、リリー。良いことを教えてあげる」
「良いこと?」
「精霊は、大きな嘘をついてるの」
「嘘?」
「精霊が契約に当たって欲しいものは、魔力じゃないのよ」
「え?」
『どういうこと?』
『え?』
『ナターシャとアンジュはぁ、新しい精霊だから、知らないよねぇ』
新しい精霊は知らない?
『エイダ。それを語るのか』
『ルール違反だよー』
『もう、忘れ去られたことだ』
「忘れ去られたこと?」
「どういうことだ?」
「精霊には感情がなかったの」
「感情が?」
まさか。
こんなに人間と同じように生きて、愛にあふれているのに。
「私たちは、人間の感情、特に、愛情というものの虜になった。私たちは、人間に寄り添うことで、その感情を手に入れようとしたの」
「それが、契約?」
「そうよ。人間が、その短い命の中で、最も労力をかけるもの。人間は、誰かを救うことを、精霊に奇跡として求め続けてきた。私たちは奇跡を起こすたびに、人間に近づき、その感情を、もっと知りたいと願った」
そうだね。エイダがずっと知りたいと願い続けたもの。
最初から、ずっと、そうだった。
「私はパスカルを愛した。でも、その感情が良く理解できなかった。きっと、これが愛なのだろうって。漠然とした気持ちでいて、不安だった。これは本当に愛なのか。対になる魂が引かれあってるだけじゃないのかって」
勇気が、なかったから。
「わからないまま。私たちは一緒に居たいと願い、その為に、封印の棺を作った。私は棺に入り、ずっと、パスカルを想い続けたの」
ずっと、棺を開いてくれることを願いながら。
「私は、パスカルの声が聞きたいと思った。その瞳で見つめてもらいたいと」
わかるよ、エイダ。
会いたかったんだよね。ずっと。
「私は、エルと一緒に居ることで、リリーと一緒に居ることで、愛が何か、理解できた気がするの」
大丈夫。
エイダ。
間違いないよ。
「それは、イリスを通じてあなたたちを見ていた、パスカルもそう」
エイダが、パスカルの方を向く。
そして、二人が近づいて。
エイダが、パスカルの手を取る。
「あ…」
触れ合った場所から、二人の体がどんどん溶けていく。
「エイダ!」
炎と氷。
絶対に一つにはなれない存在。
エイダ…。
これが、二人で出した答えなの。
これは、魂の消滅。
「エル、リリー。ありがとう。楽しかったわ」
「ありがとう」
違う。
これが、一つになる方法。
魂すらも、溶け合っていく。
これが、二人の愛の答え。
すべてが一つに混ざり合っていく。
そうだね。
愛とは、目に見えないもの。
これも一つの答え。
カラン、と、二人が消えた後に、一つの音が響く。
「精霊玉…?」
エルと一緒に近づいて、その石を拾う。
「ヴィオレット」
消えなかった。
すべて、消滅しなかった?
『エル、リリー』
『崩れるよ!』
「え?」
天井に大きなひびが入る。
「逃げるぞ」
エルが私の手を引いて、転移の魔法陣の上に乗る。
「エル?」
そうだ。エルは転移の魔法陣が使える。
『エル、ここだ』
「イリス?」
『飛ぶよ』
「あぁ。リリー、手を離さないで」
「うん」
さよなら、エイダ。
パスカル。




