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旧作1-2  作者: 智枝 理子
Ⅲ.砂漠編
36/46

53

「ありがとうございました」

「ありがとう、助かったわ」

「楽しかったよ」

「気を付けてな」

 ラクダの頭を撫でる。

 この円らな瞳を見ていると、ジョージを思い出す。

「さよなら」

 街の入口でキャラバンと別れる。

 クロライーナに一番近いオアシス都市、ニーム。

「宿の手配をしたら、クロライーナへの案内人を探しましょう」

「案内人?」

「クロライーナまでは、必ずニームに居る案内人に頼まなければいけないのよ。あそこはラングリオンが管轄する遺跡だから」

「あのね、探したい精霊が居るんだけど…」

「わかってるわ。別行動にしましょう。サンドリヨン、リリーを宜しくね」

『まかせて』

 マリーと別れて、周囲を見渡す。

 居た。精霊。

「あの、ちょっと良い?」

『…え』

『やだ。見えるの』

『行こう』

 ロアのこと聞かなきゃ。

「ロアって精霊、ここに居るんだよね?」

『ロア』

 精霊たちが顔を見合わせる。

「知ってるの?」

『さぁね』

『怖いわ。どうして精霊の名前を知っているの』

「ジオの友達なんでしょ?」

『ジオ?』

『君、ジオの知り合い?』

「うん」

『まさか』

「本当だよ。ロアのこと、ジオから聞いたの」

『どうしよう』

『人間は嘘をつくわ』

『でも、名前を知ってる』

『君、なんで探してるの』

「あの…。私、エルのこと、」

 精霊たちは驚いた顔をする。

『人間なんて嫌い』

「待って、お願い」

 精霊たちは行ってしまう。

「あぁ…」

『リリー。落ち込まないで』

 もう少し、上手く話せればよかったんだけど。

『ここの精霊がジオとロアのことを知っているのは確かよ。他の精霊にも当たってみましょう』

「うん…」

 話し、聞けるかな。

 空を見上げながら、歩く。

 遠くに精霊が見えるけれど、声は届かないだろう。

 水源に行けば、水の精霊に会えるかも。

「水辺ってどっちかな」

『向こうよ』

 エイダについて、賑やかなオアシスの中心の通りを歩いて行く。

 …あった。

 緑が生い茂る湖の周囲を、精霊を探しながら歩いて行く。と。

 見つけた。

「あの…」

『…?』

 水辺に座っている水の精霊が顔を上げる。

「ちょっと、話しをしても良い?」

『あなた、精霊?』

 もしかして、エイダ?

『私は精霊だけど、この子は人間よ』

『そう。…私が見えるなんて。変な子ね』

 何度言われたかわからないな。

「聞きたいことがあるの」

『なぁに』

「ロアって言う精霊を探して居るの。知らない?」

『…ロアに何の用?』

 教えてくれるのかな。

 でも、何て言えば良いんだろう。

「あの…」

 精霊戦争という言葉は、禁句。

 エルの名前を出すのもだめだった。

 知りたいことはそれなんだけど。

「あの、レイリスという精霊も探して居るの」

『レイリス?レイリスの知り合い?』

「違うよ。ジオに教えてもらったの」

『あなた、ジオの知り合いなの』

「うん」

『…だそうよ、ロア』

「え?」

 木陰から、闇の精霊が現れる。

「あなたが、ロア?」

『ジオを知ってるってことは。ジオの契約者を知っているの』

「エルがジオと一緒に居るの、知ってるの?」

『ジオは、封印の棺へ行くって言って、ここを出たんだ。エルはいずれ封印の棺へ行くだろうからって』

 どうしてジオ、そう思ったのかな。

『そして、ジオの予想通り、エルが封印の棺を開いたって聞いたよ』

「どうして知ってるの?」

『レイリスに聞いたから』

「レイリスは何処に居るの?」

『さぁね。…エルは元気にしている?』

「うん」

『幸せにしてる?』

 幸せ、なのかな。

「難しいかも。ここを出てからも、エルは良い事ばかりじゃなかったから。悪い事ばかりでもなかったと思うんだけど」

『幸せじゃなかったんだ』

「想像がつかないの。幸せかどうかって、エルじゃないとわからないよ。私は、エルを幸せにしてあげたいと思うけど…」

『薄情な人間なんかが、エルを幸せにするなんて偉そうだね』

 薄情か…。

「教えてほしいの。クロライーナで何があったのか」

『人間の目的はいつもそうだね。精霊から根掘り葉掘り、何を聞こうって言うんだ』

 誰も精霊戦争のことを語りたくないんだ。

 何があったんだろう。

 エルが酷い目に合っているのは、わかる。

 それ以上に、酷い事が起こったのかな。

 もう、想像がつかない。

「お願い。教えて」

 怖い。怖いけど、知りたい。

「エルに何があったのか知りたいの。…ジオは言っていた。人間がどれだけ醜い生き物か、知ることになるって。エルはクロライーナで散々利用されて捨てられたって。クロライーナはエルの故郷なのに。一体何があったの?どうして、エルは瞳を渡す約束なんてしなければならなかったの?」

『なんで、知ってるの』

「…え?」

『ガトが瞳を求めたって』

 ガト?

 ガトって瞳を求めた炎の精霊?

『君は、エルの何?』

「恋人だよ」

『恋人?』

『それ、本当なの』

「本当だよ」

『嘘だ。…ジオの奴。どうして僕のこと教えたんだ』

『ロアが一番長生きしそうだからじゃない?』

『…メリブ』

『冗談よ。私の為に、ロアが必ずここに居るって知ってたからだわ』

『ジオの馬鹿。君の名前は?』

「リリーシア」

『リリーシア。恋人だっていうなら、どうしてエルに聞かないんだ』

「エルは、過去の話しをするのが嫌いだから」

『だから、僕らから聞こうっていうの』

『ロア。落ち着いて』

『だって。エルが、人間を愛すなんて』

『レイリスは、エルを人間にしたかったの。これで良かったのよ』

「どういうこと?あの、レイリスって、どんな精霊なの?」

『レイリスは砂の大精霊よ』

「え?それって、月からやって来た…?」

『詳しいのね』

「エルのお墓を守ってる精霊じゃないの?」

『本当に詳しいわね、あなた』

『全部ジオが喋ったの?…ジオの奴。変わったな』

「私、お墓に行きたいの。エルはきっと、そのお墓に自分の名前を刻んでるの。お墓の場所、知らない?」

『ごめんなさい。わからないわ』

『墓の場所はレイリスしか知らないよ』

 お墓、探せるかな…。

「レイリスって居場所がわからない精霊なんだよね…」

『そうね。しばらく見かけてないわ。一緒に探してあげましょうか』

「え?」

『何言ってるんだ、メリブ!』

『だって、この子はエルの恋人なのよ。レイリスに会わせなくてどうするの?』

『だめだよ。メリブは水場を離れちゃいけない。…リリーシア。僕がついて行ってあげる。クロライーナに居るかもしれないから。お墓だって、クロライーナの近くにあるはずだし』

「えっと…。良いの?」

『良いよ。もとはと言えば、ジオが僕に頼んできたようなものなんだから。どうせ明日の朝に案内人と行くんだろう?僕らはここに居るから、明日の朝、迎えに来て』

「ありがとう。ロア、メリブ」

『あなた見てると、エルを思い出すわ』

「え?」

『エルは、私たちを人間と区別しないもの』

 それ、イリスも言っていたっけ…?

『リリーシア。ミダスという人間を訪ねてみて。クロライーナの案内人なの。エルの恋人って言えば、色々話してくれるんじゃないかしら』

「ありがとう」

 探してみよう。


 マリー、どこに行ったのかな。

 案内人は、砂漠ギルドという場所に居るらしい。道行く人に尋ねたり、エイダに案内してもらいながら、砂漠ギルドへ。

「もーぅ、話にならないわ」

 ギルドに入ると、マリーの悲鳴が響く。

「昔は予約なんて必要なかったじゃない」

「ほら、クロライーナよりもお勧めの観光地があるぞ。この丘陵地帯は、星が良く見えることで有名なんだ」

「星なんてどこでも見えるじゃない」

「マリー」

「あ、リリー。丁度良かったわ。リリーもこの人を説得して」

「説得?」

「クロライーナまで案内してって言ってるのに、全然違う場所を勧めてくるのよ」

「クロライーナには何もないよ。行ってもつまらないだけだ」

「あの…、ミダスさんってこのギルドに居ますか?」

「…なんで俺の名前を知ってるんだ」

 この人が、ミダスさん?

「この辺りの精霊が、教えてくれたの。私がエルの恋人って言えば、きっと色々話してくれるって」

「エルって…」

「何?エルの知り合いなの?だったら余計、クロライーナまで案内しなさいよ」

「おい、フルネームで答えろよ」

「私はエルロック・クラニスの友人のマリアンヌ・ド・オルロワールよ。彼女はエルの恋人…、じゃなかった。妻のリリーシア・クラニス。文句があったら身分証も見せてあげるけど?」

「エルロックの、妻だって?」

「リリー。身分証を」

 マリーが手を出す。

 あぁ、問答無用だ。

「はい」

 身分証を見せる。

「そうか。エルロック、結婚したのか。…そうか」

 エル、ごめんなさい。

 勝手にこんな書類作って。

「わかった。明日の明朝、連れて行ってやろう」

「本当?なら、契約書にサインをして、今すぐ!」

「わかったよ」

 ミダスさんは、マリーが出した契約書にサインをする。

「これで一安心ね」

「家に来るかい。エルロックの話しをしてやろう」

「えぇ。お願いするわ。リリー、眠くない?」

「うん。大丈夫」


 ミダスさんの家で、早めのお昼を御馳走になった後、書斎へ案内される。

 清涼な香りをするミント茶は、体がすっきりする。

「話すのも、これで最後だろう。何が聞きたいんだい」

「リリー。まかせるわ」

 ありがとう、マリー。

「あなたが知っているエルのことを全部教えてください」

「…いいだろう。聞いていて気分が悪くなったら言ってくれよ」

「大丈夫です」

「覚悟の上よ」

「そうかい」

 ミダスさんが語ってくれる。

 エルの、クロライーナの話しを。


 オアシス都市には水源管理人と呼ばれる役職があるらしい。

 それは、名前の通りオアシスの水を守る役割の他にも、家畜を連れ歩く遊牧民族に放牧できる土地案内したり、旅人の道案内をしたり、争い事が起こった時に仲裁をしたりと、オアシス都市や遊牧民族に対し、絶対的な発言権を持つ役職だった。

 クロライーナで、そんな水源管理人の一人だった男の人が居る。

 仕事柄、遊牧民族との関わりが深かった彼は、ある遊牧民の娘と恋に落ち、無理を言って彼女をオアシスに止め、そして彼女と結ばれた。

 遊牧民族とオアシスの人間が結ばれることは禁忌とされている。

 定住を嫌う遊牧民の人間がオアシスにとどまることは不可能であり、結ばれても必ず遊牧民は出て行ってしまう為とも、ただ単に血を混ぜることを嫌っただけとも言われている。

 掟として今も根強く残る風習なのだ。

 その為、二人の婚姻には初めから否定的な意見が多かったが、彼が水源管理人である以上、彼に意見できる者は居なかった。

 結ばれた二人の間には、すぐに子供が出来た。しかし、不幸なことに、彼女は子供を生んだ時の出血多量が原因で命を落としてしまう。

 誰もが、それを運命だと囁いた。掟に従わなかったためだと。

 父親は、その子供を憎み、愛すことはなかった。

 彼は乳母に育てられたが、その乳母もまた、愛情を持って彼を育てなかったのは明らかだった。

 初めから誰からも祝福されなかった子供。

 それが、エルロック・クラニス。

 誰も彼を可哀想だと思わなかった。

 水源管理人の父親が嫌うエルには誰も近寄らず、エルの姿を街中で見かける者も居なかった。

 ほとんどの人間が父親に殺されたと思っていたほど、エルが人前に姿を現すことはなかった。

 それが変わったのが、エルが五歳の時。

 クロライーナの近くで、死の風が吹いた。

 死の風とは、乾燥した高温の砂嵐。その嵐の通り過ぎた場所に、生きているものは何もない。生き物は窒息死するか、熱波を受けて干上がる。

 砂漠で最も恐ろしいもの。

 クロライーナの人が恐れ、逃げ惑う中、エルはその嵐の方向へ進むと、死の風を消したのだ。

 その時、エルの回りにはたくさんの精霊が居たと言う。

 まるで奇跡の様な光景で。

 誰も、何が起きたのかわからなかった。

 エルも精霊もすぐに姿を消してしまったから。

 けれど、すぐに噂は広まり、クロライーナの誰もが、それを奇跡だと謳うようになる。

 それから、多くの人間がエルに奇跡を求めた。

 傷の治癒を願い、病の治癒を願った。

 エルはすべての願いに応える。

 遊牧民族を通じて広まった噂は砂漠中に伝わり、奇跡を求めた人間が遠くからやって来ることも珍しくなかった。

 クロライーナは、エルの力で豊かになって行く。

 最初は、本当に奇跡と呼ばれる類のことが願われた。

 けれど、間もなく、火事の鎮火を頼んだり、夜間に光を出現させたり、自分の家の補修作業をやらせたり、願いの程度はどんどん下がり、ランプに火を灯すことを頼む者までいた。

 エルは一切断らなかったから。

 クロライーナの人々の生活が便利に、豊かになる代わりに、クロライーナの人々の、人間としての質はどんどん下がって行った。

 それがクロライーナを破滅に導いた要因に違いなかったのに。

 一方、エルの父親がエルを愛すことは全くなかった。エルに奇跡を求めることも。

 エルに近寄るのはすべて、エルの力を求める人間だけ。

 そんなある日、父親が再婚することになる。

 相手は、別のオアシス都市からやって来た娘で、政略結婚に違いはなかったが、彼女はエルを自分の子供として愛し、エルに奇跡を求めることをしなかった。

 新しい母親は間もなく身ごもり、エルは周囲にもわかるほど、その新しい命を愛し、生まれてくることを心待ちにしていた。

 しかし、そんなある日、クロライーナの街全体を、炎が覆った。

 誰もがエルに鎮火を求めたが、どこを探してもエルが居ない。

 探し回っていた住人の一人が、エルが精霊と会話しているのを聞いてしまう。

―なんでもするから。

―あぁ、望むなら、お前になんでもくれてやる。

―だから、炎を…。

―わかった。約束する。だから、クロライーナを…。

 それを聞いた住人が、この災害がエルが引き起こしたものだと確信し、クロライーナの人々に広めてしまう。

 クロライーナの人々は、炎が止んだ直後、エルを幽閉した。

 オアシスの外れにある、罪人を永遠に閉じ込めておくための塔に。


「私が知っているのはここまでだ。私はその直後、クロライーナを復旧させるための資材を取りに、ニームに出発したから。…けれど、出発から二日後。戻ってみると、そこには何もなかった。エルロックを閉じ込めていた塔だけしか。私は塔を開き、エルロックを連れ出したんだ。…エルロックは、表情も変えず、感情を失くしたような顔で、ずっとクロライーナがあった場所を見ていたよ」

「涙も、流さずに?」

「あぁ、そうだ。九歳の子供が。泣くこともできなかったなんて…」

「何言ってるのよ!あなたたちが悪いんじゃない!自分たちの都合でエルを利用して!何かあれば全部をエルの責任にして!散々助けてもらってるのに、エルが困っても誰も助けないなんて!」

「誰もが、恐れていたんだ。精霊を従えるその力を。誰も、逆らえないってわかっていたから」

「エルは、誰にも何も求めなかった」

「そうだ。その通りなんだよ。エルロックはそういう人間だった。だから、心のやましい人間からしてみれば、余計に恐ろしかったんだよ。何を考えているかわからなくて。恐れ続けたから。誰もエルロックを幽閉することに反対しなかった」

 エル…。

 エルは本当に。欲しいものが手に入らない。

 昔からずっと優しいのに。

 自分の為ではなく、誰かの為にしか生きていないのに。

「その話しが本当なら、精霊戦争が起きたのって、クロライーナの人たちがエルを閉じ込めたからじゃない」

「その可能性はある。けれど、王都の連中に言わせると、精霊同士が戦った跡があるらしいんだ。精霊がクロライーナの人間を殺しただけじゃないから、不思議なんだよ。何故、虐殺ではなく戦争なんだ。エルロックは塔に幽閉されていたから、エルロックがクロライーナのために何かできたわけはないのに」

 あぁ。わからないんだ。

 何があったのか。

「ねぇ、幽閉に反対する人、一人もいなかったの?エルが火を放ったんじゃないって、誰も気づかなかったの?」

「わかってる奴も居たさ。エルロックは火を放った精霊を説得しに行ったんだろうって。…エルロックはそういう人間だ」

「わかってるなら、どうして」

「今まで、精霊の奇跡は、すべて人のために使われてきたんだ。それが、全く逆の可能性を提示してしまった。エルロックは、クロライーナを潰せる。自分の命が、家族の命が、たった一人の人間の手に握られているんだ。この先、そんな人間と一緒に暮らせるか?」

「エルはそんなことしないわ」

「クロライーナには、そんな信頼関係はなかったんだ。だから、クロライーナは滅亡した。エルロックを、精霊を、道具としてしか見てこなかった住民の自業自得なんだ」

「どうして、誰もエルを愛さなかったのよ。…そうだわ、エルの母親は?」

「彼女は臨月だった。身重で、他の都市から人身御供のようにやって来た女性に何ができる。彼女がいくらエルロックを助けようと思っても、無理だったんだ」

「生まれなかった…、エルの兄弟ね」

「あぁ。赤ん坊が生まれる前だったはずだ。クロライーナには、死体すら残らなかった。すべてが砂になったんだ。明日、行ってみればわかるだろう」

「わかるわ…。私は行ったこと、あるもの」

―ここで、砂になってある。

 あの言葉の意味は…。

「あの…。その日って、雨でしたか」

「そうだな。…あの日は暗くて。確かに雨が降っていたよ」

 やっぱり。

 バンクスで見た、あの横顔を思い出す。

 無表情で、じっと雨を見ていたエルの顔を。

 きっと、雨が降ると思い出してしまうんだろう。

「あの日、私は気付いてやれなかった。エルロックがどうなっていたのか。それどころじゃなかったから。とにかく恐ろしくて。何が起こったのかわからなくて。エルロックを連れて、ニームまで急いで戻ったよ。…そこで、知ったんだ。エルロックが感情を失い、声を失い、音を聞くこともできなくなっていたって」

 エル…。

「レイリスっていう、旅の医者が言ってたんだよ」

「レイリス?」

 え?それって…。

「そいつは、俺にエルの保護者になるように言ったんだ。俺は…。断ったが、すぐにその意味が解ったよ。ラングリオンの人間が、エルを探し回ってたからな。俺はエルを自分の子供だと言って、引き取った。二年も経つ頃には、ばれたけどな」

 どうしてばれたのかな。

 いずればれてしまうことだったのかな…。

「その頃には、エルもようやく音を聞けるようになったんだ。…後は、あんたたちの方が詳しいんじゃないのかい。エルを守ると誓ってくれたフラーダリーという魔法使いに、俺はエルロックを託したんだ」

 そうだ。フラーダリーは、自分がエルを保護することで、エルを守った。

「養成所に入ったと言うのは、彼女からの手紙で知ったよ。友人もできて、幸せにやっているって。奇跡の力が無くなったってことも。エルロックが王都に行って、本当に良かったと思ってる」

「あなた、フラーダリーが死んだって知っているの?」

「あぁ。フラーダリーの最後の手紙と一緒に、彼女が戦死したって手紙も届いたよ。彼女は、半年に一度は近況を知らせる手紙をくれていたから。エルロックが成人するまで、続けるって言ってくれていたんだがな。エルロックは本当に良い人間に巡り会えた」

 きっと、フラーダリーと婚約してたことは知らないんだろうな。

「だから、安心したんだ。君たちが来てくれて。エルロックが、人間を愛し、結婚したって聞いて」

「エルが人間を嫌いになったことなんて一度もないです」

「クロライーナで、あんなに酷い目に合ったのに、か?」

「エルは、クロライーナを愛していた」

「愛していた、か…。君は、私を責めないのか。私はエルロックを救える立場に居ながら、何もしなかった人間だぞ」

「エルが責めないのに、私があなたを責める理由がない。エルは、全部自分のせいにしてる。クロライーナを救えなかったことを。クロライーナが消えたことを。…あなたは、弱かっただけです。クロライーナの人も。みんな、弱かっただけです」

 そして、エルは強かった。

 強かったから。何もかもを自分のせいにした。

「そうだな。その通りだ。私は弱かった。あんな小さな子供一人、救ってやれないほどに」

 強くならなきゃ。

 エルの為に。

 何があっても、エルの傍に居るために。

「君は強い。どうか、エルロックを頼む」

 エル。私はあなたを幸せにしたい。

 あなたが求めるすべてをあげられる人間になりたい。

 エルが、もう何も失わなくて済むように。

 ねぇ、エル。

 私が聞いた話しは、どれもすごく悲しい物なのに。

 エルは何一つ恨まなかった。

 それがどうしてか。

 私、エルの気持ちに近づけてるかな。


 ※


「リリー、どこに行くの」

 マリーと一緒に、水辺を歩く。

 …居た。

「ロア、メリブ。聞いて来たよ」

『そう』

『そうかい』

「今の声、誰なの?」

『ロアだ』

『メリブよ』

「ここの精霊なのね。私はマリアンヌよ」

『リリーシア。何の用事?』

『明日迎えに来てって言ったのに』

「謝りたくて。来たの」

『謝る?』

「ごめんなさい。私は、人間として精霊に謝罪する。精霊の愛を、信頼を裏切って、ごめんなさい。精霊の気持ちを何一つ考えないで、ごめんなさい」

『どうしてあなたが謝るの』

『僕らが愛していたのはエルだけだ』

「違うよ。エルは誰とも契約していなかった。あなたたちは、エルに使役されたわけじゃない。クロライーナに居た精霊は、クロライーナの人間を愛していた。エルも、そうだった。だから、自分の命を削りながら、エルと一緒に人間の願いを叶えたんでしょ?」

 だって、精霊は人間が好きだから、人間に寄り添いたいから、人間と同じ生活の場に居ようとするんだ。

 オアシスの自然を守ろうとするんだ。

「けれど。クロライーナの人々は、誰も精霊に感謝しなかった。すべてエルの力だって思っていたから」

 それが、クロライーナの奇跡。

 代償を求めない精霊の奇跡。

 対外的には、病や怪我を治癒する力。

 精霊の力の代償は金銭という形でクロライーナを豊かにした。

 けれど、クロライーナでは。精霊が代償を求めなかったことで、奇跡への感謝が急速に薄れて行った。

 クロライーナの人々が、エルに求める内容がどんどんくだらなくなって行ったのは、そのせいだ。

「人間は、精霊への感謝を忘れてはいけないのに。奇跡の意味を忘れてはいけないのに。あなたたちが自分の命を削ってまで、人間に力をくれて、クロライーナを豊かにしてくれたのに」

『エルは、知らなかったわ』

『クロライーナの人々も知らなかった。精霊が魔法を使うのに、自分の命を削るなんて』

「それでも。精霊の奇跡をあんな風に扱うなんて、許されない。あなたたちがそこまでして、エルを人間の元に返そうとしていたのに」

『…どうして』

『どうしてそんなことがわかるの?』

 振り返ると、今朝会った精霊たちが居た。

『なんで、そんなこと言えるんだ』

「あなたたちは…」

 三人の精霊が、ロアとメリブの近くに行く。

『聞かせて』

『続けて』

「精霊戦争は。エルの為に人を殺そうとした精霊と、エルとクロライーナの為に人を守ろうとした精霊の争いだよね」

「リリー?」

『どうして、わかったの?』

「エルを育てたのは、あなたたち精霊だよね?」

『どうして、そう思うの』

「エルを愛した人間は、新しい母親が来るまで一人も居なかった。その間、クロライーナの人は誰もエルと関わっていない。エルが、あなたたちにお願いして死の風を退けるまで。それはエルが五歳の時って聞いたよ。それまで、誰もエルを愛さなかったわけがない。育てなかったわけがない。エルに影響を与えた人が居ないなんて考えられない。エルが、そんな状況に置かれていたのに、誰も恨まず、まっすぐで優しいのは、精霊に育てられたからだ」

 だから、エルにとって。精霊は家族なんだ。

『まっすぐで、優しい、か』

『エルはもともと良い子だった』

『エルが僕らを愛してくれたから、僕らはエルを愛したんだ』

『でも、自分のことは嫌いだったね』

『人間のせいだわ』

 人間は、誰もエルを愛さなかったから。

 自分が母親の命と引き換えに生まれたことも知っているから。

 だからエルは、自分を許さない。

 …だから、何もかもを自分のせいにしてしまう。

「でも、死の風を退けたことで、事態が変わってしまう。きっと、その時に精霊の間で意見が二分したと思うの。エルを人間に返すべきか。それとも、このまま精霊と一緒に生きるべきか」

『レイリスは、このまま人間に返すべきだと言った』

 レイリス。

 月からやって来た砂の大精霊。

 何度、その存在を耳にしたかわからない。

『ガトは、引き留めるべきだと言った』

 ガト。エルの瞳を求めた炎の精霊。

『二人とも、人の姿をした強い精霊だったの』

『レイリスは砂の大精霊』

『ガトは強い炎の精霊』

 表現が違う?

「どっちも大精霊じゃないの?」

『僕らは生粋の大精霊じゃなければ大精霊と呼ばないよ』

 生粋の大精霊ではない?

『ガトは周囲の炎の精霊の力を吸収して強くなった精霊なんだ』

「吸収…?」

『そう。僕たち精霊は、お互いの意思が合致すれば、その命を融合させることができる。ガトはもともと人間が嫌いで、同じ想いの炎の精霊の力を吸収し続けることで、強力な力を得たんだよ』

 強力な魔力を得た、人間嫌いの精霊…?

『さぁ、続けて』

「うん。レイリスに賛成した精霊…、つまり、人間と生きるべきだと考えたあなたたちは、エルに力を貸した。あなたたちは人間を信じていた。きっと、エルを受け入れてくれるって」

『どうして僕らがレイリスの意見に賛同したって言えるの』

「精霊戦争で生き残ってるから。精霊は人間を殺してはいけない。あなたたちは人間を攻撃しなかった」

『あぁ、そういうことか』

『精霊に詳しいんだね。でも、僕もジオも、最初は反対だったよ』

『ロア、』

『なんでエルが人間なんかと一緒に暮らさなきゃいけないんだって』

「でも、賛成したんだよね?新しい母親が来て。エルが彼女から愛されることで、気持ちが変わったんじゃないかな。子供が生まれるって知って、あなたたちは希望を見たんだよね?」

『何でもわかるんだね』

『だって。エルはすごく嬉しそうだった』

『弟かな、妹かなって。すごく楽しみにしていたわ』

『生まれたら、誰よりも祝福するんだって』

『僕たちがエルにしたように、愛してあげるんだって』

『だから、私たちも楽しみにしてたの』

「エル…」

「マリー?」

「私、聞いたことがあるの。その話し。…エルは、私に言ったわ。妹が生まれていたらこんな感じかなって。過去の話し聞いたの、それが初めてだった。会ったことないの?って聞いたら、その前に別れることになったって言ってたの。…生まれてすら、居なかったなんて」

「マリー…」

 涙を流すマリーを抱きしめる。

「私、砂漠に来れば会えるって思ってたのよ。探してあげられるかもって。だから、エルの過去を知りたかった。でも…」

 その子は…。

『ガトは、苛立ってた。エルが人間を愛すことを』

『人間はエルに何もしてこなかったのにって』

『エルに力があるから、エルを求めてるだけだって』

『人間はエルを愛していないんだってね』

『エルが生まれてくる赤ん坊に夢中だから』

 だって、その子はエルの肉親になるはずだったんだ。

 父親に捨てられ、母親を亡くしたエルにとっての、たった一人の肉親に。

 その子が無事に生まれれば、エルは…。

「エルが、その子を求めれば求めるほど。ガトは人間を許せなくなったんだね」

『だって、ガトはもともと人間が嫌いだったから』

『人間は必ずエルを裏切るって言い続けていた』

「うん。わかるよ。ガトは間違ってない」

「リリー?」

 マリーが顔を上げる。

「ねぇ、マリー。私が精霊で、エルを愛していたとしたら、私はエルを人間に渡したいとは思わない」

「え?」

「人間はエルに何もしなかった。エルを捨てたの。なのに、力があるとわかった途端にエルを利用とする。エルを愛してなんかいないよ。エルが人間を愛せば愛すほど傷つくのは目に見えている。それなら、初めから人間のところにやらなければ良い。だって、精霊はエルが死ぬまで一緒に居てあげられる。エルを愛情に飢えさせることなんて絶対にしない」

「そうね。実際に、クロライーナの人々はそうだったわ…」

「でもね、マリー。私が精霊で、エルを愛していたとしたら、私はエルを人間に返そうと思う」

「リリー?」

「私がいくら愛しても、精霊と人間の壁を越えられない。私には味覚がない。一緒に食べ物を食べてあげることはできない。私には痛みがない。エルが怪我をしても気持ちを共有してあげられない。私には温もりがない。エルをどれだけ抱きしめても、人間が与えるような温もりを与えることはできない。…精霊と人間は違う種族。人間が与えるすべてを肩代わりできない」

「どっちの味方なの」

「どっちも、正しいの。だから、精霊戦争が起きたんだよ」

「その、二つの意見がぶつかったから?」

「うん。発端は…」

 考えられるのは、あれしかない。

「ガトという精霊が、エルに契約を迫ったんだね?」

『良くわかるね』

『そうだよ』

「そして、エルは断った」

『エルは契約の方法を知らなかったから』

「ガトは怒って、火を放った」

『まるで見ていたみたいに言うんだね』

 わかるよ。知った事実と、ガトの気持ちを追ってみれば。

「エルはガトに、瞳を渡す約束をして、炎を沈めさせた」

『…その通りだよ』

「でも、クロライーナの人々は、炎に包まれたのがエルのせいだと思い、エルを幽閉した。それが原因で。ガトは怒り、人間に攻撃をした。そして、人間を好きだったあなたたちが。ガトと、ガトと共に人間を殺すことにした精霊たちと敵対することで、精霊戦争が起こったの」

 それが、精霊戦争。

 エルの為に。

 意見が分かれた精霊たちが争い、そして…。

『そして、僕らは負けた』

『ガトは多くの精霊を吸収して。その力をすべてクロライーナに放ったんだ』

『もともと人間を殺すために力を集めていた精霊だったからね』

「みんながガトに対抗できなかったのは、人間の願いを叶え続けたからだ」

 自分の命を削ってまで。

 そうやってエルは、精霊と人間を繋いだのに。

 精霊を愛し、人間を愛したのに。

「エルが、エルという人間じゃなければ、精霊戦争は起こらなかったのに」

「リリー?」

「エルが、自分を愛してくれる人を大切にする人じゃなかったら、求められることに応えようとする人じゃなかったら、誰かを救いたいと願う人じゃなかったら、自分を大事にできる人だったら、もっと人間を疑う人だったら、もっと人間を嫌えたら、もっと精霊を嫌えたら、もっと…」

「リリー、」

 マリーが私を抱きしめる。

「エル…、ごめんなさい。ごめんなさい」

「本当に、泣き虫なんだから」

 マリーだってさっき泣いていたのに。

「クロライーナの人が、もっとエルを愛していればこんなことにはならなかったのに」

「えぇ、そうね」

「精霊と人間が信頼し合っていれば起きなかったのに」

「そうね」

「クロライーナでは、誰もエルを救えなかった」

「そうね」

「もっと、早く出会いたかった」

「私もよ」

「エルはどうして、こんなに強いの。どうしてすべてを背負えるの」

「それは、あなたは誰よりもそれをわかっているじゃない」

「だって、エルが、エルじゃなければ…」

「リリーがエルを愛することはなかったでしょうね」

 その通りだ。

「エルを、愛してるの。エルが、エルであるから」

「そうね」

「でも私…。何をしに、ここへ来たの?エルが隠したがっていた事実を知って、私はエルに何をしてあげられるの。エルは自分を責めてる。私は、そんなことして欲しくないのに。ここであったことが、やっぱりエルの為に起きたことなら、エルは…」

「エルのせいで起きたのではなく、エルの為に起きたのだって、わかったわ」

「エルにとっては、同じ意味だ」

 エルがすべてを失うことになった原因がエルにあるなら。

 エルは自分を許さない。

「リリーらしくないわ。あなたがそんな調子でどうするのよ」

「え?」

「いつもみたいに、エルを笑わせてごらんなさい」

「だって、どうやって笑わせてるかわからないよ」

 みんな、勝手に笑うから。

「リリー。クロライーナは俺のせいで滅んだんだ」

 全然、似てないよ、マリー。

「…エル。エルは何も悪くない」

「どうして」

「だってエルは…、」

 エルを救える言葉なんて、あるの。

 私が知ったことは、エルを救える内容じゃない。

 エルの予想通り。

 すべて、エルの為に起こった。

 エルはすべて受け入れて、自分のせいにして。

 過去を自分の中に捨てた。

 エルは、正しい。

「どうすれば…」

 どうすれば、意識を共有していた時に見た、血を流したエルを救うことを出来るの。

 エルは、自分で自分を助けることをしない。

 自分を許すことをしない。

 エルという人間を呪い続ける。

「エル…」

 その考えを変えるだけのことを、私はできないの?

 だったら、私は。

「いいよ。自分を嫌いでいて」

「リリー?」

「クロライーナのことを自分のせいにしても。フラーダリーが死んだことを自分のせいにしても」

 エルが考えを変えなくても。

「でも、それだけじゃないよ。エルは精霊に愛された。新しい母親に愛された。フラーダリーに愛された。マリーに愛された。シャルロさん、カミーユさんに愛された。ルイスとキャロルに愛された。ラングリオンの人たちに愛された」

「そうね」

「それがどうしてか、考えたことある?エルがエルだからだよ。エルは自分を顧みずに色んなものを救って来た。でも、それが上手く伝わらずに失敗することも多かった。でも、エルを愛してる人はみんな、本当のエルを理解したから、エルを愛したんだよ。エルがエルだからだ」

 本当に。不器用な人。

「エルがエルだから、私はエルが好きだよ。私はどんなエルも否定しない。エルがどれだけ自分を否定しても、エルがどれだけ自分を呪おうと、私はエルのすべてを愛すよ。過去も未来も全部。私は全部知ったから。だから、好きなだけ自分を否定しても大丈夫。好きなだけ呪っても大丈夫。あなたがどれだけ嫌っても、捨てても、そのすべてを拾って、受け入れて、愛すよ」

「…それは、本人に言ってあげた方が、喜ぶわね」

「私は、こんなことぐらいしかできないの」

「リリー」

「本当は、エルの考えを変えたいのに。エルが自分を否定しなくて済むように。なのに、私にはこんなことしかできない」

「エルを救えるのはあなただけよ。同じセリフを、会った時に言ってあげなさい」

「…言えるかな」

『言ってあげて』

『君は強いんだね』

『だからジオは、君を信じたのか』

『あなたはエルを愛してる』

『そしてエルも、あなたを愛したのね』

 精霊たちが顕現する。

『初めまして。僕は砂の精霊、デュー』

『私は大地の精霊、ドナ』

『僕は水の精霊のシルマ』

『同じく、水の精霊のメリブよ』

『僕は闇の精霊のロア。…僕たちは皆、クロライーナでエルを、人間を守っていた側の精霊の生き残りだよ』

「私はリリーシア・クラニス」

「マリアンヌ・ド・オルロワール。エルの友達よ。…ほら、エイダとナインシェも」

『私はエイダ。エルと契約している炎の精霊よ』

『私はマリーと契約している光の精霊、ナインシェよ』

『ようこそ。砂漠へ。僕たちは君たちを歓迎する』

「今さら?」

『挨拶は人間の礼儀なんだろう』

「そう。その、無駄に律儀なところ、エルにそっくりよ」

 精霊たちが笑う。

『逆だよ。僕たちが教えたんだから』

『人間の言葉も、精霊の言葉も』

『オアシスの文化も、地理も』

『わからないことは一緒に調べたね』

『エルは本当に賢かったわね』

「…あの、メリブだっけ?」

『えぇ』

「随分衰弱してるじゃない。このままじゃ消滅するわ」

『あら。わかるの』

「わかるわよ」

「どういうこと?」

「精霊の寿命は魔力そのものよ。メリブはほかの精霊から致命傷を受けている。その傷から、魔力が出続けてるのよ。血が流れ続けている状態って言えばわかるかしら。水の精霊だから、水源に居れば水の加護で傷を癒せるのでしょうけど…。それには数百年の月日が必要なはずよ」

「治せないの?」

「精霊には無理ね。精霊は魔力を補給する方法がないから、自分の傷を癒すことは出来ない。…だから、メリブ。私と契約しなさい」

『えぇ?』

マリーは髪の毛を一房、短剣で切り取る。

「メリブ。流動なるものに祝福された水の精霊よ。請い願う。我と共に歩み、その力、我のために捧げよ。代償としてこの身の尽きるまで、汝をわが友とし、守り抜くことを誓う」

『…マリアンヌ。我は応えよう』

 メリブが、その身にマリアンヌの髪を吸収する。

『変なことになっちゃったわね』

『よろしくね、メリブ』

『えぇ。厄介になるわ、ナインシェ』

「これでメリブは、私から魔力を補給できる。その傷も、近いうちに治してあげるわ」

『精霊の傷を治す方法なんてないよ』

「エルは天才錬金術師よ。一度、精霊の傷を治す薬を作ったことがある。もう一度作らせれば良いのよ」

『精霊の傷を治す薬って…』

「賢者の石と呼ばれているそうね。あらゆるものを死から遠ざける奇跡の薬」

「それって、神話時代にしか実在した記録がないって言う…」

「そうだったかしら。まぁ、エルは常識が通用しないのよ。深く考えても仕方ないわ」

 エルがすごいって言うのは知ってるんだけど。

 まだ、マリーのように、それを当たり前として受け取れない。

「リリー、眠たいわ。そろそろ寝ましょう」

『契約で魔力を使ったものね』

 あれ…?

 マリーの光の色が変わってる?

 黄緑色?

 どうして?

 あれ?

 やっぱり私、何か、ものすごい勘違いをしてる…?


 ※


 起きたのは、月が真南を過ぎた頃。

 クロライーナへ出発するのは、日の出頃だから、もう少し時間がある。

 乾燥パンをお茶で流し込みながら、ロアとメリブとお喋り。

「ねぇ、みんなはエルに会いたくなかったの?」

『会いたかったわ』

『でも、僕たちは砂漠を離れないよ。精霊が人間と契約しないで移動すれば、自然が破壊される』

『私たちは、ニームになじんでしまったもの』

 そういえば、前に会った精霊もそんなことを言っていた。

「レイリスのこと、教えて欲しいの。どんな精霊なの?」

『レイリスは、エルに最初に声をかけた精霊だった。エルが赤ん坊の頃から傍に居たんだよ』

「赤ん坊のころから?」

『うん。ずっと傍に居た。生まれた時から捨て子みたいだったから。不憫だったのかもね』

 父親も乳母も居たのに…。

『あの乳母も、エルの面倒をずっと見ていたわけじゃなかったから』

「え?」

『エルを放っておくことも多かったんだよ。僕らは、良く街で見かけたもの』

 それ、乳母としてどうなんだろう。

 だから、ミダスさんも、エルの乳母がエルを愛していないって言ってたのかな。

 赤ん坊なんて、見ているだけで可愛いのに。どうして?

『エルが言葉を話すようになった頃、レイリスはエルとガトを引き合わせたの。きっと、ガトの人間嫌いを治したかったのよ。ガトも、人間が忌み嫌っていたエルのことは気になっていたようだし。エルは純粋で。良い子だったから。ガトは、すぐにエルを好きになったわ』

『そして僕たちも。エルは、顕現してない僕らの声を聞いてくれたから。僕らもすぐにエルを好きになった』

 居なかったのかな、魔法使いの素質を持った人って。

 …居なさそうだな。だって、どこの精霊も、人と話すことに慣れて居なさそうだった。

『エルと過ごす時間は楽しかったわ。エルは優しくて、温かくて、私たちはエルと居ると満たされるの』

『ずっと見慣れていた世界が、ここまで新しいもので溢れていたのかって実感させてくれたのもエルだった』

『えぇ。そうね。夜空を眺めるなんて、エルがやっていなければ、久しく忘れていたことだもの』

『でも、レイリスとガトは、エルを巡って対立してしまった。エルにそれを気づかれたくなかったレイリスは、エルの元を離れたんだ』

「え?それじゃあ、」

『レイリスは精霊戦争に参加していない』

「そうだったんだ」

 なんだか意外かも。

 赤ん坊の頃からエルの傍に居たのに、何故急に離れてしまうの?

 それって、対立が理由?

「どうしてガトはエルの瞳を求めたの?髪とかじゃいけなかったの?」

『ガトは、自分の瞳とエルの瞳を交換するつもりだったんだよ』

「交換?そんなことできるの?」

 たぶん、これはエイダも知らないことだ。

『出来るよ。ほら、たまに居るだろう。左右の瞳の色が違う人間』

「あ…」

 それって、アレクさん?

『あれは、精霊と瞳を交換した人間。精霊と力を共有している人間なんだ』

「共有って…」

『瞳を通じて、お互いの視覚と意識を共有する。人間はいつでも精霊のすべての力を引き出せる。精霊も人間の魔力を、許可なくいつでも使える。それって、簡単に片方を殺せる恐ろしい方法だから、よっぽどの信頼関係がなくちゃできないらしいけど。その代わり、完全に対等な契約なんだ』

 体の一部を共有することによって、強い繋がりを作る?

 そして、意識の共有が可能になる?

『完全に対等な契約が存在するなんて』

『君、そんなに強い精霊なのに知らないの?』

『知らないわ』

 エイダが封印の棺に眠っていた炎の大精霊って、誰も知らないんだな。

「それって、同化してるってこと?」

『難しいこと知ってるね。本質は変わらないよ。寿命は変わらないし、意識の共有だって、片方が拒否すれば上手く行かないらしいし』

『でも、片方が死ぬまで契約の解除はできないのよ。瞳を戻すことは、どちらも一生出来ないわ。他の精霊と契約することもできなくなる』

『それがガトの望みだったんだけど。エルはそんなこと知らなかったから、瞳を渡すなんて恐ろしいこと、断ったんだ』

 それが、精霊戦争の発端。

「それって、強い精霊にしかできないこと?」

『えぇ。人間の瞳を交換できるのは、人間の姿をとれるほど強い精霊だけね。私たちじゃ対等な交換にならないもの』

 でも、ガトはエルを愛していたのに。

 どうして、エルを脅迫してまで瞳の交換をする必要があったのかな。

 視覚の共有。

 意識の共有。

 それって、まるで一つになるみたい。

 ガトは。もしかして…。

『どうして、人間はあんな恐ろしい塔にエルを閉じ込めたのかしらね』

「恐ろしい?」

 罪人を閉じ込める塔、だっけ?

『あれは、内側からは絶対に開かない』

「え?」

 なんだかその作りって。封印の棺みたいだけど…。

『隙間があるけれど、明り取りの窓すらない。精霊だって入ったら出るのは大変だ。あの塔は人間をじわじわと殺すためのもの。飢えと乾きと暗闇で』

「そんな。そんなところに、エルを入れたの?」

『それを知っていたから、僕とジオは、エルと一緒にその中に入ったんだ』

「クロライーナの人は、エルを出してあげる気はなかったの」

『わからないよ。皆、すぐに死んだんだから』

『外側から開くのは簡単だったのよ。だから、私たちが後でこっそり出してあげるつもりだったの。ジオとロアは、エルを元気づけるために一緒に行ったのよ』

 クロライーナの人は精霊がエルを救うだろうって考えただろうか。

『結局、ミダスが扉を開くまで、誰も扉を開くことはなかったけどね。…でも、あれは、驚いた』

「驚いた?」

『クロライーナに行けばわかるよ。クロライーナは、今でも精霊戦争直後と同じままだから』

『そうね。私は外に居たから、その変化をゆっくり見ていたけれど。中に居たエルは。外に出て驚いたでしょうね』

「…エルが、声と、音と、感情を失うほど?」

『おそらくね。生き残った僕らは、全然話しかけても反応のないエルについて、ニームに行ったんだ。メリブの傷もあったし、一刻も早く水源に行く必要があったから』

『ニームで、レイリスに会ったわ』

「レイリスは、ニームに居たの?」

『わからない。精霊戦争のこと、全部知ってたわ。クロライーナに居たんじゃないかしら』

「戦争に参加してなかったのに?」

『ガトが手遅れだってわかったから、手を出さなかったのかも』

「手遅れ?」

『人間を殺した精霊の魂は穢れる。ガトは人間を殺し過ぎた。自然に還れないほど。…私たち精霊は、自然そのもの。魔法を使うという行為は、魔力を自然に還す行為なの。そして、いずれすべてが自然に還るわ。でも、魂が穢れると自然に還れない。精霊でいられなくなれば、消滅する』

「自然に還るのと消滅は違うの?」

『消滅すれば自然を壊すわ』

『昔、炎の大精霊がこの大地を壊したようにね』

 エイダ…。

『炎の大精霊は、怒っていたんだ。悲しんでもいた。その感情があふれ出して、多くの炎の精霊が生まれ、その炎の精霊が、大地を焼き、精霊を殺し、人間を殺した。そのせいで、ここの自然が壊れたんだ』

『人間が棺を運んだせいよ。だから、大精霊の怒りを買ったのよ。ガトが人間を嫌っているのはその名残。炎の大精霊の人間への憎悪を色濃く引き継いだ精霊だったから』

 あれ…。

 それじゃあ、エルが、エイダに会いに行ったのは。

『ガトは、エルを愛したけど。そのせいで、余計に人間が許せなくなったのね。ガトは周囲の精霊をすべて吸収して、クロライーナを、その最期の力で消滅させたわ』

 それが、クロライーナが消えた原因。

『レイリスは、ミダスにエルの保護者になるように言って、ニームで人間としてエルを守っていた』

「守っていた?」

『戦争後、ミダスがエルを引き取ったけれど、エルは声も出せないし耳も聞こえなかった。そんな子供は苛められやすかったのよ。レイリスはエルに子供でも持てる短剣を与えて、剣術を教えた。エルは強くなって、苛められることはなくなったんだ』

 短剣…。

「会いたいな、レイリス」

 エルに最も影響を与えた人に間違いない。

『どこに居るかわからないんだけどね』

『お墓がクロライーナ近辺にあるはずだから、クロライーナに居るかもしれないけれど』



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