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「月の渓谷を目指しているなんて、変わった御嬢さん方だな。目的はなんだい」
「月の渓谷なんて、ロマンチックな名前じゃない」
「それだけで?」
「あら。それだけじゃいけないの?」
「女の二人連れが、道もない砂漠を旅してるってだけでも驚いてるのに。理由がロマンチックだからとはねぇ」
本当の理由は、ちょっと言えない。
「私、月の石を見てみたい」
「月の石?」
「月の渓谷にあるって聞いたの」
「本当にあると思ってるのかい?」
「ないの?」
それとも、知らないのかな?
ターバンを巻いた男の人は豪快に笑う。
「さぁ、自分で見てみたら良いんじゃないか?」
砂漠の遊牧民族の一団、キャラバンに会ったのは、一昨日。
ここから北にあるオアシスを目指すらしい。
月の渓谷を目指していると言ったら、近くまで一緒に連れて行ってくれることになり、私たちもキャラバンに加えてもらったのだ。
月の渓谷までは、ほとんどオアシスがないという。
「どうやって行くつもりだったんだ?」
「水と食料があればどうにかなるわよ」
「これだから素人は怖いな。俺たちに拾われなかったら、砂になってたぞ」
「砂になってた?」
「死体すら残らないって意味さ」
―ここで、砂になってある。
か。
数十人の人が集団で移動するキャラバン。
食料も水も十分に持っていて、その規模は、まるで街が移動しているみたいだ。
日暮れに移動を開始して、深夜に一度休憩をして、日が昇ると、宿営地を探してテントを張り、交代で休息を取って、日暮れにまた移動を開始する。
男女関係なく、すべての人にキャラバンでの役割があり、皆、三日月のような曲刀を鞘なしで装備した戦士だった。
私が剣士であることは驚かれなかったけれど、大剣の様に体力を使う武器は砂漠では不利ね、と、自分のラクダに私を載せてくれているフラメシュに言われた。
「西から来たのに黒い髪なんて、変わってるわね」
「え?」
そういえば、王都では黒髪の人は見なかったな。
キャラバンでも、オアシスでも、黒髪の人を良く見かけたのに。もちろん、金髪の人も、栗色の髪の人も、茶色の髪の人も、赤い髪の人も見かけたけれど。
グラシアルでは黒髪は珍しくなかったけれど…、ほかの国でもあんまり見なかったような?
砂漠には黒髪の人が多いのかな?
フラメシュだって黒髪だ。
「紅の瞳じゃないのね」
「黒髪にブラッドアイって…。吸血鬼種?」
隣で別の女性とラクダに乗っているマリーが言う。
フラメシュの瞳の色だって、紅じゃなくて翡翠色だけど?
「吸血鬼?」
「知らないの、リリー」
「ええと…」
吸血鬼。
人間の生き血を吸って魔力を補給する力のある悪魔。大昔に居たけれど、今ではその悪魔は存在しない。
すべて、神の御使いと光の魔法使いたちが死者の世界に送ったから。
「この世に存在しない種族だもの。知らなくて良いけれど」
「そうね。でも、いまだに西の人たちは差別するわ」
砂漠から見て西って、ラングリオン?
「砂漠に黒髪で紅の瞳が多いのは、吸血鬼種だって理由で西の人たちが迫害したからよ」
あ…。
吸血鬼種。
人間と同じ様に子供を産んでその血族を増やしていた彼らの容姿は必ず黒髪で紅の瞳。
魔王となった、その創始者以外は不老不死ではなかったと聞く。
もちろん、魔王と共に、人間を殺し、人間の生き血を吸って魂が穢れた吸血鬼もたくさん居て、後にその魂は浄化されることになるのだけど…。
人間と愛し合って、人間として生き、悪魔にならなかった者もたくさん居たらしいのだ。
ただ、見た目ではわからないから、黒髪と紅の瞳を持つだけで、吸血鬼種と呼ばれている。
だから当時、その容姿を持つ、吸血鬼とは何の関係もない人も殺されたと聞く。
容姿による、差別…。
「昔の話しよ。今は迫害なんてしないわ。血を吸う吸血鬼なんて居ないもの。私の知り合いにもブラッドアイがいるけど、私はその子が好きよ」
もしかして、エルのこと?
「その子は瞳の色を呼ばれることを嫌ってなかった?」
―この瞳が、何て呼ばれてるか、知らないのか。
エル…。
そんなに、嫌っていたの。
自分の瞳を。
「言ったこと、ないもの」
「その子が傷つくってわかってるからね」
だけど。あの時。
「傷つかないよ」
笑ってくれた。
「どうして?」
「カーネリアンだから」
―そんなこと、初めて言われた。
「カーネリアン?って、赤い宝石の?」
「うん。私は、カーネリアンって呼んでる」
エルの瞳を。
そう言ったら、喜んでくれたから。
「そうね。確かにそんな色だわ」
「太陽の石なんて素敵ね…。良い事を教えてくれてありがとう。私も、これから、そう呼んであげることにするわ」
「うん」
「あなたって、不思議な子」
「リリーは人を幸せにする才能があるのよ」
※
深夜の休憩時間。
座っているラクダの背に寄りかかって、マリーと一緒に毛布にくるまって星を見上げる。
「綺麗だね」
「綺麗ね」
本当に、星の世界。
「リリー、疲れてない?」
「うん。全然平気」
だって、ずっとラクダの背に乗せてもらっているし、歩きたくなったら歩かせてもらえるし。
キャラバンの人たちはみんな親切だ。
「暑さには慣れた?」
「暑いのは苦手かな」
「苦手そうね」
そんなにわかりやすいかな。
「砂漠って、精霊が少ないね」
「そうなの?」
「うん。砂の精霊と炎の精霊は見かけることがあるんだけど。今までエルと旅してきたところは、どこも精霊がたくさんいた場所ばかりだったから。こんなに精霊を見かけないところって珍しいよ」
「それって、街中でも?」
「オアシスにはたくさん居たよ」
最初に立ち寄ったオアシスを思い出す。
「水の精霊も、大地の精霊も。光の精霊も、闇の精霊も。風の精霊も。人間と一緒に暮らしてる。街の精霊と、街の人たちって仲が良さそうだったな」
「そんなの、わかるの?」
「うん。オアシスの家って、どこも隙間が多いでしょ?」
「そうね。風通しを良くしてるんでしょうね」
「精霊たちが本当に自由に家の中に入っていくの。泣いている子供の家に精霊が入っていくとね、子供が泣き止むんだよ。音楽のある場所で精霊が一緒に歌っているのも聞いた。…きっと、精霊と人間の関係がうまくいってるから、こんなに過酷な環境でも、人間の住む街があるんじゃないかな」
「そうね。精霊と共に、自然と共に上手く生きようとしなければ、その土地で生きることは難しいでしょうね」
「うん。私は…。私の暮らしていたところは、そういう場所じゃなかったから」
自然を捻じ曲げて、季節も気温も変わらないように調整された場所だから。
「自然を直に感じられる場所に来ると、気が付くの。精霊と人間って共存してるって」
「共存してる?」
「イリスは…、あの、私の精霊はね、魔法使いっていうのは、精霊を使役するものだから、たいていの魔法使いは精霊を大事になんてしないって言うの」
「耳が痛い話ね。魔法使いにとって、精霊はそういうものよ」
『マリーは私を大切にしてくれているわ』
「これだけ長く一緒に居れば、一心同体になるわよ」
『ありがとう、マリー。大好きよ』
「ナインシェ」
ほら。やっぱり良い関係を築いている。
「私、精霊が好きだよ。イリスはね、味覚も空腹感もないから私のお菓子を食べられないの。痛みがないから、私が血を流しても怪我をしてもその苦痛はわからないって言うの。氷の精霊だから、抱きしめても冷たいよって」
「当然よ。精霊と人間は全く違う種族だもの」
「でもね、私はイリスが好きで、イリスを家族だと思ってる。イリスは私のことを何でも知っていて、理解してくれていて。私の我儘も聞いてくれるし、ずっと側で寄り添ってくれているから」
イリス。ちょっとホームシックかも。
「とても優しい精霊なんだ」
元気にしてるかな。
イリスはエルが好きだから、きっと楽しくやっていると思うけれど。
「ナインシェもそうよ。とても優しいわ。それに、強くて、賢くて、可愛いの」
『もう。自分の精霊の褒めあいなんてして、どうするの』
ナインシェが照れてる。
「きっと、同じように。見えなくても、人って精霊を感じて、愛してるんじゃないかな」
「精霊を?」
「だって、精霊は自然そのもので。私たち人間は、自然を愛してる」
この世界を。
「ね?共存してるでしょ?」
「そうね。私たち、この世界で一緒に生きてるんだものね」
空を見上げる。
夜空にきらめく輝く色んな色の星と、月。
「綺麗だね」
「綺麗ね」
今まで見たどこの星よりも輝きが強い気がする。
エルは、この星と月を見て育ったんだよね。
エル。
今、どうしてるのかな。
元気にしていますように。
『リリー、マリー』
「エイダ」
周辺を見てくると言って出掛けていたエイダが戻ってくる。
『目指す場所が少しずれてるわ』
「どういうこと?」
『おそらく、意図的に、封印の棺場所から遠ざかっている』
封印の棺は遊牧民族が、その場所を誰にも知られないように守っているんだっけ。
『早めにキャラバンと別れましょう。キャラバンは、月の渓谷の北側を目指してるわ。封印の棺があるのは、渓谷の南側なのよ』
「ばれないかしら。私たちが目指してるって」
『どうかしらね。月の渓谷というだけで、少し警戒はされていそうだったけれど』
「何か対策考えておく必要があるわね…」
マリーが水筒の水を飲む。
それを私に渡す。
「自分の、あるよ?」
「飲みなさい」
「…うん」
マリーの水筒の水を飲む。
私のよりも、塩分が少なくて飲みやすいかも。
「美味しい?」
「うん。私のって、少し塩を入れ過ぎてたかな」
「キャラバンを離れたら汗をかくから、その濃度で大丈夫よ。キャラバンに居る間は、私が作ったのを飲んで。…飲み終わったら水をもらってくるわ」
「あ、うん」
水筒の水を飲み干す。中に入っていたメトルム石が口に当たる。
この石を水筒に入れておくと、水の劣化が抑えられる上に、溶け出した石の成分が水分補給に役立つらしい。
キャラバンの人たちがくれたものだ。
砂漠を旅する人の知恵なのだろう。
「待っててね」
マリーが水筒を持って行く。
「リリーシア、マリアンヌ、休憩は終わりよ。そろそろ出発しましょう」
「フラメシュ。…ありがたいけれど、私たち、そろそろ徒歩に戻ろうと思うわ」
「え?歩くの?この辺りはオアシスも何もないわ。砂漠に不慣れなあなたたちがキャラバンを離れるなんて、自殺行為よ」
「平気よ。今までだって平気だったもの。月の渓谷って、この近くなんでしょう?」
「隊長はまだ先って言っていたけれど…」
「いいの。お願い。そろそろ二人きりになりたいのよ」
「え?」
マリー?
「ねぇ、リリー」
マリーが私の腰に手を回す。
「二人一緒にラクダに乗せてくれるって言うなら、考えてあげても良いけれど」
どういうこと?
『リリー、マリーに話を合わせてあげて』
「うん…」
何か、考えがあるのかな。
「二人じゃ積載オーバーだわ。君たちは、私たちが乗るラクダに貨物として乗せてるだけなのよ」
「どうしたんだ、フラメシュ」
「隊長…。彼女たち、ここに残りたいみたいなの」
「フラメシュ、準備に戻れ。…どういうことだい」
「月の渓谷には歩いて行くわ」
「まだまだ先だ。ここから人間の足でなんて行けない」
「大丈夫よ。月の女神様のお導きがあるもの」
「だめだ。キャラバンの隊長として、許可できない」
キャラバンにとって、キャラバンの命を預かる隊長の命令は絶対。
逆らうことは許されない。
「そう。残念ね。交渉は決裂ってこと?」
「月の渓谷がどれだけ危険な場所か知らないあんた方が悪いんだぞ。あそこに向かうなら、まず北のオアシスを目指して、水先案内人に頼むしかないんだ」
やっぱり、月の渓谷の南側、封印の棺が隠されている場所は、簡単に行けないような場所で、秘密の場所なんだ。
「ご親切にどうも。でも、私、キャラバンなんてもう限界。降りるわ」
「今までうまくやって来たんだ。もう少し辛抱してくれ」
「もう、親切は要らないわ。辛抱できないって言っているの」
「仕方ないな…。縛ってでも連れて行くぞ。ここに置いて行くなんて、見殺しにするようなものなんだ」
「あら。危害を加えようっていうの?私、魔法使いなのよ。あなたたちを全員殺せるわ」
「魔法使い、だって?」
「えぇ。ここまで連れてきてくれたのはありがたいけれど。あなたの許可があろうとなかろうと、私たちをここに残してくれないっていうのなら、戦うしかないわね」
「待ってくれ。争いを望んでいるわけではない」
「なら、わかって。もう、限界なの。この子がほかの人に抱かれるなんて」
「…なんだって?」
「この子は私の恋人よ」
えっ。
マリーが私の顔に自分の顔を寄せる。
「恋人がほかの女性と、移動の間中ずっと一緒に居るなんて、耐えられる?ねぇ、リリー。私はもう耐えられないわ」
「ま、まりー?」
あ、の。
えっと。
マリーが私の両頬を両手で包んで…。
「んんっ」
あ…、の…。
「私たちが砂漠に何をしに来たか察して頂戴。もう、誰かに命令されるなんてうんざりよ。誰かに邪魔されるのだって。私は自由なんだから!」
あれ?そんな話しだった?
「リリーもそうよね?」
「あ…、うん…」
マリー、かっこいい。
「赤くなっちゃって。今すぐ食べちゃいたいぐらい可愛いわ」
えっ。可愛いなんて。
「そんな。マリーみたいに、お姫様みたいな人に、可愛いなんて…」
「まだそんな事言うの。リリーはこんなに可愛いのに」
「だって」
「黙りなさい。そうしないと、またキスするわよ」
なんで、キスしたの…。
なんで、恋人のふりをしなきゃいけないの?
あれ?今ってどんな状況?
「ねぇ。リリーも、そろそろキャラバンを離れたいわよね?」
「う、ん」
それは、そうなんだけど。
あれっ?そんな話しだっけ?
「私たちの気持ちは変わらないわ。ここで降ろしてちょうだい」
「…わかったよ。けれど、せめてもう少し一緒に居てくれ。旅立つのは明日の夕暮れまで待って欲しい。これから夜明けを迎えるって時間に旅人をこんなところに捨てていくなんて、キャラバンのすることじゃない」
「しょうがないわね。あなたのプライドに免じて、もう少し我慢してあげても良いわ。…でも、今のは秘密よ」
「わかったよ」
「ありがとう。…リリー、ごめんなさいね。上手く説得できなくて」
そっか。
封印の棺を目指せるように、説得してくれてたんだ。
「いいよ、マリー。ありがとう」
マリーが私を抱きしめる。
そして耳元で。
「今の、エルには内緒ね」
待って。耳元で囁くのは。
「だ、だめだよ、そんな…。あっ」
マリーが面白がって、私の耳に息を吹きかける。
「マリー!」
「だって、リリー、可愛いんだもの」
そんなに笑わないで。
私って、そんなに無防備なのかな。
エル、ごめんなさい。
エル以外の人とキスしてしまって。




