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「発行、できない?」
「はい。ご説明しました通り、こちらの情報収集不足でして。イリス家という貴族…、上級市民の情報を把握していないのです」
「グラシアルのホログラムに不備があるって言うの?」
「いいえ。こちらで確認する限り、身分証に偽造の形跡は認められません。この身分証が正当なものであることは間違いないのです」
「なら、手形の発行ができるはずよ」
「申し訳ありません。こちらでグラシアル国に確認しないことには…」
「それには一カ月以上かかるって言うんでしょ?ちょっと、管理官を出しなさい」
「マリアンヌ様。いくらおっしゃられても、無理なものは無理です」
困ったかも。
役所の人の話をまとめると、ラングリオンは常にオービュミル大陸全土の貴族の情報を持っているらしい。
貴族の動向の監視もあるのだろうけど、建前としては、貴族としての身分と安全をラングリオンでも保障する為、らしい。
そのデータにイリス家はない。
そして、これが砂漠行きの手形を発行するのに引っかかる。
貴族の安全の保証の為、砂漠に出入りするには、イリス家当主の許可が必要だと言うのだ。
砂漠は危険な場所で、簡単に命を落としてもらっては困るから、貴族の令嬢をそう簡単に砂漠へ行かせて死に追いやり、国際問題に発展させたくないらしい。
なんで。
なんで、私の身分証って、上級市民なんだろう。
女王の娘の目的は、魔力を集めるために諸国を旅すること。
それなら、一般市民の方が遥かに適している。
上級市民という肩書なんて、旅をするのに何のメリットもない。
「マリー、行こう」
「え?」
役所の人から、身分証を返してもらう。
「砂漠行きの許可を申請しますか?」
「その必要はないです」
「そうですか」
役所の人は安堵の息を漏らす。
マリーと一緒に、役所を出る。
「困ったわね…。手形を発行できなければ、砂漠に行けないわ」
「なんで私、貴族なのかな…」
上級市民だからって、グラシアルでは何の特権も持たない。
ラングリオンに来ても、足止めされるだけ。
あれ…。足止めされてる?
砂漠に行くことを?
どうして?
「こういう時は、あいつに頼みましょう」
「あいつ?」
「シャルロよ。何か抜け穴を見つけてくれるかもしれないわ」
そっか。シャルロさんは弁護士だもんね。
マリーについて行くと、そう歩かないところに、シャルロさんの事務所が…。
ここってセントラルだよね?
セントラルの官庁通りに事務所を構えられるって、すごい人なんじゃ…。
「いらっしゃいませ、マリアンヌ様、リリーシア様」
「こんにちは、カーリー」
初めて会う女の人。
「どうして、私の名前を?」
「黒い髪をツインテールにした黒い瞳の異国の少女。背には身長ほどもある大剣を背負っている、エルロック様の恋人。王都中の方が、昨日、あなたを探しておりましたよ」
「…ごめんなさい」
あぁ、そんなに大事になるなんて。
城に居た時もそうだった。
こっそり登った屋根の上でのんびり一日を過ごして戻ったら、城中の魔法使いが私を探して居たって。
誰も咎めなかったけれど、ポリーだけは私を怒ってたっけ。
「シャルロに会いたいの」
「応接室にご案内いたします」
カーリーさん。シャルロさんの秘書なのかな。
カーリーさんの案内で、応接室へ入ると、机に向かって書類に目を通していたシャルロさんが顔を上げる。
「マリー。リリーシア。…今度はどんな厄介ごとを持ってきたんだ」
「役所の連中が、リリーに手形を発行してくれないのよ。どうにかして」
「手形の発行をしない?…リリーシア。身分証を見せてみろ」
「はい」
身分証を出して、シャルロさんに見せる。
「ホログラムに不備はないな…。上級市民?」
「あの、ラングリオンで、イリス家という貴族を確認してないからだめって言われたんです」
「確認に時間がかかるって言われたのよ。一か月も!」
「あぁ、そういうことか…。イリス家なんてないだろう、リリーシア」
「…はい」
エルから聞いてるのかな。私が女王の娘だって。
カミーユさんも私のこと全部知っていたみたいだし。シャルロさんも知っているはずだよね。
「どういうこと?」
「聞き流せ。だが、確認すれば存在を証明するだろう」
「…たぶん」
私が犯罪者になるのはまずいだろうから、魔法使いたちはイリス家が存在すると回答するだろう。
「そうだな。一月も待つわけにはいかないからな…」
シャルロさんが私の身分証を見ながら、口元に手を当てる。
「エルが帰ってきちゃうじゃない」
「砂漠に行く方法か。あるにはあるが…」
「あるの?」
「その為には…」
ノックの音が二回して、カーリーさんが入ってくる。
「コーヒーをお持ちしました」
カーリーさんが、テーブルにコーヒーとお菓子を並べる。
「本日はダナウトバブレンドです」
「カーリー、ちょっとそこでリリーシアの相手をしていてくれ。マリー、耳を貸せ」
「なに?」
「リリーシア様、こちらへ」
カーリーさんが、コーヒーをシャルロさんとマリーに渡し、私をソファーに座らせる。
「これ、何ていうお菓子ですか?」
「マカロンですよ」
綺麗なお菓子。
一つを手に取って、眺める。
「綺麗な艶。お菓子じゃないみたい」
「今、ラングリオンで人気のお菓子なんですよ。どうぞ、召し上がってください」
一口かじってみる。
甘い。アーモンドの香り?何でできているんだろう。不思議…。
中に入ってるクリームは柑橘系のさっぱりした…。オランジュかな。
「美味しい。すごく美味しいです」
「喜んでいただけて光栄ですわ」
「どうやって作るかわかる?」
「作り方ですか?王立図書館で調べて参りましょうか」
「えっと…。あの、自分で調べます。王立図書館にレシピの本がある?」
「最近のお菓子ですからね。メレンゲのお菓子であるということしか私は知りません」
「あぁ、この艶ってメレンゲの艶なんだね。…うん。ありがとう」
「レシピの想像がつきますか?」
「うーん。メレンゲを焼いてみないとわからないかな。どうやったらこんなに綺麗に作れるか、想像がつかない。でも、生地自体は、そんなに変わったものを使ってないよね」
中に入れるクリームは、チョコレートでも良さそう。
あ。でも。
「エルは、あんまり好きじゃなさそう…」
「そうですね。あの方は甘いものは苦手でしょうから」
「コーヒーを混ぜれば食べてくれるかな」
コーヒーを一口飲む。
美味しい。
コーヒーにも合う。
「リリー、話がまとまったわ」
「え?」
「私もちょっとやることがあるから、情報集めはカーリーにお願いするわね」
「あぁ。カーリー、リリーシアと一緒に、その辺回って来い。ルイスとキャロル以外にも証人が必要だろう」
「かしこまりました」
カーリーさんがシャルロさんの傍に行って、書類を受け取る。
「多少、誇張表現があってもよろしいでしょうか」
「あぁ、構わない」
「研究所の皆に頼めば良いわ。エルの為だし、きっと協力するわよ。ガラハドたちも良いんじゃない?」
「そうだな」
「あの…。何をするの?」
「リリー、手形以外にも、砂漠に行く方法はあるのよ」
「え?」
えっと…。
砂漠に行くには、ラングリオンの手形か市民証が必要…。
「市民証?」
「えぇ。市民証を手に入れるのよ」
「市民証を?」
ラングリオンで市民権を得る方法って…。養成所に通う以外にあるのかな。
「最初に言っただろう。エルを訴えたいなら、いつでも相談に乗るって」
「訴える?」
「リリーシア様、こちらをどうぞ」
カーリーさんが持っていた書類を私に見せる。
訴状
私、リリーシア・イリスは、エルロック・クラニスに対し、婚姻の成立を要求します。
以下に、婚約関係にあることを証明する証言をまとめます。
「え、っと…」
待って。
「こんなのだめだよ」
婚姻って。
「砂漠に行きたいんでしょう?イリス家を捨ててエルと結婚すれば、市民証が得られるわ」
「あの、こんなことできるの?私、外国人だし…」
「その辺は心配するな。外国人が訴訟を起こすには、裁判所の管轄する地域に半年以上の居住履歴が必要だが、マリーが取り計らってくれる」
「えぇ。去年、半年間、うちに作法見習いに来ていたことにするわ。今から帰って、メイド長に相談して、書類を集めさせるから待っててね」
「マリー!」
マリーはそのまま応接室を出て行ってしまう。
「あの、私、十八歳ですけど…」
ラングリオンの成人って十九歳だよね?
「オービュミル条約で保障されている」
オービュミル条約。
各国固有の制度を尊重するための条約。
それには、成人の年齢も含まれるんだっけ…。
「シャルロさん、私、」
「どうせ、エルが帰って来る前に、帰って来るんだろう?エルが居ない間に訴状を取り下げれば良い話しだ」
そう、なのかな…。
「時間がない。早く証拠書類を集めて来い。遅くなれば遅くなるほど、砂漠を旅する暇がなくなってしまうぞ」
「…はい」
「では、リリーシア様。参りましょう」
良いのかな、本当に。
エルが居ない間にこんなことして。
カーリーさんと、魔法研究所へ。
魔法研究所はシャルロさんの事務所からそう離れていない場所にある。お城のすぐ近くだ。
「わぁ…」
精霊がたくさん居る。
『あれ…。君って、見える子だよね』
『リリーシア』
『昨日は一体どこに居たの』
『僕らでも全然見つけられなかった』
「ごめんなさい…」
あぁ。謝ることしかできないなんて。
『ルシアンを呼んで来よう』
『もう呼びに行ってるんじゃないの』
『ほら、来た』
「まさか、昨日の今日で来てくれるなんてな」
「ルシアンさん」
「マリーは一緒じゃないのか」
「えっと…」
「本日は、リリーシア様に協力していただきたくて参りました」
「協力?…確か、シャルロんとこの…」
「カーリーと申します。只今、リリーシア様と、エルロック様を起訴する為の書類を集めております。ご協力いただけますか?」
「えっ」
「起訴?…なんだよ。面白いことやってんな」
ルシアンさんが、カーリーさんの書類に目を通す。
「ふぅん。…おい、みんな、ちょっとこっちに来いよ!」
「あ、あの…」
起訴なんて。
あぁ、でもそういうことだよね。
「やるねぇ、君。こいつは面白い」
「エルについて行かなかったのって、この為?」
「えっと…」
「証人になれば良いの?」
「はい。一言二言、添えていただければ、更に効果がありますね」
「書いてあげるわ」
「ねぇねぇ。ちょっとねつ造しましょうよ」
「良いかも」
「積年の恨みを晴らしてやるわ」
恨み?
「書類として成立できる程度にしておけよ」
「まかせて」
「ちょっと待ってな」
大丈夫、かなぁ…。
なんだか、大事になってない?
これ、エルに内緒でやってるつもりなんだけど、エルが帰ってきたらばれちゃいそう…。
『ねぇねぇ。君、エルの恋人なんでしょ』
「うん」
『西から来たって本当?』
「グラシアルから来たの」
『いつも連れてる子は居ないの?』
「今は、エルと一緒に行ってる」
『えー。会いたかったのに』
『氷の精霊なんて見たことなかったのにねー』
『雪の精霊も君の?』
「えっと…。違う、かな?」
ナターシャのことだよね。
違うって言った時点で、エルが連れてるってばれてしまいそうだけど。
『雷を知らないって本当?』
カミーユさんの精霊に聞いたのかな。
「うん。見たことないの」
『変わった子だねー』
『おい、見せてやれよ』
『ちょっと許可取って来るから待ってて』
雷の精霊が去って行く。そして。
ものすごい光と、轟音。
「!」
落ちた場所が焼け焦げる。
この魔法、すごく強力そう。
『これが、雷』
『本物はもっと迫力あるけどねー』
『本気でやったら、研究所が吹き飛んじゃうわ』
「えっ。これよりすごいの?」
想像つかない。
『その内見られるんじゃない?立夏が過ぎれば、雨季があるし』
「雨季?」
『長雨があるんだよ。それが過ぎれば、夏の本番』
『砂漠から乾いた風が吹いて来て気持ち良い季節さ』
『あたしは春が好きだけど』
「そうだね。季節を感じられるって素敵なことだと思う」
城の中は何もなかったから。
いつも温暖な気候で、雨もほとんど降らなくて。咲いている花は常に春の花。
でも、桜はなかったな。
「お待たせいたしました」
書類、できたのかな。
「またね」
『うん。またおいでー』
『楽しみにしてるわ』
『今度はもっといろんな魔法を見せてあげるよ』
「ありがとう」
続けて、大きな通りを挟んで隣にある錬金術研究所へ。
魔法研究所と違って、薬品の匂いが充満してる。
エルの研究室みたい。
「ようこそ。お約束ですか?」
「いいえ。…あの、ジャンルードさん、居ますか?」
「少々お待ちください」
そう言って受付の人が立ち上がったところで、爆発音が響いて、扉の一つから精霊と人が飛び出してくる。
「カミーユの奴、なんてレシピを置いてくんだ」
「違うよ、あれはエルの字だ」
「あぁ、もう。三人がかりで失敗するなんて…?あら、あなた、昨日の子じゃない」
「…こんにちは?」
私のこと、探してくれた人なのかな。
爆発音を聞いて、他の部屋からも人が集まってくる。
「おい、消炎剤をぶち込んでおけ!」
「水の玉ならすぐ出せるわ」
女の人が、見覚えのある玉をたくさん、爆発音のした部屋に放り投げる。
あれ、魔法を込めた玉だよね。
エルから、光の魔法を込めた玉と、煙幕の魔法を込めた玉をもらっていたっけ。
ほかにも色んな種類の魔法を込めたのがあるのかな。
「リリーシアさん」
「あ、ジャンルードさん」
「まさか、こんなに早く会えるとは。歓迎いたしますよ」
「あの…」
「本日は、エルロック様を起訴する為の書類の作成にご協力頂きたくて参りました」
「あいつ、今度は何したのよ」
「俺が今、起訴してやりたいよ」
「火力が強すぎたか?でも、あれを火にかけるのは定石だし…」
「副素材の混入量が足りなかったんじゃないか?」
「数字にうるさいあいつが、量を間違えて記録するわけないじゃない」
「じゃあなんで爆発したんだ」
「ちゃんと混ざってなかったのか…?」
「あんなの、どうやって混ぜるって言うのよ!」
「…お前ら、何やってるんだ?」
「これよこれ」
「あぁ、カミーユが失敗したってレシピか」
「どうせ今の研究はカミーユが居なきゃ進まないんだもの。暇つぶしよ」
「暇つぶしで研究室一つ吹っ飛ばしたって言うのか」
「あの…」
「あぁ、すみませんね。で?」
「はい。こちらの証言にご協力ください」
カーリーさん、こういうの慣れてるのかな。
「へぇ。もちろん、私たちも協力しましょう。おい、暇人共。面白い暇つぶしがあるぞ」
「面白い?」
「エルを陥れるんだよ」
陥れる?
「楽しそうだな」
「協力するわよ」
研究所の人が集まって何かやってる…。
私、もしかして、すごくまずいことやってる?
魔法研究所の人も、錬金術研究所の人も。
なんだか怖いことしか言ってないような気がするんだけど…。
「大丈夫ですよ、リリーシアさん」
「え?」
「お祭りごとですから」
「お祭り…?」
次は、守備隊の三番隊宿舎へ。
「リリーシア。よく来たな。今日も訓練か?」
「いえ、その…」
「ガラハド様。こちらの書類に署名をお願いいただけませんか?」
「署名だぁ?慈善活動でも始めたのかい」
「いいえ」
カーリーさんが書類をガラハドさんに見せる。
と、ガラハドさんが大声で笑う。
「エルの奴に一杯食わせようって言うのか?いいぜ。協力してやる」
「隊長、帰還しましたー」
「何やってるんっすか?」
「おぉ、丁度良いところに帰って来たな。お前らも何か書いてやれ」
「え?」
「いやぁ、嬢ちゃんと居ると飽きないねぇ」
「あの、私、エルを訴える気なんてないんですけど…」
「心配するなって。祝い事だ祝い事」
あぁ、本当に。
本当にエルからプロポーズされて結婚するなら嬉しいのだけど。
そんなこと全然ないのに。
本当に良いのかな…。
最後は、エルの家。
「おかえり、リリーシア。…と、カーリー?」
「ただいま、ルイス」
「こんにちは、ルイス様。お時間ありますか?」
「僕に用事?長くなるなら店を閉めるけど」
「そうですね。長くなるかもしれません」
「わかったよ。お昼食べて行って。リリーシア、店を閉めてくれる?」
「うん」
店の扉を開けて、看板を準備中にひっくり返し、店の鍵を閉める。
「キャロル、リリーシアとカーリーの分も作って」
「わかったわ!リリー、おかえりー!」
台所の方からだろう。ルイスが開いた奥の扉から、キャロルの声が聞こえる。
「ただいま!キャロル!」
ルイスがカウンターの前に椅子を並べて、カーリーさんが椅子に座る。
「話って何?」
今まで集めてきた書類を、カーリーさんがルイスに渡す。
「何?これ。何の冗談?」
怒ってる。
「冗談ではありません」
「リリーシア、何考えてるの。結婚したいならエルを待てば良いじゃないか。僕もキャロルも反対なんてしないよ」
「あの…」
「リリーシア様。席を外していただけませんか。私が説明します」
「カーリーさん、」
「リリーシア。キャロルを手伝ってあげてくれる?」
「あの…」
「これ、シャルロの考えたことだよね。カーリーから話を聞くから良いよ」
「…うん、わかった」
店の奥に入って、台所へ。
怒るよね。エルが居ない間に勝手なことしてるって。
「キャロル、手伝うよ」
「リリー。それじゃあ、パスタを茹でてくれる?」
「うん、わかった」
「今日は、リガトーニのアマトリチャーナよ」
トマトのソースなのかな。
「どれぐらい茹でたら良いの?」
「時間計ってるから大丈夫よ」
キャロルが砂時計を見せる。
結構長く茹でるのかな。
「マリーは一緒じゃなかったの?」
「うん。…なんだか、変なことになっちゃって」
「変なこと?」
「手形を発行してもらえなかったの」
「え?じゃあ、砂漠に行けないの?」
「シャルロさんを訪ねて、方法を教えてもらったんだけど…」
「手形を発行してもらう方法?」
「えっと…。市民証を発行してもらう方法」
「市民証?」
「うん。結婚すれば、ラングリオンで市民権を得られるって」
「結婚?リリー、結婚するの?」
なんて説明すれば良いのかな…。
「砂漠に行きたいからって、誰かと結婚しちゃうの?」
え?誰かと?
「エルとだけど…」
「エルが居ないのに?」
「あの、私、エルを訴えることになっちゃったの」
「えぇ?」
「その…。無理やり、婚姻を…」
あぁ、本当に。
何やってるんだろう。
「やっぱり、やめよう」
「え?」
「エルが居ないのに、こんなことするなんて。だめだよね」
本当に。
どうしてこんなことになっちゃったのかな。
「えっと…。エルを訴えれば、リリーはエルが居なくてもエルと結婚できて、砂漠にも行ける?」
「シャルロさんの話しでは、そうみたい」
「んー。良くわからないけれど。シャルロが言うならそうなのね。うん。これでリリーは私のママになるのね」
「ママ?」
そういえば、ここに初めて来たときもそう言われたっけ。
「私、ママの顔覚えてないの」
「え?」
「だから、憧れてたのよ」
「そんな。私、キャロルより全然しっかりしてないよ」
「えー?そんなことないよ。一緒にお菓子作って楽しかったもの。リリーがエルと結婚したら、ママって呼ぼうかな」
「えっ?」
「冗談だよ。それなら、エルをパパって呼ばなくちゃいけないものね」
キャロルが笑う。
「キャロルは、反対しないの?私、勝手なことしてるんだよ?」
「エルだって反対しないわよ」
「そうかな…」
悪いことしてる気がするのだけど。
「私、エルの気持ち聞いてないのに。勝手に書類なんて出して良いのかな…」
いくら、後で書類を取り下げるからって。
ここまで大事になったら、絶対にエルにばれてしまう。
「二人は恋人なんでしょ?問題ないじゃない」
「だって、結婚って…」
「今と何が変わるの?」
結婚すれば、一緒に暮らすことに…。
あれ?もう、一緒に暮らしてる?
いや、でも。
全然違うはず。
だって、結婚って。夫婦になるってことだし。
夫婦?
エルと?
あぁ。どうしよう。
何も考えてなかった。
だって、それって。神様に愛を誓うってこと。
エル。
エルの気持ちも聞いてないのに。
結婚の約束なんてしてないのに。
こんなこと…。
「いけない!リリー、パスタが伸びちゃう!」
「え?…あ、」
慌てて鍋を火からおろして、パスタを上げる。
大丈夫かな…。
「うん。良い感じ。…ルイスとカーリー、呼んできてくれる?」
「わかった」
お店の扉を開くと、笑い声が聞こえてきた。
あれ…?
「あぁ、リリーシア。出来たの?」
「うん」
「さっきは怒ってごめんね。リリーシア、これ、読んだ?」
書類はずっとカーリーさんが持っていたから、何が書いてあるのかは読んでないけれど…。
「カーリー、台所に行こう」
「えぇ。ごちそうになりますね」
私に書類を渡して、ルイスとカーリーさんは行ってしまう。
朝からずっと集めていた証言。
あんまり良い話しは聞かなかったけれど、何が書いてあるのかな。
「あれ…」
これって。
※
午後。シャルロさんと一緒に、裁判所へ。
「シャルロ様」
「訴状を持ってきた」
「はい。承りました。…え?」
「ほら、こっちで書く書類を出してくれ」
「ええと…。はい、こちらですね」
シャルロさんが、裁判所の人が出した書類に何か書いて行く。
「リリーシア。サインを」
ペンをもらって、書類を見る。
「婚姻届…?」
名前以外の欄が全部埋まっている。
証人の欄にはシャルロさんの名前。
「あの、」
「早く書け」
「…はい」
リリーシア・イリスで良いのかな。
フェ・ブランシュまでは要らないよね。
「証言の精査の為に二日ほどお時間がかかります。それから、異議の申し立てを受け付ける期間が…」
「あいつは一月は帰らないんだ。無視して構わない」
「異議なし、で受け付けて良いんですか」
「えっ?」
「構わない。早く仮認定の書類を出せ」
「全く。不備や異議の申し立てがあったら僕の首が飛ぶんですからね。勘弁して下さいよ」
「俺の作成した書類に不備があるわけないだろう」
「はいはい」
「あの…。シャルロさん。本当に、取り下げること…」
「心配するな。俺が証人なんだ。どうとでもしてやる」
「シャルロ、」
「口を出すな」
「お前らって仲が良いんだか悪いんだかわからないな」
「親友の恋人の頼みなら、聞いて当然だろう」
「はいはい。…どうぞ。こちらが婚姻の仮認定の書類になります」
シャルロさんは受け取った書類に目を通す。
「リリーシア様。大事なことをお伝えし忘れていました」
「はい」
「婚姻届にエルロック様が署名された日が、正式な婚姻の日となります」
全然、考えてなかった。
エル、署名なんてしないよね?
エルより先に砂漠から帰って来れるよね?
「あの、その書類って、いつでも取り下げることできるんですよね?」
「そうですね。エルロック様次第じゃないですか。一応、確認しておきますけど。あなたは、ご結婚の意思があるから、こちらの書類を作成されたのですよね?」
「え?」
「違うんですか」
「あ、の…」
どうしよう。砂漠に行くために市民証が必要だからなんだけど…。
「訴状に虚偽があるとなれば、受け付けられませんよ」
どうしよう。
「私…」
エル、ごめんなさい。
私の勝手な都合に巻き込んで。
「結婚するなら、エルしか考えられないの」
ほかの人となんて考えられない。
「では、受理いたしますね」
だからシャルロさんも、王都に居る別の誰かと結婚させるわけじゃなく、エルと結婚できるように取り計らってくれたのだろう。
別の誰かの方が、証言を集める必要だってなかったし、マリーに居住履歴を作ってもらう必要だってなかったはずだ。
私がエルのことを好きで、エルが私のことを好きでいてくれるから。
「ご結婚、おめでとうございます」
「…ありがとうございます」
本当は結婚、しないんだけどな。
その足で、そのまま役所へ。
「あの、シャルロ様。砂漠の件でしたら、今朝お話した通りですよ。いくらあなたでも、法律は変えることはできないですからね」
「誰が法律を変えると言った。ほら、裁判所の認定書だ。とっとと市民証を寄越せ」
「市民証?」
今朝、私の話しを聞いてくれた人が、シャルロさんが渡した仮認定の書類に目を通している。
「少々お待ちください」
舌打ちが聞こえたような気がしたのは…。
気のせいだよね?
「仕事の遅い奴は嫌いなんだ。走れ」
役所の人が書類を持って走って行く。
「おい、シャルロ。うちの若いのをあんまり苛めないでくれよ」
「教育がなってないぞ。砂漠の渡航ぐらい許可しろ」
「そうは言ってもなぁ。うちは役所なんでね。お前みたいに、おいそれとブラックな書類を作るわけにはいかないんだよ」
「上級市民って肩書に目を瞑れば良いだけだ」
「なんせ、うちの若いのは優秀だからな」
「はい、ご用意できました」
早い…。
そんな簡単に作成できるの?
「やればできるじゃないか。…ほら、リリーシア」
シャルロさんが受け取った証書を受け取る。
ラングリオンのホログラム入りの正式な証書。
ラングリオンの市民証。
つまり、私の新しい身分証。
リリーシア・クラニス。
名前が、変わった…。
これ、本当に、後戻りできることなの?
「行くぞ」
「あ、はい…」
役所を出て、シャルロさんと歩く。
「ありがとうございました」
「何が?」
「色々、協力してくれて」
「良いんだよ。あいつの持ってくる厄介ごとよりは何倍もましだ」
「エルって…」
「あいつは馬鹿で、何にでも首突っ込みたがるんだ。今まで死んでないのがおかしいぐらいにな」
あぁ、わかるかも。
私に関わったせいで、散々な目にあってるはずなのに。
「エルって昔から、あんな感じなんですか?」
「人の話しを聞かないのと、自分勝手なのは昔からだ。あいつが言うことを聞いていたのはフラーダリーだけだったな」
そういえば、前に言ってたっけ。
頭を下げる人間なんていないって。
「養成所の人たちって、仲が良かったんですか?」
「六年も一緒に生活してれば、嫌でもお互いのことを理解してしまうだろう」
そっか。養成所は寮で、みんな一緒に生活してて、勉強してて…。
「エルって、外泊が多かった?」
「何故知っている?」
フラーダリーの手紙を読んだなんて、ちょっと言えない。
「あいつは闇の魔法が使えたからな。無断で寮を抜け出すのはしょっちゅうだった」
「闇の魔法って、自分の姿を隠したりできるの?」
「光の強い場所では隠れるのは難しいが、夜なら闇の精霊の力も強い。だから、エルが夜間に出歩いても誰も気づけなかった。あいつがどこで何してたのか、誰も知らない」
「知らない?でも…」
「知ってるのか?」
「エル、働いてたって」
「養成所の人間を雇用したら、雇用主が罰金刑だ」
そんな法律まであるの。
しかも、悪いのは雇用する側なんだ。
「どこだ」
「あの…」
言っても良いのかな。
「教えてくれ」
教えてくれ?
「えっと…。ベルベットっていうバーです」
「どこにある?」
エルの家がある職人通りと同じ通りの、ウエスト側。
「マンダリン通りだと思うんだけど…」
詳しい場所、わかるかな。
「そうだったな。わかるわけがないか」
「ごめんなさい。キアラさんって歌姫が居るってことぐらいしか…」
「その情報だけで十分だ。ありがとう」
ありがとう?
シャルロさんって、すごくエルのこと気にかけてる?
自分で友達じゃないって言ったり、親友って言ったり。
でも、エルのこと好きじゃなきゃ、こんなに私に協力なんてしてくれないよね。
「どうして、エルの働いていた場所を知りたいの?」
「高等部の頃に、行方不明になったことがある」
「行方不明?」
「立夏の長休みの後、養成所に来なかったんだ。あいつが授業をさぼるのは珍しくなかったが、俺にもカミーユにも何も言わなかったのはあれが初めてだ。十日ぐらい続いた長雨で。フラーダリーも居場所を知らなくて、ずっと探していた。雨が止んだ次の日には、授業に出ていたけどな。誰もどこに居たのか知らない」
それって。
「あの、エルって、どうして雨の日にお酒飲むのか知ってますか?」
「なんだ、それは?」
「一緒に旅をしてる時、雨の日にワインを四本も開けてたから。普段は飲まないのに」
他に飲んだのって、グラン・リューのお店でワインを勧められた時だけだ。
バンクスの街で見た顔が忘れられない。
雨を見ながら、ワインを飲んでいた時の。
ずっと遠くを見つめているような、無表情な顔。
「雨か。…何かあるんだろうな。あいつは本当に過去のことを話さないから」
エルの過去。
雨の日に何か特別な思いがあるのも、砂漠に行けばわかるのかな。
「ほら、着いたぞ」
「え?」
あ。エルの家。
もしかして、送ってくれたの?
「あの、ありがとうございます」
「また迷子になられても困るからな。旅先ではマリーと離れるなよ」
「うん。サンドリヨンも居るし、大丈夫」
「そうだったな。気を付けて行け」
「はい。ありがとうございました」
※
「ただいま、ルイス」
「おかえり、リリーシア。市民証は用意できた?」
「うん」
「見せて」
市民証をルイスに見せる。
「これで、本当の家族だね」
「でも、私…」
「エルが先に帰ってきたら、僕が何とかするから。リリーシアはのんびり旅しておいでよ」
ルイスはいつも私に協力してくれるんだな。
「ありがとう」
「旅で使えそうなもの、準備しておいたから荷物に入れておいてね」
「うん」
市民証と、お金に、薬がいくつかと、塩?それから、水の魔法を込めた玉?
そっか。砂漠に行くなら使うよね。
光の玉と色が似てる。…間違えないように、光の玉はポケットに入れて持ち歩こうかな。
こっちは割れてもきっと大丈夫だけど、水の玉が割れるのってまずいよね。
「一応、聞いておくけど。エルみたいに、早朝に出ていくわけじゃないよね?」
エル、毎回、あんなに朝早くに出ていくんだ。
「大丈夫。明日の朝、マリーが迎えに来てくれるの」
「迎えに?だって、東大門から行くんだよね?」
「…迷子は許さないって言われたの」
ルイスが笑う。
「砂漠に行ったら、これを着て」
「これは?」
「断熱効果の高いマント。マリーとサンドリヨンの分も用意してあるよ。砂漠の必需品なんだって」
「ありがとう」
マントを羽織ってみる。
思ったより厚みがあるかも。
「鎧は着て行かないようにね」
「え?」
「砂の上を歩くのは体力が居るんだ。鎧なんて重たくて熱がこもりやすいものを着て歩けないよ」
「ええと…」
砂漠とは。
砂と岩石でできた、降雨が少なく乾燥した土地。植物が少なく、一日を通して寒暖差の激しい場所。
「うん。わかった」
「無理しないでね、リリーシア」
「マリーとサンドリヨンもいるから、大丈夫だよ」
「エルがリリーシアのことを心配してるって、忘れないで」
「あ…。エルに、手紙を書いておこうかな。もし、私が帰る前にエルが帰ってきたら、エルに渡してもらえる?」
「うん。わかった」
手紙。何を書こうかな。
砂漠に行っているのがばれちゃったら、私がやったこと、全部ばれちゃうよね。
どうか、エルより先に帰って来れますように。




