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マントを羽織り、フードを被ると、城の出口へ急ぐ。
『ちゃんと荷物持った?忘れ物ない?』
自分と契約している精霊の声が聞こえる。
「大丈夫だよ、イリス」
生まれた時から一緒に居るこの精霊は、とにかく心配性だ。
そもそも、これから三年間旅に出るというのに、持って行ける荷物なんて限られる。
できる限り、最小の荷物で。
そして、誰にも見つからないように気を付けながら、約束の場所を目指す。
「リリーシア様、こちらです」
女王の娘になってから、ずっと傍に居てくれた魔法使いが私の手を引く。
「ソニア、ありがとう」
転移の魔法陣が起動する。
この城を自由に移動するための手段。
城の中に存在する街、女王の娘の住む区画、魔法使いの住む区画、そして、女王の間に続く部屋。それらはすべて完全に断絶されていて、移動の手段は転移の魔法陣だけ。
魔法使いであるソニアの力で、魔法陣はすぐに起動した。
移動した先は、私が初めて行く場所。
「少々お待ちください」
ソニアは私を置いて、少し先まで走って周囲をうかがうと、走って戻ってくる。
「こちらへ」
案内に従って、ソニアと向かった先。
これが、城の外に出られる、唯一の転移の魔法陣。
ソニアと一緒に魔法陣に乗ると、ソニアが魔法陣を起動する。
そして。
「あぁ、ここが…」
空気が全然違う。鳥のさえずりも、風の流れも…。
これが、城の外。
ずっと、憧れ続けた場所。
私が三年間過ごす場所。
「お急ぎください」
「うん」
ソニアについて、急いでその場を離れる。
「教育係は、テオドールという者です」
「そこまで調べたの?」
「本名を名乗るとも限りません。どうか、お気をつけて。私がお供できるのはここまでです」
「ありがとう、ソニア」
今まで。私を支えてくれて。
「リリーシア様。どうか、ご帰還くださいね」
「さよならだ」
ソニアを抱きしめる。
「リリーシア様…」
「今までありがとう」
ソニアを離して、走る。まっすぐ走れば、城下町だ。
ごめんなさい。ソニア。
私は、帰るつもりはないんだ。
城下街。ここってどの辺かな。城の出口は、城下町の東の方って言っていたけど…。
『リリー。テオドールって知ってるの?』
「知らないよ」
『だよね…。教育係に、知ってる奴を選ぶわけないよねー』
教育係。
先に修行に出発した、二番目の女王の娘・アリシアの情報だと、修行に出発した直後、偶然を装って近づいてきて、しばらく旅をサポートしてくれるらしい。
そして、呪いによって手に入れた力の最初の受け手になるのだ。
「まずは、どうやって逃げるか、だよね」
どうしようかな。捕まらなければ良いだけなんだけど。
『えっ。ノープランなの?』
教育係に捕まれば、城に居るのと変わらない。
私はもう自由なんだ。
呪いの力を使う気だってない。
だって。呪いの力を行使する方法は、相手とキスすること。
好きでもない人となんて絶対嫌だ。
最初にキスする人は、私が好きになった人が良い。
「確か、アリシアは、暴漢に襲われて、剣を抜いて戦ってたら、魔法使いが助けてくれたんだよね」
『そうそう。それで意気投合して旅に出発、さ』
半月ほどでアリシアは旅に慣れて、相手は城の人間であることをばらし、呪いの受け手になったと言っていた。
『騒ぎを起こせば、すぐに見つかっちゃうよ』
だから、アリシアの手紙には、王都では戦うな、助ける口実を与えるな、と書いてあった。
「大丈夫だよ。メルが私のふりをしていてくれるから、まだ城を出たって気づかれてないと思う」
『本当、リリーのやってることって、スレスレなことばっかりだからね。女王の命令に逆らったらやばいってわかるだろ』
「逆らってないよ。だって、今日は出発の日で外に出るのは問題ないし、出発の挨拶は義務じゃない。メルに私のふりをしてもらってるのだって、遊びの延長だ」
ただ、メルの髪型を変えただけ。
私と同じように、高いところで二つに結んだツインテールに。
『朝ご飯だって食べずに出て来たじゃないか。メルとの最後の食事だったのに』
それは、メルもわかってたんじゃないかな。だから昨日の内に誕生日おめでとうって言ってくれたんだ。
『で?どうするの。早く王都を出ないと、すぐに追いつかれるよ』
「それはわかってるけど。出口ってどこかな?」
『出口って、王都の門のこと?』
「そう…」
どんっ、と、肩がぶつかる。
「あっ」
『あ』
この、絵にかいたような展開は。
「おう、嬢ちゃん。俺にぶつかるたぁ、良い度胸してるじゃねーか」
反射的に、自分が背負う剣に手をかける。
『リリー。戦っちゃだめだ。逃げるよ』
イリスの声に、剣から手を離して走り出す。
「待て!」
逃げなきゃ。
…追いかけてくる。
「どっちに逃げれば良い?」
『ええと、とりあえず、人の多いところを通って行ったら?』
「うん」
どうしよう。ここ、どこ?
「ごめんなさい」
さっきから、人にぶつかってばかりで、上手く前に進めている気がしない。
追いかけてくる気配を引き離してる感じもない。
誰かに助けを求める?
でもそれが、城の人間だったら?
『リリー、追いつかれちゃうよ』
魔法使い特有の光。
あちこちに見える光は、どれも城の人間と同じに見えて。
どうしよう。
頼れそうな人を探せない。
…あれ?
何?あの、強い光。
初めて見る。
赤い…。
『あ』
ぶつかる、と思った時には、ぶつかっていた。
「いってぇ」
赤い光。なんてすごい魔力。
城にもたくさん魔法使いはいたけれど、こんな輝き、見たことがない。
「助けて」
私の声に、金髪の魔法使いが振り返って。
濃い紅の瞳と目が合う。
あ…。
その瞳に、吸い込まれる。
どうしよう…?
「…ったく」
何かが地面にぶつかって割れる音がしたかと思うと、辺りに煙が立ち込めた。
「来い」
驚いている間もなく、左手を引かれる。
そして、一緒に走る。
…助けてくれたんだ。
「ありがとう」
こんなに人がいっぱいいるのに、誰にもぶつからずに走れるなんてすごい。
さっきよりも数倍早く、移動してる。
「この辺まで来れば大丈夫だろ」
ここは、さっきの場所とどれぐらい離れているんだろう。
賑わい方が似てるから分からない。
「じゃあ、気を付けてな」
去ろうとする、彼の腕をつかむ。
「待って」
この人に、頼んでみる?
「なんだよ。礼ならいらないぜ」
「違う。…その、助けてほしい」
「助けてやっただろ?」
「私を、守ってほしい」
「守ってほしい、って…」
彼が私を見る。
なんて、強い魔力なんだろう。こんな赤い力。見たことがない。
それに、見たこともない濃い紅色の瞳。
吸い込まれそう。
あれ?どきどきする…?
「そういうことは、冒険者ギルドにでも依頼しな」
『ギルドはまずいよ』
わかってる。絶対に城の人間を紹介されるってことぐらい。
待って。行かないで。
見失わなうように、追いかける。
「あなたじゃないと、だめなんだ」
『え?ちょっと、リリー?』
「私の名前はリリーシア。リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ」
『馬鹿!』
「貴族なら、よけいに信頼できる筋を頼んだ方がいい」
良かった。私の名前を聞いても、全然驚かない。
「この国の人間じゃないんだね?」
「俺は旅人だ」
「なら、尚更だ。助けて。明日までには、この街を出たい」
『リリー、何言ってるんだ!一度助けてもらったからって!』
だって。もう一度、その瞳をちゃんと見て、知りたい。
『エル、尾けられているわ』
「え?」
イリスみたいに、少しぼやけて聞こえる声。
周囲を見回しても、声の主らしき精霊の姿はない。
「さっきの連中か…」
「今の声、誰?」
どこに居るの?
空の上に居る精霊の声じゃないよね。あんなに高いところに居る精霊の声が聞こえると思えない。
「気が変わった。こっちに来い」
「え?」
また、左手を引かれる。
今度は歩いて。
相変わらず、人にぶつからずに歩けるんだな。
何に、尾けられているんだろう。
さっきの連中って、私を追いかけてきた人たち?
執拗に私を追ってるってことは、やっぱり城の関係者だったのかな。
『リリー、気を付けて』
人通りが少ないところに出る。
「うん」
敵意を持った人の気配。周囲を見回すと、五人ぐらいの人間が居る。
これぐらいなら戦える。けど、戦ったら…。
「女一人捕まえるのに、男五人か?」
私の手を掴んだまま、彼が言う。
「大人しく渡しな」
「面倒だから、手加減しないぜ」
私と彼の周囲を、炎が囲む。
見たことのない、赤い揺らめきの魔法。
「魔法使いか!」
「くそ、動けないぞ」
彼が集めた炎を放つと、男たちは火だるまになって燃える。
炎の魔法使い?
っていうか、こんなに燃やされたら、死んじゃうんじゃ…。
「なにも、殺さなくても…」
「これぐらいじゃ死なないだろ」
死なないの?
「だって、燃えてる」
「魔法、初めて見るのか?」
「こういうのは」
彼が、困ったような顔をする。
魔法は見たことがある。けれど、炎の魔法を見るのは初めてだ。
この国には炎の精霊は居ないって聞いたから。
これぐらいじゃ死なないって言われても、どれぐらいのダメージなのかわからない。
「エイダ、これで全部か?」
『まだ居るようですけど。こっちには来ませんね』
エイダ。
さっき聞こえた声の主。
彼が契約している精霊に違いない。
「おい!隠れてるのはわかってるんだぞ!出てこい!」
周囲を探る。
どこだろう。どこに居る?
魔法使いの光が多すぎて、難しい。どれも似たような光で。
そいつが、アリシアが言っていた城の人間。ソニアが調べてくれた情報では、テオドールに違いない。
『去ったようですね』
「メラニー、追尾してくれ」
『了解』
「わっ」
彼から出てきた黒い影を、反射的に避ける。
『リリー、どうせ触れないんだから驚かないでよ』
そうだった。
今の精霊、透けてるから、顕現していない。
「とりあえず、こっちに来い」
また、手を引かれる。
この人、私と手を繋ぐのに抵抗ないのかな。
嫌ではないんだけど…。
男の人と女の人が手を繋ぐのって、それなりの関係じゃないと、しないんじゃなかったっけ?それとも、私が持ってる知識は城の外では役に立たない?
最新の本を取り寄せて読んでいたのにな。
「お前、精霊が見えるのか?」
「え?」
何を言っているんだろう。
これだけの魔力を持っておきながら。
「精霊なら、いっぱいいるじゃないか」
上を見上げると、氷の精霊と光の精霊が踊っているのが見える。
「さっきは、あなたの体の中から出てきたからびっくりしただけで…」
「お前、いったい何者だ?」
あぁ。そういえば。この国の人じゃないから、名前を言っても気づかないのか。
「私は女王の娘だ。現グラシアル女王の名はブランシュだよ。気づかなかったの?」
ブランシュ。
私と血の繋がっていない女王。
絶対に逆らえない相手。
『もう。何でもかんでもしゃべっちゃうんだから』
気が付くと、賑やかな通りに戻ってきていた。
「いい匂い」
『おー。食べ物の市場なんて、城にはなかったね』
「そういえば、朝から何も食べていないんだ」
あぁ。おなかすいたかも…。
こんなに色んなものが売っているなんて。
「ねぇ、普段どんなものを食べているの」
「お姫様なら、城に帰った方が良いんじゃないか?」
え?今、なんて?
「お、姫様?」
私を見て、お姫様なんて。
鎧にガントレット装備で、大剣を持っているのに。
全然、物語に登場するようなお姫様なんかじゃないのに。
「この国は他の国とは少し違った構造をしてるんだ。お姫様なんて、言われたことがない」
素敵なドレスを着て、いつか出会う王子様を夢見ながらお城で暮らす、お姫様。
それは、私も憧れる存在。
私は、お姫様とはほど遠いところに居る。
「それに、城の外に出るのは今日が初めてで、これから三年間帰れない」
今の私では、城に入ることができない。三年以内に必ず帰還しなければならないのに。
あの城には物理的な出入り口は全くない。移動方法はすべて転移の魔法陣。
許可を受けた魔法使いしか出入りができないんだから、私には絶対に入れないのだ。
私が城に入るためには、私に与えられた試練の扉を魔法で破壊するしかないのだけど…。
「あ。あれは何?…旅をするなら体力のつくものを食べた方が良いのかな。そういえば、魔法使いって変わったものを食べるんだっけ?今日は何を食べる予定だったの?」
「俺はだいたいファストフードで済ませるけど…」
「ファストフード?」
聞いたことのない食べ物。
「じゃあ、それにしよう。どれ?」
「いらっしゃい、可愛いお嬢さん。リコリスはいかが?」
「シナモンロールがありますよー」
「栄養満点!ミートボールのスープはこちらですよ」
あぁ、どれも美味しそう。
ファストフードってどれかな…。
おなか、すいた。
「そこのツインテールのお嬢さん。サンドイッチはどうだい?」
「サンドイッチ?」
「ハムと卵のサンドイッチ。サービスするよ」
ハムとゆで卵が、薄切りのパンに挟まっている。
「おいしそう」
「一つ三十ルーク…、いや、二十五ルークでどうだい?」
「ルーク?」
ルークって、もしかして、お金の単位?
『あらら。城と違うんだね』
「旅人かい?」
「えっと」
これから旅をする予定ではあるんだけど。
お金…。
「これで、買えますか?」
持っていた金貨を出すと、相手は困ったような顔をする。
「えっ?金貨?もっと細かい奴ないの?」
「うーん。持ってこなかったんだ」
『えっ』
荷物を、できる限り減らしたかったから。
「って言われても、お嬢さん。うちで金貨出されてもねぇ。それ本物?」
これ、使えない?
「それ、いくらだ」
あ。
「二十五ルークだぜ」
「じゃあ二つ」
「あいよ」
「ほら、いくぞ」
「あ…」
私の腕にサンドイッチを押し付け、彼が私の腕を引く。
また、助けられた。
「あの、」
「あのなぁ、こんな露店で金貨を見せびらかす馬鹿がどこに居るんだよ」
「これって、お金じゃないの?」
使えると思ってた。
「いや、もういい。それは出すな」
これが使えないと、困るな。
「ねぇ、ファストフードってどれのこと?」
「それだよそれ」
「これ?これはハムと卵のサンドイッチって。…あ、」
あれは、イチゴのタルトだ。
「いらっしゃいませー。今が旬!イチゴのタルトはいかがですか?」
「ねぇ、見て、可愛い!」
細工のされたイチゴが乗ったタルト。
「どうぞー」
近くで見ると、もっと可愛い。
作れるかな。
不器用だから、こんな風に可愛く作れるかはわからない。
「あーもう」
「ありがとうございました」
店員が彼に向かって言う。
また、買ってくれた?
「ありがとう」
…あ。初めて笑った。
「あっちの広場で食おうぜ」
「うん」
大事に、持って行こう。
『リリー、もしかしなくても、金貨しか持ってこなかったの?』
「うん」
『リリーが天然だってこと、忘れてたよ』
天然?
『どこかで金貨を崩さないとね。っていうか、リリー。餌付けされないでよ?騙されてるかもしれないんだから』
「そうかな」
『だって、こんなに親切な人間が居るわけないだろ』
「え?」
『本当、甘いものに目がないんだから』
「ごめん」
じゃあ、この人は城の人間かもしれないってこと?
『エル、知っています?』
精霊、エイダの声。
エルって、名前?
「何を?」
精霊が呼ぶ名前なんだから、テオドールではなさそうだよね。
『フェ、って私たちの言葉で、四番目って意味ですよ』
フェ?私の名前の?
「そうなんだ」
『あら、知らなかったんですか?』
「私は、そういうのは学ばなかったから」
きっと、アリシアなら知っているんだろうな。
『それと、私の言葉が聞こえるって、特殊なことですよ』
「え?」
『私は、炎の精霊エイダ。エルと契約した精霊だから、姿を現していない状態では、エルとしか会話できないのよ』
姿を現していない。つまり、顕現していない状態では、会話できない?
「そうなの?」
「そうだよ」
『そうだよ!』
エルの声と、イリスの声が重なる。
『エル、失敗した』
「わっ」
また、さっきの黒い影だ。私を追っている城の人間を、追いかけて行った…。
「失敗した?」
『途中で魔法を使われて、撒かれた』
魔法使い。
間違いない。私を追ってる相手。
その魔法使いこそが、私が、逃げるべき相手だ。
「そうか」
『そこの娘。驚かせてすまなかった』
「大丈夫。条件反射というか…。その、今は触れられない状態っていうのはわかっているんだけど…」
人間の体からいきなり精霊が出てくるっていうのは驚く。
城の魔法使いは皆、精霊を外に出していたし。
城の外では、みんな体の中に入れてるのかな。
覚えておかないと。
『面白い子ね』
面白い?私のこと?
「広場に着いたぜ」
「あ」
ここが王都の広場?
広場から真っ直ぐ伸びた大通りの先には、大きな白銀の城が見える。
これが、外側から見たプレザーブ城。私が十八年間過ごした城の姿なんだ。
なんて大きくて、綺麗なお城なんだろう。物語にでも出てきそうなお城だ。
そうだ。オブジェの色は?
確か、お城を望む広場には、城の中にあるのと同じオブジェがあるはずだ。
オブジェの色は女王の心を映す。
私が城の人間から逃げ回っていること、怒ってなきゃ良いけど…。
「良かった」
「何が?」
オブジェは、今朝城の中で見たのと同じ色。
祝福の白。
「あれは、旅立ちの祝福の色なんだ」
つまり、女王の怒りには触れていない。
怒った色なんて見たことないけど。
「女王って、全く城から出てきたりしないのか?」
「出られないんだ」
「出られない?」
「女王となった瞬間から、女王はこの国の礎。その力を国のためにそそぐ。あの城は、そのための装置なんだ」
だから、女王は、女王の間から一歩たりとも出てこないし、資格のない者は入れない。
「食べて良い?」
エルにタルトを見せる。
絶対おいしいと思う。これ。
「いいよ」
でも、どうしようかな。
どうやったら半分にできるだろう。
「どうした?」
「半分に割ろうとすると、真ん中のイチゴが…。どうすればいい?」
私がそう言うと、エルは爆笑する。
「え?」
笑い事じゃないんだけど…。
でも、笑うと、本当に柔らかい表情をする人。
あぁ。その顔。好きかも。
「俺は要らないから、食えよ。ほら」
タルトの上に乗ったイチゴを、エルが私の口に入れる。
あ、あの、それは…。
好きな小説の一文を思い出す。
―彼が、私の口にイチゴを入れて、初めて名前を呼んでくれた。
反則だよ、こんなの。どうしよう、どうしよう。ドキドキする。
これって。
『リリー。大丈夫?』
手を繋いだし、助けてもらったし、こんなことまでされて。
だって、そういうのって。
こんな、いかにもな展開って!
あぁ、もう、わかっててやってるのかな、この人!
イチゴの味が、わからない。
「リリーシア?」
あぁ。とどめを刺された。
「あのっ」
顔を上げて、エルを見る。
「リリーでいいから」
顔、きっと赤い。
うつむいて、飾りの亡くなったタルトを食べる。
まだ、ドキドキしてる。
こんなの、初めて。
ドキドキして、苦しくて。
この人に、恋をしよう。
あれ?もう、恋してる?
あぁ、そうだ。そうとしか思えない。息もできないぐらい、ドキドキして。
体が熱くて。
落ちついて。
落ちつかなきゃ。
ばれちゃう。
落ちついて…。
深呼吸。
お願い。落ちついて、私。
「どこか、ゆっくり話をできるところに行こう。話したいことがあるんだ」
「話したいこと?」
「そう」
あぁ、顔を見ることもできない。
「私は、あなたに助けてほしい」
私の目的。
一つ目は、教育係から逃げること。
二つ目は…。
あなただけが叶えられること。
「だから、説明するよ。でも、あんまり人のいるところでは話したくないんだ。その、どこまでが一般の話なのか分からなくて」
「じゃあ、俺の宿に来いよ」
「わかった」
※
似たような店、似たような賑わい。
今、街のどの辺りに居るのかな。
城の中にある街も広かったけれど、ここも相当広い。確か、城の屋根に上ってみたときの感覚だと、三、四倍ぐらいだったっけ。
「ここだ」
エルに案内されて、宿に入る。
階段を上った奥の部屋が、エルの部屋らしい。
ベッドが二つに、ロッカー、テーブルと一対の椅子。
荷物がないから、誰かと一緒に泊まっているわけではなさそうだ。
「ここには長く居るの?」
「三日ぐらいかな。…座れよ」
ベッドの上に座る。本当に、何もない部屋。
「メラニー」
『了解』
追尾を依頼してた精霊を顕現させて、エルが何か指示をする。
「闇の精霊、だよね?」
「あぁ。博識だな」
「似たようなのを見たことがあるから」
「城の中で?」
「うん。結構色んなのが居たよ。でも、炎の精霊はいなかった」
だから、炎の魔法を見るのは初めてだ。
「今のは、顕現させてるんだよね?」
「あぁ」
「さっきは、顕現してなかったよね?」
違いはなんなんだろう?
「精霊自身が魔法を使うには顕現してないと無理だからな。精霊にやってもらった方が早い魔法と、俺が媒体になった方が楽な魔法があるんだよ。たとえば…、ほら」
エルが指先に炎を灯す。
「こういった単純な魔法は俺がやった方が早いし、今みたいに扉に監視やトラップを仕掛ける魔法は、ちょっと複雑だから、やってもらったほうが早い」
「そうなんだ」
話しを聞かれないように?私が追われているから?
気を使ってくれているのかな。
「魔法っていうのは、契約してる精霊とのつながりの強さにも依るけど」
そう言って、エルがもう一方のベッドに座る。
「あぁ、それは聞いたことがある。人間は精霊と契約するにあたり、必ず相互の理解を深め…」
魔法学の授業を思い出す。
「共存共栄のために律しなければならない。…って、教科書の丸暗記じゃないか」
エルが笑う。
本当に、良く笑う人なんだな。
「違うの?」
「リリー、魔法使えるんだよな?」
「使えないよ」
「え?」
「精霊とは契約しているけど、私は魔法を使えないよ」
「な、んで?」
そんなに、驚くことかな。
確かに私は、魔法使いの素質を持っている。
魔法を使うためには、精霊と共鳴し、対話し、契約しなければならない。つまり、精霊が見えて話せるならば、後は、精霊の力を借りて魔法を使えるようにお願いするだけなのだ。
契約とは、精霊の力を引き出せる代わりに、精霊が欲しがるもの、魔力を渡すこと。
「私が契約してるのは、生まれてすぐに契約した精霊だけだよ」
「え?」
「それ以外の精霊とは契約してない」
「使い方を知らないだけだろ?」
「使うために必要なものがないんだ」
「契約できてるなら、条件は揃ってるはずだ」
これは、言っても大丈夫なことなのかな。
「私には、魔力が無い」
正確には、魔法が使えるだけの魔力がない。
生きているのにギリギリな分しか。
「魔力が?魔力なんて全ての人間が持ってる」
「それは…、その…」
魔力。自然の命の力。
精霊の寿命でもあるその力は、精霊は自然から補給できないというのに、人間はいつでも自然から補給することができる。
それを利用して行われるのが精霊との契約。
だから、魔力がない人間なんていない、というのは正しい。
けど、私は。
「わかったよ。お前は精霊が見えて、声も聞こえる。でも、魔法は使えない。そういうことなんだろ?」
頷く。
「で?そろそろ本題に入ろうぜ。助けてほしいって話し」
「うん。…うまく、説明できるかわからないけど」
「じゃあ、質問に答えろ」
「わかった」
「俺が知りたいのは、何から助けるのか、どうして俺なのか。この二つだ」
説明、できるかな。それ。
「たぶん、私を追っているのは、城の人間」
「城の人間?なんで、城の人間がお前を?だって、女王はお前の旅立ちを祝福してるんだろ?」
「その…」
教育係の話しをすると、修行の目的とか、呪いの話しとかもしなくちゃいけないのかな…。
どう、説明しよう。
「そういう、人もいるんだ」
「王族のゴタゴタか?」
「そう、そんな感じ」
あぁ。きっと、嘘だってばれてる。
女王国に王族なんてない。
怒るかな。
「で、そいつらから逃げればいいわけか?」
怒らないの?気づいてない?
そんなことないよね。さっきだって、言いたくないことを強制的に言わせようとしなかった。
聞かないでいてくれるのだろう。
たぶん、エルが居てくれれば逃げ切れると思う。
教育係が私に声をかけるタイミングは、もうないはずだから。
だから、一つ目の目的は、ほとんど達成されていると言って良い。
王都を出るまで一緒に行動してくれれば、それで目的は達成される。
でも。もう一つは。
「実は、お願いがあって」
「お願い?」
「一緒に連れて行ってほしい」
『えっ』
「どこに?」
「あなたの行くところに」
『リリー、まさか、こいつのこと好きなの?』
うん。
私の二つ目の目的。
城の外に出たら、恋をしたい。
だって、こんな気持ちになったの初めて。
出会ったのは、偶然じゃないよ。
「俺がこれからどこに行くのか、知ってるのか?」
「知らないけど、あなたになら頼める」
「なんで俺なんだ?行きたい場所があるなら、仲間を探しているのなら、それこそ冒険者ギルドに行った方が良いだろ」
また、ギルド。
「それはできない。だって、ギルドに頼めば、城の人間が必ず来る」
「それと、見ず知らずの俺に頼むのと、どっちが安全かわからないのか?」
『自分で何言ってるのかわかってるのかな。見ず知らずで怪しいのはリリーの方なのにね』
確かに、そうかも。
『わかったよ、リリー。どうせリリーみたいな方向音痴が一人でどこかへ行くなんて無理なんだ。こいつは親切そうだし、どうにか説得しよう』
ありがとう、イリス。
『で?なんて説得するの?告白でもする?』
しないよ!
『しないだろうけど』
たまに、不安になる。
声に出さなきゃ、私の言葉はイリスに伝わらないはずなのに、心が読まれてるんじゃないかって。
でも、私がエルのこと好きなのは気付いてないみたいだった。
だったら、エルも気づいてないよね。
じゃあ、とりあえず出会ったところから説明すればいいかな。
出会ったのが偶然じゃないって。
「あなたは強い魔法使いだ。こんなに強い力、初めて見たんだ。だから…」
「え?」
エルが眉をひそめる。
私、何か変なこと、言った?
『あぁ、もう。何でも唐突すぎ!』
唐突?
『だからさぁ、リリー、君はほかの人間と違うんだよ?』
頭の上に、顕現したイリスが乗る。
「イリス」
イリスが顕現するなんて。珍しい。
「なんだ?氷の精霊か?」
『このボクが顕現してあげたんだから、感謝してくれよ、魔法使い』
「なんだよ、低級の精霊が」
低級?イリスが?
そう、なのかな。今は魔力が全然ない状態だからかもしれない。
『なんだと、かわいげのない小僧だな!氷漬けにしてやるぞ!』
「やるのか?」
「待って」
イリスのしっぽを掴む。
『うにゃー』
どうしてそんなに攻撃的なの。話しが違うよ、イリス。
うなだれるイリスを、腕に抱える。
『尻尾はやめてよぅ』
「ごめんごめん」
つい、鳴き声が可愛くてしっぽを掴んでしまう。
「話しの続きをしろ」
『それは、魔法使い!お前がボクたちに協力してくれたら教えてやるよ』
「話しの前提が間違ってるぞ。協力してほしかったら、情報を隠さずに出せ」
『嫌だね!女王の秘密を、そう簡単に言うもんか。協力することが前提だ!』
初めて会うのに、息がぴったり。
仲が良いな。
私よりも、イリスがエルを気に入ったんじゃないの?
「精霊の声が聞こえたり、姿が見えることだけじゃないのか?」
『そんなのは些細なことだよ』
「魔法が使えないこと?」
『お前みたいな田舎者に教えてやるもんか!』
「おい!」
田舎?
「田舎者?田舎って、のどかな場所?」
精霊って、そういう自然に溢れた場所の方がいっぱい居るから?
『リリー…』
イリスが呆れたようにため息をつく。
ちょっと、違ったのかな。
『コホンっ!』
わざとらしい咳払いをすると、イリスは腕から飛び立つ。
『いいかい。女王の娘の特徴ってのはね、一つ、魔法への耐性がとても高い!二つ、魔力が目に見える!三つ、子供が産めない!だよ!』
イリス。
それ、言っても良いのかな。
特に、三つ目は言わないで欲しかった。
っていうか、魔力を溜めることができないって項目が抜けてる。
私は生まれつき、魔力を溜められない。それは、女王の娘の素質を持っているから。
『って、あああ!聞いたな、魔法使い!』
あれ?なんか、眩暈が…。
「お前が勝手にしゃべったんだろ」
『気に食わないやつだ!決闘だ!』
「いい度胸してるじゃねーか」
エルが左手に杖を構える。
待って。イリス。イリスに魔法なんて使われたら、死んじゃう。
「イリス、疲れる…」
ここが、城の外だから?
イリスが顕現すると、たぶん魔力が奪われるんだ。
イリスにも、使える魔力なんてほとんどないから。
ベッドにうつぶせになる。
『えぇ?寝ちゃうの?寝るなら鎧を脱ぎなよ!』
あぁ、そうだった。
もう、着替えを手伝ってくれる人はいないんだ。
起き上がってベッドに腰掛けると、ブーツとガントレット、鎧を脱ぐ。
「お、おい」
「何?」
「話しは終わってないぞ」
「うん…?」
シャツを脱いで肌着になる。
うん、お日様の匂いがする、良い布団。
「いや、そうじゃなくって…」
『ねぇ、リリー。こいつの名前聞いてないよ』
「エルロックだ」
エルロック。
あぁ、ようやく、名前…。
※
目を開くと、薄暗い場所に居た。
ここ、どこだっけ…?
まっすぐ、視線の先で、本を読んでいる人が目に入る。
そうだ、寝てしまったんだ。
あれ?眼鏡かけてる?
睫毛、長いな。綺麗な横顔。
濃い紅の瞳。もう一度、ちゃんと見られるかな。
吸い込まれそうになった、あの感覚。ずっと見つめていたら、どうなるんだろう。
エルが、魔法でランプに火を灯す。
炎の魔法って便利。
あ。名前。ちゃんと聞いたのに。
ええと…。
「エル?」
「ん?」
「あの、えっと。名前…」
「あぁ、エルでいい。エルロック・クラニス」
エルロック・クラニス。
起き上がって、エルの正面に向き直る。
「眼鏡かけてたっけ?」
「本を読むときにはな」
そっか。うん。本を読む時だけ。
「腹減っただろ?夕飯食いに行くぞ」
「うん」
「…ちゃんと、着替えて来いよ?」
「あ、うん」
そうだった。
肌着のまま、寝てたんだ。
先に部屋を出るエルを見送る。
『リリー。はしたない』
「うん。気を付ける…」
肌着で寝てたんだ…。
しかも、男の人の目の前で脱いで。
『エルが良い人で良かったね。襲われても文句言えないよ?こんなの。言っておくけど、リリーが襲われたって、命の危険でもない限り、今のボクじゃ助けられないんだからね?』
「うん。わかってるよ」
『こんなんで、旅ができるの?』
「大丈夫だよ。なんとかなる」
『リリーは本当に暢気なんだから』
「だって、上手く教育係を巻けたよ」
『そうかなぁ』
「そうだよ。イリスは心配し過ぎ」
鎧は着なくても良いだろう。
身支度を整えて、部屋を出る。
階下に降りると、宿の女将さんが私に声をかけた。
「すまないけど、これをエルロックの卓に持ってってくれるかい?ラガーは一緒に居るポールのだからね」
「はい。わかりました」
ラガーって何かな?こんな匂いの飲み物、知らないな。
女将さんからトレイを受け取り、エルのところに行く。エルの前に座っているのが、ポールさんだろう。
あの人も魔法使い。
本当に、外って魔法使いが多い。
「エル、食事、置いても良い?」
エルが頷いたのを確認して、食事を並べる。
それから、ポールさんの前にラガーを。
すると、ポールさんは小さく口笛を鳴らしして、私の手を取る。
なんだろう?
「なんて可憐なお嬢さんなんだ。俺は情報屋のポール。今度、見晴らしのいいカフェにでも…、いてっ」
エルがポールさんの頭を叩いて、ポールさんが私の手を離す。
手を繋ぐのって、城の外では日常的なことなのかな。
…苦手だ。
「そいつは俺の連れだ」
「なんだよ、デートに誘うぐらい良いだろ?」
デート?
デートって、初対面の人とするの?
「だめだ」
「なんだい、ポール。また振られたのかい?」
「女将さん」
女将さんが私の食事を並べて、椅子を引いてくれる。
「さ、座りな」
「ありがとう。いただきます」
おいしそう。
城でも、こういうのは食べたことがある。
この魚は、近海で取れた巨大魚だろう。甘辛い味付け。
素朴な味で美味しい。
料理を食べていると、ポールさんが椅子を持って隣に来る。
「お嬢さん、お名前は?」
「え?私?」
「そうそう」
「私の名前は、リリーシア・イリス…」
言いかけたところで、口に何かが突っ込まれる。
「むぐっ」
甘辛く味付けられた魚。
「こんな得体の知れない奴に名乗らなくて良い」
そうだ。
外の人間に名前を言うのって、城に居る間は禁止されてた。
あれ?でも、修行の間は良いんだっけ?
エルにもう名乗っちゃったけど。私の身に何も起こってないってことは、大丈夫なのかな。
「得体の知れない、はないだろー?ちゃんと職業も言ったじゃないか」
情報屋。
きっと情報を集める人なんだろうけど。
この人は、魔法使いだ。城でも見慣れた光を持っているし。
「情報屋、って魔法使いの職業の一種?」
「…いや、俺は魔法なんて使えないから、情報屋なんてけちな商売やってるんだよ」
あれ?
光を持っていても、魔法が使えない?
でも、外の人は精霊を体の中に隠してるから、分からないな。
「ポール、こいつは俺の預かりものだ。変な情報吹き込むなよ」
「預かりもの?」
預かりもの、ってどういうことだろう。預かられてる?
『どうしたの、リリー』
「私は、預かりもの?」
『あんまり深く考えないほうが良いよ。あと、無暗に名乗らないこと。名前も、ブランシュまで言ったら、女王の娘だってばれちゃうからね。身分証にだって、リリーシア・イリスしか書いてなかっただろ?』
そういえば、身分証を発行してもらっていたんだっけ。
確認してない。
『リリー。確認してないね?』
イリスの溜息が頭に響く。
『忘れてきてないよね?身分証を忘れたら、どこにも行けないよ』
「それは、大丈夫」
持ってきたもののリストぐらい、頭に入っている。
ただ。城の中と外がこんなに違うなんて、予想外。
使っている通貨だって違うし、知らない食べ物もあるし、ポールさんが飲んでる、ラガーだって何か分からない。
「エル、」
「なんだ?」
「私もこれ、飲んで良い?」
ポールさんのラガーを指すと、エルは眉をひそめる。
「リリーシアさん。ここに来たならクアシスワインがおすすめだぜ。俺が奢ってやろうか?」
「やめとけ」
「なんだよ、エル。良いだろ?」
「ワインってことは、お酒?」
「あぁ」
じゃあ、ラガーもお酒?
お酒か。アリシアが旅に出るときに、一緒に飲んだっけ。
「ロマーノなら飲んだことがある」
「それって、ロマーノ・ガラ、とか?」
「いや、違ったな。名前は忘れたけど、きれいなピンク色だった」
何故か、ポールさんの顔が青ざめる。
言っちゃいけないことだった?
「エル。どこのお姫様だよ」
お姫様?…どういう、意味?
「だから手を出すなって言ってるだろ」
「へいへい」
ポールさんは肩をすくめる。
あぁ、意味の分からないことばかり。
常識が通用しない。
上手く会話さえできないなんて。
これからどうすればいいんだろう…。
「ポール、調べてほしいことがある」
「どうせすぐに出発だろ?明日までにできる仕事か?」
エルは、まだ忙しいのかな。
食事を下げて、女将さんのところへ持っていく。
「おや、ありがとう」
「美味しかったです」
「口に合って良かったわ。あなたは、エルロックの恋人なの?」
「え?」
恋人なんて。
どうしたら、そんな風に見えるのかな。
「ほら、留学するわけでもなく、あんな若い人が来るのって珍しいじゃない。何か、大切な用事があるのかと思ってね」
そういえば、エルは旅人だっけ。どこから来たのかな。
確か、グラシアルに魔法使いが多く訪れるのは、勉強が一番の理由のはず。
あぁ。だから、魔法使いばかり見かけるのか。
「エルとは、今日、初めて会ったんです」
「あら、そうなの?」
「はい」
「でも、今日はうちに泊まっていくんでしょ?」
あ。そうだ、すっかり忘れてた。
泊まって良いのかな。
「女将さん、こいつにツケといてくれよ」
ポールさんの声に振り返ると、エルが軽く手を挙げる。
「何か必要なものがあったら言って頂戴ね」
「…はい」
良いのかな。
「リリー、部屋に戻るぞ」
「話し、終わったの?」
「あぁ」
「…それじゃあ」
言って、女将さんに頭を下げる。
「はいはい。ゆっくりしていってね」
「はい」
※
あぁ。疲れた。
ベッドの上に倒れる。
この先、大丈夫かな。
「大丈夫か?」
「エル…」
「ん?」
「どうすればいいかわからない。城と外が、こんなに違うと思わなかった」
「そりゃ、違うだろうさ」
エルは、わかってない。
「城の中にも、ここと同じように、街があるんだ。広場があって、市場があって。売ってるものは多少違うけど…」
街として機能を果たすだけのものは、一通りそろっている。
七歳の時。今の女王が即位して、女王の娘に選定されるまでは、そこが私の生活の場だったから。
「街って、人の規模が違うだろ」
「人口がどれぐらいかわからないけど。広さは、この城下町の四分の一ぐらいかな。街では買い物もできたし、宿もあったよ。私の装備も、街の鍛冶屋でそろえたんだ」
鎧とガントレットにブーツ。それから、私の剣・リュヌリアンも。
「城の外と交流している人間もいる?」
「うん。魔法使いは城から出られるよ」
逆に、魔法使いしか、出られないのだけど。
「通貨は?」
「金貨、銀貨、銅貨と、蓮貨」
「共通通貨だ」
知っている。
だから、金貨は使えると思ってたのに。
「この国はルークって呼ばれる通貨を使ってるけど」
ルーク。お昼に聞いた通貨単位。
「うん。だから、金貨さえ持っていれば良いと思って、金貨だけ持ってきたんだ」
「間違ってないが、市場なんかでは金貨は使えない。額が大きすぎて取り扱えないんだよ。せめて、銅貨や蓮貨に崩さないと」
「そうなのか」
金貨が使えないわけじゃないらしい。
「良かった。城の中のことも、役に立つんだね」
街には、必要のないはずの宿泊施設まであったんだから。
女王の娘になってから、部屋に帰りそびれた時にたまに使っていたけれど。
女王の間、女王の娘の住む場所、魔法使いの住む場所、そして街は違う区画にあって、魔法使いに転移の魔法陣を使ってもらわないと行き来できない。
あれ?でも、城の中にあった宿と、ここは随分雰囲気が違う。
一階をレストランにしているところは同じだけど、部屋割りや雰囲気が違う。
「外の宿って、もっと治安が悪いイメージだった」
「治安が悪い場所もある。一番安価な部屋っていうのは、他人同士で使うことを前提にした大部屋だ。ベッドがないとこだってある。俺はたいてい個室を取ってるけど。…あとは宿の経営方針によるかな。ここは長期滞在者向けで、いわゆる雑魚寝部屋はない。シャワーを浴びてきたかったら行って来いよ」
「え?あるの?」
それは、旅をするなら、あきらめていたことだ。
「行ってくる」
タオル、借りられるかな。
『リリー。大事なこと忘れてない?』
「あ」
大事な話し。途中で寝ちゃったから、返事を聞いてない。
部屋から出る前に、振り返ってエルを見る。
「なんだよ?」
「エル、私と一緒に、旅をして欲しいんだけど、良い?」
説明、しなくちゃ。
「私、まだ一人でこの国を出る自信がない。でも、城の人間は嫌だ。だから、私のことを助けてくれる人を探してたんだ」
これが、一つ目の目的。
二つ目の目的は、どう説明したらいいかな。
城の外に出たら、したかったこと。
恋愛小説で読んだような、恋がしたくて。
でも、そんなこと考える前に、好きになってた。
でも。そんなこと言えない。
理由。…さっきの続き。
「さっきも言ったけど、私、あなたみたいにすごい魔力を持っている人を初めて見た」
出会ったのは偶然じゃないの。
「私は、魔法を使える人のことを良く知りたい」
あなたのことを、もっと知りたい。
「あなたじゃないと、だめなんだ」
なんだか、告白してるみたい。
好きなんて、絶対言えないのに。
「明日、ポールに教えてもらった街に行く予定だから、あとで見ておけよ」
エルが、地図をテーブルの上に置く。
それは旅を一緒にしてくれるってこと?
それとも、王都から出るまで一緒に居てくれるってこと?
「…うん、わかった」
どっちなのかな。
でも、これ以上、話していられない。
胸が、ドキドキしていて。
※
シャワーを浴びて部屋に戻ると、エルがもう寝ていた。
机の上には、地図と、明かりのついたランプ。
ランプ、つけておいてくれたんだ。
『この辺りの地図だね』
「うん」
『リリー、今どこに居るかわかってる?』
「それぐらい、わかるよ」
地図を見る。
王都、グラシアル。
「ここ」
『正解。…なんか、難しい場所に行こうとしてるね』
「難しい場所?」
『だって、目印になるようなものがほとんどないじゃん、この地図』
「この線にそって行けば良いんじゃないの?」
地図には、目的地に向かって線が書いてある。
王都から東の山の中へ。アユノトという村を通って、さらに東にある洞窟が示されている。
『そんな線が、実際にあると思ってるの?リリーは方向音痴なんだから、全く違うところに行って遭難するのが落ちだよ』
「遭難?」
『大丈夫ですよ、リリーシア』
「エイダ」
『エルがついているから、迷わずに行けます』
『お前、やっぱりエルと上位契約か』
「上位契約?」
『あなたもそうでしょう?イリス』
『リリー、習っただろ』
「ええと…」
精霊と契約する方法だよね。
「確か、精霊と契約するのは、平等な立場じゃできないってやつだよね。人間に対して、精霊は必ず下位契約を結ぶ。つまり、人間が上位の立場になる」
『その通りです』
『なんでだか覚えてる?』
「上位の立場の契約者は、下位の精霊を使役できる代わりに、下位の精霊を守らなければならない。精霊が上位になる契約を結ぶと、精霊が人間を守らなくてはならないから、通常、上位契約は結ばない」
『正解』
「ってことは、エイダは、エルを守護してるの?」
『はい』
「なんだか意外。そういう契約って、一般じゃないって習った気がする」
上位契約は特殊な契約。
下位契約と違って、精霊が力を貸す代わりに求めるものが、魔力だとは限らない。
『えぇ。特殊です。ないって思っていて構いませんよ』
「エイダがそうなのに?」
『私は、人間と下位契約をするには力が大きすぎるんです』
そう言って、エイダが姿を現す。
「綺麗」
人の姿をした精霊。
そんな精霊、城にだっていない。
相当力の強い精霊じゃないと、人間の姿になんてなれない。
「ね?」
「うん。わかるよ。人知を超えた存在と契約すると、悪魔になるって」
強すぎる力は、人間には毒になるらしい。
だから、上位契約を?そこまで、精霊が人間に執着することってあるのかな。
エイダは姿を隠す。きっと、エルの体に戻ったんだろう。
『リリーもそろそろ寝たら?』
「うん」
ランプの灯りを消して、ベッドに入る。
『おやすみ、リリー』
「おやすみ…、あ」
そうだ、城じゃないから、今日から…。
「イリス、顕現して?」
『嫌だよ』
「意地悪」
『顕現したら、リリーから力を奪っちゃうって、わかっただろ?…もう、一人で眠れるだろ。良い大人なんだから』
「そうだけど…」
あぁ。持ってくれば良かった。でも、絶対に持ち歩ける大きさじゃない。
枕を抱く。
違う。全然違う。
抱き心地が違う。
「……」
どうしよう。
眠れない。
だめなんだ。眠れないと、悪いことばかり考えちゃう。
良くない。
まだ、外に出て一日目。
修行も試練も放棄して、呪いの力を使うことなく、過ごすって。
自由に考えて、自由に生きるって。
そう決めて出てきた。
女王に逆らうって。
でも。
イーシャは、とうとう帰らなかった。
一番目の女王の娘、ディーリシア。
強くて優しかった、みんなのまとめ役。
私が出発する前に、修行の期間を終えて、帰ってくるはずだった。
待っても、待っても、帰ってこなかった。
どこか知らないところで、死んでいるに違いなかった。
女王が殺しているに違いなかった。
イーシャ。
女王の命令は絶対。
紅のローブの言葉も絶対。
三年後に帰らなかったら、私も、同じ道を。
怖い。
女王に逆らうって決めたのに。
呪いの力なんて使わないって。残りの時間を自由に生きるって。
本当に、三年間も生かしていてくれるのかな。
その考え自体が、女王に逆らっているのに。
この考えが気づかれた時点で、殺されるかもしれない。
息苦しくて。
体を起こす。
『大丈夫?』
「うん…」
あぁ、泣いてたんだ。
涙を拭う。
眠れない。
変な時間に寝たせいかな。
『リリー。不安なの?』
「不安じゃないよ。もう、決めたことだから」
決めたんだ。
私は帰らない。
迷わないで。
だって、好きな人が居るのに。
ベッドから出てエルの傍に行く。
無防備すぎるよ、エル。
私が、どんなに危険な力を持っているかも知らないのに。
エルの頬に触れる。
「ん…」
起こした?
離そうとする手を、掴まれる。
「あ…」
どうしよう。
「エル、一緒に居て良い?」
好きな人と三年間過ごせるなら。
たとえ死んでも後悔しない。
「いいよ」
手が離れる。
今、本当に言った?
頬をつっついても、反応はなかった。
寝言?
『リリー、エルを起こす気?』
「今、いいよって言った?」
『言ったみたいだけど…』
エルの布団に入って、エルを後ろから抱きしめる。
『リリー。本気?』
「うん」
あったかい。
落ちつく。
『リリー、何やってるんだよ…』
気持ち良い。
これなら、眠れるかも…。