23
目が覚める。
隣で寝てるエルの頬をつっついてみるけれど、起きる気配はない。
「イリス、おはよう」
『おはよう、リリー』
「怒ってる?」
『何を?』
この声。機嫌が悪いに違いない。
「怒ってないなら、いい」
『エルを振ったこと?』
「だって…」
『リリーは最低。エルが可哀想だ』
「私は…」
『エルの気持ち、考えてみろよ』
エルの気持ち?
エルは…。
どうして、私に好きだって言ったの。
どうして、幸せにしたいって言ったの。
エル…。
どうして、私と一緒に居たいの。
私は、エルの気持ちに応えられないのに。
どんな気持ちで、私を求めたの。
エルの目が開く。
濃い紅の瞳。
「おはよう、エル」
あぁ、優しい微笑み。
愛しい人。
「おはよう、リリー」
触れられるほど傍に居るのに。
私から触れることはできない。
「今日の予定は?」
「今日は…、マリーと出かけるんだ」
「マリーと?」
「休みを取ってくれるって」
「随分気に入られたんだな。わかった。夜にはパッセの店に来いよ。マリーが案内してくれる」
「うん。わかった」
「…先に、行ってる」
あれ?今日は、魔力の集中、しなくて良いの?
部屋を出ていくエルの姿を追う。と、ジオとユールがエルの中から出てきた。口に指を当ててる。
エルが部屋を出て行ったあと、ジオとユールが私の前に来た。
『リリー、オイラたちも連れてって』
「え?」
『マリーとのぉ、デ・エ・トにぃ』
「エルの傍に居なくて大丈夫?」
精霊って、あんまり契約者と離れちゃいけないんじゃなかったっけ?
『大丈夫だよ。何かあったら、みんなが教えてくれるからねー』
『あたしたち、仲良しなのよぉ』
『…エイダだって居ないんだろ?』
『エイダはぁ、王都では別行動よぉ』
「そうなの?」
『エルは必ず研究室に閉じこもるからねー。みんな自由なんだよー』
契約中の精霊は、いつでも契約者が呼び出せるから…。大丈夫なのかな。
※
「リリーシア、マリーが来たよ」
キャロルと朝食の後片付けをしていると、ルイスが台所に入ってくる。
「もう?」
「ほら。早く支度してきなよ」
そう言って、ルイスが私の手から皿と布巾を取る。
「うん。ありがとう」
急いで部屋に戻って、身支度を済ませる。
『鎧装備する必要、ある?』
「だって、また亜精霊が出てきたら困るでしょ?」
『日常的に亜精霊が暴れてる王都なんて、やばいだろ』
リュヌリアンを背負って、下に降りる。
「リリーシア?マリーとどこに行くつもりなの?」
「え?」
「その鎧。王都から出るつもり?」
「出ないと思うけど」
「リリーシアって、ちょっと変わってるよね」
『ルイスにまで言われてるじゃないか』
そうなのかな。
扉を開いて店に入ると、マリーがカウンター越しにエルと話している。
「リリー、迎えに来たわよ」
「マリー」
相変わらず、お姫様みたいに綺麗。
「そうね、リリー。その鎧と剣は置いていきなさい」
「え?」
「戦いに行くわけじゃないのよ。遊びに行くの」
「でも…」
「リリー、鎧は置いて行け」
エルまで。
あぁ、こんなに言われたら、やっぱり置いて行くしかないのかな。
鎧とガントレットを外して、リュヌリアンを背負い直す。
「いいわ。さ、行くわよ」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
マリーに続いて、外に出る。
『またね、メラニー、エル』
ナインシェの声。
「どうしたの?リリー」
「ナインシェって、メラニーの友達?」
『私たちは、同じ光の洞窟に居たんだもの』
「光の洞窟?」
「グラム湖にある洞窟よ」
グラム湖って、ラングリオンの王都の近くにある湖だよね。
確か、ラングリオンの王族と縁が深い聖地だっけ…?
「ナインシェはメラニーの友達なのよ。私は光の精霊を求めて、エルは闇の精霊を求めて、洞窟へ行ったの。…そもそも、エルがナインシェの声を聞けるの、不思議じゃないの?」
「え?」
下位契約中の精霊って、契約者以外と話せないんだっけ…。
その事実、忘れてしまいそうになるけれど。
エルが言っていた。
「契約に立ち会っていれば、契約状態の精霊の声でも聞ける?」
「えぇ、そうよ。私たちはお互いの契約に立ち会っているから、声が聞けるわ。これは特殊なことよ。詳しいじゃない」
『その特殊な例とは関係なく、リリーは、何故か私の声聞こえちゃうわよね』
『リリーの馬鹿。散々、エルから注意されてるのに』
「…ごめん」
「リリーはどうしてナインシェの声が聞こえるの?」
『聞こえるし、見えてるのよ』
「えっ、見えてるの?」
「あの…、」
『ばればれだね』
「あり得ないわよ、どういうこと?顕現していない精霊が見えて、声が聞こえるって言うの?しかも契約中の!」
「うん」
「すごいわね。今すぐ魔法研究所にスカウトしたい逸材だわ。…エルが許さないんでしょうけど」
「そういえば、マリーは魔法研究所で働いてるんだよね」
「えぇ。魔法研究所って言うのは、精霊や魔法を体系化することを目的とした機関よ。最も適した魔法の発動の仕方を研究したり、合成魔法の理論、相性とかね。最終的に、精霊に頼らなくても魔法を使えるようにするのを目指しているわ。たとえば光の魔法なら…」
『エルの友達って、みんな養成所の同期だもんな。頭の良い人ばっかりなんだろうね』
「うん…」
「あ、ごめんなさい。つまらない話しだったわね。とりあえず、花屋に行きましょう」
「花屋?」
「エルの話し、聞きたいのよね?」
そうか、エルの大切な人は、もう亡くなってるから…。
「うん」
「エルには何も聞かなかったの?」
「なんだか、気が付いたらはぐらかされて。…そういえば、エルって砂漠の出身なんだよね。エルの家族って、砂漠に居るの?」
ルイスとキャロルはこっちに来てから出来た家族だ。
エルの両親や兄弟って…。
「それも、エルが喋ったの?」
「ええと…」
「なんなのよ、エル。信じられないわ。それなら自分で全部話せばいいじゃない」
「マリー?」
「あぁ、もう。好きなだけ聞いてちょうだい。エルに恨まれる筋合いないわ。これだけリリーに喋ってる癖に」
どういうこと?
「エルは砂漠のクロライーナ出身」
『クロライーナだって?』
あれ、その名前、聞いたことがある。
「精霊戦争後、フラーダリーが後継人になって、エルを砂漠からラングリオンへ連れてきて、養成所に入れたのよ。養成所を出てからだと思うわ。二人が恋人になったのって。そして卒業から一年後。エルが砂漠に行っている間に、フラーダリーは国境戦争中、オリファン砦で命を落とした。そして、エルは一人で砦を取り返して国境戦争を終わらせ、黄昏の魔法使いと呼ばれることになったのよ」
「あ、あの…」
ちょっと、待って。
唐突過ぎて整理ができない?
「これがリリーの聞きたかった全部よ」
「ええと、エルの大切な人って、フラーダリーっていうの?」
「百合の魔法使いと呼ばれた、強い大地の魔法使いだったわ。国王の妾の娘って言う方が、王都では有名だったけどね」
「えっ。お姫様なの?」
「いいえ。王族として王室に迎えられることはなかったわ。陛下が王位を継承される前で、今の王妃様と御結婚される前の話しだもの。ただ、陛下のご寵愛が大きかったのは事実よ。王族の証である剣花の紋章をお渡しになっていたから」
剣花の紋章。
ラングリオン王家の紋章だ。
その人が、エルを砂漠から連れて来て、エルの世話をしていた人?
『クロライーナって、精霊同士が争って壊滅したオアシス都市だろ?』
そうだ。
精霊同士が争った、世界的にも珍しい場所。いまだにその原因は明らかになっていない。
なぜなら、クロライーナに居た住人も精霊も、すべて死んでいるから。
そもそも、自然そのもである精霊が、反自然的な行為である争いごとをするなんて、考えられないことだ。
エルが精霊戦争後にクロライーナから連れてこられた?
『精霊戦争があったのは十一年前だ』
「十一年前?」
だとすると、エルが九歳か十歳ぐらいの時?
「えぇ、そうよ。良く知ってるわね。エルはクロライーナの生き残りなの」
「まさか」
「公式には、そんな記録はないけれどね。でも、カミーユとシャルロが言ってたわ。調べたって」
「調べた?」
「エルは、過去のことを一切話さない。だから、勝手に調べたの。エルはクロライーナの奇跡って呼ばれていたらしいわ。私も詳しいことはわからないし、知っている人間も誰も話さないことだから、その意味は分からないけれど」
『クロライーナの奇跡か。どういう意味なんだろうね。人間にとっての奇跡って、精霊の力のことじゃないの?エイダと、そんなに昔から契約してたのかな』
「まさか。エルが魔法を使うようになったのは、ここ二、三年だってキャロルが言ってたよ」
「そうよ。エルが本格的に魔法使いになったのは、養成所を卒業してから。もっと言うなら、黄昏の魔法使いと呼ばれるようになった瞬間。それまで、攻撃的な魔法を使ったこと、なかったもの」
「どういうこと?」
「エルが炎の魔法を使ったのは、あれが初めてなのよ」
「え…?」
じゃあ、エルがエイダと契約をしたタイミングって。
「おそらく、砂漠へ行った時に、炎の精霊と契約したんでしょうね。伸ばしていた髪をばっさり切ったのって、きっと、精霊と契約したからだと思うわ」
精霊と契約を結ぶ場合、人間の体の一部を精霊に渡すのだ。
そうすることによって精霊と人間の間に繋がりを作る。
繋がりを持っているから、魔力を渡せるし、力を引き出せるし、どんなに離れた場所でも契約中の精霊を呼び出せる。
「何でも知ってるのね、リリー」
「知らない。わからないよ。だって、エルは何も言わない」
「言ってるじゃない。エルは黄昏の魔法使いって呼ばれることが死ぬほど嫌いなのよ」
「そうなの?」
「そうよ。だって、言われるたびに思い出すじゃない。フラーダリーのこと。…さぁ、花屋に着いたわ。こんにちは、フローラ」
店先にもたくさんの花が並ぶお花屋さん。
花の妖精もたくさんいる。
「あら、マリアンヌ。いらっしゃい。そちらは?」
「リリーシアです」
「可愛らしい子ね。お近づきの印に、どうぞ」
スズランだ。
「お墓参りに行くの。ブーケをお願いできる?」
「どんなブーケにする?」
「百合の花を入れて」
「えぇ、わかったわ」
花屋の主人が、手際良くブーケを作る。
「エルロックも一緒なの?」
「いいえ。エル、まだ来てないの?」
「来てないわ」
「そう。向こうで会ったら嫌ね」
どういうこと?
エルもお墓参りに行ってるかもしれないの?
「少なくとも、私の店に寄ってから行くわ。先に行ってるってことはないんじゃない?」
「そうよね」
ブーケはあっという間に仕上がった。
「さぁ、どうぞ」
「ありがとう。フローラ」
マリーがブーケの代金を払って、一緒に店を出る。
「エルは帰って来るたびに、お墓参りに行くのよ。フラーダリーに贈る花は必ず百合の花なの。百合の花が似合う人だったから」
だから、百合の魔法使いって呼ばれてるのかな。
「エルがラングリオンに来たのは、精霊戦争があった二年後。エルが十一歳の時よ。…養成所は春入学なんだけど、エルは夏のコンセルに入って来た。養成所に中途入学なんて、前例のないことだったから、みんなびっくりしてたわ」
「前例がない?」
「中途入学の試験に合格したの。今まで誰も合格しなかった試験。養成所は中途入学を許さないところだったから、受かることを前提に作った試験じゃないことは確かよ。でも、エルは信じられないぐらい頭が良かった。たとえば…。エルって、無口で誰とも話さない子だったから、シャルロが意地悪して、中等部の問題をやらせたことがあったのよ」
エルが無口なんて、想像つかない。
「中等部って?」
「養成所は、初等部二年、中等部二年、高等部二年なの。それぞれ試験があって、試験に合格しなきゃ次の部に入れないのよ。もう一度やり直すか、辞めなきゃいけない。高等部は錬金術専門科と魔法専門科に分かれてるわ。私は魔法専門科。もちろん、それぞれ別の試験があって、合格しなければいけないの」
『シビアなところなんだね。流石、ラングリオンが誇る天才集団の養成所だ』
「で。シャルロが用意した問題。丸一日かかったけど、エルは全部解いたのよ。…これが、後後問題になったんだけどね」
「どういうこと?」
「それ、錬金術に関する、中等部二年の前期中間試験だったのよ」
「え」
「初等部の一年が解けるような問題じゃないんだもの。おかげで、ひと騒動あったわ。…まぁ、色々あったわね。カミーユもシャルロもエルの悪友だったから。本当、三人で悪いことばっかりしてたわ」
マリーが楽しそうに笑う。
悪いこと、してたんだよね?
「さぁ、フラーダリーのお墓はこっち」
墓地だ。
整然とお墓が並んでいる。
精霊も結構いっぱいいるな。静かな自然に溢れる場所だから、精霊も好きなのかな。
「ここよ」
「あ…」
マリーが連れて来てくれたお墓の上に、バニラが居る。
あれ?
「フラーダリーって、大地の魔法使いだっけ?」
「そうよ。…大地の精霊でも居るの?」
「あ…、うん」
「そう。きっと、その精霊、フラーダリーの精霊よ。フラーダリーが契約しているのは、大地の精霊だけだったもの。強い絆で結ばれた精霊だったから、フラーダリーはとても強かったの」
魔法の強さは、精霊との絆の深さだから…。
でも、バニラは、エルの精霊じゃないの?フラーダリーの精霊だったの?
「あなたは、フラーダリーの精霊なの?」
『フラーダリーと契約していた。今は、エルと契約している』
「…そうなんだ」
「便利ね、その力。私もフラーダリーの精霊に会ってみたいわ」
『ほかの魔法使いの精霊を見ようとするなんて、マナー違反よ』
「知ってるわよ」
「マナー違反?」
『精霊にもマナーがあるの。他人と契約している精霊のことは喋らないし、相手に気付かれないようにするって。魔法使いたちってみんな、自分の力を隠したがるでしょ?』
「そうなの?」
「そうなのって。あなた、まさかエルの精霊のこと…」
「だって、エルは全部教えてくれたよ」
「全部って…。馬鹿なの?エル。良い?リリー。絶対にエルの精霊のことを他人に話してはダメよ。魔法使いにとって精霊は命綱。自分の力を簡単に相手に教える魔法使いなんて皆無よ」
「そうなの?」
『そうよ。だから私たちは、相手の精霊にも気付かれないように、なるべく契約者の体の中に居るの』
だからみんな、自分の体に隠してるんだ。
実際、精霊が外に出ていないと私にもわからない。なんとなく、その人の持つ色は見えるけど、自信はない。
マリーだって、ナインシェ以外とも契約しているかもしれないのだし。
「ごめんね、マリー。勝手に見てしまって」
「私の場合、家系でばれてるからいいのよ」
そう。オルロワール家は、光の精霊の祝福が強い家系だ。
光の精霊が傍に居るのは当然だろう。
「それに、有名になれば嫌でもばれるわ。二つ名を持つ魔法使いなら尚更ね。フラーダリーが大地の魔法使いであることや、エルが炎と闇の魔法使いであることなんて、魔法使いの間では常識よ」
そういえば、ポリーも言っていたっけ。黄昏の魔法使いが炎と闇を統べるって。
ほかにも、真空、風、大地、雪があるんだけど…。
それは知られていないことなんだ。
「さ、お参りをしましょう」
マリーがお墓の前に花を手向ける。
お墓には…。
「エルロック・クラニス?」
「気づいた?」
「どうして、エルの名前が刻んであるの?」
フラーダリー・アウラム、と書かれた、すぐ下に。
「エルが刻んだのよ」
「どうして…」
「エルは、フラーダリーが死んだのは自分のせいだって言ってたわ」
「え?」
だって、フラーダリーは国境戦争で死んだんだよね?
エルが責任を感じる必要がどこにあるの?
「それがどういう意味かわからない。エルは、あの時砂漠に居て砦には居なかった。誰に聞いてもそう言っていたわ。フラーダリーを殺したのはセルメアの傭兵で、その傭兵はフラーダリーと相討ちだったって言われてるのに」
『エルは。本当のことを知らない』
「え?」
「エルが、フラーダリーのもとに駆け付けた時には、フラーダリーはもう死んでいたの。エルは、フラーダリーの為に、砦を取り返して、国境戦争を終わらせたのよ」
「国境をローレライ川に定めて?」
「そうよ。オリファン砦を取り返したことで、黄昏の魔法使いはラングリオンの英雄って呼ばれているけど、とんでもない。…ラングリオン側にもデメリットがあったわ。ローレライ川を挟んだ先にも、ラングリオンの領地があったんだもの。セルメアとラングリオンにとっては痛み分け。事後処理も面倒だったんじゃないかしら。そして、ローレライ川という自然が国境になったことで、お互いに手を出しにくくなった」
きっとエルは。これ以上争わせないために。
「セルメアに国境ラインを約束させるよりも、ラングリオンに国境ラインを約束させる方が難しかったと思うわ。だって、戦争が長引けば、ラングリオンはいくらでもセルメアから取り返せていたはずだもの。…陛下がすべてお許しになったのだから。良いのだろうけど」
マリーはラングリオンの人だからそう思うんじゃないかな。
戦争なんて、どう転ぶかわからない。
グラシアルは、女王が一人で支えている。その力をすべて戦争に向けたのなら、この大陸の統一だって夢じゃない。
力の強い魔法使いとは、戦況をひっくり返せる存在。
エルがそうだったように。
「あんまり長居して、エルに会うのもまずいわね。行きましょうか」
「あの、少し、一人にしてもらってもいい?」
バニラのさっきの言葉が気になる。
「いいわ。東の出口に居る。そっちならエルに会わないだろうし。ナインシェ、リリーを案内してあげてね」
『はぁい』
マリーが去るのを確認してから、バニラを見る。
「バニラ、さっきの、どういうこと?」
『そうよぉ。あたしも、知らないんだけどぉ?』
『エルは、本当のことを知らないってー?』
『ジオ、ユール。何をしているんだ』
『で・え・と』
『ユールがエルの元を離れるなんて』
『ふふふ。離れることによって高まる愛もぉ、あるのよぉ?』
「ユールは、そんなにエルを愛しているの?」
『ユールはエルにぞっこんだからねー』
『エルはあたしの、特別だものぉ』
「真空の精霊なんて、初めて見た」
『あたし、忘れないわぁ。エルがあたしを助けてくれたことぉ』
「助けてくれた?」
『真空の精霊とは、自然にほとんど存在しない精霊だ』
『この世界は、オイラたち大気の精霊で満ちているからねー』
大気や風の精霊は、真空の精霊とは反属性だっけ。
『あたしたちはぁ、馬鹿な錬金術師に、突然呼び出されちゃうのぉ』
アリシアから聞いたことがある。
錬金術師だけがその存在を確認できる精霊が居るって。
『エルはねぇ、錬金術の実験中にあたしを呼び出してぇ…。助けてくれたのよぉ』
『もう、何回も聞かされたよ、その話しー』
『本当に、王子様だったわぁ。フラスコの中に閉じ込められてたあたしを、フラスコを割って出してくれたのよぉ。自分の手に、危ない薬品がかかるのも気にしないでぇ』
エルならきっと、助けるんだろうな。
『すぐに契約してって言ったわぁ』
『養成所時代の話しだ。中等部の』
『そうねぇ。エルがまだ、フラーダリーのこと、好きでもなんでもなかった時よねぇ』
『養成所は寮に入らなければならないから。フラーダリーがエルに会っていたのは、節句の長休みぐらいだった』
あれ?エルは養成所を出るまで、ほとんどフラーダリーと一緒に暮らしてなかったの?
『そうねぇ。懐かしいわねぇ、フラーダリー』
『オイラは一度も会ったことないけどなー』
『ジオはエイダの後だもんねぇ。…でも、昔のエルを一番知ってるのはジオよねぇ』
「昔のエル?」
『リリーに話しがあるんじゃなかったのぉ?ジオ』
『ジオは、エルの幼なじみだ』
『お前、精霊戦争を知ってるのか?』
『知ってるよー。でも、オイラはバニラの話しが気になるよー?』
そうだ。
エルは本当のことを知らないって。
『そのことか…。フラーダリーの仇は居るんだ』
「仇?」
『フラーダリーを殺した奴、生きてるのぉ?』
『それ、エルが知ったらまずいんじゃないかなー』
『セルメアの傭兵は生きている』
「どうして、知ってるの?」
『私はフラーダリーが殺された瞬間、傍に居たんだ』
そうだ。バニラはフラーダリーの精霊だったから。
『そして、嘘をついたのが私だから』
「嘘?」
精霊が嘘をつくなんて?
聞いたことがない。
『仇が居ると知れば、エルは人を殺した。…エルは、人を殺してはいけない』
「殺せば、魂が穢れるから?」
『そうだ。エイダを見た時に直感した。あれは危険だ。その力で人を殺せば、エルは悪魔になってしまう』
魂が穢れれば、悪魔になる。
悪魔になれば、永遠に現世を彷徨う存在になってしまう。
『それはフラーダリーが望まないこと。あの時。エルを止められる人間は居なかった』
『そうねぇ…』
最愛の人を殺されたから…。
「だから、嘘をついてエルを守ったの?」
『そうだ。フラーダリーが最期まで気にかけていたのが、エルだったから。…その結果、エルは一人も殺さなかった。オリファン砦を炎と闇で包んでも、死者を出しはしなかった』
『そうだったねー』
『エイダもエルの力を抑えてくれたものねぇ』
契約者が死んでも、バニラはフラーダリーの為に…。
それほど、絆が深かったのだろう。
バニラを見ていれば、フラーダリーがどれほどエルを愛していたのかわかる。
そして、エルも。
フラーダリーを愛しているから、砦を取り返し、戦争を終わらせたんだ。
「二人は、愛し合っていたんだね」
深く理解しあっていたから。
エルは、自分の力で誰も殺さなかった。
バニラがエルを止めたから、エルは、フラーダリーが仇討なんて望まないって気づいたんだ。
私なら殺してしまうかもしれない。好きな人を殺されたりしたら。
でも、エルは、それ以上にフラーダリーを気づかっていたから。
エル…。
エルは、一緒に死にたかったんだ。
でも、それができなかった。
王都の人たちを見ていればわかる。皆、エルが死ぬのを止めたに違いない。
だから、エルはお墓に名前を刻んだ。
そして、誰かと一緒に居ることをやめたんだ。
もうフラーダリーのように失いたくないから。
フラーダリーを守ることができなかったことを、自分の責任だと感じてるから、こんなに誰にでも優しいんだ。
エルの、馬鹿。
短剣を取り出して、墓の文字を削る。
『リリー、何やってるのぉ?』
『何故、エルロックの名を削る』
「ここに刻むのは、死んだ人の名前なんだよ」
『知ってるよー』
「エルは、ここには居ない」
エル。
これ以上、過去にとらわれないで。
エルを愛してくれる人はいっぱいいるのに。
どうして、ずっと、ここに居るの。
どうして、私を助け続けるの。
『エル!』
『エルだー』
『リリー、隠れろ』
「え?」
隠れるって、どこに?
『墓の裏に』
『リリー、急いでぇ』
身をかがめつつ、急いで、お墓の裏に隠れる。
『リリー、また今度、話そうねー』
『帰るのぉ?ジオ』
『今日は話す気分じゃなくなったー』
ジオが去って行く。
私に話したいことってなんだったんだろう?
『エル。来たか』
バニラ。
「あぁ。少し遅くなったけれど」
エルの声。
「誰か来たのか?」
もう、ばれた?
『来た』
「そうか」
…ばれて、ない?
あぁ、花に気付いたのかな?
『ここにはもう、フラーダリーの魂はないというのに』
「お前も来るじゃないか」
『当然だ。私も人間の気持ちに寄り添いたい』
「お前も難儀な奴だな」
精霊も、人間も。気持ちは変わらないと思うな。
エルだって、フラーダリーの魂がここにないことはわかっているはずなのに。
「あれ…?誰が、こんなことを?」
声が、近い。
エルがお墓のすぐ近くに居る。
心臓が、ドキドキし過ぎて。
ばれそう。
『知っている』
「誰なんだ?」
『教えない』
「なら、言うなよ」
『何故、エルロックの名を削ったんだ?』
お墓の文字を見てたのか。
あぁ、びっくりした…。
「なんで、お前、俺の名前が読めるんだよ」
『契約者の名前ぐらい読める。散々見てきた同じ文字だ』
「そうか」
そういえば、精霊って現代文字が読めないんだっけ?
イリスは私と一緒に勉強したから読めるけど…。
「何で、だろうな」
『わからないのか?』
「本人に聞いてみないと」
『エルはここに居ない、と』
「…誰だ」
『黙秘する』
バニラ、ありがとう。
「強情な奴だな。まぁいいよ。名前なんて、あってもなくても同じだ」
『それなら、どうして自分の名前を刻んだ』
「もう忘れた」
エルの嘘つき。
『愚か者』
一緒に死にたかったからに、違いないのに。
『エル。お前に聞きたい』
「ん?」
『人間は儚い。その短い時間で、最も時間と労力をかけるもの。本当に大切なものならいくらでもあるのに、それらを無視してでも、叶えたい願い。愛とは、なんだ?』
バニラ…。
本当に、わかってないの、それ。
「お前の言葉、そのままだよ」
『フラーダリ―が死んだのも、愛の因果か』
「あぁ。俺の責任だ」
違うよ、エル。
戦争で人が死ぬことが、誰かの責任になるなんてあり得ない。
『フラーダリーが最も愛していたのはお前だ。お前の為に、その魂を捧げたのならば本望だろう』
「それでも」
『相容れないな。複雑だ』
「そういうものだよ」
『そうか』
エル。
エルは、今もフラーダリーを愛しているんだね。
自分でも気づいてないのかな。
それなのに。どうして、私にあんなこと言ったんだろう。
私を助けることが、フラーダリーへの贖罪になるから?
『エル。お前はリリーに何を求めるんだ』
バニラ…?
「何も求めないよ。一緒に居たいだけだ」
『愛は求めるものじゃないのか』
「…奪うものじゃない」
『何が違う』
「全然違うよ」
『その心を欲しいと思わないのか』
バニラ。
どうして、そんなこと聞くの?
「もう、泣かせたくないんだ」
あぁ、エル。
エルは優しい。
でも、違うよ。
私が泣くのは、いつも私のせいだ。
エルのせいなんかじゃない。
何もかも自分のせいだって思わないで。
昨日だって、私が、エルを受け入れられないのが辛かったからだ。
…でも、受け入れなくて良かった。
だって、エルが愛しているのはフラーダリー。
三年経って私が城に帰らなければ、私が死ぬって、エルは知っているんだ。
女王に逆らえばどうなるか。
だから、私を救うことに一生懸命になってるんだよね。
私のことを好きなわけじゃない。
全部、フラーダリーの為に。
自分が知らない間に死んでしまったから。
だからあんなに私のことを心配するんだ。
傍に居て守らなかったことを、後悔し続けているから。
だから、ずっと一緒に居てって言ったんだ。
エルはずっと、フラーダリーの為に生きてる。
愛する人の為に。
『リリー。エルは行ったよ』
エル…。
どうして、私に好きだなんて言ったの。
酷いよ。
『なんで泣いてるの』
フラーダリー。
どうして、死んでしまったの。
エルを幸せにできるのは、あなたしか居ないのに。
エル。
私は、彼女の代わりには、なれないよ。
エルが私を救っても、あなたの最愛の人は帰ってこない。
『リリー』
あぁ、もう。
良かったじゃないか。
エルが好きなのが自分じゃなくて。
良かったのに。
…良かったのに。
どうして、こんなに、苦しくて、悲しいの。
「リリー」
「マリー?」
「ナインシェから聞いたわ。エルが来たのね」
「あの…」
「エルに何を言われたの」
「…違う、エルとバニラの話しを聞いてただけなの」
「リリー。エルの精霊について語ってはいけないわ」
「あ…」
「聞かなかったことにしてあげる」
マリーがしゃがんで、ハンカチで私の涙を拭う。
「どうして、そんなに泣いてるの」
涙が止まらない。
なんで。
「もう、エルの馬鹿。こんなに可愛い子を泣かすなんて、最低ね」
「ちが…」
声が、出せない。
『ナインシェ、マリーに伝えて。リリーはエルから告白されたんだ』
『えっ』
『でも、リリーは馬鹿だから。ここに来て、エルがフラーダリーを愛してるって思ったんだよ』
『言ってもいいの?それ』
「ナインシェ?誰と話してるの」
『あの…、リリーの精霊から伝言。リリーはエルから告白されたのだって』
「えっ」
『でも、ここに来て、エルがどれだけフラーダリーのことを好きだったか知って、落ち込んでるみたいよ』
『お前、状況判断早いな』
『私だってエルとの付き合いが長いのよ。エルは人を勘違いさせることに関しては天才なんだから。わかるわ』
「リリー、本当?エルに告白されたって」
首を、横に振る。
と、マリーが私の両頬をつねる。
「嘘は、だめよ?」
「ふあ…」
「精霊は嘘をつかないわ。告白されたのね」
首を、縦に振る。
ようやく手を離される。
痛かった…。
「良かったじゃない」
マリーが満足そうににっこり笑う。
「でも、エルは」
「エルは、さんざん他人を勘違いさせるけど、好きでもない相手に愛の言葉を囁くことは絶対にしないわ。エルがあなたに告白したなら、それはあなたのことが好きだからよ」
「そんなこと…」
「忙しいのよ、今日。エルから、王都を案内して服を買えって頼まれてるんだから。早く行くわよ」
「あの…」
「リリー。今日、私の家に泊まりなさい。この話しの続きは、夜にしましょう」
「えっと…」
『なんか、マリーってエルに似てるね』
『失礼ね。あんな横暴な男とマリーを一緒にしないでちょうだい』
マリーが私の目元に手を触れる。
目元が光ったかと思うと、その光はすぐに消えた。
「え?」
「あ」
もう一度。
「おかしいわね」
これって、癒しの魔法なんだろうな。
「マリー、私、魔法が効かないの」
「え?」
「詳しく、話せないんだけど」
「え?精霊が見えて、声が聞こえるのに、魔法が効かない?」
エルも驚いていたっけ。
「正確には、魔力がないんだ。魔力がないから、魔法が効かないってエルが言ってたの」
「あなた、人間なの?まるで精霊ね。精霊が見えて、精霊と話せる上に魔法が効かないなんて。精霊って、同じ属性の魔法は効かないじゃない」
私の場合は、すべての魔法が効かないんだけど…。
「本当に。今すぐ研究所に連れて行こうかしら」
「あの…」
「冗談よ。さぁ、ランチにしましょう。軽いもので良いわよね?お茶の時間に御馳走したいスイーツもあるの」
「うん」
『リリー、ちょろいな』
※
クレープガレット屋さんで、卵とアスパラのガレットを食べてお店を出ると、外が騒がしい。
「喧嘩?」
剣士が二人。剣を抜いて戦っている。
「嫌ね。熱くなっちゃって。…守備隊はまだ来ないの」
「行ってくる」
「え?ちょっと、リリー」
リュヌリアンを抜いて、右の剣士の剣をはじき、回転して左の剣士の剣をはじく。
「なんだお前!」
「邪魔をするな!」
左の剣士の方がスピードが速い。
剣の根元を狙って、リュヌリアンで斬りつけると、剣士が剣を落とす。
その勢いで振り返り、右の剣士の剣を斬り上げて、剣を飛ばす。
落ちてきた剣を柄に当ててはじいて、左手で取ると、左の剣士が拾おうとした剣を踏みつける。
「喧嘩はダメだよ」
「守備隊だ!」
「三番隊が来たぞ」
人だかりが二手に分かれ、その間から兵士が数人走ってくる。
「おいおい。男同士の決闘じゃなかったのか?」
「ガラハド」
「マリーじゃないか。研究所はどうした」
「今日はデートでお休みよ」
「今度はどこの男をひっかけてるんだ?…おい、そこの連中を連れて行け」
「隊長!了解です」
あの人、守備隊の隊長さんなんだ。
守備隊の兵士が、私の右と左に居た剣士を捕まえていく。
「あの、こちらの剣、いただいてもよろしいですか?」
「あ、はい」
踏んでいた剣から足を離し、左手に持っていた剣を兵士に渡す。
「ご協力、ありがとうございます」
手際が良い。統率のとれた動き。
これが、ラングリオンの王都を守っている守備隊。
「今日のデートの相手はこの子よ」
リュヌリアンをしまうと、マリーが私の腕に抱き着く。
「女の子じゃないか」
「この子はリリーシア。エルの彼女よ」
「ちがっ」
「エルの女だぁ?」
顔を覗き込まれて、一歩引く。
違うのに。
「そういや街の連中が言ってたな。あいつが女連れて歩いてるって。まさか、こんなでっかい剣を使う剣士とはねぇ。…気に入った。守備隊に寄って行け」
「嫌よ、あんな男くさいところ」
「どうだい。こんな平和な王都じゃ、体がなまっちまうだろう」
「えっと…」
この人、強そう。
「ほら、ついて来な」
「マリー、行っても良い?」
「もう。しょうがないわね。ちょっとだけよ?」
「ありがとう」
『なんか、見たことあるんだけどなー。あの顔』
そうかな。
「髭のおじさんなんて、私の師匠しか知らないよ」
『あぁ、ルミエールは髭を生やしてたね』
「髭のおじさん?」
「そりゃあ良い」
前を歩く隊長さんが大きな声で笑う。
王都守備隊三番隊宿舎、訓練場。
中央に立って、演習を行う。一撃でも相手にクリーンヒットさせれば勝ち。
…うん。訓練された、良い動き。
流石、騎士の国だ。
でも少し型通りすぎるかな。
集団で戦う分には統率がとれて良いのだろうけど。一対一の戦いには、少し向かない。
借りた演習用の大剣で、相手の胴体を薙ぎ払う。
刃を落とした剣が相手の防具に当たって、相手が倒れる。
「勝者、リリーシア」
「いやぁ、強いですね」
「ありがとう」
戦った相手と握手をする。
「五人抜きで、全く息を切らしてないとはね」
「リリー、滅茶苦茶強いじゃない」
「ありがとう、マリー」
「どこから来たんだ?」
「グラシアルです」
「魔法の国から来た剣豪か」
珍しいよね。
「あの…、隊長さん。私と戦ってくれませんか」
「俺と?」
「はい」
「いいだろう。負けてもなくんじゃないぞ」
「え?」
『リリーは泣き虫だからね』
そういえば、負けるたびに泣いてたこと、あったな。
「泣きません」
「よし、それじゃあ、相手になろう」
なんで、知ってるんだろう。
まだ目が赤かったのかな。
中央に立って、剣を構える。
隊長さんも両手剣を使うの?
あれ…。構え方、私に似てる。
「ほら、パーシバル、審判をやれ」
「隊長、女の子相手に大人げないっすよ」
「さっき負けた奴の言うセリフじゃないぞ」
「防具、つけなくて良いんすか?」
「それこそ、レディ相手に失礼だろう」
「怪我しても知りませんからね。…では、合図を。…はじめ!」
合図とともに、駆ける。そして大剣を下から斬り上げる。
隊長さんは軽く受け流すと、私の右手へ。そして刃を回して、私の右手後方を狙う。
一歩引き、大剣の胴を当てて勢いを削ぎ、そのまま剣を下に落とそうとしたところで、押し返される。
強い。
一歩下がって構え直して薙ぎ払う。同時に、隊長さんの剣が私の大剣に当たる。
そのまま鍔迫り合いに。
「良い動きだ。無駄がない」
「強いです」
もっと。読まれない動きを。
二歩下がって、剣を横から振る。薙ぎ払いに見せかけて、剣の向きを変え、斬り上げる。が、読まれていた。簡単に防がれて、胴体を薙ぎ払われる…、のを、跳躍して回避。
剣に剣を当てながら警戒して、隊長の横へ。
「そう、臆病になるな」
読まれてる。
隙が、見当たらない。
構え直して、今度は。少し苦手だけど、左に薙ぎ払う。
「おお」
隊長さんが剣を縦に構えて防御する。
行ける。
すかさず剣を引いて、胴体に突き刺す、が、避けられる。左足に力を込めて、薙ぎ払おうと試みたところで、隊長さんの剣が…。
「くっ」
かろうじて、大剣の柄で防ぐ。
でも力の差があるのは当然。吹き飛ばされて、倒れる。
そこへ隊長さんの剣が振り下ろされ、倒れたままその剣を、剣で受け止める。
「ほら、降参しな」
しない!
剣に隊長さんの体重が乗る。
力比べなら上に居る方が有利。
―抵抗しろよ。
エル?
―思いっきり、蹴り上げて、殴る、とか。
蹴り上げて、
「うぐっ」
柄ごと顔を殴る!
やった!
隊長さんが左手に転がったのを確認して、右手に転がって立ち上がり、構える。
あれ?
「リリー、それはないわ」
「え?」
隊長さんが、うずくまっている。
「あの…」
「調子に乗って防具つけないからっすよ」
三番隊の人たちが、笑っている。
「あれはしばらく再起不能だろうな」
「隊長、女の子に負けたんですか?」
「ざまぁないっすねー」
「えっと…?隊長さん?」
『リリー。男の人には急所があるんだよ』
「あっ!」
私が蹴った場所って!
「あのっ、あの、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ」
隊長さんが立ち上がる。
「女の子に蹴られたぐらいで、立たなくなる俺じゃないぜ」
隊長さんが腰に手を当てて笑う。
「隊長、下ネタっすか…」
「というわけで、試合は引き分けだ」
「あの…」
「リリー、行くわよ!」
マリーが私の手を引っ張る。
「じゃあね、ガラハド」
「あ、ありがとうございました!」
「あぁ、また、いつでも相手になってやるよ」
『良い人たちだねー』
訓練所の脇に演習用の剣を置いて、リュヌリアンを回収すると、マリーについて行く。
「リリーが強いのは十分に分かったわ」
「そんな。隊長さんに勝てなかったよ」
「勝つつもりだったの?」
「うん」
「呆れた子ね。…それより、もう行きたいところはないの?ないなら、リリーの服を買いに行くけど」
行きたいところ…。
「そうだ、占い師のところ」
「ポラリスのところ?いいわよ。この時間やってないけれど。リリーの為なら開いてるかもしれない」
「どういうこと?」
「ポラリスは平日の午前中しか占いをやらないのよ」
「そうなの?」
今は午後だから、開いてない?
「でもね、ポラリスが占いたい人に対しては、裏口の扉が開いてるの」
「どういうこと?」
「来る人がわかるから、その人の為に扉を開けておくのよ。ポラリス、変わった人が好きだから、きっとリリーを占いたいと思うわ」
私、そんなに変わってるかな。
女王の娘という意味では、変わってるんだろうけど…。
守備隊の訓練場からそんなに歩かない場所に、占い師の店があった。
閉店の看板がかかる家の裏手へ回る。
「さぁ、開けてみて」
私がドアのノブをひねると、扉が開く。
「開いた…」
中は少し薄暗い。
あれ?この赤い光って…。
「こんにちは。リリーシア。…言っておくが、彼女の名前はサンドリヨンだ。間違えないようにな」
『サンドリヨンだって?』
紫色のローブをまとった人が水晶の目の前に座っていて。
その横に居るのは、どう考えても、顕現している炎の精霊、エイダ。
「こんにちは。マリアンヌ、リリー」
「あら、リリーはサンドリヨンとも知り合いなの?」
「えっと…」
「旅の途中で会ったことがあるのよ。そうね、リリー?」
「あ…、うん」
サンドリヨンって、どういうこと?
物語の名前じゃなくて?
「占いに来たのはリリーシアだろう。サンドリヨン、マリーを別の部屋へ」
「わかりました。マリアンヌ、隣の部屋でお茶でもしましょう」
「えぇ」
マリーがエイダと一緒に隣の部屋へ行く。
「驚いたか」
「あの、どういうこと?」
「エイダは王都では、灰の魔法使い・サンドリヨンと名乗っている。私の傭兵という身分で、エルロックとは別行動をしているのさ。だから、あれが精霊であることは、誰も知らない。エイダと呼んではいけないよ」
誰も知らない?
確かに、あの姿。顕現している状態で普通に歩いていたら、誰も精霊だとは思わないだろう。
「リリーシアのことは、エイダから聞いている。ようこそ、東の果ての国へ。氷の魔女の娘に会えるとは光栄だ」
氷の魔女。
この人…。どうして、そんなこと知ってるの?
「だが、残念だったな」
「残念?」
「私は、呪われている者は占えないんだ」
「え…?」
「私の目はごまかせない。呪いが解けたら占ってやろう」
リリスの呪いのこと、だよね。
「呪いは…」
「もうすぐ解けるさ」
「え?」
呪いが、解ける?
『なんだ、こいつ。どうしてわかるんだよ』
「ふふふ。不思議かい?」
え?イリスの声が聞こえてる?
『ねぇ、ポラリス。あたしたち、エルのこと聞きに来たのよぅ』
「おや、お前がエルロックの元を離れるなんて珍しい」
『いいから話しなさいよぅ。エルが食べなきゃまずいって話しぃ?知ってるんでしょぅ?』
「え?」
「私に無料奉仕させようって言うのか。貪欲な精霊だ」
どうして、私が聞きに来たって知ってるの?
『どうなのよぅ』
「それより先に、リリーシアの疑問を解決してやったらどうだい」
『何よぅ。あたしがイリスちゃんと仲良くしてちゃいけないって言うのぉ?』
「え?」
『ユールに聞いたんだよ、エルのこと。食べなきゃまずいってのは、ユールも知らないみたいだった』
『フラーダリーのことはぁ、知ってたけどねぇ』
『教える気、なかっただろ』
『人間の話しは、人間から聞くべきよぅ。フラーダリーの愛なんてぇ、あたしにはちっともわからないものぉ』
そうなのかな。
『さぁ。教えなさいよぉ、ポラリス』
「お前がエルロックを連れて来てくれるのならば、教えてやっても良いだろう」
「私も知りたいの、それ」
「いいかい、私は他人の運命を語らない」
「教えて。エルは、どうして食べなきゃまずいの?」
「全く。話を聞かないお姫様だな」
『教えてよぅ』
『エイダって、どれだけ力の強い精霊なんだ』
「そろいもそろって。やかましい。…エイダは力の強い精霊だ。その影響を受けるのは当然だろう」
「どうして、食べなきゃ危険なの?」
「人間は食べなければ死ぬだろう。睡眠をとらなくても死ぬ」
「…だから?」
「死んだことすらわからない」
「あ」
「あいつが死に近づけば近づくほど、エイダの力に侵されるんだ。人間として死んでしまえば、魔力で生きる人間になるだろう」
『魔力で生きる生き物なんて、亜精霊じゃないのよぅ』
「精霊とは魔力そのもの。生き物が抵抗せずに強い魔力を浴び続ければどうなるか。想像はつくだろう」
すごく、単純なことなんだ。
人間らしく生きることに、そんな意味があったなんて。
「面倒なことなどすべて捨てて、同化してしまえば楽だろうに。どこぞの女王のように」
『それってぇ…』
『なんで知ってるんだ』
それって、グラシアルの女王?
女王って亜精霊になるの?
…でも、言われてみれば、納得できるかも。
女王の娘は魔力が溜められない。
その中から女王が選ばれるなら、女王は魔力を持っていないことになる。
だから、代々の女王は、氷の大精霊と契約して、魔力だけで生きる存在になる?
女王は、一度も女王の間から出てこない。精霊と同化して亜精霊になると言うならば当然のことだ。人間らしいことは何一つ必要ないから。
女王が交代する周期はおよそ二十年。
それが、亜精霊でいられる寿命?
精霊と違って、亜精霊には人間のような寿命があるはずだ。
現在の女王がブランシュとして即位したのは、十一年前。
女王になると名前が変わるのだ。もとの名前はフェリシアという。
彼女が二十九歳の時に即位し、それと同時に女王の娘が選定される。
私は素質を認められ、七歳の時に女王の娘に選定された。
女王の娘は成人を迎える十八歳の誕生日に修行に出発し、三年後に帰還。
帰還すると王位継承権を得て、次の女王が選出されるまでの間、城から離れられない。
女王の即位から二十年ぐらい経つと、女王は退位し、次の女王が選ばれる。
女王は次の女王の娘を選定し、王位継承権保持者は、女王の娘の育成に当たる。
永遠に、その繰り返し。
「さて、リリーシア。私はお前に興味がある」
「私に?」
「呪いが解けたら、ここにおいで。占ってやろう」
「本当に、解けるの?」
「ふふふ。お前が解きたいと願うのならば、道は開けるぞ」
「どうやって解くの?」
「さぁね。お前の精霊は知っているのではないか?」
「知ってるの?イリス」
『お前、性悪だな。…答えられるわけないだろ』
そうだよね。リリスの呪いの解き方なんて、絶対に教えられないだろう。
「面白い呪いなんだよ。これは」
ポラリスは楽しそうに笑う。
「リリーシア。お前には思いつかないのかい。呪いを解く方法が」
「私が知っていることなの?」
「もちろん」
思いつかない。
そんなに簡単な方法なの?
リリスの呪いを解いたなんて話し、城で聞いたことがない。
「さぁ、話しはここまで。…それよりも、何か忘れていることがあるのではないか?」
「忘れてること?」
忘れてること。なんだろう…。
何故か、ポリーの顔が浮かぶ。
…あ。
「ジェイド・イーシャ?」
ポリーが言っていたっけ。ラングリオンに行ったら、ジェイド・イーシャという傭兵を探せって。
「うん。ありがとう」
「リリー、これで最後よね?」
「うん」
マリーが怒ってる。
「お茶の時間も、服を買う時間も全然ないわ」
「ごめん…」
「いいのよ、全部、エルがリリーを泣かせたせいなんだから」
「あの…」
「何?文句なら聞かないわよ」
違うんだけど…。とても、言える雰囲気ではない。
「ここが盗賊ギルドよ」
マリーみたいなお嬢様が歩けるような場所じゃないよね。
この雰囲気。
ポルトペスタの貧困区ほど荒廃してはいないけれど。それなりに、怪しい人ばかりが歩いている。
「こんにちは」
「おや、オルロワールのお嬢様。こんなところに何の御用で?」
「仕事よ」
「表舞台に咲く美しい薔薇の君が、こんなところに仕事を頼みに来て良いのかい」
「黙りなさい。…リリー、早く用件を済ませて」
気圧されないようにしなきゃ。
「ジェイド・イーシャという傭兵を探しているんだ」
「お客さんはあんたの方か」
表情が読めないな。
知ってるのか、知らないのかわからない。
「本名は、ディーリシア・マリリスと言う」
表情がかすかに動く。
まさか、知ってる?
「帰りな」
「え?」
「お前、エルロックの女だろ」
私のこと、知ってる?
「俺たちはあいつに関わりたくないんだ。うちの若いのが、あそこのお嬢ちゃんを攫って痛い目にあってる」
お嬢ちゃんって、キャロル?
「どうしてそんなこと…」
「ここはそういう仕事を請け負う場所だ。表のギルドを当たりな」
「何言ってるのよ。人探しなら盗賊ギルドに頼むのは常識じゃない」
「そうかい。そんなに依頼をしたいなら金貨一枚持ってきな」
「ただの人探しに金貨一枚なんて、聞いたことがないわよ!」
「そうじゃないと割に合わない。あんたがここに居るのは非常にまずいって言ってるんだ。亜精霊騒動の時みたいに、エルロックが血相変えて乗り込んで来たらどうしてくれる」
周りの人が笑う。
王都のこと、なんでも知ってるんだ。
「知っていることを教えて。あなたは、ディーリシアを知っている。間違いない」
だって、さっき。ディーリシアの名前に反応した。
「しつこいな。エルロックに聞け」
「どういうこと?」
「俺たちを頼りたいなら、あいつに許可を取ってからにしてくれ」
エル。まさか、イーシャのこと知ってるの?
どうして?
また、私より先に、何かに辿り着いてる?
「マリー、帰ろう」
「いいの?」
「うん」
敵わない。
私のことなのに。
エルがたどりつく真実に、全然追いつけない。
エルは本気だ。
本気で、私を救う方法を探してる。
どうしよう。
本当に救われたら、どうしよう…。
「じゃあ、気を取り直して、服選びをしましょうか。…もう、急がないと陽が暮れちゃうわ!一日じゃ終わらないわね、きっと」
マリーが服屋に入って行く。
「んー、これもいいわね。あぁ、こんなのも。リリーは青が似合うわ。こういうのは好き?」
「あ、あの…」
「ピンクもいいわね。オレンジも可愛いわ」
「あの、マリー、私は剣士なんだ。スカートはちょっと…」
「なぁに?女の子らしい恰好しましょうよ。ほら、これ、着替えてみて」
「だめ、スカートなんて。こんなひらひらしたの、着られない」
「あら、どうして?」
似合わない。
そんな女の子っぽいの。
「嫌なんだ…、その。剣が使えないし」
「そんなに嫌なの。まぁ、一着ぐらいあっても、無駄にならないでしょう。そんなにスカートが嫌なら、これでも着なさい」
「あ、これならいいよ」
「…本気?」
「だって、動きやすそう」
「そう。なら、着替えて来て。他のは適当に選んでてあげる」
「スカートは嫌だよ」
「わかったわよ。動きやすい、女性用の服ね」
「お願い」
試着室に入って、着替える。
あれ?なんだろう、これ。ボタンの位置が逆?
ラングリオンだから?
「マリー、着替えたよ」
少し、袖が長いな。足はなんとかなったけど。
「髪型も変えましょうか。…ねぇ、似合うように変えてあげて」
「いいんですか?マリアンヌ様」
「いいのよ。本人が良いって言ってるんだから。これ、全部会計してちょうだい」
「かしこまりました。…ちょっと、肩と袖を直してあげて」
店主に呼ばれて出てきたお針子が、私の肩と袖を縫い、髪型を変える。
「何かオプションが欲しいわね…。ネクタイもつけてみましょう。後は…、眼鏡とかあれば良いんだけど」
「あ、持ってるよ」
荷物の中から、眼鏡を出してかける。
マリーが店主から受け取ったネクタイを、私の首に結ぶ。
「あぁ、いいわね。かっこいいわ、リリー」
「かっこいい?」
「えぇ。それ、ラングリオンの男性用の衣装だもの」
「え?」
「もう少し胸をつぶせば完璧なんだけど」
そう言って、マリーが私の胸に手を押し付ける。
「や、やめて、」
今、お針子が服に針を入れてるから動けないのに。
「あら可愛い」
周りのお針子たちも楽しそうに笑う。
「エルが何ていうかしらね。楽しみだわ」
あぁ。男装が似合うって、どうなんだろう…。
「それじゃあ、これ、全部エルの家に届けておいてくれる?」
「かしこまりました」
「なんだか未消化だわ。リリー、また買い物に来ましょう。今度はもっと、着せ替えして遊ぶわ」
着せ替えして遊ぶって…。
目的が変わってるよね?マリー。
「さ、パッセの店に行きましょう」
外へ出ると、もう陽が暮れている。
エル。
会っても、平気な顔でいられるかな。
マリーの案内で、今度はレストランへ。
二階建ての建物だけど、宿ではなさそうだった。
「いらっしゃい。マリアンヌお嬢さん。そっちは?」
この人が、パッセさんなのかな。
「私の新しい彼よ」
そう言って、マリーが私の腕に抱き着く。
「マリー。茶化さないで」
男装なんて。
ドレスを着た時よりは恥ずかしくないけれど。
「女の子じゃないか。はじめまして、かな?」
「はじめまして。リリーシアです」
そう言って、頭を下げる。
良かった。女だってわかってもらえて。
「っていうか、まだ誰も来てないの?」
マリーと一緒に周囲を見渡すけれど、エルはまだ来ていないみたい。
昨日会ったカミーユさんも居ない。
「あぁ、約束してたのか。…お。もう一人来たようだぜ。いらっしゃい、カミーユ」
「まさか、リリーシアちゃん?」
カミーユさんが私の目の前に来る。
「いいねぇ、その姿も男心をくすぐるぜ」
昨日、手を握られたことを思い出して、慌ててマリーの後ろに隠れる。
「カミーユ。リリーに何したの?怖がってるじゃない」
「目の前に美しい女性が居て、口説かないなんて男じゃないだろ?」
…なんだろう。この人、すごく嘘つきな感じがする。
苦手だ。
「本当、馬鹿な男。シャルロは?」
シャルロさん。まだ会ったことのない、エルの友達。
「あいつもそろそろ来るんじゃないか?パッセ、あそこの席使うぜ」
カミーユさんが窓際の円形のテーブル席を指さす。
「了解。なんかつまみでも持っていくか?」
「あぁ、適当に頼む。…あれ?」
「どうしたの?カミーユ」
「先にテーブルに行っててくれ。酒を選んでくる」
「わかったわ。行きましょう、リリー」
マリーに手を引かれて、席に着く。
「一日中歩き回ったから、くたくたね。お茶もできなかったし。あぁ、本当に、全部エルのせいよ」
「マリー、違うよ、あれは、私が勝手に…」
勝手に、悲しくなっただけなんだから。
「女の子を泣かせるなんて男として最低だわ」
「なんだマリー、また振られたのか?」
後ろに立ったのは、赤い髪で、左目に銀のモノクルを付けた男の人。
「シャルロ」
この人が、シャルロさん。
「おい、この子はなんだ」
「エルの彼女よ」
「違うよ、マリー」
「だって、リリーはエルのことが好きなんでしょ?」
もう、なんでそういうこと言うかな。
「真っ赤になっちゃって。可愛い」
マリーが私の頬をつつく。
シャルロさんが、私の隣の席に着く。
「この子がリリーシアか。その奇抜な衣装は、マリーのセンスか?」
「可愛いでしょ?」
奇抜な衣装、で片づけられるの。男装って。
「はじめまして。俺はシャルロ・シュヴァイン。ラングリオンで弁護士をやってる。エルを訴えたいなら、いつでも相談に乗るぞ」
「えっ?」
どういう意味?
「リリーはそんなことしないわよ」
「なんだ、それは残念だな」
「あの…、エルの友達なんだよね?」
「友達?誰がそんなこと言ったんだ」
「えっと…」
「言ったでしょ。みんなエルの悪友なのよ」
悪友って。
「つまみを持ってきてやったぞ」
そう言って、パッセさんがナッツとチーズを並べる。
「ありがとう、パッセ」
「食事の希望は?」
「おまかせで」
「了解。ちょっと待ってな」
「カミーユったら、何やってるのかしら。エルも遅いわね」
『エルなら来てるよ』
「エルが?」
「来てるの?」
嘘。どこに?
あぁ、眼鏡をかけてるから気づかなかったんだ。
外していれば絶対に気が付いたのに。
「ナインシェか?」
「えぇ」
『カウンターの向こうに居たのよ。どうせ、向こうでカミーユとお喋りしてるんじゃない?』
「カミーユさんと?」
カミーユさん、エルに気付いたのかな。
背が高いから、カウンターの中が良く見えたのかも。
『リリー。あたし、エルのところに行くわねぇ』
「あ、うん」
眼鏡のせいで見えないけれど、ユールもエルのところに行ったのかな。
「もう、何やってるのよ。連れてくるわ」
「ちょっと、待て」
「なぁに?」
「気のせいかもしれないから聞いておく。リリーシア、今、ナインシェの声が聞こえたのか?」
「あ」
『リリーの馬鹿』
だって。エルが来てるなんて言われたら、返事しちゃうよ。
「リリーは変わった子なのよ。精霊が見えて、声も聞こえるの」
「なんだって?」
「でも、魔力がないんですって」
『またばれちゃったね』
あぁ、私がドジだからだよね…。
「魔力がないってどういうことだ。…魔法が効かないってことか?」
やっぱりそれって常識なんだ。
「そうよ」
「マリー、癒しの魔法を使ってみろ」
マリーが私に光の魔法を使う。
光は一瞬で消えてしまう。
「そんな人間、聞いたことがないぞ」
「そういう子なのよ。じゃ、向こうの馬鹿二人を呼んでくるから待ってて」
マリーはそのままカウンターの方へ行く。
「変わった力だな」
こんなに頭の良い人たちに変わってるって言われるんだから、相当人間離れした力なんだろうな。
「でも、眼鏡をかけてると見えないんだ。眼鏡を外せば…」
眼鏡をずらして、シャルロさんを見る。
「炎の精霊かな」
ラングリオンの人って、炎の精霊を連れている人が多い。
グラシアルは寒色系の光が多かったけれど、ラングリオンは暖色系の光が多い。
「見えるのか」
「人間の体の中に入っている精霊は見えないし、一度も会っていない精霊と会話はできないんだ」
「ロジェ。おいで」
『こんばんは、君がエルの恋人なのかい?』
「違うよ、どうしてみんな、そう言うのかな…」
『それは君。エルがどれだけ君を大切にしてるか、周りのみんなが気づいてるからだよ』
「え?」
どういう、こと?
『気づいてないのは、君だけかもね』
「あの、」
ロジェが、シャルロさんの体に帰る。
「あいつは馬鹿なんだよ。迷わないし、一度決めたら貫き通す。君を愛すと決めたなら、尚更だ」
なんで、そんなことわかるの?
「本当に、面倒事に首突っ込みたがる奴だな…」
どういう意味?
「ほら、エルが来たぞ」
えっ。
振り返ると、マリーを先頭に、エルとカミーユさんがこちらに来る。
「おい、マリー。あれはなんだ」
「あ、ようやくお披露目できるわね。かわいいでしょ?」
「なんで、男装なんてさせてるんだよ」
エルが呆れたように頭を抱える。
「だって、リリーったらスカートを嫌がるんですもの。なんだか、嫌な思い出があるみたいよ」
そこまで、嫌がってたかな…。
「普段着られるような服は、エルの家に送るように頼んできたわ。ちゃんと女性向けの奴よ」
「そうか。助かる」
「久しぶりだな、エル」
「…シャルロ」
「どっかでくたばってるのかと思ってたのに。残念だな」
「勝手に殺すんじゃねーよ」
楽しそうにエルが言って、シャルロさんの隣に座る。
あぁ、やっぱり仲が良い。
エルはテーブルの上のナッツを左指ではじいて、口に入れる。
本当に、器用な人。
「相変わらず行儀の悪い奴だな」
「せっかく良いワインが手に入ったんだ。喜べよ」
「カミーユが飲み干した、あれか?」
「お前、もう、一本飲み干したのか」
「酒と女は人生をバラ色にするんだぜ。ほら、もう一本持ってきてるから心配するなって」
カミーユさんが持ってるのは、エルがバンクスで飲んでいたクアシスワインだ。
「グラシアルのワインなの?」
「あぁ。直輸入だぜ。…どっち持ってきたんだ?」
「ええと。クアシスワイン、か?」
「お前がさっき飲んだのと違う奴だ」
カミーユさんが、みんなのグラスにワインを注いでいく。
「よし。それじゃあ、諸君。エルとリリーシアちゃんの帰還に、乾杯」
皆に合わせて、グラスを掲げて合せる。
「…私も?」
「そうよ」
「えっと…」
良いのかな。
私、この中に居て。
「あ、そうだ。エル、今夜はリリーを借りるわよ」
「借りる?」
「そうよ、私の家に連れて帰るの」
「良いけど、一人にするなよ。信じられないぐらい方向音痴だから」
「えぇ。それはわかるわ」
あぁ。きっと、ポリーズのカフェに行った時のことだよね。
「前よりは、ましになったと思う」
「じゃあ、北がどっちか言ってみろ」
北?
ええと、ええと。
こっち?
私が示した方向を見て、皆が笑う。
あぁ、間違えたんだ…。
「でも、エルの家の場所は、覚えてる」
多分、ここからでも一人で帰れるはず。
「そうね、王都に居れば、わかりやすいんじゃない?」
「北に王城、中央に大きな広場。そこから東西南に延びた広い道の先に大門がある。エルの家は、南大門に続くサウスストリートから、職人通りに入ってすぐだ。迷ったら、サウスストリートを探せばいい」
「職人通りの反対側にあるマンダリン通りには、美味いコーヒーを出す店があるんだぜ。リリーシアちゃん、今度…」
「残念ね。リリーは紅茶派よ」
「城は北に立てることが多いの?グラシアルもそうだ」
「あぁ。城門が南になるからな。一日中日の当たる方角だ。国王が挨拶するにしても、凱旋行進するにしても、日陰になるのは避けるだろ」
「そうか。プレザーブ城も、北に立っているから美しいんだろうな」
「ちょっと失礼」
パッセさんがテーブルの上に、どんどん料理を並べていく。
サラダやマリネ、テリーヌと。
「この、ケーキみたいなのは?」
「キッシュだよ。まぁ、作り方は菓子と似たようなもんだ」
似たようなものって。エルはお菓子も作れるの?
「そうなの?でも、パイだものね。同じなのかしら」
「甘いの?」
「甘いわけないだろ」
そう言って、エルがキッシュを食べる。
うん。エルが食べるなら、絶対甘くないと思う。
「そういえば、リリーに菓子を作ってもらう約束だったな」
「え、っと…」
「リリーはお菓子作れるの?」
なんで、今言うのかな。
「そんなに得意じゃないんだけど」
「私も食べたい。すごく甘い奴、お願いね」
「何言ってんだ。俺が先に頼んだんだよ」
「エルなんて甘いもの食べないじゃない」
「うるさいな」
なのに。どうして作ってなんて言うの。
「マリーは少し、料理を習った方がいいんじゃないか?」
「嫁の貰い手がないぞ」
「失礼ね。料理なんて一生しなくたって平気よ」
「キッシュの説明もできないなんて、問題があると思うぞ」
「おいしければ何でも良いじゃない。テリーヌに使われてる魚がサルモってことぐらいわかるわよ」
向かい側に居るエルが、私の空いたグラスにワインを注ぐ。
グラスが空になったら、すぐに注がれてしまう。酔っぱらわないように気をつけなきゃ。
「カミーユ、酒が足りない。何か美味いの持って来いよ」
「お。勝負するか」
「しない」
「やめろ」
「やめなさい」
なんて息の合った応酬。
本当に、みんな付き合いが長いんだ。
「お前ら仲良いな。そういや、リリーシアちゃんは大丈夫か?そろそろノンアルコールにするかい?」
「あ、はい」
「オランジュエードで良い?」
頷く。
「待ってな」
カミーユさんがカウンターに行く。
良かった。お酒ばかり飲むのは、ちょっと心配だったから。
「カミーユさんって、良い人?」
「あいつは馬鹿で、一番気が利く男よ」
「エルの尻拭いは、たいていカミーユがやってるからな」
あんなに嘘つきな感じがするのに。
優しい人なんだ。
ちょっと意外かも。
「勝負って何?」
「飲み比べだ。先に倒れた方が負け」
「聞いたわよ。二人で馬鹿みたいに飲んで、終わった後は、吐いて大参事だったって」
エルが吐くって。
一体どれだけ飲んだんだろう?
「後の処理をしたのは誰だと思ってる」
「悪かったよ、シャルロ。俺だって、もう二度としたくない」
「どっちが勝ったの?」
「カミーユよ」
嘘。
「エルが負けるなんて、想像つかない」
ワインを一人で四本飲んでも平気な顔してたのに?
「あら、リリーの評価は高いのね。エルを負かすのなんて簡単よ」
「どうするの?」
「魔法を使う前に殴るの」
「ええっ?」
お酒と魔法、関係ないよね?
あれ?もしかしてあるの?どういうこと?
「あ」
エル、危ないって言おうと思った時には、すでにカミーユさんが持ってきたワインの瓶がエルの頭に当たっていた。
「いってぇな」
「あぁ、悪い悪い。マリーがエルを殴れって言った気がして」
今の、わざと?
「言ってないわよ」
マリーがにっこり笑う。…あぁ、殴れって意味だったのかな。
「ほらよ、ラングリオンって言ったら、やっぱり白だろ」
エルがカミーユさんからワインを受け取る。
すると、コルクが勝手に飛ぶ。飛んだコルクは、まっすぐエルの手に収まった。
…魔法を使ったのかな?
「リリーシアちゃんには、これな」
カミーユさんからオランジュエードをもらう。
「ありがとう」
…この人。難しい。
何考えているか良く、わからない人。
「ん?俺の顔に何かついてるかい?」
「いえ…」
でも、エルの友達だから、きっと良い人なんだよね…?
※
すっかり月が高く上った外を、エルと並んで歩く。
綺麗な月。もうすぐ満月かな。
西に太陽が沈むと同時に、東に月が上り、西に月が沈むと同時に東から太陽が昇る。
二つはずっと追いかけっこ。絶対に出会うことはない。
だけど、暁と黄昏時だけ、手を繋ぐと言われている。
黄昏時には、太陽が月の手を引いて引っ張り上げる。
暁の時には、月が太陽の手を引いて引っ張り上げるのだ。
ちょっと、ロマンチックだと思う。
「エル、月は乙女の味方なんだよ」
「月の女神は、節制を司るんだろ?」
「それは夜の女神だよ」
酔っぱらってるのかな。
「蛙姫の話しは知ってる?」
「蛙姫?…また恋愛小説か?」
本当に、エルって恋物語も童話も何も知らないんだから。
「違うよ。童話。悪魔の呪いで蛙になったお姫様は、月の女神に助けを求めるの。月の女神は、自分の力が満ちる満月の夜、愛する人から口づけをもらえたら、呪いを解いてあげるって約束するんだ」
今日は、何も突っ込まないんだな。
「姫は、なんとか愛する人を探し出して、太陽が昇る直前にキスしてもらって、呪いが解けるんだ」
どんな恋物語も。
呪いを解くのは必ず真実の愛の証明。
「試してみるか」
エルが私の腕を引く。
「え?」
そのまま、キスされた。
こんな、道のど真ん中で?
エルが、脱力して私の肩に頭を乗せる。
「大丈夫?エル、」
「…大丈夫だ」
どこが、大丈夫なの。
なんで私にキスするの?
「お願いだから、もう、しないで」
「それは無理な相談だ」
「どうして?」
「好きだから」
エル、違うよ、だってエルが好きなのは…。
「だから、リリーが無防備な限り勝手にする。嫌なら抵抗するんだな」
「エル…」
どうして、そんなにまっすぐ私を見るの。
勘違いしちゃうよ。
「エル!リリー!何やってるの?追いてくわよー」
前を歩いていたマリーの声が聞こえる。
マリーとシャルロさんは、酔っぱらってしまったカミーユさんを支えて歩いているのだ。
「エル。二次会はシャルロの家だ」
「おい。許可した覚えはないぞ」
「まだ飲む気か?」
「花がないのがなぁ…。マリーとリリーシアちゃんも来いよ」
「嫌よ。私はこれからリリーと遊ぶんだから」
「うわっ、と」
マリーがカミーユさんを離したことで、カミーユさんがバランスを崩す。
「リリー、私の家はこっちよ」
「家まで送るよ」
「結構よ。酔っぱらったあんたたちなんかより、よっぽどリリーの方が頼りがいがあるわ」
そう言ってもらえるのは嬉しいかも。
「いってらっしゃい、リリー」
エル。ありがとう。
「うん。いってきます」
エルと別れて、マリーに並ぶ。
「酔っ払いの相手は疲れた?」
「え?…全然。すごく、楽しかったよ」
「そう。ならいいわ。カミーユもシャルロも、根は良い奴なのよ」
「うん。それはわかるよ」
みんな、エルを好きで、大切に想ってるって。
※
っていうか。信じられない豪邸だ。
「あぁ、気持ち良い…。このまま寝ちゃいそうだわ」
「マリー、溺れちゃうよ」
「溺れたら助けてね、リリー」
「もう。しっかりして、マリー」
こんな夜中にお風呂に入るなんて、とっても贅沢。
「ふふふ。…ねぇ、リリー。リリーはエルが好きなのよね?」
「うん」
「さっきもキスしてたものね」
「見てたの?」
「見ちゃったぁ」
お酒って、確か、体を温めるとまわりやすくなるんだよね?
マリー大丈夫かな。
「ねぇ、リリー。エルを幸せにしてあげて」
「え?」
「エルはね、今までいろんなものを拒否し続けてるの」
拒否。
それはきっと、フラーダリーを失ったから。
「それなのに、エルは、リリーを求めてるわ」
「私を?」
「そうよ。エルは今まで、誰かをそばに置くなんてことしなかったわ。ルイスとキャロルでさえ、無理を通して養子にしたくせに、自分では一緒に居ようとしないで、私たちに面倒見ろって言って、旅に行っちゃうのよ」
「エルが王都に居続けないのは…」
「エルは怖がってる。フラーダリーが死んだのが自分のせいだって思い込んでいるから、誰かを大切に想わないように、ずっと避けてる」
エルのせいじゃないのに。
「なのに、あなたを連れて帰ってきた」
「それが、そんなに変わったこと?」
「私、初めて聞いた時信じなかったもの」
「何を?」
「エルが女の子と手を繋いで歩いてる、なんて」
「え…」
「でも、事実だった。だからみんな、リリーはエルの恋人だって噂してたのよ」
手を繋ぐのって、やっぱり、恋人じゃないとしないことだったの?
「エルはリリーのことが大好きよ。リリーはエルに、返事をしてないんでしょう?」
返事をしてないどころか。
断ってしまった。
「私じゃ、だめだよ。私、エルを幸せになんてできない」
「だって、リリーにしか頼めないのよ。エルが好きなのはリリーなんだもの」
「フラーダリーが生きていれば、」
「リリー。たとえエルが過去にフラーダリーを愛していたとしても、今、エルが愛しているのはリリーなの。…それとも、エルは一生、死んだフラーダリーを想っていればいい、って思ってるの?」
「そんなこと、」
「なら、わかるでしょう」
だって。私は、死ぬかもしれないのに。
「ねぇ、マリー。エルは、もう一度大切な人を失うことになったら、どうなるのかな」
「させないわ」
「させない?」
「エルは、同じことを繰り返したりしない。リリーを失わないように、全力を尽くすでしょうね」
あ…。
「自分の命を懸けてでも、リリーを守るんじゃないかしら」
だから…?
だから、私を救おうとしているの?
フラーダリーへの贖罪ではなく。
二度と同じことを繰り返さないために。
私を助ける道を探しているの?
そんな、まさか。
嘘だ。
どうしよう。
考えもしなかった。
今までずっと、私を救う方法を考えてくれていたのは、全部…。
「なぁに?思い当たる節、あるのかしら?」
「あ、の…。私、エルに迷惑ばっかりかけてる」
どうして、エルの好きになった人が私なんだろう。
私じゃなければ、こんなに大変な思いしないのに。
「そう思ってるのはリリーだけじゃない?」
そうだ。いつも、エルは即答する。
迷惑じゃないって。
あぁ、エルの、ばか。
※
―リリー。
夢の中で、呼ばれた気がして。目が覚める。
隣ではマリーが眠っている。
結局、お風呂から上がってすぐに眠ってしまったんだっけ。
エルは今、どうしてるのかな。
ベッドから出て、窓を開く。
今はまだ、夜明け前?
もうすぐ陽が昇りそうだ。
蛙のお姫様が愛する人にキスをしてもらったのって、これぐらいの時間なのかな。
エル。
会いたい。
私はいつも迷ってばかりで。
勘違いもいっぱいして。
エルの気持ちにも全然気づけなかった。
でもね、一つだけ、ずっと迷わないことがあったの。
それは、私がエルのことを好きな気持ち。
これだけは真実なの。
エル、私もあなたのことが好き。
でも、私はエルのことを幸せにはできない。
エルがどんなに私のことを想っていても応えられない。
女王に逆らえると思えないの。
…でも、もしかしたら。
変われるかもしれない。




