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旧作1-2  作者: 智枝 理子
Ⅱ.王都編
15/46

22

「…エル、エル、」

 体をゆすっても、全然起きてくれない。

「イリスのうそつき」

『嘘なんかついてないよ!疲れがたまってるだけだろ』

「私のせいだ」

『違うって』

「このまま目が覚めなかったらどうしよう」

『泣くなよリリー』

 あぁ。どうしよう。

『大丈夫よ。エルの自業自得だから、リリーが気にすることないわ』

「エイダ…。だって、私、避けられたのに」

 どうしよう。

 なんで、なんでキスなんかしたの?

 どうしよう。

「エル」

『エル!起きろよ!この大馬鹿野郎!』

「イリス?」

『お前のせいでリリーが泣いてるんだぞ!いいのかよ!』

「やめて、イリス」

『あー、もう。顕現してぶん殴ってもいい?』

「やめて、」

『じゃあ、泣き止んでよ、リリー』

『そうよ、リリー』

 あぁ。どうすればいいの。

 私が、エルに魔力をあげられる人間なら良かったのに。

 呪いのせいで。

 私が、私であるせいで…。

『リリー。私が居る限り、エルは絶対に死なない』

「エイダ…」

『だから、心配しないで。エルは、リリーのせいで起きないんじゃないわ』

「でも、」

『あれだけ不摂生な生活してるんだもの。起きなくて当然よ』

 あぁ。エイダは優しい。

 私のせいなのは間違いないのに。

『さぁ。あなたが泣いてたら、ルイスとキャロルも心配するわ』

「…うん」

 ごめんなさい。


 ※


 もうすぐ、お昼になるのに、まだ起きてこない。

「どうしたの?リリーシア」

「エル、起きないなって思って」

「いつものことだよ。部屋に帰ってるだけましなんだ」

 私のせいだ。

 でも、言えない…。

「リリーシアは、整理が上手いね」

「え?」

「エルが丸一日かかっても、こんなにできないよ」

「こんなにって?」

「本当に、片付けが苦手なんだよね、エル」

「そうなの?…意外だな。錬金術って器用な人じゃないとできなさそう」

「器用さと整理整頓って違うんじゃない?」

「そうなのかな。アリシアは、どっちも得意だった気がする」

「アリシア?」

「私の姉なんだ」

「兄弟が居るんだね」

「うん。血は繋がってないんだけど。…ルイスとキャロルは?」

「僕たちは血のつながった兄弟だよ。二年前の夏に、エルに拾われて、養子になったんだ」

「エルって何歳なの?」

「今年で二十一歳だよ」

「今年で?」

「そう。エルの誕生日は、リヨンの十六日」

 リヨンは夏の終わり。一年の最後の月だ。

 今は二十歳なんだ。

「ってことは、エルは、八歳しか離れてないルイスを養子に?」

「シャルロが…。エルの友達の弁護士が色々やってくれたみたい。本当は、難民法とか色々あって…。法律すれすれだったらしいんだけどね」

 そう言ってルイスが笑う。

 笑うところかな、それ。

 でも、ラングリオンはしっかり法整備されてる国だから、八歳しか離れていない子供を養子に取るなんて、問題はありそうだ。

 あれ?難民法?

「ルイスって、ラングリオンの人じゃないの?」

「僕は自分の生まれた国がどこだか知らないけどね。エルに言わせると、位置的にはティルフィグンなんだって。もともと貧困区で暮らしていたから、そんなの考えたこともなかったけど。…盗賊に襲われて、親を失って、人身売買を生業にしてる商人に捕まって。ラングリオンで売られるところを、エルに助けられたんだよ」

 貧困区。

 そうか。略奪の対象にもなりやすい場所だから…。

「ほかの子供たちは親元に返されたらしいんだけど。僕らは帰るところがなかったから、そのままエルが王都に連れてきてくれたんだ」

「…そうだったんだ」

「それから錬金術を教わって、去年のヴィエルジュから店を開いたんだよ」

「エルと一緒に?」

「うん。家を探して、改装して。…あっという間だったな。バロンスになった頃には、エルは急に出かけるって言って。旅に出ちゃったんだ」

 バロンスって、ヴィエルジュの次の月なのに。

 どうして?

「それから先は、行ったり来たり。カミーユの方が僕に錬金術を教えてくれてるよ」

「カミーユ?」

「エルの友達。…マリーとシャルロ、カミーユはエルの養成所時代の同期なんだって」

 マリーも言ってたっけ。同期だって。

「親友や友達って言うと、エルは怒るんだよね」

「違うの?」

「そこまで親しい人間なんて作らないって」

「作らない?」

「みんな、エルのことを大事にしてるのにね」

 王都にエルが帰った時に、たくさんの人がエルに声をかけてた。

 ここには、エルのことを好きな人がいっぱい。

 エルのことを大事に想っている人がいっぱいいるのに。

 どうして?

 グラシアルに来た理由だって、行ったことがないから、なんて。

 特別な目的があって旅をしてるわけじゃないのに。

 どうして、王都を離れたがるの?

「いらっしゃいませ」

 扉が開いて、ローブ姿の男の子が入ってくる。

「あれ。ユベール。どうしたの?」

 この子、魔法使いだ。

 エルほど強い光ではないけれど、赤い光。

 炎の魔法使いなのかな?

「彼は、魔法部隊の予備部隊に所属してる友達なんだ」

 魔法部隊って、エルが所属してる?

「ルイス、エルロックさん、居るんだろ?」

「居ないことになってるけど」

「魔法部隊の出動命令だよ。王都の中央広場に亜精霊が現れて戦ってる」

 亜精霊?

「わかった、呼んでくる」

 エルは、きっとまだ魔力が回復してない。

「だめ、エルは寝てるよ。私が行く」

「リリーシア?」

 店の端に立てかけてあるリュヌリアンを背負う。

「大丈夫。…ユベール君、案内して」

「え、でも…」

「お願い。エルに戦わせたくない。ルイス、エルには内緒にしておいてね」

「大丈夫?」

「大丈夫。亜精霊は戦い慣れてる。お昼までには帰るよ」

「わかったよ。いってらっしゃい」

「あの、こっちです」

 細い通りを出て、広い通りをまっすぐ、城の見える方向へ。

 いくつもの光が見える。魔法使いが、十人ぐらい?

 あれ?この、均等な配置。遠くから攻撃してる?

 それとも、防御魔法を使ってる?市街地を守るために?

 広場には、虎の姿をした亜精霊が五匹。一匹はものすごく大きいけれど、残り四匹は普通の虎と同じぐらい。

 走ってリュヌリアンを抜き、一匹を切り上げる。

「何者だ!」

 遠くから声が聞こえる。

「あの、エルロックさんの代理です!」

「代理?…ユベール!逃げろ!」

「わっ」

 後ろに一匹。

 ユベール君に狙いを定めた虎に向かって二回、剣を振る。

 虎がこちらを向く。最初に斬った方が先に体勢を立て直してるから、こっちが先。

 攻撃をかわして、剣を大きく振り回して、背後を斬る。

 もう一度回転して、ユベールを狙っていた虎にも攻撃を加える。

 そして、その背後から、続けて斬りつける。

「待て!殺すな!」

 吹き飛んだ亜精霊を一匹、女性の魔法使いが、小さな小瓶に封印する。

 続けて、残りの一匹も。

 封印に集中してる彼女に向かって、一番大きな虎が咆哮を上げる。

 あれは、ブレスだ。

「逃げて!」

 距離が。

 間に合わない。

『あ!馬鹿!』

 リュヌリアンを、虎めがけて投げつけると、剣は虎の首に深々と刺さり、虎が痛みで暴れる。

 ブレスの発動は阻止できた、けど。

『どうするんだよ、リリー!もっと他に投げるものなかったの!』

 あぁ。エルにもらった煙幕の玉。きっと、あれでも良かったな。

 戦闘中にも使えるって覚えておこう。

 腰に差してある短剣を抜く。

 大きな虎が私に目標を定める。

『防具、つけてないんだからね!』

 そんなの、わかってる。

 大きな虎に向かって走る。虎が振り上げた足を短剣で斬りつける。その勢いで、曲がった膝を足場に、跳躍。

 左右を見る。左側で虎が一匹魔法使いと戦ってる。右の虎の目標は私だ。気をつけなきゃ。

 虎の胴体に短剣を刺して、リュヌリアンを取りに虎に昇ろうとしたところで、虎が暴れ、振り回される。

『そこそこ知能があるみたいだね』

「アリシアの銀狼の方が優秀だよ」

 短剣が外れて、吹き飛ばされる。宙返りして着地。

 着地地点に向かって来た小さい虎の牙を防いで、短剣で斬る。虎の爪が頬をかすった。

『リリー』

 短剣じゃ、短すぎる。

 でも。虎一匹ぐらい、短剣で倒せなきゃ。隙を見て、一撃、二撃。

 横目で見ると、大きい虎は、別の魔法使いに狙いを定めたらしく、ブレスを吐いていた。

 風のブレスは、敵対する魔法使いの防御魔法に阻まれている。

 小さい虎に、次は左から攻撃。うん。動きが良く見えてきた。虎の攻撃はかわせる。

 リュヌリアンなら、とっくに倒せているのに。

『リリー、エルだ』

「え?」

 魔法のロープが、目の前の虎を縛る。

 反撃のチャンス。動かないなら、丸太と一緒だ。縦に三回、横に三回、斬りつける。

 虎が咆哮をあげ、魔法のロープを暴れながらほどく。

「あ」

 まっすぐに突進してくる虎の牙に短剣を当てて防御するが、勢いのついた虎の攻撃に吹き飛ばされる。

 あぁ、もう。短剣じゃ何もかもが軽すぎる。

 目の前に岩が現れて、虎を攻撃する。…誰の魔法?エル?

 そう思ったと同時に、抱き留められ、後ろから炎の魔法が虎に向かって放たれる。

「エル、」

「剣はどうした」

「あれに刺さってる」

 あの、大きな虎。今は誰を標的にしてる?

「なんだってあんなところに…」

 虎に向かって、エルが高く飛ぶ。

 さっきの女の人が、エルの炎の魔法に焼かれた虎を封印してる。

 周りを見渡しても、残りは大きいの一匹だけだから、もう一匹も封印し終わったのだろう。

 見上げると、エルが魔法のロープを虎の口に引っ掛けて宙づりになってる。

「あっ」

 虎が首を大きく動かし、振り回される。

 でも、その反動なのか、風の魔法なのか、エルはそのまま虎の上に乗る。

 そして。

「リリー、受け取れ!」

 エルが私に向かってリュヌリアンを投げる。

 回転しながら飛んできたリュヌリアンを受け取ると、そのまま虎の胴体に向かって斬りつける。

 同時に、エルの炎の魔法が虎に当たる。

「リリー、こいつはそう簡単に死なないから、思いっきりやれ」

 エルはもう、虎の上から降りてる。

「わかった」

 大きな虎。苦手なところはどこかな。

 虎が私に目標を定めて、ブレスを吐く。視界は良好。風魔法のブレスなんて怖くない。

 そのまま剣を大きく振り上げて、ブレスを吐く顎を攻撃する。

 攻撃で大きくのけぞった虎を、二回薙ぎ払い、体制を低くして虎の左へ。

 一撃当てて、更に背後に回る。

 後ろ足が動いたけれど、そんな攻撃は当たらない。

 虎が向きを変えようとする動作に合わせて、移動しながら斬る。

 体が大きいということは、死角が多いということ。

 だんだんイライラしてきたのか、虎の動きが大振りになってくる。

「リリー、避けろ」

 エルの声が聞こえて、虎から離れる。

 エルの方から、真っ黒な魔法が…。

「あれは…、闇の魔法?」

 虎の下に現れた深淵の闇が、虎を地面に吸いつける。

 虎がどんなに暴れても、闇がどんどん虎に絡みついていく。

『なんだ、あれ…』

 あんなの、絶対に逃げられない。

 あんなに大きな亜精霊を一匹、まるごと飲み込む闇の魔法なんて。どうやったら発動できるの?

 虎が動きを止めたところで、女の魔法使いが虎を封印し、闇の魔法が消える。

「リリー」

 エルが私の傍に来る。

 あんな魔法を使ったのに。全然、魔力が減ってない。

 どういうこと?…エルの魔力って、どれだけあるの?

―知らないの?金髪にブラッドアイ。炎と闇の魔法を統べる悪魔の魔法使い。

 ポリー…。

「怪我は?」

 怪我?

「大丈夫。してないよ」

 エルが私の頬を撫でる。

「してるだろ」

 さっき、虎の爪がかすったんだっけ。

 たったそれだけの怪我を心配するなんて。

 あぁ、良かった。 

 エルは、エルだ。

「なんで戦ってるんだ」

 え?

「あの…、ごめんなさい」

 どうしよう。なんで怒ってるんだろう。

 勝手なことをしたから?

「エルロック」

 女の人の声。亜精霊を封印していた人だ。

 その人が、十人ぐらいの人を連れて、目の前に来る。

 そうだ。ユベール君は言っていた。魔法部隊の招集だって。

 これが、エルの所属してる王都魔法部隊。

「レティシア。リリーは一般人だぞ。なんで巻き込んだ」

「違うの、本当は、エルを呼びに来てたんだけど、私が代わりに…」

「伝令ミスだ。詫びよう」

 違う。私が勝手に…。

「詫びで済むかよ!」

 あぁ、すごく、怒ってる。

「もともとは、エルロックが招集に応じないからだ」

「俺はまだ、帰還の報告もしてない」

「帰還してるのは、周知の事実だ」

「何故、守備隊に援軍を頼まなかった。俺が来なかったらどうするつもりだ?」

「これは我々の任務」

「まだそんなこと言ってるのか?頭を冷やせ。ここは王都のど真ん中だ」

「…実験体は無事回収、市民に一人の怪我人も出さず、街には何の被害もない。完璧な成果だ。…エルロック。明日の訓練には参加しろ。隊長命令だ」

 隊長?レティシアという名前の、この女の人が?

「行かねーよ。…行くぞ、リリー」

 エルが私の手を掴む。

「待て」

「まだ何か用か?」

 レティシア隊長が、私の前に立つ。

 どうしよう。怒ってる?

「名前は?」

「リリーシア」

「リリーシア。先ほどは助かった。礼を言う」

 ブレスの発動を止めたこと?

「あの、勝手なことして、ごめんなさい」

「以上だ」

 私の話しを聞かずに、レティシア隊長は行ってしまう。

 どうしよう。怒らせたままだ。

「帰るぞ」

 エルが私の手を引く。

「怒ってる?」

「少し」

 少しって感じじゃないけれど。

「でも、知らない人について行ったわけじゃなくて、ルイスは魔法部隊の人だって言ってたし…」

 エルが戦える状態だなんて思わなかったから。

「もう、いいよ。無事だったから」

 エルが私を抱きしめる。

 もしかして、私のことが心配で、怒ったの?

 心配なんていらないのに。

 エルが来なくても、きっと大丈夫だった…、かな。

 リュヌリアンを手放したのはまずかったと思うけれど。

「ねえ、エル、魔法使って、平気なの?」

 手を引かれて、一緒に歩く。

「ん?…今、何時だ?」

「もうすぐお昼」

「昼まで寝てたのか…。帰ってキャロルの料理食べないとな」

 私の話し、聞いてるのかな。

 結局。ラングリオンに帰ってからエルが食べたのって、スープだけ。

 …どうなってるんだろう。エルって。

 食べないと、危ないのに?


 ※


「いーっぱい、食べてね」

「そんなに食えないって」

「食べれるときに食べなくてどうするの?どうせ、夕飯は食べないんだから、今、いっぱい食べて!」

「わかったよ…」

 エルはそう言って、スープをすする。

 空腹感、ないのかな。

「リリーも座って。ルイスー!ランチだよー!」

 キャロルがお店の方に向かって声をかける。

『おい、エル。エイダって、どれだけ力の大きい精霊なんだ?』

「……」

『お前、食べないとやばいんだろ?』

「誰に聞いたんだ」

『ルイスが言ってたんだよ』

 ルイスが台所に入ってくる。

「ルイス、お前、精霊の声が聞けるようになったのか?」

「え?聞けないよ。…どうしたの?」

「なんでもない」

『エル、気をつけろよ』

 イリス、何か知ってるのかな。

「あの、エル…」

「イリスの言ってることなんて気にするな。心配されるようなことなんてないから」

 嘘。

 嘘だ、それ。


 ※


 午後はキャロルと一緒に二階の片付け。

 廊下の荷物も大分片付いて、明日には部屋を一つ空っぽにできそうだ。

 整理整頓するだけでこれだけ嵩が減るって、ものすごく不思議な感じがするのだけど、散乱した本をエルの部屋に運んだことが大きいのかもしれない。

 その後は、ルイスが出かけるというので店番。

 困ったことがあったらエルに聞いてって言われたけれど、エルがあの錬金研究室にこもりっきりじゃ、答えてくれるかわからない。

 でも、お客さんは全然来なくて、ちょっと暇。

―エルは二、三日食べなくても平気みたいだよ。

―ちゃんと食べないと、人間でいられなくなるって。

 これって、どういうことだろう。

 エイダに関係があることみたいだった。

 食べなくても平気。食べなくても死なない。

 …なんだかそれって精霊みたい。

 精霊はものを食べない。

「エルは、人間だよね」

『何言ってるのさ。当たり前だろ』

「でも、精霊みたい」

『あの魔法は反則だったよね。まるで闇の精霊そのものだ』

「え?」

 今日、大きな亜精霊に使っていた魔法?

『あのクラスの魔法を人間が使おうとするなら、魔法陣を使わなきゃ無理だ。普通の人間だったら魔力が足りない』

 魔法陣って、周囲の精霊に力を借りる魔法のこと?

 エルが、黄昏の魔法使い討伐の時に、描いてたよね。

「どういうこと?」

『リリー。魔法学の基礎。魔法の発動の理論は?』

「ええと…。精霊の持つ自然の力を引き出し、自分の魔力に乗せて放つこと。魔法使いは、精霊と契約することによって、その力を引き出せるようになるから…」

『そう。精霊っていうのは魔法を使うための媒体だ。その絆が深ければ深いほど、より根源的で強力な力を引き出せる。けれど、普通の人間は精霊が持つ本来の力も半分も使えない。何故なら、魔法の効果は、人間の魔力によって決まるからだ』

「エルは…」

『すごく強い魔力の持ち主なんだろ?』

「うん。すごく強くて」

 だから、その強力な赤い力に引かれて、私はエルにぶつかった。

「あれ?そういえば、エイダって今どこに居るんだろう」

『居ないの?』

 日中、エルの魔力は赤くない。

 エルが本来持つ金色の輝きだ。

 ラングリオンに帰って来てから、いつもそうだった。

「朝は一緒に居るんだけど…。日中は見かけないな」

『同化しないように、エルから離れてるのかな』

「同化しないように?」

『エイダは強い精霊だ。その力の影響を受ける』

「影響を受けるって…」

『リリー、亜精霊とは何か』

「え?亜精霊は、精霊から強い影響を受けた生き物が、精霊の力と同化してしまったもの。その多くは本来の性質を失い、全く別の存在になるとされる。最も分かりやすい例が、海の精霊に食われた人間、マーメイドであり、元の姿から全く違う姿に変わることも珍しくない。また、性格を破たんさせ正気を失い凶暴化することも多くある」

 精霊が生き物の魂を食うのはとても罪なこと。だから、精霊自身もただではすまず、消滅するか同化する。

 人間が食われることってそんなにないって聞いたけれど。

 たいていは人間以外の動物が食われる。今日戦った亜精霊のように、巨大化するのも一般的な例。

『正解だ。リリー偉いよ』

「酷いよ。馬鹿にしているの」

『大事なのは、精霊が生き物に強い影響を与えるってところだ。教科書には、精霊が生き物の魂を食うって書いてあったと思うよ』

「そうだっけ…」

『でも、ちゃんと亜精霊について理解しているなら、必ずしも魂を食うだけじゃないってわかる。だから、リリーは偉い』

 イリスが褒めるなんて珍しい。

「ありがとう」

『じゃあ、わかるだろ?』

「えっと…」

 つまり、エルは精霊から強い影響を受けている。

 強い影響の元は、強い精霊の力。

「エイダの力の影響を受けて、エルが、亜精霊になってしまう?」

『おそらくね。亜精霊って言っても…。これを亜精霊って呼ぶのかボクにもわからないけど、一般のイメージとはずっと違うよ。食われるわけじゃなく、徐々に浸食されているわけだから。たとえ完全に同化したとしても、エイダとは切り離された存在だし、エルの姿は変わらないし、精神が崩壊することもないだろう』

 つまり、今の姿のまま固定されて、亜精霊になってしまう?

 亜精霊とは魔力だけで生きる存在。

 けれど、精霊の寿命の考え方と違って、元の生き物の寿命に依存することが多い。それは、魂に刻まれた生き物としての寿命、だっけ。

 もちろん魔力を失えば死ぬけれど、魔力がゼロにならない限り、精霊と違って魔力を回復できる。

「いずれ食べなくても良くなってしまうから、食べないとまずいの?」

『それを言った奴に聞かないとわからないよ。精霊の力の影響を抑える方法なのかもしれない』

「ポラリス…。キャロルは、王都の占い師って言ってたよ」

『占い師か』

「明日、マリーに連れて行ってもらおう」

『そうだね。…リリー、気を付けてね』

「え?」

『今日みたいなことにならないように』

「今日みたいなことって?」

『亜精霊との戦闘。危なかったって自覚ないの?』

「リュヌリアンがなくても、平気だよ」

『平気じゃなかっただろ。あんな小さい虎一匹に苦戦してたくせに』

「してないよ」

 短剣が軽くて吹き飛ばされたけれど。

『喧嘩っ早いのはリリーの悪い癖だよ。エルに来た依頼なんだから、大人しくエルに戦わせれば良かったんだ』

「でも、エルは、昨日私が魔力を奪ったから…」

『そんなことなかっただろ』

 それは、昼まで寝ていたからじゃないのかな。

『あのね、リリー。エルが、リリーの為に本気で力を使ったら、やばいんだ』

「本気で力を使う?」

『エルは、力を抑えながら戦ってる』

「まさか」

『今日の魔法を見て思わなかった?ポルトペスタで、エルの魔法を受けて思わなかった?エルの魔法は強力だ』

 確かに。あんなにすごい魔法を使ったのに、エルの魔力は全然減ってなかった。

『エルは、その力でいくらでも人間を殺せる。悪魔の素質を持ってる』

「悪魔って…」

 大きすぎる力を人間を殺すために使うと、魂が穢れて悪魔になる。

 悪魔となった魂は、その穢れのせいで死者の世界へ行くことができない。

 肉体が滅びても、永遠に現世を彷徨う魂となるのだ。

 その為、悪魔召喚という手法によって、何度でも蘇る。

「エルは、悪魔になんてならないよ」

『魔法で人間を殺せば悪魔になる』

「そんなこと、しないよ」

『そうだね。自分の為には使わないんだろうね。アリシアの時がそうだったから』

「え?」

『縛られていたって魔法は使えるよ。たとえ女王の娘だったとしても、エルが本気でアリシアを殺そうと思っていれば、いくらでも殺せたし、逃げられた』

「そうしなかったのは、力を抑えて戦っているから?」

『おそらくね。でも、エルはリリーの為に力を使うことは惜しまない。リリーは自分が危ない目に合わないように気をつけなきゃいけないよ』

 エルは私が戦うといつも怒る。

 それは…。

―俺のせいで、誰かが傷つくのは嫌だから。

 エル…。

―リリー。知ったら後悔するわ。

―これは、エルが最も大切にしていた人の話しよ。

 マリー…。

 エルは最も大切な人を失ってる。

 きっとそれは、エルが愛した人。

 エルはきっと、その人を守れなかったから。だから、目の前に居る人を守りたいと願うんだろう。

「どうして、私、エルと一緒に居るんだろう」

『え?』

「私のせいで、エルが傷つく」

『どういうこと?』

「私は、救われることはないよ」

『何、言ってるんだ』

「エルは、女王の秘密を解き明かそうとしてる。そんなことしても、私が死ぬのは変わらないのに。私が死ねば、エルは傷つく。きっと、大切な人を守れなかったことを思い出す」

『リリー。死ぬって決まったわけじゃないよ』

「女王には逆らえない」

『でも』

「じゃあ、イリス。女王のことや、女王の精霊について、私に話せる?」

『…リリー』

 イリスにも話せないことがある。

 おそらく、女王か女王の精霊…。もしくは、紅のローブに誓約させられているんだろう。

「イリスは氷の大精霊の眷属なんでしょう」

『え』

「娘に与えられるのは必ず氷の精霊だ。娘が生まれると同時に、タイミング良く、氷の精霊が顕れるなんておかしい。精霊を生めるのは大精霊だけ。そう考えれば、女王の契約している精霊が氷の大精霊だってことぐらい、わかるよ」

『…正解だよ』

「正解?…言ってもいいの?」

『言われたことが正解か不正解かぐらいなら言えるよ。ボクが情報を漏らすわけじゃないからね』

 あれ?じゃあ…。

「イリス、もしかして…」

『そうだよ。ボクはエルに協力してる。エルがたどりついた答えが、正解か不正解か教えてる』

「教えてるって。エルは、正解に辿り着いてるの?」

『あいつはすごいよ。ボクが話さなくても、答えを見つけてくる』

―あいつはほっといても、すべて解き明かすだろう。

 アリシアも言っていた。

 本当に?

 ソニアからも何かを聞き出そうとしてたし。

 グラン・リューからも手紙を受け取っていた。

 アリシアからも情報を得ていた。

 そういえば、アリシアは言っていた。エルはあの時点で、リリスの呪いについて知っていたって。

 もしかして、あの時点で、女王の娘についての知識をそろえていた?

 そして今、女王から私を解放する方法を探してる…?

 どうして、エル。

「無理だよ」

『無理?』

「だって、今まで誰も女王に逆らえなかったのに」

『エルはきっとリリーを救うよ』

 救われる?

 そんなの、考えたこともない。

 私が死なない?

 あぁ、それが本当だったら、私はエルと…。

 だめ。

 だめだ、そんな希望。

 怖い。

「女王には逆らえない」

 エルが私を救ってくれるなんて。

 そんな、物語みたいなこと、現実で起こるわけがない。

 エル、無理だよ。

 やめて。

 私を救おうなんて考えないで。

 私は救われない。

 エルがどんなに頑張っても。

 私を救えなかったら、エルだって傷つく。

 きっと、絶望してしまう。

 また、救えなかったって。

「私が好きになったせいだ…」

『なんだよそれ。それって、後悔することなの?』

「だって。好きにならなければ、エルと一緒に居ることもなかった。エルが悩むこともなかった」

『泣くなよ。仕事中だろ』

「…うん」

 目元をぬぐう。

『好きになるのに理由なんてないって言ったのは、リリーじゃないか。好きにならないなんて出来たのか』

 出来ない。

 エル。

 あなたの瞳。髪。声。手。笑顔。

 優しいところ。迷わないところ。まっすぐなところ。

 全部好き。

 違う、そんなのが全部なくても好き。

 エルがエルであるなら。

 私はエルが好き。

 あぁ。どうして、こんなに好きなの。

「出会わなければ良かった」

『出会うのは運命だって言ったのもリリーだ』

 エル。

 きっと私は、あなたに会うために生まれてきた。

 でも。

 それが、エルを傷つけることになるなら。

『ねぇ、リリー。自分がどれだけエルに対して失礼なこと言ってるか、わかってるのか』

「え?」

『リリーこそ、自覚ないんじゃないの』

「自覚?」

『エルがどれだけリリーを想っているかわからない?』

「想ってる…?」

『アユノトでリリーが死にかけた時、エルは、自分からリリーにキスしたんだよ?ポルトペスタで襲われそうになったのだって、もう忘れたの?エルがリリーに一緒に暮らそうって言ったのだってリリーの為じゃないか』

 私の為…。

『だいたい、自分で言ってただろ。キスは好きな人とするものだって。それは、エルに当てはまらないっていうのか』

 何を、言ってるの?

「そんな…」

 違う。

 違うよ。

 エルが私のことを好きになるなんて。

 だって、そんなの、だめ。

『リリー、逃げるのやめなよ』

「逃げてなんか」

『じゃあ、エルに好きだって言われたら、リリーはどうするの』

 どう、しよう。

 きっと、すごく嬉しい。

 でも。でも、絶対だめ。

 だって、私はエルと一緒にはなれない。

 だって、私じゃエルを幸せにできない。

 私は死ぬ。

 エルがまた悲しい思いをするだけ。

「ねぇ、イリス。エルに内緒で、こっそり遠くに行こうか?」

『馬鹿じゃないの?逃げられないよ。エイダの契約の証があるじゃないか』

 逃げることも、できない。

「そうだったね」

 約束したから。三年間一緒に居るって。

 嬉しかったのに。

 今では喜べない。

 好きだって言われたらどうしよう。

 耐えられない。

 そんなこと言われたら、一緒には居られない。

 拒否しなきゃいけない。

 この気持ちを気づかれるわけにはいかないんだ。

 たとえエルが私を好きでも、嫌いでも。


 ※


 夜。

 相変わらず、エルは錬金道具と向き合っている。

 顔色は悪くないよね。

 お昼、ちゃんと食べたから?

 それとも、食べなくても平気な身体だから?

 一体いつまで、こんなこと続けるんだろう。

 そう思っていると、ばたんっと急に扉が開く。

「…誰?」

 この光。見慣れない色だけど、魔法使い?

 金髪碧眼の背の高い男の人が、まっすぐエルのほうに歩いて行ったかと思うと、エルを掴んで、殴る。

「エル!」

 急いでエルの傍まで行く。

「カミーユ」

 カミーユ?エルの友達の?

「帰って来たか?」

「あぁ。ただいま」

「エル、大丈夫?」

「大丈夫だ」

 許さない。

「私が、殴り返す?」

 どうして、こんなこと。エルを殴った相手を睨む、と。

 その相手に手を握られる。

「うっわ、思った以上に可愛いじゃねーか。君がリリーシアちゃん?俺はカミーユ・エグドラ。エルなんてほっといて、俺と飲みにいかないか?」

「さ、触るな!」

 何、この人?

「誰が手ぇ出して良いって言った?」

 エルが私とカミーユさんの間に入る。

「今時、手すら握らせてくれない女性にはお目にかかれないね。決めた。俺はリリーシアちゃんを落とすぜ」

 落とす?

「お前、本当に馬鹿だよな」

「それが王立錬金術研究所のエースに言うことか?」

「お前が馬鹿じゃなかったらなんなんだよ」

「うるせーな。相変わらず、変な研究しやがって」

 あれ?

 この人、もしかして、エルとすごく仲が良い?

 二人で、エルの実験道具やメモを眺めながら話してる。

「あぁ、思い出した。船酔い止め薬だ」

 酔い止め?

「酔い止め?んなもん、いつ使うんだよ」

「作ったことがないから、色々試してたんだよ」

 あの、今日、午後からずっと研究室に引きこもってたのって。

 お店の薬作ってたわけじゃなくて、普通に研究してたってこと?

 しかも、船酔い止めを?

 ラングリオンの王都では需要ないよね?

 もしかして、私が船酔いした時に作れなかったから?

 うそ。

 信じられない。

「エル」

 エルの服を引っ張る。

「あぁ、そうだな。そろそろ寝るか。というわけだから、帰れ」

「なんだよ、一杯ぐらい付き合えよ」

「…もう疲れた」

「連れねーなぁ。じゃあ明日、いつものところに集合な。リリーシアちゃんも連れてこいよ」

 え?私?

「集合?」

「マリーとシャルロも呼ぶぜ。…そういや、まだマリーに会ってないんだって?」

「会ってない」

 エルはずっと引きこもってるから。

「私は会ったよ」

「え?」

「店に来てたから」

「何か言ってたか?」

「えっと」

 どうしよう。エルの秘密を教えてもらうなんて言えない。

「今度、本を貸してくれるって」

「良かったな」

 エルが笑う。

 ごめんなさい。エル。

「じゃあな。忘れんなよ」

「あぁ」

 カミーユさんが手を振って出ていく。

 エルのこと、心配して来たのかな。

「悪かったな。巻き込んでばっかりで」

 あぁ、良かった。昨日と違って、今日のエルは元気だ。

「いいよ。エルと居ると、毎日違うことが起こって面白い。…カミーユさんは、ちょっと苦手だけど」

「だから言っただろ。馬鹿が居るって」

「え?どこが馬鹿なの?」

 だって、錬金術の話ししてたよね?

 エルは私を見て笑う。

「寝るか」

「うん」

 エルの後について、エルの部屋まで行く。


「そういえば、俺が居ない間、ずっと掃除してたわけじゃないよな?何やってたんだ?」

 ようやく、聞かれた。

 エルの中では、私はずっと掃除していたことのなってたの?

「エルにも、色々声かけてたんだけど…」

 エルが落ち込んでる。

 本当に、何も気づいてないんだな。

 ルイスの言うとおり。

「大丈夫。集中してるとエルは何も聞こえないっていうの、ルイスから聞いてるから」

「そうか」

 それから、自己嫌悪に陥る?

「悪かった。なんていうか…」

 すごいな。本当にルイスの言うとおり。

「大丈夫。それも、ルイスから聞いてるよ」

「え?」

「きっと、自己嫌悪に陥るだろうから、慰めてあげてって」

 エルが頭を抱える。

 エルは本当に、色んな人から愛されてる。

「家族って良いね」

「リリーも家族だ」

「それは…」

 違うよ。私は、家族にはなれない。

 いずれ、ここを去らなければならない。

 でも。

「エル、ここに連れてきてくれてありがとう。私は今、幸せだよ」

 ルイスもキャロルも、本当に、家族の一員みたいに接してくれるから。

 ここはとてもあたたかくて。

 すごく、満たされる。

 だから、自分が居ちゃいけない気がして。

「いいや。違う」

「違う?」

 エル?

「俺は、リリーを幸せにしたい」

 エル…?

 待って、それって。

「だめ」

 それは。好きな人に言う言葉だ。

 私に言わないで。

「だめだよ、エル。私は…。私は、エルの気持ちには答えられない」

「リリー?」

 だって、私はエルを幸せにすることはできないんだよ。

 私はいずれ死ぬ存在。

 エルが私を求めれば、大切な人を失うことを、繰り返す。

「だって、私…」

 どうしよう。

 好きになれれば、それで良かったはずなのに。

 私の目的はそれだけだった。

 なのに。

「あぁ…」

 私は、エルを求めてる。

 抱きしめて。キスして欲しい。

 一緒に居たい。

 死にたくなんてない。

 救ってほしい。

 ずっと一緒に居たい。

 好きなの。

 好きで好きでたまらないの。

「エル…」

 いつから、望んでたんだろう。

 望んではいけないことを。

 こんなに、たくさん。

 ただでさえ、エルに甘えてばかりで、私は何もエルにしてあげられないのに。

 これ以上、何かを望むなんて。

「ごめん。泣かせるつもりじゃなかった」

 エルが私の涙を拭う。

 違うの。

 泣くつもりなんてなかったの。

 勝手に、涙が出るの。

 嬉しいのに。

 好きな人から言われたい言葉だったのに。

 その言葉をもらう資格がないのが辛い。

「エル、苦しい」

 気持ちを、伝えてはいけない。

「エルが優しいから」

「え…」

「それに甘えてばかりいる。そんなこと、許されないのに」

 もう、終わりにしよう。

「リリー、俺は、」

「一緒に居たいのに、一緒に居ることが辛い」

 好きなのに。

 好きでいるのが辛い。

 求めてるのに。

 求めてはいけない。

 この気持ちを受け入れてほしいと願うのに。

 許されない。

 エル、助けて。

「エル…、もう、だめ」

 もうだめ。

 もう一緒には居られない。

「俺と一緒に居るのが、辛い?」

「うん」

「でも、一緒に居たい?」

「うん」

 エル。

 好きで、好きで仕方がないの。

 一緒に居たい。

 でも、もう、限界。

 これ以上一緒に居たら辛い。

 だって、好きになってもらうことはできないんだ。

 エル、私を幸せにしたいと願わないで。

 私は幸せにはなれない。

「お願い。一緒に居て、リリー」

「エル?」

 どうして…。

 お願いなんて。

「ずっと」

 あぁ、その言葉。

 だめだ。

 これ以上…。

「うん」

 抗えない。

 抗えるわけがない。

 それは私の望みでもあるから。

「リリー、好きだよ」

 エル。

 私も好きだよ。

 言われたかった、最高の言葉なのに。

 受け取れない。

「エル、ごめんなさい」

「いいんだ」

 ごめんなさい。

 私がエルにしてあげられることって、何?

 一緒に居ることで、私はエルに何ができるんだろう。

 私がエルを幸せにしてあげることはできないのに。



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