22
「…エル、エル、」
体をゆすっても、全然起きてくれない。
「イリスのうそつき」
『嘘なんかついてないよ!疲れがたまってるだけだろ』
「私のせいだ」
『違うって』
「このまま目が覚めなかったらどうしよう」
『泣くなよリリー』
あぁ。どうしよう。
『大丈夫よ。エルの自業自得だから、リリーが気にすることないわ』
「エイダ…。だって、私、避けられたのに」
どうしよう。
なんで、なんでキスなんかしたの?
どうしよう。
「エル」
『エル!起きろよ!この大馬鹿野郎!』
「イリス?」
『お前のせいでリリーが泣いてるんだぞ!いいのかよ!』
「やめて、イリス」
『あー、もう。顕現してぶん殴ってもいい?』
「やめて、」
『じゃあ、泣き止んでよ、リリー』
『そうよ、リリー』
あぁ。どうすればいいの。
私が、エルに魔力をあげられる人間なら良かったのに。
呪いのせいで。
私が、私であるせいで…。
『リリー。私が居る限り、エルは絶対に死なない』
「エイダ…」
『だから、心配しないで。エルは、リリーのせいで起きないんじゃないわ』
「でも、」
『あれだけ不摂生な生活してるんだもの。起きなくて当然よ』
あぁ。エイダは優しい。
私のせいなのは間違いないのに。
『さぁ。あなたが泣いてたら、ルイスとキャロルも心配するわ』
「…うん」
ごめんなさい。
※
もうすぐ、お昼になるのに、まだ起きてこない。
「どうしたの?リリーシア」
「エル、起きないなって思って」
「いつものことだよ。部屋に帰ってるだけましなんだ」
私のせいだ。
でも、言えない…。
「リリーシアは、整理が上手いね」
「え?」
「エルが丸一日かかっても、こんなにできないよ」
「こんなにって?」
「本当に、片付けが苦手なんだよね、エル」
「そうなの?…意外だな。錬金術って器用な人じゃないとできなさそう」
「器用さと整理整頓って違うんじゃない?」
「そうなのかな。アリシアは、どっちも得意だった気がする」
「アリシア?」
「私の姉なんだ」
「兄弟が居るんだね」
「うん。血は繋がってないんだけど。…ルイスとキャロルは?」
「僕たちは血のつながった兄弟だよ。二年前の夏に、エルに拾われて、養子になったんだ」
「エルって何歳なの?」
「今年で二十一歳だよ」
「今年で?」
「そう。エルの誕生日は、リヨンの十六日」
リヨンは夏の終わり。一年の最後の月だ。
今は二十歳なんだ。
「ってことは、エルは、八歳しか離れてないルイスを養子に?」
「シャルロが…。エルの友達の弁護士が色々やってくれたみたい。本当は、難民法とか色々あって…。法律すれすれだったらしいんだけどね」
そう言ってルイスが笑う。
笑うところかな、それ。
でも、ラングリオンはしっかり法整備されてる国だから、八歳しか離れていない子供を養子に取るなんて、問題はありそうだ。
あれ?難民法?
「ルイスって、ラングリオンの人じゃないの?」
「僕は自分の生まれた国がどこだか知らないけどね。エルに言わせると、位置的にはティルフィグンなんだって。もともと貧困区で暮らしていたから、そんなの考えたこともなかったけど。…盗賊に襲われて、親を失って、人身売買を生業にしてる商人に捕まって。ラングリオンで売られるところを、エルに助けられたんだよ」
貧困区。
そうか。略奪の対象にもなりやすい場所だから…。
「ほかの子供たちは親元に返されたらしいんだけど。僕らは帰るところがなかったから、そのままエルが王都に連れてきてくれたんだ」
「…そうだったんだ」
「それから錬金術を教わって、去年のヴィエルジュから店を開いたんだよ」
「エルと一緒に?」
「うん。家を探して、改装して。…あっという間だったな。バロンスになった頃には、エルは急に出かけるって言って。旅に出ちゃったんだ」
バロンスって、ヴィエルジュの次の月なのに。
どうして?
「それから先は、行ったり来たり。カミーユの方が僕に錬金術を教えてくれてるよ」
「カミーユ?」
「エルの友達。…マリーとシャルロ、カミーユはエルの養成所時代の同期なんだって」
マリーも言ってたっけ。同期だって。
「親友や友達って言うと、エルは怒るんだよね」
「違うの?」
「そこまで親しい人間なんて作らないって」
「作らない?」
「みんな、エルのことを大事にしてるのにね」
王都にエルが帰った時に、たくさんの人がエルに声をかけてた。
ここには、エルのことを好きな人がいっぱい。
エルのことを大事に想っている人がいっぱいいるのに。
どうして?
グラシアルに来た理由だって、行ったことがないから、なんて。
特別な目的があって旅をしてるわけじゃないのに。
どうして、王都を離れたがるの?
「いらっしゃいませ」
扉が開いて、ローブ姿の男の子が入ってくる。
「あれ。ユベール。どうしたの?」
この子、魔法使いだ。
エルほど強い光ではないけれど、赤い光。
炎の魔法使いなのかな?
「彼は、魔法部隊の予備部隊に所属してる友達なんだ」
魔法部隊って、エルが所属してる?
「ルイス、エルロックさん、居るんだろ?」
「居ないことになってるけど」
「魔法部隊の出動命令だよ。王都の中央広場に亜精霊が現れて戦ってる」
亜精霊?
「わかった、呼んでくる」
エルは、きっとまだ魔力が回復してない。
「だめ、エルは寝てるよ。私が行く」
「リリーシア?」
店の端に立てかけてあるリュヌリアンを背負う。
「大丈夫。…ユベール君、案内して」
「え、でも…」
「お願い。エルに戦わせたくない。ルイス、エルには内緒にしておいてね」
「大丈夫?」
「大丈夫。亜精霊は戦い慣れてる。お昼までには帰るよ」
「わかったよ。いってらっしゃい」
「あの、こっちです」
細い通りを出て、広い通りをまっすぐ、城の見える方向へ。
いくつもの光が見える。魔法使いが、十人ぐらい?
あれ?この、均等な配置。遠くから攻撃してる?
それとも、防御魔法を使ってる?市街地を守るために?
広場には、虎の姿をした亜精霊が五匹。一匹はものすごく大きいけれど、残り四匹は普通の虎と同じぐらい。
走ってリュヌリアンを抜き、一匹を切り上げる。
「何者だ!」
遠くから声が聞こえる。
「あの、エルロックさんの代理です!」
「代理?…ユベール!逃げろ!」
「わっ」
後ろに一匹。
ユベール君に狙いを定めた虎に向かって二回、剣を振る。
虎がこちらを向く。最初に斬った方が先に体勢を立て直してるから、こっちが先。
攻撃をかわして、剣を大きく振り回して、背後を斬る。
もう一度回転して、ユベールを狙っていた虎にも攻撃を加える。
そして、その背後から、続けて斬りつける。
「待て!殺すな!」
吹き飛んだ亜精霊を一匹、女性の魔法使いが、小さな小瓶に封印する。
続けて、残りの一匹も。
封印に集中してる彼女に向かって、一番大きな虎が咆哮を上げる。
あれは、ブレスだ。
「逃げて!」
距離が。
間に合わない。
『あ!馬鹿!』
リュヌリアンを、虎めがけて投げつけると、剣は虎の首に深々と刺さり、虎が痛みで暴れる。
ブレスの発動は阻止できた、けど。
『どうするんだよ、リリー!もっと他に投げるものなかったの!』
あぁ。エルにもらった煙幕の玉。きっと、あれでも良かったな。
戦闘中にも使えるって覚えておこう。
腰に差してある短剣を抜く。
大きな虎が私に目標を定める。
『防具、つけてないんだからね!』
そんなの、わかってる。
大きな虎に向かって走る。虎が振り上げた足を短剣で斬りつける。その勢いで、曲がった膝を足場に、跳躍。
左右を見る。左側で虎が一匹魔法使いと戦ってる。右の虎の目標は私だ。気をつけなきゃ。
虎の胴体に短剣を刺して、リュヌリアンを取りに虎に昇ろうとしたところで、虎が暴れ、振り回される。
『そこそこ知能があるみたいだね』
「アリシアの銀狼の方が優秀だよ」
短剣が外れて、吹き飛ばされる。宙返りして着地。
着地地点に向かって来た小さい虎の牙を防いで、短剣で斬る。虎の爪が頬をかすった。
『リリー』
短剣じゃ、短すぎる。
でも。虎一匹ぐらい、短剣で倒せなきゃ。隙を見て、一撃、二撃。
横目で見ると、大きい虎は、別の魔法使いに狙いを定めたらしく、ブレスを吐いていた。
風のブレスは、敵対する魔法使いの防御魔法に阻まれている。
小さい虎に、次は左から攻撃。うん。動きが良く見えてきた。虎の攻撃はかわせる。
リュヌリアンなら、とっくに倒せているのに。
『リリー、エルだ』
「え?」
魔法のロープが、目の前の虎を縛る。
反撃のチャンス。動かないなら、丸太と一緒だ。縦に三回、横に三回、斬りつける。
虎が咆哮をあげ、魔法のロープを暴れながらほどく。
「あ」
まっすぐに突進してくる虎の牙に短剣を当てて防御するが、勢いのついた虎の攻撃に吹き飛ばされる。
あぁ、もう。短剣じゃ何もかもが軽すぎる。
目の前に岩が現れて、虎を攻撃する。…誰の魔法?エル?
そう思ったと同時に、抱き留められ、後ろから炎の魔法が虎に向かって放たれる。
「エル、」
「剣はどうした」
「あれに刺さってる」
あの、大きな虎。今は誰を標的にしてる?
「なんだってあんなところに…」
虎に向かって、エルが高く飛ぶ。
さっきの女の人が、エルの炎の魔法に焼かれた虎を封印してる。
周りを見渡しても、残りは大きいの一匹だけだから、もう一匹も封印し終わったのだろう。
見上げると、エルが魔法のロープを虎の口に引っ掛けて宙づりになってる。
「あっ」
虎が首を大きく動かし、振り回される。
でも、その反動なのか、風の魔法なのか、エルはそのまま虎の上に乗る。
そして。
「リリー、受け取れ!」
エルが私に向かってリュヌリアンを投げる。
回転しながら飛んできたリュヌリアンを受け取ると、そのまま虎の胴体に向かって斬りつける。
同時に、エルの炎の魔法が虎に当たる。
「リリー、こいつはそう簡単に死なないから、思いっきりやれ」
エルはもう、虎の上から降りてる。
「わかった」
大きな虎。苦手なところはどこかな。
虎が私に目標を定めて、ブレスを吐く。視界は良好。風魔法のブレスなんて怖くない。
そのまま剣を大きく振り上げて、ブレスを吐く顎を攻撃する。
攻撃で大きくのけぞった虎を、二回薙ぎ払い、体制を低くして虎の左へ。
一撃当てて、更に背後に回る。
後ろ足が動いたけれど、そんな攻撃は当たらない。
虎が向きを変えようとする動作に合わせて、移動しながら斬る。
体が大きいということは、死角が多いということ。
だんだんイライラしてきたのか、虎の動きが大振りになってくる。
「リリー、避けろ」
エルの声が聞こえて、虎から離れる。
エルの方から、真っ黒な魔法が…。
「あれは…、闇の魔法?」
虎の下に現れた深淵の闇が、虎を地面に吸いつける。
虎がどんなに暴れても、闇がどんどん虎に絡みついていく。
『なんだ、あれ…』
あんなの、絶対に逃げられない。
あんなに大きな亜精霊を一匹、まるごと飲み込む闇の魔法なんて。どうやったら発動できるの?
虎が動きを止めたところで、女の魔法使いが虎を封印し、闇の魔法が消える。
「リリー」
エルが私の傍に来る。
あんな魔法を使ったのに。全然、魔力が減ってない。
どういうこと?…エルの魔力って、どれだけあるの?
―知らないの?金髪にブラッドアイ。炎と闇の魔法を統べる悪魔の魔法使い。
ポリー…。
「怪我は?」
怪我?
「大丈夫。してないよ」
エルが私の頬を撫でる。
「してるだろ」
さっき、虎の爪がかすったんだっけ。
たったそれだけの怪我を心配するなんて。
あぁ、良かった。
エルは、エルだ。
「なんで戦ってるんだ」
え?
「あの…、ごめんなさい」
どうしよう。なんで怒ってるんだろう。
勝手なことをしたから?
「エルロック」
女の人の声。亜精霊を封印していた人だ。
その人が、十人ぐらいの人を連れて、目の前に来る。
そうだ。ユベール君は言っていた。魔法部隊の招集だって。
これが、エルの所属してる王都魔法部隊。
「レティシア。リリーは一般人だぞ。なんで巻き込んだ」
「違うの、本当は、エルを呼びに来てたんだけど、私が代わりに…」
「伝令ミスだ。詫びよう」
違う。私が勝手に…。
「詫びで済むかよ!」
あぁ、すごく、怒ってる。
「もともとは、エルロックが招集に応じないからだ」
「俺はまだ、帰還の報告もしてない」
「帰還してるのは、周知の事実だ」
「何故、守備隊に援軍を頼まなかった。俺が来なかったらどうするつもりだ?」
「これは我々の任務」
「まだそんなこと言ってるのか?頭を冷やせ。ここは王都のど真ん中だ」
「…実験体は無事回収、市民に一人の怪我人も出さず、街には何の被害もない。完璧な成果だ。…エルロック。明日の訓練には参加しろ。隊長命令だ」
隊長?レティシアという名前の、この女の人が?
「行かねーよ。…行くぞ、リリー」
エルが私の手を掴む。
「待て」
「まだ何か用か?」
レティシア隊長が、私の前に立つ。
どうしよう。怒ってる?
「名前は?」
「リリーシア」
「リリーシア。先ほどは助かった。礼を言う」
ブレスの発動を止めたこと?
「あの、勝手なことして、ごめんなさい」
「以上だ」
私の話しを聞かずに、レティシア隊長は行ってしまう。
どうしよう。怒らせたままだ。
「帰るぞ」
エルが私の手を引く。
「怒ってる?」
「少し」
少しって感じじゃないけれど。
「でも、知らない人について行ったわけじゃなくて、ルイスは魔法部隊の人だって言ってたし…」
エルが戦える状態だなんて思わなかったから。
「もう、いいよ。無事だったから」
エルが私を抱きしめる。
もしかして、私のことが心配で、怒ったの?
心配なんていらないのに。
エルが来なくても、きっと大丈夫だった…、かな。
リュヌリアンを手放したのはまずかったと思うけれど。
「ねえ、エル、魔法使って、平気なの?」
手を引かれて、一緒に歩く。
「ん?…今、何時だ?」
「もうすぐお昼」
「昼まで寝てたのか…。帰ってキャロルの料理食べないとな」
私の話し、聞いてるのかな。
結局。ラングリオンに帰ってからエルが食べたのって、スープだけ。
…どうなってるんだろう。エルって。
食べないと、危ないのに?
※
「いーっぱい、食べてね」
「そんなに食えないって」
「食べれるときに食べなくてどうするの?どうせ、夕飯は食べないんだから、今、いっぱい食べて!」
「わかったよ…」
エルはそう言って、スープをすする。
空腹感、ないのかな。
「リリーも座って。ルイスー!ランチだよー!」
キャロルがお店の方に向かって声をかける。
『おい、エル。エイダって、どれだけ力の大きい精霊なんだ?』
「……」
『お前、食べないとやばいんだろ?』
「誰に聞いたんだ」
『ルイスが言ってたんだよ』
ルイスが台所に入ってくる。
「ルイス、お前、精霊の声が聞けるようになったのか?」
「え?聞けないよ。…どうしたの?」
「なんでもない」
『エル、気をつけろよ』
イリス、何か知ってるのかな。
「あの、エル…」
「イリスの言ってることなんて気にするな。心配されるようなことなんてないから」
嘘。
嘘だ、それ。
※
午後はキャロルと一緒に二階の片付け。
廊下の荷物も大分片付いて、明日には部屋を一つ空っぽにできそうだ。
整理整頓するだけでこれだけ嵩が減るって、ものすごく不思議な感じがするのだけど、散乱した本をエルの部屋に運んだことが大きいのかもしれない。
その後は、ルイスが出かけるというので店番。
困ったことがあったらエルに聞いてって言われたけれど、エルがあの錬金研究室にこもりっきりじゃ、答えてくれるかわからない。
でも、お客さんは全然来なくて、ちょっと暇。
―エルは二、三日食べなくても平気みたいだよ。
―ちゃんと食べないと、人間でいられなくなるって。
これって、どういうことだろう。
エイダに関係があることみたいだった。
食べなくても平気。食べなくても死なない。
…なんだかそれって精霊みたい。
精霊はものを食べない。
「エルは、人間だよね」
『何言ってるのさ。当たり前だろ』
「でも、精霊みたい」
『あの魔法は反則だったよね。まるで闇の精霊そのものだ』
「え?」
今日、大きな亜精霊に使っていた魔法?
『あのクラスの魔法を人間が使おうとするなら、魔法陣を使わなきゃ無理だ。普通の人間だったら魔力が足りない』
魔法陣って、周囲の精霊に力を借りる魔法のこと?
エルが、黄昏の魔法使い討伐の時に、描いてたよね。
「どういうこと?」
『リリー。魔法学の基礎。魔法の発動の理論は?』
「ええと…。精霊の持つ自然の力を引き出し、自分の魔力に乗せて放つこと。魔法使いは、精霊と契約することによって、その力を引き出せるようになるから…」
『そう。精霊っていうのは魔法を使うための媒体だ。その絆が深ければ深いほど、より根源的で強力な力を引き出せる。けれど、普通の人間は精霊が持つ本来の力も半分も使えない。何故なら、魔法の効果は、人間の魔力によって決まるからだ』
「エルは…」
『すごく強い魔力の持ち主なんだろ?』
「うん。すごく強くて」
だから、その強力な赤い力に引かれて、私はエルにぶつかった。
「あれ?そういえば、エイダって今どこに居るんだろう」
『居ないの?』
日中、エルの魔力は赤くない。
エルが本来持つ金色の輝きだ。
ラングリオンに帰って来てから、いつもそうだった。
「朝は一緒に居るんだけど…。日中は見かけないな」
『同化しないように、エルから離れてるのかな』
「同化しないように?」
『エイダは強い精霊だ。その力の影響を受ける』
「影響を受けるって…」
『リリー、亜精霊とは何か』
「え?亜精霊は、精霊から強い影響を受けた生き物が、精霊の力と同化してしまったもの。その多くは本来の性質を失い、全く別の存在になるとされる。最も分かりやすい例が、海の精霊に食われた人間、マーメイドであり、元の姿から全く違う姿に変わることも珍しくない。また、性格を破たんさせ正気を失い凶暴化することも多くある」
精霊が生き物の魂を食うのはとても罪なこと。だから、精霊自身もただではすまず、消滅するか同化する。
人間が食われることってそんなにないって聞いたけれど。
たいていは人間以外の動物が食われる。今日戦った亜精霊のように、巨大化するのも一般的な例。
『正解だ。リリー偉いよ』
「酷いよ。馬鹿にしているの」
『大事なのは、精霊が生き物に強い影響を与えるってところだ。教科書には、精霊が生き物の魂を食うって書いてあったと思うよ』
「そうだっけ…」
『でも、ちゃんと亜精霊について理解しているなら、必ずしも魂を食うだけじゃないってわかる。だから、リリーは偉い』
イリスが褒めるなんて珍しい。
「ありがとう」
『じゃあ、わかるだろ?』
「えっと…」
つまり、エルは精霊から強い影響を受けている。
強い影響の元は、強い精霊の力。
「エイダの力の影響を受けて、エルが、亜精霊になってしまう?」
『おそらくね。亜精霊って言っても…。これを亜精霊って呼ぶのかボクにもわからないけど、一般のイメージとはずっと違うよ。食われるわけじゃなく、徐々に浸食されているわけだから。たとえ完全に同化したとしても、エイダとは切り離された存在だし、エルの姿は変わらないし、精神が崩壊することもないだろう』
つまり、今の姿のまま固定されて、亜精霊になってしまう?
亜精霊とは魔力だけで生きる存在。
けれど、精霊の寿命の考え方と違って、元の生き物の寿命に依存することが多い。それは、魂に刻まれた生き物としての寿命、だっけ。
もちろん魔力を失えば死ぬけれど、魔力がゼロにならない限り、精霊と違って魔力を回復できる。
「いずれ食べなくても良くなってしまうから、食べないとまずいの?」
『それを言った奴に聞かないとわからないよ。精霊の力の影響を抑える方法なのかもしれない』
「ポラリス…。キャロルは、王都の占い師って言ってたよ」
『占い師か』
「明日、マリーに連れて行ってもらおう」
『そうだね。…リリー、気を付けてね』
「え?」
『今日みたいなことにならないように』
「今日みたいなことって?」
『亜精霊との戦闘。危なかったって自覚ないの?』
「リュヌリアンがなくても、平気だよ」
『平気じゃなかっただろ。あんな小さい虎一匹に苦戦してたくせに』
「してないよ」
短剣が軽くて吹き飛ばされたけれど。
『喧嘩っ早いのはリリーの悪い癖だよ。エルに来た依頼なんだから、大人しくエルに戦わせれば良かったんだ』
「でも、エルは、昨日私が魔力を奪ったから…」
『そんなことなかっただろ』
それは、昼まで寝ていたからじゃないのかな。
『あのね、リリー。エルが、リリーの為に本気で力を使ったら、やばいんだ』
「本気で力を使う?」
『エルは、力を抑えながら戦ってる』
「まさか」
『今日の魔法を見て思わなかった?ポルトペスタで、エルの魔法を受けて思わなかった?エルの魔法は強力だ』
確かに。あんなにすごい魔法を使ったのに、エルの魔力は全然減ってなかった。
『エルは、その力でいくらでも人間を殺せる。悪魔の素質を持ってる』
「悪魔って…」
大きすぎる力を人間を殺すために使うと、魂が穢れて悪魔になる。
悪魔となった魂は、その穢れのせいで死者の世界へ行くことができない。
肉体が滅びても、永遠に現世を彷徨う魂となるのだ。
その為、悪魔召喚という手法によって、何度でも蘇る。
「エルは、悪魔になんてならないよ」
『魔法で人間を殺せば悪魔になる』
「そんなこと、しないよ」
『そうだね。自分の為には使わないんだろうね。アリシアの時がそうだったから』
「え?」
『縛られていたって魔法は使えるよ。たとえ女王の娘だったとしても、エルが本気でアリシアを殺そうと思っていれば、いくらでも殺せたし、逃げられた』
「そうしなかったのは、力を抑えて戦っているから?」
『おそらくね。でも、エルはリリーの為に力を使うことは惜しまない。リリーは自分が危ない目に合わないように気をつけなきゃいけないよ』
エルは私が戦うといつも怒る。
それは…。
―俺のせいで、誰かが傷つくのは嫌だから。
エル…。
―リリー。知ったら後悔するわ。
―これは、エルが最も大切にしていた人の話しよ。
マリー…。
エルは最も大切な人を失ってる。
きっとそれは、エルが愛した人。
エルはきっと、その人を守れなかったから。だから、目の前に居る人を守りたいと願うんだろう。
「どうして、私、エルと一緒に居るんだろう」
『え?』
「私のせいで、エルが傷つく」
『どういうこと?』
「私は、救われることはないよ」
『何、言ってるんだ』
「エルは、女王の秘密を解き明かそうとしてる。そんなことしても、私が死ぬのは変わらないのに。私が死ねば、エルは傷つく。きっと、大切な人を守れなかったことを思い出す」
『リリー。死ぬって決まったわけじゃないよ』
「女王には逆らえない」
『でも』
「じゃあ、イリス。女王のことや、女王の精霊について、私に話せる?」
『…リリー』
イリスにも話せないことがある。
おそらく、女王か女王の精霊…。もしくは、紅のローブに誓約させられているんだろう。
「イリスは氷の大精霊の眷属なんでしょう」
『え』
「娘に与えられるのは必ず氷の精霊だ。娘が生まれると同時に、タイミング良く、氷の精霊が顕れるなんておかしい。精霊を生めるのは大精霊だけ。そう考えれば、女王の契約している精霊が氷の大精霊だってことぐらい、わかるよ」
『…正解だよ』
「正解?…言ってもいいの?」
『言われたことが正解か不正解かぐらいなら言えるよ。ボクが情報を漏らすわけじゃないからね』
あれ?じゃあ…。
「イリス、もしかして…」
『そうだよ。ボクはエルに協力してる。エルがたどりついた答えが、正解か不正解か教えてる』
「教えてるって。エルは、正解に辿り着いてるの?」
『あいつはすごいよ。ボクが話さなくても、答えを見つけてくる』
―あいつはほっといても、すべて解き明かすだろう。
アリシアも言っていた。
本当に?
ソニアからも何かを聞き出そうとしてたし。
グラン・リューからも手紙を受け取っていた。
アリシアからも情報を得ていた。
そういえば、アリシアは言っていた。エルはあの時点で、リリスの呪いについて知っていたって。
もしかして、あの時点で、女王の娘についての知識をそろえていた?
そして今、女王から私を解放する方法を探してる…?
どうして、エル。
「無理だよ」
『無理?』
「だって、今まで誰も女王に逆らえなかったのに」
『エルはきっとリリーを救うよ』
救われる?
そんなの、考えたこともない。
私が死なない?
あぁ、それが本当だったら、私はエルと…。
だめ。
だめだ、そんな希望。
怖い。
「女王には逆らえない」
エルが私を救ってくれるなんて。
そんな、物語みたいなこと、現実で起こるわけがない。
エル、無理だよ。
やめて。
私を救おうなんて考えないで。
私は救われない。
エルがどんなに頑張っても。
私を救えなかったら、エルだって傷つく。
きっと、絶望してしまう。
また、救えなかったって。
「私が好きになったせいだ…」
『なんだよそれ。それって、後悔することなの?』
「だって。好きにならなければ、エルと一緒に居ることもなかった。エルが悩むこともなかった」
『泣くなよ。仕事中だろ』
「…うん」
目元をぬぐう。
『好きになるのに理由なんてないって言ったのは、リリーじゃないか。好きにならないなんて出来たのか』
出来ない。
エル。
あなたの瞳。髪。声。手。笑顔。
優しいところ。迷わないところ。まっすぐなところ。
全部好き。
違う、そんなのが全部なくても好き。
エルがエルであるなら。
私はエルが好き。
あぁ。どうして、こんなに好きなの。
「出会わなければ良かった」
『出会うのは運命だって言ったのもリリーだ』
エル。
きっと私は、あなたに会うために生まれてきた。
でも。
それが、エルを傷つけることになるなら。
『ねぇ、リリー。自分がどれだけエルに対して失礼なこと言ってるか、わかってるのか』
「え?」
『リリーこそ、自覚ないんじゃないの』
「自覚?」
『エルがどれだけリリーを想っているかわからない?』
「想ってる…?」
『アユノトでリリーが死にかけた時、エルは、自分からリリーにキスしたんだよ?ポルトペスタで襲われそうになったのだって、もう忘れたの?エルがリリーに一緒に暮らそうって言ったのだってリリーの為じゃないか』
私の為…。
『だいたい、自分で言ってただろ。キスは好きな人とするものだって。それは、エルに当てはまらないっていうのか』
何を、言ってるの?
「そんな…」
違う。
違うよ。
エルが私のことを好きになるなんて。
だって、そんなの、だめ。
『リリー、逃げるのやめなよ』
「逃げてなんか」
『じゃあ、エルに好きだって言われたら、リリーはどうするの』
どう、しよう。
きっと、すごく嬉しい。
でも。でも、絶対だめ。
だって、私はエルと一緒にはなれない。
だって、私じゃエルを幸せにできない。
私は死ぬ。
エルがまた悲しい思いをするだけ。
「ねぇ、イリス。エルに内緒で、こっそり遠くに行こうか?」
『馬鹿じゃないの?逃げられないよ。エイダの契約の証があるじゃないか』
逃げることも、できない。
「そうだったね」
約束したから。三年間一緒に居るって。
嬉しかったのに。
今では喜べない。
好きだって言われたらどうしよう。
耐えられない。
そんなこと言われたら、一緒には居られない。
拒否しなきゃいけない。
この気持ちを気づかれるわけにはいかないんだ。
たとえエルが私を好きでも、嫌いでも。
※
夜。
相変わらず、エルは錬金道具と向き合っている。
顔色は悪くないよね。
お昼、ちゃんと食べたから?
それとも、食べなくても平気な身体だから?
一体いつまで、こんなこと続けるんだろう。
そう思っていると、ばたんっと急に扉が開く。
「…誰?」
この光。見慣れない色だけど、魔法使い?
金髪碧眼の背の高い男の人が、まっすぐエルのほうに歩いて行ったかと思うと、エルを掴んで、殴る。
「エル!」
急いでエルの傍まで行く。
「カミーユ」
カミーユ?エルの友達の?
「帰って来たか?」
「あぁ。ただいま」
「エル、大丈夫?」
「大丈夫だ」
許さない。
「私が、殴り返す?」
どうして、こんなこと。エルを殴った相手を睨む、と。
その相手に手を握られる。
「うっわ、思った以上に可愛いじゃねーか。君がリリーシアちゃん?俺はカミーユ・エグドラ。エルなんてほっといて、俺と飲みにいかないか?」
「さ、触るな!」
何、この人?
「誰が手ぇ出して良いって言った?」
エルが私とカミーユさんの間に入る。
「今時、手すら握らせてくれない女性にはお目にかかれないね。決めた。俺はリリーシアちゃんを落とすぜ」
落とす?
「お前、本当に馬鹿だよな」
「それが王立錬金術研究所のエースに言うことか?」
「お前が馬鹿じゃなかったらなんなんだよ」
「うるせーな。相変わらず、変な研究しやがって」
あれ?
この人、もしかして、エルとすごく仲が良い?
二人で、エルの実験道具やメモを眺めながら話してる。
「あぁ、思い出した。船酔い止め薬だ」
酔い止め?
「酔い止め?んなもん、いつ使うんだよ」
「作ったことがないから、色々試してたんだよ」
あの、今日、午後からずっと研究室に引きこもってたのって。
お店の薬作ってたわけじゃなくて、普通に研究してたってこと?
しかも、船酔い止めを?
ラングリオンの王都では需要ないよね?
もしかして、私が船酔いした時に作れなかったから?
うそ。
信じられない。
「エル」
エルの服を引っ張る。
「あぁ、そうだな。そろそろ寝るか。というわけだから、帰れ」
「なんだよ、一杯ぐらい付き合えよ」
「…もう疲れた」
「連れねーなぁ。じゃあ明日、いつものところに集合な。リリーシアちゃんも連れてこいよ」
え?私?
「集合?」
「マリーとシャルロも呼ぶぜ。…そういや、まだマリーに会ってないんだって?」
「会ってない」
エルはずっと引きこもってるから。
「私は会ったよ」
「え?」
「店に来てたから」
「何か言ってたか?」
「えっと」
どうしよう。エルの秘密を教えてもらうなんて言えない。
「今度、本を貸してくれるって」
「良かったな」
エルが笑う。
ごめんなさい。エル。
「じゃあな。忘れんなよ」
「あぁ」
カミーユさんが手を振って出ていく。
エルのこと、心配して来たのかな。
「悪かったな。巻き込んでばっかりで」
あぁ、良かった。昨日と違って、今日のエルは元気だ。
「いいよ。エルと居ると、毎日違うことが起こって面白い。…カミーユさんは、ちょっと苦手だけど」
「だから言っただろ。馬鹿が居るって」
「え?どこが馬鹿なの?」
だって、錬金術の話ししてたよね?
エルは私を見て笑う。
「寝るか」
「うん」
エルの後について、エルの部屋まで行く。
「そういえば、俺が居ない間、ずっと掃除してたわけじゃないよな?何やってたんだ?」
ようやく、聞かれた。
エルの中では、私はずっと掃除していたことのなってたの?
「エルにも、色々声かけてたんだけど…」
エルが落ち込んでる。
本当に、何も気づいてないんだな。
ルイスの言うとおり。
「大丈夫。集中してるとエルは何も聞こえないっていうの、ルイスから聞いてるから」
「そうか」
それから、自己嫌悪に陥る?
「悪かった。なんていうか…」
すごいな。本当にルイスの言うとおり。
「大丈夫。それも、ルイスから聞いてるよ」
「え?」
「きっと、自己嫌悪に陥るだろうから、慰めてあげてって」
エルが頭を抱える。
エルは本当に、色んな人から愛されてる。
「家族って良いね」
「リリーも家族だ」
「それは…」
違うよ。私は、家族にはなれない。
いずれ、ここを去らなければならない。
でも。
「エル、ここに連れてきてくれてありがとう。私は今、幸せだよ」
ルイスもキャロルも、本当に、家族の一員みたいに接してくれるから。
ここはとてもあたたかくて。
すごく、満たされる。
だから、自分が居ちゃいけない気がして。
「いいや。違う」
「違う?」
エル?
「俺は、リリーを幸せにしたい」
エル…?
待って、それって。
「だめ」
それは。好きな人に言う言葉だ。
私に言わないで。
「だめだよ、エル。私は…。私は、エルの気持ちには答えられない」
「リリー?」
だって、私はエルを幸せにすることはできないんだよ。
私はいずれ死ぬ存在。
エルが私を求めれば、大切な人を失うことを、繰り返す。
「だって、私…」
どうしよう。
好きになれれば、それで良かったはずなのに。
私の目的はそれだけだった。
なのに。
「あぁ…」
私は、エルを求めてる。
抱きしめて。キスして欲しい。
一緒に居たい。
死にたくなんてない。
救ってほしい。
ずっと一緒に居たい。
好きなの。
好きで好きでたまらないの。
「エル…」
いつから、望んでたんだろう。
望んではいけないことを。
こんなに、たくさん。
ただでさえ、エルに甘えてばかりで、私は何もエルにしてあげられないのに。
これ以上、何かを望むなんて。
「ごめん。泣かせるつもりじゃなかった」
エルが私の涙を拭う。
違うの。
泣くつもりなんてなかったの。
勝手に、涙が出るの。
嬉しいのに。
好きな人から言われたい言葉だったのに。
その言葉をもらう資格がないのが辛い。
「エル、苦しい」
気持ちを、伝えてはいけない。
「エルが優しいから」
「え…」
「それに甘えてばかりいる。そんなこと、許されないのに」
もう、終わりにしよう。
「リリー、俺は、」
「一緒に居たいのに、一緒に居ることが辛い」
好きなのに。
好きでいるのが辛い。
求めてるのに。
求めてはいけない。
この気持ちを受け入れてほしいと願うのに。
許されない。
エル、助けて。
「エル…、もう、だめ」
もうだめ。
もう一緒には居られない。
「俺と一緒に居るのが、辛い?」
「うん」
「でも、一緒に居たい?」
「うん」
エル。
好きで、好きで仕方がないの。
一緒に居たい。
でも、もう、限界。
これ以上一緒に居たら辛い。
だって、好きになってもらうことはできないんだ。
エル、私を幸せにしたいと願わないで。
私は幸せにはなれない。
「お願い。一緒に居て、リリー」
「エル?」
どうして…。
お願いなんて。
「ずっと」
あぁ、その言葉。
だめだ。
これ以上…。
「うん」
抗えない。
抗えるわけがない。
それは私の望みでもあるから。
「リリー、好きだよ」
エル。
私も好きだよ。
言われたかった、最高の言葉なのに。
受け取れない。
「エル、ごめんなさい」
「いいんだ」
ごめんなさい。
私がエルにしてあげられることって、何?
一緒に居ることで、私はエルに何ができるんだろう。
私がエルを幸せにしてあげることはできないのに。




