14
昨日の嵐が嘘だったみたいな晴れ。
過去は道があっただろう、古い石畳の跡を歩く。
古城はすぐに見えてきた。
歩いて側まで行くには、もう少しかかったけれど。
「結構でかいな。…メラニー、人の気配はありそうか?」
『何とも言えないな。動物なのか、人間なのか、判別しがたい』
「何かは居るってことか。幻術の仕掛けはありそうか?」
『城門にしかけてある。しかし、幻術ではないな。これはおそらく眠りの魔法だ。他にも見覚えのない魔法が…』
「見覚えのない魔法?」
魔法なら、きっと平気だ。
「私が開いてくる」
「おい、待てよ」
「私に魔法はきかないよ。待ってて」
それに、女の子は城に入れるって言ってたし。
走って扉の前まで行き、扉を開く。
なんだろう、この、花のような良い香り。眠りの魔法の感じもあるけど…。
これだけ?
開いた先は、ガランとしたホール。何もない。
エルは大丈夫かな?
振り返ると、エルがマントで鼻と口を覆っている。
そんなに強い魔法だった?
エルの場所まで戻る。
「エル、大丈夫?」
「あぁ」
「入り口には誰もいないみたい。進んでみる?」
「そうだな、先に…」
『エル、避けろ!』
え?
「うわっ」
全く。気づかなかった。
「エル!」
すぐ隣に居たのに、気づいた瞬間には、エルが高い位置で飛んでいる。
何か、魔法のロープで縛られて。
「リリー、逃げろ!」
「エル、」
ロープはすでに切ったらしい。
エルは体の周りに炎をまとわせながら、足場に出現した雪を蹴って、城の屋根の上に消えた。
雪の魔法と風の魔法?
…行かなきゃ。
走って、城の中に入る。階段は、どこだろう。
すぐ隣に、エイダが並ぶ。
「エイダ、エルは?」
『あの顔。オペクァエル山脈で見た』
まさか、まだ教育係が?
「テオドール?」
『男じゃないわ、女の方』
「女?」
思い出す。
私が見た魔法使いは二人いた。でも、私が近くまで行った時は、テオドールしかいなかった。
『リリーは見ていないわね』
「どうなってるの、ここ」
ホール正面の部屋は、書斎になっている。戻って、ホールの右の扉へ。あちこちの扉を開き、廊下を走る。
「エイダ、エルはどこ?」
ない。階段がない。
『構造が複雑すぎて。階段があったと思われるところが、いくつか塞がれている』
「どうしてそんなこと…」
よっぽど、上の階に進ませたくないの?
『リリー、銀髪に碧眼の女性に覚えは?』
「銀髪に、碧眼?」
まさか。
「アリシア?」
『エルが戦っている相手よ』
「なんで?なんでアリシアが?」
誰よりも聡明で、良く勉強を見てくれた二番目の女王の娘。
「戦ってる?エルが?無理だ!」
女王の娘の力は、魔法使いにとって天敵だ。
魔法は効かない。
どうして?アリシア。
アリシアも、エルを殺そうとしてるの?
まさか。あり得ない!
もう一度ホールに戻って、今度は左の扉へ。
いくつかの扉の先に、ようやく見つける。
「あった!」
階段を上る。
廊下を曲がった先に、アリシアがいる。
「エルロック。私はお前に用がある」
あれは、転移の魔法陣!
アリシアは空中に転移の魔法陣を描くと、エルを連れてその中に入る。
残ったのは、銀の狼の姿をした、亜精霊。
なんで、アリシアが転移の魔法陣を使えるの?
『リリー、ぼーっとしないで!』
銀狼が飛び跳ねて向かってくる。
リュヌリアンを抜いて、狼の牙を防ぐ。
「遊んでる場合じゃないのに!」
一撃、二撃。放った攻撃がかわされる。
『リリー落ち着け!』
「エイダ、先に行って!エルをお願い」
「だめよ。あなたを危険な目に合わせられない」
エイダが顕現し、炎の魔法で銀狼を攻撃する。
ひるんだところで、狼の胴体を切り上げる。
浮いた狼に、エイダの炎の矢が当たり、続けて同じ個所を薙ぎ払い、体を回してもう一撃強い攻撃を加え、狼をリュヌリアンで貫く。
地に落ちた狼が動かなくなったのを確認して、リュヌリアンを抜く。
『リリー、エルを探しに行くわ。一階に皆の気配がする。…何かあったらすぐに呼んで』
皆の気配って、エルの精霊たちのこと?
顕現を解いたエイダが、来た道を戻って行く。
『リリー、ボクらも急ごう』
イリスに続いて、来た道を戻ろうとしたところで、殺気を感じて、振り返る、と同時に剣を抜いて防御する。
さっきより、攻撃が重たい。
銀狼は咆哮をあげると、私に向かって雪のブレスを吐く。
魔法の攻撃。ダメージはないけれど、吹雪のせいで視界が悪くなる。
ブレスをかわして、横に飛ぶと、壁にぶつかる。
「あっ」
ここ、廊下だったっけ。
仕方ない。
ブレスの方向に向かって走り、狼の口めがけて薙ぎ払う。
「!」
狼が剣にかみつき、そのまま振り回される。
腰の後ろにある短剣を抜いて、狼の首に突き刺すと、ようやく狼がリュヌリアンを離した。
短剣を回収して鞘に戻しながら、そのまま狼の背後にまわり、狼の足を薙ぎ払う。
確実にダメージを与えているのにひるむことなく、相手は向きを変える。すばやく移動する相手を目で追う。…さっきと同じ予備動作。ブレスに違いない。
素早く身をかがめて近づき、ブレスが発動すると同時に、背後にまわり、その背中を斬りつける。
胴体が真っ二つに割れるはずだ。けれど、剣はその体をすり抜けるように落ちただけ。
亜精霊だから。
亜精霊は、そのダメージが限界値を超えるまで、その姿を失うことはない。けれど、体を真っ二つにされるぐらいのダメージは与えてる。
もう一度斬りつけると、ブレスが消えた。
息遣いが荒い。おそらく、もう瀕死のはず。
跳躍した相手に向かって、剣を振り上げる。違う、こっちじゃない、こうだ。
途中で剣の角度を変えて、亜精霊が避ける方向へ剣の先を向ける。
狼がひときわ大きな咆哮を上げて、地に落ちる。
「……」
あと一撃も与えれば、消滅する。
「お願い。追ってこないで」
亜精霊。
動物と精霊が融合したなれの果て。
そのルーツは、人間によって使役された精霊の復讐だといわれている。
『良いの、リリー?』
「イリス、案内して。エルを助けなきゃ」
私がそう言ったところで、指輪からエイダが出てくる。
「エイダ?…エルは大丈夫なの?」
エルのところに行ったんじゃ?
『そうね…。行ってみればわかるんじゃないかしら』
どういうこと?
なんだろう。さっきまでの焦りは、どこへ?
イリスの後を追って、一階のホールまで戻る。
ホールにはアリシアがいて、その奥の書斎に、エルの姿が見える。
「エル!」
良かった、無事だったんだ。
「久しぶりだな、リリーシア。息災か?」
「アリシア、どうしてこんなこと…」
「剣を抜け。お前が私に勝てたら、返してやってもいいぞ」
「え?」
どうして。
思ってる暇なく、アリシアが向かってくる。
リュヌリアンを抜いて、アリシアの片手剣を受ける。
「やめて、アリシア」
「私は本気だよ」
それは、攻撃の重さでわかる。
アリシアの攻撃を、一つ一つ見極めながら、防御する。
「やめて」
「いいのか。私に勝てなければ、エルロックをもらうぞ」
「どういうこと?」
「まさか、私たちの目的を忘れたわけじゃあるまい」
魔力。エルの魔力を、奪うために?
視界の端で、エルの姿を確認する。
大丈夫、エイダもいるし、まだ魔力が奪われたわけじゃない。
「余裕だな、リリー」
「あ」
しまった。リュヌリアンがはじかれる。
がら空きになった胴体に向かってアリシアが剣を薙ぎ払う。
跳躍してそれをかわし、リュヌリアンで薙ぎ払う。
「させない!」
アリシアに向かって、リュヌリアンを振り降ろす。
鍔迫り合いで負ける気はしない。
アリシアが一歩下がり、体勢を立て直そうとするところに、剣を突き刺す。
不安定な体制でさらに避けるアリシアを、今度は剣を振り上げて攻撃する。
アリシアは防御しながら跳躍。
着地地点を見極めて薙ぎ払ったのを、片手剣で受けられるが、私の方が力は上だ。押し通す。
「ふふふ。強いな」
「やめよう、アリシア」
「なぜ?」
「殺してしまう」
体が、勝手に動く。
アリシアがどこへ動いても、もう逃がさない自信がある。
「亜精霊で体力を削ったんじゃないのか」
「準備運動にもならない」
「それは残念だ」
一撃、二撃。アリシアを追い詰める。
「終わりだ」
リュヌリアンを、角度をつけて振り上げる。
微弱な振動がアリシアの手まで伝わり、アリシアの手を離れた片手剣が飛ぶ。
そしてそのまま、リュヌリアンの剣先をアリシアに向ける。
「完敗だな」
「私に勝てたこと、ないくせに」
リュヌリアンを背中にしまって、アリシアに手を差し伸べる。
アリシアは私の手を取って、立ち上がる。
「外でも稽古はしていたんだけどな」
アリシアは飛んだ片手剣を拾って鞘に納める。
「なんで、こんなことしたの?」
「ポリーには勝てたんだけど」
「嘘」
「まだ二刀流は使い慣れていなかったみたいだぞ」
港で会ったポリシアは、剣を二つ帯刀してたっけ。
「私も勝負を挑めば良かった」
「会ったのか?」
「うん。ニヨルド港で」
「なんだ。一緒に来れば良かったのに」
「ポリーはアリシアがここに居るって知ってるの?」
「手紙は送ったけれど。ポリーはティルフィグンを拠点にしてるんだよ」
「今からティルフィグンに行くって言っていたよ」
「じゃあ、まだ読んでないのだろうな」
アリシアと並んで書斎まで行くと、エルが書斎の椅子に座っていた。
眼鏡をかけて、本をいくつか広げて、書類に何か書き込んでる。
…あれ?どういうこと?
「エル、何してるの?」
声をかけると、ようやくエルが顔を上げる。
学者さんみたい。
「ん?終わったのか?」
「うん。勝ったよ」
「勝った?」
「リリーは城内一強かったからな」
「じゃあ、俺は晴れて自由の身だな」
エル、捕まってたんだよね?
自由も何も、縛られてもいないし、のんびり本なんて眺めてる場合?
「残念ながら。…ところで、何をしていたんだ?」
「あぁ。お前の研究を見せてもらったんだ」
え?え?何の、話し?
アリシアが机に駆け寄って、エルの手元を覗き込む。
「ふむ。…ほぅ」
「研究もいいが、変な噂になってるぞ。ほどほどにしておけ」
ちょっと、待って?
なんで、そんなにのんびり話してるの?
エルは、アリシアと戦ってたんじゃなかったの?
『リリー、エルが無事で良かったね』
ほとんど棒読みで、イリスが言う。
…私、何してたんだっけ。
「噂がたてば、人間が集まる。好都合だ」
私、エルを助けたくって、アリシアと戦ってたんだよね?
「エルロック。お前は私の想像以上だ」
「褒めてるなら、ありがたく…」
なんで?どういうこと?
「エルロック、私のものになれ。私はお前を飽きさせないぞ」
「はぁ?」
「えっ」
なんで?なんでそうなるの?
「だめだ!アリシア、約束が違う!」
「返してやると言っただけだ。改めて頼むのは自由だろう?」
「もう一度戦う」
「戦う理由がないな。決めるのはエルロックだ」
ばんっ、とエルが机をたたく。
「その通り。俺はリリーとの約束があるから、お前と遊んでる暇はない」
エルは眼鏡をしまうと、私の傍に来る。
「古城の吸血鬼騒ぎも解決したし、帰るか」
え?吸血鬼騒ぎ?眠り姫の話し?
「何か分かったの?」
「なんだ、その話しは?」
アリシア、知らないの?
エルが頭を抱える。
「街に戻る必要はない。私がここでもてなそう。部屋ならいくらでもある。泊まっていけ」
エルの腕をつかむ。
「何もしない?」
「何だ、リリー。心配なら一晩中見張っていればいいじゃないか。…リウム!」
リウム。
そういえば、アリシアの傍に居なかった。
アリシアが召喚すると、リウムが目の前に顕現する。
「うそ」
美しい人の姿をしてる。
人の姿をとれるほどの魔力。
こんなに、魔力を集めたの?アリシア。
「二階に二人用のゲストルームがあっただろう。案内してやれ」
「了解いたしました」
「あぁ、ついでに、図書室も案内してやってくれ」
「図書室?」
「研究を手伝ってくれたお礼に、好きな本を持って行っていいぞ」
「そりゃどうも」
「エルロック、リリーシア、こちらへ」
アリシアは、女王の修行をほとんど終えている。
女王の娘としての役割を、完遂してる。
※
「何、拗ねてるんだよ」
「…拗ねてなんか」
「怒ってるだろ」
「怒ってないよ」
「じゃあ、こっち向いて」
「…エルの、ばか」
「なんで?」
『エル。お前、何をのんきにアリシアの研究手伝ってんだよ』
「え?」
『その間、こっちは大変だったんだぞ!上に行きたくても階段はないし、せっかくお前を見つけたと思ったら、亜精霊と戦わなきゃいけないし、終わったらアリシアと戦闘だし!』
「あぁ…」
銀の狼の姿をした亜精霊。
あれは、アリシアが飼いならしたペットらしい。
「なんで、逃げろって言ったのに助けに来たんだ?」
「アリシアに、エルが勝てるわけないから」
「そうだな。女王の娘には魔法も効かないし。…あんなのが後、三人もいるのか。対策、考えておかないとな」
「なんで、後三人って知ってるの?」
「女王の娘って五人なんだろ?」
「アリシアに聞いたの?」
「違う。…簡単だよ。ツァ、ヴィ、ルゥ、フェ、クォ。精霊の数字はここまで。ここから先は、ツァツ、ツァヴィ、ツァル、って増えていく。語呂が悪いだろ」
「そうなんだ」
「そういえば、リリーは知らなかったっけ」
「…アリシアは知ってると思うよ」
あぁ。また思い出す。なんで、戦ってたのかな。私。
「俺はこの後、図書室に行くけど、どうする?」
「行かないよ」
『エル、謝った方が良いよぅ』
ユール。
「なんで?」
『当たり前じゃない!リリーはエルのために戦ったのよ!』
ナターシャ。
「いいよ。謝ることなんてない」
別に、怒ってなんかいない。
『すまないな。エルは、気が利かないものだから』
『女心には疎いんだよねー』
『本当、困っちゃう』
『ふふふ。いいよぉ、エルが謝らなくてもぉ、あたしたちがちゃあんとリリーを慰めてあげるからぁ』
どうして、エルの精霊にわかって、エルには伝わらないんだろう。
「…リリー」
何も、聞きたくない。
「俺のために戦わないでくれ」
「え?」
どういうこと?
「嫌だ」
「なんで?」
「どうしてダメなの?」
「それは…」
え?黙った?
エルがすぐに言い返さないなんて、珍しい。
「俺のせいで、誰かが傷つくのは嫌だから」
もしかして、そういうことがあったのかな。
「エル。私は、何度でもエルを助けるよ」
「俺の話し、聞いてたか?」
「私の行動に制限をかけるなんてできないよ。だって、私が危険な目に合ったら、エルは絶対助けてくれる」
「当たり前だ」
「だったら、条件は同じ」
「同じじゃない」
「同じだよ。エルは、私が守る」
だって、私は剣士だ。
エルの為に戦う。
「強情だな」
「あきらめて」
「俺の嫌いな言葉だ」
強情なのは、エルじゃない。
絶対、自分の意見を通そうとするんだから。
『あのさ、二人とも。さっきから、部屋の外でメイドが待ってるんだけど』
「え?」
「メイド?」
『お昼ができたんだってー』
『ここには、五人、メイドがいるようだぞ』
『メイドさんはぁ、アリシアのお世話してるんだってぇ』
「そんなの、いつ聞いたんだよ」
『リウムが言ってたんだよ。いい加減、痴話げんかなんてやめて、ランチにしたら?』
痴話喧嘩?
喧嘩のつもり、ないけれど。
「リリー」
「何?」
何を言われたって、考えを変えたりしない。
「心配かけてごめん。悪かったよ。…助けに来てくれてありがとう」
酷いよ。今更。
遅すぎる。
「うん」
「リリー」
エルが、私の顎をつかんで、自分の方に向ける。
「聞いてるのか?」
目、合わせたくないのに。
「あきらめてくれる?」
エルがため息をつく。
「もう、捕まったりしないから」
本当に、私に謝る気持ち、あるのかな。
「じゃあ、エルが捕まったら助けに行っていいの」
エルが頭を抱える。
「いいよ」
『エルが、折れたぁ!』
『リリーかっこいいー』
「うるさいな」
あ。
本当に、エルの考えを曲げたんだ。
うるさいなって、降参の台詞だって。
きっと気づいてないんだろうな、エル。
※
エルが図書室に引きこもってるから、ホールで銀狼の亜精霊と剣の稽古をする。
ブレスに当たらないように、回避行動の特訓。
素早い洗練された動き。狭い廊下が戦いにくかったのは、お互い様だったらしい。広い方が、そのスピードを生かせる。
アリシアはずっと書斎に引きこもってる。エルの手伝いで、アリシアの研究がとてもはかどったらしい。
エルとアリシアは、気が合う。
私なんかより、ずっと。
興味の方向が同じ。
錬金術に魔法。
私と居るよりも、アリシアと一緒に居た方が、エルは…。
何、考えてるんだろう。
そんなのエルの自由だ。
これじゃあまるで、私がエルに好きになってもらいたいみたい。
だめ。
そんなのだめ。
何も望まない。
何も望まずに、過ごす。
一緒に居たいなら。
『リリー!殺す気か!』
「あ…」
慌てて、リュヌリアンから手を離す。
攻撃を止める一番手っ取り早い方法。
「ごめんね、大丈夫?」
息の上がった亜精霊を撫でる。
持っていた荷物からエリクシールを出して、亜精霊に使う。
傷を治す特効薬。
見る間に、亜精霊が元気を取り戻す。
「それは、エルロックが作ったものか」
アリシアがホールに入ってくる。
「うん」
同じものが、まだいくつかあるから大丈夫。
「あいつは天才だな」
アリシアに天才って言わせるなんて。信じられない。
「お茶にしよう。美味い菓子がある」
「うん」
「エルロックは呼ばなくていいのか?」
どうしようかな。でもきっと、呼んでも来なさそう。
「いいよ」
「まだ喧嘩してるのか」
「喧嘩?」
「リウムが言っていたぞ」
喧嘩なんて、してない。
「エルは、甘いもの好きじゃないから」
「そうか」
アリシアに続いて、書斎の横にある応接間へ。
「ちょうど飲み頃だな」
砂の落ち切った砂時計を見て、アリシアが言い、カップにマスカテル茶を淹れる。
低いテーブルにあるケーキは、黒い生地に白いフレッシュクリーム。キルシュが飾られ、削ったチョコレートがまぶしてある。
「美味しそう」
「黒い森のケーキだ」
この地方のケーキなのかな。
エルは絶対に食べないだろう。
うん。甘くて美味しい。
「リリー、リリーはエルロックが好きなんだろう?」
「…え?」
「ほら、クリームがついてる」
アリシアが私の口の端を指で拭い、指についた生クリームを舐める。
「相変わらずだな」
『もう。子供じゃないんだから』
「…いいじゃない」
どうせアリシアの前だ。
「で?質問には答えないのか」
「好きだから、一緒に居るんだよ」
「良かったな。運命の相手に出会えて」
「ポリーと同じこと言うんだね」
私は女王の娘としての役目を放棄しようとしているのに。
私の姉妹は、誰も咎めない。
「なんだ。恋愛小説のような恋をするって言っていたのは、リリーじゃないか」
「そうだけど」
「そして、その相手が一緒に居てくれる。…幸せなんだろう?」
「幸せ?」
幸せ、なのかな。今。
「そうじゃないのか」
「わからない。最初は、嬉しかった。一緒に旅してくれるって言われて。三年間、一緒に居てくれるって言われて。ラングリオンで一緒に暮らそうって言われて」
「…は?」
何か、驚くようなことあった?
「悪かったな。もう、恋人だったなんて知らなかった」
「えっ?」
恋人?
「恋人じゃないよ」
「…違う?…その、指輪は?」
「これは、エルから預かってるんだ」
エイダの契約の証って言うのは、言わない方が良いよね。
「預かってる?…待ってくれ。あいつは、何を考えているんだ」
アリシアが頭を抱える。
「アリシア?どうしたの」
「リリー。いくら天然だからって。これでは、あいつが…」
「え?」
「あぁ、その前に謝っておかなければな」
「謝る?」
「私はリリーが居ない間に、エルロックから魔力をもらったんだ」
「え?」
それって、つまり、キスしたってこと?
あぁもう。やっぱり、誰とでもできるんだ。
「怒らないのか」
「エルは、そういう人だから」
「聞かないのか」
聞かなくても、わかるよ。
エルはキスしてって言えばしてくれるだろう。
私が初めてされた時だってそうだったんだから。
「リリー、勘違いするな。私は取引をしたんだよ」
「取引?」
「情報が欲しければ、魔力を渡せって。あいつも知らないことがあったみたいだし」
そういえば、エルは私の秘密を、女王の娘の秘密を解き明かすって言っていた。
あれ?魔力を渡せ?
「リリスの呪いのこと、喋ったの?」
「喋るも何も。あいつは知ってたよ」
「え?」
「呪いのことを」
「嘘…」
なんで?
なんで、知ってるの?
なんで、知ってるのに一緒に居てくれるの?
「まぁ、イリスが妖精の姿を取れるぐらいの魔力を渡していれば、気づくだろうな」
「だって、キスなんて、二回しかしてない」
「二回?…それだけで、イリスはそこまでの魔力を手に入れたのか?」
最初にエルの魔力を全部奪ったからだと思うんだけど…。
二回目のだって、気づいてる感じじゃなかった。
エイダは言わないって言ってたし。
どうやって気づいたんだろう…。
「リリーは、エルロックにどこまで話してるんだ」
「修行の目的が、魔力を集めることと、試練の目的が、魔法で扉を壊すこと」
「それだけ?」
「あと、イリスが、女王の娘の特徴を話しちゃったから」
『何?怒ってるの?あんなの調べればすぐにわかることだよ』
だからって、子供が生めないことまで言わなくても良かったのに。
「だいたい、そのおかげでリリーが知らないこともわかったじゃないか」
確かに。魔力がないことと、魔法に耐性があることがイコールだっていうのは、エルに教えてもらったことだ。
「エルロックは、いずれすべて暴くだろう。きっと、私の知らないことも」
「どうして、アリシアにそんなことがわかるの」
「私があいつに教えた情報なんて些細なことだ。あいつは私がたどりつけなかった真実に辿り着ける」
「アリシアは、エルを信頼してるんだね」
イリスと同じ。
どうして、そう思えるのかな。
「リリーは信じてないのか」
「だって。今まで誰も、逃げられなかったのに」
「イーシャは逃げたのかもしれない」
「そんなこと不可能だ。…え?なんでイーシャが帰ってないって知ってるの」
「私は城の中に仲間がいるからな。そうじゃなければ、リリーにあんな手紙を送れないだろう」
そうだ。
教育係から逃げろなんて内容の手紙。魔法使いが許すわけがない。
「リリー。エルロックはリリーを救う為に真実を探しているのに、お前が信じてやらなくてどうする」
「私を救う?」
「それ以外に理由があるのか」
どうして、私の為に?
どうして、リリスの呪いを受けてる私なんかと一緒に居てくれるの?
ほっとけないから?
三年間一緒に居るって言ったから?
どこまで、優しいの。
「私、それでも、エルに何も言えないよ」
エルが好きだから一緒に居たいなんて。
「あいつはほっといても、すべて解き明かすだろう」
本当に。全部ばれそうで、怖い。
エルに、気づかれたらどうしよう。
エルのことが好きだって。
「エルは、私の気持ちも気づいてるかな?」
「気づいてもらいたいのか」
「そんなわけないよ」
気づかれたくない。
「お互いに気づかないふりをしてるんじゃないのか?」
「気づかないふり?」
「それとも、鈍感なだけかな」
「エルが?」
アリシアはくすくすと笑う。
「まぁ、あいつは鈍感そうだな」
確かに。
一緒にお酒を飲んだ時に言っていた。
きっと、誰にでも可愛いって思わせぶりなことを言って、そんなつもりが全然ないから、自覚がないなんて言われるに違いない。
※
エルが大量の本を持って部屋に戻ってきたのは、日も暮れてかなりたった頃。
「これ、全部、読むの?」
「読むのは帰ってからだな。…明日には、ここを発たないと。船ももう出ているだろうし」
「…いいの?」
「何が?」
「エルは、アリシアの研究に興味があるんじゃ?」
「まさか。転移魔法には興味があるけどな」
転移魔法。そういえば、アリシアはどうして使えるんだろう。
「転移魔法なら研究したい?」
「あのなぁ。俺は研究しに旅してるわけじゃないぜ。やりたい研究があるなら王都から出てくるわけないだろ?…それよりも、リリーと約束しただろ」
三年間、一緒に居るって?
「明日は昼までに出よう。そういえば、アリシアは後半年って言ってたぜ。会うのはこれで最後かもしれない」
「私が城に帰還すれば、嫌でも顔を合わせるよ」
外で皆に会えるなんて思ってなかったから、会えただけで十分だ。
一緒にお茶も飲んだし。
「寝よう。消すからな」
エルがランプの明かりを消す。
今日は三日月だ。
聞きたいこと、あるのに。
リリスの呪いのこと知ってるのに、どうして一緒に居てくれるのか。
聞くのが怖いけど。
聞かなきゃ。
「エル」
「なんだよ、俺はジョージじゃないぜ」
え?ジョージ?
「な、なんで、知ってるの」
どうして?
なんで、ジョージのこと知ってるの?
「なんでって、自分で言ってただろ」
言うわけない!
いつ?どこで?どのタイミング?
絶対、言わないのに!
「忘れて。すぐ、忘れて。私も、忘れるように努力してるんだ」
せっかく、なくても良くなったのに!
「お願い。今日は、一人で寝るから」
まさか、イリスじゃないよね?
そうだ、アリシアも知ってるんだ。
「あ、アリシアにも、言わないで」
「わかったよ」
なんで、どうして、知ってるの。
私、本当に言った覚えなんてないのに。
「ほら」
エルが私のベッドに来て、傍に座る。
「寝るまで傍に居てやるよ」
ひどい。
からかわれてる。
なんで知ってるの。
ジョージが居なくちゃ眠れないって。
「ごめんなさい」
「毎朝しがみつかれてるよりは何倍もましだ」
そんなに嫌だったんだ。
「ごめんなさい」
あぁ、もう。
どうしよう。
どうして、そんなこと知ってるの。
どうして、私のことなんでも知ってるの。
私は、エルのこと何も知らないのに。
…ラングリオンに行ったら、少しはわかるかな。
黄昏の魔法使いのこと。
エルを守って傷ついた人のこと。
家族のこと。
あぁ、優しい手。
落ちつく。
エル。
どうして、そんなに優しいの。
私はこんなに呪われた力を持っているのに。
※
目が覚める。
まだ、夜だ。
月が高い位置にある。全然、眠れていない。
「エル…?」
体を起こして、隣のベッドを見る。
誰もいない。
アリシアと話しているのかな。
何を、話してるんだろう。
女王の娘の秘密。
アリシアは、きっと、私より詳しく知ってる。
城の中にある文献でも、調べればかなりわかると言っていた。
私は全然調べなかったから、何も知らない。
アリシアの知識と、エルの知識があれば。かなり解き明かせることなのかもしれない。
でも…。
解き明かして、どうするの。
女王には逆らえないんだよ。
私の呪いが消えるわけでもない。
私が女王から逃げられるわけでもない。
どうして、そんな無駄なことをするの。
…私の為に?
本当に、そうなの?
「寝てたんじゃないのか?」
エルが部屋に入ってくる。
「エル」
「眠れないのか?」
「アリシアから、何を聞いたんだ?」
エルは、応えない。
「私は…」
抱いている枕に顔をうずめる。
どうして欲しいんだろう。
「リリー。どうして、俺から魔力を奪わない?」
何、言ってるの?
「奪いたくない」
「何故?」
「一緒に、居たいから」
「奪ったとしても一緒に居られるだろ」
あぁ。
そこまで、優しいの。
魔力を奪われることに抵抗がないぐらい、他人のことを思えるの?
だから、アリシアにも…。
「エルは、変だよ」
「何が」
「だって、奪われて、気を失って。そんなことを繰り返したい?」
「加減ってもんがあるだろ?この前は…。気を失わなかったわけだし」
この前って、ポルトペスタの?
そういえば、今日だって。アリシアに魔力を渡したと思えないぐらい、エルの魔力は減ってない。
「加減なんてわからない」
エルが私に近づいて、肩をつかむ。
「抵抗するなよ」
え…。
「ほら、平気だろ」
今、キスされた?
あれ…?
「だ、だめ」
酷い。酷いよ。
枕を持って、顔を隠す。
「違う、こんなの違うよ」
なんで、そんなに軽いの。
なんで、そんな簡単に、誰とでもキスできるの?
「何が」
「だって、好きな人とするものだ。エルは、わかってない」
「悪かったよ。恋人探しでも手伝えばいいのか?」
ひどい。
どうしたら、そうなるの。
何もわかってない。
信じられない。
「違う。そうじゃなくて、エルが。エルの気持ちが」
私には向いていないのに。
「エルは好きな人いないの?どうして私にこんなことができるの?」
キスって、好きな人とするものじゃないの?
どうして、誰にでもできるの?
「だって、そうしないと、リリーが、」
私が、何?
エルは何も答えない。
…まさか。
魔力を集めないと、私が死ぬことも、知ってるの?
「エル?」
ねぇ、答えて。
お願い。
どこまで知ったの?
どうして何も言わないの?
「悪い。もう寝よう」
「え?」
どうして、話してくれないの?
私、酷いこと言った?
…言ってるよね。
「気分を悪くさせたのなら、ごめんなさい」
こんなに、してもらってるのに。
「リリーの方が、俺より何倍も優しいよ」
優しい?
私は、エルに優しくなんて、全然してないのに?
「寝るまで、傍に居る。もう、どこにも行ったりしないから、寝ろ」
エルの方が、ずっと、優しいのに。
その優しさが、私だけに向いてないから、私は…。
勝手に辛くなってるだけなのに。
「…うん」
エルは、悪くない。
もしも自分を騙せるなら。
エルが私だけに優しいって思いこめるなら。
エルが私だけ見てくれてるって思えるなら。
辛くならずに、好きな気持ちだけで、幸せでいられるのに。
私みたいなのを、エルが好きになるなんてあり得ない。
エルとは正反対。
エルは甘いものが嫌いで。
錬金術や魔法が得意で。
絶対に迷わなくて。何でもすぐに決められて。
なのに、エル。私はエルが好きなの。
もう止められない。
好きで好きで。
もう、告白して楽になりたい。
一緒に居るのが、どんどん辛くなってるから。
告白すれば、全部終わる。
一緒に居たいのに、一緒に居ない方法を望んでしまう。
あぁ、好きじゃなくなれば。
この気持ちを失えば、もっと一緒に居られるのに。
エル。
どうやったら、嫌いになれるの。
こんなに好きな人を。




