13
嵐のせいで到着予定時刻を大幅に過ぎた船が到着したのは、ディラッシュ王国の港町、ニヨルド。
グラシアル女王国からラングリオン王国へは、ディラッシュ王国と、ティルフィグン王国を経由していく。
まだ一つ目の国だ。
「大丈夫か?リリー」
「うん。…大丈夫」
嵐がやむまで船は出ないらしい。
多くの船酔い客が運ばれた先は、船の待合室に併設されている医務室。
私よりもひどい症状の人が、ベッドで横になっている。歩ける分、私は楽な方だろう。
きっと、大人しく座っていれば、すぐに回復する。
エルは心配してるけど。
「結構揺れましたからね。飲めそうだったら、飲んで頂戴ね」
さっきからずっと、船酔い客を介抱している人だ。
その人から、エルが水を受け取る。
「飲めるか?」
「うん」
エルから水をもらって飲む。冷たくて、気持ち良い。
すっきりする。
もう、心配かけられない。
大丈夫。頑張らなきゃ。
「もう、歩けるよ」
「入国手続きしてくるから、ここで待ってろ。いいか、知らない奴について行くなよ?」
問答無用だ…。
「はい」
エルが私の頭を撫でて、行ってしまう。
入国手続きをするってことは、しばらくこの国に居るのかな。
私の船酔いが酷かったから、ラングリオンへ陸路を使うのかもしれない。
嵐じゃなかったら。あんなに揺れなければ、きっと大丈夫だったのに。
「リリー?リリーだよね?」
『ポリー!ネモネ!』
『よぅ。イリス。元気だったか』
「イリス。あれ、妖精になったんだね。可愛いじゃない」
「…嘘。ポリー?」
栗色の髪と碧眼の少女。腰に二本の剣を帯刀している彼女は、およそ一年前に出発した、三番目の女王の娘。
ポリシア・ネモネ・ルゥ・ブランシュ。
「っていうか、早くない?出発したの十九日でしょ?半月もしないで、なんでこんなところに居るのよ」
そう言いながら、ポリーが私の隣に座る。
私の誕生日、覚えてるんだ。
「船酔い?」
「うん」
「まさか、方向音痴過ぎて船に乗ってるわけじゃないよね?」
「違うよ」
酷い。
「一人?」
「一人じゃない」
「城の奴と一緒?」
「違う」
ポリーもアリシアから聞いてたのかな。
「じゃあ、誰と一緒に居るのよ」
「ええと…」
『ポリーこそ、なんでこんなところに居るんだよ』
「私がどこを旅してようと勝手でしょ。たまたまグラシアルに居たのよ。これからティルフィグンへ行くの」
『ボクらはラングリオンに行くんだよ』
「ラングリオン?あそこは騎士の国じゃない。魔力を持ってる人はそんなにいなさそうよ」
「私は、」
「あぁ。リリーは運命の人を探してるんだっけ」
本当。おしゃべりなポリー。
「あれ?なんでイリスが妖精に成長してるの?リリー、運命の人に会うまで、キスしないんじゃなかったっけ?」
『運命の人に出会ったからに決まってるだろ』
「えぇ?もう?早くない?」
「イリス!」
イリスのばか。
「そっかぁ。良かったわね、リリー」
「良くないよ」
「何が?」
「だって。だって、私は…」
「恋に生きるって決めたんでしょ?だったら、それを貫いたらいいじゃない」
「…だめ」
「だめ?」
「だって、絶対に、一緒にはなれない」
「どうして?」
「リリスの呪いがある」
「キスしたんでしょ?」
「したけど…」
気を失ってる時だった。
「いいじゃない。死ぬまで一緒に居てって言えば」
「そんなの、エルに迷惑だよ」
死ぬ前に、エルの前から居なくならないと。
「エルっていうの?」
「…うん」
「一緒に旅してるんだよね?」
「うん」
「何が不満なの?」
「不満?」
「リリーの望みは叶ってるじゃない」
そうだ。
私の望みは、エルを好きになること。
…あれ?叶ってる?
「本当は、その人と一緒になりたいんじゃないの?」
エルと、一緒に?
そうなのかな。
でも。もし、女王の娘じゃなければ。
もっと好きになって、好きになってもらう努力をして。
…だめだ。私なんて。
「私には、無理だよ」
「どうして」
「だって、私なんかが…」
好きになってもらえるはずがない。
「三年間だけ一緒に居てって言えばいいじゃない」
「それは、約束してくれてるんだけど…」
「え?…もう、そういう関係なの?」
「そういうって?」
「全部秘密ばらした上で、恋人になってるの?」
「違うよ。呪いのことも言ってないし、告白だって…」
言ったんだけど。好きだって。
でも、エルのことだから、きっと忘れてる。
「リリー。言ってることが良くわからないんだけど。その人、リリーのことが絶対好きよ」
「え?」
「それ以外考えられないんだけど」
「それは違うよ。だって、エルは優しいから。私じゃなくても、きっと…」
「もしそれが本当なら最低の男ね」
「悪く言わないで」
エルは、優しいだけ。
「好きなのね、本当に」
「うん」
「言えば良いのに」
「どうすればいいかわからない」
「わからないって?」
「好きになった人に、好きになってもらおうなんて、考えてなかったから。私にはタイムリミットがある」
「イーシャは、帰らなかったの」
頷く。
ディーリシアが今どうなっているのか、誰も知らない。
「ラングリオンへ行ったら、ジェイド・イーシャという人物を調べなさい」
「え?」
「イーシャは、翡翠の騎士って呼ばれていた。有名な傭兵よ。ラングリオンとセルメアの国境戦争に参加してたらしいの」
「なんで知ってるの?」
「会いたいな、って思ってたから。私、アリシアにも会ったわ」
「アリシアにも?」
「結構前だけどね」
『リリー、エルが来たよ』
「え?…何、あれ」
「あぁ、エルは、魔法使いなんだ」
言い忘れてた。エルが、すごい魔法使いって。
「黄昏の魔法使い」
「え?」
「知らないの?金髪にブラッドアイ。炎と闇の魔法を統べる悪魔の魔法使い」
「何?それ」
だって、エルは、黄昏の魔法使いなんて架空の存在だって。
「騙されてるんじゃないの?リリー」
「怒るよ」
「…冗談よ。リリーの好きになった人だもんねぇ?」
ポリーが私の顔を指でつつく。
「もう」
ポリーは笑う。
「リリー」
エルが傍に来る。
「エル、おかえりなさい」
「元気になったか?」
「うん。大丈夫だよ」
「行くぞ」
「うん。わかった」
立ち上がって、ポリーを見る。
「ありがとう、ポリー。またね」
「リリーも気を付けてね」
ポリーに手を振って、エルについていく。
「誰だ?」
「ええと…」
言っても、いいのかな。
でも、ポリーはおしゃべりだから、エルに何を言うかわからない。
「同じ船に乗ってたのか?」
「あ、うん。そうみたい」
同じ船に乗ってたのは、間違いないだろう。
「これからティルフィグンに行くんだって。…また、会えるかな」
「目指す方向が同じだから、海路なら同じ船に乗るだろうな」
「そっか。じゃあ、また会えるね」
会えたら、黄昏の魔法使いのことを聞いてみよう。
金髪に、ブラッドアイ?
エルの紅色の瞳はそう呼ばれているの?
※
ニヨルド港から市街地に移動して宿をとり、夕食を食べた後、エルは私を残して出かけてしまった。
まだまだ嵐は収まらないのに。
変なことに巻き込まれていなきゃ良いけれど。
レストランに行って、窓際の席で外を眺める。
「ワインはいかがですか?」
「え?…えっと、お酒じゃないのがいいな」
「では、桃のエードはいかがですか?」
「うん。それで」
「少々お待ちください」
『お酒にすれば良いのに。きっと、エルが帰ってきたら飲むよ』
「…飲まないよ」
『この前、雨の日に飲んでたじゃないか』
バンクスの街のこと?
「どうぞ」
「ありがとう」
ピンク色で、甘くておいしい。
「君、一人?」
「え?」
「ちょっと付き合ってよ」
「あの…」
どうしよう。
「そんなに怖がらないでさ」
また、知らない人について行くなって、エルに怒られるかな。
「…ごめんなさい」
「何やってるんだよ。…悪いねぇ、お嬢ちゃん。こいつかわいい子に目がないんだよ」
「うるせえな」
「悪い癖だぞ」
「ねぇ、君も次の出航待ちだろ?面白い話しがあるんだよ」
「面白い話し?」
「そうそう。すっごくロマンチックな話し。聞きたいだろ?」
ロマンチック?
「うん。聞きたい」
「だろー?ほら、お前も座れって」
「やれやれ」
結局、男の人が二人、私の目の前に座る。
…ついて行くわけじゃないから、大丈夫かな。
「ここからそう遠くないところに、古い城があるんだ」
「古い城?」
「あぁ。今はだれも使っていない廃墟なんだけど、そこにお姫様がいるんだ」
「噂だけどな」
「お姫様?」
「そう。眠り姫」
「眠り姫って、童話の?」
「そうそう」
眠り姫の物語。
永遠に年を取らない代わりに、永遠に目覚めることのない呪いをかけられたお姫様。
百年間眠り続けた末、運命の王子様のキスで目覚めて幸せになる。
「本物の眠り姫なの?」
「あぁ。古城で運命の相手を待ち続けてるんだ」
「この辺の男たちは、みんな行ったことがあるらしいぜ」
「えっ。眠り姫にキスしに?」
「絶世の美女って話しだからな。男なら絶対に行くだろ」
「でも、資格がないと門前払いらしいんだよ」
「門前払い?」
「あぁ。門をくぐれないんだってさ」
「…誰も、会ったことがないの?」
「会ったことがあるやつも居るらしいな」
「そうなの?」
「なんだったかな。女なら会えるんだっけ?」
「じゃあ、私は会えるのかな」
「行く気か?」
「見てみたい」
本物のお姫様がいるなら。
「じゃあ、明日連れて行ってやるよ」
「え?…それは、ちょっと」
「いいだろ?女の子が一人で旅なんて危ないし」
「私は一人じゃないし、危なくないよ」
「そう言わないでさ」
突然、怒鳴り声が店内に響く。
声の方に目を向ける。
「あぁ、酔っぱらいの喧嘩が始まったな」
「船が出ないから、荒れてるんだろ」
悲鳴が響く。
「止めなくちゃ」
「え?やめなよ」
「危ないって」
リュヌリアンを出せる広さじゃないな。
腰の後ろに刺してある短剣を鞘ごと抜いて、喧嘩している三人組の中に入ると、一人目の胴体に短剣の柄を当てて吹き飛ばし、二人目の顔に蹴りを入れて、三人目の脇腹を鞘が付いた短剣で斬る。
「喧嘩はだめだよ」
短剣を元通り、腰につける。
後ろから向かってくる気配を感じて、それをかわし、相手の胴体を膝で蹴り上げて、折れた体の背中を両手で叩き付ける。
…あ。
「あの、ごめんなさい」
膝から落ちた相手の体をゆする。
気絶してる?
「すっげぇ。容赦ねーな」
「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。ほっときな」
「でも…、」
「良いクスリになるさ。今日はもう部屋に帰りな。連れが居るんだろ?」
「あ…、はい」
エル、遅いな…。
エルが帰ってきたのは、部屋に戻ってしばらくしてから。
「ただいま」
「おかえり、エル」
嵐、そんなに酷かったんだ。
レインコートがずぶ濡れになってるし、髪も濡れてる。
部屋にあったタオルをエルの頭にかける。
「風邪ひいちゃうよ」
「あぁ」
頬が冷たい。大丈夫かな。
「薬、買ってきてやったぞ」
エルが袋の中身を取り出して見せてくれる。
「こっちが、船に乗る前に飲む薬。こっちが、船酔いしたら飲む薬」
薬探してくれてたんだ。
「ありがとう」
「明日、ちょっと出かけてくる」
出かける?
「それって、近くのお城?」
「あぁ。知ってるのか?」
「うん。レストランに来てた人が話してた」
「そうか」
エルも、興味あるのかな。絶世の美女の、眠り姫。
「訪れる人が後を絶たないって」
「そうだろうな。…リリーも行くか?」
「行っていいの?」
だって、眠り姫にキスしに行くのに?
「危なくなったら、すぐに逃げろよ」
「え?危ないの?」
「本当に吸血鬼だったらどうするんだよ」
「吸血鬼?」
あれ…?違う場所なのかな。
「…何を聞いたんだ?」
「絶世の美女が住んでるって」
「それだけ?」
「運命の相手を待っている眠り姫なんだって」
「なんだ、それ」
エルが笑う。
あれ?
「俺が聞いたのは、吸血鬼が住んでるって話しだぜ」
「そうなの?」
吸血鬼って、人間の血を吸う、古い人間の種族?
「たぶん、こっちの情報が元だ。天気が悪くなかったら、朝一で行ってみるか」
「うん」
エルは本当に変な人。




