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ゆれる、君と笑う

作者: 宮原 皐子




流れる景色がピンクで染まる、そんな季節になった。



「ねぇ、」



その声は突然、私の真上から降ってきた。


始発の電車、人も疎らで静かなその中で2人掛けの座席に座り込んで少し経った時だった。



警戒しつつ顔を上げた私の視界に映ったのは、学生服の男の子。


声をかけるためにちょっとだけ腰を折ってこちらをじっと見下ろしている。



「これ」


「え?」



言葉少なにずいっと突き出された拳。



「ホームで落としてた」



反射的に出していた掌に、ぽとりと落ちてきたのは桜モチーフのイヤリング。


私の耳に引っ付いてるはずのお気に入り。


そっと両耳に手をやると、確かに左が空っぽで。



「ありがとう」


「どーいたしまして」



ペコリと頭を下げると、彼は無表情のまま私の3つ前に席にどさっと座った。




それがきっかけだった。




「あ、サクラさん」


「おはよう」



次の日も、またその次の日も、同じ電車で顔を合わせるようになった私と少年。



「隣どーぞ」


「ありがとう」



初めて会った日はあんなに表情が無くて怖かった彼が、今では年相応に無邪気な笑顔を見せるようにまでなっている。



高校2年生、あと2ヶ月で17歳になる彼。


結構マイナーなロックバンドのファンで、自分でもベースやドラムができる彼。


意外に勉強ができて、私に英語を教えてくれる彼。


何かを褒めたり、構ってあげると花が咲いたように笑う彼。



お喋りな彼は、会う度に色んな話をしてくれた。


おかげで私は出会って間もない彼のことを、まるで長年知り合いだったかのように勘違いしてしまいそうになることがある。



そんな彼の唯一の秘密。


そう、彼はどうしても私に名前を教えてくれないのだ。



「全部知ってたら面白くないよ」


「いやいや、名前は一番隠しちゃいけないでしょ」



彼は笑う。


悔しいから、私も教えてあげない。




彼は私を「サクラさん」って呼ぶ。


私は彼を「キミ」って呼ぶ。



連絡先も、住んでるところも知らない。


聞いたら教えてくれただろうけど、なんとなく、それはしなかった。


平日のたった30分、暇な時間を共有するだけの関係。


とても不思議な、彼との繋がり。






「ピアス、開けないの?」



脈絡のない話題転換はいつものこと。


彼が持ってきたお気に入りだと言うバンドの歌詞カードから視線を移すと、4人掛けの向かいに座るその子の手がごく自然に私の耳に触れた。



「痛いの嫌いなの」


「ふーん」



聞いたわりに興味無さそうな返事。



「もう、桜はつけないの?」



そう言いながら私の耳から拐っていく。



「そんなに気に入ってたの?」


「だって、あれのおかげで仲良くなれたんじゃん」


「そうだけど」


「俺とサクラさんの最初の出逢い」


「あの時のキミは本当に怖かったよ」


「仕方ないじゃん、緊張してたんだもん」


「なんで?」


「さぁ、なんででしょう?」



コロコロ、手の中で私のイヤリングを転がしながら微笑う。


そんな彼の笑顔に、心臓が きゅん と音を鳴らした。



ほんの数秒、呼吸ができなくなる感覚。




「明日もっかい見せてよ、あの桜」




そんな言葉を置き去りにして、彼は電車を降りていく。


窓の外で手を降る彼の悪がきっぽい笑みを見て、方耳のイヤリングを物質に取られていることに気がついた。



「……もう、」



吐き出した溜め息は、それでもどこか楽し気で。


まったく、どうしようもないなと自嘲する。



5歳も年下の、しかも高校生相手に私はいったい何を考えているのだろう。



彼が触れた耳が熱い。


……あぁ、本当にバカだ。






最初は違った。


彼のことをなにも知らなかったあの頃は、ただの怖い男の子としか思ってなかった。


イヤリングを拾ってくれたのはありがたかったけど、それ以上に関わろうなんて、考えてもいなかった、のに。


いつの間にか顔を合わせると会釈をするようになり、挨拶をするようになり、言葉を交わすようになり。


色んな顔を知った。


もっともっと、教えてほしいと思った。


彼に興味を持った。


名前も連絡先も、本当は知りたくて仕方ない。



でも、そんな勇気、私は到底持っていない。



好きな子がいたら?


引かれちゃったら?


もうこうしてお喋りすることもなくなるでしょ?



そんなの嫌だ。もったいない。



明日も、あさっても、彼が飽きるまで電車の中のお喋り相手を続けたい。



それ以上は望んじゃいけない。










「……いない」



あの日から今日でちょうど1週間が経っていた。


彼は私のイヤリングを持ち去ったまま、すっかり姿を見せなくなっていた。



始発の電車、私達が座る定位置の4人掛けにひとり沈む。



静かだ、とても。


つまらない、寂しい、悲しい。


少し前までの生活に戻っただけなのに、なんでこんな気持ちになってるんだ。


本当にバカだ、私は。



「あれも気に入ってたんだけどなぁ」



彼が連れてった黄色いいちごのイヤリング。


残った方耳だけが重い。


買ったばっかりだったのに、あーぁ。






鞄の中、ずっとずっと持ち歩いてる桜。


1ヶ月、2ヶ月、過ぎていく時間、取り戻す感覚。


まるで夢でも見ていたんじゃないかと思うくらい、何事もなく日々が巡る。


でもどうしても、家に置いていけない桜。


いつかまたあの笑顔が見たいって、未練がましくしがみつく。



彼の“明日”を信じたい。


彼との未来を描きたい。


























「――――さん、サクラさんっ」


「っ、」



広がる視界、彼の声。



「いくら人がいないからって、爆睡しちゃダメでしょ」



呆れたように苦笑しながら、普通に、自然に、向かいに座る。



「…………」


「なに、寝ぼけてる?っあ!ちゃんと昨日の約束覚えてる?」


「……夢?」


「ん?」



きょとんと間抜けな顔をする彼。


とりあえずスマホの画面を指でタップして確認する。



「ちょっとサクラさん、俺の話聞いてる?」



日付、曜日、時間。


絡んだ糸を1本ずつ解していく。



唐突に笑った私に、彼はいよいよ不機嫌で。



「ねぇ」



そんな彼の膨れっ面目掛けて、ずっと握りしめていたらしいそれを投げる。


中に入ったピンクがからからと音を立てながら彼のもとに飛んでいったプラスチックケース。



「どうやらキミのこと好きらしい」



慌ててキャッチする彼に告げる。



「やっぱり、名前教えてよ」




end.






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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして‼ とても素敵なお話ですね 二人の関係に温かい気持ちになりました(*´∀`) ゆったりした会話と感情描写がお話全体の雰囲気を作っていていいなぁと思いました これからも頑張っ…
2013/05/28 18:21 退会済み
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