第2話 魔族の少女
宿を探しながら、俺は街を歩いていた。
追放された日の夕方というのは、思った以上に間が抜けている。昼過ぎにパーティ証を返して、ギルドの掲示板で一枚の張り紙を回収して——それだけで、もう夕日が建物の隙間に沈みかけていた。
三年間、宿はパーティで共有していた。今日からは自分で取る必要がある。ポケットの中身を確認する。蓄えはある。急ぐ話でもない。
大通りから少し外れた区画に、手頃な宿が何軒か並んでいるのは知っていた。この街には長く住んでいる。地理は頭に入っている。
角を曲がって、裏通りに入ったときだった。
路地の奥に、何かが見えた。
壁際に、小柄な人影が崩れるように座り込んでいる。フードを深く被っていて、顔は見えない。胸のあたりで膝を抱えていて、動いていない。
足を止めた。
近づく。
石畳に膝をついて、フードの下を覗き込んだ。
少女だった。
年は十五か十六か、それくらいに見える。顔色が悪い。呼吸は浅いが、している。目が薄く開いて、こちらを捉えた。
そしてフードの縁から、紫がかった肌がのぞいていた。耳の形も、人間のそれとは少し違う。尖っていて、長い。
魔族だ。
俺は反射的に星眼を使っていた。
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名前 ルシア
レベル 12
適正武器 杖 A 魔道具 B
筋力 G(F)
敏捷 E(D)
魔力 B(SS)
知力 C(A)
耐久 F(E)
精神 D(S)
スキル 暗黒魔法適性・初
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手が止まった。
魔力B、潜在SS。
精神D、潜在S。
知力C、潜在A。
数値を見た瞬間、頭の中で計算が走った。今のレベルは12。まだ低い。体力も耐久も底をついている。だがその奥に眠っている潜在能力の数値は、今まで俺が見てきたどの冒険者とも水準が違った。
この子は——育てれば、魔王級になれる。
感情じゃなく、数字がそう言っている。
「おい」
声をかけた。少女の目が細くなる。
「……触るな」
か細い声だったが、言葉だけははっきりしていた。壁に手をついて後ずさろうとする。力が入っていない。
「動けないだろう」
「……関係ない」
「いつから何も食べていない」
少女が黙った。
否定しなかった。それが答えだ。
俺は少し考えてから、立ち上がった。
「待っていろ。すぐ戻る」
少女は何も言わなかった。
近くの露店でパンと干し肉とスープを買って戻ると、ルシアはさっきと同じ場所にいた。逃げなかったのは、逃げる体力もなかったからだろう。
食べ物を地面に、手の届く距離に置いた。押し付けるように渡さなかったのは、そうすると拒否されると思ったからだ。
少女はしばらくそれを見ていた。
「毒は入っていない。俺は鑑定士だ、そういう手は使わない」
「……なんで、こんなことをする」
「放っておいたら死ぬかもしれないから」
「魔族が死んでも、人間には関係ない」
「俺には関係ある」
少女がこちらを見た。フードの下から、紫がかった瞳が覗いている。疑っている。値踏みしている。
ゆっくりと手が伸びた。パンを掴んで、一口かじる。もう一口。それから干し肉を。スープの椀を両手で持って、少しずつ飲んだ。無言で、ただ食べている。
食べ終わったころに、俺は壁に背を預けたまま口を開いた。
「ギルドに断られたか」
少女の肩が、わずかに固まった。
「……登録しようとしたら、魔族は受け付けないと言われた。宿も、食堂も、どこも同じだった」
淡々とした口調だった。怒りでも悲しみでもなく、ただ事実として話している。それがかえって、積み重なってきた時間の長さを感じさせた。
「名前は」
「……ルシア」
「レイン・アルト。今日からフリーの鑑定士だ」
ルシアは何も言わなかった。
「お前のステータスを見た」と俺は言った。
ルシアの目が細くなった。「……勝手に鑑定したのか」
「癖みたいなものだ。嫌なら謝る」
「謝っても消えない」
「そうだな。ただ、見た内容を伝えておきたかった」
「……何が見えた」
「魔力の潜在がSSだ」
間があった。路地の奥で、遠くの酒場の笑い声だけが聞こえていた。
「……嘘をつくな」
「嘘をついて何の得がある」
「甘い言葉で魔族を騙して売り飛ばす人間は多い。子供の頃からそういう目に遭ってきた」
「俺は甘い言葉は言っていない。数字の話をしている」
ルシアがこちらを見た。疑いの色は消えていないが、続きを聞こうとしている。
「魔力の潜在SSというのは、この街の冒険者全員を並べても、おそらく一人もいない水準だ。今のレベルは低い。体も限界に近い。だが伸びしろが違う。精神の潜在もS、知力もAまで届く。正しく育てれば——魔王級の魔導士になれる」
「魔王級」
「俺の星眼鑑定が外れたことはない。それだけの力が、お前の中に眠っている」
ルシアは黙って地面を見ていた。
信じていないかもしれない。でも完全に否定もしていない。長い沈黙の後、ぽつりと言った。
「……どうして、私に教えるの」
声のトーンが少し変わっていた。さっきより少しだけ、子供らしい響きになっていた。
「仲間を探している」と俺は答えた。「今日パーティを追放された。これからクランを作るつもりだ。落ちこぼれでも、評価されていなくても、本当の力を持っているやつを集めたい。お前みたいな潜在能力を持つ人間を——いや、魔族を、放っておくのが惜しかった」
「惜しかった」
「率直に言えばそういうことだ」
ルシアはまた黙った。
路地に夜の風が入ってきた。ランタンの灯りが、石畳の上に細長い影を作っている。
しばらくして、ルシアは立ち上がろうとした。足に力が入らなくて、膝をついた。俺は手を差し出した。
ルシアはその手を見た。一瞬、躊躇した。
それから、掴んだ。
細い手だった。冷たかった。どれくらい何も食べていなかったのか、皮膚の下に骨の感触がある。
立たせた。ルシアは俺の手をすぐに離した。フードを直して、視線を地面に落とした。
「……宿は」
「銀の月亭という宿をこれから取りに行くところだ」
「一緒に行く」
俺は少し考えてから、頷いた。
「ついてこい」
夜の街は賑やかだった。酒場から笑い声が漏れて、冒険者たちが連れ立って歩いている。ルシアはフードを深く被って、俺の少し後ろを歩いた。視線を集めないようにしているのが分かった。
宿に着いた。カウンターの主人は、俺の後ろのルシアを一瞥して、何も言わなかった。この街の宿屋は客を選ばない。それがここの暗黙のルールだ。
部屋を二つ取った。
鍵を渡しながら、ルシアに言った。
「明日、ゆっくり話をしよう。クランのこと、今後のこと。今日は休め」
ルシアは鍵を受け取った。何も言わなかった。
階段を上がりかけて、足を止めた。振り返らずに、小さな声で言った。
「……ご飯、ありがとう」
それだけ言って、上がっていった。
俺は自分の部屋に入って、ベッドに腰を下ろした。
ポケットからカイルの張り紙を取り出して、テーブルの上に広げた。
今日一日を振り返る。朝、パーティ証を返した。昼、掲示板でこの張り紙を手に入れた。夕方、路地でルシアを拾った。
なかなか濃い一日だ、と思った。
頭の中に、ルシアのステータスがまだ浮かんでいる。魔力B(SS)。暗黒魔法適性・初。今はまだ何も咲いていない、硬い種のような数値だ。
それを正しく育てたとき、何が咲くのか。
俺にはそれが、もう見えていた。
一人目が決まった。
次は、この張り紙の主だ。
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