第13話 競売の朝
オークションまでの二週間、俺たちは毎日ダンジョンに潜った。
時の若葉の出品手続きを終えた翌日から、四人の日課はほぼ変わらなかった。朝に銀の月亭で食事を取り、ダンジョンへ向かい、夕方に上がって報告を整理し、夜はそれぞれの鍛錬をする。単純なようで、その繰り返しの中で三人は確実に変わっていった。
カイルの槍は、二週間前と別物になっていた。
最初の頃は突きの角度が毎回微妙にずれていた。体が正しい動きを探している段階だった。それが今では、ほぼ同じ軌道で槍が出るようになっている。本人が意識していない部分で体が答えを覚えた証拠だ。
ある日の戦闘で、カイルが中型の魔物と正面から打ち合う場面があった。
魔物が爪を振るった。カイルは躱さなかった。
爪がカイルの肩口をかすめたが、カイルは怯まずに槍を腹部に突き込んだ。頑健のスキルが全身を支えていた。一撃で仕留めた。
「当たっても止まらなくなってきた」とカイルが言った。
「当たらないに越したことはない」と俺は返した。
「分かってる。でも前は当たりそうになっただけで体が縮んでたんだ。それがなくなった」
それは大きな変化だ。前衛として壁を張るためには、攻撃を受けることへの恐怖を体が乗り越える必要がある。技術より先にそこが変わらないと、どれだけ才能があっても前に出られない。カイルの体はその壁を越え始めていた。
ルシアの変化は、より静かな形で現れていた。
瞑想を始めてから一ヶ月近くが経つ。最初は魔力の流れを感じることすら難しそうにしていた。それが今では、戦闘前に数秒目を閉じるだけで魔力を最適な状態に整えられるようになっていた。
「ダークアロー」
ルシアが放った矢状の暗黒魔法が、通路の先のゴブリンの眉間に吸い込まれた。距離は十五メートル以上あった。
「今のは遠かったな」とカイルが言った。
ルシアは何も言わなかった。ただ次の標的に視線を移した。もう次の魔力が指先に集まり始めている。
戦闘が終わってから、俺はルシアのステータスを確認した。魔力の数値そのものよりも、精神の数値が安定して上がり続けている。魔力制御の精度が上がるにつれて、魔法一発あたりの消費が減ってきているはずだ。長期戦になればなるほど、この差は大きくなる。
ナナは、奇襲の精度を磨いていた。
気配遮断を活かした一撃に特化した動き方だ。索敵で位置を把握したあと、戦闘が始まると同時に死角に回り込み、カイルが正面を抑えた瞬間に首元か脇腹を狙う。
二週間の間に、そのタイミングが別次元になっていた。
カイルが「最近ナナの一撃が速すぎて戦闘が終わるのが早い」と言ったことがある。ナナは「文句か」と返した。カイルが「褒めてる!」と言った。ナナはそれ以上何も言わなかったが、耳が少し動いた。
《レイスナイフ》の麻痺効果も、この二週間で二度発動した。一度目は硬皮の魔物に対してで、麻痺が入った瞬間にカイルが一気に仕留めた。二度目は複数戦の最中で、ナナが麻痺させた一体をルシアがダークバーストで仕留めた。どちらも綺麗な連携だった。麻痺の発動は運の要素が大きいが、発動したときの崩し方が四人の中で自然に共有されてきている。
二週間で四人の息は、さらに深く合うようになっていた。
オークション当日の朝、銀の月亭の食堂は静かだった。
いつもと変わらない朝食だ。パンと野菜のスープ、焼いた肉。
「今日いくらになると思う?」
カイルが肉を噛みながら言った。
「お前の予想は」
「……金貨百枚くらい?」
「もっと上だ」
カイルがスプーンを止めた。「百より上? どのくらい」
「場合によっては五百を超える」
「……は?」
ルシアが静かにパンをちぎった。ナナはスープを飲みながら特に驚いた様子もなかった。
「時の若葉は三年間老化しない。貴族の奥方にとって、それがいくらの価値を持つか。百枚で買えるなら全員が買う。そうならないのは、それ以上の値がつくからだ」
カイルが「競り合いになるのか」と言った。
「なる。それと今日は四人とも仮面をつけて入場する」
「仮面?」
「出品者として手続きは済ませてある。だが競売の場で顔を晒す必要はない。高額の取引が絡むと、あとで目をつけられることがある。冒険者が珍しいものを持ち込んだと知られると面倒なことになる」
カイルが「なるほど」と言って、テーブルに置いてあった簡素な白い仮面を手に取った。ナナはすでに自分の仮面を確認していた。ルシアは仮面を手に取って少し眺めてから、そっと顔に当てた。
「声を上げるな。競り合いになっても表情を変えるな」と俺は言った。
「分かった」とカイルが言った。
「本当に分かっているか」
「……分かった」
ルシアが「本当に分かっているか確認するのは正しい」と短く言った。カイルが「ルシアまで!」と声を上げた。ナナが「うるさい」と言った。
オークションハウスは、街の高級区画にある。
石造りの外壁に彫刻が施されていて、入口には制服を着た係員が立っている。四人とも仮面をつけて近づくと、係員がリストを確認して通してくれた。
会場の中には貴族風の装いの男女、商人らしい太った男、護衛を連れた老婦人。普段ダンジョンで顔を合わせる冒険者たちとは、まるで空気が違う。仮面をつけた参加者も何人かいた。この場ではそれが普通らしかった。
カイルが俺の袖を引いた。「俺たち、場違いじゃないか」
「仮面をつけていれば誰も気にしない」
しばらくして、壇上に初老の男が上がった。派手な赤い上着に、よく通る太い声。この会場の司会を何年もやっているのだろう、立ち姿に隙がない。
「さあさあさあ!本日もアバターラ随一のオークションハウスへようこそ!今日はね、皆さん、いいものが揃ってますよ!最後まで財布の紐を固く握りしめてくださいよ、いつ手が動くか分からないですからね!ではさっそく参りましょう!」
会場に笑いと拍手が起きた。カイルが小声で「なんかすごい人だな」と言った。俺は黙っておけという目線を送った。
最初の品は、ガラス細工の精巧な置物だった。
「こちら、上層階の素材を使った魔法付与済みの装飾品です!飾っておくだけで部屋の魔力密度が上がるという代物!奥様方、いかがですか!金貨十枚からどうぞ!」
あっという間に金貨三十二枚で落ちた。
次は上質な魔道具の短杖だった。
「こちら、魔力増幅率が通常の一・五倍という職人の逸品!魔法使いの方、これは見逃せませんよ!金貨五十枚スタートです!」
会場の魔法使い風の参加者が競り合い、最終的に金貨八十八枚で落ちた。ルシアが少し短杖を眺めていた。
カイルが「いいやつだったな」と小声で言った。俺は「今じゃない」と返した。
そして次の品が壇上に運ばれてきたとき、司会の声のトーンが一段上がった。
「さぁ!ここで来ましたよ!お待ちかねの方もいるんじゃないですか!ダンジョンから出るものとしてはトップレアを誇る、後天的にスキルを得られる唯一の代物、スキル書でございます!」
会場がざわついた。
「まぁ、中身は使ってみないと分からないけどな!ハッハッハ!でもね、これはダンジョンを何百時間潜っても出ないことだってある、本当の意味での一級品です!さぁ、金貨五枚からスタートだ!」
台に載った瞬間、俺は星眼を向けた。
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スキル書
内容 戦場の指揮
効果 発動中、周囲の仲間全員の能力に補正がかかる
知力が高いほど補正値が増す
分類 指揮・強化系
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買う、と即断した。
会場はさほど動かなかった。中身が分からない以上、腰が引けるのは当然だ。
しばらくして、一人が手を上げた。「十枚」
俺は「十五枚」と返した。相手が「二十枚」と言った。
「二十五枚」
沈黙があった。相手の手が下りた。
「二十五枚、一度、二度……落札!おめでとうございます!さぁ、何が出るか楽しみですねぇ!」
司会が明るく締めた。カイルが仮面の下で何か言いたそうにしていたが、堪えていた。
次の品は、銀細工の装飾が施された宝剣だった。
「こちら!アバターラ最高峰の鍛冶師が手がけた一振り!斬れ味は折り紙つき、魔力への耐性付与まで施された逸品中の逸品です!剣士の方、これを見て何も感じなければ冒険者を辞めた方がいいですよ、なんて!金貨百五十枚からどうぞ!」
会場が沸いた。三人が競り合い、最終的に金貨二百四十枚で落ちた。
カイルが「二百四十枚……」と呟いた。ナナが「装備にそれだけかけられる奴がいるのか」と静かに言った。
「貴族か、よほどの実力者だ」と俺は返した。
その後も数品が落ちていった。薬草の希少品、魔道具の防具、古代語で書かれた魔法書。どれもそれなりの額で落ちていく。
そして司会が、黒い特製宝箱を両手で抱えて壇上に立った。
「さあ皆さん!本日の目玉、とっておきの一品が来ましたよ!」
司会の声が、それまでより明らかに上がった。会場がしんと静まり返った。
「ダンジョンはね、冒険者に様々なものをもたらしてくれます。武器、防具、魔道具。でも今日ご覧いただくのは、そのどれとも違う。ダンジョンが生み出す、自然の奇跡とでも言うべき一品です!」
宝箱の蓋が開けられた。中の葉が、会場の燭台の光を受けてわずかに輝いた。
「時の若葉!ダンジョン産の最希少品のひとつ!すり潰して飲めば三年間、老化が止まるとされる伝説の葉!しかも今回は発見時の特製宝箱ごとのご提供です!皆さん、これが何を意味するか分かりますよね? 三年間です!三年間、時が止まるんですよ!奥様方、ご主人様方、これは見逃せませんよ!最低入札額、金貨五十枚からスタートです!」
会場が一気にざわめいた。
手が上がった。すぐに別の手が上がった。また別の手が。
「百枚!」「百二十枚!」「百五十枚!」
カイルの肩が揺れた。ナナの手がカイルの腕を静かに掴んだ。カイルが堪えた。
「二百枚!」「二百五十枚!」
司会が「上がる上がる!いいですねぇ!これが時の若葉の価値ですよ!」と煽った。会場の熱が上がっていく。
「四百枚!」
太った商人が腕を組んで考え込んだ。しばらくして、腕を下ろした。
二人になった。老婦人の代理人らしい男と、仮面をつけた貴族風の人物。
「五百枚!」「五百五十枚!」「六百枚!」
「六百枚!すごい!すごいですよ皆さん!これが本物の価値というものです!」
老婦人の代理人が指を一本立てた。「六百二十枚」
仮面の貴族がしばらく動かなかった。
静寂が数秒続いた。
それから、静かに首を振った。
「六百二十枚!一度!二度!……落札です!おめでとうございます!本日最高額!素晴らしい!」
槌が鳴った。会場に拍手が広がった。
カイルが声を飲み込んだ。喉が動いているのが見えた。ルシアは前を向いたまま、ほんの少しだけ息を吐いた。ナナはカイルの腕をそっと放した。
報酬の受け取りと手数料の精算を終えて、四人でオークションハウスを出た。
仮面を外した。カイルがようやく口を開いた。「……六百二十枚」
「手数料一割を引いて五百五十八枚。スキル書の二十五枚を差し引いて、手元に五百三十三枚残る」
カイルが「五百三十三枚」と繰り返した。噛みしめるように。
「俺、今まで金貨を十枚以上持ったことなかった」
「今日から変わった」
ルシアが「私も」と短く言った。ナナは無言で受け取った報酬の袋を静かに握りしめていた。
「使い道を説明する。クランの運営費として二割。残りを四等分して各自に渡す。装備の強化には優先的に使え。今の装備では中級階層の上では限界が来る」
「俺、槍をちゃんとしたのに替えたかった」とカイルが言った。
「替えろ。それが今一番優先すべき投資だ」
それから俺はスキル書を取り出した。三人が見た。
「さっきの競売で落としたのはこれだ。スキル書は中身が何のスキルか使うまで分からない。BADスキルが混ざっていることもある。後天スキルを複数持つと寿命が縮むとも言われている。三つまでは影響がないとされているが、それでも誰も迂闊に手を出せない。価格が安い理由はそこだ」
「……じゃあなんでレインが買ったんだ?」とカイルが聞いた。
「俺にはこれの中身が分かる」
三人が俺を見た。
「星眼で、か」
「そうだ。それがどういう意味か分かるか」
カイルが少し考えた。ルシアとナナも黙っていた。
「俺だけじゃない。お前たちにとっても同じことだ。何のスキルか分かった上で使える。三人それぞれに最適なスキルを、後天的につけることができるということだ」
カイルが「……それって」と言いかけて止まった。
「もっとも、スキル書はかなりのレアものだ。ダンジョンで見つかるかどうかは運次第で、オークションに出ることも滅多にない。今日みたいなことが毎回あるわけじゃないけどな」
「でも、見つかればレインが読める」とカイルが言った。
「そうだ」
カイルがしばらく黙っていた。それから「……すげえな」と小さく言った。感嘆でも驚きでもない、どこか腑に落ちたような声だった。
ルシアが「頼りにしている」と短く言った。ナナは何も言わなかったが、俺を一度だけ真っ直ぐ見てから、前を向いた。
俺はスキル書を開いた。光が滲み出て、手のひらに吸い込まれた。数秒で消えた。
《戦場の指揮》が、頭の中に刻まれた。
「習得した」
「あっさりしてるな」とカイルが言った。
「そういうものだ」
「効果は?」
「戦闘で使ったときに分かる」
四人で銀の月亭へ向かいながら、俺は今日得たものを頭の中で整理した。
金貨五百三十三枚。装備の強化。そして《戦場の指揮》。
明星が、また一段上がった。




