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ファンタジー、コメディ、その他+α(短編)

進学校、脳筋ゴリラ野球で甲子園に挑む

作者: いのりん

◯1980.7.7


「畜生、一勝もさせてやれなかった……」


 酔った男が、増水した川沿いを歩いていた。

 男の名前は備里(びり)(さとし)、公立進学校の野球部で監督を務める英語教師である。


 この日、備里率いる茨城県立金珠(こんじゅ)高校は夏の県予選の一回戦で敗退していた。


「あいつらは、しっかりと文武両道を貫きながら『ドジャース戦法』を実践してきたのに……何がいけなかったんだ?」


 ドジャース戦法とは、1950年代にロサンゼルス・ドジャースが実践した、『個人の能力に頼らずに、固い守備とサインプレーによる多彩な攻撃で勝利を目指す』戦術野球であり、黎明期の讀賣巨人軍が取り入れて以降、2010年代までの長きにわたり日本野球界のセオリーとなった戦術である。


『個人の才覚に頼らない緻密な野球』


 それは進学校の自分達には特に相性が良いと考え、弱者が強者に勝つための策として徹底してきたのだが……結果は中堅高相手に3ー1での敗戦だった。


「新チームこそはなんとしても勝たせてやりたいが、学業は疎かにできないしすべきではない。つまりこれ以上練習時間も増やせない……」


 涙が溢れそうになり、慌てて上を向くと幻想的な空が広がっていた。試合に必死ですっかり失念していたが、そういえば今日は七夕で、しかも彗星と流星が同時に見られる珍しい日らしい。


「なあ、神様でもなんでもいいから、アイツらを勝たせる方法を教えてくれよ」





 そんな事を呟きながら歩いていると


 増水した川に落ちた。





「おごごごぶ!」


 流され、死にそうになる備里。

 彼の脳が、今までの経験の中からこの危機を乗り越える手段がないかと高速ではたらき走馬灯を見せる。


 が、当然そんなものはない。


 そうして意識を失う少し前に、それは突然やってきた。


 頭の中が、凄まじい量の情報に埋め尽くされる。それは2020年代のメジャーリーグでデータアナリストをしていたアメリカ人男性の人生であり、彼の持つ知識だった。


 その男は若くして病に倒れ、死に際に『もっとこの野球知識を活かしたかった』と涙していた。備里は、ふと……これは自分の生存本能が必死にかき集めた、魂の過去の記憶だったのかも知れないと考えた。



 そうして意識を失った備里は、たまたま突き出していた木の枝に引っかかったところを、通りかかった消防隊員に助けられ、九死に一生を得ることになる。




◯1981.4.7


 こんにちは。

 僕は氷露雅竜(ひょうろがりゅう)といいます。


 少女漫画の主人公みたいな名前ですが、あだ名である『ヒョロガリ』の方が真名じゃないかとよく言われる系のメガネ男子です。


 野球が好きなので、この春、茨城県立金珠高校の野球部に入部しました。今日はその活動初日です。


 現在僕達がいるのは会議室。全体ミーティングから部活が始まるみたいです。


 さすがは進学校、なんだか知的な感じ。

 別の高校では、初日からいきなり『おう一年、玉拾いしとけ』とだけ言われて外野に追いやられたりとか、そういのがざらにあるみたいですからね。


「監督の備里敏だ。早速だけどチームの基本戦略の説明をするぞ。これはデータに基づいたもので、中学の頃とは違う野球になると思うがついてきてくれ」


 きっと、とっても緻密で堅実な野球になるのでしょうね。中学生の時は補欠だった僕ですが、守備やバントを磨き、レギュラーを目指す所存です。


「ウチの戦略は『バカスカとホームランを打って、ビシバシと三振を奪って勝つ』だ」


 ……え?空耳でしょうか?なんか凄い頭の悪そうなコンセプトが聞こえた気がしたんですが。


「そのために、練習時間の半分は筋トレだ。部費は全て卵と納豆に使うから、休憩時間に沢山食べてくれ。新入生は夏までに5kg筋肉を増やし、5メートルの飛距離アップと5キロの球速アップを目指す。チームスローガンは『ゴーゴーゴリラ、マッチョくん』だ。ここまでで質問はあるか?」


 空耳ではありませんでした。

 ギャク漫画みたいなスローガンに新入生は皆、絶句しています。でも先輩方は、うんうん、良いこと言うなぁって感じでうなずいていますね。


「あの……それでバントや守備・走塁練習をする時間は捻出できるのでしょうか?」

「いい質問だね。答えは『捻出できない』だ。でも問題はないぞ、ウチのチームはバントしないからバント練習は不要。ホームラン打つから走塁練習も不要。守備練習は流石に必要だが、アウトの半分は三振で取る方針だから必要最低限で構わん」


 誰も質問しないので聞いてみたら、そんな答えが返ってきました。僕だけじゃなく周りのみんなも顔が引き攣っています。


「君たちの考えていることは分かるぞ。『そんな大味な野球で勝てるんですか?』だろ。勝てるぞ、というか俺たちが甲子園で勝つにはその方法しかない」


 甲子園で勝つという言葉の強さに絶句する僕達を尻目に、備里先生は説明を続けます。それはこんなものでした。


 私立強豪校の方が入部時点でのメンバーが強い上に沢山練習時間を取るので、同じような野球をしても劣化版にしかならない。


 奴らはバント、盗塁、エンドラン、トリックプレー全ての戦術に備えた守備練習をするので、その土俵では戦わず打撃特化で得点するのが合理的だ。


 そもそも、バントは得点期待値が低い。野球は『9回までにいっぱい点をとった方が勝ち』なのに 1アウトで1ベースしか進めず、大量点に繋がらないクソ戦法だ。逆にホームランは最高の得点効率だろ。


 守備で『打たせてとる』のもナンセンスだ。高校野球の荒れたグランドや守備力だとイレギュラーバウンドヒットやエラーも多いからな。だから球速を上げて三振とるのが一番確実だ。


 そして、球速を上げれば相手打者がボール玉を振る確率が上がり、四死球も減り、結果的に球数も温存できる。


 パレートの法則というのがあってな、全体の中のたった2割が、結果の8割を決めるんだ。野球だとこの2割は、『打者がかっとばし、投手が速い球を投げる』ことだ。だからそこだけに特化した練習をする。


 あと、合理的に鍛えて数値を上げるのは高学歴の一番得意とするところだぞ。陸上選手やボディビルダーのトップ層は、実は名門大学出身ばかりなんだ。瞬発系のトレーニングは所要時間も比較的短いしな。勿論、めっちゃハードではあるが。


 とまあ、そんな感じでこの半年間やってきたんだ。そしてその成果を確かめるために……


「おととい、昨夏に3ー1で敗れた高校と練習試合をしてきたよ。結果は15ー3でウチの勝ちだった」


 先生の言葉に先輩達が拍手をします。何故かゴリラみたいにドラミングしている人もいます。どうやら、本当に勝ったみたいです。

 ……今気づきましたけど先輩達って体格いいですね。身長は僕達と大差ありませんけど、横に太い。


「特に新入生諸君は2年以上鍛える時間があるからな。最後の夏には甲子園でも戦えるチームになると俺は思っている」


 正直、まだ半信半疑なところはあります。

 でも、もし本当ならこれは凄いことですよ!



◯ 1983.2.7


 野球雑誌の記者、江川(えがわ)良文(よしふみ)は茨城県立金珠高校に向かっていた。


「秋の茨城県大会を優勝した進学高。関東大会ではプロ注目投手要する強豪校相手に6ー3と健闘……ねぇ」


 立派なものだと思う。ただ、甲子園では勝てないだろうなぁとも長い記者経験から分析していた。


「トーナメントの一発勝負だからな。おおかた、県大会の決勝では前回優勝高校の投手が故障していて、関東大会でもプロ注目投手が不調で3点入ったって感じだろう。6失点に抑えたのは大したもんだが……まあ全国レベルの堅い守りには遠い」


 そんなことを呟きながら頭の中で今日のインタビューをシミュレーションしてみる。『文武両道の進学校、固い守りとチームワークで甲子園一勝なるか』とか、そんな感じの判官贔屓を狙った記事になるだろう。勿論、いい意味で予想を外して欲しい気持ちはあるが……


「まあ、無理だろうなぁ」


 高校野球のインタビューなんて模範回答ばかりだ。全国から選手を集める私立強豪校が『個々の力では劣っていますが、チームワークと元気で頑張ります!』とか平気で言っちゃう世界である。


「はあ、どこかにいないもんかねぇ。ビッグマウスの一つでもサービスしてくれる監督や選手は」


 それがいわゆる『フラグ』というものであることに、1980年代の男が気づく事はなかった。




 *****


「甲子園ではどんな野球をしたいですか」

「鍛え上げたスピードとパワーで圧倒します」

「……は?」


 開口一番そう言われて、江川は面食らった。


「つ、つまり、私立強豪校とがっぷり四つに組むつもりだと?」

「いいえ、こちらの土俵であるバカ試合(じあい)……おっと失礼、ハイスコアゲームに引き摺り込んで殴り倒します!そして優勝します!」


 監督の備里にキャプテンの氷露、二人の回答は進学校とは思えないくらいに野蛮で喧嘩腰なものだった。

 しかし、ビッグマウスではなく自信を窺わせる本音であると言うことが伝わってくる。そこで江川は、高校野球記者としての柔らかさをとり、プロ野球選手を相手にするようなトーンで切り込んだ。


「失礼ですが、それは少々無謀ではないでしょうか。私立強豪校とは入部時点から選手のフィジカルに差があるでしょう?」


 それに対して、二人は笑って答える。


「逆に聞きますが『弱いまんまでも頭を使えば勝てる』なんて、虫が良すぎる考え方だと思いませんか?しかも相手の知性をナチュラルに見下している。」

「昔、ある女ハンターはこんな名言を残しました……『弱っちぃなら鍛えなさいよ』。だから僕達は鍛えています。ぜひ練習を見ていってください」


 言われてグランドに出れば、確かに選手たちは鍛えていた。というか、一風変わったトレーニングをしていて、とても野球の練習をしているようには見えない。


 投手と思われる選手達はなぜかブリッジ姿勢でトコトコ歩いたり、蛮族の如く槍投げをしたりしている。上半身裸で。

 野手陣は鉄棒で懸垂を繰り返したり、逆立ちの状態から腕立て伏せをしたり、片足一本でスクワットしたりしている。上半身裸で。


 有名なボクシング映画の音楽を大音量で流しつつ、重量挙げ選手の如く咆哮をあげながら行っていて、休憩中の選手は生卵をジョッキで一気飲みしている。興奮しているのだろうか全員目がギラギラしていて、ちょっと怖い。


 しかし、それより特筆すべきは選手達の身体のデカさであった。

 決して身長が高いわけではない。ただ、横にブ厚いのだ。カロリー消費の大きい野球部員はすらっとした痩せマッチョが多いのだが、彼らは全員ゴリマッチョであった。


「確かに、我々のスタメン平均身長168cmは甲子園出場校の中で最小です。しかし、平均体重の74kgは最重量でもあります。パワーならどのチームにも負けませんよ」

「……そうですね」


 マスキュラーポーズを決めながら言う氷露。

 ボタンがはち切れそうになっている彼の練習着を見ながら、このチームはもう数日かけてしっかりと取材しようと心に決めた江川であった。



◯ 1983.3.18


 甲子園の常連である私立名徳高校。

 その監督、鹿渕(かぶち)は本日の勝利を確信していた。


「運があるのう、ふぁふぁふぁ」


 春の選抜高校野球の初戦、対戦相手は甲子園初出場の茨城県立金珠高校であった。

 きっと堅実な守りと打線が噛み合い、勢いも味方して秋大会を運良く勝ち上がった、無名の公立校が選抜に出る時によくあるパターンだろう。


「しかし半年あれば勢いはリセット。そして甲子園という特殊な環境、負けたら終わりの一発勝負……そういった中でミスなく堅実な野球をするには、大舞台の経験と身体に覚えさせる長時間の練習の両方が必要だからのう」


 試合前のノックをみていても、金珠高校の守りは荒かった。肩は強いが、ステップワークや捕球に未熟さがある。きっといくつかエラーも出るだろう。


「そして甲子園は心の勝負でもある。厳しい寮生活で鍛えられたウチの勝ちは揺るがん……初回で決着がつくかものう」




 そうして、試合開始のサイレンが鳴る。




 先攻は名徳高校、その先頭打者への初球。


 ずどぉおおん!


 金珠高校の投手がストライクゾーンのド真ん中に放った豪速球に、球場が静まりかえった。


 少しして、大歓声。


「なんじゃと?!」


 目を向く鹿渕。

 プロ野球選手のような凄まじい球威だった。


 鹿渕の動揺が伝わったのか、先頭打者はあっさり追い込まれた後、ボール玉に手を出して三振。続く打者も簡単な内野フライに終わった。


「い、いやいや、ここからよ……」


 続く三番打者は名門大学からスカウトが来ているチームの柱。追い込まれるものの、その後粘って四球を獲得した。

 四番打者はドン詰まりの内野ゴロだったが、若干イレギュラーしたのを野手が弾いて出塁。


「よーしよし、流石に動揺するじゃろうて」


 ここからリラックスして投げるのは難しいぞと思い金珠高校の投手の顔を見るが……まさかの笑顔だった。

 エラーなんていつものことですわといった風で、リラックスどころか『ちょっと力みが足りなかったか』とばかりに速球の威力が増す。


 五番打者はあっけなく三振した。



 *****


 穏やかな小春日和。

 ラジオから声が聞こえる。


「さあ、一回の裏。金珠高校の攻撃です、解説の越後さん、見所を教えて下さい」

「先頭打者はうまく球数を投げさせて球筋や球種をみる役割があります。バントの構えでの揺さぶりなど、策があるか注目しましょう」

「初球を打ったー!火の出る様な当たりがセンター前に抜けて行きます!」


 茨城で養鶏場を営む男は、卵を回収しながらラジオを聞いていた。


「初球を打ちましたよ越後さん」

「……ま、まともにやり合っては分が悪いとみての奇襲でしたね。しかし、次はセオリー通りの送りバントでしょう。まず一点が欲しいでしょうしゲッツーが怖いですからね。プレッシャーの中で上手く転がせるか注目です」

「おおっとバッター、バントの構えをしません。そしてまた初球を打ったー!ランナーは一塁三塁になりました」


 そういえば体格の良い野球部員がウチの卵をよく買ってくれていたなぁと思い出す。


「バッター、冷静にボール球を見極めています」

「……カウント1ー3なので、次は盗塁やスクイズがあるかもしれませんね。ランナーはどれくらい大きなリードをとるか注目です」

「一塁へ早い牽制球!足からゆっくり戻ってセーフ、全然リードをしていません。ピッチャー、動揺したのかフォアボール!満塁となりました」


 堂々と戦う彼ら。強靭な肉体には強靭な精神が宿るのだろうか。それにウチの卵が一役買っているならこれに勝る喜びはない。このまま、是非勝って欲しいものだ。


「次は四番の氷露雅竜。名前に負けない、見事なドラゴン体型です」

「……もう訳がわかりません。ホームランでも打つんじゃないですか」


 予想を外しまくって投げやりになった解説を聞きながらエサをやる。鶏が興奮してバサバサと羽を動かす。

 バタフライエフェクト。


「低めの球をアッパースイングでカチ上げたー!打球はバックスクリーンへ一直線!入ったー!!」


 今、確かに起こった『風』は、やがて甲子園で大旋風となり強豪校を薙ぎ倒していくことになるのだが……現時点でそれを予測できたのは、先見の明あるごく一部の野球通と、インテリゴリラ達だけであった。


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― 新着の感想 ―
入部当時は備里監督の方針に思いっきり懐疑的だった氷露君が、思いっきり染まってるーっ! 強豪校は日常生活を野球に全振りしているのに対して、文武両道が信条だから、限られた時間で効率よく・・・よく・・・スッ…
続きがない…おかしいなぁ
豪快さの中にある確かな勝算。甲子園に凄まじい嵐が巻き起こるでしょうね。 生卵をゴキュゴキュと飲みたくなりました(笑)
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