第2話 婚約解消という名の取引
身支度を整えたマーガレットは、フレデリックの書斎のドアをノックする。
「お父様、マーガレットです。入ってもよろしいでしょうか」
「もちろんだよ。どうぞ」
フレデリックの許可を得たマーガレットは部屋に入る。質実剛健を絵に描いたような人柄のフレデリックの書斎は、きれいに整理されていた。
最初は愛娘の訪問に微笑んでいたフレデリックだったが、マーガレットが険しい顔をしているのを見て表情を改めた。
「マーガレット、何かあったのかい?」
マーガレットは今日見たことの一部始終を話した。フレデリックの表情が一層険しくなる。
「お前が未来の皇太子妃として日々努力していることを理解しようともせず、容姿だけで判断するとは。次期国王として心配だ」
腕を組んで悩んでいるフレデリックを見て、マーガレットは思いきって発言する。
「王家との婚姻がこの家にとって如何に重要かは承知しております。婚姻後に世継ぎに恵まれないとか、仕方のない理由で側妃を娶られるなら私も受け入れます。しかし、このようなくだらない理由で蔑ろにされる覚えはありません。婚約破棄をお許し下さい」
マーガレットの決意に、フレデリックはうなずいた。
「マーガレットの言う通りだ。このまま輿入れしたとて、シャルル殿下に蔑ろにされるのは目に見えておる。早くに亡くなったケイトの分まで、手塩にかけて育てたお前をそんなやつに嫁がせるつもりは毛頭ない」
ケイトとは、フレデリックの妻でありマーガレットの母であるレスター侯爵夫人キャサリンの愛称だ。キャサリンはマーガレットが2歳の時に病で亡くなっている。
「だか、こちらから婚約破棄を申し出て受け入れられるかどうか…」
「王家には、私は皇太子妃としての役目を果たせる自信がないと申し出るのです。王家にとって、こちらから婚約破棄を申し出るデメリットよりも、メリットの方が大きければ受け入れられるではないでしょうか?」
「分かった。交渉してみよう」
「ありがとうございます。お父様」
礼を述べたマーガレットが顔を上げると、フレデリックが手を組みあごを乗せてじっとこちらを見ていた。
「…何でしょうか?」
「何か雰囲気が変わったね、マーガレット」
フレデリックの鋭い指摘に、ギクッと固まるマーガレット。
「(前世の記憶が戻ったなんて言えない!)気のせいではないでしょうか?失礼します」
そういって逃げるように書斎を後にしたのだった。
1週間後、マーガレットは王家との話し合いから帰宅したフレデリックから呼び出された。
「結論から言おう。婚約解消は了承された。ただし、ノースフォード辺境伯閣下•アーサー殿に嫁ぐことが条件になった。婚約期間は1年間だ。」
「…ノースフォード辺境伯閣下ですか?」
ノースフォード辺境領は王国の北部に位置し、魔物からの防衛を担う重要な役割を果たしている。領主であるアレクシス自ら前線に立って剣を振るい、人並み外れた指揮能力で魔物から領民を守っているという。しかし、厳しい環境に加えて王都から遠く、一般的な令嬢が喜んで嫁ぐような場所ではない。
(婚約破棄した相手が王都にいると気まずいから、体のいい厄介払いってところね)
「王家と婚約解消した令嬢が新しい婚約者を見つけるのは難しいだろうから、見繕ってやったと言っていたが…どこまでもバカにしおって!」
そう言うなりデスクを拳でダンと叩く。普段は温厚な性格のフレデリックがこれほど怒りをあらわにするのは珍しい。
「お前の気持ちを確認すると言って一旦保留にしてきたが…どうする?マーガレット」
フレデリックの思いやりに感謝しながらも、マーガレットの気持ちは決まっていた。
「その話し、お受け致します(浮気性の男に嫁ぐよりまし!)」
毅然とした態度で答えたマーガレットに、さすがレスター侯爵家の娘だと、フレデリックは満足げにうなずくのだった。




