第25話「本物の責任」
世界規模の秘密組織の実態を知らされた翌日の朝、俺は普通に目覚めた。
「おはよう、琴音ちゃん」
「おはよう、お母さん」
朝食の席で母親と他愛もない会話を交わしながら、俺は昨夜のことを思い返していた。
総メンバー数1030名、年間売上2100億円、世界5大陸展開……
「まあ、数字が大きくなっただけで、基本的には同じようなものか」
俺にとっては相変わらず楽しいゲームの延長だった。三人がどれだけ本気の顔をしても、結局は俺の壮大な組織ごっこに付き合ってくれているだけだろう。
「今日も学校頑張ってね」
「うん、行ってきます」
家を出て美咲との待ち合わせ場所に向かう。この何気ない日常こそが、俺にとって一番大切な時間だった。
「おはよう、琴音ちゃん!」
「おはよう、美咲ちゃん」
いつものように元気いっぱいの美咲と合流した。
「昨日のニュース見た?また新しい魔力能力者が発見されたって」
「へー、そうなんだ」
「最近本当に多いよね。私も適性検査受けてみようかな」
美咲の冒険者への憧れは、最近ますます強くなっているようだった。
「でも危険じゃない?」
「そうだけど……なんかカッコいいじゃない?世界を守る仕事って」
世界を守る、か。確かに俺も似たようなことをしているが、そんな大げさに考えたことはない。
「琴音ちゃんは興味ないの?」
「うーん、普通の生活が好きかな」
「でも最近の琴音ちゃんって、なんか神秘的だよね。もしかして隠れた才能があるんじゃない?」
「そんなことないよ」
俺は苦笑いを浮かべた。隠れた才能どころか、世界最強クラスの能力があるとは知らないだろう。
学校に到着すると、いつものように授業が始まった。
現代文の授業中、俺は昨夜のアインたちの報告を思い返していた。
「世界規模の組織ねぇ……」
確かにすごいことだが、俺にとっては数字が大きくなっただけのような気がする。3人だった組織が1000人になったからといって、本質的に何か変わるわけでもない。みんな俺の楽しい遊びに真剣に付き合ってくれているだけだ。
「星野さん、問題の答えはわかりますか?」
「え?あ、はい……」
慌てて教科書に目を向ける。授業中に他のことを考えるのは良くないな。
この平和な高校生活こそが、俺にとって最も価値のある時間だった。
放課後、俺は地下空間に向かった。
「おかえりなさい、司令官」
アインがいつものように丁寧に出迎えてくれた。
「お疲れ様です。今日も充実した学校生活でしたか?」
「うん、普通に楽しかったよ」
「それは良かったです。では、本日の報告をさせていただきます」
司令室に入ると、ツヴァイとドライも待機していた。
「司令官、今日は各支部からの詳細報告が届いています」
ツヴァイが分厚いファイルを提示した。
「各支部?」
「はい。世界各地の活動状況と成果です」
ドライが大型モニターを操作し、世界地図を表示した。
「まず、北米の活動からです」
アインが報告を始めた。
「北米での活動責任者はエリカ・スノーフォックスです」
モニターに金髪の女性の写真が表示された。狐の特徴を持つ女性で、アインと同じタイプの被害者のようだった。しかし、その瞳には強い意志の光が宿っている。
「彼女は元々ウォール街で金融アナリストとして働いていましたが、プロジェクト・キメラの被害者として救出されました」
「金融アナリスト……だから経営が得意なのか」
「はい。北米では主にIT関連と投資事業で大きな成果を上げており、シリコンバレーの複数企業とも提携関係を築いています」
ツヴァイが詳細データを表示した。
北米活動実績
月間収益:180億円
主要事業:IT投資、金融サービス、テクノロジー開発
提携企業:15社
特記事項:次世代暗号技術の共同開発
「180億円……」
俺は数字の大きさに少し戸惑った。さすがに180億円という金額は、ごっこ遊びの範疇を超えているような気がする。
「はい。エリカは金融のプロでしたから、投資運用が非常に巧みです」
確かに、それは組織運営に役立ちそうだ。
「エリカからのメッセージもあります」
アインが音声を再生した。
『司令官!エリカです!北米での活動、本当に充実してます!昔の自分では考えられないほど大きなお金を動かして、しかもそれが同じ被害者を救うためだと思うと……涙が出そうになります!』
声には明らかな興奮と感動が込められていた。その声の震えは、演技とは思えないほど真に迫っている。
『最初は復讐だけを考えていましたが、今は希望を感じています!司令官のおかげです!来月にはもっと大きなプロジェクトを!我々は本当に世界を変えられるんです!』
「世界を変える……」
俺は少し困惑した。これは演技なのだろうか?それとも本気で言っているのか?
「次に、ヨーロッパの状況です」
「ヨーロッパの責任者はイヴォンヌ・ロイヤルウルフです」
今度は銀髪の女性が表示された。狼の特徴を持つ、ドライと同じタイプだった。しかし、その表情は威厳に満ちている。
「彼女は元々フランス外務省で外交官として働いていましたが、やはりプロジェクト・キメラの被害者でした」
「外交官……それで色々なコネクションがあるのか」
「その通りです。ヨーロッパでは製造業と外交的な活動で着実に成果を上げています」
ドライが報告を続けた。
ヨーロッパ活動実績
月間収益:120億円
主要事業:精密機械製造、外交コンサルティング、クリーンエネルギー
重要成果:欧州議会との非公式チャンネル構築
特記事項:再生可能エネルギー分野で技術革新
「欧州議会との……非公式チャンネル?」
俺は眉をひそめた。これは本当に政治的な活動ではないか。
「はい。これにより、ヨーロッパでの政治的な動きが格段に把握しやすくなりました」
「イヴォンヌからのメッセージです」
『司令官、イヴォンヌです。正直に申し上げますが、外交官時代は自分の無力さに絶望していました』
声に深い感情が込められている。
『各国の利害関係に翻弄され、本当に必要な人を救うことができなかった。でも今は違います!同じ被害者たちと力を合わせ、本当に世界を変えられる実感があります!』
『司令官、あなたが示してくれた道は正しい。この組織は、もはや単なる復讐集団ではありません。真の正義を実現する力なのです!』
俺は背筋に冷たいものを感じた。この声の真剣さは、とても演技とは思えない。
「続いて、南米の状況です」
「責任者はマリア・ジャガーキャットです」
猫の特徴を持つ黒髪の女性が表示された。その瞳には母性的な温かさと、同時に強い意志が宿っている。
「元々ブラジルの農業技術研究所で主任研究員として働いていましたが、やはり被害者の一人でした」
「農業研究者……」
「南米では農業技術と環境保護の分野で革新的な成果を上げています」
ツヴァイが説明した。
南米活動実績
月間収益:80億円
主要事業:農業技術開発、環境保護事業、バイオ燃料
重要成果:持続可能農業モデルの確立
特記事項:アマゾン保護プロジェクトで国際的評価
「アマゾン保護プロジェクト……国際的評価?」
「はい。環境を守りながら経済発展も実現する、理想的なモデルを構築しています」
俺は段々と現実味を帯びてきた話に困惑していた。
「マリアからのメッセージです」
『司令官、マリアです。私は……本当に司令官に感謝しています』
声が震えている。
『研究者として、自然を愛していました。でもあの実験で、自分自身が自然ではない存在になってしまった……最初は絶望しかありませんでした』
『でも今は違います!この力を使って、本当に地球のために働けている!同じ苦しみを味わう人を救い、美しい自然も守れている!司令官、あなたが与えてくれたこの使命こそが、私の生きる意味なのです!』
俺は息が詰まりそうになった。この感情の深さ、この真剣さ……これは演技ではない。本物だ。
「最後に、アフリカの状況です」
「責任者はアイシャ・ライオネスです」
ライオンの特徴を持つ女性が表示された。堂々とした雰囲気があり、まさに百獣の王のような威厳を放っている。
「元々南アフリカの通信会社でCTOとして働いていましたが、プロジェクト・キメラの被害者となりました」
「CTO……」
「アフリカでは通信インフラと金融テクノロジーで画期的な成果を上げています」
ドライが報告した。
アフリカ活動実績
月間収益:60億円
主要事業:通信インフラ構築、フィンテック、教育技術
重要成果:アフリカ大陸横断通信網の整備
特記事項:デジタル格差解消で国際機関から表彰
「国際機関から表彰……」
俺は愕然とした。これはもう、完全に現実の世界に影響を与えている。
「アイシャからのメッセージです」
『司令官!アイシャだ!』
力強い声が響く。
『あの悪魔どもは、私からすべてを奪ったと思っていただろう!家族も、仕事も、人間としての尊厳も!』
『だが奴らは間違っていた!司令官が私たちに新しい力と使命を与えてくれた!今の私は、CTO時代の何倍も大きな仕事をしている!』
『この大陸の人々の笑顔を見るたび思う。司令官、あなたの一言一言が、何万人もの人生を変えているのだ!私たちは、あなたの意志を現実にするために生きている!』
俺は椅子にもたれかかった。
「みんな……本気なんだ」
これまで「演技が上手だな」「ゲームを盛り上げてくれている」と思っていたが、全く違った。彼女たちは心の底から真剣に、俺の言葉を信じて行動している。
180億円、120億円、80億円、60億円……これらの数字は遊びではない。実際のお金だ。実際の経済活動だ。
そして何より、彼女たちの声に込められた感情は、俺への本物の信頼と尊敬だった。
「司令官?どうかされましたか?」
アインが心配そうに俺を見つめている。
「いえ……ちょっと考え事を」
俺は何と答えていいかわからなかった。
「司令官、それだけではありません」
ツヴァイが新たな資料を取り出した。
「各支部から新しい提案も届いています」
「提案……」
俺の声が震えた。もう軽い気持ちで「やってみれば」なんて言えない。
「まず、宇宙関連技術への参入です」
「宇宙?」
「はい。北米のエリカが、民間宇宙開発企業との協業を提案しています」
ドライが詳細を説明したが、俺は内容を理解しようと必死だった。
「この分野への参入により、年間数百億円規模の事業展開が可能になります」
「数百億円……」
俺は頭が回らなくなった。数百億円の事業を、俺の一言で決めようとしている。
「それに、衛星を使った情報収集も可能になります」
「衛星……」
「はい。独自の衛星ネットワークを構築すれば、世界中の動きを把握できます」
俺は冷や汗をかいた。衛星ネットワーク?それはもう国家レベルの話ではないか。
「次に、人工知能の本格的な研究開発です」
「AI?」
「はい。ヨーロッパのイヴォンヌが、最先端AI技術の開発を提案しています」
アインが続けた。
「投資額は約500億円、開発期間は3年を予定しています」
「500億円……」
俺は呆然とした。500億円を俺の判断で投資するつもりなのか。
「そのAIで何をするのですか?」
「世界中の情報を自動的に分析し、プロジェクト・キメラの動向を予測します」
「それに、経済や政治の予測も可能になります」
俺は段々と事の重大さを理解し始めた。これはもうゲームではない。
「他にも提案があります」
「まだ……あるのですか?」
俺の声が上ずった。
「はい。南米のマリアからは『地球環境保護プロジェクト』の提案が」
ツヴァイが説明したが、俺はもう詳細を理解する余裕がなかった。
「総投資額1000億円規模で、世界的な環境保護活動を展開します」
「1000億円……」
「アフリカのアイシャからは『グローバル・デジタル教育システム』の提案があります」
ドライが追加した。
「こちらも投資額800億円で、世界中の教育格差解消を目指します」
俺は頭を抱えた。
1000億円、800億円……これらの巨額な投資を、俺の一言で決めようとしている。
「司令官、これらの提案についてはいかがでしょうか?」
アインが俺の返事を待っている。
俺は震える手で資料を見つめた。
「これは……私が決めることなんでしょうか?」
「もちろんです」
三人が当然のように答えた。
「司令官の判断が、私たちすべての指針です」
ツヴァイが真剣に言った。
「司令官の一言で、数十万人の人生が変わります」
ドライが追加した。
俺は背筋が凍った。数十万人の人生?俺の一言で?
「ちょっと……待ってください」
俺は立ち上がった。
「私の一言で、そんなに大きなことが決まるのですか?」
「はい」
アインが迷いなく答えた。
「司令官の意志こそが、私たちの存在意義です」
「でも……」
俺は混乱していた。
「私はただ……楽しい組織活動をしたかっただけで……」
「楽しい組織活動?」
三人が困惑した表情を見せた。
「司令官、私たちは世界を変えるために戦っているのです」
ツヴァイが真剣に言った。
「同じ被害者を救い、悪の組織を倒し、真の正義を実現するために」
ドライが続けた。
「それが私たちの使命であり、司令官が示してくださった道です」
俺は愕然とした。
彼女たちは本気で、俺を世界を変える指導者だと思っている。
俺が軽い気持ちで発した言葉を、真剣に受け止めて実行している。
その結果、今や世界規模の影響力を持つ組織になってしまった。
「司令官?」
アインが心配そうに声をかけた。
俺は深呼吸をした。
今更「実はゲームのつもりでした」なんて言えるわけがない。
彼女たちの真剣な想い、数千人のメンバーの期待、そして世界中で救われた人々の希望……
すべてが俺の肩にかかっている。
「分かりました」
俺はゆっくりと答えた。
「ただし、もう少し慎重に検討させてください」
「もちろんです」
三人が安堵の表情を見せた。
「大切な決断ですから、十分に検討していただきたいと思います」
アインが優しく微笑んだ。
俺は初めて理解した。
これは数千人の人生を預かる、本物の責任だった。
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