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第12話「ツヴァイ」

 アインとの訓練を始めて3日が経った。

「ツヴァイ、少しお話しできますか?」

 地下空間の図書室で、一人で本を読んでいたツヴァイに声をかけた。銀髪に犬のような耳と尻尾を持つ彼女は、いつも静かに過ごしている。

「……はい」

 ツヴァイは本を閉じ、俺の方を向いた。声は小さく、控えめだ。

「体調はいかがですか?」

「問題ありません」

 短い返答。アインとは対照的に、ツヴァイは必要最小限の言葉しか話さない。

「何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってくださいね」

「……ありがとうございます」

 ツヴァイは再び本に視線を落とそうとしたが、俺は会話を続けた。

「その本、面白いですか?」

「……はい。魔力に関する基礎理論の本です」

「勉強熱心ですね」

「知識があれば……役に立てるかもしれないと思って」

 ツヴァイの声に、微かな感情が込められていた。役に立ちたい、という意志が感じられる。

「役に立ちたい?誰の役に?」

「……白銀様の」

 ツヴァイが小さく呟いた。

「それから……アインの。皆の」


「どうして役に立ちたいと思うのですか?」

 俺はツヴァイの隣に座った。彼女は少し緊張したような表情を見せたが、逃げることはしなかった。

「私は……何も覚えていません」

「記憶のことですか?」

「はい。でも、時々夢を見ます」

 ツヴァイが本を強く握りしめた。

「どのような夢ですか?」

「誰かが泣いている夢です。助けを求めている声が聞こえます」

 ツヴァイの瞳に、深い悲しみが宿った。

「きっと……私と同じような人たちの声です」

「まだ実験の被害者がいると思いますか?」

「……分かりません。でも、もしいるなら……」

 ツヴァイが俺を見つめた。その瞳には、静かだが強い決意が込められていた。

「助けたいです」

「なぜそこまで?」

「私は助けられました。白銀様に救っていただきました」

 ツヴァイが立ち上がって、深々とお辞儀をした。

「でも、助けられなかった人たちがいるかもしれません。それを思うと……胸が苦しくなります」

 ツヴァイの言葉には、深い共感と責任感が込められていた。自分だけが救われたことへの罪悪感もあるのかもしれない。

「貴女に責任はありません」

「分かっています。でも……」

 ツヴァイが俺を見つめた。

「力になりたいのです。白銀様の活動に」


「力になりたい……具体的には、どのような形で?」

 俺はツヴァイの意志を確認した。

「私にも……戦う力があります」

「戦う力?」

「実験の影響で、特殊な能力を得ました」

 ツヴァイが手を前に伸ばすと、周囲の光景が微かに歪んだ。

「これは……空間操作?」

「小規模ですが、空間を歪めることができます。隠れることや、攻撃を逸らすことが可能です」

 確かに、ツヴァイの周囲の空間が微妙に曲がっている。高度な魔力操作技術だった。

「すごい能力ですね」

「でも、まだ制御が不完全です。もっと練習が必要です」

「では、アインと同じように訓練を受けますか?」

「……お願いします」

 ツヴァイが小さく頷いた。

「ただし、貴女の能力は特殊です。専用の訓練メニューが必要でしょう」

「はい」

 俺はツヴァイの能力を詳しく分析した。空間操作系の魔法は非常に珍しく、習得も困難だ。しかし、使いこなせれば戦術的価値は計り知れない。

「明日から、個別指導を行いましょう」

「ありがとうございます」

 ツヴァイが初めて、小さく微笑んだ。

「でも、なぜそこまで熱心に?無理をする必要はありませんよ」

「……無理ではありません」

 ツヴァイが本を見つめながら答えた。

「これが私の生きる意味だと思うから」


「生きる意味?」

 俺はツヴァイの深刻な表情に心配になった。

「記憶を失って、体も変わって……普通の人生はもう歩めません」

 確かに、犬の耳と尻尾を持つツヴァイが一般社会で生活するのは困難だろう。

「でも、だからこそ新しい人生を歩めるのではないですか?」

「新しい人生……」

「過去に縛られる必要はありません。これからどう生きるかが大切です」

 ツヴァイが俺の言葉を静かに受け止めている。

「白銀様は……私たちをどう思われますか?」

「どういう意味ですか?」

「私たちは……もう人間ではないのでしょうか?」

 ツヴァイの質問に、俺は驚いた。彼女は自分のアイデンティティに深刻な悩みを抱えていた。

「もちろん人間です」

 俺は即座に答えた。

「外見が変わっても、心は人間のままです。それに、貴女たちの思いやりや優しさを見れば、立派な人間だと分かります」

「でも……」

「心配しないでください。貴女たちは間違いなく、価値ある存在です」

 ツヴァイの瞳に、微かな希望の光が宿った。

「私も……価値ある存在になれるでしょうか?」

「既になっています。ここにいる皆の支えになり、私の活動に協力してくれる。それだけで十分価値があります」

「ありがとうございます……」

 ツヴァイが小さく涙を浮かべた。

「もう泣かなくて大丈夫です。私たちがついています」

「はい……」


 その後、俺はツヴァイとより深い話をした。

「実は、時々記憶の断片が戻ることがあります」

「どのような記憶ですか?」

「研究施設での記憶です。痛い実験や、他の被験者たちの苦しむ声……」

 ツヴァイの表情が暗くなった。

「でも、それだけではありません」

「他にも?」

「優しい人の記憶もあります。きっと家族だったのでしょう」

 ツヴァイが本を愛おしそうに撫でた。

「この人が本を読んでくれていたような気がします」

「大切な記憶ですね」

「はい。だから、本を読むのが好きなのかもしれません」

 ツヴァイの過去について、少しだけ知ることができた。きっと愛情深い家族に育てられた、心優しい少女だったのだろう。

「その記憶を大切にしてください」

「はい」

「そして、これからは新しい記憶も作っていきましょう」

「新しい記憶……」

「私たちとの記憶です。楽しい記憶、充実した記憶」

 ツヴァイが初めて、心からの笑顔を見せてくれた。

「それは……とても素敵です」

 こうして、俺はツヴァイとも深い信頼関係を築くことができた。アインとは違った魅力を持つ、静かで思慮深い少女。

 明日からの訓練が楽しみだった。

「では、今日はゆっくり休んでください」

「はい。白銀様も」

 ツヴァイが丁寧にお辞儀をして、部屋を去った。

 残された俺は、彼女たちとの関係について考えていた。単なる救助者と被害者の関係から、真の仲間関係へと発展している。

「これも悪くないな」

 一人での活動に慣れていた俺だが、信頼できる仲間がいることの価値を実感し始めていた。

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