第11話「アイン」
被害者たちを救出してから1週間が経った。
「体調はいかがですか?」
地下空間の療養室で、俺はアインの様子を確認していた。金髪に狐の耳と尻尾を持つ彼女は、他の被害者たちの中でも特に回復が早い。
「はい、おかげさまで完全に回復いたしました」
アインは丁寧にお辞儀をして答えた。俺を「白銀様」と呼んで敬語で話すのが定着している。
「それは良かった。他の皆さんの様子はどうでしょう?」
「みんな少しずつ元気になってきています。ツヴァイは相変わらず寡黙ですが、ドライは明るく振る舞ってくれて、場の雰囲気を盛り上げてくれています」
アインは他の被害者たちの世話を積極的に手伝ってくれていた。まるで自然にリーダー的な役割を担っている。
「アインは面倒見がいいですね」
「いえ、私だけが特別というわけではありません。皆で助け合うのは当然のことです」
謙虚で思いやりがある。実験の被害者だったとは思えないほど、精神的に安定している。
「でも、本当は辛いこともあるでしょう?無理をする必要はありませんよ」
アインの表情が少し曇った。
「正直に申し上げますと……時々、断片的な記憶が戻ることがあります」
「どのような記憶ですか?」
「痛みと恐怖の記憶です。白いベッドの上で、何かを注射される場面や、体が変化していく感覚……」
アインが自分の狐の耳に触れながら、悲しそうに呟いた。
「でも、それよりも強く感じるのは怒りです」
「怒り?」
俺はアインの言葉に少し驚いた。これまで、彼女が怒りを表に出したことはなかった。
「はい。私たちにこんなことをした組織への怒りです」
アインの瞳に、強い意志の光が宿った。
「あの人たちは、私たちを人間として扱いませんでした。まるで実験動物のように……」
確かに、Project Chimeraの研究資料を見る限り、被験者たちは完全に物として扱われていた。人格や人権は一切考慮されていない。
「でも、もうその組織は破壊しました。もう被害者が出ることはありません」
「それは白銀様のおかげです。心から感謝しています」
アインが深々と頭を下げた。
「でも……本当に終わったのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「あれほど大規模な組織が、たった3つの拠点だけで運営されているとは思えません。きっと他にも……」
アインの推察は的確だった。確かに、Project Chimeraが3つの拠点だけで全国規模の活動を展開していたとは考えにくい。
「隠れた拠点があるかもしれませんね」
「はい。そして、もしそうなら……まだ苦しんでいる人たちがいるということです」
アインの表情が真剣になった。
「私は、同じような被害者を救いたいのです」
「救いたい?」
「はい。私たちは幸運にも白銀様に救っていただけましたが、他の人たちはまだ苦しんでいるかもしれません」
アインの目に強い決意の光が宿った。
「もし可能であれば……私も白銀様の活動にお手伝いさせていただけませんでしょうか?」
「お手伝い……ですか」
俺は少し考えた。確かに、Project Chimeraの調査には現地の情報や被害者の視点が必要かもしれない。
「でも、危険な活動になりますよ」
「覚悟はできています」
アインの決意は固かった。
「それに、私にも少しは戦闘能力があります」
「戦闘能力?」
「実験の影響で、普通の人間より身体能力が向上しているようです。それに、魔力も少し使えるようになりました」
確かに、アインからは微弱ながら魔力の気配を感じる。実験の副作用として、魔力能力を獲得したのかもしれない。
「試しに、どの程度のことができるか見せていただけますか?」
「はい」
アインは手のひらに集中し、小さな光の球を作り出した。初心者にしては上出来だ。
「素晴らしい。確かに才能がありますね」
「ありがとうございます」
俺は少し考えてから提案した。
「分かりました。まずは基本的な訓練から始めましょう。十分な実力がつけば、実際の活動にも参加していただきます」
「本当ですか?」
アインが嬉しそうに微笑んだ。
「ただし、非常に厳しい訓練になりますよ」
「はい!どんなに厳しくても頑張ります」
こうして、俺は初めて『仲間』を得ることになった。これまでは常に一人で活動してきたが、信頼できる協力者がいるのも悪くない。
「では、明日から訓練を開始しましょう」
「ありがとうございます、白銀様」
翌日、俺はアインの訓練を開始した。
「まず、基本的な魔力操作から教えます」
地下空間の訓練場で、俺は魔力の基礎理論を説明した。アインは非常に熱心で、理解も早い。
「魔力は意志の力で制御します。強い意志があれば、より強力な魔法を使えるようになります」
「意志の力……」
「はい。貴女の場合、被害者を救いたいという強い意志があります。それが魔力の源になるでしょう」
実際に訓練を始めると、アインの成長速度は驚異的だった。わずか1時間で光弾の発射をマスターし、2時間後には連続発射も可能になった。
「すごい……これほど早く習得できるとは」
「実験の影響でしょうか?」
「おそらくそうです。魔物の因子が融合することで、魔力の扱いが得意になったのでしょう」
訓練を続けるうちに、俺はアインの真面目で努力家な性格を知ることができた。与えられた課題を完璧にこなそうとする姿勢は、まさに理想的な生徒だった。
「今日はこれで終了にしましょう」
「はい、ありがとうございました」
アインが汗を拭いながら礼を言った。
「明日はもう少し高度な技術を教えます」
「楽しみにしています」
俺は内心でワクワクしていた。一人でやる活動も楽しいが、こうして誰かに教えることで新たな楽しみを発見した。
アインも俺に教わることを心から楽しんでいるようだった。
その夜、アインが俺に相談を持ちかけてきた。
「白銀様、少しお時間をいただけますでしょうか?」
「もちろんです。どうしました?」
「実は、ツヴァイとドライのことでご相談があります」
「二人がどうかしましたか?」
「はい。二人とも、表面的には元気にしていますが、内心では深く傷ついているようです」
確かに、ツヴァイは寡黙で、ドライは逆に明るすぎる。どちらも本当の気持ちを隠している可能性がある。
「特にドライは、無理に明るく振る舞って、他の人たちを元気づけようとしています。でも、夜中に一人で泣いている声を聞いたことがあります」
「そうですか……」
「ツヴァイも、いつも一人で考え込んでいます。きっと、自分の境遇について深く悩んでいるのだと思います」
アインの観察力は鋭い。確かに、俺も二人の様子に違和感を感じていた。
「私も二人と同じ境遇ですから、彼女たちの気持ちが少し分かります」
「どのような気持ちですか?」
「怒りと絶望、そして希望への渇望です」
アインが静かに語った。
「私たちは奪われました。記憶も、普通の人生も、全てを奪われました。でも、白銀様が救ってくださったことで、新しい希望を見つけることができました」
「新しい希望?」
「同じような被害者を救うという使命です。私たちにしかできないことがあると思うのです」
アインの言葉に、俺は深く感動した。自分の境遇を嘆くのではなく、それを力に変えて他者を救おうとする意志。これこそが真の強さだった。
「分かりました。明日、ツヴァイとドライとも個別に話をしてみましょう」
「ありがとうございます」
アインが安堵の表情を浮かべた。
「アイン、貴女は本当に素晴らしい人ですね」
「そんな……私はただ、皆で幸せになりたいだけです」
その夜、俺はアインという特別な存在を得たことを実感していた。単なる救出者と被救出者の関係を超えて、真の信頼関係を築きつつある。
明日はツヴァイと話をしてみよう。きっと彼女にも、アインのような強い意志があるはずだ。