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第1話「転生と最強への憧れ」

 電車の中で意識が薄れていく瞬間、俺は確かに諦めていた。三十二歳、独身、平凡な営業マンとしての人生。残業続きで体調を崩し、満員電車の中で倒れた時、「ああ、これで終わりか」と思った。

 特別な才能もない。恋人もいない。友達と呼べる人間もろくにいない。唯一の趣味といえば、深夜に一人でプレイするRPGゲームくらいだった。毎日終電で帰宅し、コンビニ弁当を食べながら小さなモニターに向かう。それが俺の全てだった。

『エターナルクエスト』——そのゲームの中で俺が最も憧れていたのは、ラスボスを倒した後に現れる真の敵、「白銀の審判者」だった。プレイヤーが必死にレベルを上げ、最強の装備を集めても、その存在は別次元の強さを誇っていた。何より、その設定に心を奪われた。

「普段は世界のどこかで静かに暮らしている。しかし、真の悪が現れた時、その姿を現し、圧倒的な力で全てを裁く」

 白銀の長髪が風になびき、琥珀色に輝く瞳が敵を見据える。戦闘時以外は完全に正体を隠し、誰にもその真の力を明かさない。まさに理想的な隠れた最強キャラクターだった。俺はそのキャラクターに心の底から憧れていた。攻略サイトで設定を読み漁り、二次創作まで探して読んだ。現実では何の力も持たない俺が、唯一「こんな風になりたい」と思える存在だった。

 深夜二時過ぎ、また同じ場面をリプレイしながら、俺は「白銀の審判者」の戦闘シーンに見入っていた。その圧倒的な強さ、誰にも正体を明かさない神秘性、そして何より「普通の人間のふりをしている」という設定が堪らなく好きだった。もし俺に超能力があったら、絶対にこんな風に生きてみたい。そんな妄想を抱きながら、俺は現実逃避を続けていた。


 意識が戻った時、俺は泣いていた。

「うぇぇぇん!」

 自分の声が異様に高い。そして、なぜか涙が止まらない。体も思うように動かない。周りを見回すと、見知らぬ部屋。見知らぬ人たち。天井が妙に高く見える。

「よしよし、琴音ちゃん、大丈夫よ」

 優しい女性の声。俺を抱きしめる温かい腕。その腕は俺の体を完全に包み込むほど大きく、俺の体がとても小さいことを実感させた。

 琴音?誰だそれは。

 混乱している俺の目に映ったのは、ふとした拍子に見えた鏡に写った小さな女の子の姿だった。黒髪、黒い瞳、整った顔立ち。赤ちゃんのような小さな手足。

 俺?いや、この子が俺?

 呼吸が荒くなる。心臓が早鐘を打つ。しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、何かとてつもない可能性を感じていた。

 それから数日かけて、俺は状況を理解した。転生。異世界転生ではなく、同じ世界の、しかも女の子への転生。前世の記憶を持ったまま、『星野琴音』という名前の赤ちゃんとして生まれ変わったのだ。

 最初はパニックになりそうだった。男性だった自分が女性になるなんて、受け入れがたい現実だった。しかし、時間をかけて考えてみると、これは千載一遇のチャンスかもしれない。前世では何も成し遂げられなかった俺が、今度は違う人生を歩めるのだ。


 3歳になった頃、俺はようやく状況を完全に受け入れることができた。

「まあ、死んだと思ったら生き返ったんだし、良しとするか」

 それに、この世界は前世の世界とは微妙に違っていた。テレビを見ていると、魔力という概念が存在し、稀に魔力を使える人間がいることが分かった。ニュースでは「魔力能力者」と呼ばれる人たちが、災害救助や建設作業で活躍している映像が流れていた。

「すげぇ……本当に魔法が使えるのか」

 手から炎を出す男性、宙に浮く女性、瞬間移動する子供。まるでファンタジー小説の世界だった。しかし、それがこの世界では現実として受け入れられている。

 魔力能力者の人口は全世界で約一万人程度らしい。決して多くはないが、確実に存在している。そして、その能力は千差万別。戦闘に特化したもの、日常生活を便利にするもの、治癒に特化したもの。様々な魔力が確認されていた。

「面白そうじゃないか」

 俺の心に、久しぶりに何かが燃え上がった。前世では叶わなかった夢が、この世界なら実現できるかもしれない。

 数日後、俺は自分の体に微かな魔力を感じ取った。それは温かく、心地よい感覚だった。まだ3歳の体では上手くコントロールできないが、確実に何かが宿っている。

「俺にも……魔力がある」

 嬉しくて、思わず笑顔になった。


 5歳になった頃、俺は一つの決意を固めた。

「この世界で、『白銀の審判者』になってやる」

 普段は普通の人間として暮らす。しかし、真の悪が現れた時、正体を隠したまま圧倒的な力で制裁を加える。誰にも正体を明かさない神秘的な存在。

 そんな風になりたかった。

 理由?そんなものはない。単純に、カッコいいから。

 前世では何の力も持たなかった俺が、今度は違う。魔力という力が存在する世界に生まれ変わったのだ。しかも、体の中で確実に成長している魔力を感じる。まだ小さな子供だから具体的なことは分からないが、人並み以上の魔力量があることは確かだった。

「よし、修行開始だ」

 俺は秘密の修行を始めることにした。

 まず最初に試したのは、『エターナルクエスト』の「白銀の審判者」が使っていた変身能力だった。普段は黒髪黒瞳で正体を隠し、戦闘時には白銀の髪と琥珀色の瞳に変身する。ゲームの中では単なる演出だったが、魔力が実在するこの世界なら、もしかしたら本当にできるかもしれない。

「変われ……変われ……」

 手に魔力を集中させ、髪の毛の一本を掴む。頭の中で「白銀の審判者」の姿を思い浮かべながら、必死に念じた。

 5分後、10分後……何も起こらない。

「まあ、そんなに簡単じゃないよな」

 でも、諦めるつもりはなかった。これから長い時間をかけて、必ず習得してみせる。


「琴音ちゃん、一人で何してるの?」

 母親の声に、俺は慌てて手を隠した。

「な、なんでもないよ!」

 実は、魔力を使った実験をしていたのだ。庭の隅で、誰にも見つからないように魔力操作の練習をしていた。

 この家の両親は本当に優しかった。星野家は温かい家庭で、父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦。俺のことを本当に大切に思ってくれている。前世では家族の温かさなんて忘れていた。両親とは疎遠になり、一人暮らしの中で孤独に人生を終えた。でも、今は違う。

「お父さん、お母さん、大好き!」

 素直にそう言える。これは演技でも何でもない。本当にこの家族を愛している。

「この人たちを守りたい」

 そんな気持ちも芽生えていた。『白銀の審判者』への憧れは、単なる中二病的な願望だったかもしれない。しかし、大切な人を守りたいという想いは本物だった。

 その日の午後、俺は再び庭で魔力の実験を続けた。今度は違うアプローチを試してみる。髪の毛全体ではなく、一本だけに集中してみるのだ。

「変われ……」

 魔力を髪の毛一本に集中させる。すると、わずかに温かくなったような気がした。

「おお?」

 さらに集中を続けると……

「きゃー!」

 母親の悲鳴で我に返ると、俺の髪の毛一本が確かに薄っすらと白く光っていた。

「琴音ちゃん、髪の毛が……!」

「え?あ、あははは……」

 慌てて魔力を解除すると、髪の毛は元の黒に戻った。

「疲れてるのかしら……お昼寝しましょうね」

 母親は心配そうに俺を見つめた。

 でも、俺の心は躍っていた。

『できる!』

 魔力による変身が可能だということが分かった。まだ一本の髪の毛だけだが、これは確実に進歩だった。


 その夜、俺は布団の中で計画を練った。

「まず、完璧な変身術を身につける。髪の色、瞳の色、できれば声も変えられるようになりたい」

「次に、戦闘技術。魔力を使った攻撃方法を覚える」

「そして、完璧な演技力。普段は普通の女の子として振る舞い、誰にも正体を悟られないようにする」

「最終的に、悪人や魔物を相手にした時だけ、『白銀の審判者』として現れる」

 想像するだけで胸が躍った。普通の高校生として学校に通い、友達と他愛もない話をする。しかし、夜になると正体を隠して悪を裁く。そんな二重生活。

「最高じゃないか」

 俺は小さくガッツポーズをした。

 テレビでは連日、世界各地で起こる不可解な現象が報道されていた。

「今日も東京湾で謎の光柱が観測されました」

「政府は魔力能力者による調査団を派遣すると発表」

「世界各国で同様の現象が……」

 どうやら、この世界は俺が思っているより複雑らしい。魔力能力者も、最初は珍しい存在だったが、最近は増加傾向にある。何か大きな変化が起きているのかもしれない。

「面白くなってきた」

 俺はワクワクしていた。普通の世界だったら、俺の『白銀の審判者』計画も単なる妄想で終わっていただろう。しかし、魔力が存在し、世界が変化している今なら……

「俺の出番があるかもしれない」

 そんな予感がしていた。


 翌日、俺は鏡の前に立った。

 5歳の女の子の姿。前世の32歳男性とは全く違う外見。でも、これが今の俺だ。

「星野琴音……か」

 この名前も、この姿も、受け入れよう。

「前世の俺は何も成し遂げられなかった。でも、今度は違う」

 鏡の中の琴音に向かって、俺は静かに宣言した。

「俺は『白銀の審判者』になる。この世界で、最強の隠れた存在になってやる」

「普段は普通の女の子として生きる。でも、本当に大切な時には、誰にも正体を明かさずに全てを解決する」

「そんな存在になる」

 鏡の中の琴音が、わずかに笑った気がした。

 朝になると、俺は早起きして庭に出た。

「今日から本格的な修行を始めよう」

 まずは基本的な魔力操作から。そして変身術。戦闘技術。演技力。全部を身につけるのは大変だろう。でも、俺には時間がある。今はまだ5歳。高校生になる頃には、完璧な『白銀の審判者』になっているはずだ。

「おはよう、琴音ちゃん」

 母親が心配そうに声をかけてくる。

「おはよう、お母さん!」

 俺は満面の笑みで答えた。この笑顔は演技ではない。本当に幸せだった。愛する家族がいて、新しい人生がある。そして、憧れの存在になるための力も備わっている。

「これから楽しくなりそうだ」

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