散文詩 66 「玉ねぎの芯」
日々、心に残ったことを文字にしてみた
「玉ねぎの芯」
5か月の赤ちゃんをベビーシッターで預かったが、
ひと月のうちにお座りができるようになり、両手を叩くことができるようになり、
自我が目覚めてきているのが見て取れる。
人は無垢に生まれ、こうして様々な事柄を身に纏っていくのだなぁと思った。
性別、名前、自我、家族、人間関係、知識、社会、倫理、世界、価値観・・・
玉ねぎのように幾重にも身に付けて着太りした人の芯には、
ずっと変わらない何かがある。
それは自我ではない。
そこに気づき、そこに戻り、そこに暮らしたい。
「『人間の完成』とは、・・・徳を身に付けたり、この徳によって人間らしい活動をしつつより善き人間になっていゆくというのではなく、・・・「余分なもの」を削ぎ落とすことによって、本来の人間存在をあらわにしてゆくことである。…本来の人間存在に回復してゆく時、まさにそこに自由がある。・・・人間の手で加工していない、神の手で造られたままの姿こそ、本来の意味での人間の完成である。余計なものがまだ付着していない無邪気な子供と、余分なものを削ぎ落とした良寛や寅さんとは、心が相通ずる所以である。イエスにもまた子供が自然に近づいて来る情景が聖書に描かれている。まさに『花無心にして蝶自ずからに舞う』である。」『寅さんとイエス』米田彰男著




