散文詩 47 「抱っこ」
日々、心に残ったことを文字にしてみた
「抱っこ」
私はベビーカーが大嫌いだ。
ベビーバスケットはもっと大嫌いだ。
ベビーカーもベビーバスケットも大人には非常に便利なものだ。
私もベビーカーをレンタルしていた。
子供たちはベビーカーに乗りたがらず押すのが好きだったが、
荷物を乗せるだけでも楽だった。
子供を連れて歩くのはとても大変だ。子供を片手に抱いてしまったら、
行動が制限されて思うようには動けない。
日常生活を円滑に進めるためには有効な道具であることは間違いない。
それはよく理解している。
今でも忘れられない光景がある。
昔のドキュメンタリーフィルムで、
チャウセスク政権の孤児院の様子を写したものだ。
チャウセスク政権時代の孤児は50万人以上とも言われている。
孤児院の幼い子供たちが、みな体を小さく揺らしている。
揺れている。
狭い場所に詰め込まれた子供たちは生まれてから人に抱かれたことがない。
あまりの孤児の多さに職員は全員を一人一人抱くことすらできないのだ。
施設中の子供たちがみな左右に小さく揺れている異様な状景が記録されていた。
子供を抱くとなぜか人は自然と体を小さく上下したり
左右にしたりしてリズムをとってしまう。
施設の子供たちは自分で自分を抱っこして揺れているようだ。
この光景が今でも私の胸を締め付ける。
ベビーバスケットやベビーカーを使ったら、
それ以外の時間ずっと子供を抱いていてほしい。
子供を抱かずに哺乳瓶を与えることもやめてほしい。
母乳でなくても抱っこして顔を見てミルクを与えてほしい。
大人が忙しいのはよくわかる。
子育てが大変なのもよくわかる。
それは一日数時間の仕事ではなく、一日24時間365日絶え間なく続く仕事だ。
しかし授乳や子育ては何十年も続かない。
生まれてから数年、子供が自分で歩き親から離れていくまで
どうかできるだけたくさん抱いてやってほしい。
そんなことをしたって子供に何の影響もなく、
子供の成長とは何の関係もないかもしれない。
それに大人の生活は不便になり大変になるかもしれない。
それでも大人は数年の間我慢してほしい。
抱っこは些細な行動かもしれないが、人間にとって最も大切な、
後になって決して取り返すことのできない時間だと思う。




