剣と令嬢
剣術の稽古を始めて、十日ほど経過した。
ブリュンヒルドは充実していた。同時に、剣術がめきめき上達していく充実感も味わっていた。
そして現在、カルセドニーと木剣で剣を合わせている。
「そう、腰を落として、また手に力が入ってるぞ!!」
「はい」
カルセドニーは、優秀な教師だった。
同い年、まだ六歳だというのに、剣に愛された少年というのがわかった。
互いに大人びている。二人は話も合い、共に過ごす時間が多くなっていた。
そして、修行が終わり、汗を流し……お茶の時間。
この時間だけは、カルセドニーは年相応の子供っぽさを見せた。
「ん、甘い……美味しい」
「ふふ。カルセドニー様って本当に甘党なんですね」
「いやその、疲れたあとには糖分がいいって父上が言っててね。修行のあとに飲むお茶は好きなんだ」
甘めの紅茶を飲み、顔を綻ばせる姿は、六歳の少年だった。
不思議と、ブリュンヒルドもこの時間が好きだった。
紅茶、甘いお菓子……ではなく、カルセドニーの顔を見ることが。
(…………あれ)
ふと思う。
カルセドニーは、ブリュンヒルドを見る。
その青い瞳は、ブリュンヒルドを射抜く。
「な、なんだい?」
「い、いえ……私も、甘いものは好きですよ」
なんとなく、ブリュンヒルドはこれ以上の会話をすべきでないと判断し、紅茶を飲んで口を閉ざすことにするのだった。
◇◇◇◇◇◇
数日後。
ガムジンは、カルセドニーを呼び出した。
呼び出された場所には、ライオスもいた。
「父上、お呼びでしょうか」
「……ああ。カルセドニー、回りくどい言い方はせずに言うぞ。ヘルメス王国と、イクシア帝国の情勢が悪化した……戦争になるかもしれん」
「えっ」
カルセドニーは目を見開いた。
「私は子爵として、ヘルメス王国に戻らなければならん。カルセドニー……私は、子爵家当主としてお前に聞く。お前は、どうしたい?」
「…………」
それは、決断せよと語っていた。
恐らく……もう、イクシア帝国に来ることはない。戦争になれば、アルストロメリア公爵家……いや、イクシア帝国が敵になるのだ。
「私とライオスの間には間違いなく友情はある。だが、貴族同士としては違う。カルセドニー……お前はまだ若い。このまま私とヘルメス王国に帰るか、それとも……このまま残るか」
「……そこまで、国家間が険悪なのですね」
ガムジンは多くを語らなかった。
実際は、ヘルメス王国側が、イクシア帝国領地の一部に軍を派遣し、領地を乗っ取ったのだ。
完全な、侵略戦争だった。
「もともと、あの領地はヘルメス王国の所有領地だった。返還を求め何度も交渉をしていたが……どうやら、ハイノス公爵家が先走ったようだ。もう、止められん」
「……」
「カルセドニー。お前は私の跡取り……だが、一人の息子だ。私は別に爵位など手放しても構わない。お前をここに残し」
「父上」
カルセドニーは、父であり剣の師であるガムジンに一礼する。
「僕……私は、マルセイユ子爵家の次期当主。ヘルメス王国に身を捧げる所存でございます」
「……そうか。では、明日にもヘルメス王国へ出発する。ライオス、構わないか?」
「ああ……」
「ふ。お前と飲めるのも、今日が最後になるやもしれんな」
イクシア帝国。そしてヘルメス王国の間に戦争が始まった。
ヘルメス王国側による、領地返還を求めた侵略戦争。
これから十年に渡り長く続く、戦争の始まりであった。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜、ブリュンヒルドは庭のベンチに座っていた。
「…………」
夕食時、ガムジンとカルセドニーがヘルメス王国に帰ると聞かされた。
ガムジンは笑っていたが、カルセドニーの笑顔は不自然だった。
シグルーンは悲しみ、カルセドニーが困ったようにあやしていたのが何だかおかしかった。
兄はまだ帰ってこないが、きっと悲しむだろう。
「…………」
なんとなく、ブリュンヒルドは察した。
恐らくもう、カルセドニーとは会えないだろう、と。
何かがあったのだ。急遽帰らなくてはならない事情。そして、カルセドニーが思い詰める何かが。
そして、深夜にこのベンチに座っていることも、何となく。
「やっぱり、いた」
「……カルセドニー様」
カルセドニーが現れた。
手には木剣を持っている。しかも、二本。
「最後に、稽古を付けよう」
「…………はい」
こうなるような、気がしていた。
だからこそ、深夜で寝間着ではなく、動きやすい訓練服を着ていたのだ。
木剣を受け取り、二人は無言で構える。
「最後は、これまで教えてきた全てを出してかかって来るといい」
「わかりました」
そして、二人は激突した。
六歳とは思えない剣戟が繰り広げられる。
言葉はない。二人は、剣で語った。
カルセドニーの剣からは悲しみ、そして……ほんの少しの喜び。
ブリュンヒルドが成長した喜びが、ブリュンヒルドにも感じられた。
そして、ブリュンヒルドの一撃が、カルセドニーの目元を擦り、血が出た。
だが……カルセドニーの一撃が、ブリュンヒルドの剣を弾き飛ばす。
「僕の勝ち。でも……真剣なら、きみの勝ちかな」
「カルセドニー様、血が」
「気にしないでくれ。これは、勲章として残しておく」
ブリュンヒルドはハンカチを出し、カルセドニーの目元を押さえる。
そして、カルセドニーはブリュンヒルドの手を取った。
「きみに会えてよかった。ブリュンヒルド」
「……もう、会えないのですか?」
「うん。きっと会えない。でも……きみのこと、忘れないよ」
「……カルセドニー様」
ブリュンヒルドは、胸の奥が熱くなった。
いやだ。まだ足りない。どうして。
そんな気持ちが溢れそうだった。
大人っぽい。子供らしくない。六歳には見えない。
そんな風に言われ続けてきたが、今、カルセドニーの前にいるのは、別れを惜しみ涙を必死に堪えようとする、六歳の少女だった。
そんな姿を見ることができて満足したのか、カルセドニーは子供っぽく微笑む。
「さよなら」
そして、ブリュンヒルドの手を離し、ハンカチを受け取り……その場から去るのだった。