変わる日常
ブリュンヒルドは、初めて子供用の剣を握った。
軽い、軽鉄の剣。
公爵家の武器庫から持ち出した物で、不思議と手に馴染んでいた。
現在、公爵家の庭にいるのは、ガムジン、カルセドニー、そしてブリュンヒルド。
カルセドニーは、ブリュンヒルドが現れてから微妙な顔をしていた。
「父上。なぜ、彼女が剣術を?」
「公爵家の子は全員習うしきたりなんだ」
「……そう、なのですか」
カルセドニーは納得していないようだ。だが、ブリュンヒルドは思った。
悪くない……と。
「ブリュンヒルド。まず、お前の思った通りに剣を振ってみろ」
「……はい」
ブリュンヒルドは、眼を閉じる。
そして、特に教えられたわけでもないのに、剣を抜き、シュッと抜いて振り抜いた。
それを見て、ガムジンは「ほう」とつぶやく。
「……才があるな。カルセドニー、どう思う?」
「同じく、才能があるかと……綺麗な剣筋です」
「うむ。鍛えれば一流の兵士になるだろうな。ははは、女騎士として育てるのもありか?」
「父上。冗談でも……」
二人が話し合っている間も、ブリュンヒルドは剣を振った。
そして……『なんとなく』の剣が、徐々に形になるのが理解できた。
(こう?)
ピュン、と風を切る。
(いいえ。こうかしら?)
ヒュンと、風を切る。
(足はこう? そうだ、確かこんな風に)
くるりと回り、剣を振る。
以前、父の誕生パーティーで見た、一流ダンサーによる踊り。
王都で一番の踊り子が踊った動きを、ブリュンヒルドは真似る。
くるくると、ステップを踏み、剣を振り、髪をなびかせ……いつの間にか夢中で剣を振っていた。
「…………ぁ」
カルセドニーは、その姿から目が離せなかった。
ガムジンも止めなかった。むしろ、面白そうに眺めていた。
ブリュンヒルドは、笑っていた。
子供のように……真剣をオモチャに、ダンスを踊るように剣を振っていた。
(ああ──……楽しい。ふふ、こんな世界があったなんて……って)
そして、ようやく現実に戻り、慌てて足を止めた。
次の瞬間、足を滑らせ転びそうになった。
「危ない!!」
「きゃっ!?」
剣を落とし、その上に転びそうになった……が、カルセドニーが飛び出し、慌てて受けとめた。
「あ……」
「大丈夫かい?」
至近距離で見つめ合う二人。カルセドニーはハッとなり顔を逸らす。
ブリュンヒルドはカルセドニーから離れ、頭を下げた。
「申し訳ございません。調子に乗りました……」
なぜ、『剣を振れ』でこんな踊りをしてしまったのか、まるで自分がわからない。
すると、黙っていたガムジンが言う。
「楽しかったか?」
「え?」
「剣を持ち、どういう風に振るか、そればかり考えていただろう?」
「……はい」
「はっはっは!! 面白いな。やはり、教えがいがある……カルセドニー、今日からお前はブリュンヒルドの師となれ」
「え? ち、父上?」
「基本を教えろ。ふふふ、これは面白くなりそうだ」
そう言って、ガムジンは屋敷に戻ってしまった。
カルセドニーはポカンとし、ブリュンヒルドを見る。
「えっと……」
「……ご指導のほど、よろしくお願いいたします」
ブリュンヒルドは、とりあえず頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇
まず、素振りから始めた。
カルセドニーが見本を見せ、ブリュンヒルドが振るう。
そして、ブリュンヒルドの姿勢をカルセドニーが指摘、細かく直す。
何度か素振りをして形になると、カルセドニーは言う。
「本当に筋がいいね。アルストロメリア令嬢」
「……差し支えなければ、ブリュンヒルドとお呼びください。その、言いにくいでしょう?」
「そんなことはない。その……いいのかい?」
「はい。私も、カルセドニー様とお呼びさせていただきます」
「さ、様はいらない。爵位は公爵家の方が高いだろう?」
「お国が違いますので、比較はできないかと」
「まあ確かに……ふふっ」
カルセドニーは笑った。ブリュンヒルドはわからず、首を傾げる。
そして、カルセドニーは剣を置く。
「少し休憩しよう」
ベンチがあったので並んで座ると、カルセドニーは言う。
「えーと……ブリュンヒルド、でいいかな」
「はい」
「ブリュンヒルド。きみはその、剣を習えと言われてどう思った?」
「それが我が家のしきたりなので、特に何も」
剣を習うのは、処刑執行人としての仕事のためだ。
剣を扱い、人体を知るために習う。
これからブリュンヒルドは、剣を習い、人体について学ぶ……アルストロメリア公爵家が代々受け継いできた処刑執行人としての知識を、身体と頭で覚えるのだ。
カルセドニーは言う。
「そうなのか。まあ、僕も似たようなものだ」
「同じ、ですか?」
「ああ。マルセイユ子爵家は爵位こそ低いけど、ヘルメス王国での人気は高いからね。僕の父はもちろん、祖父も、祖母も、母も騎士として剣を振るっている」
「お母様も?」
「ああ。僕も騎士として将来、剣を振るうことになる」
「……剣を握るのは、嫌ですか?」
「嫌というか、怖いね」
カルセドニーは、ブリュンヒルドをまっすぐ見て言う。
「剣は武器、剣術は殺しの技術……僕はそれを習っている。そして将来、僕は習った技を使い、戦い、殺すことになるかもしれない……それが怖い」
「…………こわ、い」
殺すことが、怖い。
ブリュンヒルドには、理解できなかった。
処刑執行人はまさに『殺す』ための存在。
「……ぁ」
違う。
カルセドニーを見て気付いた。
まっすぐな青い瞳は、まぶしく輝いていた。
(そうか、きっと……これが普通なんだ)
将来、カルセドニーは騎士としてヘルメス王国を担う存在となるだろう。
そして、妻を娶り、子を育て、後継を育てることになるだろう。
それが普通。当たり前のこと。
今、こうしてブリュンヒルドと並んで剣を振ることは、きっと奇跡のような時間なのだ。
(私と、違う……)
もう殺すことが決定しているブリュンヒルド。処刑執行人として約束された人生で、これから何人の人間を殺すことになるのか、ブリュンヒルドにもわからない。
自分は、結婚することはないだろう。
兄か妹の子供が生まれて、その子が銀髪赤眼の子供なら、ブリュンヒルドが処刑執行人として育てることになるだろう。
カルセドニーとは、決して交わることのない人生になるだろう。
「ブリュンヒルド? どうしたんだい?」
「…………いえ。本当に、不思議ですね」
「え?」
「何でもありません。カルセドニー様、そろそろ再開しましょうか」
「ああ、そうだね。と……後で一緒に、妹君のお見舞いに行かないか?」
「ええ。シグルーンもきっと喜びます。あの子、カルセドニー様に懐いていますから」
ブリュンヒルドは決めた。
今、この時間。カルセドニーとの時間はきっと、二度と訪れることはない。
だから、カルセドニーから学べることは、できる限り学ぼう。
「カルセドニー様、これからよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
こうして、ブリュンヒルドは理解した。
自分がいかに普通とは違うかを。
そして、カルセドニーという存在に眩しさを感じている自分に。