男として
ブリュンヒルドは一人、処刑の道具が置いてある部屋で、剣を研いでいた。
自分専用の剣。まだ一度も血を吸っていない……そして、これから無数の血を数であろう、愛剣を。
研ぎ、水に浸け、磨き、拭く。
父の剣で、もう何度も練習をした。
「…………ふう」
剣を研ぎ、ランプの光に当てると……刀身が眩く輝いた。
その輝きは美しく、血を吸って深紅に染まると、さらに美しい。
だが……ブリュンヒルドは、考えていた。
(……カルセドニー)
カルセドニーに、別れを告げた。
恋に決着を付けた。初恋を捨て、処刑人としての道を選んだ。
だが……胸がずっと苦しかった。
離れないのだ。カルセドニーの、悲しそうな顔が。
「…………馬鹿」
胸の苦しみの正体はわかっていた……未練である。
ブリュンヒルドは立ち上がり、剣を振る。
まるで、目に見えない未練を断ち切るかのように、何度も、何度も振った。
だが、空気しか切れない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
汗をかき、髪が乱れた。
だが、それ以上に剣筋も乱れていた。
歯を食いしばり、自分の胸に触れ、モヤモヤを掴むように衣服を握りしめる。
「どうして、消えないの……!!」
涙がこぼれた。
消えない。モヤモヤがずっと、消えないのだ。
自分がいかに愚かな選択をしたのかを、責めるように。
そして、言ってはならないことを、口走りそうになった。
「……私は、後悔」
歯を食いしばってそれ以上は言わないようにする。
言えるわけがない。
今さら……恋に、愛に生きたいなんて。
そして、足音が聞こえ、ブリュンヒルドは振り返って剣を構えた。
「……ここは、戦場ではないのだがな」
「……お、お父様」
父、ライオスだった。
まさか、父に剣を向けてしまうとは思わず、ブリュンヒルドは慌てて剣を降ろす。
ライオスはため息を吐き、ブリュンヒルドを見る。
汗をかき、衣服が乱れ、思い詰めた表情をしている。
娘だから、後継者だからか……何もかもわかったように、ライオスは言う。
「後悔、しているのだな」
「……っ」
「恋を知り、愛を知り……処刑執行人となることを、拒絶しているのだな」
「お、お父様……」
図星だった。
剣を持つ手が震え……ついに、剣を取り落とし、とめどなく涙が流れた。
膝から崩れ落ち、ブリュンヒルドは泣いた。
「わ、わたし……私、こんなんじゃ、処刑執行人になんて、なれない……!!」
「…………」
「お父様、ごめんなさい。わたし、ワタシ……ずっと、忘れられないんです。わたしのこと、好きだって言ってくれた、カルセドニーのこと……」
「…………」
ライオスは、何も言わなかった。
ブリュンヒルドは、床に涙の染みを作りながら喋る。
「愛して、しまったんです……わかっているのに。私は、アルストロメリア公爵家の、処刑執行人の後継者なのに……命を奪う剣を持つ者に、勘定なんて……愛なんて不要だって、わかっているのに」
「…………」
「それでも……あの、カルセドニーの温かい笑顔が、忘れられないんです……!!」
ライオスはゆっくり近づき、ブリュンヒルドに手を差し伸べる。
ブリュンヒルドは父の顔を見た。
「……おとう、さま?」
「立ちなさい」
ブリュンヒルドは手を取り、立ち上がる。
「……私が、父の跡を継いだのは、母さんと婚約して間もない頃だった」
「……え?」
ライオスは、ブリュンヒルドの手を握って話始めた。
「私には兄妹がいなかった。兄は病死、弟は馬車の事故で亡くなった……だから、私は結婚し、子孫を残す必要があった。アルストロメリア公爵家の後継者を作るためにね」
「…………」
「もし、兄と弟が生きていたら……私は母さんと会うこともなく、兄か弟の子を後継者として育てていただろう」
「…………お父様」
「だが、お前たちが生まれた。三人……そして、お前が銀の髪、深紅の瞳を持って生まれてしまった……私は、ずっと悩んでいた。お前に、辛い人生を強いることになると……」
「…………」
「だが、アルストロメリア公爵家の宿命には逆らうことができなかった。お前を後継者とし、鍛え、学ばせた。自分の心を殺し、実の子に死を背負わせようとして」
「お父様、それは違います。私は、自分の意思で」
「違わないさ。私は……後悔していた。もし、イクシア帝国に処刑執行人の制度などなければ、お前は普通の令嬢として育ち、恋をして、幸せになれたかもしれないと」
ライオスの目に浮かんでいたのは、後悔だった。
ブリュンヒルドと同じ深紅の瞳は、揺れていた。
そのことに気付き、ブリュンヒルドは黙りこむ。
「……ブリュンヒルド。もう一度だけ聞かせてくれ。自分の心に正直になり、本当のことを」
「…………」
ブリュンヒルドは、まっすぐライオスを見た。
そして、ライオスは言う。
「お前は、愛する者がいるか? そして……その者と、歩みたいと願うか?」
「…………はい。お父様、私は……恋をして、愛を知りました。私は……カルセドニーを、愛しています」
「…………そうか」
ライオスは、小さく微笑み……ブリュンヒルドの頭を撫でた。
大きな手は温かく、子を想う親の手のひらだった。
「ブリュンヒルド。処刑は延期する……お前の手は、まだ罪を背負うことはない」
「……え?」
「……カルセドニー、そしてミュディア王女殿下、ハスティ・アウリオン。王女殿下が国王と謁見し、イクシア帝国の処刑制度撤廃を求めた」
「…………」
声が出なかった。
処刑制度撤廃。つまり……アルストロメリア公爵家の宿命が、変わる。
「ミュディア王女殿下は謁見だけ取次ぎ、処刑制度撤廃を求めたのはカルセドニーだがな」
「か、カルセドニーが……なぜ」
「……決まっているだろう。ブリュンヒルド、お前を愛しているからだ」
「っ!!」
ブリュンヒルドは口を押さえ、涙を再び流す。
そして、ライオスは続ける。
「明日、私も国王陛下に、処刑制度撤廃を賛同する。イクシア帝国の処刑制度を変える。ブリュンヒルド……お前の人生は、お前のものだ。さあ、行きなさい」
「……まさか、いるんですか?」
ライオスは、何も言わなかった。
だが……ブリュンヒルドは走り出す。
地下道を通り、息を切らし、髪が乱れても走る。
そして、アルストロメリア公爵家の隠し通路から外へ出ると、そこにいたのは。
「───カルセドニー」
「……やあ、ブリュンヒルド」
カルセドニーと訓練をした屋敷の庭に、カルセドニーがいた。
手には木剣。懐かしむように微笑む。
「陛下に、謁見したんだ。処刑制度撤廃……最初は、怒られたよ。他国の処刑制度に口を出すな、ってね」
「…………」
「でも、僕は粘ったよ。言いたいことを言った。次第に陛下も、男の顔になってね……処刑制度について話し合うって言ってくれた」
「……お父様が、明日……賛同する、って」
「そうか。じゃあ……イクシア帝国は変わるね」
ブリュンヒルドは涙を流し、カルセドニーの胸に飛び込んだ。
「カルセドニー、ごめんなさい……私、やっぱり、あなたのこと」
「ああ、知ってる。僕も同じ……ブリュンヒルド、きみを愛している」
「……私も、愛しています」
二人は見つめ合い、口づけを交した。
こうして、二人は愛し合う。
敵国の英雄と、処刑執行人の令嬢。
幼馴染でもある二人は、ようやく素直な気持ちで口づけを交わすことができた。




