決別
ブリュンヒルドは、カルセドニーから逃げるように屋敷へ戻りベッドにダイブした。
毛布をかぶり、自分の唇を指でなぞる。
「…………」
キスを、してしまった。
驚いたのは、すんなりカルセドニーを受け入れてしまった自分。そして、初めてのキスは甘い味がしたような……と、そこまで考えてマットレスに頭を打ち付けた。
「私は、処刑執行人になるの!! こんなんじゃ……」
ブリュンヒルドは、揺れていた。
初めての恋心。キス。カルセドニーの想いに触れ、心が揺らいでいた。
「……どうしよう」
この日から数日、ブリュンヒルドは初めて学園をズル休みした。
◇◇◇◇◇◇
三日後。
ようやく少し落ち着いたブリュンヒルドは、ぼんやりした気分で学園まで歩いていた。
「……はあ」
「よっ!! ズル休みっ!!」
「っきゃぁぁぁ!?」
いきなり肩を叩かれ、ブリュンヒルドは本気で驚いた。
同じく、初めて聞くであろうブリュンヒルドの驚き声に驚いたハスティも、ビクッとする。
「び、びっくりした……お、お前もそんなデカい声出せるんだな」
「は、ハスティ……お、驚かせないで」
「お、おう。で……体調はもういいのか?」
「ええ、まあ」
「……風邪でも引いたのか? なんか、顔色悪いぞ」
「……まあ」
歯切れの悪いブリュンヒルドに、ハスティは首を傾げる。
ブリュンヒルドは、ハスティを見て聞いた。
「あの……ハスティ。婚約の件だけど……」
「ああ、断りの連絡来たぜ。まあ……ダメな気はしてたけどな。ブリュンヒルド、お前さ、オレのこと友達だとは思っても、それ以上には思えないだろ?」
「……」
その通りだった。
ハスティは友人……カルセドニーとは違うとはっきりわかる。
ハスティも、どこか自分を馬鹿にしたように言う。
「悪かったな、いろいろ勘違いさせて。オレさ、お前が結婚に対して諦めたようなこと言うから……だったらオレが、って思っちまった。お前はもう、自分の道を決めてるんだろ? ははっ、余計なお世話だよな」
「……」
「悪かったな。混乱させて」
「ハスティ」
ブリュンヒルドはハスティの前に回り、正面から見た。
「迷惑だなんて思わない。あなたの気持ちに応えることはできないけど……嬉しかった」
「…………」
「これからも、友人としてお付き合いしてくれたら嬉しいわ。私、友達がいないから……」
「……ああ」
「さ、行きましょうか。遅刻しちゃうわ」
ブリュンヒルドは歩き出す。
その背中を見ながら、ハスティは呟いた。
「……友達かあ。嬉しいんだけど……やっぱり、辛いなあ」
◇◇◇◇◇◇
教室に入ると、カルセドニーがミュディアとお喋りしていた。
そして、ブリュンヒルドを見ると笑みを浮かべるが、すぐに沈んだ顔になる。
カルセドニーはブリュンヒルドに近づき、小さく微笑んだ。
「やあ……おはよう、ブリュンヒルド」
「……おはようございます」
自然に挨拶できた、とブリュンヒルドは思った。
だが、眼を逸らし、頬を少しだけ染め、か細い声での挨拶はいつも通りとは言えない……意識しているのがバレバレだった。
カルセドニーもすぐに気付く。
「ブリュンヒルド。今日、話をしたいんだけど……いいかな」
「はい。私も、ちゃんとお話しするべきでした」
「わかった。じゃあ放課後」
カルセドニーは自分の席へ戻った。
ブリュンヒルドも自分の席に座り、カルセドニーの背中を見る。
(……ちゃんと、言うべきだった)
ブリュンヒルドは、ズル休みをしていた数日、ただ寝ていたわけではない。
(……ちゃんと、お断りしないと)
◇◇◇◇◇◇
放課後、ブリュンヒルドとカルセドニーの二人は町のカフェに来た。
飲み物を注文し、しばし静寂が流れると……カルセドニーが言う。
「この間はごめん。感情を抑えることができなかった」
「……」
「その……怒ってるよね、ブリュンヒルド」
「……いいえ。怒っていません。驚きはしましたけど」
紅茶のカップを傾けるブリュンヒルド。やっぱり怒ってると思いカルセドニーは苦笑する。
ブリュンヒルドはカップを置き、カルセドニーをまっすぐ見た。
「カルセドニー。私は……あなたのことを嫌ってはいません。むしろ、好いています」
「え……」
「英雄として歩んだ道は、決して楽なものじゃないでしょう……私は、素直に尊敬します」
「ブリュンヒルド……」
「だからこそ、私もはっきり言います。カルセドニー……私はもう、自分の道を決めています。あなたの想いに応えることは……できません」
「……その道に、僕は関わることはできないのかい?」
「はい。決して、誰も。これはアルストロメリア公爵家としての、私の役目なのです」
「……」
ブリュンヒルドは、決めていた。
これ以上、カルセドニーが愛おしくなる前に、きっぱりと決別をすると。
「あなたの気持ち、本当に嬉しかった。カルセドニー……あなたのことを真に想ってくれる人が、きっといるわ。その人と幸せになって」
「……」
カルセドニーは拳を握る。
ブリュンヒルドは立ち上がる。
「明日は摸擬戦ね。あなたとハスティの試合……楽しみにしているわ」
「……ああ。そうだね」
カルセドニーは顔を上げ、笑顔を浮かべた。
実らなかった想い……これ以上、ブリュンヒルドを引き留めることは醜態を晒すのと同じ。
自分の道を決めた以上、その邪魔をしてはいけない。
年月は、カルセドニーだけじゃなく、ブリュンヒルドも変えたのだ。
初恋は実らない。ふと、そんな言葉を思い出したカルセドニーだった。
「じゃあ、また明日」
「……うん」
ブリュンヒルドは、一人で帰った。
その後を追いたい衝動に駆られたが、そんな醜態をさらすわけにはいかないと耐える。
そのまま帰ろうと、カルセドニーが歩きだした時だった。
「カル」
「……ミュディア」
ミュディアが、カルセドニーを出迎えた。
「……ダメだったのね」
「……ああ」
「じゃあ……帰ろうか」
「……すまない、今は一人にしてくれ」
ミュディアを置いて、カルセドニーは歩き出した。
その背中を、悲しいものを見るような目でミュディアは見る。
「……泣いたっていいのに」
ミュディアは、カルセドニーに追いつくために、ゆっくりと走り出した。




