少女の生きる道
ブリュンヒルドは決断した。
処刑執行人として生きる。学んだ剣術も、医学も、全てはそのため。
一時の感情のために、心が揺れてしまった。
そのことを恥つつ、ブリュンヒルドは父ライオスの元へ。
「お父様、お呼びでしょうか」
「……ああ。というか、わかるだろう?」
ライオスは、頭を抱えていた。
手には一通の手紙……手紙には印が押されており、それがアウリオン公爵家のものだとブリュンヒルドはすぐにわかった。
その差し出し主も、手紙の内容も、見なくてもわかる。
「ハスティ・アウリオンからですね」
「……求婚されたのだな。全く、我が娘ながら恐ろしい」
「お断りしてください」
ブリュンヒルドは、迷わなかった。
そして、胸に手を当て、ライオスをまっすぐ見て言う。
「私は、アルストロメリア公爵家の処刑執行、ブリュンヒルドです。そのために今まで学び、研鑽を積んでまいりました。お父様の後継者としての務めを果たします」
「……よく言った。では、カルセドニー・マルセイユの件と合わせて、アルストロメリア公爵家から正式に断りを入れておく」
「はい」
「それと、明日は学園を休め……仕事だ」
「わかりました」
仕事。
それは、アルストロメリア公爵家として裏の仕事……処刑任務である。
処刑執行は父が、ブリュンヒルドは剣を清める仕事がある。
「ブリュンヒルド。お前の初仕事は十六歳、学園を卒業後に決まった」
「わかりました」
「卒業までしっかり学ぶように」
「はい」
こうして、ブリュンヒルドは覚悟を決めた。
処刑執行人として……アルストロメリア公爵家の、裏の当主として。
◇◇◇◇◇◇
イクシア帝国の処刑制度。
まず、確実に死刑となるのは『殺人』を犯した者である。
そして、殺人を犯した者に対する死刑執行を、古くから担ってきたのがアルストロメリア公爵家だ。
死には死を……死を与える者。
銀髪、赤眼。死神の化身。
アルストロメリア公爵家は、死神に魅入られた人間。そういう言い伝えがあり、イクシア帝国で死刑執行を担ってきた。
死神云々はおとぎ話だが……死刑執行を行って来たことに変わりはない。そしてこれからも死刑執行をするため、剣を振るうだろう。
そして……ブリュンヒルドは目に焼き付ける。
父、ライオスの振る一閃……鮮やかな断首。
一瞬で首を両断し、切断された頭が身体の前に置いた桶に落ちた。
首の断面から血が噴き出すが、身体が崩れることはない。
「剣を」
「はい」
ブリュンヒルドは、ライオスから剣を受け取り、棺桶に満たした聖水で剣を清める。
そして、地下聖堂にある純白の像の前に立てかけ奉納……この像こそ、アルストロメリア公爵家に代々伝わる『死神像』である。
ブリュンヒルドは、死神に祈る……死した人間の魂が、きちんと冥府へ送られるよう。
いずれ、祈ることも許されなくなる。
「……よし」
改めて思う。
死刑執行人として、これからも生きていくと。
◇◇◇◇◇◇
翌日。
ブリュンヒルドは学園へ。
教室に入ると、カルセドニーが近づいてきた。
「おはよう、ブリュンヒルド」
「おはよう、カルセドニー」
「その……昨日はどうしたんだい? 休みだったけど」
「公爵家の用事で……」
「そっか。そうだ、今日の放課後だけど、時間はあるかい? 実は今日、訓練場が全て使えないようでね……剣術部は休みなんだ」
「そうなの……」
「用事がないなら、僕に付き合ってくれないかな?」
「……何をするの?」
「キミに、大事な話があってね」
「……わかったわ」
ブリュンヒルドは頷いた。
間違いなく、婚約申込に関すること。
この件は公爵家から正式に断りが入るはずだが、ブリュンヒルドの口からしっかり二人に伝えようとも思っていた。
すると、ミュディアが近づいて来る。
「おはよう。ブリュンヒルド」
「おはようございます、ミュディア王女」
「その王女ってのはナシ。私は留学生で、今は学園の生徒。いい? 私のことはミュディアって呼ぶこと……わかった?」
「は、はい」
顔を近づけられ、笑顔で言われた。
やや苦手なタイプ……と、ブリュンヒルドは思っていた。
◇◇◇◇◇◇
放課後。
ブリュンヒルドは、カルセドニーと二人で学園を出た。
ミュディアやヘドウィグたちに気付かれないようにこっそりと教室を出て、カルセドニーに手を引かれて走って学園を出た。
「ははっ、懐かしいね……子供の頃も、こうやって走ったっけ」
「そう、ね……ふう」
学園から出て向かったのは、城下町。
制服姿で歩くとけっこう目立つが、カルセドニーは気にしていない。
「カルセドニー、話って」
「その前に、少しお腹減ったね。あ、見てよ」
カルセドニーが指差した先にあったのは、串焼きを売っている露店。
カルセドニーは迷わず近づき、肉串を二本買って戻って来た。
そして、近くのベンチに座る。
「はい、ブリュンヒルド」
「……」
「食べたことない? こうやって……あむっ」
カルセドニーは、豪華に肉を齧り、咀嚼して飲み込む。
整った顔立ちの少年が、豪快に肉を齧る姿は違和感があると感じた……が、不思議なことに似合っていた。
「美味しい。戦時中もこうやって、仲間たちと肉串を齧ったっけ……あの頃より、塩が利いてるなあ」
「……えっと」
「ブリュンヒルドも食べなよ。たまには、こういう食事もいいんじゃない?」
「……じゃ、じゃあ」
正直、目の前で香る肉の香り、塩気の香りには抗えない。
ブリュンヒルドは小さな口を開け、肉をはむっと齧り取る。
口に広がる柔らかな肉と、塩気が混ざり合い……食べたことのない野性的な味が、口の中いっぱいに広がった。
おいしい……ブリュンヒルドは目を輝かせ、カルセドニーを見る。
「ははっ、美味しいかい?」
「おいしい……はむっ」
もう一口、さらに一口……と、ブリュンヒルドは肉串を食べる。
カルセドニーも負けじと食べ始め、いつの間にか完食してしまった。
「美味しかった?」
「はい。初めて食べました」
「ははっ、それはよかった」
カルセドニーは微笑む。そして、ブリュンヒルドも微笑んだ。
カルセドニーは、その微笑みを見て、頬を染める。
「カルセドニー? どうしたんですか?」
「いや……ブリュンヒルドって、そんな風に笑うんだなって思って」
「え……」
笑うことはあまりないと、自分でも思っている。
だが、今は自然とほほ笑んでしまった。それくらい、肉串の味は最高だった。
「ば、バカにしないでください。私だって笑うことはありますよ」
「へえ、どんな時?」
「……お兄様に褒められた時とか、シグルーンとお茶会をしている時、とか……」
「懐かしいな。エイル兄さん、シグルーン……近く、挨拶しに行かないとな」
「……」
隣に座るのは、カルセドニー・マルセイユだった。
幼馴染。幼少期を過ごした友人であり、剣のライバルだった少年。
「ブリュンヒルド、少し移動しよう。連れて行きたいところがあるんだ」
「……?」
カルセドニーに手を差し出され、ブリュンヒルドは自然と手を掴む。
もう、子供ではない。
カルセドニーは、立派な紳士として成長していた。
◇◇◇◇◇◇
案内されたのは、イクシア王城へ向かう途中にある高台の公園だった。
イクシア王城は盛り上がった大地の上にある城であり、移動には馬車が必須。登りが厳しい坂道でもあるので、見習い騎士などはよくマラソンをさせられている。
道中、休憩所でもある公園がいくつかあり、その中の一つだ。
「ここ、気に入っててね……変わってなくて安心したよ」
「……いい景色ですね」
手すりの向こう側は、城下町が見下ろせた。
上り坂最初の公園なので苦労せず徒歩で来れたが、高い場所なことに変わりはない。町を見下ろすには十分な場所だ。
「子供のころ、実はここに何度か来たんだ。その、いつかキミを案内しようと思ってた……戦争が始まらなければよかったけどね」
「……大変だったのですね」
「ああ。父が戦場で負傷して、僕が爵位を継承し、そのまま子爵家の部隊を任された。部隊といっても、ヘドウィグやカティアみたいな小さな貴族の末っ子たちみたいな集まりだったけど。そこに、同い年で無理やり戦場に出てきた、困り者の第二王女とかね」
「…………」
「前線には出れなかった。でも、いろいろあって武功を上げることができて、今では英雄なんて呼ばれてる……何度も、何度も挫けそうなこともあった。でも……不思議と、挫けたら君に怒られる気がしてね。折れることはなかったよ」
「……どうして、そこまで私を?」
カルセドニーは、景色からブリュンヒルドに目を向ける。
「何度も、キミに会いたいと思った」
真剣な瞳だった。
ブリュンヒルドの心が揺れ始める……これは、よろしくないと直感が告げる。
「六歳の子供だったけど、ずっとキミから目を離せなかった。時が経つに連れて、わかったんだ……ああ、初恋だったんだ、って」
「……カルセドニー、それ以上は」
「聞いてほしいんだ。ブリュンヒルド、僕は……キミにずっと、会いたかった」
カルセドニーは、ブリュンヒルドの前に跪いた。
そして、ブリュンヒルドの手を取り、見上げる。
「キミを、愛している」
「……っ」
以前、感じた『灼熱』が胸からせり上がり、顔を染めた。
心臓が高鳴る。
バカみたいな、まっすぐな愛の告白。
愛や恋に無縁で生きてきたブリュンヒルドの心に突き刺さる。
「ブリュンヒルド、僕と」
「……め」
「……ブリュンヒルド?」
ブリュンヒルドは、カルセドニーの手を払う。
「ダメなんです。私には……やることが、大事なことがあるから」
「……え?」
「そのために、生きてきたんです。お願いします……私を、惑わさないで」
「……ブリュンヒルド」
「あなたには、私なんかより素敵な人がいます。ずっとそばで、あなたを支えてきた人がいるじゃないですか。どうか……私のことは忘れて、その人の元へ」
「……ぁ」
「さようなら、カルセドニー……あなたは、私の良き友人よ」
そう言って、ブリュンヒルドは駆けだした。
カルセドニーは手を伸ばすが、その手がブリュンヒルドを掴むことはなかった。
そして、ほんの少しだけ感じた違和感が、ぽろっと口からこぼれる。
「やるべき、こと……?」
カルセドニーは、手を伸ばしたまま固まるのだった。