カルセドニーとハスティ
人気のない第一訓練場で、ブリュンヒルドとハスティは打ち合っていた。
木剣での打ち合い。だが、二人は真剣だ。
全力を出せばわからないが、二人の実力は拮抗している。これまで何度か摸擬戦を繰り返したが、勝敗は五分五分だった。
そして、ブリュンヒルドの鋭い打ち上げが、ハスティの剣を吹き飛ばし……返す一閃、ブリュンヒルドはハスティの首に剣を突きつける。
「……参った」
「ふう……ハスティ、剣先を目で追うクセが抜けていないわね」
ハスティはその場にしゃがみ込む。
「あー、やっぱそうかあ」
「腕は肩、肘、手首、指先と可動域が広いわ。切っ先だけ見ていると翻弄されるわよ」
「それ、何度目だよ……」
ブリュンヒルドは手を差し伸べると、ハスティはその手を掴む。
柔らかい女の手。だが、剣を持つ女の手だった。
「…………」
「なに?」
本当に、不思議な少女だった。
窓際で本を読んでいるのが似合いそう。風に髪が揺れるといい香りがしたり、紅玉の瞳は太陽の光を浴びると宝石のようだ。
着ている訓練服も、ブリュンヒルドが着ると似合っている……窓際の令嬢から、女騎士へ変わる。
実際、ブリュンヒルドは強い。
ハスティは立ち上がって言う。
「なあ、ブリュンヒルド。剣術部に入れよ」
「……また、その話?」
「何度でも言う。お前は、騎士になるべきだ」
「……」
ハスティは本気だった。
間違いなく、ブリュンヒルドはイクシア帝国で名を残す女騎士になる。
ハスティが真剣だからこそ、ブリュンヒルドは本気で言う。
「私は、もう将来が決まっているの。剣はあくまで自己鍛錬のためだけよ」
「……お前の将来って、家庭教師か?」
「ええ。私は子供を産めないから、嫁ぎ先もないしね。ふふ、お兄様か妹の子供に、剣を教えるのもいいかもしれないわ」
「……じゃあさ、オレのところに来いよ」
「え?」
思わず、ハスティを見返す。
ハスティは真剣なままだった。
「アルストロメリア公爵家にはオレから言ってやる。ブリュンヒルド……オレと結婚してくれ」
「…………」
「本気だ。前に言ったよな? 後継者もいらないし、子供は養子を取ればいい。オレは騎士になるから暮らしに不自由はさせない。オレと一緒に、騎士になろうぜ」
「……ハスティ」
「オレは本気だ。ブリュンヒルド、お前は……もっと夢を持っていいんじゃねぇか?」
「……え?」
「オレには、お前の剣は……自己鍛錬だけじゃない、本気を感じた」
「…………」
「その、えっと……嘘じゃない。あのよ」
すると……コツコツと、足音が聞こえた。
二人が訓練場の入口を見ると、そこにいたのは……カルセドニー・マルセイユ。
ハスティは、自分を見ているカルセドニーから、視線を外さなかった。
確信していた。カルセドニーは、聞いていた。
「カルセドニー……」
「ブリュンヒルド。ごめん……全部、聞いていた」
「…………」
「ハスティ・アウリオン。本気なんだな」
「ああ、本気だ。カルセドニー・マルセイユ……あんたもだろ」
「ああ。僕は、彼女を愛している」
向かい合い、対立するハスティとカルセドニー。
そこに、英雄だの騎士だの貴族だの肩書はない。男と男の意地があった。
ブリュンヒルドは、どうすべきか迷った。
(カルセドニーは、私を……愛している)
ハスティを見る。
(ハスティは、私を妻にして、騎士になれ……と。そして、私を……愛してる)
ジワジワと、ブリュンヒルドの内側から何かが沸き上がって来た。
(私、あ、愛……? 愛されて、る……)
家族愛。
兄や妹のことは好きだ。母も父も、良くしてくれる使用人たちも好きだ。
だが、ハスティとカルセドニーの好きは違う。
愛……異性を、好きになるという感情。
「…………」
ブリュンヒルドは、身体の内側から発生した『熱』で、燃え上がりそうだった。
そして……人生で初めて、全力疾走した。
「あ!! おい!!」
「ブリュンヒルド!!」
男二人が何かを叫んでいたが、聞きたくなかった。
ブリュンヒルドは走った。
着替えもせず、訓練服のまま走る。
学園を飛び出し、屋敷まで十五分……全力疾走した。
そして、屋敷の正門から庭へ周り、噴水のところでようやく停止。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
髪をまとめていたリボンを外すと、銀髪がふわりと舞う。
汗だくだった。
噴水の前にしゃがみ込み、水面に映る自分を見た。
「……ぁ」
とんでもなく、真っ赤になっていた。
「あぁ、そうか……」
ブリュンヒルドは生まれて十六年……はじめて理解した。
家族じゃない異性に愛され、告白される。
そのことが、こんなにも苦しく、熱く、燃え上がってしまいそうなことに。
「…………ぅぅぅぅぅ」
つまり、ブリュンヒルドは……どこまでも初心な少女だった。
◇◇◇◇◇◇
一時間ほど、噴水の前でしゃがみ込んでいると。
「……え? ブリュンヒルド?」
「……お兄様」
兄のエイルが、分厚い本を片手に中庭へやってきた。
私服姿だったことから、学園の帰りではなさそうだ。
「お兄様、学園ではなかったのですか?」
「ああ、用事で領地に行ってて、さっき帰って来たんだ。少し早く到着したから、夕食までここで過ごそうと思って……というか、どうしたんだい、その恰好」
「あ……」
訓練服のまま、しかも汗だくだった。
エイルは苦笑し、ブリュンヒルドに手を差し出す。
「何かあったんだね」
「…………」
「カルセドニーの婚約申込のこと、かな?」
「……ご存じでしたか」
「うん。さっき父上に聞いたよ。さ、座ろうか」
近くのベンチに座る。
エイルはいきなり言った。
「カルセドニー。こっちに来ると聞いた時から、まさかと思ったけど……行動が早いね」
「え?」
「ふふ、小さい頃から思ってたよ。ボクやシグルーンには一歩引いた態度だったけど、ブリュンヒルドに対しては少し違うな、って。子供の頃はわからなかったけど……きっと、異性として見ていたんだなってね」
「……お兄様は、プレイボーイなのですね」
「ち、違うって。まあ……いまだに婚約者もいないけどね」
「……お兄様は、ご結婚されないのですか?」
「するよ。するに決まっている」
エイルははっきりと言う。
「恋愛結婚を夢見ている、なんて言われてるけどね……そうじゃない。ボクはアルストロメリア公爵家の次期当主だから、そのために最良の結婚をするつもりだ。たとえば、ヘルメス王国から……なんてね」
「え……ま、まさか」
ふと、ミュディアの顔が浮かぶ……が、エイルは一通の手紙を懐から出す。
「その、ヘルメス王国の第二王女と、文通しているんだ」
「え」
「ヘルメス王国の王女と婚姻を結べば、ヘルメス王家とも繋がりが持てる。戦争終結の今、友好条約を結んだあとなら、両国の関係性を見直すために婚姻を結ぶのは自然な流れだ。まあ……戦争前から少しずつ、連絡はしていたけどね」
「じゃあ、恋愛結婚を夢見ている、というのは」
「嘘さ。まさか、敵国の第二王女と文通してるなんて、戦時中は言えないしね。ロマンチストだと思わせて、安易に婚約者を選ばないようにしていたんだ」
「……戦時中から敵国の王女と文通して、戦争終結後に結婚をするのもロマンチストですけどね」
「ははは、そうかもね。でも……ボクは、これがアルストロメリア公爵家にとって、最良だと思っている。当然、父上も知っているよ」
「…………」
エイルは、ブリュンヒルドの頭に手を乗せる。
「ブリュンヒルド。アルストロメリア公爵家のことはボクに任せて、キミはキミのやりたいように生きていい。キミが子供を産めないからって、縁談を断る必要なんてないし、キミのことを知りつつ縁談を結びたいって人もきっといる」
「……お兄様」
「キミにとって、最良の決断を。後悔のないようにしてほしい。ボクは兄として、キミを支えるつもりだから」
「…………」
エイルは、優しい兄だった。
アルストロメリア公爵家の当主に相応しい。アルストロメリア公爵家のために決断をしている。
なら、ブリュンヒルドは?
「さ、着替えの前に……まずは入浴だね。というか、なんでそんな恰好を?」
「…………いろいろありまして」
ブリュンヒルドは立ち上がり、兄と一緒に屋敷へ戻るのだった。
◇◇◇◇◇◇
浴場にて。
アルストロメリア公爵家の浴場は広い。
ブリュンヒルドは湯に浸かりながら、バラの花を浮かべた湯をそっと掬う。
「家のため……お兄様は決断した」
思うのは、カルセドニーの笑顔。
そして、ハスティのヤンチャな笑み。
「私は、アルストロメリア公爵家の処刑執行人」
ずっと、そういう人生を生きてきた。
それを変えることはできない。
ブリュンヒルドは、自分の胸に手を当てる。
「私は……」
父のあとを継ぐ。
そう考えると、動悸は収まり、カルセドニーも、ハスティの笑顔も消える。
ブリュンヒルドは立ち上がる。
ザバッとお湯が溢れ、バラの花が揺れた。
「私は、アルストロメリア公爵家の処刑執行人」
もう、惑わされない。
「お断りしなきゃ」
結婚はしない。
恋もしない。
自分は、処刑執行人。
それが、ブリュンヒルドの出した答えだった。




