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婚約の申し込み

「…………」


 ブリュンヒルドは、理解できなかった。

 婚約の申し込み。カルセドニー・マルセイユが。隣国の英雄が。

 喜びなどない、不安もない。あるのは困惑……そして、疑い。


「お断りしてください。私は、アルストロメリア公爵家の処刑執行人としての人生が決まっていますので……それに、石腹と言えばお断りできるでしょう」

「……そう伝えた。だが、それでも構わないとのことだ」

「……」


 ブリュンヒルドは黙りこむ。

 いきなりの婚約話……しかも相手はカルセドニー・マルセイユ。何か裏があるのではないかと疑ってしまうのが普通だ。

 ブリュンヒルドは言う。


「お父様は、この婚約の申し込みに、何か思うことはありますか?」

「……私も困惑している。ガムジンが我が家のことをどこまで伝えたのかは知らないが……カルセドニーが処刑執行人としてブリュンヒルドの人生が決まっていることを知らない可能性もある。そして、そのうえで婚約の申し込みをするとなると……理由は一つしかあるまい」

「……その、理由とは?」

「……わからんのか?」

「はい。理由が、理解できません」


 ライオスは思った。

 ブリュンヒルドは、処刑執行人になるべく学んでいる。

 学園に通わせているのも、将来エイルの息子か娘の家庭教師となるべく、学園の卒業資格は必須だからだ。同時に、ある程度は同級生と交流することで一般的な『男女の常識』を学べればいい……と、思ってのことだった。

 だが、ブリュンヒルドは友人も作らず、放課後は図書館に入り浸るばかり。

 ぶっちゃけ、屋敷にいるのとそう変わらない……感情に乏しいということが、こうもブリュンヒルドを孤独にしてしまうとは、ライオスも思っていなかった。

 教育の失敗……とは思わない。処刑執行人として生きるなら、間違ってはいない。

 ライオスはため息を吐き、自分の口で言う。


「理由は簡単だ。カルセドニーは、お前に惚れている、ということだ」

「私に、ですか? 惚れる……ということは」

「……幼少期、共に過ごしたことで、お前を意識していたのだろうな。そして戦争になり、色恋を学ぶことなく戦場で戦い続け……お前意外に女を知る機会がなかったのだろう」

「つまり、初恋……ということですか? シグルーンのように?」

「あー……」


 なんと言えばいいのか、ライオスにはわからない。

 自分は親が決めた同士の結婚だ。妻は愛しているが、初恋と言うのは違った。

 そもそも、カルセドニーがどういう気持ちなのか、ライオスにはわからない。


「現実を見るか。まず、カルセドニー・マルセイユから婚約の申し込みが来ているのは事実。奴はお前が子を成すことができなくても構わないと言っている……」

「これに対し、アルストロメリア公爵家としての考えは?」

「断るしかあるまい。それに、奴は英雄だ。嫁の相手などいくらでもいるだろう」

「……では、お断りということで」

「ああ。結論は出ているが……お前の意見を聞きたかった。ブリュンヒルド、お前は婚約の申し込みに反対で構わないな?」


 ブリュンヒルドは、迷うことなく頷いた。


「はい。私の人生に結婚は必要ありませんので」


 すんなりと出た答えだった。

 ライオスは頷く。

 言うまでもないことだった。だが……ライオスは聞いてみたかったのかもしれない。

 幼馴染のカルセドニー・マルセイユ。その婚約の申し込みが、ブリュンヒルドにどういう感情を持たせるのかを。

 処刑執行人として、ブリュンヒルドの答えは満点だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 翌日。

 ブリュンヒルドは屋敷を出て、学園に向かって歩き出した……が。


「やあ、ブリュンヒルド」

「……カルセドニー・マルセイユ侯爵閣下。おはようございます」

「おはよう。その、昔みたいに接してくれないかな。カルセドニーでいいよ。それか……カル、って」

「……申し訳ございません。立場が違いますので」


 カルセドニーがいた。

 制服を着ているが、学園のものではない。

 ヘルメス王国側の学園制服だろう。青を基調としたもので、すらりとした体形のカルセドニーによく似合っている。

 カルセドニーは、ブリュンヒルドと並んで歩き出す。


「貴族街近くの空き家を買ったんだ。本当は寮生活なんだけどね」

「そうなのですか?」

「ああ。ラティオ男爵……知っているかい?」


 知っている。

 戦争犯罪者、ヘルメス王国に情報を流していた貴族だ。

 少し前、ライオスが処刑した。ブリュンヒルドはその場に立ち会い、ラティオ男爵の首を刎ねた剣を聖水で清めている。


「ラティオ男爵家の屋敷を買わせてもらった。アルストロメリア公爵家から近いし、これから一緒に学園に通えるね」

「……カルセドニー・マルセイユ侯爵閣下、質問しても?」

「ダメ」


 やんわりとした拒否……ブリュンヒルドは少し驚いたが、カルセドニーは微笑む。


「カルセドニー、そう呼んでくれたら質問に答えるよ」

「……はあ。じゃあ、カルセドニー」

「なんだい?」


 カルセドニーは、嬉しそうにほほ笑んだ。

 隣国の英雄……そう呼ばれている騎士。まもなく十六歳の少年なのに、笑顔は子供のころを変わっていなかった。

 ブリュンヒルドは、ややジト目で言う。


「婚約の申し込み……どういうことですか?」

「ダメだったかな?」

「はい。聞いたと思いますが、私は『石腹』です。子を作ることができない身です。ヘルメス王国の英雄であるあなたが、こんな女を妻になどしたら」

「それは、僕が決めることだ。ブリュンヒルド……ずっと、きみのことばかり考えていた」


 と、カルセドニーは数歩前を進み、振り返った。


「戦時中、辛いこと、苦しいことがたくさんあった。でも……きみのことを思いだすと、その苦しみや悲しみが軽くなった」

「…………」

「きみが、僕の支えになっていた」


 ふわりと風が舞うと、カルセドニーの髪が揺れた。

 そして、右の目元に、小さな傷があったのが見えた。

 それは……最後の摸擬戦で、ブリュンヒルドが付けた傷。

 視線で気付いたのか、カルセドニーは目元をそっと押さえた。


「この傷、覚えてる?」

「ええ、私が付けた傷」

「不思議なんだ。戦争中、もっと大きい怪我もしたんだけど……その傷は綺麗に消えた。でも、この傷だけはずっと残ってる。まるで、僕の身体が……きみのことを忘れまいとするように」


 カルセドニーは、一枚のハンカチを出す。

 それも、ブリュンヒルドが傷を押さえたハンカチだった。


「ブリュンヒルド、僕は本気で、きみを愛している」

「…………」

「石腹なんてどうでもいい。子供いらない。どうか、僕と結婚してくれないか」

「…………」


 熱烈な、愛の言葉だった。

 朝の登校中に、カルセドニーはブリュンヒルドへ愛を送った。

 ブリュンヒルドは。


「…………」


 硬直していた。

 何を言われたのか、冷静に分析しているつもりだった。

 カルセドニーは、ブリュンヒルドが顔を背けたのを見て言う。


「……すまない。いきなりこんな、早朝でする話じゃなかった。その……今日から剣術部に顔を出すから、よかったら見に来てくれないか」


 そう言って、カルセドニーは先に行った。

 ブリュンヒルドは、まだ動けなかった。

 それから数分後、ハスティがやって来た。


「おっす。昨日はいろいろ……って、おい、どうしたんだ?」

「……………え?」


 ハスティは、ブリュンヒルドの顔を覗き込んで心配そうに言った。


「顔、真っ赤だぞ。おいおい……風邪でも引いたのかよ?」

「…………えっと」


 ブリュンヒルドは、風邪を引いたときと同じくらい、真っ赤になっていた。

 生まれて初めての愛の言葉を冷静に処理することができず、ただひたすら硬直することしかできないのだった。

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