成長
カルセドニー・マルセイユ。
まもなく十六歳になる少年は、柔らかい微笑を浮かべてブリュンヒルドを見ていた。
ハスティは、カルセドニーとブリュンヒルドを何度も交互に見る。
ブリュンヒルドは……小さくため息を吐き、カーテシーで一礼した。
「お久しぶりでございます、マルセイユ侯爵閣下」
「え、知り合い? は?」
ハスティが驚くが、何を言えばいいのかわからないようだった。
カルセドニーは苦笑し、ゆっくり近づいてくる。
「ブリュンヒルド、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「ええ。変わりなく」
「……昔みたいに接してくれると嬉しいな」
「それはできません。立場が違うので」
カルセドニーは苦笑する。すると、ハスティが割り込んだ。
「えーと、侯爵様のお知り合い……と、いうことで?」
「きみは……確か、アウリオン公爵家の」
「ハスティ・アウリオンと申します。剣術部交流戦の代表でもあります」
「代表……そうか、きみが僕の相手か」
「ええ、よろしくお願いします」
手を差し出すと、カルセドニーも握手に応える。
すると、こちらに向かってくる少年、少女がいた。
「おいカル!! なーにやってんだよ、急にいなくなって!!」
「あんたのせいで、あたしらが探す羽目になってんのよ!! 勝手な行動しないでよね!!」
「おっと、見つかったか」
やって来た二人は、金髪碧眼の美少女、美男子だった。
顔立ちも似ている。少女の方がカルセドニーの腕を取る。
「まったく、王女様にドヤされるのこっちなんだからね!!」
「はあ……旧友に挨拶しに来ただけじゃないか。それよりカティナ、腕を掴まないでくれ」
「ダメ。あんた、すぐいなくなるから。兄貴も何か言ってよ」
「………」
と、兄貴と呼ばれた少年は、ブリュンヒルドをジッと見ていた……硬直しているようだ。
そして、ブリュンヒルドの前に跪いて手を取る。
「お美しいレディ……私はヘドウィグと申します。お名前を聞かせていただいても?」
「……ブリュンヒルド・アルストロメリアと申します」
「いい名だ……輝く銀、煌めく紅玉、そして眩い美貌。あなたのようなっぶへ!?」
そこまで言い、カティナがヘドウィグの頭をブッ叩いた。
ハスティが割って入ろうとしたが、その前に叩く早業である。
驚いていると、カティナが頭を下げる。
「も、申し訳ございません。この馬鹿兄貴!! 他国のお貴族様に何してんのよ!!」
「い、妹よ……兄貴の頭、本気でブッ叩くのやめてくれないか?」
頭を押さえるヘドウィグ。
すると、ため息を吐いたカルセドニーが割り込んだ。
「申し訳ない。ヘドウィグの冗談は聞き流してくれ、ブリュンヒルド」
「……はい。わかりました」
さりげなく、ハスティがブリュンヒルドの前に出た。
まるで、守るように。
カルセドニーもそのことに気付き、ハスティをジッと見る。
「……昔のように、いきなりは戻れないか」
「…………」
カルセドニーは兄妹に言う。
「戻ろう。それと、ブリュンヒルド……今度は正式に会いに行くよ」
「わかりました。お待ちしております」
カルセドニーは、来た道を引き返す。
ヘドウィグとカティナが頭を下げ、カルセドニーのあとを追った。
その後姿を、ブリュンヒルドはジッと見ていた。
(……変わったような、変わっていないような)
幼いころ、自分に剣を教えてくれた少年は、今ではもう立派な騎士であり、英雄となっていた。
その後姿を見ていると、ハスティが言う。
「……お前、英雄と知り合いだったんだな」
「ええ、まあ」
「……なんで黙っていたんだ?」
「……敵国の、貴族でしたから。終戦となるまでは関係を吹聴しないようにと」
「……ふーん」
この日、ブリュンヒルドはハスティと一緒に帰ったが……ハスティが何かを言うことはなかった。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜、家族での夕食。
兄エイル、妹シグルーン、そして母ヒルドル、父ライオスにブリュンヒルドが食事をしているのだが……食事中、シグルーンはずっと上機嫌だった。
「あのね、ロイがプレゼントでハンカチをくれたの。お母様、お返しは何がいいかしら」
「シグルーン。食後にゆっくり聞いてあげるから。ふふ、本当にロイくんが好きなのね」
「えへへ……」
シグルーンは、婚約者の話をするのが大好きだった。
その話に母が相槌を打ち、兄が苦笑し、たまに父が叱る。
とても、処刑執行人を代々担ってきた一族とは思えないほど、ほのぼのとした会話だった。
「ブリュンヒルド」
「はい、お父様」
「食事が終わったら私の部屋へ来なさい。話がある」
「わかりました」
だがこの日は、いつもと少し違った。
兄エイルが首を少しだけ傾げて言う。
「父上、食後に見てほしい資料があったのですが……」
「すまないな、急ぎでなければ明日にしてくれ。それか、ロッシュに見てもらえ」
「わかりました」
ロッシュとは、アルストロメリア公爵家に仕える執事で、父ライオスの右腕……死刑執行の時、ライオスの傍で控える仕事もしていた。
兄の用事を置いてまで、ブリュンヒルドに話があると言うことなのか。
そして食後、ブリュンヒルドは父の執務室へ。
重いドアを開いて中へ入ると、ライオスがソファに座っていた。
「掛けなさい」
ちなみに、この部屋は完全防音となっている。
ドアを閉めれば、中の話が聞こえることはない。
ブリュンヒルドは緊張しつつ、ソファに腰掛ける。
「マルセイユ子爵……いや、侯爵と会ったようだな」
「……はい。カルセドニー・マルセイユ侯爵と挨拶をしました」
「どういう印象を受けた?」
「印象、ですか? そうですね……子供の頃に比べて、落ち着きがあり、余裕も感じられました。恐らく、戦争が彼を変えたのでしょう」
「その通りだ。ガムジンが負傷で前線から退き、十三歳で爵位を継承し前線で戦った。最初は子供と侮られたが、その指揮能力、剣術に魅了され、多くの者が彼に付き従ったという……終戦のきっかけの一つに、カルセドニー・マルセイユの存在があったことは間違いない」
ライオスは、葉巻を吸い始めた。
気遣いなのか、ブリュンヒルドに煙が行かないよう、明後日の方向に煙を吐き出す。
「……ブリュンヒルド、正直に言うんだ。カルセドニー・マルセイユをどう思う?」
「どう、とは……?」
「思ったことを言えばいい」
「……」
少し、考える。
ブリュンヒルドが知るカルセドニー・マルセイユ。
幼馴染。剣の師でありライバル。もう一人の兄。弟みたいな存在。
だけど、最後の別れで感じたのは……もう、会うことのできない存在。
それが、目の前に現れた。
今日、十年ぶりに見て思ったことは。
「大きくなっていました。身長はもちろんですけど……存在というか、空っぽの器に水が満たされるように、濃い液体のような……」
「ふむ……では、一人の男としてはどうだ?」
「男、ですか?」
「あー……すまないな。まだ、お前にはわからないか」
「……???」
ライオスは、最後に煙を吐き出し、葉巻を灰皿に押し付ける。
「落ち着いて聞け。ブリュンヒルド……お前に、婚約の申し込みがきた」
「……え?」
「相手は、カルセドニー・マルセイユ。交換留学生としてイクシア帝国に来たのは、お前に求婚をするという目的もあるようだ」
「…………」
ブリュンヒルドは、しばし目を見開き、何も言えず硬直するのだった。