ハスティ・アウリオン
学園にて。
ブリュンヒルドは図書室で読書を終え、屋敷に帰るため立ち上がった。
放課後はすぐ家に帰らず、図書室で自主学習……それがブリュンヒルドの日課。
さっさと家に帰って勉強すればいいのだが、部活動をしない、友人との交流もない、これがブリュンヒルドにとっての『学園生活』の一部……青春であった。
だが、今日はいつもと違うことがあった。
「あ、いたいた」
「……え?」
なんと、ハスティ・アウリオンが図書室に入って来た。
制服を着崩し、子供っぽい笑みを浮かべ、ズンズンと近づいてくる。
そして、着崩した制服を正し、小さく咳ばらいをすると、完璧な角度で一礼する。
驚いていると、ハスティは言う。
「ブリュンヒルド・アルストロメリア公爵令嬢」
「は、はい」
「これまでの数々の非礼、深くお詫び申し上げます」
「……はい?」
「…………」
「あ、あの……もしかして、謝罪ですか?」
「はい。私の数々の暴言、全て撤回させていただきます」
「……わかりました。私は謝罪を受け入れましょう。お顔を上げてください」
ハスティはゆっくり顔を上げる……そこには、ブリュンヒルドの小さな笑みがあった。
「ふふ、まさか本当に謝るなんて」
「……お前が謝れって言ったんだろ。その……いろいろ、悪かったよ。オレ、こんな風だし、兄貴や姉貴にも『貴族らしくしろ』なんて言われてるけどよ」
「もういいです。さて……私はそろそろ帰ります」
「あ、じゃあオレも。今日は剣術部がないんだ」
剣術部。
騎士を目指す少年少女が入る部活動だ。
爵位を受け継ぐのは基本は長男。次男や三男は爵位を受け継ぐことができないので、王国の騎士を目指すために訓練を積む。
ハスティは四男。騎士を目指すのは当然だろう。
特に断る理由もないので、ブリュンヒルドはハスティと図書室を出た。
「ブリュンヒルド、お前さ、徒歩で帰ってるってマジ?」
平民のような喋り方。とてもイクシア帝国の三大公爵、アウリオン公爵家の人間とは思えない。
だが、そこがハスティらしくあり、魅力なのだとブリュンヒルドは思った。
「ええ。お兄様や妹には馬車を使うよう言われているけど……ここから屋敷までは十五分ほどだし、歩くのは嫌いじゃないの」
「へー、オレと同じだなあ」
ハスティは、すでに胸元を開け、腕まくりをしている。
自由……ブリュンヒルドは、ハスティを見てそんな言葉が思い浮かんだ。
「なあ、お前部活動やってないのか?」
「ええ、興味ないので」
「ふーん。もったいねえなあ……なあ、剣術部とかどうだ? お前さ、女騎士とか似合うんじゃね?」
「……」
近い。
ハスティは顔を近づけ、子供のようにニコニコしながら言う。
ふと、ブリュンヒルドは気になった。
「あの、ハスティ様……あなたは、私に関して何か聞いていないのですか?」
「何が? ああ……その、例の話は聞いてるけど」
生まれつき、子供の産めない体質……もちろん、婚約や結婚の申し込みを遠ざける嘘だが。
その話はかなり噂になっている。そのせいでブリュンヒルドは遠巻きにされているが、本人は気にしていない。
「私は公爵家でありながら、嫁にも行けない、婿を迎えることもできない欠陥品です。将来はすでに、次期公爵となる兄の子供の家庭教師として生きると決めています。ハスティ様、私になどかまけず……」
「おい」
と、ハスティが本気で、厳しい表情をしていた。
怒っている……と、ブリュンヒルドはすぐにわかった。
「欠陥品なんていうんじゃねぇよ。お前の価値はそこじゃねぇだろ。公爵家のためにだけ存在するような言い方、こっちまで気分が悪くなる」
「……申し訳、ございません」
「ああその、ワリィ……オレも上手く言えねぇけどよ、お前さ、スゲェと思うよ」
「はい?」
「だってさ、お前強いじゃん」
「…………」
本気で、意味がわからなかった。
ハスティは何とか言葉を絞り出すように言う。
「その、お前さ……子供が産めないとか言われてるし、お前も認めてる。でもさ……お前、ぜんぜん悲観してないし、まっすぐじゃん。ああ……なんて言えばいいんだ。オレ、頭よくねぇけど……とにかく、お前はスゲェと思う」
「…………」
「うー……悪い、バカだよな、オレ」
本当に、意味が分からない。
でも……不思議と、悪い気分はしない。
ブリュンヒルドは、小さく微笑んだ。
「ハスティ様、ありがとうございます」
「…………っ」
ハスティは、ブリュンヒルドの可憐な微笑を真正面から見てしまった。
夕暮れの光に照らされて輝く銀髪、ルビーの瞳、小さな唇は柔らかく微笑みを浮かべ、氷のように無表情だったのが今は輝いて見えた。
ハスティの心臓が高鳴った……が、ブリュンヒルドはすぐに元の無表情に戻る。
「あ、あのよ。さっき言った剣術部……見に来ないか? その、戦争終わっただろ? 近く、ヘルメス王国との交換留学が再開するらしくてさ、向こうの留学生が学園見学に来るんだよ。で、剣術部と向こうの剣術部が、模擬訓練をすることになったんだ」
「……え」
交換留学。
父の情報によれば、カルセドニーがメンバーに入っている。
「なんでも、交換留学が少し早まるとか聞いたぜ。それに……あっちの留学生に、とんでもないヤツがいるんだ」
「……どなたですか?」
ハスティは、どこかワクワクしたように言う。
「カルセドニー・マルセイユ。十三歳で爵位を継承して戦争に参加した天才剣士だ。戦争の功績でマルセイユ子爵家は侯爵位になったそうだぜ。国が違うとはいえ、弱冠十五歳の侯爵様が交換留学とは……スゲェんだが、すごくないんだか」
「……マルセイユ侯爵、ということですか」
「ああ、スゲェよな。で……マルセイユ侯爵と摸擬戦をする相手を、今度の部活動で決めるんだ。なあなあ、見に来てくれよ」
「……わかりました。では、見学させていただきますね」
「おう!! へへ、見てろよ、オレの強さを見せてやるぜ」
ハスティは、自分の剣がいかにすごいかを語り始めた……が、ブリュンヒルドの心は、英雄として名を馳せているカルセドニーのことでいっぱいなのだった。




