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ヒュー・オーウェルの約束  作者: 月永こん
第一章  森の娘
3/3

 開けた丘からはゆっくりと町へ下っていく坂道が続き、雲がいくつも影を落とした。

 かつて森の娘が住んでいた場所は、逆に影の中に光がこぼれる程度。

 神秘的とは言うが、暗い森であることに変わりは無かった。

 だからあの時の少女が、太陽がいっぱい照らすまぶしい場所で腰を下ろし、無心にトカゲを追っている姿に魔術師はいささか驚く。

 喜色に満ち、好奇心をむき出しにしてトカゲを掴もうと手を繰り出すその姿は、まるで少女の様だった。

 かつての森の娘よりも、ずっと娘らしい気配に満ちている。

 これでよかったのかもしれない。魔術師は思う。

 若さを失いたいという若い娘の悲痛な声に、彼は手を貸したけれど。

 魔術師は人の願いを無報酬で叶えると自分の命を削ってしまうから、彼女の願いは一つしか叶えるつもりが無かった。

 もし若さを失くした彼女が、自分の予想通りに悲観に暮れていたら、もう一度元に戻す気ではあったのだ。

 けれど、娘は命の喜び身満ちていた。

 気にはしていたけれど、仕事が続いてなかなか様子を見に来れなかったが、これならと魔術師は安堵した。

 そうしてその背に声をかけたのである。 

 振り向いた彼女の、太陽にように輝かしい笑顔を見てまた面食らう。

 確かに老婆であるのだが、その笑顔には人を安心させ和ませる力に満ちていた。死に近いとは到底思えないほど生命力と明るさが彼女をつつんでいるのだ。

 本来はこういう気質なのかもしれない。

 どういうわけか若さを憎んだ彼女は、その若さのせいで本来の自分を発揮できていなかったのだろう。

 彼女はにこにこしながら魔術師を見ている。 


「お久しぶりですね」


 彼が言う。


「けがはどう?もうすっかり?」 

「おかげさまで。あなたもお元気そうでよかったです」

「こんなところで立ち話もなんだから、どうぞ入って」


 彼女は気楽に魔術師を招き入れる。

 若い男が訪ねてくることに、もう彼女は警戒しなかった。

 だってお婆さんですもの。

 町の若い男も彼女を慕ってやってくるし、時に親と喧嘩して家出してくる子を泊めたりもした。


「森の娘さんは、森をお出になったんですか?」

「娘さんは止しとくれよ。サーシャでいいわ」 


 すっかり年寄りの口調が板についたサーシャがそう言ってころころと笑った。


「ではサーシャとお呼びします」 

「家はね、年寄りがあんな山奥に住んでられたら気が気でないっていうのよ。まあみんなお婆さんには親切だし過保護だしね」


 そういうと、照れた様にもじもじとエプロンの端をもむ。


「幸せに暮らしているんですね」

「ええ、おかげさまでとっても幸せよ」


 魔術師は頷いて、出されたお茶を一口飲んだ。

 甘くふくよかな味わいで、とってもおいしいと言うと、そのお茶を作っている夫婦の話から、その子の話からどんどんつながって町中の人たちの様子を思い浮かぶがままに話し続ける。

 魔術師は暖かくその話を聞いた。

 しばらく難しい仕事をしていたせいで、かじかんだ心がほどけていくような気がした。 

 このささやかな逢瀬の後、魔術師は頻繁にサーシャの元を訪れるようになった。

 仕事が片付いたら、そのうち仕事の合間に、いつしかほとんどここで暮らすように。


 魔術師が家にいる時も町の人たちは頻繁にやってきた。

 それぞれが思い思いの手土産を下げて丘を登ってくる。

 まるで蟻の行列だなと、魔術師は微笑む。

 中には、魔術師と年がそう変わらないような若い男もやってきて、彼を驚かす。

 サーシャはお婆さんの様子で実は妙齢で、それが同じ年頃の男と仲良くしているさまに魔術師はいささか気をもんだ。

 その気持ちがなんなのか、自分でもよくわからないのだけど。 

 やがて魔術師は、本格的にサーシャの家で過ごすようになった。

 完全な冬になる前に町へ来いと言っていた町の住民たちだが、若い男が一緒に暮らすというので、しつこく町へ降りるよう説得することもなくなるほど、サーシャの家に行けば必ず魔術師がいた。

 最初、魔術師を見た八百屋の主人はその美貌に腰を抜かしたものだ。


「なんだ、こればあ様!!なんていったら… …あんたの恋人かい?」


 そう問われてサーシャはお腹を抱えて笑いだす。


「何言ってんだい!!この子は… …」


 はて、なんと説明しようか。 


「この子は、孫だよ!」

「孫!」 


 八百屋はサーシャと魔術師を見比べて、さらに「うへえ!」と声を上げる。


「孫だっておめえ、ばあ様からこんなとんでもない色男がつながってくっかな!」

「トンビだった鷹を産むのさ」 

「こりゃびっくりした。さてはばあ様は色恋にはとんでもない手練れなんか?」 

「どういう意味だい」 

「だっておめえ、これ、おめえ様の血筋というよりは旦那の方の血だと言われた方が納得いくし、そうなったらそんな男捕まえられるとは、世の中分らねえな」


 しみじみと八百屋が言うから、サーシャはその頭を小突いて言う。 


「失礼な事ばっかし言うね!この子ほど私にそっくりな子がおるもんか。くだらない油を売ってると、おかみさんに言いつけちまうよ!」

「そりゃ勘弁だ!」


 脱兎のごとく丘を下っていく八百屋を笑って見送る。 


「はあ、うまくごまかしたけど、魔術師さんはなんでもこんな家にひっきりなしにやってくるんだい?」 

「すごく落ち着くんです」


 そう言ってにこりと笑う。

 確かにこの家は小さいながらもかなり頑丈に作ってあって、風の強い日でもその音さえ聞こえないくらいだった。

 とは言っても、あれよあれよという間に泊まり込む回数も増え、魔術師が小さなソファで身を縮めて寝いるのを見かねて、とんでもない美形の孫が一緒に暮らすという話が瞬間的に広がった町の者たちへ、ベッドをこしらえたいというサーシャの願いはあっという間にかなえられた。

 誰もがその美貌の孫を一目見ようと、金づちやのこぎり片手にかなりな人数が集まり、ベッドどころじゃない、家の一軒も建てそうな勢いのそれがサーシャを笑わせた。

 やがて出来上がったベッドにサーシャは舌を巻く。

 というより、こんな小さな家にこんな立派なベッドが必要なのかね?というほどの出来栄えだった。

 この日家に戻った魔術師に、サーシャは手招きする。

 昼間、皆がベッドを作成していた時に物置と化していた一室を綺麗に掃除しておいた。

 そこへベッドを設置して、さあご覧と魔術師を迎える。


「サーシャ… …」 

「これで魔術師さんもゆっくり眠れるでしょうよ」 

「ああ、サーシャ」


 魔術師は感極まったように彼女を呼ぶ。

 そして意を決したように顔を上げた。 


「サーシャ、私の名前はヒュー・オーウェルです。ヒューとお呼びください」 

「それがあなたの名前なのかい?」 

「そうです。ただし他言無用です。魔術師は人に名前を知られるわけにはいかないので」

「そんな大事な名前なのに、私が知ってていいのかね?」 

「ええ、あなたに呼んでもらいたいんです。さあ」 


 なんだかあまりにも厳かな雰囲気にサーシャはたじろいだが、目を閉じて呼ばれるのを待つ魔術師に、彼女は呼びかける。

 艶もないしわがれた声だけれども、とてもきれいで壊れやすい、大事なものを扱うような気持ちで、「ヒュー・オーウェル」と。 

 

 一瞬幻を見たような気がした。美しい彼の姿が、少しぶれたように見えたからだ。 

 やがて彼はゆっくりと目を開く。

 そして形のよい唇で「ありがとう」と笑んだ。



 町は秋色に染まる。

 美しく木の葉が色を変えそれが散りゆくころ、ヒューもだんだんと町に慣れていった。

 ヒューに恋をする子もいたりしたが、それは遠巻きにする程度のもので、どうも若い女の子に彼の美貌は過ぎたようだ。

 目の前に来ると、確かにその美しさに息が止まるものが多数で、あまりの反応にサーシャが驚くくらいだった。

 サーシャはさすがに血がつながったおばあ様だと、魔術師とのんきに暮らす姿を見かけたものは口をそろえてそう言った。

 あの美貌と生活できるんだから! 

 小さな町にとうとう冬が完全にやってきた。

 森への道は雪に固く閉ざされ、サーシャの家まで続く道も雪が降り積もり、簡単に人が出入りできる様子ではない。 

 ヒューは自分が通るのに不自由しない程度に雪をかき、必要なものは町まで行って調達してくれる。

 魔術師が仕事の時は風のように姿を消して移動するというのに、ここで暮らしている間は、その魔術の片りんも見せず、雪を頭に降り積もらせながら町までの道を往復してくれる。


「もっと住みやすいところへ行けばいいのに」 


 とサーシャは言うが、ヒューはにこにことほほ笑むだけだった。 

 そうして日々は流れて行った。

 ヒューとサーシャの日々はもう10年に及ぼうとしている。

 楽しい暮らしはつつがなく、それでも少しずつ、サーシャから時間を奪っていった。 段々と一人で町へ行くのが大変になり、向こうへ出向くよりもサーシャに会いに来る町の住人が増える。

 噛みにくいだろうとか飲み込みにくいだろうと気を使って、柔らかい肉やお腹に優しい野菜を彼らは届けてくれるようになった。

 町のお祭りにも今年は出席できなかったので、子供たちが土産話をたくさん聞かせてくれた。

 口々に取り留めのない話が飛び出し、はっきり言ってよくわからないのだが、その興奮から今年のお祭りもさぞ賑やかだったろうとサーシャは目を閉じる。

 起きている時間が少なく、寝ている時間が多くなる。


 食べるものも徐々に減っていき、一日に果物一個口に含めればよいと思うほど、サーシャは確実に、この世の淵から消え去ろうとしていた。 

 彼女は年齢だけでいったらまだ30にも満たなかったが、体の年齢は、見た目通りであったのだ。 


 ある満月の夜だった。

 窓から大きな月が、サーシャを心配そうに覗き込む。

 ベッドの端にはヒューが、サーシャの手を握っていた。

 すると、サーシャがふふっと笑みを漏らす。 


「サーシャ?」 

「すっかり忘れてた。あんなに誓ったのに」

 

 サーシャはうつろな瞳にヒューを映す。


「ヒューを傷つけたあの罠ね、私が兎を獲る為に仕掛けたのよ。あなたを傷つけてごめんなさいと、それを会ったら言おうと思っていたのに」 


 そう言うと、ヒューもくすりと笑った。


「かなり痛かったけどね」

「そうでしょう。相当深かったもの」 

「でもおかげであなたに会えたから、良しとします。それに、私も迂闊だった」

「そうね、あなたもだいぶ迂闊だわ」


 したり顔をするから、ヒューはまた笑う。

 はあっと長い息を、サーシャは吐いた。

 もう目を開けているのもおっくうだ。 


「サーシャ… …」


 遠くでヒューが呼びかけるのが聞こえる。


「もう、眠くて… …」 


 それだけやっと言う。

 すると、ヒューがサーシャを握る手に力をこめた。


「サーシャ!!サーシャ!!」


 ぽたりぽたりと、その金色の目から涙がこぼれ落ちる。 

 サーシャは頬に温かいものを感じて、うっすらと目を開けた。

 美しい瞳からはらはらと落ちる涙が目に入る。 


「ヒュー… …。何を泣いているの… …」


 そうして何とか手に力をこめて、ヒューの手を握り返した。


「サーシャ。お願いだ。私の願いを聞いてサーシャ」 

「ヒュー… …悪いけど本当に、もう」 

「サーシャ!!次に会うときは必ず俺を愛すると言って!サーシャ!ヒュー・オーウェルを愛すると!」 

「… …ヒュー?」 

「サーシャ!頼む!お願いだ、サーシャ!」


 サーシャの口に笑みが浮かぶ。


「何をまた… …そうね」


 大きく息を吐く。 


「もし… …私が、絶世の美女だったらね」


 そう言ってくすりと笑った。


「言って!サーシャ!お願いだよサーシャ!」 


 もう意識は半分手放した。

 このまま遠くに漂いたい気持ちの向こうで、ヒューがサーシャを何度も呼ぶから。


 サーシャの唇から言葉が零れる。


「… …ヒュー・オーウェルを愛する」 


 そう告げたきり、彼女の瞳は、もう二度とヒューを映さなかった。

 もう開かない目に、ヒューは唇を寄せる。


「サーシャ、愛しているよサーシャ。だから、必ずあなたをまた見つけるから、俺があなたを愛するように、今度はあなたも俺を愛して」


 数日後に行われた葬儀には、町中の人たちが参列した。

 皆が彼女を死を悼み、彼女を思って涙した。特に八百屋の主は年がいなく泣きじゃくった。


 丘の家のすぐ横の大木に、サーシャの墓が作られる。

 ベンチで町を見下ろしながら、町の人々を思っていてくれたように、今度はあの大木がサーシャと一緒に町を見守っていてくれる。

 四季に遷ろう大木を見上げては、町の人たちは、サーシャを思い出した。

 お婆さんと呼ぶのにちょっと戸惑うほど、無邪気でおきゃんな、サーシャを。


 サーシャの唯一の身内であるあの美貌の男は、葬儀が終わるとそれきり、町に姿を見せなかった。


 どこへ行ったのかもう誰も知らない。

第一章 森の娘 終わりです。

第二章 森の王子に続きます。

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