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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 三年生
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第七十五話 青く公正なる世界

・主な登場人物

朱野女神あけの めがみ:一年三組の女子生徒。記憶力が良く、一度見た物は忘れない。興味の無いことには無頓着。


天枝優栄あめのえ すぐえ:一年三組の男子生徒。自信家だが真面目な眼鏡くん。


雀家学すずめや まなぶ:一年六組の男子生徒。自分の堅苦しい名前にコンプレックスを感じているチャラ男。


舞針まいはりこはね:一年七組の女子生徒。雀家の幼馴染。真面目で面倒見が良い。


 この学校には、女神がいる。


 生徒会選挙を待つ生徒たちの間で、その噂は爆発的に存在感を強めていった。台典商高の天使は、今や過去の物語となり、新たな歴史の芽吹きに新たな世代は期待を高める。


 しかしながら、今年度の台典商高では、その噂の広がりが必ずしも生徒会選挙の結果を決定づけるわけではないようであった。センセーショナルな女神の噂と対照的に、堅実で安心できる一人の生徒が、対抗馬として着実に力を付けていた。あるいは、生徒たちがそう誤認しているだけで、元々は彼の方が優れていたのだろう。


 それはシーソーゲームというにはあまりにもねじれていて、選挙権を持った生徒たちですら、そして、立候補した当人ですら、どちらが優れているのかを決めることはできないのだった。互いに全力を尽くしたフェアな選挙戦を経て、候補者たちは演説の舞台に立つ。結局のところ、全てはこの一瞬の言の葉が与える印象で決まるのだ。






 十二月下旬。冬休みを目前とした一年の終わりだ。二学期が早くも終わりを迎えようとしているこの時期、期末テストのことを考えている生徒などほんの僅かだろう。


 その、ほんの僅かな生徒の内の二人。僕と彼女は、お互いに採点を終えたノートを交換した。選挙活動の時こそ互いを避けるように校内を巡っていたりしたが、下校時刻を過ぎ学校から離れれば、ただの友人だ。


 こうして互いに顔を突き合わせて勉強をすることになったのは、彼女の提案だ。生徒会長を目指す者同士、互いに目の敵にしてきたが、選挙活動で擦り減った時間ではロクに勉強にも充てられない。少しの時間の有効活用として、課題を持ち寄って教え合おうというのが彼女の提案だった。


「ん、そろそろ門限じゃない、天枝(あめのえ)


「ああ、もうそんな時間か」


 外はすっかり暗くなり、ファミレスの外を行き交う人の姿も少なくなってきた。替える時間が惜しくて隅にやったドリンクのカップには、浅く水が溜まっている。


「君はまだいるつもりかい?」


「まだ、家に帰る時間じゃない」


「そうかい」


 僕が浮かしかけた腰を再び落ち着けると、女神くんは訝しげな目で僕を見る。


「門限、遅れるよ」


「そんなに厳しいわけじゃないさ。それに、やっぱり一人で帰すというのも良くないだろう」


「今更じゃない、そんなの。妹も来るから大丈夫」


 呟いて、彼女は教材に目を落とした。記憶力が良い彼女は、反して勉強の効率は悪い。見返さないというノートは雑多で、数学の途中式はいつでも樹形図のようだ。


「それにしても、君が勉強会をしようと言いだすなんて思わなかったよ」


「……別に、天使先輩に教わったことを実践しているだけだから」


「ほう、それは興味深いね」


 区切りがついたのか、女神くんはノートを片付けながらぽつぽつと教示する。


「この世界には、目的地に向かうための最適解があって、だけどそれは、空を飛んで山の上に行くようなものだって」


「つまり、誰にでもできることではないということかい?」


「ううん、誰にだってできるんだよ。でも、恥とかプライドとか慣習とか、そういう偏見でがんじがらめになると出来なくなる。()()()()()()()()()()()()()()から」


「ふぅん、なるほどねェ。まァ、勉強の最適解に僕を選ぶというのは、良い判断だと思うよ」


「はいはい」


 会計を済ませて、呆れ顔の女神くんと店を出る。あるいは、勘定を払わせるということも含めての話だったのだろうか。彼女の家庭事情を考えて払っているものの、利用されているような気がしなくもない。


「お金、出世払いで」


「そういう人は大抵返さないのだがねェ」


 見透かすように傲岸不遜な態度を取る彼女に、僕は肩をすくめる。


「まァ、出世できるかも、明日次第といったところだよ」


「自信ないわけじゃないよね?勉強に付き合ってくれてるぐらいだし」


「これはフェアな取引の延長だよ。どちらにしろ、仲間になることは変わりないのだからね」


「そうだね、ありがと」


 数歩彼女は先を行って、体を軽く傾げて微笑んだ。自分より小柄な少女の駆け足は、簡単に追いつけてしまえる距離だ。まだ、追いつける。足を前に出せばすぐにでも隣を歩ける。


 女神くんが駅の方角に妹を見つけて少し背伸びする。僕の方を振り返って彼女は手を振った。僕は軽く手を上げて示し、走り出した彼女の背を見送った。


 かばんが肩に少しだけ食い込んで、僕は背負い直した。もうすっかり夜だ。早く家に帰ろう。





 授業の始まりを告げるチャイムの音で、僕は朦朧とした意識から覚める。どうやらぼうっとしていたらしい。選挙候補者である僕たちは、他の生徒たちよりも少しだけ早く、体育館に向かっている。引率の先生なんかがいないのは、僕たちへの信頼の表れだと言えよう。


 二年生の先輩方は、僕たちの応援演説を兼ねているために、他の生徒たちと同じ時間に入場してくるそうだ。なんだかんだと六人で和気あいあいとしていた執行部での活動を思うと、こうして少しの緊張感と共に一年生の四人だけが廊下を歩いている状況を寂しくすら感じる。


「天枝、知ってた?監査委員会の選挙が信任じゃないのって、二十年ぶりらしいよ」


「そうらしいねェ。ちなみに、執行部の選挙が一二年生ともに決選投票になるのも、それくらい久しぶりのことらしい」


「聞いたか、()()?俺たち伝説になっちまうかもな」


「ほんっとになんで(まなぶ)が立候補してるのよ!ぽぽ先輩に応援演説断られたから諦めるって言ってたじゃん!」


「そこはツテを頼ってだなぁ。それに、()()だって迷ってたろ」


「それは……私、演説とか苦手だし……」


「大丈夫だっつーの。()()で無理なら俺はどうすんだよ」


「それもそっか。ふふ、そうだね」


「おいおい、何笑ってんだよっ」


 それほど面識の深いわけではない商業科の二人がにぎやかに話す前に、女神くんは軽快に歩み寄った。


「二人とも、仲が良いんだね」


 遠回しの注意のような、けれど本心でそう思っているような笑みを浮かべて彼女も会話に混じる。


「こいつがいちいち噛みついてくるだけっすよ」


「はぁ?学が……って、女神ちゃんっ!ご、ごめん。うるさかったよね」


「ううん、それくらい気楽にしてないと、選挙には勝てないものだよ。ね、天枝?」


「何か含みのある言い方だねェ。君は少し、緊張感が足りていなさすぎるんじゃないかい?」


 女神くんはやはりどこか子供みたいな、無邪気に世界を楽しむようなステップで僕の前に躍り出ると、穏やかに微笑んだ。


「それはキミもでしょうに」


 ツンと軽く鼻の頭を人差し指で突かれ、僕は思わず面食らう。びくりと震えた肩に、僕は自分が思っていた以上に緊張していたことに気が付いた。握りしめた手は、心臓のように脈動している。


「負けないからね」


「……ああ、僕だって」


 もしかしたら、この時にはもう分かっていたのかもしれない。僕は彼女に勝てないだろうということを。あるいは、僕自身が無意識に、彼女に負けてほしくないと思ってしまっていることを。


 長いようで短い八か月。入学式で、全校生徒へ向けた新入生代表の言葉を任された君の姿を見た日から、僕の覇道は歪んでしまった。誰よりも気高く、強く、賢く、公正で公平な導き手になりたいと思って、父の背を追って歩んできた道のりは、簡単に揺るがされた。


 けれど同時に、この生徒会長を目指そうと努力したこれまでの道のりで、君が隣にいるということが、どれだけ心強く思えたことだろう。心のどこかで、負けてしまってもいいとすら思うほどに。


 今年を締めくくる一大行事であり、僕にとって最初の生徒会選挙の記憶は、僕の中ではいつまでも朧気で、けれどいつまでも輝かしい記憶として残ることになった。演説の場で見た女神の横顔は、いつにもまして精悍で、弛みない自信に裏打ちされているように思えた。






 それから、投票を終えた教室ではホームルームもそこそこに、駆け足で生徒たちは帰っていった。部活動に参加している生徒以外は、明日の掲示板で結果を見るのが通例だそうだ。教室にはいつのまにか僕と女神くんだけしか残っていない。話しかけないというのも妙に気まずく、僕は何気ない話題を口にする。


氷堂(ひどう)先輩の応援演説、あれはなかなかに尖った紹介だったけれど、君はきちんと目を通したのかい?」


「自由にお願いしますって言ったら、ほんとに自由にするんだから。あの人、やっぱりちょっと変だよ」


「気持ちはわかるよ。だけれど、どうにも引き込まれてしまう部分も否めないねェ。口も達者で、この学校の生徒と相性がいいというか」


麻貴奈(まきな)先輩、結構緊張してたし、結果どうなるかな」


「さてね。まずは自分たちのことじゃあないか?」


 ふふ、とおかしそうに笑う彼女は、まるで結果が分かっているようだ。僕は自分の内心の不安に気取られないよう、平静さを保ったまま尋ねる。


「何がおかしい?」


「ううん、あんなに自分が生徒会長になるって言ってたキミが、変わったなぁって思ってさ」


「……それだけ、君を認めているというだけのことだよ」


 選挙結果の放送を待つわずかな時間では、勉強に手を付けることもできず、手持無沙汰な沈黙が妙にもどかしい。もう結果など聞かずに逃げ出してしまいたくなるような後ろめたさが、微笑む彼女を見ていると湧き上がってくる。


 胸のざわめきが、どうして苦しいのだろう。期待感とも、絶望感とも違う、胸を騒がす苦く甘く酸い感情。それを口にするのはフェアじゃあない気がした。恥ずかしさではなく、後ろめたさとして。この青い感情は、僕たちには必要が無い。


「女神くんこそ、変わったと思うがねェ。以前の君はもっと、一人で抱え込んでいただろうに。それも天使先輩の指導の賜物かい?」


「どうだろうね。私はただ、フェアにいきたいだけだよ」


「これは一本取られたね」


 僕が苦笑すると、彼女も冗談だったのかクスリと笑う。


 少しだけじれったい沈黙を裂くように、校内放送を知らせるジングルが鳴る。内容は分かり切っている。開票作業が終わったのだろう。



「選挙管理委員会より、生徒会執行部ならびに監査委員会の、次期代表選挙の開票結果をお知らせいたします。

 まず、信任投票の結果につきまして、立候補されました七名の生徒の内、七名全員の信任が認められました。この結果により、次期監査委員長には、三々百目(さざどめ)ぽぽさんが当選となりました。

 続いて、投票の結果につきまして、監査委員会副委員長の投票結果ですが、開票の結果、一年七組、舞針(まいはり)こはねさんの当選が決定しました。

 続いて、生徒会執行部の投票結果につきまして、生徒会副会長の決選投票ですが、開票の結果、一年三組、朱野(あけの)女神さんの当選が決定しました。

 最後に、生徒会長の決選投票につきまして、開票の結果、二年三組、氷堂空間(くうま)さんの当選が決定しました。

 なお、信任投票の結果により、天枝優栄(すぐえ)さんは生徒会書記に、神繰(かぐり)麻貴奈さんは生徒会副会長に、それぞれ当選となります。

 以上の結果につきまして、異議や再投票を————————」



 放送が終わるよりも少し早く、逸るように女神くんは立ち上がった。掲示板を確認しに行きたいのだろう。僕も最後まで放送を聞かずに荷物をまとめて立ち上がる。


「勝っちゃいました、ブイ」


「もう少し、気を遣ったりできないのかねェ」


 彼女は勝ち誇るように微笑んで、頬に二本立てた指を当てる。


「来週のテストのことを考えている人には必要ないと思うけどねェ、なんて」


 わざとらしく僕の真似でもするようにもったいぶった口調をする彼女に、僕はため息をついた。あまりこの少女を調子に乗らせないほうがいいのかもしれないと、今更になって後悔する。


「当然だろう。本当の戦いはこれからなのだからね」


「はいはい。それで、今日はどうするの?」


 まるで、選挙に負けたことを本気で気にしていないと思っているような、あるいはそんな信頼を示すように、いつも通り彼女はそう尋ねる。そんな飾りの無い態度が、もしかすると彼女にとってのフェアなのかもしれない。


 生徒会長になる。それは僕にとってただのマイルストーンの一つで、そこに特別な感情を持つことはないはずだった。責任やプレッシャーなんかも、僕にとっては当然のことで、父のように成長するためには、些事だと思っていた。


 けれど、高校に入って、女神くんと出会って、いや、もっとたくさんの出会いがあって、学んで、成長して、上手く行かないことも多くて、予想外のことに、知らない感情に夢も目標も簡単なことではないと思い知らされる。僕はフェアに————公正でありたいと思うけれど、そんな崇高な人間になるにはまだきっと、青すぎるのだろう。


「そのことなんだが———————」


 夢に置いていかれつつあるように思うのに、何故だか気持ちは穏やかで。まだ青臭いこの感情を、僕は捨てきれないでいるのだった。


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