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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 三年生
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第七十一話 そんな、光。

・主な登場人物

まながさき天使てんし:この物語の主人公。生徒会長。


朱野女神あけの めがみ:一年三組の女子生徒。記憶力が良く、一度見た物は忘れない。興味の無いことには無頓着。


初地ういち先生:通称マジョセン。気が付けば三年目に入った新人教師。執行部の顧問でもあるが、活動に口出しすることはほとんどない。


 この学校には、天使がいる。


 それは、非日常的なことで、非現実的なことである。思えば、そんなことは当たり前のはずで、天使がいる現状というもの自体に疑義を抱く方が自然なのだ。それでも、新入生ですらその非現実的な噂話を、日常の信仰として受け入れてしまうのは、ひとえに、天使と呼ばれる少女の持つ魅力故なのだろう。


 そして同時に、学校に入学した者は、あるいは教師でさえも、いずれは学校を去ることになるのが道理である。何か悪いことをしなくとも、むしろ、そうした品行方正な生徒であるほど、三年という期限を真っ当に過ごして卒業していく。


 天使がいるという日常。学校生活という日常。それらは相反しなくとも、いずれはどこかに飛び去り両立しなくなるということは至極当然のことなのだ。しかしながら、はるか遠くの太陽が、その暖かさ故にそばにいると思えてしまうように、天使の強い光は、その別れを悟らせはしない。


 眩しい光が突然に消えた後、闇は何倍にも増して暗く思えると、天使は知っている。しかし、それでも眩く彼女があり続けるのは、その光が、ただ彼女からのみ輝いているわけではないからでもあるのだった。





 夏休みが明け、台典商高は二学期に移行した。世間では、長い秋学期に鬱々とした気持ちになる生徒の多いこの時期だが、台典商高では、そうした生徒は少ない。というのも、台典商高では二学期にも行事が多いのである。受験勉強の刺々しい空気から離れた一二年生は、新しく企画された合同体育祭とやらに期待を寄せていた。学生時代の限られた夏。あるいはすでに、西高校の生徒と交友を深めた生徒も少なくない。


 時は流れ、九月末日の放課後。生徒会執行部は多忙を極めている中、しかし落ち着いた様子で、天使は一人、生徒会室に座っていた。手にした資料には、教員や教育委員会に提出される予定の、合同体育祭に関する内容がまとめられている。


「もうあれから一年かぁ。ふふ……あっという間だ」


 薄笑みを浮かべながら天使が資料をめくった時、静かに生徒会室の扉が開かれた。天使は軽く視線を寄越すと、少し驚いたようなその相手に座るように促す。まだ準備の出来ていないような、おずおずとした態度で、その少女は天使の近くの椅子を引き寄せて座った。


「合同体育祭、お疲れ様。ごめんね、企画しておいてあんまり運営に立ち会えなくてさ」


「いえいえ、西高の皆さんもいましたから、人手はなんとか。……あ、でも天使先輩がいないと、やっぱり士気は上がりにくかったですよ」


 少し真剣な表情で茶化す少女に、天使は落ち着いた笑みを浮かべる。


「今はもう、女神がいるから大丈夫、でしょ?聞いたよ、八面六臂の活躍だったって」


「それほどでもありません。形式上、実行委員長としてやれることをやったまでです」


「大事なことだよ。(みどり)も、一年生の体育祭の時は、クラス委員長として、似たような活躍をしてたからさ。ふふ、なんだか懐かしいな」


 一年生の二人は、生徒会執行部の活動に参加こそしているが、正式に役員というわけではない。そのため、合同体育祭においては、実行委員会という下部組織の運営を仲介することで、行事運営に参加することになったのだった。


「西高校の一年生の子はどうだった?来年も仲良く出来そうかな」


「……ええと、そうですね。優しい方なんだな、という印象でした。波泉(なみずみ)さんや合辻(あいつじ)さんとは違った印象です」


「反面教師ってことなのかもね。でも、女神ちゃんは遠慮しないでいいよ。企画も運営も、少し強引なくらいじゃないと、誰も納得させられないからさ」


 さらりと毒のある言葉を吐いて、天使は女神を勇気づける。苦笑いをした女神に、天使は資料を机の上に広げた。


「それじゃあ、当日の話を聞かせてほしいな。大成功、っていうのは紙面で見ても何も面白くないからさ。もちろん、女神ちゃんの私見たっぷりでね」


 頬杖を突いて、興味深そうに机に前傾姿勢になった天使に見つめられ、女神はゆっくりと息を吸った。静かな生徒会室は、ピンと糸が張ったように静謐で、けれどそれはむしろ、そこに自分がいることを肯定してくれているように言葉を待っていた。






 九月第三週の金曜日。両校から近い、市営のグラウンドを貸し切って合同体育祭は開催された。学校のグラウンドで行われなかった理由は、校舎で受験勉強に励む三年生への配慮である。


 夏の暑さがわずかに残る日差しの中、快晴で開会式が始まった。


「文化祭に引き続き、合同体育祭という形でまた西高の皆さんと交流できることを、台典商高一同、大変うれしく思います。また、この場を設営してくださった各校実行委員、生徒会執行部の皆さんにも、改めてお礼を申し上げます」


 何度も練習したはずなのに、今となっては何を語ったかも覚えていない。いや、覚えてはいるのだが、思い出すほどの価値のあることではないというだけのことだ。何を話したって受け入れられそうな、期待感に満ちた生徒たちの顔が、なぜか少しだけ意外で、どこか不安ですらあった。


 合同体育祭の進行は、つつがなく進んでいった。参加生徒数だけでいえば、通常の体育祭よりも一学年分多いことになるが、運営の立場にある生徒会は両校参加している分、指揮系統には余裕がある。とはいえ、まだ未熟な一二年生だけだからと、気を引き締めてはいたが、堅苦しさを無くそうという企画コンセプトが良く作用したのか、大きな問題が起こることはなかった。


 合同体育祭の、体育祭との大きな違いがあるとすれば、それは生徒主催の、生徒だけの行事ということだ。文化祭にしろ、体育祭にしろ、保護者や教師の目、競い合うことへの強迫観念を払拭することは難しい。しかし、合同文化祭では、競技ごとの点数や、最終得点が存在しているものの、その勝敗の価値や意味を大人が判断することはない。ただ生徒たちが、生徒自身の解釈で受け止め、交流の起爆剤とするだけだ。


「そう言えば、来年からは、台典新聞とか、TDS(台典放送局)とかの取材を受けるのもいいんじゃないかなって話が来てたよ。また、女神ちゃんが決めたらいいと思うけど、写真とか思い出に残す手段を増やすのはいいかもね。生徒会の仕事は校内のことが基本だけど、学校の役割は地域活性も含んでる。商業科は乗り気になるだろうし、考えてみてね」


 天使先輩の提案に、私はまだ市内に点在する公立校のことを憂う。もしも、公立高校全体で合同行事をすることになれば……いや、さすがに考えすぎだろう。それはもう、オリンピックとかそう言う規模の話になってしまう気がする。あくまでも、『当たり前』の。普通の学校生活の範囲で、少しの非日常を味わえるくらいの行事でいいのだ。


 非日常と言えば、合同体育祭の間、写真をせがまれる機会が多かったように思えた。


 文化祭同様、学校の授業中というくくりではあるが、例外的にスマホの使用が黙認されている行事であるため、競技の合間や昼休憩の時間には、生徒同士が写真を取り合っている様子が伺えた。実行委員として見回りをしていると、写真撮影を頼まれることもあるのだが、その延長として、撮影に巻き込まれたり、なぜか私個人の写真を撮られたりということすらあった。ある種友達付き合いの一環と思っていたが、思い返せば自分も高揚した空気に流されていたようにも思える。


「あ~、あるあるだね。女神ちゃんも気を付けた方がいいよ?欠伸とか一発で撮られるからね。心構えとしてはね、日ごろから写真写りが悪くなるようにしておくといいよ」


「悪く、ですか?」


「そうそう、そしたら、きちんと撮った写真の価値が上がるでしょ?するとね、声をかけてから撮ってもらえるようになるから」


 モデルの経験でもあるのか、やけに慣れた口ぶりで天使先輩はブランディングについて語る。私の写真なんて、誰が欲しがるのかと今更になって思うが、実行委員長というだけで思い出には十分なのだろう。あるいはそれは、未来の生徒会長ならなおさら。


「表に立てばそれだけ、色んな人から注目されることになる。少し不安になることもあるかもしれないけど、女神ちゃんなら、きっとその視線をきちんと扱えるようになると思うの。だから、きちんと皆の方を向くこと。……なんて、もう慣れた?」


「まだまだ緊張してばかりです。氷堂(ひどう)先輩みたいに、上手くおどけることもできませんし、反応が返ってくるまで、すごく不安です」


「前にも言ったでしょ。女神ちゃんは、そのままでいいの。そのままで、でももっと素晴らしい女神ちゃんに成長していけるんだよ」


 そのまま、ありのまま。ドロドロとした感情を溜め込んだままで、ありのままの自分なんてと思い続けているけれど、天使先輩がそう微笑むたびに、少しだけ自分を、自分のこれまでを認められそうな気がした。


「ありがとうございます。頑張ります」


「うん。体育祭が終わって、そうだなぁ……選挙活動を始める前までには、女神ちゃんへの引継ぎもしっかりするつもりだから、それまでは少し大変かもしれないけど、二年生と一緒に活動してみてね」


 合同体育祭の報告を終え、女神は少しだけ肩の荷が下りたような気持ちになった。大成功と生徒たちは口をそろえて言う。流石だねと、教師たちは言う。けれど、私にとってはどこか不安な、重荷を目の前にしたような気持ちになるのだった。





 それから、女神が退室してからしばらくして、天使も生徒会室を後にする。閉門時間までには他の執行部の生徒たちが鍵を閉めに来るだろうから、開けたままでも構わない。


 今頃、碧は家で勉強してる頃かな、と天使は薄暗い空を見た。いや、きっと彼女はだらけてベッドに寝転がってしまっているだろう。帰り際に電話でもしてみよう。


「あら、天使ちゃん。生徒会の仕事は済んだ?」


 昇降口に向かう途中で、職員室から出てきた担任教師とばったり出会う。


「大体は。マジョセンももう帰り?」


「こら、マジョセンじゃなくて初地(ういち)先生、でしょ?まったく……ええ、もう帰りよ。まったく、三年生の担任がこんなにしんどいなんて思わなかったわ」


「そーいうの、生徒に言って良いんですか?」


 おどけた態度でほほ笑む天使に、初地は砕けた表情を見せる。


「あなたにならいいでしょう?それに、あなたの資料をまとめてたから遅くなったのよ」


「またよろしくお願いしますね」


「ええ、それはもちろん。体育祭も、しっかり成功させましょうね」


 軽く手を振って別れた後、天使はまた、暮れなずむ空を見上げる。


「私の仕事も、体育祭でほとんど終わりかぁ」


 なんだかそれは、とてもうれしいことのような、けれどとても悲しいような。もう擦り切れて味のしなくなった思い出たちは、それでも心にまだ残っているようだった。



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