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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 三年生
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第六十九話 三者三様

・主な登場人物

朱野女神あけの めがみ:一年三組の女子生徒。記憶力が良く、一度見た物は忘れない。興味の無いことには無頓着。


天枝優栄あめのえ すぐえ:一年三組の男子生徒。自信家だが真面目な眼鏡くん。


氷堂空間ひどう くうま:二年三組の男子生徒。成績優秀でクラスメイトからの信頼も厚い。丁寧な口調は口癖。


 

 ぽつぽつと雨の降る音が、窓に全体を叩くように響いている。それなりに歴史のある校舎の壁は、雨粒が貫いてしまいそうなほどにその衝撃を僕の背に伝えた。不安が感覚を鋭敏にしているのだろうか。あるいは生来の神経質が、少しだけ緊張した気持ちのせいで発揮されてしまっているのかもしれない。


 僕は軽く手を上げて、時間通りにやってきた父に示す。元々、この台典商高の教師を務めていたこともある父は、わざわざ昇降口に迎えに行かなくても、迷う心配はなかった。


 父はいつも通りの仏頂面を変えずに、静かに僕の方まで歩いてきた。他のクラスでも同じように三者面談が行われているはずだが、不思議と廊下には他の生徒も家族の姿も無い。


「変わらないな、この学校は」


「それは、良い意味で?」


「どちらもだよ、優栄(すぐえ)。少なくとも、お前を退屈させるほどではないだろう。どうだ、最近は。学校生活は順調か?」


 希薄な日々の家族会話を埋め合わせるように、父はそう切り出した。


「もちろん。父さんを失望させるようなことはしないさ」


 そうだ。何も心配するようなことはない。成績だって、一番ではないが恥じるような部分は何一つない。校内での評判だって、誇るべきものだ。


 それでも、僕が教室の前で浅い息を繰り返すのは、僕よりも先に三者面談を始めているはずの少女のせいに他ならない。


 朱野(あけの)女神(めがみ)。僕よりも出席番号の若い、数少ない少女。高校最初の三者面談は、特別な事情の無い限り、出席番号の順に行われると伝えられた。必然、僕よりも一つ数の小さい彼女は、現在三者面談の最中だろう。


 不安、緊張、心配。その要因は、彼女の三者面談の内容にあるというわけでもない。同じクラスの友人であり、生徒会執行部への推薦を受けた同士である彼女は、成績においては僕よりも良いだろう。運動部にこそ入っていないが、不足ない身体能力は体育でも十分に発揮されている。


 彼女について、特別に評価するべき点があるとすれば、それは高い記憶能力だ。日常の何気ない会話や、さりげない動作。そのクセや細かな情報を勘定した判断は、さすがの僕でも完全に真似できそうにはない。とはいえ、彼女の自己肯定感の低さは、その長所を打ち消して余りあるように思える。彼女がクラスを導けば、文化祭ももっと良い評価を得られたと思うのだが。


 ともかく、面談内容を心配するような生徒ではないのは確かだ。僕の心配は別にある。


 それは、父に彼女のことを話していないということだ。入れ替わりの際、多少なりとも話す機会は訪れるだろう。父のことだ、クラスメイトとの人脈形成も考えて、僕の交友関係に関わらず、話しかけることも考えられる。


 父と彼女、あるいはその親が話すということは、僕にとってはどんな波紋を起こすか分からない状況だった。父には、僕に生徒会長を目指しあう相手がいるなどとは伝えていない上、生徒たちの評価はともかく、僕よりも成績の良い相手だとは伝えられるわけもない。


 もしも、父に失望されるようなことがあれば、面談のコンディションにも関わる。まして、担任は成績の点についてごまかすようなことはしないだろう。だからこそ、いかに彼女の印象を下げずに、好敵手であることだけを伝えるべきかを思案していたのだった。


 父は黙ったまま、何度も時計を確認する。もうすぐ予定時間だ。教室の中から、椅子を引く音が聞こえてくる。


「父さん、その……一つ、話しておきたいことがあるんだ」


「……なんだ」


 僕は、女神くんが教室から出てきた時に紹介しようと口を開いた。父は何気ない相槌を返した。


 ガラガラと教室の扉が開かれる。ひょっこりと担任が顔を出し、教室の前に置かれた椅子に座った僕たちを見て、驚いたように破顔する。


「あら、天枝(あめのえ)さん。もう、来ていたなら言ってくれればいいのに。さぁ、お父様もどうぞ」


 優等生の面談は憂いが無いのだろう。担任は上機嫌で僕たちを中に招く。


 父は物言いたげな目で僕を見下ろした。僕は、肩透かしを食らったような気分で首を軽く横に振る。


「中で話すよ。紹介したい友達がいるんだ」


「そうか」


 父はぶっきらぼうに言って、僕より先に教室に入った。教室の中は、今ようやく準備が済んだ様に、きれいに整頓されていた。がらんと空いた教室の壁の向こう、窓から見える黒い雨雲は、僕の心を表しているようだ。雨を晴らすことができず人が空を睨むように、なぜ女神くんがいないかを僕が知ることはできない。あるいは、それを彼女自身に聞くことはフェアではないと思っているのかもしれない。


 憂いがあろうと、迷いがあろうと、僕は前に進むしかない。そうして、人を導くのが僕の進むべき道なのだから。





 雨の音は静かに私を閉じ込める牢獄のようだ。自由に世界へ飛び出していける妹とは違い、私は今も、孤独な教室の片隅で外を眺めるばかりだ。


 孤独と言っても、この教室には私一人だけというわけではなかった。校舎の片隅、生徒会室には、もう一人の男子生徒が、私と同じように資料に目を通している。


 一つ上の理系の先輩。同級生の麻貴奈(まきな)先輩曰く、信用ならない怪しいペテン師みたいな人間。私もその印象には概ね同意するところであり、いつも余裕そうな口調はどこか天枝とも重なって気に食わない。


「どうでしょう、目は通せましたか?」


「ええ、まあ」


 私は彼から渡された資料から視線を上げた。他に人がいなくても、何となくいつも通りの席に座ったせいで、氷堂(ひどう)先輩は教室のほとんど反対側にいる。


 今日は三者面談がある影響で、ほとんどの部活動は休みになっているらしい。校舎内は生徒会執行部に代わって、数名の教師が巡回しているらしく、本来ならば生徒会も今日は休みのはずだった。にもかかわらず、私がここにいるのは、天使先輩の指示だ。


 私と天枝を先輩たちが指導する。そんな提案を受けてから、もう一か月になる。一学期は終わりに近づき、夏休みを目前としても、私は成長を実感できないままだ。それもこれも、天使先輩があれからまるで指示を与えてくれないから、というのは私の至らなさ故なのだろうか。


 生徒会とは別件で忙しそうな——本来、受験生なのだから当たり前なのだが——天使先輩は、これまで二人で行っていた校内の巡回や生徒たちの問題解決を私一人で見てくるようにと言った後は、生徒会室に顔を出すことも無くなった。恥を忍んで藍虎(あいとら)先輩に尋ねてみても、深い事情は知らないらしく、天枝に縋るわけにもいかず、だらだらと日を過ごす形になっている。


 そんな天使先輩から、久しぶりに連絡が来たと思えば、生徒会室で氷堂先輩の仕事を手伝ってほしいというものだった。しかも、その仕事は、どこで使うかも分からない簡易なアンケートの作成業務だ。ほとんど終わりかけていたその業務の見学をした後、先輩の提案で、私は数枚のアンケート資料に目を通すことになった。回答内容は基本的な情報から、多少踏み入ったことまで様々だ。回答者の視点から見れば、答えづらいと思う文もいくつか見られた。


「それでは、お互い自己紹介も兼ねていくつか項目をさらってみましょう」


「自己紹介、ですか?」


「ええ、同じ生徒会のお手伝いですが、お互いにあまり身の上なんて話さないでしょう。良い機会ですし、インタビューのような感じで、暇つぶしのつもりで気楽に行きましょう」


 思えば、私と天枝の状況と同じく、氷堂先輩と麻貴奈先輩は共に生徒会長を目指しているらしいが、結局のところ、来年度の執行部に二人が揃っていることには変わりがないはずだ。なんとなく、ずっと天使先輩に教えてもらえるのだと思っていたが、そんなはずはない。来年は先輩たちの下で動くことになる。そう考えると、仕事と切り離された先輩のことを知ることは、有用なことであるように思われた。


「分かりました。ええと、まず名前は朱野女神、高校一年生です」


「女神、ですか。実に良い名前ですね。朱野さんは、自分の名前が好きですか?」


「え?……ええ、まあ」


 唐突な深掘りに面食らう。


 自分の名前は好きだ。()()、なんて大それた名前だが、そのことを恥じたことはない。それは産まれた私に寄せられた期待であり、責任でもあるからだ。私はどう足掻いても『女神』という名の人間であることからは逃げられない。だからこそ、結日(むすび)を姉として守らなければならないし、立ち止まってなんていられない。それが普通のことではないのだとしても、私は私らしく生きるしかないのだから。


「それは結構。互いに、という話ですから蛇足を加えさせていただくとするならば、かく言う僕は、自分の名前というものがどうにも苦手なのですよ」


「それはどうしてか、聞いても構いませんか?」


「そう遠慮されなくても構いません。なに、少し嫌な思い出が多いというだけの話です。それに、どうにも読み間違えられやすくもある。間が空くと書いて、空間(くうま)。どうにも非直感的な読み方ですから仕方がない。間が空けば、当然間も悪くなるというもの。()()、悪魔なんて言われることもありました」


「面白い、言葉遊びですね」


 先輩に言われて初めて、そんな読み方もできると気が付いた。悪魔と聞けば、対のように天使のことも思い当たる。悪魔と呼ばれた先輩。天使と呼ばれる先輩。女神と呼ばれる私。コンプレックスになるかどうかとは別にしても、少なからず問題を抱えて、身に余る葛藤を抱えたのはきっと私だけではないのだろう。天使先輩は一体、どのように自分を受け入れているのだろう。


「面白い……ええ、ええ! 面白い言葉遊びですね。それでは、次の項目に行きましょうか」


 好きな食べ物、嫌いな食べ物。休日の趣味、得意な科目。当たり障りのない質問に、当たり障りのない回答をする。社会的で文化的で気さくで親しみやすい回答をする。


 不意に、氷堂先輩は質問紙をめくる手を止め、私に視線を向けた。


「ふむ。かなり朱野さんのことが分かってきたように思えますね。しかし、そう堅苦しい答えを心掛ける必要はありません。休日の趣味、散歩に読書、妹さんとのお出かけ。実に結構ですが、もう少しクリティカルな回答をする方が、人との関係を深めるにはいいでしょう」


「クリティカル、というと?」


 事実として、私の休日はほとんど妹との時間だ。それを除けば、授業の宿題をする時間くらいのもので、これ以上具体的にするのも難しい。それに、暇つぶしと言っていた割に、まるで教鞭をとるような言い草だ。私は、先輩のとっておきの解答があるのかと期待して質問を投げる。


「そうですね。例えば、日曜日には妹に付き添って『お祈り』に行く、とか。あなたの人となりを良く表わしているでしょう」


 淡々と発された言葉に、一瞬のうちに冷たい刃を首筋に押し当てられたような気分になる。言いようのない気まずさが部屋中に漂い始め、私は立ち上がることも難しい。時間の流れが酷く遅く感じられる。おかげで頭はいつもよりも冷静に思考できる気がした。


「もしかして、氷堂先輩も『アムネシア』に?」


 私は小さな——彼の弁に添うなら、クリティカルな——可能性に賭けて、そう尋ねた。


 『アムネシア』はPTSDやそれに準ずる心的な問題を抱えた人や、他にも様々な生きづらさを持つ人々による互助会だ。宗教的な側面は無く、献金や会費みたいなものは無い、ただの集まりでしかないらしい。

 学生である私や結日が行っても疎外感はなく、むしろ暖かな人たちの集まりだと感じられる。始まりは十数年前の震災の頃らしいが、数年前に管理体制が変わり、それ以降じわじわと参加する人は増えていると聞く。とはいえ、台典市にしかないマイナーな団体であり、はっきり言えば特別性もないただの貸しスペースに小さな祭壇があり、少しの会話交流をする場所でしかない。普通は縁も無い、一見したとしてもすぐに忘れてしまうような団体だ。


 だからこそ、この質問は賭けだ。もし、先輩が『アムネシア』を知らなければ、私は怪しげな場所に出入りする存在だと思われるかもしれない。反対に、先輩が『アムネシア』の利用者なら———————。


「ええ、まあ。ですが、朱野さんの考えるような存在とは違うでしょう」


「それは、どういう意味ですか」


 見透かすような先輩の言葉に、資料を持つ手に力がこもる。


「僕は、あの場所で弱さを嘆くような人間ではないということです。あなたと同じ、傍観者にすぎません」


 氷堂先輩は立ち上がり、ゆっくりと私の方に歩み寄ってきた。


「まるで、『アムネシア』の人たちを馬鹿にするみたいな言い方ですね」


「ええ、そうですとも。あの方々は本質的に弱くもろい。その上で弱さを他人に開示することに抵抗が無い。あまりにも迂闊で、優しさというものを信じ切っているのです。だからこそ、誰もを受け入れられる暖かさがあるとも言えますがね」


「先輩は、それを弱さだと言うんですね。人に頼ってでも、立ち上がろうとした人たちを、弱い人間だと」


 私の言葉に、氷堂先輩は声を押し殺して笑った。机に手を付いて体重を預けると、雨の降りしきる窓外に視線を投げる。


「先輩は、どうして『アムネシア』に?」


 それは純粋な疑問だった。少し前に先輩が漏らした話——名前が嫌いだという——を踏まえるなら、いじめやあくどい宗教詐欺の類か。どちらにしても、似た事例で苦しんだという人は『アムネシア』には少なくない。


「それも、あなたと同じ、と言っていいでしょう。今日この日に、僕たちがこの教室にいる理由でもあります」


 少し思案して、それが家族のことを示唆しているのだと分かる。先輩たちも今日は三者面談の日程だ。だが、面談の日程次第では活動していたっておかしくはない。少なからない数の部活動が、認可を得て今日も活動しているはずだ。なぜ、本来ならば、出席番号一番となる私の面談の時間である今、私がここにいる理由を先輩は知っている風なのだろう。あるいはそれは、『アムネシア』と何の関係があるのだろうか。


「あなたにとって、あの場所は妹を寝かしつけるベッドメリーに過ぎない。その弱さに共感することはあっても、あなた自身は心を閉ざし、それが強さだと思い込んだままだ」


「知ったようなことを、言わないでください」


 諭すような口調が癇に触れ、つい反抗的な言葉が口をつく。先輩の前だからと取り繕おうとしていた態度も台無しだ。


「知っていますとも。お母様のことも、ご家庭の事情もね。だからこそ、あなたがこうして台典商高にいることは嬉しく思うのです。そして同時に、踏み出そうとしないあなたを見ると、悲しくもある」


「私は、先輩のことなんて、ここに来るまでは知りませんでしたし、今も、何も知りません」


「ええ、そうでしょうとも。それが僕なのですから。それが、僕らしさであり、あなたらしさとは異なるものです。僕は天使のように自由であるつもりも無く、女神のようにすべてを受け止めるつもりもありません。どんな手段を使っても、やるべきことをやるだけです」


 氷堂先輩は、身をこわばらせて座ったままの私の後ろに立ち、パイプ椅子の背にそっと手を乗せた。


「僕は、あなたには期待しているんです。もちろん、天使ほどではありませんが」


「……私は、先輩のこと、嫌いです」


「それは恥じることでも、遠慮することでもありません。非道な悪魔を好きな人なんて、どこにもいませんからね」


 自嘲気味に笑った氷堂先輩は、道化たように椅子から離れた。


「失礼。暇つぶしのつもりが踏み入った話をしてしまいました。しかしまぁ、天使先輩がわざわざ、私に朱野さんの面倒を見るように頼んだのですから、これくらいの発破は必要でしょう」


「勝手に納得しないでください。先輩に勇気づけられたりなんてしませんから」


「そうですか?それは結構ですが、果たして天枝くんに勝てるのやら」


「勝てますけど?勝ちますから、先輩は私と同じ副会長になって悔し涙でも流してください」


 私が眉を寄せて先輩を見ると、彼は余裕そうな表情で私を見つめていた。それから、ふっと緩んだ様に笑うと、肩をすくめる。


「やはり、あなたはそうしてありのままでいる方がいい。気なんて使わなくて構いませんよ」


「ご忠告どうも」


 雨の音は静かに窓を叩いている。それでも、私は空を睨むことはない。雨の冷たさを覚えている。けれども、それ以上につないだ手の温かさを覚えている。それが普通でなくても、苦痛だとしても、その記憶こそが私を作り上げてきた。


 言われなくたって、私は私らしく生きる。そして、私は私のやるべきことをやるだけだ。




 それから、しばらくの間私は氷堂先輩と暇つぶしのインタビューを続けていた。暇つぶしと言っても、そもそも用事が無ければ際限が無くなってしまう気もしたが、それを指摘するやる気も無い。


「天使先輩は、なんでちゃんと私の面倒を見てくれないんですかね」


「十分に見ていると思いますがね。その上で、朱野さんにふさわしい育て方がこれだと思ったのでしょう」


「これってどれなんです?意地悪な先輩に生徒会室でいびらせるのが正しいって言うんですか?それとも、放置する方が良いってことですか?」


 氷堂先輩は、知る物かといった風に首を傾げて肩をすくめる。


「天使先輩の考えが分かれば、藍虎先輩も苦労はしないでしょう。それに、常に正しいことなんて、この世界には少ないものです。あなたにはあなたのための、天枝くんには天枝くんのための指導方法があるのでしょう」


「口先でごまかそうとしないでくださーい」


 私は氷堂先輩の詐欺師のような口調に飽き飽きとして、机の上に体を投げ出して伸びをする。もうこのまま眠ってしまう方が有意義なのではないかとすら思えてくる退屈さにあくびが出たとき、生徒会室の扉が開かれた。


「ここにいたのか、女神くん。君ィ、生徒会室でだらけるのはよした方がいいと思うがねェ」


 思わず大口を開けたまま、扉の向こうでやれやれと首を振る天枝を見つめてしまった。


「えっと……面談は終わったんだ?」


「ああ、そうだ。そのことで君に話したくてね。父上から直々に君をライバルとして認めてよいとお墨付きをもらったんだよ。まぁ、君の成績なら申し分もあるまいに、心配はしていなかったがね」


 なぜか誇らしげにそう言う天枝に、私は首を傾げた。


「……だから、なに?」


「ん?もっと嬉しそうにしたまえよ、君ィ。君はもっと堂々と僕のライバルらしくしていいということだよ」


「そんなの、あなたの親とは関係ないことでしょ?私は私で勝手にやるから、あんまり話しかけてこないでほしいな」


 私はふんと鼻を鳴らして机に突っ伏した。どいつもこいつも私の心配ばかりで嫌になる。私はそんなに弱くも、卑屈でもない。誰よりも自分のことは自分が信じている。


 天枝は困惑したように氷堂先輩を見た。先輩は、笑いをこらえるように視線をそらし、責任は自分にはないかのように振舞う。


「……まったく、心配した僕が馬鹿だったよ。分かったとも、これからは敵だからな。君も、僕に泣きついてきても知らないからな」


 珍しく起こった様子で声を張った天枝は、映画みたいに指さして忠告した後、踵を返した。


「いいんですか、彼の機嫌を損ねたみたいですが」


「知らないですよ、敵ですから」


「おやおや、そうでしたね」


「先輩は、麻貴奈先輩と仲良いんですか?」


「僕は生徒の全員と良好な関係を築いています」


「噓くさぁ……」


 雨の音にかき消されるような小さな声で氷堂先輩は笑う。本当にこの人は苦手だ。

 けれど、苦手で嫌いだと思う人が増えるたびに、どこか私はこの世界にいて良いのだという安心も同時に感じてしまう。それがなぜなのかは分からないけれど、もう少しだけ、この不快で気に入らないもどかしい時間が、もう少しだけ続いてもいいのかもしれないと思うのだった。




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