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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 三年生
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第五十七話 受胎告知

・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。天使ちゃん。現在生徒会執行部副会長。


朱野女神あけの めがみ:台典二中の女子生徒。学校では生徒会長を務めるお転婆な少女。記憶力が良い。


朱野結日あけの むすび:台典二中の女子生徒。女神の双子の妹。運動神経が良い。

 

 擦り合わせた手に吐かれた息が白い。指の間をすり抜けて、水蒸気は消えていく。


 愛ヶ崎(まながさき)は、休日だというのに忙しなく行き交う人々を眺めていた。駅前のランドマークは、まだ混みあっていない時間だ。誰を待つでもなかった愛ヶ崎は、退屈に飽きて立ち上がった。厚いロングコートを軽く手で払って、バス停へ向かう。


「まだ一月なのにな……」


 春を待ち遠しく思う間に雪に埋もれてしまいそうな台典市は、年が明け、例年よりも厳しい寒さに襲われていた。


 ため息の混ざった深い吐息は、顔の前で合わせた手で跳ね返り、大きめの伊達眼鏡を曇らせた。ロクなことが起きない、なんて考えていると、去年も同じようなことがあったことを思い出す。いや、むしろ思い出すために、今日、私はここに来たのだ。


 髪の毛は高めに一つくくり。ロングコートはすっかりくたびれている。防寒に着込んだシャツは、暗い三原色だ。見せたい相手もいない。見られてうれしい誰かはいないのに、嫌になるほど感じる誰かの視線を避けるようにくすんだ色の服ばかりを手に取った。元々、色気に縁のある方ではなかったが、それでも、去年はもっと外出を楽しんでいたような気がする。


 キャップに押し込められた結び目が、歩くたびに窮屈さを主張する。バスに乗ったら脱ごうと思いながら、誰を探すでもなくキョロキョロと視線を動かしながら駅を進んだ。


 バス停は相変わらず閑散としていた。テーマパーク行きとはいえ、来場者の多くは家族連れで、自家用車を持っている人がほとんどだ。あとは散歩ついでに寄るご老体が少々。


 少し偏見が入っているだろうかと、軽く息を吐いた。上向きに吐き出された息は、煙のように立ち上って消える。天の川みたいだと何度か吹いて、バスのエンジン音に振り返る。バスは去年と変わらず、少し古ぼけた機体だった。


 一年という歳月では、変わらないものも多い。それでも、確かに変わってしまったものもある。


 愛ヶ崎は、カードをかざして一人用の席に座った。残高は確認するまでもなく足りるはずだ。


 壁に寄りかかり、冷気の浸みてくる窓に視線を投げる。キャップ越しに冷たい窓の温度が伝わる。温度差で曇ったガラスは、泣いているみたいだった。





 この町には、天使がいるらしい。


 残念ながら、私はまだ、その天使とやらに会ったことが無い。まだ成人にもなれない青二才なら、仕方がないだろう。だけれど、ただ年月だけを重ねた、部屋の隅に溜まった埃のような大人だって、きっと見たことは無いのだ。


 誰も見たことが無い天使は、どこかで誰かを助けているらしい。実はあれは天使だったのだ。天使が救ってくださったのだ。そんな世迷い言は、この町では定番のジョークのように浸透している。


 目を閉じれば、今でもそこに見えているような気がする光が、北極星のように私の道を照らしていた。きっとあれは天使だったのだろう。あの光は、天使の羽の乱反射だったのだ。


 そんなわけがないと、大人びた苦笑で振り返ると、愚直な自分が笑っている。いつも笑っている。楽しいから笑っているのではない。嬉しいから笑っているのではない。あの光以外何もない人生で、笑うしかなかったから笑っていたのだ。


 だけれど、振り返って見るその笑顔は、馬鹿らしくなるほど明るくて、素直に見えて、迷いなどないかのように元気だ。冷たくなってしまった私を融かしてしまう恒星のような笑みたちは、無垢に可憐に純粋に、私に問いかける。


「「「「「私は天使になれた?」」」」」


「——()()()()()。天使なんて、この世界にはいないんだから」





 一年ぶりに訪れたその動物園は、前と変わらず積雪でも営業していた。きっと併設の遊園地も変わらず営業しているのだろう。


 少し懐かしい気持ちになりながら、チケット売り場への道を進む。来場者はそう多くない。入り口はガラガラだ。


 人の居ない通路の空白に、幻覚のような思い出が蘇る。


 小さな段差をゆっくりと渡る丸背(まるせ)先輩、優二(ゆうじ)くんと手を繋いでお兄さんのように優しい笑みの亜熊(あぐま)先輩。その後ろを、気を配るように少し前かがみで着いて行く私。懐かしいというよりも、なんだか子供の成長を見守る親のような気持ちになる。果たして自分の親が、そんな穏やかな心境だったかは分からないが。


 チケットを買い、目当てもなくブラブラと園内を散策する。気晴らしに見る動物たちは、策謀にも計略にも悩まされない様子で、のんびりと餌を食べていた。しかし彼らもまた資本主義という檻に囚われた哀れな——というのは穿ちすぎだろう。


 折角だし餌やり体験をしてみようかと思ったものの、一人では勇気が出ない。いや、勇気というよりも、自分は不適格であるように思えてしまうのだ。周りに家族連れや初々しいカップルがいるわけでもないのに、どこか気が引けてしまう。


 そんなことを考えながら進んでいると、ゾウのエリアが近づいてくる。檻の近くにいるカップルのような来場者の姿に、唇を噛んだ。ほんの一瞬、甘いような少し苦い思い出がちらつく。仲睦まじげにつながれた手を見て、心底嫌気がさした。


 あふれ出した悪感情は、底の抜けた心の底深くに流れ落ち、やがて元通りの冷たく広い空気が満ちる。もう白くなくなったため息を残して、遠間からゾウを眺めた。あんなノロマな動きを見て、彼らは何を楽しく思うのだろう。巨体の間に流れる雄大でスローテンポな時間が、今は退屈で仕方がなかった。


 幸いにも、今日は来場者が少ないようで、去年のように人混みに悩まされることはなかった。自販機でミネラルウォーターを買って、少し休もうと休憩スペースに足を運ぶ。


「————?」


 ペットボトルのキャップを開けようとして、休憩用のベンチに少女がうつむいて座っていることに気が付いた。スポーティーな上下の少女は、自分よりも幼く見えた。高校生か中学生くらいだろう。疲れた様子というよりは、何か悩み事があるような感じだった。


 ふと、話しかけてみようかという思いが湧きたつ。それは、ゲームでNPCの頭の上に、突然ビックリマークが付いたような気分だ。話しかけるという選択肢が、唐突に芽生えた。


 当然ながら、それは迷惑な行為であることも確かで、そう言う人がいることも確かだが、一般には迷惑だと分類されると認識している。でもまあ、私は華の女子高生なわけで。別に彼女が何であれ、若気の至りということにしてもいいのかもしれない。


 理性というべきか、冷めた思考が止めた方がいいと告げてくる。まあまあ、そんな真剣に取らないでほしいところだ。私は天使でもないのだから、そんな変なことをするわけがない。


 とはいえ、動物園で一人落ち込んだような、苦悩したような少女の姿は、他人に期待をしない私の心にも、どこか親切心のようなものを少しは抱かせるものであって、あるいはそれは、かつての愚かで盲目で純真で清廉だった過去の自分を思い出させるからなのかもしれなかった。


 過去の自分を思い出させる——そんな期待をしても、応えてくれる人はどこにもいない。自分のできることなんて誰にだってできると思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。


 私が頑張れば頑張るだけ、困るのは次の世代だ。重いあこがれを背負って、奈落へ飛び出そうとする雛鳥を、わざわざ目にかけるのも苦労が多かった。それで谷底の河の水泡に帰するのなら、骨折り損どころではない。


 結局のところ、自分と重ね合わせるだなんて、ただのエゴでしかないのだ。意味のない期待、必要のない重圧。きっと彼女も、大したことのないことに悩む、普通の少女に過ぎないのだ。


結日(むすび)~! って、のわああぁぁぁっとっととぉ!」


 感傷に浸りながら、改めて水を飲もうと口元にボトルを近づけたとき、不意に後ろからやってきた少女がつんのめってこちらに飛び出してきた。


「————っぁぶ!」


 すんでのところでかわしたものの、急な体の捻りで水がこぼれ、コートにかかってしまう。暗い色の生地には染みが目立たなかった——と安堵したのもつかの間、転んだ少女が持っていたと思われるソフトクリームが、虹のように放物線上の跡を白く残していた。残念ながら彼女の両手には包装紙だけが残され、すっぽ抜けたソフトクリームが二つ、地面に気だるげに横たわっている。


「……えっと、大丈夫?」


「あいてて……す、すみません。靴紐解けちゃってたみたいで……」


 天然なのか、それとも相応の知能なのか、少女は朗らかに笑う。傷はそう深くないようだが、転び慣れているのか気にする風でもなかった。


「お、お姉ちゃんっ! 大丈夫!? というかなんでアイス……って、付いてる付いてる!」


「あっ、大丈夫だよ。これくらい、払えば取れるし」


 慌てた様子でベンチから飛び出してきた、妹と思われる少女がコートを拭こうとするのを軽く制止する。手持ちのハンカチでソフトクリームの跡をなぞると、うっすらと白い染みが残った。まあ、あまり着ないものだし良いだろう。


「いっ、いえいえ! よ、汚しちゃってすみませんっ! ほら、お姉ちゃんも謝って!」


「わっ、ほんとだ! すみません、お姉さん」


 怒るほどのことでもなく、むしろ自分がお姉さんと呼ばれたことがなんだか感慨深い。


「全然大丈夫だよ。それより、ソフトクリーム……」


「わぁっ、そうだった! せっかく買ったのにぃ」


「いやいや、なんで買ってきたの? 冬だよ、今」


「でも、待ち合わせ遅れちゃったし、結日怒ってるかなって」


「今は怒ってるけどね。誰かさんが人様のコートにソフト引っ掛けるから!」


「うううぅ……」


「あはは、ほんとに大丈夫だって。二人は姉妹なの?」


 やけに準備の良い妹の少女が姉の膝に絆創膏を貼ると、姉のほうもようやく立ち上がった。


「はい、そうなんです。でも、あんまり見たいものとか被ってなくて、別行動してここで待ち合わせだったんですけど……」


 妹は肩をすくめて姉を見た。


「だってここ広いんだもの……」


 姉は悪びれる様子もなくしょんぼりと肩を落とした。妹より少し背が高いが、運動神経はあまり良くなさそうだ。落ち着きない様子でキョロキョロと周りを眺めている。


「二人は高校生?」


「いえ、まだ中学で……お姉さんは大学生ですか?」


「ううん、私はまだ高校生だよ。」


 大人に見られたことを嬉しく思うべきか、老け顔だと落ち込むべきか悩むラインだが、大学生と間違われるのはまあ良い方だと思いたい。


「高校……あぁっ!」


「……どうしたのお姉ちゃん、急に変な声出して。餌やりの時間ならまだあると思うけど」


「違うよ、結日。この人、どこかで見たことあると思ったら、台典商高の人だ! 私、去年の文化祭で写真を撮ったもの! 眼鏡してて気が付かなかったけど、ほら、副会長の!」


「副会長……って、天使先輩!? あのホームページに載ってる!? この前の選挙で会長になった人だよ!」


 愛ヶ崎は当人そっちのけで驚く二人を見て、呆気にとられていた。校内でチヤホヤされたり、噂の的になったりすることは少なくなかったが、ここまで校外で直接的に目の前で言われることは多くない。それも、直接の後輩でもない中学生にとなると、やはりやや気恥しかった。


 というか、ホームページにはそんなことまで載っているのか……新聞部が何枚か噛んでいそうだと、頭の中の予定表を組み替える。


「私、朱野(あけの)結日って言います! あ、あの私、台典二中で、そのっ! 台典商高が第一希望なんですっ! それで、先輩のことも、あのファンというか! ね、お姉ちゃんも!」


「あ、えと、朱野女神(めがみ)、です。その、先輩だとしたらなおさらすみません。コート、汚してしまって……」


 愛ヶ崎は、先輩らしくおおらかな態度でほほ笑む。


 女神——そんな名前を臆面もせずに名乗るのは、彼女がそれだけ自分に自信があるからなのだろうか。あるいは、ただの記号に過ぎない文字列によって差別されることがあることを、まだ知らないというだけかもしれない。


「大丈夫だよ、結日ちゃんに女神ちゃん。台典商高希望かぁ。なら生徒会長、愛ヶ崎天使(てんし)として、ばっちりエスコートしてあげなくちゃね。」


「お、お願いします!」


 どちらにしても、己の不幸を理由に、幸せでいる誰かを妬む権利はなかった。過ぎた時間は取り戻すことができない。それがどれだけ苦しくても、眩しくても、今を後悔しない選択をすることしかできないのだから。あるいは、そんな彼女の純真さを守ることこそが、私の『やるべきこと』なのかもしれない。


「あの、本当にすみませんでした。コートのこと……」


 お姉ちゃんが買ったらまたこぼすから! と結日ちゃんは屋台の方へと向かった。なんだかんだソフトクリームは食べたかったのかもしれない。


「大丈夫だってば。私も結構そそっかしいところあるから、服を汚しちゃうこともあるしさ」


「うううぅ……ありがとうございます……」


 生徒会長として、人を導く立場にあるからには、こういう時は少しくらい叱った方が良いのかもしれなかったが、困ったように目をぐるぐるとさせる小動物のような彼女を追い詰めるようなことは気が引けた。なんだか愛嬌のある少女だと目を細めて観察する。


「二人は仲が良いんだね。私、兄弟いないから、なんだか羨ましいや」


 せわしなく手遊びをする女神ちゃんは、それでもずっと結日ちゃんの方を見つめていた。心配でというよりも、そうしていることが自然というその様子に、二人の日常を感じる。


「私たち、双子なんです。生まれたときからずっと一緒で、それで仲良くなったというか、仲良くいないとダメだったというか。()()()()()()()()()()


「唯一の————?」


 写真でしか知らない父のことを思い出し、聞くに聞けない境遇を推し量っていると、ソフトクリームを両手に持った結日ちゃんが戻ってきた。


「ほら、抹茶ハーフで良かった?」


「うん。いつもの、だね」


 暗い陰を見せずに女神ちゃんは笑ってソフトクリームを受け取った。妹の結日ちゃんはストロベリーハーフだ。なんだか少しイメージとは反対な気がして、私はまだまだ彼女たちのことを知らないのだと思わされる。

 それもそうだ。ここで初めて会って、まだ数十分程度の仲なのだから。分かった気でいるのは少し傲慢すぎただろう。


「二人は双子ってことは、女神ちゃんも台典商高を目指してるの?」


 女神ちゃんは、ソフトクリームの先端が倒れないようにじっと見つめながら、小さなスプーンですくった。


「はい、というか私の進学先に、結日が合わせてくれようとしているんです。手続きとか、色々大変で、両親が困らないようにって」


 何気なくそういう女神ちゃんに、ご両親は健在なのかと内心ほっとする。


「そうやって余裕ぶっていいよねお姉ちゃんは……もうあと一か月とか、信じられないよぉ……」


「あはは、まあ大丈夫だって。結日、内申点は問題なかったんでしょ?」


「それは大丈夫だけどさぁ……問題は試験でしょ。星座出たら詰む」


「あれこそ覚えたらいいだけの所だよ? 結日はもうちょっと算数をやっとかないと」


「数学! 数学だよ! くそぉ、生徒会長さんは勉強もできていいですね!」


「え?」


「はいはい、また教えてあげるから怒らないで。分からないと思うから分からなくなるんだよ」


 突然呼ばれた役職に驚いてしまったが、すぐに生徒会長というのが女神ちゃんを指していることに気が付く。後付けの感想でしかないが、確かに姉としての彼女は、どこか落ち着いた様子で先ほどまでのそそっかしさは息を潜めていた。学校ではむしろ、そんな大人しい清廉な印象なのだろうか。


「ああっ! お姉ちゃん、アイス垂れてるっ」


「え? うわああっ!」


 会話に気を取られているうちに、女神ちゃんのコーンの先端から、溶けたソフトクリームが漏れ出していた。彼女が大人しいというのは、やはり勘違いだったようだ。きっと学校でも変わらず、お転婆で愛されているのだろう。


 少しだけそんな彼女たちが眩しくて、慌てた様子で包装紙にソフトクリームを受け止めさせる二人を、目を細めて眺めていた。




 それから、私たちは三人で動物園を軽く周り、餌やり体験をした。


 怯えながらキリンに餌をあげた女神ちゃんは、どこ吹く風でむしゃむしゃと餌をほおばったキリンを見て、花が咲くような笑みを見せた。


 ライオンの餌やりをなんだか手慣れた様子で行った結日ちゃんに、女神ちゃんはビクビクとか細い注意を呼び掛けていた。大げさだよと笑う結日ちゃんは、なんだか動物に愛されているみたいだった。


「あの、今日はありがとうございました!」


 動物園を巡り終え、併設の遊園地の方に惰性で歩いてくると、結日ちゃんがそう切り出した。


「お休みだったのに、コートも汚してしまって……」


「大丈夫だよ。お休みこそ、人といる方が楽しいもん」


 お忍びの芸能人のように、伊達眼鏡を軽く押し上げて微笑む。一人でリフレッシュするつもりで来たが、思わない出会いだったのは確かだ。それも、悪い出会いではなかった気がしている。


「あっ、観覧車! お姉ちゃん、私、乗ってくるね!」


 まだ元気が有り余ってるのか、結日ちゃんは勢い良く駆け出す。女神ちゃんは止める様子もなく、軽く頷いた。


「女神ちゃんは良かったの?」


「えっと、私、高所恐怖症で……天使さんこそ良かったんですか?」


「ああ、うん。あんまり、観覧車は好きじゃなくてさ……あそこにベンチがあるし、ちょっと休憩しようか」


 観覧車の見えるベンチで、横並びに座る。二人の時の彼女は、やはりどこか小動物のように小さく見えた。


「女神ちゃんは、二中で生徒会長なんだよね?」


「えっと、はい。と言っても、大したことはないんですけど……引継ぎも上手くできた気がしなくて、今の生徒会も苦労しているみたいで。良い会長じゃなかったですから」


 誰かに自分と同じだけの理解力を、対応力を求めるのは難しい。それは分かっていても現実という壁に重くのしかかるものだ。けれど、そんな問題を自分で理解しているだけ、彼女は聡明で、その分苦しく思うのだろう。


「きっと、また新しい生徒会が始まると思うよ。それがどんなものかはともかくさ」


「……そうですね」


 笑うようで、嘆息を漏らした女神ちゃんの表情は、期待よりも不安や、失望が色濃く見えた。


「ねえ、女神ちゃん」


「はい?」


「もし、台典商高に入学できたらさ、生徒会執行部に入ってみない?」


「先輩と同じところに、ですか? でも、私……」


「大丈夫だよ、私が保証する。女神ちゃんは、きっといい生徒会長になれる」


「せ、生徒会長ですか?」


 女神ちゃんは、控えめながら心から驚いたようにそう言った。


「でも、私なんかよりすごい人が、きっと高校にはいっぱいいて、だから、私は別にそんな大層なものにはなれないというか……」


「そんなこと——」


 そんなことはないよ、と言いかけて、それは台典商高を目指す彼女たちに失礼な言い方だと気づいて止めた。たとえそれが本心であるとしても、そのことに気が付くのは、彼女自身でなくてはいけないだろう。


「そうだね。台典商高には、すごい人がたくさんいるよ。きっとあなたの同級生にもね。でも、だからこそ、あなたがそんな生徒たちを、導いて引っ張って進ませるような一人になってほしいと思ったの」


 これは過度な期待かもしれない。けれど、もしかしたら、悪魔の先輩がかつて感じていたかもしれないように、彼女ならと、自分の描いた未来を託してみたくなったのだ。


「ねえ、知ってる? 台典商高にはね、天使がいるんだよ。その天使は、誰もを救ってくれて、誰もを助けてくれて、みんなの願いをかなえてくれる。みんなを幸せにしてくれる」


「それって……」


「でも、あなたならきっと同じくらいみんなの期待を背負えると思う。()()()()()()()()()()()()()()()()。あなたは、最高の生徒会長になれる。そして、あなたの後に続く次の世代もきっと」


 私以上の、とは言えない。日々を重ね成長し、受け継がれていく中で、あらゆるものは摩耗していく。それは心も祈りも期待も思いも、噂話だってそうだ。擦り減っていく日々の中で、この世界に完璧を追い求める意味なんてなくて、それでも進み続けなければいけない。それでも、進ませなければならない。


 これが過度な期待でも構わない。私は目の前の彼女ではなく、その先の、きっとずっと先の、強い光で影になって見ることも能わない、空に映る光のような女神に視線を向ける。疑いもしないように真っ直ぐと、その空を見る。


 そして告げる。その身に孕ませる期待を、いつか私の背から受け取ってくれますようにと。


「やっぱり少し、私には荷が重いです、けど……でも、先輩がそう言ってくださるなら、なんて思っちゃいます」


 まだ彼女を進ませるには、関係性も影響力も足りないのだろう。だからこれは、宝くじを買うようなものだ。当たれば幸運という程度の種まき。いつかその花の蜜を吸いに来た蝶の羽ばたきで、何かが変わるかもしれないというささやかな破滅衝動。


「次に会うときは、きっと学校で。台典商高で待ってるよ」


「はい、きっと誰よりも先に会いに行きます」


 明るい未来というものを疑いもしない女神ちゃんの瞳に、私は微笑んだ。


「結日ちゃんにも、頑張ってって伝えておいて。また台典商高で会おうってね」


「もちろんです。きっと結日もやる気を出してくれると思います。あの子、先輩の大ファンですから」


 それじゃあ、と軽く手を振って、私は遊園地を後にした。帰りのバスは、なんだか行きよりも早く着いた気がした。


 入学式まで彼女たちのことを覚えていられるか分からないが、少なくとも、今日の退屈を、凝り固まった頭をほぐすのには良い出会いだったと思う。


 家路をのんびりと歩きながら、頭の中で週の明けた後の生徒会の仕事を整理する。仕事はいつでも山積みだ。けれど、実際に対処しなければならない仕事はそう多くない。それ以上に大変なのは、これからの未来のためにやるべきことだ。


 不思議と憂鬱な気持ちはない。手荷物を投げ捨てたように軽やかで晴れやかで、明日からもがんばれそうな気がした。


 少し薄暗い夕方の空は、むしろ私には明るすぎるくらいだ。また一歩進めば暗くなる夕闇に、それでも私は前へ一歩踏み出していく。



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