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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 二年生
42/81

第四十話 偶像崇拝

・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。天使ちゃん。現在生徒会執行部副会長。


藍虎碧あいとら みどり:現在生徒会執行部書記の女子生徒。クールに見られがち。


 この学校には、天使がいる。


 初めて君のことを知ったのは、誰からともなく聞いたそんな噂だった。


 入学式が始まる前、未だクラスには中学時代の友人関係でしか会話が行われていないとき、それでも誰もがどこからか、その噂を耳にしていた。七不思議や怪談のような、一歩引いてみれば一笑に付すレベルの突飛な話。幼稚で曖昧な語り草。


 だけど、入学式のあの場で、君が新入生代表の挨拶をしたとき、あの数分の間に、君を疑うような言葉はすべて、意味をなさなくなってしまったよ。


 まさか、天使がいるなんて言われて、本当に「天使」という名前の子がいるなんて思わないじゃない

か。それも、その名に恥じることのない、むしろ「天使」という言葉に閉じ込めるのが惜しいくらいの輝きを、魅力を秘めた子だなんて。


 誰もが同じように思ったかは分からない。きっと君を目の敵のように思ったり、ただその光に憧れたりしただけの人もいたことだろう。


 だけど、私は君を、君のその輝きを、守りたいと思ったんだ。君がその美しい羽で、空へと羽ばたくことを、誰一人として邪魔させたりはしないと、そんなわがままな思いを大切にしたいと思った。


 入学式が終わって、君は知らないだろうけど、天使のファンクラブができたんだ。匿名会員制の伝言掲示板。荒らしもアンチもいない、絶対的な熱狂者たちの聖域。君の一挙手一投足が、そこには綴られているけれど、その一つとして、無駄なものは無いと思える。


 君の写真は通貨のように取引され、会員の間では頼みごとの材料として使われる。初めの頃は、抜け毛や汗なんかが、よく分からない儀式みたいに使われたこともあったけど、君自身の物である確証が持てないからと、すぐに廃れたっけ。


 君は気持ち悪いと蔑むかな。きっと、知ったところで、気にもしないで笑うんだろうね。


 だから、この気持ちを隠したままでいることは、ただの私の臆病と、つまらない矜持に過ぎないのだろう。君と一緒にいられるだけで涙がこぼれてしまいそうになるほどの、この身に余る幸福を嚙みしめて、私は君を支え続けるよ。






 街灯が道を照らしても、ほの暗い道はどこか不安を誘う。もしも、不審者が現れたら、なんて妄想は子供のころからしてきたけれど、今ほど、そんな予想外のトラブルが、これから先のすべてを後回しにしてくれないかと願った時も無いだろう。


 文化祭を終えて、夕暮れの道を二人で歩く。きっと同じ高校の学生は、もうとっくにどこかの店で打ち上げを始めていることだろう。去年の自分がそうだったように、不和や不安を明るい空気で隠して、親交を深めることで払拭する。そうして、友人を増やして、結束を高めて、ああ素晴らしい学生生活だ。友情、恋愛、夢、努力。学生を惑わすものは実にたくさんある。惑わされたって構わない。それこそが学生の本分であり、青春の通過儀礼なのだから。


 けれど、美しいものに触れるときに、汚れた手で触れようとする人はいないだろう。私の思いは、努力は、協調は、すべて君のためにある。恋愛だなんて誰かに向けた気持ちを、君にもう一度向けることは、私にはできない。そんな爛れた気持ちで、君に触れたくなんてないから。


「ね、(みどり)ちゃんの家って、門限とかある?」


「いや、特には無いよ。厳しい親ではないから、何時に解散でも構わないよ」


 天使は振り返ると、嬉しそうに顔を寄せながら笑う。少し汗のにおいの混じったシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。彼女の意図は汲めなかったが、私も、軽く笑って応じる。


「それじゃあ、お泊りもできる?」


 ヒュッととっさに息を吸い込んで、自分が変な顔にならないように平静を保つ。お泊りって、天使ちゃんの家に泊まるってことか? 合法で? オリエンテーション合宿も、部屋は違うけれど同じ宿だったわけで、その意味では一つ屋根の下だったわけだけれど、本当の意味で一つ屋根の下、鍵のかかった家の中で二人きり、何も起こらないはずも……いや、待てよ……


「お、お母さんも来ているんだろう? あまり邪魔になっても悪いよ」


「大丈夫だって、布団も二つあるからさ」


 二つ……? じゃあ、一つは天使ちゃんで、もう一つはお母様。私は床ってことか。よし、それなら安心だな。うんうん。


「あ、でも枕が足りないかも……ねえ、碧ちゃん、私とおんなじ枕でも大丈夫?」


「あ、ああ、うん」


 同衾じゃないかっ! ああ、もうだめだ。今日が私の命日だ。そして天界で君を待つ最初の日になるんだ。短い人生だったけれど、悔いは無いよ……いやいや待てよ、待つんだ藍虎(あいとら)碧。こんなところで独りよがりな幸福で死んでしまっていいはずがない。苦しいほどの幸せも、耐えて見せると誓ったではないか。


 天使を支えるために、執行部に入ろうと決意した日。それは天使への接触を避けているファンクラブの会員への背信行為でもあると分かっていたからこそ、身に余る幸福という苦痛を、責任という重圧を、全てこの身で受け止めると決めたのだ。君を支え導く存在に、私がなるのだと決めたのだ。


 藍虎は、そんな胸中をつゆ知らず先を行く天使を追いながら、これまでの執行部としての活動を思い出していた。




 始まりというものがあるとすれば、体育祭の時だ。今から考えれば、自分でも恥ずかしいことに、私は愛ヶ崎天使という人間に心酔し、他のクラスも巻き込んで、天使という超越的存在へ自分たちをアピールしようと応援合戦の場を利用した。もちろん、クラスの全員が、天使の噂を好意的にとらえていたわけではなかったけれど、クラスとしての一致団結を目的として懐柔するのは簡単だった。天使を崇拝し、応援しようという熱意。クラスを導き、誰一人として爪弾きにしない周到な冷静さ。誰からも信頼されること。それだけで自分の進みたい方向にクラスを巻き込むことができた。


 私には誰かを導く才能があると錯覚してしまうほどの、団結力と熱狂。それだけの達成感を感じても、結果として君のクラスには負けてしまった。それも、君の居ない演技を披露したというのに。


 そのとき、君の危うさに気が付いたんだ。


 この世界には、尊いものがたくさんある。一番は君だ。他にも、君を信じて努力する人、君に感化されて一人で前に進めるようになった人、君の成功を祈り、願い、尊重する人たち。


 だけど、この世界には、君を脅かすような存在だっている。君の善意を簡単に圧し潰してしまうような、君の純真さを狡猾に汚してしまうような、そんな人間が君の噂を耳にすることだってあるだろう。何の目的もなく、君という輝きを汚そうとするかもしれない。


 聞いた話では、オリエンテーション合宿のときだって、そんな奴らがいたそうだ。


 だから、私が守らなければならないと思った。そのためにこの身はあるのだと、そう思って神城(かみじょう)先輩に打診した。彼女は生徒会執行部のために優秀な生徒を探していて、事実として、私は申し分ないはずだった。


 天使ちゃんに近づくために、執行部を選んだ理由はそう多くはない。というよりも、他に無かったという方が正確なのだ。強いて言えば、彼女がやがて生徒会長になったときに、その隣に知らない誰かが、知っている誰かだとしても、自分以外であることに耐えられそうになかったからということが理由だ。


 彼女の動向自体は簡単に把握できたが、彼女に接近するには、時間が必要だった。主に、私自身の精神的な問題によって。


 台典商高に通っていれば、誰だろうと彼女の姿を見ない日は無い。しかし、そのことと自分が話しかけられることでは、意味合いが全く違ってくる。何というのだろうか、質感というか立体感というか、彼女の言葉がまさに福音のように脳を直接蕩かし、喜びと幸せを天まで到達させてしまう。


 だから、これまでの自分ではいられなかった。彼女のために、自分を隠さなければならない。祈り願い癒され慕う天使ファンクラブ会員番号1番としての自分と、導き保ち護り穿つ隙の無い相棒のような存在としての自分を、表裏として演じる必要があった。


 できると思ったからこそ、執行部に立候補した。しかし、実際には大変な困難だった。


 クラス委員長として、クラスの生徒を導くのとは訳が違う。天使ちゃんの姿を見て、その魅力をすべての感覚器官で認識しながら平静でいるために、選挙までの期間のほとんどは精神修行に使ったと言ってもいい。


 実際に天使ちゃんと関わるようになってからは、後悔と反省の日々だった。自分の発言のすべてが、拙く感じられた。天使ちゃんの奔放さに対応するには、そんな迷いのある状態では力不足だった。


 生徒会執行部に、書記として入ることが決定した後は、コネクション作りから始めることにした。この学校では、噂が広まりやすい。開放的な生徒の性格と、それを面白がって調べたり広げたりする生徒の相互作用が強く働いているようだ。


 生徒たちの情報を知る方法には、心当たりがあった。天使の噂だけでなく、校内の噂を収集し、ゴシップとして発信している新聞部の生徒——ファンクラブ会員番号0番、橋屋目高(はしやめだか)。ファンクラブ間でのスナップ写真の仲介をしつつ、校内の情報を集めては校内新聞のネタにしている生徒だ。以前から、校内新聞における生徒たちのプライバシーの問題は、執行部の中で問題になっていたらしく、その対処にかこつけて接触した。


「執行部の監査が入ると聞いて誰が来るかと思えば、お前か、藍虎」


「久しぶりだね、目高。早速だけど、記事を見せてもらおうか」


「別にやましいことはない。さっさと見て、満足したら帰ってくれ」


 彼の記事は、虚実入り混じる文章も、読み手からの評価を得ている、エンタメ寄りのニュースだ。必ずしも真実ではないという前提故に、時にモラルや倫理観の欠けた内容の場合もある。


「この記事『台典商高の天使、花壇を破壊⁉』とあるけど、これはサッカー部が壊した園芸部の花壇を、愛ヶ崎(まながさき)さんが直しているところだよね。これは悪意のある切り抜き方だと思うけど」


「おっと、そうだったかな。そういえば、そんな情報もあったな。来週の新聞で真実を発信する予定だったんだよ。その記事は、こちらの早合点だったとね」


 目高は動じずに、眼鏡のへりをクイと上げた。


「それでは困るんだ。彼女の評判に、一時であろうと泥を塗られるのは許すことができない」


「おいおい、困ると言われてもねえ。僕は部活動として、校内新聞の発行が認められているし、何も学外に公開するようなものではない。君や執行部が許す許さないというだけで内容を決められるというのは、報道の自由から見ても——」


 私がファイルから取り出した写真を机の上に出すと、目高は息をのんだ。


「生徒会室であくびをしている天使ちゃんの写真だ。目高なら、この写真の価値はよく分かっているだろう?」


「……買収するつもりか? この新聞部を」


 私が何かを答えなくとも、ただ長く息を吐いているだけでその写真が、私の自信を雄弁に語っていた。


 目高はすぐにはその写真に手を伸ばさなかったが、その目からはすでに平静は失われていた。


「これは取引だよ。記事の選定だけじゃない。校内の噂や、生徒の情報、校外での不審な動き、君には様々な情報が集まってくるだろう? 私には、その情報が必要なんだ」


 二人だけの新聞部の部室に、静謐な空気が満ちる。息を吸えばその緊張の毒に目がくらみそうだった。


 目高は、顔を緩ませて笑うと、写真を優しくこちらに突き返してきた。


「分かったよ。情報なら集めるさ、言われなくともな。だけど、この写真は受け取れない。お前の家の額縁にでも飾ってろ」


「だが——」


「忘れんなよ? 僕だって、天使ちゃんファンクラブの一員なんだぜ。お前がこんな良い写真を出してきた覚悟は伝わってきたよ。それに応えないで、どうするって話だ」


 目高が手を広げ、親指を差し出してくる。私は指切りのように、自分の親指を絡めた。互いの親指を合わせて、手で鳥の影絵——すなわち翼——を作る。天使ファンクラブの誓いの合図。私は結構気に入っているのだが、今の会員は誰も使っていないらしい。


「ただし、条件が一つある。校内新聞に、執行部の活動を掲載させてくれ。監査は執行部に一任するよ。修正が必要なら従う。僕たちにも天使の、いや、お前の見る景色を見せてくれ」


「ありがとう。君を頼りにして正解だったと思うし、君にもそう思ってもらえるよう努力するよ」


 私は、家宝にするつもりだった写真を慎重にファイルにしまうと、写真部を後にした。


「なあ、藍虎」


 写真部を出る直前、背中に声をかけられる。


「もし、どうしても一人で辛くなったなら、俺だけじゃない。会員はみんな、お前を待っているからな」


「……心配は不要だよ。少なくとも、この学校に、あの頃の私はもういない。いるのは、生徒会執行部の藍虎碧。冷静で、頭の切れる氷の虎……」


「来年の選挙ポスターはそれで行くか」


「ごめん、忘れてくれ。それじゃあ、もう行くから」


 その後の活動は、目高の協力もあり、かなり順調に進んだといっていい。誤算だったのは、二人の生徒の存在くらいだ。


 一人は、細小路(ささめこうじ)悠怜(ゆうれい)。誰にも気づかれず、不安定で透明な日々を送る幽霊だった少女。


 彼女は、天使と出会い、(羨ましいことに)彼女と共に過ごすことによって、その輪郭を描くことに成功した。一人の意思のある人間として、地に足をつけて前を向いた彼女は、ただの一人の生徒として歩き出した。


 天使との同棲関係を解消して、現在は一人暮らし。美術部に所属しており、同部内に彼氏がいるそうだ。徐々に成績も回復し、出席も安定した今では優良生徒の一人だ。


 それだけなら何の問題もないのだが、現在の彼女は、そして天使も、互いを避けているようなそぶりを見せている。同棲関係の解消後、不和や衝突は無かったはずが、互いの成長が水と油のように混ざり合わない関係へと変化させてしまった。彼女の名前を聞くことですら、天使ちゃんはわずかに顔を曇らせてしまうため、二年次に上がってからは極力話題にならないように心掛ける必要に迫られてしまった。


 もう一人の誤算は、亜熊(あぐま)遥斗(はると)。悪魔先輩と呼ばれたかつての生徒会長。


 目高でもその全貌が掴めないどころか、噂以上の何も知ることのできない秘された頂。頭脳明晰で優しい完璧な人間のようでいて、どこか抜けていて常に一歩遠い場所にいるような不思議な感覚になる。


 そんな彼を「好き」だなんて言われたあの日は、この世が終わると告げられるよりも衝撃的だった。幸いなことに、私自身も彼に対して悪感情を持ったことは無かった。私や天使ちゃんの知らない彼の側面が、彼の大部分を占めているとしても、亜熊遥斗という人間が善人であることは揺るぎのない事実であったから、むしろ、天使ちゃんが恋というものを知るとすれば、これ以上ないほどの人物だったともいえる。これがどこの馬の骨とも知れない凡夫であれば、瞬く間に夜の闇にでも消してしまうことすらあり得たが、その心配も無かった。


 とはいえ、すぐにはそんな思考にも至らず、神城先輩とも協力してどうにか悪い方向に転ばないようにと手を回すことができた。


 この世で最も操るのが難しいのは、人の恋路である。亜熊先輩が、天使ちゃんと付き合うビジョンは見えなかった。だからと言って、振られて良い訳も無い。


 そんな苦心を抱えながら、三番目くらいには操るのが難しい他人の家の子どもに翻弄されながら向かった動物園。ええいままよと言う気持ちで二人を引き合わせてみたものの、どうやら期待以上の何かが、そこで彼女の心に影響を与えたようだった。


 ……もしかすると、その変化が細小路さんとの関係にも変化を与えたのかもしれないが。


 ともあれ、そうして天使ちゃんは二年生に進級した。クラス分けはおおむね事前の予想通りだった。これから対処していくべき問題は多数あるものの、現状はうまく均衡がとれている。


 この文化祭までの、そして当日に起こったトラブルについては、完璧といって良い形で防ぐことができた。むしろ、文化祭という特定された決行日と、トラブルというより事件と言える集団の扇動と天使ちゃんに向けられた視線。計画が完璧であるほど、その対策は容易であった。


 しかし、まだ疑問は残っている。事件はトリックを解き明かし、犯人を突き止めるだけではいけないのだ。ホワイダニット、すなわちなぜそんなことをする必要があったのかを知らなければ、またこのような事件は繰り返されてしまうかもしれない。


 ——氷堂(ひどう)空間(くうま)。一年生の主席にして、どうにも天使ちゃんをつけ狙っていると思われる要注意人物。亜熊先輩の前例があるため、接触による影響を恐れてとりあえず天使ちゃんと合わせないようには手を回していたものの、こうも大きく動かれてはそれも危険だと言わざるを得ない。もし、通常の授業中に同じようなことをされたら、平穏など簡単に崩れるどころか、日常に戻ることすら叶わないかもしれないのだから。




 これまでのことを思い出しながら、他愛のない会話を並行できていたとは思う。気づけば、駅前の商店街まで下りてきていた。


「なんだか、不思議な気分」


「どうかしたのかい?」


 商店街を歩きながら、不意に顔を覗き込んで来た天使ちゃんに、ぎこちない笑顔で尋ねた。


「ううん。人と帰るの久しぶりだから、かな。文化祭が終わったところなのに、とってもワクワクしてるんだ。碧ちゃんと一緒にいるとね、すごく楽なの。二人だけど、一人でいるみたいに」


 夕闇に紛れるように、淑やかに瞼を閉じた天使ちゃんの表情には、静かな波のような憂いと寂しさが沈み込んでいった。楽しい、と伝えるように口角を上げて、上目遣いで私を見つめる。その長い睫毛にからめとられるように、私は言葉を失ってしまう。


「ねえ、碧ちゃん……碧ちゃんは——」


 まだ言葉は深く沈んだままだったけれど、彼女の手を取った。


 私は、馬鹿な人間だ。天使という、祭り上げられた偶像を崇拝する哀れな信徒だ。

 天使を万能だと崇め、それが自分の力かのように錯覚し、目の前にいる少女の気持ちに、気づかないふりをした。それが天使なのだと、決めつけた。


「私は、ここにいるよ。君が望むなら、ずっとそばにいたいと思う」


 でもそれは、あの日の、君をただ追いかけているだけの私の話だ。


 今の私は、君と共に歩む藍虎碧は、傷つくことも、傷つけることも恐れてはいけない。


「……今日は置いていったくせに」


「あれは……その、ごめん」


「……私、頑張るね」


 天使ちゃんは、軽く握っていた私の手を、両の手で優しく握りなおした。


「碧ちゃんが、頑張ってくれている分、私も頑張る。約束したんだ、亜熊先輩に。最高の生徒会長になってみせますってさ。だから、碧ちゃんも、最高の副会長になってね」


「……もちろん。なんなら、私が生徒会長になってもいいくらいだ」


 私が冗談めかして肩をすくめると、天使ちゃんは驚いたような顔をして、それから満面の笑みを咲かせる。まるで、負ける気などみじんもないと言った風に。


「じゃあ、ともかく今日は打ち上げだ~!」


 先ほどまで差していた陰はどこへやらと言った元気な様子で、商店街をスキップしていく。


「ちょっと、愛ヶ崎さんっ」


 私は思わず笑顔でその背を追いかける。困ったように、慌てたように、君が私に向けるわがままをきちんと受け止める。それがきっと、『友達』なのだと、そう思ったから。


 すっかり日の暮れた商店街が、なぜだかとても明るく感じて、私たちは飽きることもなく追いかけあった。





 そうして、ようやく天使ちゃんの家にやってきた。一人暮らしのわりに、きちんとしたアパートなのは、彼女の母親のお節介(天使ちゃん談)らしい。そのおかげで、細小路さんとの同棲が可能だったわけだが、なんだか婚約相手の家に行くような緊張感を覚えてしまう。実際お母様もいるのだ。


 扉を開くと、家族と住む自分の家と変わらないほど広く感じる室内に迎え入れられた。玄関で靴を脱いでいると、絶妙な窮屈さに少しだけ安心する。中はかなり広いように見えていたが、実際には廊下の片側に浴室やトイレが固まっており、反対側には部屋は無いようで、自室としての場所はそれほど広くないようだった。とはいえ、学生の一人暮らしとしては、かなり広い方であるように感じられる。


 キッチンから、天使ちゃんのお母様と思われる女性が近づいてこられた。かなり若く見えるのは、その美貌のせいか、あるいは自分の母親と比べてしまうからだろうか。先に来客が来ると伝えられていたからだろうか、とても部屋着とは思えないきっちりとした服の上からエプロンをしている。


「おかえりなさい。あら、あなたは藍虎碧ちゃんね。初めまして、天使の母です」


「ええ、初めまして」


 名乗ろうと思っていたところで出鼻をくじかれ、思わず言葉に詰まってしまう。考えてみれば、文化祭や体育祭を見に来ている保護者ならば、自分のことを知っていてもおかしくはないのか。


「今日はお一人なのかしら? ねえ、天使ちゃん。他にもまだお友達が来るの?」


「先輩たちはクラスの打ち上げがあるから来れないって、朝メールしなかった?」


「あら、てっきりクラスのお友達も来るのかと思っていたわ。それじゃあ、作りすぎちゃった分は、冷蔵庫に入れておくわね」


「うん」


 天使ちゃんは、かなり不愛想に返事をすると、寝室と思われる奥の部屋に引っ込んでいった。


「ごめんなさいね、碧ちゃんも良かったら荷物を置いてきて。ご飯並べるわね」


「はい、お気遣いありがとうございます」


 天使ちゃんのお母様は、そう言うとキッチンの方へと戻っていった。何というか、不思議な家族だ。以前から、天使ちゃんが母親とそれほど仲が良くないということは聞いていたけれど、険悪というよりもお互いにマイペースという印象を受ける。一人娘に、通学圏内の実家ではなく一人暮らしをさせているのだから、変な人ではあるのだろうけど。


 天使ちゃんの部屋に荷物を置いて戻ると、打ち上げらしいパーティー料理が机の上に所狭しと並べられていた。色とりどりの華やかな料理に、少しだけ気の引ける思いがしたが、誘われた身としてはご相伴にあずかるほかにない。


 打ち上げというより、ごちそうという方が正しいと思わされる料理は、私にとっては誕生日のようなお祝いの日でも見ないものだ。自分の家を、特別に貧しいと思ったことは無いが、品性の貧しさとでも言うのだろうか、思わず居住まいを正してしまうその料理は、母の愛情たっぷりの大皿料理で祝われてきた私には、羨ましいという気持ちすら起こらない、高級な輝きを放っているように思えた。しかし、考えてみれば、この料理にもお母様の愛情が込められているに違いない。単純な比較は無意味であると思っていても、私にはこの料理のひとかけらすら残すことはできないと思わされた。


 遅れて、手洗いを終えた天使ちゃんが食卓につき、そろって手を合わせる。


「……」

「……」

「……」


 ……気まずいな。天使ちゃんの家でお母様とご飯を食べるという状況に、高揚ばかりが先立っていたものの、私はまだ部外者でしかないのだ。


 天使ちゃんは、やや機嫌の悪い時の表情で、黙々と料理を取っては食べている。それよりもややゆったりとした動作で、お母様も同様に黙々と食べ進めている。ちらちらと天使ちゃんの方を見て、料理への反応をうかがっているようだ。


「この料理、とってもおいしいです。お母様が作られたのですか?」


 心のどこかで、総菜であってくれと思いながら尋ねる。


「ええ、そうよ。最近お料理にハマっていてね。ほら、家にずっと一人だと退屈でしょう?」


「これ、駅のとこの総菜じゃないんだ」


「それがね、あそこで働いてるお友達がいて、教えてもらったのよ」


 お母様は嬉しそうに語っているが、天使ちゃんは変わらずわずかに視線を落としながら、料理を食べ続けている。気分でも悪いのかと思ったが、どうやらかなり料理自体は気に入っているように見える。天使ちゃんは普段、好きなものを最後に食べる。野菜、主食、汁物、デザートの順に食べ進めるが、好きなものが複数ある場合は、その一巡の後に好きなものだけを交互に食べる、というのが合宿の際に識者が出した見解だ。今日の天使ちゃんは、全ての料理を順番に食べている。つまり、全部好きな料理ということだ。


 天使ちゃんが最後に皿を空にできるように調整しながら、自分も料理を食べ進める。


 料理が少なくなってくると、ようやく沈黙は緩やかに破られる。


「そういえば、なんで今年は文化祭来なかったの? 去年は行くつもりでいなかったっけ」


 お母様の顔は見ずに、天使ちゃんが尋ねる。


「だって、今年は教室展示なんでしょう? お母さん、人混みは苦手だもの。写真だけで十分かと思ったのよ。天使ちゃん、もしかして何か舞台に出たりしたのかしら、お母さんの知らないところで」


「いや、出てないけど」


 執行部にも無断で軽音楽部のステージに参加したことは、言わない方が良い気がしたので、私は黙ったままでいた。


「それにしても、残念ねえ。天使ちゃんがお世話になっているのだから、この機会に先輩の方にもお礼を言いたかったのだけれど」


「いえいえ、今度は先輩たちも連れてこちらからお礼をさせてください」


「もう、碧ちゃんもそんなに真に受けなくていいから……言っとくけど、体育祭の時は私たちだけで打ち上げするからね」


「うんうん、分かったわ。お小遣いはどれくらい要るのかしら」


「要らないって!」


 傍から見ているせいか、微笑ましく見える二人の関係に、なんだかこの会食を不安に思っていた自分は杞憂だったのかと安心できた。


「ごめんね、うちのお母さんお節介って言うか、ちょっと変なんだ」


「大丈夫だよ、いいお母さんじゃないか」


 夕食を終えて、天使ちゃんの部屋でゆったりと足を伸ばす。文化祭を終えて、ほんの一瞬ではあるが、執行部の仕事も無い休息の時間だ。隣に天使ちゃんがいて、なんだ、ここが天国か。


 のんびりしているように見えて、用意周到なお母様の気遣いで、お風呂に入らせてもらう。欲を言えば、二番風呂が良かった。もっと欲を言えば——いやいや、さすがに今日が私の命日でもなければそんなことは起こらない。


 浴室に入り、石鹸とシャンプー、コンディショナーを順番に確認する。細かなことではあるが、こうした小さな答え合わせが、自分に自信をつけることにつながるのだ。


 泡や湯船から飛んだ水滴が跳ねたところをきれいに拭き取ってから、浴室を出る。脱衣場のスペースで素早く着替え、ついでに化粧品や洗顔料も確認しておく。天使ちゃんは普段スキンケアや化粧についての話はしない。元々の肌質や顔の造形故に、頓着がないのだろうが、それでも基礎化粧品がそろっているところを見ると、おそらくは、お母様が教え込んだのだろう。


 天使ちゃんとお風呂を交代して部屋へと戻る。お母様は夕食の片づけをしていた。


「お手伝いしましょうか」


 私が声をかけると、お母様は少し驚いたように微笑んだ。


「大丈夫よ。それより、みんなで見ようと思ってアルバムを持ってきたの。天使ちゃんが赤ちゃんの時からつけてるのよ」


「拝見させていただきます」


 本当にすぐ片づけを終えたお母様と、並んでアルバムを開く。一ページ目は0歳の頃、何となく面影があるような気がする。錯覚かもしれないが。


 二ページ目に映る乳児の写真を見ながら、そう言えばと、ふとした疑問が立ち上がる。


 以前から思っていたことではあるが、愛ヶ崎天使という人間ですら、生まれたその時に天使であったわけではない。彼女ですら、天使であったわけではなく、天使になったというだけなのだ。もちろん、彼女の名がその体を作ったという因果は否定できないが、生まれる前にそれほどの期待を娘にかけることができるだろうか。


 私なら、出来ないだろう。どんなに愛した魅力的な相手との子供だとしても、その可能性は常に無限大に広がっているのだから。親が子にかけられるのは、期待だけでしかない。最後にその道を決めるのは、常に子供自身なのだ。


 彼女は、天使ちゃんは、自分が天使であることをどう思っているのだろうか。


 彼女が天使であるということが、私にとって当たり前の前提過ぎて忘れていた疑問。親友であったはずの細小路さんとのすれ違いは、君を悲しませた。君の寂しそうな表情で気づかされた、当たり前のこと。


 君だって、一人の人間で、いつだって自由で奔放で美しく輝く天使ちゃんでいるわけではない。悲しんで、寂しがって、恋して、嫉妬して、怖がって、怒って、苦しんで、辛いことを誰にも打ち明けられない一人の少女なんだ。


 四ページ目に映る乳児の写真を見ながら、微笑ましい寝顔に幸せな気分になる。しかし、天使ちゃんに直接尋ねるわけにもいかない。それは、少なくとも藍虎碧の仕事ではないし、きっと彼女から正確な答えを引き出すことはできない。


 ならば、必要なのはむしろそれ以外の情報であるというのが自然な考えだろう。例えば、()()()()()()使()()()()()()()()()()()。理想を求める人には、必ずその原風景が、始まりの記憶が強く心に残っている。私にとって、入学式の天使ちゃんの姿が焼き付いているように。


 あるいは、お母様に聞くという手もある、と八ページ目に映る乳児の写真に、6か月と書かれているのを視線でなぞる。いくら何でも写真を撮りすぎではないだろうか。ふつうこんなものか? 実家のアルバムならもう幼稚園に入っているころだ。


 色んな服を着せられている乳児の写真を見ていると、ふと写真に何か漢字が書かれているのが読み取れた。名前のようだが、随分と長い。そのうちの一文字に記憶が刺激される。


 ——華。


 文化祭を乱そうとした、要注意生徒。氷堂空間が、入学式の予行練習の際に口にしていたような気がする。彼が「華先輩」と言っていたのだとしたら、天使ちゃんと彼には、過去に何か接点があったと考えられる……のか?


 そもそも、名前とも思えない漢字一文字から飛躍しすぎたと反省しながら、アルバムをめくる。思っていたよりも早く、その答え合わせは訪れた。


 幼稚園に入学した天使ちゃんの写真。すでに可愛らしく面影のある幼女は、この世界の醜い部分など一つも知らないような眩しい笑顔で写真に切り取られている。その胸元に刺繍された名札のプレートには、印刷では判読できないほどに詰められた名前が書かれているようだった。


 やけに多い乳児期の写真のおかげで、多少は非現実的なことへの耐性はついていた。やはり、先ほどの文字列は名前だったようだ。そんな名前があるのかという議論は不要だろう。そうだったという過去を議論することはできず、何かを経て現在の形になったというのが真っ当な流れのはずだ。


 アルバムの少女は、私の不安をよそに健全に成長し、着実に私の良く知る天使ちゃんへと近づいていた。違う点があるとすれば、彼女は笑っていなかった。決して笑顔を絶やさない天使ちゃんとは違い、アルバムの中に一つとして笑顔は無かった。


 小学校以降の写真には、明瞭に名前が書かれていたがその文字は安定せず、写真によって違う名前だった。由紀、華、悠莉、桜子、日向。どんな法則性があるのか、どんな共通点があるのか分からない。


「この、名前なんですが、これって、天使ちゃんのアルバムなんですよね」


 中学校の門前で撮られた入学写真を指して、踏み入っていいものかと迷いながらそう聞いた。愛ヶ崎由紀悠莉華桜子日向天使。確かに写真にはそうメモがされているが、簡単に咀嚼できることではない。


「ええ、そうよ。これは、あの子の名前。名前、だったという方がいいのかしらね。あの子たちはもういなくなったから」


「いなくなったって、どういう……」


「あの子が自分で決めたのよ。私は、天使だって言ってね。高校に入る前だったかしら。自分で役所に届け出を出したみたいでね、名前を変えたいって……ああ、そう。ほら、これよ」


 お母様は何かを思い出したように、かばんから手帳を取り出して渡してくださった。


「名前、ですか……?」


 そこには名前と思われる漢字の羅列が走り書きのように何ページにもわたって書かれていた。いくつかの名前には、二重線が引かれていたが、先ほどアルバムで見た名前には、何重にも丸がされている。


「お父さんがね、娘の名前はどうしようかって、たくさん考えて、でも絞り切れないやって笑って言うのよ。私も選びきれないわって言うと、それなら何人でも育てようって言うの……結局、あの人はあの子が生まれる前に亡くなってしまって、でも、私はあの人が遺した名前を捨てることはできなくて」


「——天使は」


 話をさえぎるつもりは無かったけれど、手帳を読み終えて言葉が口からこぼれた。


「天使は、どこから来たんですか?」


 天使ちゃんの母親は、どこか遠い景色を懐かしむように、薄く口元を緩ませた。


「あの子も、同じことを聞いたわ。——天使は、あの子よ。あの子を産んで、この胸に抱いて、本当に天使みたいな子だと思ったの。だから、あの子の名前に天使と入れたの」


「そう、なんですね」


 ——それは、エゴだ。口には出さずに奥歯を噛みしめた。


 親として、子供に期待して、願いを込めるのは当たり前のことだろう。けれど、子はそれだけの期待を、願いを背負わなければならない。子に願いを込めるのが親の役目だとすれば、その子が願いに潰されないように考慮しなければならないだろう。その責任を度外視して、弾けるばかりの願いを詰めるのは、あまりにも残酷で、だからこそそんな凶行を誰も止められなかったのかもしれない。それは、ある意味ではとても幸せな事であり、その災禍を被るのは、ただ子一人だけなのだから。


 しかし、彼女は越えてしまった。その願いを背負って、天使という最も重い愛を受け止めてしまった。抗って、暴れて、壊したって良いはずの歪な愛を、受け止めてしまった。彼女には、それができてしまうから。天使にだって、なれてしまうから。


 彼女はきっと、由紀と、悠莉と、華と、桜子と、日向と決別して、天使として進むことを決意したのだ。それが、自分なのだと選んだのだ。


 でもそれは、あまりにも残酷で、窮屈な選択だ。


 誰でもない彼女の可能性は、親から与えられたその選択肢に狭まれた。


 彼女の未来は、理想は、目標は、天使の飛ぶ空へと向けられ、それがいずれ落ちると分かっていても、そう進まざるを得なくなってしまった。天使という殻に包まれて、誰もを救うために羽を広げて、その背についた傷は覆い隠されてしまった。


「わあああっ! お母さん、それアルバム……!」


 お風呂から上がった天使ちゃんが、タオルを被ったまま、慌ててアルバムを閉じた。あまりの勢いに苦笑いでいると、天使ちゃんは膨れっ面で私を見た。


「恥ずかしいから、誰にも言わないでよ? 特にワンコ先輩」


「ごめん、黙って見るつもりは無かったんだ。分かった、誰にも言わないから」


 何のことを、とは聞けなかった。けれど、予想するまでもない。


 ん、と差し出された小指に、私も小指を絡める。広げた羽を畳むように、残りの指は軽く握る。この約束を、私は忘れることが無いだろう。温かく柔らかな彼女の指に、そんなことを思った。






 それから、気分を変えるためにとトランプや二人でできるゲームを、夜が遅くなるまで続けた。さっきまでの恥ずかしそうな顔はすっかり消えて、楽しそうに笑う彼女の顔に、きっとずっとやりたかったのだろうと勝手な推察をする。思っているよりも、彼女は寂しがりなのだと、脳内データを補完しておく。


 母親は、いつの間にか帰っていたようだった。気を遣ってのことかもしれないが、挨拶もなく帰る辺り、奔放さは親譲りなのかと思ってしまう。


「碧ちゃん、今日はありがとうね」


 寝る前にキッチンで少し水を飲んだ後、彼女は唐突にそう切り出した。


「感謝されるようなことは何もしていないよ。むしろ、こちらこそありがとう。こんなに楽しい一日もないよ」


 彼女は笑いながら私の手を引いて部屋へと連れていく。ふわりと香ったシャンプーの匂いが、自分の全身も包んでいることに、言いようのない幸福感を覚える。


「そっち、狭くない? 大丈夫かな」


「うん、大丈夫。でも、もう少しそっちに寄ってもいいかい?」


 彼女のベッドは想像以上に大きく、二人で横になってもかなり余裕があった。一つのブランケットに包まると、必然目と目が合う。照れ笑いが静かな部屋にこだまする。


「碧ちゃん、私ね。とっても幸せだよ」


「うん、私もだよ」


 それはむしろ、言い聞かせるような言葉に聞こえた。誰から見ても奇妙な人生。恵まれたとも、呪われたともいえる辛く苦しい道の先の一滴の幸せ。


 君はきっと、たくさんの人を救う天使のような存在に、そんな生徒会長になれるのだろう。だけれど、その羽がどれだけの人を包んでも、君の背中の傷は癒えるわけじゃないんだ。


「ねえ、愛ヶ崎さん」


「なぁに?」


「君の名前を、呼んでもいいかな」


「ずっと呼んでって言ってるんだけどなぁ。——いいよ、碧ちゃん」


「——天使」


 私がそう言いながら頭を撫でると、彼女は優しくほほ笑みながら静かに目を閉じた。


 いったい、彼女のために、私にはどれだけのことができるのだろうか。誰もが噂する完璧な天使ではない、他の誰でもない、愛ヶ崎天使というこの一人の少女のために、どんな人間として在ればいいのだろうか。


 今はただ、誰もを救うために羽を広げ、誰にも救えない天使(彼女)のそばにいてあげたいと、そう思った。


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