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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編 二年生
33/81

第三十一話 入学式準備と顧問

・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。天使ちゃん。現在生徒会執行部副会長。式の時は大体どうでもいいことばかり考えている。校歌を黙読している時間がある。


藍虎碧あいとら みどり:現在生徒会執行部書記の女子生徒。クールに見られがち。式の時は、心の中でお気に入りの曲を再生している。


細小路悠怜ささめこうじ ゆうれい:幽霊ちゃん。様々な騒動の後、天使と同居していた少女。現在は一人暮らし。


丸背南子まるせ なんこ:ニャンコ先輩。生徒会三年の副会長。猫背で丸眼鏡の落ち着いた少女。誰に対しても敬語で話す。


三峰壱子みつみね いちこ:ワンコ先輩。三年の生徒会長。低い身長と元気で独特な口調が犬っぽい女子生徒。


初地夜ういち よる:今年度から赴任した執行部担当の女性教諭。通称マジョセン。嫌われていた体育の男性教諭と入れ替わりで入ってきたため、生徒たちから人気。


氷堂空間ひどう くうま:一年生。爽やかで人当たりの良い少年。その実態は……?


 この学校には、天使がいる。


 そんな噂も、流れ始めて一年が経過しようとしていた。長かったような短かったような一年が過ぎると、台典商高にも新しい風が吹き始める。





 長いようで短い春休みが終わるころ、天使は他の生徒たちよりも少しだけ早く新学期を始めることになる。当然ながら、生徒会執行部の仕事である。


「そっか、私は会場準備の方なんでしたっけ」


 引き継がれた資料を一部改訂した、今年度の入学式準備の資料を見ながら、天使は思い出した。


 入学式では、在校生代表の言葉を生徒会長が行ない、新入生代表の言葉を入学試験の成績優良者が行う。執行部の準備としては、この発表の予行演習の付き添いを生徒会長と書記が、会場設営を副会長二人が行なうことになる。


「今年もニャンコ先輩と一緒だ。よろしくお願いします」


「そういえば、そうですね。よろしくお願いします、愛ヶ崎(まながさき)さん」


 天使は、昨年度の入学式で、新入生代表のあいさつを行い、全校生徒の注目を浴びた。そのために、様々な問題があり、今の愛ヶ崎天使への道が始まったのだ。


 あれからもう一年か、と天使は一人郷愁に浸る。高校に入学し、多くの人と出会い、そして別れがあり、新しい一年が始まろうとしている。


 資料を持つ指に力が入る。


「まぁ、そんなに難しいこともないから、今日はこれくらいで解散にするぞ~」


 三峰(みつみね)の言葉に、それぞれ荷物をまとめて生徒会室を後にする。三峰が忘れ物の無いことを確認して扉を閉めた。


「先輩、鍵、私が返しておきます」と藍虎(あいとら)が手を伸ばす。


「いや、これは神聖な虫拳で決めるから」と三峰が鍵の輪を小指に通す。


「虫拳は神聖ではないかと。私はグーを出します」丸背(まるせ)が面倒そうに宣言する。


「今日こそは勝ちますよぉ……じゃあ私はパーで」


 四人がそれぞれ片手を握りしめて前に突き出す。三峰のかけ声とともにそれぞれが思い思いの手を出すと――


「——なぁんでぇ⁉」


 天使が握りしめたままの手を空に掲げながら崩れ落ちる。他の三人は苦笑いで片手を広げたままその様子を眺めていた。藍虎はやれやれといった様子で額を指で軽く押さえる。


「天使ちゃん、これで五連敗くらいだぞ。敗北の女神でもついてるのか?」


MAKKE(マケ)ってことですか?」天使がけろっとした顔でつぶやく。


「持ち回りでも私は構わないのだけど」


「大丈夫だよ、(みどり)ちゃん。明日は負けないから。うん、絶対に」


 天使は根拠のない予言を掲げながら、三峰から鍵を受け取った。


 一行が生徒会室を後にしようとした時、廊下の向こうから、誰かがぱたぱたと向かってくる足音が聞こえてくる。


「あれ、もしかしてもう終わっちゃった?」


 廊下の向こう、職員室の方から歩いて来たその女性は、執行部の誰にともなくそう話しかけてきた。四人は顔を見合わせるが、誰も彼女について知っている者はいないようだった。


「あ、えっと、ごめんなさい。私、来年度……今年度?って言った方がいいのかしら。ともかく、来月からこの学校で働くことになった、初地(ういち)と言います。よろしくね」


「よろしくお願いしますっ!」


 天使が元気に返事をすると、他の三人も軽く挨拶しながら頭を下げる。


「それで、初地先生は執行部に何か用事ですか?」と藍虎が聞く。


「そうなの。私、執行部の顧問? 担当教師? に任命されたらしくて、それで挨拶に行こうと思ったのだけれど」


 初地の言葉に、四人は再び顔を見合わせる。


「執行部担当って、誰でしたっけ」と天使が聞く。


「ほら、あの、体育のさ」三峰が嫌そうな顔で濁す。


「ああ……え、てことは、あの人は飛ばされたってことです?」


「そうじゃないか?」


 三峰の返答に、天使は元担任が別の学校に行ったことを知り、小さくガッツポーズする。


「でも、執行部付きの先生って、ほとんど活動とか口出しはしなかった印象があるのですが」と藍虎が思い返すように言う。


「まぁ、前任が酷かっただけではあるけど、その方が楽ではあったな」


 天使は、昨年度の執行部を手伝っていた期間のことを思い出してみたが、確かに担当教師と言うものの影すら感じたことが無い気がする。生徒会室で行われた形ばかりの挨拶会のときも、生徒だけだった。ううむ……確かに、あの教師なら「自主性がなんちゃら」とか言って職務放棄していそうではある。


「あら、そうなのね。それなら私もほどほどにしておくわ。お邪魔してごめんなさいね。鍵、返しておくわ」


 そう言って初地は天使から鍵を預かった。


「ありがとうございます」


「でも、たまには顔を出してほしいぞ。よろしくな、()()()()()!」


「ま、マジョセン……?」


 初地はひきつった笑みを浮かべながら聞き返す。


「ういち先生だから、魔女(ウィッチ)でマジョセン。変だったか?」


「い、いえ変ってことは無いけど……それより、先生にはきちんと敬語を使いましょうね」


「は~い。」


「一年間よろしくお願いしますっ! マジョセン先生!」


「よろしくお願いします。初地先生」藍虎が軽く礼をする。


「校内のことで分からないことがあれば、執行部がお答えできると思います。今度ともよろしくお願いします。魔女先生」


 丸背がお辞儀をすると、初地は張り付けたような笑みのまま、ぎこちない動きで「よろしくね~」と言いながら職員室に去っていった。


「いい人そうで良かったな」と三峰。


「まぁ、前任と比べればみんないい人ですよ」と天使。


「こらこら」と藍虎が苦笑した。





「それじゃあ、五組と六組は体育館にシートをお願いします。七組と八組は舞台の設営の方と、受付とか飾りを持ってきてもらえますか?」


 天使が体育館に整列した生徒たちに指示を出すと、それぞれ配置に分かれていった。


 入学式の前日。一年商業科の生徒たちは入学式準備のため、体育館に集められた。商業科の生徒は、普通科とは授業のカレンダーが少しだけ異なる。休みの始まりがやや早い代わりに始まりが早い。主に、クラスが変わらないために人事異動の影響を受けないことが原因だ。


 商業科の他に、声をかけられた普通科の運動部の生徒も、パイプ椅子の設置などの手伝いに駆り出されている。


「じゃあ、ニャンコ先輩。私は倉庫の方に行ってきます!」


「ええ、お願いします。早く終わったら、先に解散してもらって大丈夫です」


「分かりました!」


 天使は先に体育館を出ていった生徒たちを追って、扉を抜けていった。


 天使が階段下の倉庫に到着すると、すでに商業科の生徒が看板を搬出しようとしているところであった。


「天使ちゃ~ん、持っていくのってこれで合ってる?」


「ええっと、それは卒業式のやつだから、一旦廊下に出して、入学式の方を出してほしいな」


「わっ、ほんとだ。先輩たち手ぇ抜いたな」


 入学式の準備と片付けは、主に一年生が行ない、卒業式では二年生が行なう。四クラス総動員ではさすがに人手が余るため、多くの生徒は入り口から体育館にかけての掃除を行うことになっていた。


「まぁまぁそう言わずに……とはいえ、結構量あるから、バケツリレーで全部一回出しちゃおっか」


 天使の指示に合わせて、倉庫の中の物を一度廊下に出してから、戻しやすいように整列し直す。倉庫の中は、長くは居たくない埃の溜まり具合であったが、掃除をするほどの時間は無い。


「よ~し、軽く埃を落としたら設置しよう」


 数名の生徒と共に看板や机を体育館の入り口に運び、天使の担当していたエリアは解散となった。


「中はまだ準備中かな……?」


 暇を持て余した天使は、丸背が担当している館内の様子を見ようとカーテンをくぐる。すっかりモスグリーンのシートが引かれた館内では、まだ生徒たちがせわしなく動いていた。


「ボクも椅子運ぶね」


 天使は、新入生が座るパイプ椅子を、舞台下の収納台車に乗った生徒から受け取る。


「おっと、愛ヶ崎さん。すみません、もう少しで終わるのですが」


「いえいえ、どうせ私も退屈でしたから。でも、舞台の準備とかはもう終わってて、すっごく早いですよね」


「私の力と言うより、皆さんの手際が良いおかげかと。今年の一年生は優秀で助かりますね」


 えへへ、と天使は自分のことのように照れる。


「なになに、何の話ですか?」と商業科の生徒が集まってくる。


「うんとね、みんながすごいから早く終わっちゃったって話」


「えっ、天使ちゃんに褒めてもらえちゃった⁉」 「聞いた⁉みんな、これ家宝かも!」 「やばっ!七組の奴らに自慢しよーぜ!」


 軽い気持ちで天使が甘い言葉をこぼすと、ガソリンのように話の火種が広がっていく。


「ちょっと……まだ終わってないけど」


 歩き回るのが嫌で、収納台車に乗ってパイプ椅子の受け渡しに従事していた背の高い女子生徒が、うんざりした様子で注意した。


「わっと、エリちゃんごめ~ん」バレー部の知り合いらしい商業科の生徒が大げさに謝る姿勢を見せる。


「残り全部俺が運ぶっ!」 「いや、俺が行く」 「俺なら理論値で運べるけど???」


 我先にと残りのパイプ椅子を受け取りに行く男子生徒たちに、やれやれと言った風に少女は目的の物を回していく。


 そうして、それほど時間がかからずに入学式の準備は終了した。商業科の生徒たちはそれぞればらばらに教室へと戻っていった。


 天使も、丸背と共に運動部の顧問にお礼を言った後で下校した。






 その昼頃。


「そんな残念そうな顔するなって。結構こういう組み合わせあるぞ? 二人組でやる仕事は学年分けるのが基本だしさ」


「いえ、別に不満があるわけではないです。ただ、まぁ少し寂しいというか」


「はは、選挙ん時はあれだけ会いたくないって言ってたくせにな」


「それは……それよりも、新入生代表の生徒も少し気になりますね」


「あぁ? まぁ、多少な。でも別にそんな変な奴はこないだろ。天使ちゃんが変すぎただけだと思うぞ」


 三峰と藍虎は、新入生代表挨拶とその答辞の予行演習のために、体育館を訪れていた。副会長たちの仕事は無事に行われたようで、体育館の中はすっかり厳かな入学式の空気が満ちている。


「おし、マイクの用意もいいぞ」


「新入生、そろそろですかね」


「多分先生が連れてくるだろ。まぁ、それまでゆっくりしてようぜ」


 三峰がそう言って、近くのパイプ椅子に座ろうとした時、入り口のカーテンがめくられ、初地が入ってくる。


「ほら、氷堂(ひどう)くん。ここが体育館ね」


「ありがとうございます。本番はここから入場するんですね」


 氷堂と呼ばれた男子生徒は、初地が上げたカーテンをくぐり体育館を見回した。


「マジョセンじゃん。そっちの子が新入生くんなのか?」三峰が尋ねる。


「初地先生、ね。そう、この子が新入生代表の氷堂空間(くうま)くん。氷堂くん、あちらが生徒会長の三峰さんと書記の藍虎さんよ」


「三峰さんと、藍虎さん……よろしくお願いします」


 氷堂はそう言って滑らかな動きで右手を差し出した。入り口に近い藍虎が、先にその手を取る。軽く握手をして、二人は離れた。


 藍虎は酷く冷たい彼の手に、すこし驚いたが、すぐにそれほど驚くことでもないかと思い直す。しかし、三峰とも握手を交わす彼の張り付いたような笑みに、言いようのない不安と嫌悪を予感した。自分ではなく、自分の大切な誰かに向けられている純粋な感情。その矛先は考えるまでも無かったが、この一瞬で判断してしまえるほど確かな感情でもなかった。


「氷堂くんは、中学では何かしていたのかい? 随分と落ち着いた印象を受けるけれど」


「ええ、中学では生徒会に入っていました。先輩方は、台典商高の生徒会執行部の方なのですよね。実は、僕は先輩たちに憧れてここに入学しようと思ったんです」


「へぇ、それはありがたいぞ」


「もしかしたら、もう卒業してしまっているかもしれないけれど、出会えるといいね」


「おいおい、私かもしれないだろ?」


「あはは、そうですね。きっと、出会って見せます……()()()——」


 氷堂は、どこか遠くを見るように視線を流して、名前をつぶやいた。それはもういない人の名前を言うように儚く、かすかな声だったために、二人はその名を聞き逃してしまう。


「まぁ、とにかく練習してみるか」


「……そうですね。氷堂くんも、軽く何度か通しで読んでみて、後は入退場の練習をして解散にしましょう。それほど難しいものでもないと思います」


「ええ、お願いします」


 藍虎は、氷堂のつややかな髪の影で自信気に光るその瞳孔に、言いようのない不安を覚えたが、今は気にするべきではないと気持ちを切り替えようとする。


 天使ちゃん――きっと、自分の思い過ごしだろう。藍虎は軽く頭を振って意味のない想像を追い出した。







 それから、入学式はつつがなく進行し、台典商高の門を新入生がくぐった。


 天使は、自分がもう二年生になったという事実に驚き、一年前の恥ずかしくも誇らしい挨拶を思い出しながら、入学式に参列した。


「ねえ、天使ちゃん。もしかしたら、これがおんなじクラスで話すの、最後かもね」


「どうだろ。最後まで同じクラスかもよ?」


 入学式へと向かう道すがら、天使は悠怜とそんな話をした。もう登校の道も違っている。進路も成績も違う。きっとクラスは分かれてしまうだろうという予感を抱えながら、少しだけ天使は強がる。


 台典商高のクラス替えは、入学式の後で行われる。入学式の前は旧クラスで朝礼を行うのだ。


「そうだったら、いいね」


「もう、クラスがなにさ。いつでも話そうよ。でしょ?」


 天使の言葉に、悠怜は少しだけ気まずそうに視線を逸らす。それから、小さく「そうだね」とつぶやいた。


 天使は新入生代表の挨拶が始まり、ほんの少し前の回想から意識を戻す。力のこもった指でスカートにしわができそうだった。慌てて指を離し、手のひらにうっすらとかいた汗を下に履いている体操服の太ももで拭いた。


 今年の代表は、男子生徒だった。まぁそんな年もあるだろう。というか、新入生代表の男女比って、実際どれくらいなのだろう。


 どうでもいいことを考えながら定型文を聞き流していると、不意に壇上の生徒と目が合ったように感じる。


 あ、これたまに言われる目線を合わせてくれたの⁉ってやつだ。別に合わせにいっているわけではないんだけどな……


 天使が、気のせいだと思いながら壇上を見続けていると、なおも壇上の生徒はこちらを見ている気がする。……気のせいではないのか?


 天使は目を細めてよく表情を観察しようとしたが、それ以上に着席している生徒の方が気になってしまい集中できない。そうこうしているうちに挨拶は終わり、生徒は降壇してしまった。


「今年は気になる生徒が多かったですね」


「そうだな、問題起こしそうなやつも多かったな」


 入学式を終え、片付けの確認もかねて、一瞬だけ体育館の入り口に執行部で集合した。


「え、それって去年もやってたんですか? 私はなんて言われてました?」天使が口を挟む。


「ほら、代表の生徒も結構しっかりしてそうだったけどさ」


「うちは髪色自由とは言え、かなり派手な生徒もいましたよね」


「あの、私はどうだったんですか? あの、聞いてます~?」なおも抵抗を続ける。


「はいはい、聞いてる聞いてる。それで、一人だけ頭二つ分くらい大きい生徒がさ」


「あ、やっぱり見間違いではなかったんですね。男子生徒と比べてもかなり高かったですよね。運動部あたりで取り合いになりそうです」


「ねぇ、なんで教えてくれないんですか?」


「まぁでも、天使ちゃんの例もあるしなぁ。どうなるかは今後次第か」


「そうですね。愛ヶ崎さんの例もありますし」


「えっと、それっていい意味ですよね?」


 天使の問いに先輩は答えない。寂しそうに振り向いた天使の頭を、藍虎が優しくなでた。


 階段で先輩たちと別れ、天使たちはクラス替えで一喜一憂している生徒たちに合流するのだった。


 それは新しい一年の始まりであり、古い一年の終わりでもある。そんな境界線を、天使は今、何の気なしに跨ぐのであった。



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