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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編  一年生
28/81

第二十七話 生徒会選挙

・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。天使ちゃん。ムード/トラブルメーカーの天才少女。


藍虎碧あいとら みどり:一年四組のクラス委員長。真面目でクールキャラだと思われがちだが、汗をかき大声を出すスポーツが好きな熱血タイプでもある。


針瀬福良はりせ ふくら:一年二組のクラス副委員長。真面目で正義感が強い。委員長いんちょーというあだ名でクラスメイトに呼ばれている。


丸背南子まるせ なんこ:ニャンコ先輩。生徒会二年の現書記。猫背で丸眼鏡の落ち着いた少女。誰に対しても敬語で話す。


三峰壱子みつみね いちこ:ワンコ先輩。生徒会二年の現副会長。低い身長と元気で独特な口調が犬っぽい女子生徒。


亜熊遥斗あぐま はると:悪魔先輩。三年の現生徒会長。冷静で気が利く男子生徒。


神城怜子かみじょう れいこ:生徒会三年の現副会長。自称『神以上』の神城。


楠根寧くすね ねい:監査委員会現副会長の女子生徒。人を舐めたような態度を取る。


秤明日斗はかり あすと:監査委員会現会長の男子生徒。堅物だが革新派でもある。ユーモアが好きだが、あまり共感を得られていない。


阿良真新あら まあら:現図書委員長の女子生徒。おっとりとした長髪高身長の生徒。


影間蕾かげま つぼみ:監査委員会副委員長に立候補している生徒。小柄で小動物のような態度が可愛らしい。


神繰理央かぐり りお:選挙管理委員会委員長。冷静で無表情、厳格な女子生徒。退屈をしのげるような、面白い出来事を求めている。

 この学校には、天使がいる。それは台典(だいてん)商業高校において誰もが聞いたことのある噂であり、いよいよ開催される生徒会選挙を前に、その勢いが弱まった話題である。


 大抵の噂は、何かしらの物事を大事にしたがる誰かによって広がっていく。一見常識的でないような内容であっても、本当だったら面白いという無責任によって拡散され、それを真に受けてしまう優しい市民によって固定化される。


 一方で、そうした噂の種が消えていく要因もある。


 一つは、蓋然性だ。それが噂ではなく常識になってしまった時、すなわち、誰もが日常的なこととして受け入れてしまった時、そのセンセーショナルで不安定な魅力は失われる。美しい花火も、毎夜上がれば次第に興味は薄れていく。


 もう一つは、噂の当人が現れることだ。その噂を逆手にとって得をしようとしたり、露骨に特異性を誇示しようとしたり、言い換えれば、噂に対してフェアではない介入が行われることは、誰にとっても不愉快であり、気持ちをしらけさせることになる。


 台典商高において、天使の噂は、まさにこの二つの岐路を、それも三叉路に立たされている。愛ヶ崎天使というその少女は、全ての生徒の前に平等に現れ、その存在は当たり前のものになろうとしている。


 ある生徒は頭を抱える。天使を担ぎ上げるビジネスは、執行部という公権力に回収されてしまったと。


 ある生徒は舌なめずりする。これで彼女の権威は確固たる物になったと。


 あらゆる噂を食い尽くし、それでもまだ語られ続ける天使の噂は、果たして、三叉路を正しく進み、その不安定な位置を確かにしようとしている。彼女の魅力が、行動が、足跡が、新しい噂の種を作り続ける限り、その噂はなくならないのだろう。


 それは、彼女が噂の種でなく、爆発し燃え続ける火花そのものであるからだ。まっすぐに進み誰もを照らす、その善意の火花が光り続ける限り、誰もが目を奪われてしまうのだ。







 十二月もあっという間に過ぎ、いよいよ冬休みという時期になると、もうすでに冬休みが明けたときのことを考えてしまう。それほどに短い休みが、長期などとうそぶいて横たわっている。


 校舎内は全館空調というわけではないため、お手洗いに行くために廊下へ出ると冬の寒さを感じることになるが、さらに扉を抜けて、体育館への連絡通路に出ると、いよいよ外気の刺すような寒さに震える。

 天使は暖房の利いているはずの体育館までの辛抱だと思いながら、両手をこすり合わせた。セーターとブレザーを重ねても飛び出した指先は守れない。


 背を丸め、寒さと緊張をごまかす自分の前を堂々と歩く三人を見ると、むしろ不安が増していく。応援演説を行う生徒たちは、他の生徒と同じタイミングでやってくる。今は候補者の生徒だけが先行して体育館への道を進んでいた。


「今日、寒いですよね」

 後ろを歩いていた生徒が、そわそわとしている天使を気遣うように声をかける。


「うん、本当に困っちゃう。えっと、蕾ちゃんだっけ?手、暖め合わない?」


 天使は候補者名簿の名前を思い返し、なんとか名前を思い出す、影間蕾(かげま つぼみ)。前に楠根(くすね)が言っていたのと同じ名前だ。手を握って体温を中和すると、さらさらとしたショートヘアのその生徒は、小動物のように可愛らしく笑う。喜んでいる、というよりもそれが会話の基本動作であるように、話すたびに笑顔を再充填しているような印象だった。


「ありがとうございます。実は僕、まだ少しだけ不安で、みんなの前で話すのって緊張しちゃうから、先輩や藍虎(あいとら)さんが羨ましいです」


 天使は自分が緊張しいだと思われているのが少し癪だったが、その分彼女に寄り添えていると思うことにした。


「そんなことはないさ。私も緊張しているよ。表に出していないだけでね」藍虎が振り向いてほほ笑む。


「私は緊張してないぞ~。信任投票って、大体はそのまま受かるからな。それでもニャンコはビビってるみたいだけど」三峰(みつみね)が気楽そうに軽い足取りでステップを踏んで丸背(まるせ)を煽る。


「そもそも、副会長なんて、私には重たいですよね。神城(かみじょう)先輩の後を継ぐとかできないですよ。亜熊(あぐま)先輩みたいに、誰かが私の場所を変わってくれないですか?無理ですかね?」


「あ~ダメダメ。ネガティブになってら……ほら、大丈夫だから。大丈夫じゃなくても私がいるだろ?」


 ダウナーな雰囲気でうつむく丸背を、三峰が抱き寄せて頭を撫でる。長く深呼吸をして、それでも暗い顔で丸背は歩き始めた。


「あはは……蕾ちゃんは監査委員の候補者なんだよね。そういえば、楠根さんは?」


(ねい)先輩は、先に僕の応援演説があるので、そちらの入場タイミングになっているんです」


 天使を見上げながら、丸い綺麗な瞳を瞬かせる影間から目をそらすように視線を移動させると、彼女の制服に目が行く。ズボンタイプの裾からは、寒さ対策の黒いタイツがちらりと見える。


 台典商高では、制服の着崩しやカスタムは比較的自由だ。天使はどのラインから怒られるのか分からず手を付けていないが、かなりスカート丈を短くしている生徒もいる。丈や着こなしだけでなく、女子生徒のズボン着用や、やる生徒がいないだけで男子生徒のスカート着用も認められている。


 寒さ対策を考えたら、やっぱりズボンの方がいいのかな、と天使は考えながら、買い直す手間を考えて億劫な気持ちになった。じきにこの寒さも落ち着いて、ズボンでは避けられない暑い季節になるだろうと思うことで煩悩を追いやる。


 そうしているうちに体育館に着いてしまった。天使は舞台袖の暗さで心を落ち着けながら、選挙活動の期間を思い出していた。




 三峰が「適当でいいぞ」と言っていたのは、実際のところ真実らしかった。


 天使は応援演説をしてくれることになった針瀬(はりせ)と共に、演説原稿をクラス担任に添削してもらった。その後、選挙活動期間に入り、校門にでも立とうか、ポスターでも貼ろうかと悩んでいたところ、すでにでかでかと候補者の顔写真付きのポスターと、尊大な二つ名と共に煽り文句が記されていた。


「わ、ワンコ先輩!何ですか、あれ」


 慌てて二年生の教室に駆け込んだ天使を、呑気に教科書の整理をしていた三峰が出迎える。


「あれって……ああ、ポスターか。良い写真だったぞ。写真映りも良いんだな、天使ちゃんは」


「え、ありがとうございます……じゃなくて、何なんですか、あのポスター!」


 連絡掲示板や廊下の壁面に貼られていた選挙ポスターには、切り抜かれたものではあったが、おそらく体育祭や文化祭の時に撮られた写真が使われていた。学校で購入した写真は、家でフレームに入れて飾っています、と母から連絡が来ていたので画角に心当たりがあった。


「何って、選挙ポスターだぞ」


「それは分かってます。でも、私、あんなの作ってないですよ」


「下のとこの印鑑見たか?あれは新聞部が作ってくれてるんだぞ。きちんと選挙管理委員会のお墨付きでな」


 そう言いながら、二人で改めてポスターを見に廊下へ出る。まだ朝早い校舎は、冷たい空気がむしろ心地よいくらいだ。


「『お転婆キュートエンジェル』って何ですかこれ、馬鹿にされてます?」


「いいじゃん、べた褒めだぞ。それだけ知名度があってネタに困らないってことだよ。それと、もし不満があるなら、来年からは立候補してすぐ、新聞部に直接依頼するといいぞ」


 三峰が少しだけ役に立つ知恵を授けていると、階段の方から速足で丸眼鏡の女子生徒がずんずんと歩いてくる。片手にはくしゃくしゃになったA4サイズくらいの紙が握られている。


「お、ニャンコおはよ~」


「おはようございます。ところでワンコ、このポスター、まさかとは思いますが、あなたが考えたわけではないですよね?」


 『かわいい(=^・^=)』と煽り文句の書かれたポスターには、なぜか加工マシマシで丁寧に猫耳の付け足された丸背の写真が所狭しとレイアウトされていた。よく見ると天使の物とは違い、かなりオフショットに近い写真もある。


「なに言ってんだよ~、それは新聞部が作ったやつだって、今天使ちゃんにも説明しているところだぞ?」


「では聞きますが、この写真は春に行った公園の清掃作業中にワンコが撮ったものですよね?それにこっちは、文化祭の休憩中に六組のメイド喫茶に一瞬だけヘルプで入ったときにあなたが撮ったものですよね。誰にも見せないって言いましたよね?それをこんな衆目の目に晒されるところに流用するなんて、あなたという人は!」


 天使は激昂して三峰に詰め寄る丸背に圧倒され、思わず少し離れて二人の様子を眺める。彼女がここまで感情を出しているところを見るのは初めてだったが、それほど三峰が取り乱していないところを見ると、案外二人の時はいつもそんな感じなのだろうかと邪推する。


「お、おうおうそれはごめん。可愛い写真を選んでたらつい、な?」


「つい、何なんですか!そもそも、『かわいい(=^・^=)』って何です!選挙ポスターでしょうに!何でこれが認可されているんですか!」


「ま、まあまあ。そういう選挙ポスターもあるにはあるから……」


「私は、そういう路線では売ってないですから。とにかく、このポスターは全部私が剥がしますからね」


 そう言いながら、丸背は近くの壁にポスターを張りなおした。


「あれ、貼りなおすんですか?」


 天使は思わずそう聞いてしまう。


「ええ。厄介なことに、選挙の規則の一つとして、選挙ポスターは最低でも一日以上は継続して貼られていることが記されています。まだ期間はありますが、後で掲示し直すよりは、明日剥がす方が良いでしょう」


 天使は心の中で、明日なら剥がしていいのか、と思ったが、自分の物を見返すと、案外悪くない気がしたので、しばらくは止めておこうと思った。


「そうだ。そんなことより、天使ちゃん。今週は昼休みに挨拶活動をするから、空けとくんだぞ。一日四組ずつ回るからな」


「挨拶活動ですか?」


「そうだぞ。クラスを回って、名前と顔を一致させてもらうんだな」


「分かりました」






 そうして、昼休みには挨拶活動が始まり、いよいよ選挙活動らしくなると思っていたのだが――


「よっ天使ちゃん!」「ワンコ先輩かっこいい~!」「ニャンコちゃん、こっち向いて~」


 クラスを回る天使たちを待っていたのは、まるでアイドルかのような歓待であった。


 天使は、そうした期待や羨望、奇異や恋慕の目線で見られることにはかなり耐性のある方だと自負しており、選挙活動という強固に対外向けのペルソナを重ねている状況ではなおのことであったが、それでもどこかむず痒い気持ちというか、嬉しさよりも恥ずかしさが上回ってしまうのだった。


 同級生である一年生が、特別テンションが高いのではないか、という一縷の望みは、当然ながらやすやすと砕かれ、むしろ高学年ほど慣れているのか、お祭り騒ぎであった。


「もしかしてなんですけど、選挙活動ってこれで終わりだったりします?」


 全クラスを回り終え、不安げに天使は質問した。


「言ったろ?適当でいいってさ。形式的な物が多いんだよ、ここの選挙活動は」

 三峰が気だるそうに返答する。


「そ、そうなんですね」


 なんとなく気合を入れていた自分が少しだけ恥ずかしくなる。天使はとぼとぼと歩きながら、肩を落とした。


「あまり気を落とさないでください、愛ヶ崎さん。別に、選挙活動が形式的な物ばかりなのは、この学校において、執行部が重要でないからというわけではありません。愛ヶ崎(まながさき)さんのように、先代の会長が選んだ生徒は信用できるという信頼があるからこそ、つまりは、期待の裏返しなのです」


「ニャンコ先輩……」


 天使は慰めの言葉をかける丸背に思わず抱きつく。丸背は一瞬驚いたように目を細めたが、すぐに表情を緩めてその背をさすった。


「まぁ、私たちも選挙に時間食われるくらいなら、別のことしていたいもんな」


「その時間で人のポスターいじってたんでしょうに」


「日常の中にも遊びは必要だぞ」


「良いようにまとめないでください」






 そんな他愛ない会話を鮮明に思い出していると、幸福感と反対に不安が増していく。結局まともに選挙活動らしいことはしていない。清き一票を的なあれこれ無しで大丈夫なのだろうか。そもそも、信任投票の場合も言うのだろうか。言うか、普通に。信任なのだから、清い方がずっと良い。


 目を開けると、舞台袖から二階に上がる階段の壁面に体を預けていた藍虎が、薄目を開いてほほ笑みかけてくる。お返しにとびきりの笑みで応じる。


 影間は舞台袖にしまわれていた跳び箱の隙間に指を抜き差ししている。案外緊張しない方なのではないか?と感心した。将来は大物になりそうだ。


 大あくびをする三峰の後ろで、丸背はしんどそうに肩を落としている。反対側の舞台袖から手を振る先輩の姿を見つけると、幾分か元気を取り戻した様子だった。


 体育館のホールからは、すでに騒がしい生徒の声が聞こえていた。キーンと、マイクのハウリングする音が響き渡り、会場は一瞬静まる。


「あ、あ~。マイクのテスト中だ。よし、問題ない」


 舞台袖の入り口からマイク越しに女子生徒の少し低い声が聞こえてくる。選挙管理委員の生徒だろう。


「生徒諸氏は雑談を止め、舞台に注目するように。これより、台典商業高校、生徒会選挙を開会する。今年度の立候補者は、それぞれ定員と同数のため、投票は信任投票の形式で行われる。各候補者、応援者の演説をよく聞いて、信任に値するかを判断し、公正な一票を心がけるように」


 これまで学校行事の司会は基本的に丸背が行なっていたため、天使は、冷たい印象のあるその生徒の声に、どこか緊張感を与えられた。校内行事とはいえ、多くの生徒が自分を見て判断するのだという事実に、厳粛な空気を感じざるを得ない。


「なお、投票の仕方はすでに公示した通りだ。枠内には信任する場合は丸印、不信任の場合はバツ印を記入すること。それ以外の記入や枠内の落書きが見られた場合は、内容にかかわらず無投票扱いとする。投票は、不正防止の観点から我々選挙管理委員会の監視のもと行なわれる。投票に際して、不安があれば都度聞いてくれて構わない」


 天使は、司会が進んでいくにつれて緊張感の高まりを感じていた。もうすぐにでもはじまってしまうかもしれない。


 そんな天使の背を、優しく藍虎が触った。丸まった背を伸ばすように、暖かくも繊細に。


「この選挙の司会進行は、選挙管理委員長である、神繰(かぐり)理央(りお)が務める。円滑な進行、ならび投票のためにご協力をお願いしたい。それでは、候補者と応援者に登壇していただこう」


 司会の言葉を聞いて、三峰が舞台袖の生徒たちに向かって頷く。天使は藍虎と顔を見合わせ、改めて笑顔を交わした。ここからは苦しくても緊張していても、胸を張って自分を見せつけなくてはならないのだ。


 そうだ。つまりは、『やるべきことをやるだけ』なのだから。






 リハーサル通り、候補者とその応援演説を行う生徒が舞台に現れる。いざ舞台に上がれば彼らはもうただの生徒ではない。選ばれた者たちであり、生徒の前を歩くことになる者たちなのだ。


「候補者、並びに応援演説者、着席。それでは、監査委員会副会長に立候補している影間から、演説を始めてくれ」


 司会の言葉に従い、影間が立ち上がり、演説台の元へと進むと、制服のポケットから台本を取り出す。基本的には暗記することで生徒たちを見ながら語るが、形式的な動きとしても万が一の対策としても、用意しておく方が良いだろう。


「皆さんこんにちは」


 生徒たちはまばらに返答する。


「この度、監査委員会副会長に立候補しました、影間蕾です。私は商業科で、授業内外問わず、会計業務や運営実務に関して、様々な知識を学習してきました。前任の楠根さんにも、その点を買っていただいてこうして抜擢していただいたのだと自負しております。副会長として、皆さんに信任していただいた暁には、これまで以上に様々な知識を蓄え、会長を支えていきたいと考えております。まだまだ頼りないところも多いとは思いますが、応援いただきたいです」


 影間が軽く礼をして、自分の席に戻っていく。移動していた時や、選挙活動をしていた時は、人形のような可愛らしい生徒だと思っていたが、こうして厳かな場面で見ると、男らしいというか凛とした印象を受ける。心なしか骨格まで太くなったように思えてしまう。


「影間さんの応援演説を務めます、監査委員会現副会長の楠根寧です。この一年、いえ二学期中ですが、一年生の皆さんを観察させていただき、中でも彼は判断力や学習能力に優れ、周囲の生徒をよく理解して行動していると感じられました。優れた成績や学習への態度は語るまでもありませんが、そうした個人としての資質は何よりも監査委員会に向いていると考え、推薦させていただいております」


 緊張しながら影間の演説を反芻していると、いつの間にか応援演説に移行していた。対面したときの印象は、上から目線というか、自信家に思えた彼女の態度が、演説という局面では説得力に変わるように感じさせられる。


 内容について真剣に考えるならば、結局のところ、三峰の言っていたように「形式的」でしかないのだろう、具体的なことは言っていないように感じた。むしろこれから自分の言うマニフェストが大言壮語というか、馬鹿らしく思えてきてしまう。やっぱりクラス担任より生徒会担当の先生に添削を頼むべきだったと後悔する。


 そうこうしているうちに、楠根は席に戻り、一度座ってから戻ってくる。奇妙な動作だが、発表順の関係上どうしようもないらしい。予行の時にも見たことなので今更驚くこともない。


「続けての登壇、失礼します。改めまして、監査委員会会長に立候補させていただきました、楠根寧です。この一年、副会長として皆さんを、そしてこの学校の動きを観察させていただきました。先代会長である(はかり)さんにも教示いただいた知識を生かし、より円滑に、適切に生徒の皆さんが組織を運用できるように調整していく所存でございます」


 楠根は演説を終えると席に戻っていった。


 やはり特に新しい活動をすることを開示するのではなく、根本的な清廉さを主張する形のスピーチのようだ。それが監査委員会に対する生徒たちの注目度の表れなのか、歴々の候補者たちの戦略なのかは定かではないが、少なくとも不評ということはないらしく、ホールからはアイドルのように名前をコールされている。温かい会場だと思うことにしておこう。


「楠根さんの応援演説を行います、監査委員会の会長を務めさせていただいておりました、秤明日斗(あすと)です。彼女は、非常に生徒の皆さんの一挙手一投足に対する観察眼に優れています。それは監査委員会としての費用運用についても同様です。非常に遺憾なことに、現状存在する部活動や同好会の一部で、部費や支援金の無用な出費や申請が見られます。私も今年度の活動において、その多くを是正し、勧告を行ってまいりましたが、まだ完璧な状態とは言い難い。この一年の活動の中で、彼女はそうした変化のただなかにある状況において、適切な判断と施策を行なえる生徒であると判断いたしました。生徒の皆さんからも、信頼とご協力を頂けますと幸いです」


 演説を終え、秤はまばらな拍手と共に席に着いた。同時に空気中の分子が動きを止めたような、緊張と集中の冷たい感覚が全身を駆け巡る。


 天使は拍手が止むタイミングを見計らって立ち上がる。まっすぐに演説台へと進み、広がっていく視界で体育館の前半分を埋める生徒たちを、壁際で演説を聞き流す教師たちを、捉えて意識を向ける。一人一人に声を届けるように。しっかりと前を向いて、緊張も不安もかき消すような、天使の仮面をかぶる。


「生徒会執行部副会長に立候補しました、一年の愛ヶ崎天使です」


 人に名乗るのは嫌いだった。今でもどこか、息が詰まるような苦しさを覚えてしまう。聞き返されたりなんかしたら、少しだけややこしい名字のせいにしてごまかしてしまう。ちゃんとした人間として、自分を開示することができない。誰が褒めてくれたとしても、どれだけ必死に足りない部分を補ったとしても、自分はこんなにも欠けた人間なのだと認めてほしくなる。


『天使』を目指して歩き始めたあの日から、正しくなりたいと願って、正しくありたいと選択してきた。だけど同時に、『天使』のいなくなった心の空隙こそが自分なのだと意識させられる。完璧な人間になど、完璧な『天使』になどなれない。いや、なりたくないと思ってしまっている。


「もしかすると、皆さんはすでに私のことをご存じかもしれません。入学してからの学校生活で、たくさんの方に声をかけていただいたり、こちらから声をかけさせていただいたり、様々な出会いがありました。皆さんとの関わりの中で、様々な悩み、不安、問題があることが分かりました。私は執行部に入ることで、皆さんの一人一人が抱えていることを解消し、より快適で活気あふれる台典商高を作っていきたいと考えています」


 でも、それで何がいけないというのだろう。


 完璧な存在でなくてもいい。それでも誰かを、自分を見て助けを求めた誰かを、安心させることができるように、美しい面を見せ続ければいい。


「亜熊会長の下で、前年度の執行部は様々な改革を行い、問題を解決してきました。しかし、それらは大きな改革ではあれど、生徒のために動く執行部と皆さんとの間に壁を作る物であったともいえます。私は副会長として、より皆さんの声を聞き、生徒全員で学校をより良く運営していきたいと考えております。

 私は、執行部という活動においても、皆さんと共に歩み、()()()であり続けたいと思います。皆さんがより手を取りやすい、そして共に進んでいきやすい、そんな執行部を目指します」


 定型的な締めの文章を添えて頭を下げる。緊張すると、むしろ余計なところでも手を前に出して声を張ってしまう。ちらりと横目で見た選挙管理委員長は、ずっと顔色を変えないので怖かったが、ひとまず言うべきことは言えた気がする。


 顔を上げて席に戻ろうとすると、うるさいほどの拍手が背に浴びせられる。選挙演説でそんなに拍手をするものではないだろうという分析が追い付かないほど、期待と応援の轟音が背を伸ばさせた。この思いを背負って、進み続けなければならないのだ。


「愛ヶ崎さんの応援演説を務めます、一年二組クラス副委員長の針瀬(はりせ)、針瀬福良(ふくら)です」


 天使が席に戻ると、応援演説が始まる。小刻みに台本と客席とで視線を移動させる針瀬を見ると、そういえば彼女は緊張に弱いのだったと思い出す。文化祭の時のように喝を入れられればいいのだが、位置関係が悪くこちらから干渉することはできなさそうだった。


「正直なところ、私なんかよりも愛ヶ崎さんを正しく評価できる人はたくさんいるのではないかと思います。演説を聞いてくださっている皆さんも、彼女が執行部の活動を手伝って奔走しているところをご存じだと思います。なので、私からは二組での彼女の姿を紹介します。

 彼女は自由で、仕事の手際もよく、クラス委員長として私たちを導いてくれています。ですが、目を離すとあっという間にいなくなり、厄介な問題を引き起こしたり、想像だにしない提案をしてきたりするなど、とっても迷惑しています!」


 針瀬がわざとらしく天使の方に頬を膨らせる。生徒たちは声を小さく出して笑う者、軽く拍手する者、目立たないようにわずかに口角を上げる者と様々だった。客席の方に向き直ると、針瀬は具体的に過去を思い出すように穏やかな顔で笑みをこぼす。


「とっても迷惑していますが、それが彼女の良いところだと、私は思います。彼女は、誰かのために、誰かが迷ったり、苦しんだりしたときに手を差し伸べられる人間です。それが彼女自身の負担になることや、誰かに非難されることだとしても、誰かを助け成長させるという選択肢を選ぶような子なんです。

 彼女は執行部としてこれ以上ないほど人を導くことに長けた生徒だと思います。ですが、それは皆さんの信頼や応援があってこその物だとも、私は思います。どうか、彼女の行く道に、皆さんの一票をお願いしたいと思います」


 針瀬は軽く礼をして、席に戻っていった。席に着く寸前、ちらりと視線をこちらに向け、少し恥ずかしそうに微笑む。天使は思わずサムズアップしたくなる気持ちを抑えて、笑顔を返す。体育館が優しい拍手の音で包まれた。


 交代で、隣に座っていた藍虎が立ち上がり、演説台へと向かう。四組のクラス委員長である彼女が、どういった思いで立候補したのだろうか。あるいは、基本的には引き抜きという話だから、神城先輩はどういう思いで連れてきたのだろか。必ずしも本心を語る場ではないと思いつつも、そうした背景に興味が湧く。


「皆さん、こんにちは」

 緊張を感じさせない、穏やかな表情と声色で藍虎は切り出した。


「生徒会執行部、書記に立候補させていただきました、一年四組の藍虎(みどり)です。愛ヶ崎さん、そして針瀬さんの素晴らしい演説の後で、少し緊張してしまいますが、できるだけわかりやすく、率直に私の思いをお伝えできればと思います。

 私は現在、四組のクラス委員長を務めており、クラスの皆さんにも支えられながら邁進している最中です」


 藍虎の話題に、四組の生徒たちが口々に彼女の名を呼ぶ。藍虎は軽くほほ笑みながら手を上げて反応する。


「私は、彼らと共に成長していく中で、この台典商高の教育目標でもある『思い、努力、協調』の精神を強く感じました。そしてなにより、一年生ながらこの目標を体現するような愛ヶ崎さんの姿に感銘を受け、私もまた、クラスだけでなく、生徒の皆さんを導きこの学校全体のために尽力したいと考え、神城先輩に執行部への立候補を打診させていただきました。ですから、私はこれまでの執行部の先輩方とは違い、選ばれた人間ではありません。上級生の皆さんからすると、ご不安や心配をお持ちになるかもしれませんが、この身を尽くして成長していく所存ですので、どうかご信頼のほどをよろしくお願いします」


 藍虎が演説台を後にすると、まばらな拍手が次第に大きくなり、生徒たちの反応の困惑が見られた。四組の生徒たちがかばうように野次を入れるたが、司会にたしなめられた。


「神城よ。藍虎さんの応援演説を引き受けました」


 続く神城は、役職の名乗りなど必要ないというように語りだす。


「昨年度、私は学校中を回って、私と共に素晴らしい執行部、そして生徒会を作っていくために動ける生徒を探しました。結果は皆さんご存じの通り。私は自分の審美眼を疑ったことは一度もありません。今年度も当然入学式のその日から、アンテナを立てていました。

 ですが、私から声をかけることはしなかった。それは迷ってしまったからです。皆さんももしかするとお気づきかもしれません。彼女たちは共にクラス委員長を務めています。当然彼女たちの才能から見れば適切な起用と言いたいところです。しかし、それは一方で、クラスの信用を、責任を背負う立場にあるということ。いくら執行部と言えど、そうした信頼を無視して無理やり勧誘することは悩ましかった。当然ながら、先生方からも牽制されていました。

 しかし、彼女たちは、自らの意思で立候補してくれた。これはクラスメイト達への信頼が、そしてクラスメイトからの応援あってこそです。もちろん、困難も多いでしょう。しかし、それを乗り越える強さを、彼女たちは持っている。そのことは断言できます。新たな形の執行部の門出に、皆さんの賛同をいただきたい。私からは以上です」


 後ろからではよくは見えないが、おそらくキメ顔で神城が締めくくると、生徒たちは賛成するように喝采を浴びせた。凛とした態度で神城が席に戻り、対照的に縮こまりながら丸背が演説台へと向かう。


「えと、生徒会執行部副会長に立候補させてもらってます。丸背南子(なんこ)です。なんだか、大きな話ばかりで恐縮なのですが、少しだけお話させてください。昨年度書記を務めさせていただいた私は、皆さんの学生生活、そして学外での学習も含んだ私生活両面での様々な問題を目にしてきました。

 我々執行部も、一生徒の集団にすぎません。愛ヶ崎さんも、等身大という旨のことをおっしゃっておられましたが、その通りだと思います。皆さんと共に歩むことが、執行部として一番の理想であり、問題解決の結果よりもむしろその過程の方が重要であると私は考えています。

 昨年度、執行部は不登校問題の解決に動きましたが、成果は芳しくない状況です。また、家庭の事情は執行部の域を越えているという意見も散見されます。しかし、私はここにいる皆さんだけでなく、この学校に所属するすべての生徒の、当たり前が保証されていてほしいと思うのです。そのために、力足らずな私ではありますが、尽力していきたいと思います」


 丸背はそそくさと礼をすると、席に戻っていく。生徒たちは「かわいい~」とヤジを飛ばしている。話を聞いていたのか?と思わなくはないが、天使は思わず丸背の思いに感動して、太ももの上で組んでいた手をきゅっと握る。


 拍手や野次がフェードアウトしたころ、丸背の応援演説者である図書委員長が登壇する。小柄な丸背の後だからか、その女子生徒の身長はかなり高く見えた。目測で一七〇センチメートルは越えていそうだ。演説台のマイクを捻り、高さを調整すると耳障りなハウリング音が響いた。


「あらあら、大丈夫かしら」


 女子生徒はおっとりとした口調でマイクを見回す。肩から前に垂れた髪は、さらりと流されているようでしっかりと固められている。


「それじゃあ、始めますね。ニャンコちゃん、じゃなくて丸背さんの応援演説をします、阿良(あら)真新(まあら)です。えっと、図書委員長っていうのをしています。丸背さんとは文芸部で一緒なんです。とっても真面目な子で、執行部の仕事も大変だろうに、熱心に部活動にも勉強にも取り組んでいるようですよ。それと、細かいことにもよく気付く子で、この前も危うく忘れそうになっていたお仕事を教えてくれたのよねぇ」


 マイナスイオンの香水でも使っているのか、一言しゃべるたびになんだか気が抜けてしまう優しい声色と話し方だ。語りのテンポ感がかなり遅く、もどかしさでどうにかなってしまいそうだったが、天使は何とか姿勢を崩さないように意識した。


「——と、そんなところかしら。とにかく、優しい子でたくさん頑張っているから、みんなも応援してあげてほしいな。私からはそれだけです」


 ようやく眠気を誘う穏やかな語りが終わり、生徒たちも一定間隔の拍手を送る。


 阿良が席に着くと、思い出したように三峰が立ち上がり、自信ありげな笑みを浮かべて演説台に立つ。


「あ、あ~。みんなまだ元気は残ってるか?私と会長の演説で最後だから元気出していこうな」


 三峰は生徒たちを見回すと、元気な声でそう切り出した。


「生徒会執行部、会長に立候補した三峰壱子(いちこ)だぞ。知っている人も知らなかったという人も、この機会に覚えてほしいぞ。

 私が会長に立候補した理由は一つだ。現状横たわっているこの学校の問題を、()()()解決するためだ」


 三峰が自信満々な表情のまま豪語すると、生徒たちの間にも驚いたような反応が広がっていく。天使も予想外に大きな目標に内心驚く。


「問題と一口に言っても様々だ。先ほど上がった不登校生徒を始めとして、部活動間やクラス間の人間関係や経費の問題。それらすべてを解決し、二度と繰り返さないように対策を講じる。それが私の目標だ。

 当然、私一人にそれができるとは言い切れない。だが、会長となった私の目標がそうであると知ってほしいということだ。そして、信頼してほしい。執行部は君たちを助け、悪を許さないと。その上で、私たちに導かれる君たちも、立ち上がり、前に進んでほしいと思う。君たちになら、それができると私は思うぞ。伝えたいことは以上だ」


 三峰が演説台から離れると、生徒たちが大きな喝采で見送る。亜熊が少し困ったように前髪を分けて苦笑する。


 拍手が鳴りやまないまま、亜熊が渋々立ち上がり、登壇した。じっくりと会場が静かになるのを待って話し始める。


「三峰の応援演説をさせてもらう、亜熊遥斗(はると)だ。俺からは語ることは少なくて構わないだろう。今、君たちが少しでも心を動かされたなら、それがすべてだ。

 昨年度、この場所で俺は「やるべきことをやるだけだ」と、そう宣言した。実際、執行部としての活動はその域を出なかったと思っているし、それ未満にもならなかったと思っている。

 そして、神城は彼女の理想とその妥当なプランを掲げていた。もしかすると、大言壮語に聞こえたかもしれないが、彼女はそれを可能にできたと俺は思う。彼女が会長であったならば、その目標は達成されていただろう。しかし、一方で、昨年度執行部が是正した制度や諸課題はおろそかになっていたかもしれない。

 三峰は、俺と神城のどちらの視点も持ち合わせていると感じる。生徒たちをより前へと導く大胆さと力強さ、そして誰も取り残さないようにと支え見渡す広い視野。今年度は、そのどちらかではなく両方を兼ね備えた執行部になる。より高く、もっと先へと、成長していこう。執行部はそんな生徒を支え導く。俺からは以上だ」


 亜熊が軽く礼をして席へと戻っていく。先ほどと同様に、いやそれ以上の喝采が見送る。天使も思わず拍手したくなったが、気持ちをぐっとこらえて背筋を伸ばした。


「各候補者の演説が済んだ。生徒諸氏は、入り口に設置してある投票箱に投票した後、教室に戻ってくれ。開票結果は、放課後に放送で告知するほか、明日の始業前には連絡掲示板に張り出す予定だ。それでは、両端のクラスから順に投票に向かってくれ」








 それから、体感ではかなり長い時間がかかって生徒たちが全員退室していった。最後の生徒が出ていってからようやく、候補者たちは舞台から降りる。


「うわあああ、藍虎ちゃああん、緊張したよぉおお」


 天使は張りつめていた緊張が解けると同時に、近くにいた藍虎に抱き着き、安心したように息を漏らした。


「わっ……てん――愛ヶ崎さん、大丈夫だよ。演説、とっても上手だったじゃないか」


 藍虎は一瞬フリーズしてしまったが、すぐに天使に優しく言葉をかける。


「くすくす、演説が上手くても、裏でこんなんだと先が思いやられますねぇ……」


「スネ子はもうしばらく仕事がないもんな」


「はぁ?ありますけど?できもしないこと堂々と言ってる人に言われたくないですね」


「わわっ、寧先輩っ!あんまりカリカリしないでください」


 悠々と口笛を吹く三峰をにらみつける楠根を、慌てて影間がなだめた。


「針瀬さん、だったわね。応援演説、とっても良かったわ。去年だったら執行部に誘いたいくらい」


「い、いえ、そんな……ただ思ったままを言っただけで……」


「うふふ、大丈夫よ。自信をもって。あなたはしっかりと前を向いて進んでいる。それが伝わってきたの」


「あ、ありがとう、ございます」


 神城の言葉に、針瀬はかしこまってお礼を言う。


「おい、遥斗。放課後打ち上げをしないか。現体制崩壊パーティーだ」


「俺たちはレジスタンスか何かなのか?」


「阿良もいるなら、委員長会にするか」


「お前、委員長の中で一番コネクション弱いだろ」


「そんなことは……阿良、お前はどう思う」


「秤くんはねぇ、う~んと、ごめんねぇ、何て言えばいいのかな」


「それが一番傷つくかもしれないな」


 会長二人と図書委員長が歓談していると、チャイムが鳴り、終業を知らせる。


「……案外、一年は早いものだな」亜熊がつぶやく。


「それだけ楽しかったってことじゃない?」と神城は笑う。







 そして、開票結果は公示され、大きな波乱もなく天使は生徒会執行部の副会長となった。


「理央さん~、この作業って本当に要ります?」


 選挙管理委員が開票を進める部屋で、委員の女子生徒がぼやく。


「必要ないからと止めてしまうにはもったいないと、私は思う。それに、今回の選挙は実におもしろい結果だな」


「選挙結果なんて、当落しかないですよ?」


「他にも分析要素は多いさ。前の委員長が楽しそうに話していた。得票率はその一つだ。例えば今回は、前回よりも、そして過去最大に得票率が高い」


「それって、休んだ生徒の数とかじゃなくてですか?」


「いや、例年ふざけた記入をする生徒が多いということだ。嘆かわしい。私の注意喚起が聞いたということであれば、素晴らしいのだが、どうにも他に要因があると思われる。それが先代の委員長が興味本位でやり始めたこの記録だな」


「それがこの落書き率ですか?……要するに得票率の反対なのでは?」

 女子生徒は首をかしげる。


「一見そのように思えるだろう。しかし、落書きだけでは無効票にならない。もう落書きは仕方がないこととして、枠内にきちんと記入されていれば、枠外がどうなっていようと有効票として扱われるんだ」


「これとかやばいですよ。お気持ち投票っていうか、途中で止めようかと思いましたもん」


 女子生徒は、枠外につらつらと応援メッセージが書かれた投票用紙をひらひらと掲げた。


「今回は落書き率がかなり高い。しかし、得票率は過去一だ。つまり、気持ちを吐き出したいが落選させたくない、という生徒が多かったと分析できる」


「つまり、心を動かされたってことですね。へー、それで、結局この落書き率の集計もいるんですか?」


「……まぁ、いろいろ残しておいた方が面白いだろう」


「……そうですね」


 そうして、いよいよ天使は正式に執行部として活動することになるのであった。それが新たな波乱の幕開けとなるのかは、まだ誰も知らないが、きっと平坦な道ではないだろう。


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