第二十六話 応援演説
・主な登場人物
愛ヶ崎天使:この物語の主人公。天使ちゃん。ムード/トラブルメーカーの天才少女。もうすぐ高校生活の一年目が終わることが信じられず、同居人の悠怜に「もう一年だよ!?」と確認を取るが、「それ昨日も言ってたよ?」と返され、むしろ時の進みの遅さを感じる。
藍虎碧:一年四組のクラス委員長。真面目でクールキャラだと思われがちだが、汗をかき大声を出すスポーツが好きな熱血タイプでもある。体育祭の後、暑いなと思って髪を切ったが、今度は寒いなと思い始めている。
針瀬福良:一年二組のクラス副委員長。真面目で正義感が強い。委員長というあだ名でクラスメイトに呼ばれている。なんとなく来年も言われるんだろうなと思いつつある。
丸背南子:ニャンコ先輩。現生徒会二年の書記。猫背で丸眼鏡の落ち着いた少女。神城が天使の応援演説をするだろうと思い、事前に別の先輩に頼んでいた。
三峰壱子:ワンコ先輩。現生徒会二年の副会長。低い身長と元気で独特な口調が犬っぽい女子生徒。昨年度は三年の副会長に応援演説をしてもらった。
亜熊遥斗:悪魔先輩。三年の現生徒会長。冷静で気が利く男子生徒。友人が少なすぎるあまり、昨年度は個人的な付き合いがあった芽森に応援演説を頼み込んだ。噂の中の存在であったパソコン室の主が登壇したことで生徒たちはざわめいたという。
神城怜子:三年の生徒会現副会長。自称『神以上』の神城。お高くとまっているようで案外庶民派の女子生徒。昨年度は昨年の生徒会長に応援演説を頼み、負けるわけがないわ!と思っていた。
楠根寧:監査委員会現副会長の女子生徒。人を舐めたような態度を取る。後輩には基本的に当たりが強い。
芽森井門:パソ研の現会長。パソコン室の主と呼ばれる丸刈りの男子生徒。一見粗暴なようで、作業や人間関係にはこだわりがあるらしい。
この学校には天使がいる。それは台典商高の生徒たちの間で日に一度は交わされる定番の話題であり、実在の生徒の実際の行動が元になっているにもかかわらず、二言目には尾ひれが付いて、あっという間に広がっていく噂である。
愛ヶ崎天使という少女は、一年二組の教室でいつも通り自由に過ごしている。天使の噂は、もはや彼女の存在とは乖離し、七不思議のひとつとしての天使の噂と、眩しく身近で手の届かない怪しげな魅力を持つ天真爛漫な少女の噂に分かれて認識されるようになっていく。すなわち、台典商高における天使の噂は、いよいよ少女の偶像を離れて崇拝されるようになったということである。
あるいは、そうした変化が、依然と比べて愛ヶ崎天使本人に直接願掛けをしに来る生徒が減った要因なのかもしれない。少なくとも、天使自身は、その変化を知らなくとも、なんとなく過ごしやすくなったような雰囲気を感じていた。
しかし、天使本人が自分の持つ影響力や求心力に無自覚的であったとしても、その魅力に対して自覚的に、恣意的に彼女と関わろうとするものもいる。天使がそれと意識せずとも、彼女は誰かに影響を与え、人生を動かす。そしてそれは何より彼女自身が、天使という、生徒たちの噂によって膨れ上がった虚像に向けられた焦点を一点に集めることで、加速度的にその影響力を増し、再び天使というイメージを代弁することになるのだ。
彼女は天使であり、天使ちゃんとなる。その偶像が一度微笑み、頷くだけで、その噂は現実となり、天使という眩しい星への偶像崇拝が始まるのだ。
一二月になり、期末テストを終えた生徒たちは、冬休みの到来をうずうずと待ち望む。ほんの一週間ほどの休みだとしても、長期休みという字面だけでどことなくたくさん休めた気持ちになるのだから不思議なものだ。
とはいえ、二週間後に生徒会選挙を控えた天使は、楽しみというよりも不安な気持ちが体を巡っているのであった。
いよいよ週が明ければ選挙活動も行わなければならないと、執行部の先輩である三峰から伝えられていた。「適当でいいぞ」と無責任な言い方だったが、天使としては、適当な選挙活動をしていることが校内で噂されたりすれば、羞恥に耐えられないため、なるべく誇れるような内容を考えなければならないと思っていた。
募る不安をそのままに、放課後は生徒会室に赴き、資料整理を手伝いながら引継ぎ資料に目を通す。引継ぎと言っても、執行部は役職間での仕事内容が大きく違うわけではない。文化祭などの行事では、挨拶や司会進行などの固定された役割もあるが、それ以外は現場対応やその場判断での割り当てが多く、それゆえに引継ぎではすべての仕事に目を通しておかなければならない。
「ところで、天使ちゃんはもう、誰に応援演説をしてもらうのか決めたのか?」
不意に三峰はそう質問した。
「応援演説ですか?」
「ああ、選挙の時に候補者の長所とか実績、推薦理由なんかを客観的に、あるいは個人的な目線で補足してもらうんだよ。候補者がマニフェストを言うだけなら、何でも言えちゃうからな」
「それは、まぁそうですけど……ワンコ先輩がやってくれるんじゃないです?」
天使は不安げにそう尋ね返す。応援演説の存在自体は知っていたが、基本的には前任者がしてくれるものだと思っていた。
「三峰は応援演説ができないな」
二人が引き継ぎをしている間他の雑務をこなしていた亜熊が、横から指摘する。
「候補者になっている生徒は応援演説ができないんだ。同じ理由で丸背もできないし、愛ヶ崎も誰かの応援演説をすることはできないんだ」
何度も誰かに説明したことがあるように、よどみない口調で亜熊は規則を述べていく。目をパチクリと瞬かせながら、天使はその言葉の意味を咀嚼する。
「えっと、じゃあ……」
「申し訳ないが、俺は三峰に頼まれているんだ。愛ヶ崎の方を担当することはできない」
「じゃ、じゃあ、ニャンコ先輩はどうしてるんですか?」
「私は、阿良先輩に頼んでいます。文芸部の先輩なので、快諾してくれました」
「真新さんか~、図書委員長だもんな。ニャンコにしては珍しく良いコネクションの使い方じゃないか?」
「珍しくは余計です。これでも結構説得には苦労したのですから」
「え、えっとじゃあ、神城先輩——」
天使がなんとなくその先の絶望的な展開を察しながら尋ねようとした時、生徒会室の扉がガラガラと開かれた。
「お疲れ様です。遅れて申し訳ありません。神城先輩はおられます、か?」
黒いミディアムヘアの女子生徒は、予想外にじっと向けられた視線に困惑したように硬直する。軽く首を傾げると、さらさらと髪が流れ、陰になっていた穏やかな瞳が姿を現す。
「……お邪魔でしたら、出直しましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。むしろ、グッドタイミングね」
神城は女子生徒の方へと向かうと、軽くその肩を掴み、天使の方へと向ける。
「紹介するわ。藍虎碧ちゃん。今度の選挙で執行部の書記に立候補しているの。私は彼女の応援演説をするから、ごめんなさいね」
「あ、あの、神城先輩……まだ秘密にしていたかったのですが」
「なぁに?そろそろいい時間でしょう。それに、いつまでも隠しておけるわけじゃないのだから、ね。碧ちゃんはとっても優秀だし、早く紹介したかったのよ」
「か、神城先輩……」
目元が隠れるほど長い前髪が、不思議と爽やかに見える凛とした顔立ちの少女、藍虎は照れるように視線をそらした。
「あ、藍虎さんって、確か四組の委員長の……よろしくね」
「うん。こちらこそ、よろしく」
天使がほほ笑むと、藍虎は口を真一文字に結びわずかに口角を上げた。天使は、変な笑い方をするんだなと思ったが、あまり口に出して言うようなことでもなかったので、気にしていないふりをして握手する。
「書記に立候補、ですか?珍しいですね」
「ニャンコもそうだったろ」
「だから珍しいと言っているんです。執行部に立候補する人なんて、大抵生徒会長になりたい人だと思いますし。私は、ワンコに無理やり立候補させられたので違いますが」
丸背は目を細くして三峰をにらんだが、親友はどこ吹く風である。藍虎はあまり気にしていないようで、淡々と用意していたように返答する。
「ええ、珍しい立候補の仕方ではあると思います。ですが、生徒会長は愛ヶ崎さんがふさわしいと、私は思ったので、そのサポートをしたいと思って立候補しました」
「えへぇ~、じゃあさ、応援演説を……」
「だから、候補者はできないんだぞ」
「そんなぁ~」
藍虎にすり寄った天使を三峰が引きはがす。
「……応援演説、ですか?」
藍虎は生徒会室にいる生徒たちの顔を順に見た後、合点が言ったようになるほど、と軽く頷く。
「その、私の協力者は今から探してきますから、神城先輩は――」
「ダメよ、碧ちゃん。そういう自己犠牲は天使ちゃんのためにならないし、私はあなたの応援がしたいの。それに、天使ちゃんならこのくらいの問題は、どうってことないわよね」
「ううええぇぇん」
「なんか、ダメそうな声を上げてますが」
「いつものことだから大丈夫よ、多分ね」
藍虎がやや困惑した瞳で天使を見つめていると、不意に天使は立ち上がり拳を握った。
「とりあえず、ワンコ先輩。引継ぎの続きをお願いします。今考えてもいい答えが見つかりそうにないので」
「おう、まぁ本当に困ったら私を頼るんだぞ」
さっきまでの慟哭をすっかり忘れて作業に戻る天使を見て、藍虎は一瞬呆気にとられたが、そんな天使の背中をおかしそうに少しだけ笑って、神城と共に作業に移った。
明くる日、天使は悩んでいた。当然ながら、応援演説を誰に頼むべきかということである。昨晩、悠怜に頼んだところ「無理無理、人前で演説なんて絶対無理だよ。それに、私が応援演説したって全然説得力ないし、もっとちゃんとした誰か先輩とかに頼んだ方がいいと思う」と断られてしまった。
先輩——執行部を除いて、かかわりのある生徒の姿を思い浮かべる。誰かやってくれそうな人がいるだろうか。
「いや、とにかく考えるより行動だよね」
独りごちて天使は立ち上がる。昼休み、クラスメイトの目線を集めながら、天使は颯爽と教室を飛び出していった。
「で、なんで寧のとこに来るわけ?迷惑なんですけど」
天使は、二年生の教室を巡り、ようやく監査副委員長の楠根を見つけた。
「だ、だって、スネ子さんも選挙に出るんですよね」
「その呼び方マジでやめろよ。ていうか、候補者って分かってるんだったら、応援演説できないことくらい分からないの?」
「た、確かに……」
「まぁ、監査委員はその縛り無いけどな」
「え?じゃ、じゃあ」
「あくまで監査委員の話な。うちは前任者がやるのが通例なんだよ。だから、どっちみちあんたのは無理。ほら、こんなとこで油売ってる暇があったら早く探しに行けよ」
「は、はい……失礼しました」
撥ねつけるような態度に、すごすごと教室を出ていく天使の後ろ姿を、楠根が呼び止める。
「ねえ、ここに来たのって何番目?」
「え?」
「だからさぁ、寧に頼みに来たのは誰の後かって聞いてんの」
天使は少しだけ考えてから、素直に答える。
「さ、最初です。執行部の先輩には、昨日断られちゃって」
「ふぅん。くすくす……それで、その次が寧なんだ。あは、面白いじゃん。ま、頑張りなよ」
楠根は足を組み替えると、背を丸めて嘲笑し、今度こそ帰れと言うように手で追いやった。
「それで、何でここに来た?」
丸刈りの男子生徒はぶっきらぼうにそう言い捨てる。目線は来客ではなく、変わらずパソコンのモニターを見つめている。
「えっと、芽森先輩に応援演説を頼めないかと……」
「あのなぁ、文章を考えてやるくらいなら手伝ってやれなくはないが、俺が登壇してお前の印象が良くなると思うか?授業も出ずに暗い部屋で好き勝手してる俺がやっても逆効果だ。それに、お前のことはよく知らん。亜熊にでも頼めばいいだろう」
「会長はワンコ先輩の応援演説をするらしくて……」
「その辺りの事情も知らん。興味もない。とにかく他を当たってくれ」
キーボードをたたき続ける芽森には、取り付く島もない。うろたえるように天使はパソコン室で作業していた二人の男子生徒の方に目を向けたが、大げさに首を振られるばかりであった。
「う~ん、いったいどうしたら……」
天使が、老化して黄ばんだ校舎の床を眺めながらとぼとぼ歩いていると、前方から大声で呼ぶ声が近づいてくる。
「あ~!いた、愛ヶ崎さん、昼休みに授業の準備を運ぶ作業があるって連絡来てたでしょ。どこ行ってたの?」
小さな体を誇示しながらプリプリと怒るのは、一年二組のクラス副委員長、針瀬福良であった。
「ご、ごめん。すっかり忘れてた」
「もう、まだ時間はあるから、今から行きましょう。今日ばかりは一人じゃ終わらなさそうな量だったから」
「うん、なんだか、いつもごめんね」
「はいはい、言葉より行動ね」
針瀬は怒っているようにも見えたが、少しだけ口角を上げて天使の方へ手を伸ばす。歩幅のわりに歩くスピードの速い針瀬に置いていかれていた天使は、慌てて追いかける。
そのとき、天使の頭は一つの考えを思いついた。というよりも、それが最後の希望のようなものであった。
「ねえ、委員長」
「なに?あと、委員長ではないから」
「お願いがあるんだけどさ」
針瀬は申し訳なさそうにする天使の様子に、敏感に嫌な予感を察知し顔を歪ませた。
「まだ何も言ってないよ?」
「どうせ面倒ではた迷惑なことなんだろうと思っただけだから、とりあえず言ってみて」
「うん。今度生徒会選挙があるじゃない?それに立候補するんだけど、応援演説をしてくれる人を探していて、委員長にお願いできないかな」
「……私?他に頼めそうな人はいなかったの?」
「それが、かくかくしかじかで……」
「ちゃんと説明しなさいよ。まぁ、何か事情があるってことだよね」
針瀬は困ったように視線を明後日の方向に向けて、ため息をついた。しばしの沈黙の後、重たい空気が震える。
「本当に、私で良いの?私、他の人みたいに、愛ヶ崎さんの良いところだけを知っているわけではないから、上手く応援できる気がしないわ。あなたがどれだけ迷惑で、仕事を押し付けられているかをつらつらと書いてしまうかもしれないけれど」
「委員長は真面目だから、そんなことしないでしょ?」
「言ったわね。あなたの悪いところを晒し上げてあげる」
「えっ……ってことは」
天使は授業の準備物が置かれた教室に入る直前で、軽く小躍りしながら針瀬の方を笑顔で見た。
「なんでちょっとうれしそうなの?内容はあまり期待しないで。反響もね」
「大丈夫だよ。だって私たちの委員長だからね」
「都合の良い時だけそういうんだから……それに、あなたのためだけじゃないから」
「どういうこと?」
天使は積み上げられたプリントを崩さないように胸で支えながら持ち上げた。
「執行部とかって、普通はクラス委員と兼任できないと思うの。二組は、あなたが仕事してないからあんまり影響はないと思うけど、他のクラスでもそうなったら負担がすごいだろうし、クラス委員の会議も執行部席になるわけだから、クラス代表が一人になっちゃうじゃない。二組は元からそのようなものだけどね」
「げー、ひど。じゃないか、ごめんなさい。いつもありがとうございます」
「よろしい。つまり、愛ヶ崎さんがどれだけ向いてるとしても、立候補させるには多分先輩たちが先生方を説得したりしたと思うのよ。それを無駄にしたくはないってこと」
「あ、でもさ……うん?これって言って良いのかな」
「どうかした?」
「書記に立候補する予定の子も、確か四組の委員長だよ」
針瀬は頭が痛いと言った様子で目頭をすぼめ、立ち止まった。
「また断りづらくなったわ」
再び歩き出した針瀬を、天使が覗き込んで、少しだけ気遣う。
「ごめんね、無理言って」
「これも経験と思うことにするわよ。それにしても、藍虎さん、だったわよね、多分。ちょっと意外かも。執行部に立候補するなんて」
「そう?なんか仕事できそうな感じというか、器用なイメージだから、確かに、どちらかというと監査委員会っぽいのかな」
「ああ、そう言うことじゃなくて、彼女はクラスの人とも仲が良い印象だったから、ずっとクラス委員をやるんじゃないかだと思っていたってこと」
「そっか、今年度はともかく、来年からは委員決めにも参加できないんだよね」
「そうそう。執行部ってさ、生徒全員と仲が良いというか、全員に知られた生徒になるってことだけど、代わりに一人一人とはそれほど深い付き合いじゃない感じがしているの。クラスメイトは別なのかもしれないけど、愛ヶ崎さんも放課後は忙しくしているじゃない」
「誘ってくれたらいつでも行くんだけどね」
「誘いづらいと思うよ、実際。別に相手が暇かどうかというよりも、なんとなく役職がある人って、それだけで雲上の人というか、ちょっと迷惑をかけづらい気持ちになるから」
針瀬は教室に着くと、先に天使が山盛りのプリントを置くのを見届けてから、自分の運んできた資料を置いた。
「迷惑なんて、いっぱいかけてくれたらいいのに。何も言わないよりはその方がずっといいと思うな」
「いつからあなたの話になったの?迷惑の常習犯が言うと、説得力が違うわね」
「そうですよ。私は迷惑をかけてるつもりないけど、多分かけてるんだよね。だから、私にも遠慮する必要ってないと思うのだよ」
「でも、迷惑をかけないで良いなら、その方がずっといいでしょう。藍虎さんはそういう選択を、つまり、迷惑をできるだけ回避するような方向を進む人だと思っていたのだけれど」
「うーん。それは……わかんないね。藍虎さんに聞いてみようかな、今度」
「それはほとんどマニフェストと一緒なんじゃない?選挙の時におのずと分かるわよ。聞こえの良い形に直されてはいるでしょうけど」
「そっか。じゃあそれを楽しみにしつつ、応援演説はお願いね」
天使は資料を運び終えると、かわいらしくポーズを取ってお願いをする。やれやれと針瀬は肩をすくめた。
それから、演説の依頼相手が決まった天使は、肩の荷が下りたような満ち足りた表情で仕事をしていたので、執行部の生徒たちも問題は解決したのだろうと思った。
「そうだ、藍虎さんもニックネームを考えない?」
「ニックネーム、ですか」
藍虎が聞き返すと、天使は上げられた顔にびしりと指をさす。
「ほら、敬語もおしまいっ。どうせ二年一緒に活動するんだし、欲しくならない」
「私は、別に……藍虎と呼んでもらえれば、それで十分、だよ。でも、確かに先輩方はニックネーム?のような愛称があるのですね」
「私は誰にも神以上と言われなかったのだけどね」
資料を整理しながら諦念がにじみ出る声で神城が漏らした。
「神以上って普通に言いづらいもんな」と三峰。
「あれって本気で言っていたんですね。ワンコが神城先輩の冗談だと言っていたので、そういうものだと受け取っていました」と丸背もつぶやく。
「ワ・ン・コ?あなたねぇ……」
「まぁ、なんだ。ニックネームというよりは、実際のところは通称みたいなものだな。俺だって、悪魔なんて直接言われることは少ないよ」
「私とワンコはニックネームですね。まぁ、考えたのも言い始めたのもワンコですが」
「そう考えると変な感じだぞ。悪魔と神以上とワンコとニャンコ、それと天使ちゃん。おかしなメンバーだな」三峰が茶化す。
「変じゃダメなの?」
返答は必要ないと言った風に、現執行部のメンバーは同じタイミングでその問いを一笑に付した。
天使はそっと藍虎の作業している近くに忍び寄り、穏やかな空気を邪魔しないように、黙々と作業を続ける藍虎の顔を覗き込んだ。藍虎は目が合って一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な目になると、むしろ顔をぐっと近づける。
「わわっ」
一転攻勢に回った藍虎に意表を突かれ、天使は驚いて後ずさる。そんな天使を見て満足そうに藍虎は笑う。
「つまりは、結果に名前が付いてくるということですね。ならやっぱり、まだ私にはニックネームは必要ありません。精進あるのみです」
藍虎が言うと、話題は終わりと言った様子でそれぞれ作業に戻り始めた。
「でも、私に敬語を使うのは止めてよ?なんだかむず痒くなるからさ」
「ああ、分かったよ、愛ヶ崎さん。まだ選挙前ではあるけど、これからもよろしくと言ってもいいかな」
「もちろん。って、大丈夫ですかね?」
不安そうにきょろきょろとした天使に、現執行部の四人が口々に大丈夫だろうとフォローした。天使は、ありがとうございますと頬をかく。
少しだけ心を開いたように藍虎は砕けた調子で話してくれたが、どこかもう一枚壁があるように天使は感じた。ある意味でそれは、社会性のような道徳の要請に従って自分を抑え込むような、初めて話したときの悠怜がそうだったように、何かを隠している態度。でも、何を?
その答えは出ないまま、時は進んでいく。