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誰も救えない天使の話  作者: 錆井鈴江
台典商高編  一年生
22/62

第二十二話 体育祭 後編

・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。天使ちゃん。ムード/トラブルメーカーの天才少女。あらゆる分野において平凡ではないが、同時に突出もしていない。自分が人から愛され信頼されることは当然だと思っているため、他人から向けられる特別な信頼や愛情についても無頓着である。また、自分は特別な人間だと思っている反面、自分の才能の特別さには無自覚的である。


細小路悠怜ささめこうじ ゆうれい:幽霊ちゃん。様々な騒動の後、天使と同居することになった少女。どうにか天使の力を借りずに自立したいと思っている。


丸背南子まるせ なんこ:ニャンコ先輩。生徒会二年の書記。猫背で丸眼鏡の落ち着いた少女。誰に対しても敬語で話す。


三峰壱子みつみね いちこ:ワンコ先輩。生徒会二年の副会長。低い身長と元気で独特な口調が犬っぽい女子生徒。兄弟が多い。


亜熊遥斗あぐま はると:悪魔先輩。三年の生徒会長。冷静で気が利く男子生徒。


神城怜子かみじょう れいこ:生徒会三年の副会長。自称『神以上』の神城。お高くとまっているようで案外庶民派の女子生徒。身長が結構高い。よく腕を胸の前で組んでいる。


三峰優二みつみね ゆうじ:壱子の弟。小学四年生。天使のアルバイト先の学童保育『ほがらか』に通う。


三峰川里みつみね せんり:壱子の妹。幼稚園年少。


楠根寧くすね ねい:ぷー、くすくす。効率悪いやり方で勝とうとして、みんな馬鹿ですねぇ。


襟宮えりみや:一年生のバレー部レギュラー。高身長でスポーツ万能、一部に熱狂的なファンを持つ少女。



 この学校には、天使がいる。誰もが崇め、敬い、見かけただけで笑顔にさせられてしまう理外の存在。けれど、そんな天使も、より常識外の人間には翻弄されてしまうこともある。


 台典商高体育祭、午後の部は天使の失踪と共に幕を開けた。とはいえ、そのことを知っているのは、苦境に立たされた一年二組の生徒たちと、早急に解決に動いた生徒会執行部とその勅命を受けていた一部の体育委員のみだ。迅速な対応と生徒たちの奮起によって、全体にはそれほど大きく影響することなく、体育祭は続いていくのであった。






「本っ当にごめんなさい!」


 中身は詰まっているはずなのに羽のように軽い頭が、何度も地面にこすりつけられる。ぷっくらと頬を膨らませ、腕を組んで見下ろす一年二組クラス副委員長、針瀬福良(はりせ ふくら)の後ろに、多少茶化すように真似をしてクラスメイト達が天使を見下ろしていた。


 グラウンド脇、テニスコート近くの倉庫の前は、隣接した第一体育館の影となっており薄暗い。集団に囲まれ土下座をする少女。傍から見れば、許されざる一幕であるが、この件については軽率な少女に全面の落ち度があり、またこの謝罪も少女が自ら望み、渋々クラスメイト達が承諾したものなのだ。


「あのねぇ、そもそも体育祭の時に理科室にまともな奴がいるかっていう話よ。それくらい分かりなさい!あと、理科室にいる子がどうやって下駄箱にSOSを出すの?ちょっとは頭を使えってことよ、分かってる?」


「はい……返す言葉もありません」


 クラスメイト達は好奇心で、針瀬が天使を叱責するところを見学していたが、「あんまり乗り気じゃないのよね」と言っていた割に、かなり本格的な説教だと笑いをこらえる。その後も重箱の隅をつつくような指摘が星の数ほど続き、ようやく天使は解放される。走って戻ってきた時よりもヘロヘロの様子の天使に、悠怜が声をかけた。


「天使ちゃん、応援合戦ね。天使ちゃんがいなくてもどうにかできたよ。ううん、天使ちゃんがいるときよりずっと良い物を作れた。天使ちゃんにも見てほしかったくらい」


 励ましの様でさらに追い詰めようとする悠怜の言葉に、クラスメイトは思わず振り返り唖然とする。天使も顔を上げ、自信満々の笑顔で照らす友人の視線をしっかりと返す。そしてゆっくりと目を瞑り――笑う。宣戦布告を受けて立つという、不屈の精神で前を向く。


「そんなに言うなら、投票も期待してるからね。ダメダメだったら、後でビデオを見てダメ出ししてやるっ!おい悠怜、声出てないぞ、ってね」

 すっかりいつもの調子で前のめりにスキップする天使に、クラスメイト達は苦笑する。


「あんたもこの後の競技頑張んなさいよ」


 針瀬の言葉に天使はブイサインで答えた。グラウンドでは、太鼓がドラムロールされている。次の種目である騎馬戦が始まったのだ。各クラス二騎ずつ騎馬を出し、全クラスの混線で行われる。主に玉入れとクラス対抗リレーに出場しない生徒で争われる種目だ。天使はリレーに出場するが、クラスメイトを説き伏せて出場しようとしたものの、混戦になる種目には出るなと釘を刺されて、やむなく出場停止となっていた。


「行け―!二組後ろだー!」


 そんなことすらもう気にしていないのだろうか、無邪気に応援する天使の姿に、悠怜はどこかホッとする。彼女のことだ、応援合戦に出れなかったことを気に病んでしまうかもしれないと、心配だった。事が事であるということに加えて、天使自身が追及を望んだために、叱責する形にはなったが、クラス全体の総意としては、とりあえずは許してあげようという形だった。応援合戦を終えてハイになっていたのもあり、むしろ天使がいないことが悪いことだということが少し頭から抜けてしまっていたのだ。


「あーっ!ダメかぁ」


 体育委員の女子生徒が先頭を務める騎馬が、二年生の騎馬に囲まれあえなく敗退する。台典商高の騎馬戦は、完全勝ち残り制で、帽子を取られれば即退場である。生き残るための協調性がどうのと教師は講釈を垂れていたが、結局は目立たないような立ち回りが得をしてしまう形になっていた。


「おおっ、ついに一騎打ちだね」


 天使は振り返って何組の人だろうと聞いてくるが、悠怜も他クラスには詳しくない。


「騎手をしているのは、二年の楠根(くすね)先輩と、三年の神繰(かぐり)先輩だね」


 代わりに針瀬が補足してくれる。悠怜はとんと分からないので、とりあえず決着を見守ることにする。三年の体操服を着た神繰先輩は、悠々と手に止めていた赤白帽子を後ろに投げ捨て、枠線の端で静観していた楠根先輩の方へと近づいていく。静観どころか、騎馬の生徒の頭に肘をついて、あからさまに休憩している。二騎は追いかけあうようにグラウンドに引かれた楕円の枠内を回り、最後に中心で向かい合った。確か一騎打ちになったときの作法みたいなものだった気がする。詳しくは知らないが。


「はあ……一騎打ちが一番つまらない。去年なんかタイマンのトーナメントで、退屈極まりなかったんだ。早く始めよう。そうしたらもう一戦できるかもしれないからね」


 グラウンドの中央は遠く、向かい合った二人が何を話しているのかは聞こえないが、膠着状態にあるところを見ると、交渉でもしているのかもしれない。私は右手を出すとか、そういうの。


 隣のクラスから、「神繰先輩は去年の騎馬戦の()()()()らしい」という声が聞こえてきたが、この高校ではしばしば根も葉もないうわさが飛び交うので、信用に値するかは疑わしい。先ほど捨てられたおびただしい量の赤白帽子を見ると、信じたくもなるが、果たしてどうなのだろうか。


「ぷぷぷ……あちこち動き回ってお人形さんみたいですねぇ、先輩。そんなに体力を使ったら、(ねい)にだって簡単に倒されちゃいますよぅ?」


 にらみ合う二騎を見ていた天使が、悠怜の袖を引く。なんか違和感があるよね?という天使の言葉によく見てみると、騎手の楠根先輩は女子生徒だが、騎馬は明らかに男子生徒三人で組まれている。よく思い返してみれば、騎馬の男女を統一しなければならないルールは無かった気がする。誰もやりたいとは思わないだろうが。


 対する神繰先輩の騎馬は、当然ながら女子生徒で構成されている。一応男女騎手一騎ずつ選出の騎馬戦で、一騎打ちが女子騎手同士になるのは、この高校の男子生徒が貧弱なのか、あるいは本当に神繰先輩が騎馬戦覇王なのか。


 急かすように太鼓の音が鳴らされ、二騎は接近する。こちらから見える楠根先輩の騎馬は、やはり土台の安定性に自信があるのか、衝突にためらいなく突っ込んでいく。盛り上げるように生徒たちがかけ声を上げ、どちらともつかず応援する。


 しかし、あっさりと決着はついた。まるで自動車同士が狭い道を譲り合うかのように、ほんの少ない手数で両手をあしらわれた楠根先輩の頭から帽子が消え、その横を泰然と神繰先輩の騎馬が走り去る。呆然と落馬していく楠根先輩を、騎馬の生徒が慌てて受け止めた。先頭の生徒はラグビーでもやっているのかという体格の良さだ。


 神繰先輩の騎馬が、悠々とグラウンドを回って凱旋するのを、敗北した楠根先輩は恨みがましい目でにらみつけていた。騎馬の男衆が必死でなだめているのが少し、いやかなりみっともない。


「いいな~、ボクもやりたかったよ」

 圧倒的な先輩の強さにむしろ燃え上がらせられたのか、天使はじっとグラウンドを見つめてそう言った。


「それより、リレーの招集始まっているんじゃない?」


 そう天使を急かすと、ちょうど彼女を呼びに来たクラスメイトが、怒るというより安心したと言った顔で、天使を呼んだ。


「じゃあ、見ててね悠怜ちゃん。勝ってきますから!」


 頑張ってねと両手を握ると、天使は笑顔で招集に向かった。






招集所で天使はおとなしく整列する。間もなく始まる学年対抗リレーに心落ち着かない様子だったが、他の生徒の緊張を崩すようなこともしたくはなかった。


「愛ヶ崎、天使」


 不意に名前を呼ばれて、天使は声の主の方を見上げた。身長の高いその少女は、天使と同じくアンカーらしく、隣で腕を組んで立っている。不躾にこちらをにらみつけ、今にも噛みつかんばかりだ。


「あれ、キミは玉入れにも出てなかった?」


 天使は他人の名前を覚えることは大の苦手だったが、短期記憶にはそれなりの自信があった。確か、玉入れで圧倒的な記録をたたき出していたクラスのシューター――玉入れにそんなものが存在するとしたらだが――の少女だ。球を一人に集中させる戦法は、競技の趣旨には沿わないだろうが、それはそれとして抜群の球技センスに思わず魅入られた。


「そうだけど、あっちは代役だったの。リレーが正式登録だから」

 少女は変わらずこちらをにらみつけたまま、殺気立った様子で続ける。


「私、あなたなんかに負けないから」

 そう言うと、プイと向こうを向いてしまった。


「うん、ボクも全力で頑張るね」


 天使はその視線を追うように体を揺らして、笑顔で握手を求める。頑なに天使の方を向こうとしない少女に、強引に手を握ろうとすると、露骨に距離を取られてしまった。


「触らないで。あなたの()()が移るじゃない」


 毀誉褒貶の曖昧なその言い草に、天使は苦笑してOKという素振りで列に戻った。自分が何かしただろうかと思い返してみるが、あまりにも心当たりが多いので考えるのを諦めた。二学期になって、天使に対して友好的な相談やお願いに混じって、いたずらや嫌がらせを受けることも少なくなかった。天使はやられたらやり返さねば気が済まない性分であったため、それらの行為をいじめや犯罪行為として報告すると、かえって倫理観を疑われかねないため黙ったままでいた。そのせいか、いわゆる「天使の祝福」の噂に加えて、「天罰」の噂もうなぎ上りに増えていっていたのだが、天使自身にはどうしようもない、と思いたかった。


 しかし、隣でむすっとした表情のまま腕を組む素晴らしいプロポーションのスポーツ少女は、そうした悪意や好奇心の類とは違う強さを感じた。


 その思わず撫でたくなるような純粋さと、凛とした佇まいに、天使は気を引き締め直す。さぁ、ようやく来た見せ場だ。




 台典商高体育祭の目玉種目と言える学年対抗リレーは、各クラス男女四人ずつのチームによって行われる。各学年八チームが争い、一位を求めて切磋琢磨する。当然ながら他の種目と同様、表彰や得点などは無いのだが、だからと言って手を抜こうというクラスはどこにもない。八人の生徒の走順は自由だが、最初の六人が半周、最後の二人が一周の距離配分となっているため、基本的には最後の一周に男子生徒を配置することになる。しかし、暗黙の了解として最後の二人は男女一人ずつを任命することになっている。例年、数クラス守っていないところもあるが、大抵結果は芳しくない。


 ピストルの音が鳴り、各クラス一斉にスタートする。トラック半周程度で差はつかないと思うかもしれないが、それぞれの戦略と走力によって、二周目が終わるころには明確に順位がばらける。


 二組の現在順位は三位だ。アンカーの天使はそれなりに走力に自信はあったが、並み居る最終走者を任された男子生徒たちと比べると、ある程度は差が付いた状態で回ってきてほしいところだった。


 果たしてバトンは第七走者に渡る。二組は順位を一つ上げ、サッカー部の男子生徒が走り出す。同じく運動部の一位のクラスは、しかし少しずつ距離を詰められていた。


「二組ぃ!がんばれぇ!」


 係の生徒から呼ばれ、天使は一位のクラスとほぼ同時にレーンに入る。しかし、まだ順位は二位であった。奮い立てるように運動靴を地面にこすり、身を屈める。代表選手がするようなバトンの練習はしていないが、それなりに詰まらないようには息を合わせられていた。


 同じように集中する隣の生徒は、歓声を上げることもなく、静かに自分のクラスを見ている。その少女が、先ほど啖呵を切ってきた高身長の少女だと気づき、素晴らしい運命のめぐりあわせ、というよりも、堂々とした実力の伴った覚悟に奮い立つ。改めて見るその背はがっしりとしており、運動部の中でも特に洗練された印象を受ける。きっと彼女は、一年生ながら熱心に活動に取り組み、そして結果も残しているのだろう。


――でも、負けないよ。


 改めてそう決意し、思わず口元がほころぶ。


「愛ヶ崎ぃぃ!」


 サッカー部のクラスメイトが、最後まで粘り切った一位の生徒と団子になってテイクオーバーゾーンに侵入してくる。レーンが一つ外側であることのデメリットは、直前まで抜かすために並走していたことで帳消しになっている。すべてを出し切るのではなく、繋ぎきる。それがリレーにおける鉄則であり、天使もまた彼が失速する前に走り出し、その速度を落とさないよう必死に手を伸ばしてバトンを受け取る。重心を進行方向に傾ける自然な動作中に受け取られたバトンを、決して離さないようにと右手に持ち換える。むしろ緊張も恐怖も興奮も、すべてが消し飛んでしまって、今はただ粛々と成すべきを成すのみであった。


襟宮(えりみや)っ!」


 ほとんど変わらないタイミングで、一位の生徒も手を伸ばす。必死に逃げた先で疲労困憊の男子生徒は、弱弱しくも確かにアンカーの少女を見据えてバトンを繋ぐ。少女はそんなクラスメイトの様子をきっちりと見切り、置いていかないように、けれど初速を殺しすぎないようにタイミングを計って踏み出す。絶好のタイミング――しかし、掴んだはずのバトンは手の甲を滑り、突き出した手とバトンが交錯する。


「——っ!」


 とっさに手首を回し、不格好ながらバトンだけは受け取る。踏ん張った右足が上がるのに数秒の誤差が生じる。軽やかな足音が隣を過ぎていくのに気を取られずに、切り替えて前を向き走り出す。


 朝礼台の前を走り出し、三年生の陣地席の前を回っていく。一位争いは共に上級生の間でも名の知れた生徒たちだ。賭けでもしているのかと思うほど大きな歓声と応援の声が聞こえてくる。天使は断トツなら手でも振りながら走ろうと思っていたが、その余裕もなくただ愚直に腕を振り、体を傾けてもやや急なグラウンドの曲線を走る。自分がうまく笑えているのかもよく分かっていなかったが、半周が近づき二組のクラス席で身を乗り出して応援する悠怜の姿を見て、意識せずとも安心した息が漏れる。足音は聞こえている。後ろに彼女は迫ってきている。この腕のストロークのほんの少し先に息遣いを感じる。だからこそ、この一歩をもっと前へ、前へと進める。


「うおおおおおおぉぉぉ!!」


 知らず咆哮する。疲れ始めた脚に、再度気力が充填される。


 半周を過ぎて二年生の陣地席の前へ。同じように走りバトンを繋いだ先達が掘った地面の足跡を辿って、強く一歩踏み出していく。理科室前の廊下を走っていた時とは違う、気持ちの良い汗が、向かい風に頬を流れる。思わず苦しさに上がってしまいそうな顎を気合で押しとどめて、前を向き、腕を振る。息は吸わなくたっていい、ただ口角を上げ続ける。そうして笑顔でいることが、何よりも活力になるから。


 最終カーブを曲がり、直線に入る。その時視界の端に誰かのバトンが一瞬よぎる。振り向くな、今は気にしている場合じゃない!


 最終曲線で追い上げてきた襟宮と、天使はほとんど並走し、一歩ごとにその順位を変えている。体格的にはやや天使が不利だが、そのぶん動きは軽い。


「天使ちゃん、負けないで!」


 最終直線、保護者席から聞こえてきた童子の声に、天使は一瞬時が止まったような感覚を覚える。そうだ、ボクには応援してくれる人たちがいるんだ。負けてなんかいられない。


「——当然っ!」


 きっと思っているほどうまく言葉は出ていなかっただろう。けれど必死に、ほんの数コンマでも先を行こうと気張る。


 ゴールテープを構えた係の生徒が、気を引き締めるようにピンとテープを掲げる。その白線に触れないくらいに腕を突き出し、引き戻す反動で胸を突き出す。


 一位のゴールを祝うように会場が拍手に包まれる。自分が何位だったのか意識することもできないくらいに疲労感と体温の高まりを感じる。後続の生徒にぶつからないよう、係の先導を受けながらコース内へと入っていく。腰に手をついて、深呼吸する。並走していた少女は、両膝を手で押さえてうつむきながら荒い息を整えていた。


 そうして、最後の組が保護者席にリップサービスを行いながら帰って来て、一年生の学年対抗リレーは決着した。


 退場の指示と共に、順位が発表されていく。


「一着、二組——」


 天使は叫びだしたい衝動を抑えて、駆け足で退場門へと向かう。そんな天使のことなどつゆ知らず、サッカー部のクラスメイトが雄たけびを上げている。


「走力では負けてなかったから」

 ぼそりと隣で、高身長の少女がそう負け惜しむ。


()()ではボク達の勝ちだったね」

 思わずそう勝ち誇ってしまい、スポーツマンシップもかくやと言ったところだったが、少女は澄ました顔でツンと目をそらした。






 まだ落ち着かない息を整えながら、クラスメイトの賛美を一心に浴びて、天使は続く二年生のリレーを観戦する。一年生の出場種目はもう無いため、残りの時間をどこで過ごすかはかなり自由だ。天使は知り合いの少年に、姉の組体操を一緒に見ようと誘われていたため、組体操までには保護者席に向かおうと思っていた。


 と、件の先輩が入場してくる。生徒会執行部の先輩であるその少女は、その活動実績もあってか、かなりの人気があるようで、会場からも生徒の応援の声が良く聞こえる。


「一番人気は、三峰壱子(みつみね いちこ)~。その名から、()()()とかわいらしい愛称でも親しまれている、本校の生徒会副会長です」


 司会の生徒会書記が、愛情交じりのいじりを挟みながらアナウンスする。さっきは集中していて気が付かなかったが、もしかすると自分も紹介されていたのだろうか。もしそうなら、どんな風に褒められていたか、後で確認しようと生徒会席の方を覗き見る。というか、ニャンコ先輩ずっと司会しているな……


 ふと、生徒会長もずっと雑務に追われているイメージだが、種目にきちんと出ているのかと疑問に思う。次の三年生のリレーに出るのだろうか、と悠怜に聞いてみると「さっき()()()()()()()から出ないんじゃない?」とそっけなく返される。


「嘘ぉ!?どこにいたの?」


「三年生の騎馬のさ、土台だったから見えにくかったけど」


 てっきり生徒会長は、なにかしら目立つ場所で出るのだと思って油断していた。なんとなく彼の性格を考えれば、目立つ場所を避けるのも分かってしまったが、それはそれとして釈然としない。もっと活躍しているところを見たかったなと純粋に思う。


 そういえば、最終種目は三年生のフォークダンスと書かれていたが、フォークダンスとはどんなものなのだろう。天使は社交ダンスやストリートダンスのようなものは、ミュージカルや暇つぶしの動画で見たりするが、そういうものなのだろうか。組体操はグラウンドの入れ替わりのタイミングで時々様子を見たが、フォークダンスをしているところは一度も見なかった。


 まぁ、ともかく楽しみだなとしおりをポケットにしまって、リレーに意識を戻した。




 二年生の学年対抗リレーは、三峰壱子の独走で幕を下ろした。三位から男子生徒をごぼう抜きにして一位になっておきながら、運動部ではないのだから末恐ろしい。


 続く三年生のリレーは、ぶっちぎりの最下位でバトンを渡された神城玲子(かみじょう れいこ)が、自棄になって高笑いしながら手を振って凱旋した。つくづく恵まれない人だと、思わず笑ってしまう。





 リレーが終わると、二年生の組体操に移行する。最初のあいさつで言っていた通り、副会長である三峰が頂上に上るピラミッドが目玉だ。


 天使はクラス席を抜けて、三峰の家族が観戦している場所を探す。保護者席は、生徒会席や生徒席と比べると、トラックに対してやや後ろにテントが設置されている。その分のスペースを撮影スペースとして開放しているのだが、組体操が始まる前の今は、撮影スペースに多くの保護者が移動しており、席はやや空いていた。


「ああ、愛ヶ崎さん。わざわざすみません」


 慇懃に父親が頭を下げたのに、いえいえと恐縮する。天使が隣に座ると、次女の川里(せんり)がその膝の上に飛び乗る。あーっ!と不満そうに声を垂らしながら、長男の優二(ゆうじ)はしぶしぶ父親の膝の上に座った。小学生でもこんなに親と仲がいいのは羨ましいなと、天使はほほえましい気持ちになる。


「天使ちゃん、応援合戦出てなかったの?」

 不意に優二がそんなことを聞く。


「え……あああ、そうなんだよね、実は。ちょっとお腹壊しちゃってさ、お昼食べ過ぎちゃったかな、ははは」

 まさか奇人の先輩に全身を嗅がれていたら遅れていたとは言えないので、とっさにごまかす。


「そうなんだ……でもね、お姉ちゃんのクラス、なんかすごかったよ。いないはずなのに、お姉ちゃんがいるのかと思っちゃったもん」


「すごかった」


 妹もそう付け足して笑う。心配していなかったと言えば嘘になるが、やはりクラスメイト達は自分無しでも大丈夫だったのかと、嬉しいような寂しいような気持ちになる。


「そうですね、まぁ、この子たちは愛ヶ崎さんの応援合戦が見たかったと、後で愚痴っていましたが」


 父親が慰めるようにそう付け加えてくれる。優二が照れ隠すように、い、言ってねぇしと顔をそらした。


「そうですね、すみません」


 なぜだか、口からこぼれたのは、そんな謝罪の言葉だった。


「あっ、姉ちゃん来たよ!」


 他の保護者のビデオに入らないよう、少し声を小さくして、優二がグラウンドの真ん中を指さす。

 種々の演技を終えて、グラウンドの中央に五段のタワーが立ち上がる。ゆっくりと下から生徒が立ち上がっていき、見ているこちらの胆が冷える高さに三峰は持ち上げられていく。最後に三峰が立ち上がり、拳を高々と掲げると、終幕を告げる太鼓の音共に生徒たちがかけ声を上げた。






 すごかったね、とそわそわしている子供二人をなだめながら座っていると、二年生と入れ替えで、三年生が入場してくる。グラウンド内に描かれた三つの小円の周りに並んでいき、軽快な音楽に合わせてぐるぐると回っている。


「フォークダンスかぁ。懐かしいなぁ」

 三峰父が感慨深そうにこぼす。


 天使はとっさに三つの円を見回して、生徒会の先輩を探した。中央の円はダンスがうまい生徒で固められているのか、優雅に手を取り合い流れるように踊る神城先輩の姿がすぐに確認できる。一挙手一投足が洗練されていて、まるで社交界かと見紛うほどだ、と言ったらダンスの有識者に鼻で笑われてしまうかもしれないが、それほどに天使は感動した。


 しばらく円が回るのを待って、ようやくもう一人の先輩、生徒会長の亜熊を捉える。それなりに練習を積んできたのだろう。ぎこちないながらも、慣れた動きで、いつもの仏頂面で会長が踊っていた。


 この並び順は練習の時と同じなのだろうか、会長は安心した様子で、交代で回ってくる女子生徒と定型の振り付けを繰り返していく。何か一言二言交わしてささやかな笑顔を見せるその姿に、言いようのない胸のざわめきを覚える。女子生徒がターンの振り付けで少し接近すると、そのままぶつかるのではないかと杞憂で胸がふさがる。次の生徒へと移るたびに、大きなため息が漏れてしまった。


 知らず強く抱いてしまっていたようで、膝の上の川里ちゃんが頬をぐいと引っぱって抗議してくる。ごめん、と頭を撫でて、身の入らないままフォークダンスを眺めていた。


 この気持ちは一体何なのだろう。不安、焦燥、苦痛、駆け出したくなるようなふさぎこみたくなるような胸の痛み。だけどそれがなぜだか心地よくて、もう少しだけ見ていたいと思うのだ。






 最後に全員でマイムマイムを踊って、フォークダンスは文字通りの大団円を迎えた。


 生徒たちは最後の種目が終わると、それぞれ自由に、あちこちからぞろぞろとグラウンドに集まってくる。そうして体育委員が整列させると、閉会式に移る。


「——長く感じられた体育祭も、ついに閉会の時を迎えます。全力を出し切れた人、悔いの残る人、それぞれすべてが皆さんの思い出となり、かけがえのない体育祭となったことを願います。

 さて、私事ではございますが、今期の生徒会執行部としては、大きな行事としてはこの体育祭が最後となります。昨年度の生徒会選挙からもうすぐ一年が経ち、生徒の皆さんだけでなく、保護者やご家族の方々にも支えていただき、私たち生徒会執行部はここまで活動することができました。この一年、いえ、一年生の皆さんがこの学校に来てからの半年ほどの間だけでも、この学校は様々な変革や波乱がありました。今も、そしてこれからも、それは続いていくでしょう。ですが、きっとその新たな旅路を、新たな生徒会執行部が皆さんを導くことになると、現生徒会長としてお約束いたします。

 ——すみません、少し脱線してしまいましたが、皆さんのご協力もあり、最高の体育祭を作ることができたと思います。改めてお礼を申し上げ、私からの挨拶を閉めさせていただきたいと思います。本当に、ありがとうございました」


 生徒会長が深く礼をすると、最後の力を振り絞るようなすさまじい喝采がグラウンドに響き渡った。会長が朝礼台を降りるまで、その拍手の音は止まなかった。


「続きまして、応援合戦の開票結果をお知らせいたします」


 司会のアナウンスで騒々しかった会場が静まる。一年生は結果を聞くためにじっと押し黙っている。あるいは結果を喜ぶために気合を高めている。



「まず、第三位——四組」



「「「「「よっしゃああああ!!!!!」」」」」



 騒々しく、けれど爽やかな歓喜の声が空を穿つ。というよりも鼓膜を破った。


「以下、寄せられたコメントを読み上げます。『うるさいけど元気が出た』『騒々しいけど良かった』『他のクラスの演技の声が小さく聞こえた』以上です」


 批判と称賛が半分半分くらいだったが、全く気にしていない様子で四組の生徒ははしゃぎまわっている。大して、四組を挟んだグラウンドの外側に整列した商業科の生徒たちは、不安を隠せない様子である。例年は上位を商業科が席巻しており、文化祭の出し物と同様、行事での圧倒的な実力差でマウントを取るのが商業科の誇りでもあるのだ。ある意味ではブランディング力を試されているのである。三位が普通科の四組に取られた以上、商業科は明確にそれ以上とそれ以下の実力差で二分されることになる。その評価は後々の自信にも響いてくる。


「続いて、二位――」


 あれだけ騒がしかった四組がしんと静まる。こうした聞き分けの良さというか、切り替えの早さも、票を集めた要因なのだろうかと思わせられる。統率の取れた暴れ具合だ。




「——二組」




 アナウンスの声が、グラウンドの端に届いて、反響して返ってくる。あるいは反対側のスピーカーの声が聞こえただけかもしれないが、とにかくそれだけ長い間、静寂が包んでいた。


 当の二組の生徒も、自分たちが呼ばれたことを信じ切れず、お互いに聞き間違いではないのかと確かめ合う。天使はさすがにすごいと言っても四位か五位くらいだろうと高を括っていたため、唐突に聞こえた自分のクラスの名前に呆然とする。そもそも、自分には喜ぶ資格はない、ないが、褒めちぎる資格はあるはずだ。整列しているとはいえ適当な並び順で、隣に立っていたはずの悠怜を褒めてあげようと視線を動かすと、静かに彼女は涙を流していた。


「——やった、やったよ天使ちゃん。私たち、頑張ったよ」


 そのかすれた声に前後を見回してみれば、あの針瀬までもがうっすらと目じりに涙を浮かべていた。

 天使は静かに悠怜の肩を引き寄せ、その背中を優しくさすった。


「以下、寄せられたコメントを読み上げます。『持てるものを使い切った演技という感じで感動した』『千点満点で言うと百二十点。百点満点で言うと百二十点』『絵がうまかった』以上です」


 やった、やったー!とサッカー部の男子が叫ぶのを皮切りに、二組の生徒たちも口々に喜び、結局感傷的に慰め合うように喜びを分かち合った。


「そして、栄えある一位は――五組」


 五組の生徒は、少しだけ歓喜の声を上げながらも、多くは語らずにただ拳を上げた。


「寄せられたコメントは後日まとめてクラスに配布いたしますので、そちらをご確認ください。改めまして、多くの票を獲得したクラスを大きな拍手で讃えましょう」


 司会の言葉に会場は再び大きな喝采に包まれた。





 それから、長々とした校長の閉会宣言に誰もが辟易として、結局愚痴を言いながら体育祭は終幕を迎えた。


 クラス席に戻った二組の生徒は、大して監修も協力もしていないくせにぼろぼろと泣いている体育教師の担任を適当にあしらって、解散になった。応援合戦の打ち上げをしようと誘ったクラスメイトに、「じゃあボクはお邪魔だね」と笑って、天使は片付けに向かった。悠怜はその背に手を伸ばしかけたが、引き留めることはせず、打ち上げに向かったのだった。


 片づけを終えて、空は夕暮れ泥んでいる。体育委員も概ね下校し、天使も帰ろうかと思っていると、昇降口で声をかけられる。


「おー、待ってたぞ天使ちゃん。これから打ち上げしないか?」

 家族と共に昇降口で待っていた三峰はそう提案した。さりげなく丸背も川里の手を取って佇んでいる。


「え、いいんですか?」


「うん、もちろんだぞ。というか、優二がな~、天使ちゃんもってうるさくてな~」


「い、言ってないから!川里が言ったんだよ」


 次女は否定することもなく、コクコクと頷いた。


「やった!ニャンコ先輩も、お邪魔しちゃいますね!」


 丸背は何とも言えない複雑な表情をしていたが、天使がそう言うと優し気に微笑んだ。


「ワンコのお父さんは、せっかくなら子供たちだけでと気を使ってくださいました」


「いや、絶対面倒見るのめんどくなっただけだよあの人。私だって、着いて来たかったぞ」

 ぶつぶつと身内の文句を言いながら、五人は帰っていく。



 三峰の家でご飯を食べ、パーティーゲームで遊んだり、ビデオで体育祭の映像を見返したりした後、優二と川里を寝かせてから、天使は家に帰った。先に戻っていた悠怜は、すでに眠りについていた。それほど遅い時間ではなかったが、疲れがたまっていたのだろう。天使もシャワーを浴びて、悠怜の寝顔を何度かつついてから、自分の寝床に潜り込んだ。


 思えば、長い一日だった気がする。昼休憩の時間の焦り、そして絶望感が、遠い過去のことのように感じられる。リレーの時に感じた高揚感が、今も胸を高鳴らせる。閉会式で見た悠怜の泣き顔が、瞼の奥に焼き付いている。


 不意に頭をよぎった生徒会長の姿に、なぜか息が自然にできなくなる。フォークダンスの記憶がモノクロの無声映画のように、頭の中で単調に繰り返される。手を伸ばしても届かない。嘲笑うようにくるくると回る。みんなみんな笑っている。


 天使は起き上がって、一杯の冷たい水を飲みほした。不思議な動悸はいつの間にか収まっていた。



――この気持ちは一体何なのだろう。答えの出ないまま、夜は明け、天使はまた忘れていく。



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