猫兄様の声
5 猫兄様の声
結局、猫兄様の威厳に気圧された宿の者は、猫兄様の金釦を千切るような事はしなかった。
もしくは、近付き過ぎると、未だに時が止まったままの女将みたくされる、と恐れたのかもしれない。
猫兄様の首には、俺が贈った宝石付きのネックレスも掛かっていたが、それを下賜する気はないらしく。
「金釦では不服か?・・・では、何が欲しい?城か?」
城・・・そんな物を軽々しく欲しがるのは、うちの鬼軍曹だけだ。
「い・・、いえ、そのような大それた物などッ。」
慌てて拒否する、宿の従業員達。
うん、うん。
これが普通の反応だよな。
また室内が、しーん、となる。
さて、どうしたものか。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
十秒程じっくり考えた後。
猫兄様が、無表情で俺の方をジッと見る。
もしかして、“どうすればいい”って困ってます?
「えっと、そうだな。じゃあ、俺が宿にある金属の鍋を全て磨く。それで、どうだろう?・・・猫兄様、鍛冶神の使いだって言うし・・・、」
苦し紛れの俺の提案に、猫兄様が「ニャ」と小さく鳴いた。
くッ。
予想外のタイミングで“可愛い”を織り交ぜて来るの、反則だ。
私も一緒に磨こう、とばかりに立ち上がった、猫兄様。
その背後に、バサバサと揺れる翼の影が見えて、今度こそ宿屋の従業員全員が、床にひれ伏した。
「て、天使様だ!」
「天使様、万歳!」
「アリエス王国に栄光あれ!」
フライパンを振り上げた、おかしな格好、しかも鬼の形相で固まる女将一人を除いて。
「鍛冶神、万歳!」
口々に賛辞を贈る。
「ニャ」
いや、だから、時々「ニャ」で片付けようとするの、止めて。
可愛い死ぬから。
その後、戻って来た鬼軍曹と執事は。
お代も金属磨きもいいから(そもそも彼らは、俺の叫び声を聞いて駆け付けてくれただけの善良な従業員達だった)!とベッドに座らされ、急遽運び込まれた豪勢な食事を前に従業員達から歓待される俺達を見て、ギョッとしていた。
鬼軍曹は、手に入れてきたサンドイッチの籠を取り落とし。
執事は危うくお湯の入った桶を落としそうになった。
「ど、どういう経緯でこうなったんですか?」
鬼軍曹と執事に詰め寄られる。
俺はちょっと、罪悪感からモゴモゴと口籠ったのだが。
鬼軍曹が雑草の束をどこからか取り出したのを見て、両手を上げた。
降参。
「すまないが・・・、」
と宿の従業員達には、一旦席を外してもらい・・・。
って、待て。
フライパンを振り上げたまま、鬼の形相で固まった女将は、そのままかッ。
それとなく、猫兄様に「元に戻してやって」とお願いするも。
「・・・・・・・・・・・・・。」
無言。
鍛冶の神の加護?の力なのか何なのか知らんが、猫兄様は暫く考え込んだ後。
「・・・やはり、王子の、キスだろうか。」
と呟いた。
「・・・え、」
無表情だから分り辛いが。
猫兄様、困ってる?
女将を止めたはいいけど、元に戻す方法、忘れてるっぽい、って思うの、俺だけ?
そういや、鬼軍曹メイドが“おっちょこちょい”って言ってたっけ。
そんで全部、“王子のキス”で元に戻るかもって考えてるような・・・?
・・・マズイ。
これは、他の二人には内緒にしておかなければ。
絶対俺が、試しに女将とキスさせられるパターンだ、これ。
女将にもキスする相手を選ぶ権利はあるし、・・・こっちも、相手は鬼の形相だし。
誰だって、怯むぜ。
うん。
ちょっと、この問題は、置いておこう。
シュールだが、怖めのオブジェ的な感じで、女将には居てもらう事にする。
「で、どういう事なんですか?」
鬼軍曹が、雑草の鞭をビシッ、と床に叩きつける。
丈夫な雑草だな。
・・・マジ、怖い。
自分の口から、己の浅ましい行為を口にするのは辛かったが。
全ては、猫兄様にしてしまったキスから始まるのだ。
俺は真っ赤になり、項垂れながら、今に至るまでの話しを(猫兄様が、王子のキスで止まった女将さんの時間を元通りにできるのでは?と考えているっぽい点だけ除いて)、二人に素直に告白した。
「正直、ドン引きです。ブラコンの変態ですね、いきなり麻袋から出たところを襲うとか。」
「変態というか、最早犯罪者でしょう。」
そこは弁明の余地も無い。
好きなだけ詰ってくれ。
「でも、猫兄様は喋れるようになった・・・・。ある意味、拷問は成功した、という事か・・・。」
執事が、エア眼鏡の仕草で俺を讃えた。
拷問、って。
「俺のファーストキスって、“拷問”・・・。」
「“拷問”以外の何に当たると思ってるんですか?」
「・・・・・・すみません。」
「で、猫兄様から、王のご指名は、受けたんでしょうね?」
「え?いや。」
その瞬間、二人揃って「は?」という顔になる。
「さっさと受けて下さいッ。そうでなければ、猫兄様を捕獲・・・いや、お助けした意味が無い。」
「そうですよッ。私は一番の功労者なのですから、エリオット様が王となったら、王城より高く聳える城をプレゼントして貰う権利があると思います。」
鬼軍曹、高い所、好きだな。
馬鹿は、高い所が好き、って言うけど・・・どうなんだ?
「今、馬鹿かもしれない、と考えませんでしたか、エリオット様?」
「考えたと思う、執事が。」
サッと視線を執事に向ける。
え?という顔をした執事だが、こいつも絶対そう思ったはずだ。
だから良い。
部屋の端に引っ張って行かれ、雑草鞭打ちの刑を受ける執事。
心なしか、その顔が、ちょっと嬉しそう。
新たな趣味を見出せて良かったな、優秀な執事よ。
俺はベッドに腰かけたまま、置物のように座った猫兄様を見遣る。
美しいが、表情というものが、無い。
旅が良いものだと思ったのなら、少しくらい嬉しそうな顔をして欲しいのだが。
「猫兄様。」
「・・・・?」
おっとりとこちらを向いた無表情に、俺はそっと掌をあてる。
そのまま、ほんの少し口端を上げてみた。
無理矢理。
「・・・・・・?」
「笑った事、ある?」
猫兄様が煌めくオッドアイで俺を見上げる。
俺は手を離した。
猫兄様は、無言だ。
「猫兄様が好きな事って何?好きな物でもいいけど。食べ物とか、歌とか、何でも、」
「・・・・・・・・それを聞いて、どうする?」
「笑わせたいな、と企んでる。・・・・さっき、無理矢理キスを迫った俺が言うのもなんだけど。」
猫兄様は相変わらずの無表情だったが、青灰の長い尻尾がパタパタと右に左に忙しなく揺れている。
これ、どういう感情?
「・・・・・エリオットは、世界の理に、興味があるか?」
ん?
急に天使めいた賢そうな事を言われたんだが、どう答えるのが正解なんだろう。
「それは、猫兄様の笑顔と、関係ある?」
「さぁ、どうだろう。」
可愛らしいボーイソプラノの声や見た目とミスマッチな、落ち着いた話し方。
「だが、“旅は良い”と思う。」
「そっか。じゃあ、沢山、旅をしよう、猫兄様。」
猫兄様の尻尾が、いっそう激しくパタパタと動いた。
・・・嬉しい、のかな。
思わず俺の手が、猫兄様の頭に伸びる。
ゆっくりと撫でる、青灰の髪。
猫兄様は、サッと耳を垂れ、チリン、チリン、と首の鈴が鳴ったが、無抵抗、どころか、目をスッと細めた。
ゴロゴロ、と小さく猫兄様の喉が鳴る。
あ、ヤバい。
これ、可愛いやつだ。
堪らんなッ。
猫兄様は、表情筋の使い方が下手だけど、ちゃんと嬉しい時は喜んでいる。
見た目は可愛いけれど、ツーンとして感じが悪い。
それが猫兄様の城内での評判だったけど。
今なら分かる。
猫兄様にもちゃんと温かな感情がある。
今までは、嫌な事が多過ぎたのかもしれない。
「・・・・何、お二人で盛り上がってらっしゃるんですか、私がしばかれてる間に。」
ゼーゼー言いながら、執事達が戻って来た。
仕方なく、俺は猫兄様を撫でる手を止める。
「また旅に出よう、って話し、してた。」
「呑気ですね。」
執事が嫌味ったらしい。
猫兄様の頭を、自分も撫でたかったのかもしれない。
「猫兄様、そろそろエリオット様を王に指名して下さい。」
鬼軍曹が、率直にお願いをしてきた。
「・・・・・・・・・・。」
すると、猫兄様がなぜか黙る。
「猫兄様?」
「・・・・・先に、エリオットからお願い事をされた。」
「お願い事?」
「女将を元に戻さなければ。丁度良いのが、外に居るようだ。」
猫兄様が立ち上がり、「エリオットよ、少し待て」と命じて階段を上がって行くが・・・。
いやいや、一人じゃ危ないでしょ!
小さな背中を、全員で追った。
何だか、嫌な予感がする。




