猫兄様の旅
4 猫兄様の旅
バシッ!
日もまだ明けやらぬ早朝。
俺は何かをしばく音で目を覚ました。
聞き覚えのある音だ。
まだ眠かったが、俺は割とショートスリーパーなんで、問題無い。
半分寝ぼけたまま、ガバッと起き上がると、僅かな蝋燭に照らされた闇の中、隣で執事がメイドに雑草でしばかれていた。
「さっさと起きろッ、この愚図執事!」
鬼軍曹だ。
あっぶね。
さっさと起きて正解だ。
俺は、周囲を見渡す。
昨夜の事を思い出し、猫兄様を捜すが、偉そうに椅子にふんぞり返って眠っていたはずの猫兄様の姿が、無い。
途端に不安にかられ、鬼軍曹に問う。
「猫兄様は?」
「エリオット様は、ご自分で目を覚まされましたね。それに引き換え、この愚図執事!」
バシッ、バシッと雑草の鞭が唸る。
いや、何プレイですか。
朝っぱらから。
「それより、猫兄様は、」
「もう、麻袋に入ってらっしゃいます。後は運ぶだけ、という状況なのに、この愚図執事が!」
執事、起きろ。
鬼軍曹の餌食だぞ。
しばかれ執事を心の中で応援しつつ、俺はそれらしい麻袋を捜す。
・・・あ、本当だ。
鬼軍曹の後ろに、ちょこんと紐で縛った麻袋が置いてある。
そこに入っちゃったの、猫兄様?
ちょっとだけ、つついてみたい衝動に駆られるが。
グッと堪え、小声で話し掛けてみる。
「あ、あの、お早うございます。猫兄様。えっと、俺、」
面と向かっては話し掛け辛いが、この状態なら俺も勇気を振り絞れる。
「エリオットです。助けに来ました。」
「ニャ。」
ん?
今、ちっさい声だけど、「ニャ」って言った?
猫兄様、「ニャ」って・・・・・?
・・・・・かっわい~ニャ―。
どういう意味の「ニャ」か知らんが。
猫に猫語で話し掛けたくなる奴の心境が、ちょっと分かっちまったぜ。
可愛いの極み。
つーか、猫兄様の声、初めて聞いた。
声変わりしてない、ボーイソプラノってとこか。
かっわいい~。
・・・いや、落ち着け、俺。
猫兄様は、一応、年上。
可愛い、とか口に出してはいけない。
だったら、もうちょっとだけ話し掛けてみようかな、などと思案していると。
横っ面をパンでしばかれる。
痛くない。
痛くはないが、食べ物をこんな風に使ってはいけない。
「食べ物は大事にしなくては。」
「仰る通りです、エリオット様。急いでそのパンを頬張り、出立の準備を。この寝起きの悪い愚図執事は、このままロープで縛って転がしておきますか?」
「・・・え。発想、怖ッ。」
俺の脳裏に、縛られたまま白骨化して何百年も、この地下倉庫に転がったままの執事が浮かんだ。
「・・・・エリオット様、今、私で何か妙な想像をしましたね。」
薄闇の中、むくッと、執事が起き上がった。
「した。」
「人でなし。」
俺を睨むな、執事よ。
人でなしは、容赦なく雑草でしばいてくる鬼軍曹メイドの方だからな。
「とりあえず、鬼軍・・メイドの言う通りにした方がいい。」
俺達は支度を済まし、一部雑草でしばかれながら、倉庫の外に出た。
外はまだ、夜明けと呼ぶには薄暗い。
そこそこ温暖な地域なので寒いという程ではないが、夜明け前の空気は多少ひんやりとして湿気を帯びている。
「猫兄様、寒くないかな。」
「あんまり猫兄様に気を遣わないで下さい。」
「え?」
「怪しまれます。この麻袋は、私が城仕えの給金で買った、ハレハレ麦、という設定です。つまり、私の物です。」
いいな。
猫兄様は、鬼軍曹メイドの腕に抱かれている。
勿論、麻袋に入ったまま。
「エリオット様は、私を迎えに来た、温情ある王子、という設定にしましょう。」
「分かった。」
ちょっと俺の待遇、いい。
「わざわざ王子が迎えに来る?って普通は思いますけど、怪しまれないくらい、小物っぽいオーラがありますので、きっと上手くいくと思います。」
一言余計だな。
だが、何も言うまい。
朝っぱらから雑草でしばかれまくってズタボロな執事に比べれば。
・・・・執事の奴、地元では普通に、もててやがるからな。
領内の酒場に行けば「キャー、陰気な縮れ黒髪領主に仕える、イケメン執事様よ~。抱いて~!」などと黄色い声が上がり、その色男ぶりを発揮している。
ついでに、だいたいその場に俺も居るんだが。
俺は、空気。
・・・・いいのさ。
女にもてなくても。
今日も、猫兄様が可愛い。
それだけで、産まれてきた甲斐があったというもの。
「・・・愚図執事。お前は、私が給金で買い求めたハレハレ麦を、ハゲタカのように奪い取ろうとする姑息で最低な男、という設定です。良いですね。」
「えッ?そこまで私が、貶められる必要は無いのではッ、」
「シャーラップ!!従え。」
「・・・・はい。」
鬼軍曹メイドが雑草の束を振り上げた(すげぇ、猫兄様を片手で抱えちゃってる)ので、ビクッと震えた執事が、大人しく指示に従った。
これは完璧にマウントをとられましたな、色男執事さんよー。
「・・・今、私を貶めるような想像をしましたね、エリオット様。」
「した。」
「人でなし。」
執事が恨めしそうに睨んでくる。
「まぁまぁ、そう怒るな、執事よ。城門を抜けるまでの演技だ。今は、鬼軍曹に従おう。」
俺は昨夜同様、雑草や枝葉を頭に突っ込んで、ベルトなどにも草木を挿し込む。
鬼軍曹メイドもそうしているから。
「エリオット様のおっしゃる通り、これは猫兄様脱出の為の重要な演技だ、お前もさっさと茂みになりきれ!この愚図執事が!」
「痛ッ、痛いってッ。」
結局雑草でしばかれ、しゅんとなった執事も、茂みと化した。
色男が、台無しだな。
ちょっと可愛そうだが、今は鬼軍曹メイドの案に従うのが良策のように思える。
一番大切な事は、麻袋の中身を衛兵に検められないよう、上手く気を逸らす事だ。
幸い、門を守る衛兵は、我が父王、別名“ギックリ腰王”配下の者のようだ。
明らかに、城の周りをウロウロする騎士達とは、漂う緊張感が違うからな。
だが、またギックリ腰が悪化し、父王が王城を去るか、王城で治療中に暗殺された場合、王城を守る兵配備が変わって、俺達四人が王城から出るのは、難しくなるかもしれない。
執事の指摘した通り、四人の王子で争いになったら、一番分が悪いのは、俺だ。
ここは一刻も早く猫兄様を俺の領内にある城に連れ帰り、言葉を喋る練習をさせなければ。
・・・・ん?言葉の練習?
俺と猫兄様、二人きりで向き合う地下牢。
仲良く椅子に向き合って座り、俺が「あいうえお」って言ってみて、と促し、猫兄様が頑張って喋ろうとするが「ニャァ」と小さく鳴いてしまい・・・。
うはぁぁぁ!
可愛いだろ、もう。
想像しただけで萌え死ぬ。
「あの、また何か、妄想されてます?お好きですよね、本当に。」
「煩い。黙れ、ドМ執事。」
「そっちこそ、ブラコンかショタコンか、はたまた、ただの猫耳好きの変態か、ハッキリさせて欲しいですけどねッ。」
「どれも違うッ、猫兄様好き一択だッ。」
「ふん。本当に猫兄様が貴方を王に選ぶかは、分かったものではありませんよ。私達は、直接猫兄様と“文字盤”とやらで遣り取りした訳ではありませんので。」
まぁな。
それは確かにそうだが。
例え俺が王に選ばれなかったとしても。
猫兄様と一緒に、地下牢で向き合い、一晩一緒に過ごせるなら、もう死んでもいい。
猫兄様に睨まれるのは辛いと聞くが・・・。
思い返せば、俺は猫兄様にじっと見られた事はあれど、睨まれた事は無いんだよな。
尻尾で叩かれるのは“ご褒美”だと聞くし。
そんな一晩を過ごせたなら。
俺の人生、悪くは無かった、と思って死ねるだろう。
うん。
何でかな。
俺も猫兄様と地下に居ると、心が安らいだ。
そんな事を考えながら。
俺達は昨夜と同じ要領で、メイドの後に続いて庭から庭を移動して行った。
時折「伏せ!」の命令に応じるのも、昨夜より格段に上手くなっている。
もう、雑草でしばかれる事は無い。
俺達は昨夜、馬を繋いだ場所まで戻った。
それから、体に付けた雑草を取り払い、堂々と馬に跨る。
俺の前には鬼軍曹、もといメイドだ。
メイドは勿論、猫兄様の入った麻袋を抱いている。
そして執事は一人、馬を繰る。
「良いですか。では、手筈通りに。」
キビキビとメイドが指示を出し、俺達は無言で馬をカポカポ歩かせ始める。
俺って、パッとしない顔と、縮れ黒髪で、心から良かったと思う。
俺と猫兄様以外の王子は皆、キラキラと目立つ金髪なのだ。
鬼軍曹メイドも、優秀な執事も、明るさは違えど髪色は茶色の域を出ないから。
このまだ明けやらぬ空の下では、半分闇と同化している。
誰に咎められるでもなく、俺達はあっさり城門まで辿り着き、昨夜と同じ衛兵から止められた。
「徹夜、ご苦労様。」
「ああ、昨夜の無駄に壮大な王子様ですね。もうお帰りで?」
「そうなんだ。送り出していたメイドがクビになっちゃって、迎えに来ただけだから。」
「へぇ、メイドの迎えに、王子様が自ら?」
この問いに、すかさずメイドが麻袋を握り締める。
「うちの領、貧乏なんですよ。暇してるのは執事しか居なくて、執事を迎えに寄越す、なんて言うから、私が、“嫌だ”って、我儘を言ったんです。」
「ふーん、何で?」
「この執事、王子の見てない所で私達使用人をいびり倒すんですよ!」
俺はチラッと執事の方を見た。
何とも言えない、嫌そうな顔をしている。
ほら、演技、演技。
「顔に似合わず、えげつない執事ですな。」
衛兵が眉を顰める。
「そうなの。色男の皮を被った、ケダモノよ!」
うわー、そこまで言っちゃう?
怖いんで、俺はもう、執事の方を見れない。
「私が、なけなしの給金で買ったハレハレ麦だって、きっとこの執事が全部取り上げてしまうに決まっているわ!」
「それで急遽、王子様が付き添った、という訳ですね。」
「そうです。」
鬼軍曹の目にも涙。
迫真の演技だな、鬼軍曹メイドよ。
「ってことは、執事の次に暇してるのが、王子様、って事ですか。」
「そうです。」
何ッ・・・そうです、って、演技だとしても・・・ちょっと傷付くな。
俺は一応、農作業だって手伝っている。
ほぼ毎日。
「理由は解りました。」
簡単に解るなよ。
俺、頑張ってるから、実際は。
「でも一応、そのハレハレ麦、中身を確認させて頂いても?」
「嫌です。」
そこはキッパリ断る鬼軍曹。
「えーっと。メイドをされていたならお分かりだと思いますが、今、城内では第一王子の猫兄様が行方不明になってしまわれまして、大ごとなんですよ。城門から出る方々の手荷物は厳重に調べよ、とお達しが・・・、」
「そんな事言って、あなたも私のハレハレ麦を、くすねようとしてますわねッ?」
「後ろのえげつない執事と、一緒にしないで下さい。こちらは、ただの確認です。」
これはちょっと不味い事態になった。
優秀な執事よ、何とかしてくれ!
と執事の方を向くと、“えげつない”と言われた事がショックだったのか、遠い目になっている。
ダメだ。
これでは役に立ちそうにない。
「この、泥棒衛兵!」
「違いますよ。私はただ、確認を・・・、」
仕方ない。
あんまりやりたくは無かったんだが。
俺は腰から、スラリと剣を引き抜いた。
「お、王子様、な、何をなさるんです?」
悪いな、正直な衛兵よ。
「麻袋の確認を許可しよう。だが、このメイドの麻袋の中身が本当にハレハレ麦だった場合、お前を泥棒と見做して、首を刎ねる。」
「そ、そんなご無体な!」
「見るのか、見ないのか、どっちだ?」
「そ、その剣を、どけて下さいよッ、」
「質問を変えよう、生きて夜勤を終え、家に帰りたいか、帰りたくないか、どっちだ?」
「そ、それは生きて夜勤を終えて家で寝たいに決まってるでしょう!」
「うむ。お前の正直さは、いずれ世界を救うだろう。」
「無駄に壮大な・・・ッ、」
「そもそも、猫兄様は、こんな麻袋に大人しく入っているような方じゃない。気に入らなければ、尻尾でバシバシ叩いてくるようなお方だ。よって、これはハレハレ麦だ。」
「・・・・う・・・確かに。意外に、論理的・・・。」
「意外、は余計だ。それより、もうすぐ交代の時間だろう?ゆっくり休め、衛兵よ。じゃあな。」
俺はスチャッと剣を鞘に納め、逃げるように馬を走らせた。
後ろで、戸惑う衛兵の声が聞こえたが、弓を射て来るような気配は無い。
一先ず危機は脱したようだ。
と思っていたら鬼軍曹メイドが。
「あれはマズかったんじゃないですか?後でチクられたら。」
と、難癖をつける。
「いや、そもそも永遠にバレないなんて事、ある訳無いぞ。あいつ、正直な衛兵だから。」
「せっかくロープとナイフがあったんですよ?縛って馬に繋いで、城下町を抜けた森林地帯でブスッとやって、埋めたら良かったんですよ、エリオット様が。」
「あ、やっぱ俺がそれをやる訳ね。」
サイコパス執事だけで充分なのに、更に鬼畜な鬼軍曹メイドがパーティに加わってしまった。
「とにかく、急いで領内に戻りましょう。」
俺達は馬を急がせたが。
執事と二人きりだった時のようには、無茶できない。
何しろ、猫兄様が居るから。
日が高く昇る頃には、休憩だ。
通りすがりの町で鬼軍曹メイドが、昨夜くすねたパン一個と交換してきたミルク、それから残りのパンで質素な昼食をとる。
勿論、森の中に隠れながら。
だが俺達はまだ良い。
ちょっとだけ麻袋から出された猫兄様は、目を布で覆われ、頭には耳を隠すように花柄頭巾が被せられていた。
「ここまでしなくても、良くない?目隠しはいらんのでは、」
「アホなんですか、エリオット様。左右の色が違うオッドアイというだけで、目立つんですよ。しかも片目は金色。耳が見えなくたって、青灰の髪、といえばこの国では猫兄様しか思い浮かびません。誰かに、チラッと見られただけでも、終わりです。」
「そうだけど・・・、」
俺達の会話は気にも留めず、猫兄様は、黙って少量のパンをもぐもぐ食べ、小さな木の器に入れられたミルクを、ペロペロと美味しそうに舐めた。
「・・・・もうちょっと、ミルクを与えてもいいだろうか。」
「奇遇ですね、私も今、そう思っていたところですよ。」
思わぬところで、執事とミルク瓶の取り合いになる。
「そんなに飲まないです、猫兄様はッ。」
鬼軍曹の一喝で、争いは決着したが・・・。
その後、猫兄様は、大人しく麻袋へ戻っていく。
何だか、これでは人攫い・・・というか、実際に攫ってるんだけど、ちょっと扱いが、居た堪れない。
猫兄様が喋れないから、尚更だ。
話しに聞いていた尊大な態度とは程遠く、置かれている境遇に文句の一つも無い。
罪悪感に駆られるが、確かに猫兄様の容姿は目立つ。
せめて目隠しくらいはとってやりたいが、鬼軍曹の許可が下りないからな・・・。
食後は、馬の負担を考え。
俺の馬に麻袋入りの猫兄様、執事の方に鬼軍曹、という振り分けで行く。
始終、俺はドキドキしていたが、猫兄様は大人しく俺に抱かれていた。
ハレハレ麦になりきった様子で、じっと動かず。
・・・・夕暮れ。
追っ手は気になるが。
来た時のように、早馬を乗り継いで帰る事はできない。
鬼軍曹とはいえ、女性も居るし、体力の劣る猫兄様も居る。
王子の威信にかけて、最低限ベッドでちゃんと休ませなければ。
宿場町で宿を借りようとしたら。
「ええ?銀貨三枚で三人泊まろうってのかい?」
宿屋の女将に嫌そうな顔をされた。
「エリオット様が、気前よく衛兵にお小遣いなど渡すからですよッ。」
後ろから優秀な執事の小言が聞こえたが、無視する。
「一番安い部屋でいいから、お願い!」
俺は食い下がった。
「仕方ないねぇ。女の子も連れてるようだから、今夜だけ特別だよッ。」
振り返ると、鬼軍曹メイドが、スカートの裾をちょいと持ち上げ、しおらしく一礼する。
いやいや女将さん、この人が一番鬼畜で容赦ないサイコパスなんですよ。
と思ったが、また雑草でしばかれたら嫌なので黙っておく。
「地下室でよければ、泊めてあげるよ。真ん中をカーテンで仕切るだけになるけど、それでいいかい?」
「ありがとう、女将!」
俺が謝辞を述べた瞬間、スパーンと丸めた紙で頭を叩かれる。
俺、何かした?
「あんた、女の子に手を出したら、ボコボコに叩きのめした後、役所に突き出すからね!」
「流石エリオット様。信用も知名度も、ゼロですね!」
背後で優秀な執事が嬉しそうに囁く。
こいつはなぜか、俺の不幸が大好物である。
「凡庸さにおいては、他の追随を許さないお方です。」
メイドが追い打ちをかける。
メイドよ、お前もか。
何で俺の部下は、こんな奴ばっかりなんだろう。
まぁいいけどさ。
俺達は地下に案内され、荷物扱いとなった猫兄様を、いそいそと運び込んだ。
地下の小部屋は、女将の言った通り、真ん中に仕切りカーテン、それから両脇に二段ベッドという、簡素な造りだった。
多分、元々は従業員用の部屋だったのだろうと推察する。
地下なので、窓は無く、ランプの灯りだけが頼りだ。
閉塞感を覚える空間のはずだが、猫兄様と一緒なら、なぜかホッとする。
「私は先に湯あみをして、夕食をゲットして参ります。」
真っ先に、メイドが口を開き、「じゃあまた後で」と素早く部屋を出て行ってしまった。
自由人だな、鬼軍曹。
呆気にとられていたら、俺の前で慇懃に執事が礼をする。
「私も湯あみをして、その後、たらいに湯を貰って参ります。」
お前もか、自由人二号よ。
皆、湯あみがしたいんだな。
確かに髪の中まで雑草に付いた石や泥が入り込んでるもんな。
分かった、行って来い、自由人どもめ。
そう思っていたら。
「その間に、エリオット様は、猫兄様が喋れるよう、存分に拷問なさって下さい。」
「は?!」
「・・・麻袋を開けた後だと、心苦しいので、今言いました。」
「ちょっと待て、お前が心苦しい事を何で俺ができるとッ、」
「だって、王子は、貴方でしょう?」
「そうだけど、それが何?」
「ご自分の事は、ご自分で解決なさって下さい。」
「解決って、お前なッ。拷問したら喋れるようになるって確証でもあんの?」
「それは、あなたの感想ですよね。」
「・・・お前、論破か?論破王か?」
「いいえ、ただの執事です。」
とにかく、と執事が続ける。
「このゆっくりした歩みでは、領内に戻る前に追い付かれる危険性が高いです。もう、手段を選んでいる場合ではありません。」
「いや、選べよ。」
「健闘を祈ります。」
「勝手に祈るなッ、」
では、と執事が地下室のドアを開けて、湯あみに出掛けた。
パタン、とドアが閉まる。
急に、しーん、と静かになる室内。
因みに、この部屋には鍵がついていない。
本来、客室では無い造りだから。
「えっと・・・・大丈夫ですよ、猫兄様。拷問とか、マジ無いんで、安心して出て来て下さい。」
宣言し、俺は猫兄様が入った麻袋を開けた。
ベッド上に寝かせてある麻袋が、もそもそ、と動いて、そろそろと猫兄様が出てくる。
ん?
頭が花柄・・・。
そうだった。
目隠しと頭巾をとってあげないと。
ずっと付けっぱなしとか、可哀そうだ。
鬼軍曹、居ないし。
勝手に取っちゃおう。
「取りますね。」
返事は無いが、俺は勝手に、猫兄様から頭巾と目隠しを取った。
途端に、ピコン!と現れる猫耳。
プルプルと振った後、またピンと伸びて、周囲の音を探る様に動く。
かっわいい~。
それから。
四つん這いのまま、体半分、麻袋から出て来て止まった。
目の前にあるのが、ベッドと枕だと察したのか、そのままクルッと反転した。
チリン、と安物の鈴が鳴る。
俺が贈った首輪の音色。
ベッドに腰かけ、猫兄様を覗き込んでいた俺は・・・・。
思わぬ形で、左右の色が違う猫兄様の目と目が合う。
吸い込まれそうに綺麗。
特に、黄金に輝く目は・・・。
ドック、ドックと心音が煩い。
目が、離せない。
このまま、抱き付いてしまいたい。
俺の中に、浅ましい炎が宿る。
嫌なら、睨みつけるなり、引っ掻くなりすればいい。
それなのに、無抵抗で。
少し体を近付け、のしかかるような体勢になった俺に反発しようともせず、ただジッと俺を見上げている。
もしかして・・・・・?
猫兄様も、このまま抱きしめられたっていいと思ってるんじゃないのか?
“いやいや、待てぃ!”と頭の片隅に残った俺の僅かな良心が、俺を咎める。
これでは、完全にゲス野郎じゃねーか、確りしろ、俺ッ。
理性を呼び起こせ。
力も無く、声も出せない、か弱い“兄”に、何をしようとしているんだッ。
目を覚ませ、エリオット!
“いやいや、良心よ。お前はそう言うが、この機会を逃したら、一生後悔するかもしれないぞ。捕まって処刑されるにしても、せめてあの時、猫兄様を抱きしめていれば、と”。
いやいや、お前ら誰だよ。
もう、俺の頭の中のせめぎ合いが煩い。
良心に従い、必死に本能を止めようとするが、体が言う事をきかない。
せめて。
せめてその唇を。
俺は、理性を振り払ってしまった。
そうして、軽く重なり合った唇。
やわらか~い!
俺の、ファーストキス。
何て事は、どうだっていいッ!
きっと猫兄様にとっては、トラウマ級のキスで・・・・。
慌てて唇を離した、その瞬間。
「うわッ!」
黒い靄がブワッと猫兄様を覆い、俺は驚いて靄を手で払う。
だが、払っても払っても、靄は消えない。
「猫兄様!」
俺の所為だ!
俺が煩悩に負けて猫兄様にキスしたから、神の天罰だ!
「誰か、誰か!猫兄様を、助けてくれ!」
叫びながら、手にした花柄ハンカチで必死に黒い靄を払う。
心なしか、段々靄が晴れてきた気がする。
「どうしたんだいッ!」
その時、地下の扉が開いて、手にフライパンやら、すりこ木やらを持った宿屋の女将と従業員達が押し掛けてきた。
・・・・・・あれ、何だろう。
この光景。
ちょっと既視感があるような・・・。
チリッと頭が痛み、俺が額を押さえると、その手の上から柔らかい何かが、フニフニと当たる。
ん?
気持ちいい。
ふわふわ。
もこもこ。
あ、これ。
猫兄様の尻尾だ。
そう思い、顔を上げると、目の前には、最後の黒い靄を握り潰すように、小さな掌に靄を吸い込んだ猫兄様が居た。
「あ!コラッ!この男、誰かを襲って・・・!」
女将さんを先頭に、宿屋の従業員達がドヤドヤと地下階段を走り降りてきた。
ハッと気付けば、俺は猫兄様にまだ覆い被さったままだ。
慌てて猫兄様から離れると。
「・・・・止まれ。」
小さなボーイソプラノの声が聞こえ、今にも俺に殴りかかりそうだった女将の体が、ピタッと止まった。
「え?」
フライパンを振り上げたままのおかしな格好で、時を止めてしまった女将。
その女将の背にぶつかり、後ろから走って来た従業員達も転倒する。
何かの喜劇を見ているようだ。
「・・・・・ふむ。あらゆる書物に、目覚めのコツは王子のキスだと書き記してあったが、誠であったか。」
はい?
ベッドに半分麻袋に入った状態で寝転んでいた猫兄様は、やおら袋から這い出て、俺の横にチョコンと座った。
・・・・・今、猫兄様、喋った?
隣に居る小さな猫兄様を、びっくりして俺は見詰めた。
相変わらず無表情だが、その口からは、確かに言葉が紡がれていた。
「・・・・まずは、鍛冶神の神殿を作らせよう。人間はすぐに裏切るが、私は約束を守る。」
え?猫耳?鍛冶神?
おかしな格好で止まったままの女将を除いた全員が、猫兄様の姿を見てびっくりしている。
当然の反応だろう。
このような半猫の姿をした者は、この国には、いや世界中を探しても、猫兄様以外には存在しないのだから。
「そこの人間達、何をしに来た?もしや、不足している宿泊代とやらの催促か?残念だが、金目の物は、この金細工の釦しか持たぬ。要るだけ千切って、持って行くがよい。」
猫兄様を改めて見ると、高価そうな上着に、半ズボン。
白タイツにピカピカの靴、という、見るからに大貴族のお坊ちゃまを連想させる服装だった。
その上着に、金細工の小さな釦が五つ、あしらわれている。
猫兄様は、これを千切れと言っているようだが・・・。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・ッ。」
無表情の猫兄様と、宿屋の皆。
それプラス、フライパンを振り上げた、おかしな格好で固まったままの女将さん。
ついでに俺も、急に喋り出した猫兄様に驚いて、ただ見ているしかできない。
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・ッ。」
うん。
反応に、困るよな。
俺もだよ。
ちょっと混乱が、頭の中でパーティしてる感じ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ。」
けど、長いよ。
そう思い始めた頃。
猫兄様が、おっとりとこちらを向いた。
え?何?
「・・・・喋れたら、言おうと思っていた事を思い出した。」
相変わらず、感情の読めない顔で、猫兄様が続けた。
「“旅は、良いものだな”。」
本気なの?冗談なの?
いや、違うな。
俺はそこで、漸く口元を緩ませた。
「ああ。・・・そうだな。」
猫兄様は、天然だ。