猫兄様の翼
3 猫兄様の翼
何か、胸に込み上げるものがあって、俺が階段を駆け下りると、その先は小さな荷物置き場で、行き止まりだ。
あれ?
と思ったのは、なぜだろう。
狭い。
数メートル進むと、もう突き当りだ。
倉庫なのだから、当たり前なのだが・・・・。
樽や麻袋等が並んだ倉庫には、小さな人影が一つ。
ボロい木製の椅子に足を組んで眠っている、青灰の髪の王子。
整った、秀麗な顔。
本物の、猫兄様だ。
眠っている、その姿まで、何だか偉そう。
俺はクスリ、と笑いそうになり、それと同時に気付く。
猫兄様の細い首に、かつて俺が当てつけに贈った、青いリボンに銀の鈴が付いた首輪が結ばれている。
胸元には、俺が遠い昔に贈った、宝石付きのネックレス。
サイドテーブル代わりの樽の上には、俺が書き送ったお茶会へのお誘い書簡。
何だか、とても大切そうに。
「・・・・・・・・・。」
俺は、言葉を失ったまま、眠る猫兄様を見詰める。
ドキドキドキドキ。
心音だけが高鳴る。
ちょっと・・・訳が分からない。
俺、嫌われてたんじゃ、なかったの?
混乱していると。
「罠・・・ではなさそうですね。」
俺を先に行かせ、罠かどうか確かめたらしい執事が、背後から忍び足でやって来る。
俺の隣まで来ると、執事は、じっと猫兄様を見詰めた。
「こんなに近くで、ご尊顔を拝するのは初めてですが、・・・耳が猫ですね、本当に。」
「チッチッチッ。甘いですわ。私気付いてしまったんです。」
くすねてきたパンを傍らの樽に置いたメイドが、誇らしげに床を指差す。
凸凹した石の床に、蝋燭のチラチラした灯りで、陰が落ちている。
猫兄様が眠る椅子の影。
ゆらゆら揺れている。
薄っすらとした影だが、そこには確かに・・・。
「翼だ・・・ッ。」
「翼・・・、」
存在しない翼の影だけが映っている。
不思議な光景だった。
「やはり、猫兄様は、天使的な何か、ですかね。」
慎重な執事の言葉に、あっさり鬼軍曹メイドが答える。
「猫兄様は、“鍛冶の神の使い”だとおっしゃっていました。」
「「えッ?」」
執事と声が被る。
鍛冶と猫兄様。
正直、意外な組み合わせだ。
ってか、この鬼軍曹、猫兄様から“こ・い”のメッセージを貰ってから、急激に仲良くなってない?
猫兄様は、今まで誰が聞いても、どの神の使いなのか答えはしなかったのに。
「私達、一週間ここで暇してたんで。文字盤でいっぱい会話しました。」
「嘘だろう?あの、人嫌いで有名な猫兄様がか?」
執事は訝し気だ。
「会話、と言っても一種の取引きでしたけど。私がエリオット様の事を一つ話す代わりに、猫兄様も私の質問に一つ答える、という。」
「お、俺の事?」
「私も、こんなののどこがいいんだろう?と首を傾げたんですけどね。」
「そこは傾げるなッ、」
「猫兄様の反応が可愛いんで、まぁいいか、と。」
「反応が可愛い?」
どんな風に?
「特に可愛かったのは、首輪のお礼に自分が贈った花を、エリオットは喜んでいたか?という猫兄様からの質問の際ですね。」
「花・・・ああ、あの枯れた毒花の事ですかね?“エリオット、死ね”って意味の。」
執事が弾んだ声で会話に割り込んで来る。
執事よ、何でお前は、俺の不幸が大好物、みたいな顔してるんだ。
「それが、違ったんですよ。猫兄様は、花が枯れる前に届くと思ってらしたようで。エリオット様の髪や目の色と同じ、黒色の花を見かけて、保存処理をしてから届けさせたと仰ってました。多分、猫兄様が誰かにプレゼントを贈る事を訝しんだ城内の何者かが、すぐに贈らず、中身が何なのか、時間をかけて調べたんだと思います。その所為で届くのが大幅に遅れ、花は枯れてしまった。・・・もし、箱の中に入っているのが“エリオット様を王にする”という内容の切り貼り文だった場合、ドえらい事になりますから。」
何それ。
俺の顔はボボボッと赤くなったが。
「メイドよ。キミの推理は面白いが、でもあの花は、有名な毒花だったぞ。」
ふふん、と鼻で笑い、あくまで俺の不幸を望む、執事。
「それ、伝えましたよ、猫兄様に。そしたら無表情のまま、尻尾と耳をペタンと垂れて、倉庫の奥に丸まって隠れてしまわれました。因みに、尻尾だけ、隠れきれてませんでした。」
「え、尻尾だけ・・・・とか、可愛い。」
「くッ、可愛いな、」
流石の執事も、言葉に詰まる。
「猫兄様、お花には疎かったようですね。あと、ネックレスを貰った時も、・・・・“エリオットが何かくれた”と喜んでたら、誰かにネックレスを奪われるわ、エリオット様はどこかに連れて行かれて、居場所が分からなくなるわで、捜し回ったとおっしゃってました。」
猫兄様、一応、捜してくれてたんだ・・・。
それが真実なら、嬉しい。
「見た目と違って、ちょっとおっとりされてますものね、猫兄様。昨晩も、倉庫内を動き回る虫が気になったようで、ずっと目で追っておられたのですが、その内、ポフッと手を出されまして、でも、動きが遅いんで捕まえられなくて、ずっとポフッ、ポフッと叩き続けて、倉庫の端まで追った挙句に、取り逃がしてました。その後も、“また出て来ないかな”って、そわそわ虫をずっと待ってらっしゃいました。」
待ってたんだ、そわそわ。
もぅ、可愛いが過ぎる。
鍛冶の神様、ありがとう。
俺は、猫兄様が存在するだけで、幸せです。
鼻血が出そうになるのを必死に堪え、質問してみる。
「やっぱり手はこう、丸くした感じだったんだろうね?」
「ええ、丸くした感じで、“ポフッ”でしたね。」
ああ、俺も“ポフッ”とされたい。
猫じゃらしで、猫兄様と遊びたい。
「丸か・・・、これは私の敗北と言わざるを得ないだろうな・・・。」
いや、執事よ。
お前は、さっきから何と戦ってるんだ。
「えっと、じゃあ、俺が誘ったお茶会は?」
眠る猫兄様の脇には、大事そうに俺からの手紙が置いてある。
この流れで言うと・・・ドキドキ。
期待してしまうな。
「それは聞かれませんでしたね。」
聞いてくれ。
寧ろ、ここまで聞いたんなら。
「ですが多分それも、城内の者から阻まれたのだと思いますよ。猫兄様は喋ったり文字を書いたりできないので、勝手に返事されていたのでしょう。・・・そこは気付いていたのかと。」
「鬼軍曹・・・いや、メイドよ。お前は良い奴だな。」
「時期国王に取り入っておいて損はないですからね。」
「・・・・俺の周り、こういう性格の奴しかいないな、うん。分ってた。」
そこに、ちょっと待て、と割り込む執事。
「・・・エリオット様が次期国王という話しだが、本当なんだろうな?」
「私が嘘を吐くメリットがどこに?」
「確かにそうだが、では、もっと以前にエリオット様を王に指名すれば良かっただろ。」
「流石、執事。良い質問ですが、詰めが甘いですね。」
詰め?
何か、メイドの方が微妙にマウントとってきた感、あるぞ。
どう返すんだ、優秀な執事よ。
「私が、甘い?」
執事は、猛烈に対抗心を燃やした。
眼鏡はかけていないんだが、眼鏡をくいッと上げるような仕草をする。
この仕草を俺は、エア眼鏡、と心の中で呼んでいる。
「猫兄様は、割と、おっちょこちょいなんです。」
おっちょこちょい?
幾ら眠ってるからって、国の第一王子をメイドが“おっちょこちょい”って、どうなんだ?
と思っていたら。
「“エリオットを王に指名する”って言いたくて、頑張って喋る練習をしてるそうなんですが、いつも“ニャァ”になってしまうそうです。」
くッ、何だそれは。
可愛いが溢れてる、かよ。
練習風景が見たいッ。
「猫兄様は、人間の喋り方を忘れてしまったそうですよ。」
「確かにそれは、おっちょこちょい、かもしれない。」
「でしょう?」
「だがそれは、致命的な、おっちょこちょいだ。」
執事がまた、くいッとエア眼鏡を披露する。
「そうですね。・・・紙の切り貼りでは、破かれて終わりそうだから、って、一生懸命喋ろうとしてるんですが・・・。」
「ふん。喋れない猫兄様など、ただの猫だ。」
「喋れないなら、喋らせてみよう、ニャンコちゃん。私はそう思いますけど?」
“ニャンコちゃん”?
眠ってるし、もし仮に猫兄様が最大限に怒っても、尻尾で叩くくらいが精いっぱいの反抗だからって、言いたい放題だな。
「ぐッ・・・、」
しかも、そんな鬼軍曹メイドの言葉に、何も言い返せなくなる俺の優秀な執事。
“ニャンコちゃん”が効いた?
寝不足だもんな。
仕方ない、ない。
なんて思ってる間に、俺のナイフを勝手に取り上げた鬼軍曹メイドが、器用にナイフをクルクル回し、くすねてきたパンを切り分けて、俺達にひときれずつ投げて寄こす。
いや、マジで何者なの、このメイド。
ナイフ捌きも手慣れているけど。
王子にパンを投げて寄こすメイドは初めてだぜ。
「取り敢えず、それ食べたら寝て下さい。」
「・・・?」
「今、王城の中は、ギックリ腰王が戻って来て、多少落ち着いていますが、またギックリ腰で動けなくなるのも時間の問題でしょう。その前に、猫兄様を安全な場所に移動させたいので。」
最早メイドからも“ギックリ腰王”という渾名で呼ばれている、父王。
「エリオット様、明日の早朝、衛兵が寝不足で“交代の時間まだかな~”と考えて頭がボーっとしている間に、猫兄様を連れて王城を出ましょう。」
おお・・・。
寝不足でエア眼鏡を連発している執事より、余程知略に富んでるんじゃないか?このメイド。
俺の反応を横目でチラッと見て、執事は「チッ」とあからさまに不満そうだったが、その作戦自体には賛成のようだ。
最後に執事は、質問内容を変えてメイドに問う。
「メイドよ、キミはここまでは、隠し通路か何かで?」
パンを齧りながら、俺も、これはなかなか良い質問だと思う。
もし隠し通路が城からこの小屋近辺に繋がっているなら、危険だ。
隠し通路に詳しい王族の者が本気で捜せば、この場所はすぐに見付かってしまうだろう。
「良い質問ですね、執事。でも、詰めが甘い。」
うん。
このやり取り、慣れてきた。
微妙な、マウントの取り合い合戦な。
「闇夜に乗じて、私が猫兄様を背負い、四階から素手で城の壁を伝い、地上まで下りたのですよ。」
「素手で?!あの、めっちゃ高い城の四階から?」
「そうです。私、高い所は好きなんで。“ここから見える景色、全部私の物よ。おほほほ!”って妄想するのが、子どもの頃からの趣味でしたので。」
「・・・・・趣味が、役立ったな。」
負けた。
妄想も、時には役立つもんだ。
この鬼軍曹、只者ではない。
雇ったのは、いつだっけ。
あれは・・・俺が辺境の領主に任命されてからすぐの事だ。
農作業を手伝っている俺の所へ、「メイドになって差しあげます、愚図領主よ」と直談判?に来た、孤児の女の子。
名前を聞いたら、何て言ったっけ・・・・・。
ああ、そうそう。
「お前ごときに名乗る名は無い」だったな。
周囲がウケたんで、即採用にしたんだった。
俺の採用基準、おかしい?
いいんだ。
人を笑わせる才能も、大事な才能。
・・・・俺だって、遠い昔・・・笑わせたいと思った人が・・・大切な・・・。
アイタタタ。
寝不足の所為か、あんまり思考を働かせると頭が痛い。
「・・・・・・・・・ッ。」
執事も、ついには敗北を認めたのか、押し黙ってしまった。
ついでに、俺達の眠気も限界。
俺は、偉そうに座ったまま眠る猫兄様にマントをかけ、眠りについた。
猫兄様が傍に居て、ドキドキして眠れないかな、と思ったが。
流石に三日間眠っていなかったので、すぐに眠りに落ちた。