猫兄様と毒
11 猫兄様と毒
「体調が悪くなれば、庶民なら薬屋。お金のある奴は治療院。・・・貧しい者は、家族や友人らが薬草を取りに行く。」
俺は、猫兄様から“体調を崩した人間はどうするのか”と問われて、そう答えた。
「あ、えっと、神殿があれば、神殿に救いを求めに行く、という手もあるけど。」
猫兄様は、つい最近、“鍛冶神の使い”と名乗ったばかりだ。
庶民の拠り所となるような神殿は、まだ無い。
猫兄様は、チリンチリンと首の鈴を鳴らしながら、いちいち頷いてくれる。
なので俺も、できる限り、この世界の事を知ってもらうべく、説明を加える。
何しろ猫兄様は、今まで王城から一歩も外に出してもらった事が無いのだから。
「あと・・・カルトな類では、」
逡巡し、俺は続けた。
この世は決して、美しい側面ばかりではない。
光と影が入り混じる、歪な世界だ。
そこを教えておいた方が良いかもしれない。
「祈祷師と名乗る怪しげな奴らがいる。」
「祈祷・・・。」
猫兄様が反芻するように呟く。
「何て言ったらいいのかな。・・・殆どは“健康になる壺”とか“惚れ薬”とか、胡散臭い物を高額で売りつける詐欺師?みたいなものだな。」
「ニャ。」
ん?
その「ニャ」は、分かった。
って意味かな。
「他に、質問は?」
猫兄様が首を横に振り、首の鈴がまた、チリンチリンと揺れた。
・・・・今、俺の優秀な執事と鬼軍曹メイドは、密かに町の様子を探るべく、調査に向かっている。
共同水場の使用を止めるよう、町長に申し出るのは簡単だが。
万が一、町長の家に“ポイズン王子”というダサい渾名の王子の手の者が待ち構えて居たら、俺達の方が捕まって終わりだ。
何しろ、こっちは四人しか居ない。
猫兄様には「止まれ」と口にすると相手の時間を止めてしまうという謎の能力があるみたいだが、あんまり触れて欲しくないのか、詳細は黙ったままだ。
あの宿屋以来、猫兄様が「止まれ」を使ったことも無かった。
見た目が目立つ為、部屋へ居残り組の俺達二人は、その後黙って毒入り紅茶に視線を落とす。
猫兄様は、言わずとも、半猫だから目立つが。
俺は平凡。
唯一目立つ部分は、黒髪縮れ毛だ。
何しろ黒髪縮れ毛の王子は、俺一人だから。
お伽噺の魔王が黒髪縮れ毛の野獣という設定だからか、黒髪人口は圧倒的に少ない。
特に男は。
染めたり鬘を被りがち。
更に、イケメンとは言い難い男にとって、髪の色は死活・・・いや婚活問題だ。
女性にもてないから。
因みに、俺は染めない。
何で、って?
俺は、猫兄様が好きだから。
猫兄様の、珍しい青灰色の髪は、素敵だ。
珍しい、ってのも、悪くない。
それに、ありのままの自分で嫌われるなら、遅かれ早かれ嫌われる。
俺はそう思っている。
「・・・・この町の水道は、古いカナート。地下にある帯水層から母井戸、縦井戸、それからこの町に流れている。」
「よく覚えてたね、猫兄様。」
これは俺達が公共の水場で水筒に水を汲んだ時に、町の観光案内として掲げてあった看板に書かれていた記述だ。
町の人口は数千人規模で、水に恵まれた町として、それなりに栄えている。
「エリオット、使われた毒は、特殊な金属だ。」
「え?」
猫兄様は、冷めた紅茶を金属のスプーンで掻き混ぜ、放置する。
「オリハルコンを作る時に欠かせない、特殊な金属。」
「オリハルコン?」
俺は、アホみたいに繰り返す。
『オリハルコン』は、太古の昔に存在したと言われる、最も硬い合成金属だと伝え聞いているが。
その合成方法は誰も知らない。
というか。
最早、魔王と同じ、お伽噺の産物だ。
「信じたか?」
はい?
猫兄様、無表情だけど。
もしかして。
今、俺に嘘ついた?
「執事を真似てみたのだが。」
「何でッ?」
俺はちょっと、声が裏返る。
選りによって、なぜ執事を真似たの?
「エリオットと仲が良い故、若干羨ましく・・・。」
「・・・・・・・ッ、」
そんな、真顔で。
照れるよ、俺。
そんで猫兄様、参考にする奴、百八十度、間違ってる。
俺と執事は、腐れ縁なだけだ。
「俺は誰より、何より好きだからッ、」
「執事が?」
「違う!猫兄様が、だよッ。」
あ、今。
猫兄様の突っ込み、ちょっと冴えてたな。
テンポ、良かった。
「日々、学習故・・・。」
どこを目指そうとしているのかは分からないが。
猫兄様は、冗談も学習中、と。
覚えておこう。
「猫兄様、先程の金属だけど・・・。」
「オリハルコンの?」
「毒の話し、ねッ。」
同じ、淡々とした口調だから分り辛いな、冗談と本気の区別が。
「毒の話しは、本当?」
「ニャ。」
猫兄様が、紅茶に浸しておいたスプーンを引き上げる。
銀色の金属部分が、微妙に黒く変色していた。
「珍しい金属・・・。体内に蓄積されると、その内、精神に異常をきたす。」
「ヤバくない?!」
「国内で産出される鉱物では無い故、市販の薬で解毒は難しかろう。」
「そんなッ、・・・マジで?」
「私は”鍛冶神”の使い。鉱物に関するスキルは高い。」
「猫兄様、」
が、天使っぽい事を言っている。
猫兄様って、本当に”鍛冶神”の使いなんだ・・・。
「猫兄様、俺は、どうしたら、」
「・・・・・・・ニャ。」
聞かれても、困るよな。
猫兄様が、黙る。
“ポイズン王子”とかいう変な渾名のクズ野郎の所為で、罪の無い国民が犠牲に・・・。
「やっぱり、必要なのか。」
王位が。
別に、王冠が欲しい訳じゃない。
欲しいのは、猫兄様だ。
だけど、国民を見捨てて、自由に生きていくなんて、俺にはできない。
国民と猫兄様の両方を守るには、どうしても必要みたいだ。
・・・・・・王冠が。
そう考えていた時。
バン!とドアが開く。
そういや、ノックとかしねーな、こいつら。
偵察に出ていた鬼軍曹メイドと、優秀な俺の執事が戻って来た。
「町民の様子は、どうだった?」
俺が聞くと、執事は首を横に振る。
「町民には、何も。」
「え?」
予想外・・・。
俺は、拍子抜けした。
「町中見回ってみましたが、別段、騒ぎ立てるような事は何も起こっていませんでした。ただ、」
「ただ?」
「何も起こっていないのに、“毒を撒いた”という罪で、アイスワルズ王子が、町長達に引かれて、広場に連れて行かれるのを目にしました。」
「え、あいつもこの町に居たの?」
ってか、おかしくない?
「町民の様子に変わりはなかったんだろ?」
それなのに、なぜ毒を撒いた犯人にされてるんだろう。
「エリオット様、」
鬼軍曹メイドが、一仕事終えたぜ、という感じでソファにドカッと座った。
「これは私の推測ですが。もともと、ターゲットは“ズ”王子だったのかもしれません。あの人、色んな意味で目立つんで。その点、エリオット様は地味の極みですから。」
「極めちまったか、地味を。」
などと軽口を叩いている場合ではない。
「ズ、は何で無抵抗で連れて行かれたんだよ、騎士とかキャンキャンした犬とか、連れてたじゃん。」
キャンキャンした犬を果たして戦力に入れていいのかは分からないが、とにかく、ズ、なら反論や反撃が可能だったはずだ。
「それが・・・アイスワルズ王子の様子がおかしかったんですよ。」
「あいつは常に、様子がおかしいだろ。」
「この前とはまた、違ったおかしさだったのです。」
俺の優秀な執事が、きっちり封のされたワインの瓶を、トン、とテーブルに置いた。
“水が飲めないなら、ワインを飲めばいいじゃない”、みたいな感じで。
「明らかに目が虚ろでした。」
それから、と続ける。
「毒を撒いたのはお前か、と町長に問われ、ゲラゲラ笑いながらクネクネ腹を出して踊っておられました。町民が集まる広場の真っただ中で。」
「笑いながらクネクネ腹を出して踊ってた?・・・それはもう、」
宴会芸。
もしくは、ヤバい薬をキメちゃってる奴じゃん。
それに、ズ、は変な奴だったが、町に毒を撒くような奴には思えない。
そもそも「毒を撒いた」という町長の表現の方がおかしいんだ。
・・・・町民には、目立つ被害は出ていない。
にもかかわらず、ズ、を断罪しようとした町長は“ポイズン王子”とグル、と考えた方が良くないか?
何らかの用事で立ち寄ったズ、を捕らえ。
毒を撒いた罪人として、王位継承権を剥奪する。
町長の屋敷で歓待し、濃い毒入りの紅茶でも飲ませれば、後はチョロかっただろう。
「・・・・あいつの、取り巻きの騎士とキャンキャン犬は?」
「いませんでした。」
逃げたか、別に捕らえられているか・・・・最悪の場合は・・・。
考えたくないな。
「ズ、は、どうなる?」
「町長が罪状を読み上げても、ズ王子の状態が状態でしたからね。ただのクネクネした腹踊りの変人に、町民は憐れむような視線を向けていましたよ。」
「・・・まぁ、そうなるよな。」
納得。
大人が子供に、「見ちゃいけません」とか言って目を覆う場面だ、それ。
「執事、グラスの用意。」
鬼軍曹メイドは、説明しながらテキパキとワインの栓を抜いた。
メイドに顎で命令され、ビクッと肩を揺らした執事が、そそくさと戸棚からグラスを四つ取って戻って来た。
かなり良い具合に調教されてきたな、色男執事よ。
「エリオット様、なぜ私を見てニヤニヤするのですか。」
執事に睨まれる。
普段もてもての美男子が、ちょっと変わった趣向に目覚めてくれると、何となく楽しい。
という本音はひた隠し、俺は真面目な顔を作る。
「俺はいつだって真面目だ。そんな事より、この先、ズ、はどうなりそうなんだ?」
「町長は強引にでも“処刑”宣言まで話しを進めたかったようですが。・・・あの状況では無理です。説得力がありませんから。一先ず、ズ王子は町長の家の地下に幽閉されるみたいです。その間、どんどん毒を盛られるのでしょうけど。」
・・・不憫な奴。
「何とか、ならないのか。」
「はぁ?そこを考えるのがエリオット様の役目なのでは?脳みそは何の為に入っているんです?」
「すみません。考える為です。」
メイドに叱られる俺を、執事が愉悦の笑みで見遣る。
チッ。
執事は俺の不幸が大好物だ。
「まぁ、町長の顔も真っ青で、声も振るえていましたから。町長自身も“ポイズン王子”に弱みを握られ、脅されているのかもしれませんけどね。」
鬼軍曹メイドは落ち着いた様子で、怖い事を言う。
それからワインを全員分、グラスに注いだ。
乾杯、の合図も無く、自分の分をグイッと煽る。
すげぇ、いい呑みっぷり。
直後に手酌でつぎ足す仕草も、山賊みたいだ。
ワイルド~。
「妙な事になってしまいましたね。」
執事の呟きに、俺も頷く。
・・・・・・様子のおかしい“ズ”。
そして、町民には目に見える程、効いてはいない毒。
俺は目を瞑り、思考を巡らせてみる。
この町の水は、カナートで運ばれてくる。
意外な程の水量で、絶えず流れ、下流へと向かう。
よく町で見かける、井戸やポンプと違って、何つーか・・・町中に小川が流れてる、みたいなイメージなんだよな。
猫兄様が言うには、用いられた毒は、解毒が難しい、特殊な金属。
ズ、が解毒剤で正気に返るのを阻止する為だったのかもしれないが。
他国から仕入れた特殊な金属は、通常の井戸やポンプでは効果を十分に発揮したかもしれない。
ただ誤算があって、この町の水量は桁違いに多かった。
故に、毒を撒いたところで一ヵ所には留まらず、すぐに流されて町民に目立った毒の影響は出なかった。
だから、ズ、の罪状と、現状がちぐはぐなんだ。
となると、“ポイズン王子”本人は、この町に来ていない可能性が高いんじゃないか?
多分奴は、今の状況も知らないし、この町が、水量豊かなカナートの町だという事も、知らない。
撒いた毒の量が圧倒的に足りない事も、知らない。
「すげぇ、腹立ってきた。」
俺も、ワインを一息に飲み干した。
自分は離れた所・・・恐らく王城で、部下に指図だけし、他人が毒でおかしくなっていくのを期待しつつ、じっくり高みの見物。
マジで、いけ好かない野郎だ。
「決めた!」
グラスを、タン、とテーブルに置き、俺は声を荒げた。
「俺の優秀な執事ッ、お前は頭が良いから、良い感じに俺を王位に推すよう、有力な貴族や騎士達に手紙を出しまくれ。それと、父のギックリ腰王には、王冠を俺に渡すよう、脅迫文を書き送れ。」
チビチビとワインを吞んでいた執事が、一瞬目を丸くする。
「猫兄様は、執事が書いた手紙に、判子を押してくれる?俺のも渡しとくから、並べて押してね。」
俺は左の人差し指に嵌めていた印入りの指輪を猫兄様に渡した。
王族は皆、封筒に蜜蠟を垂らした後、押し付ける為の“王族の印”が彫られた指輪を嵌めている。
そうしておけば、指を切り落とされでもしない限り、大切な印を失くすことは無いからな。
それは当然、第一王子の猫兄様も持っている。
猫兄様は、まだ字を書けないようだが、判子なら押せる。
「ニャ―ン。・・・・エリオットは・・?」
猫兄様が、不安そうな声。
にゃんて可愛いんだッ。
あの猫兄様が、俺の事を心配してくれるなんてッ。
夢のようだ。
「俺は、鬼軍・・・メイドと一緒に、町長の屋敷に潜入してくる。」
俺は猫兄様を安心させるように、穏やかな口調でそう告げた。
あわよくば、そこでズ、も解放できれば良いが。
とりあえずは、情報収集だ。
「エリオット様、流石にそれは危険です。その役目は私が代わりに。」
珍しく慌てた様子の執事が、これまた珍しく、家臣として至極真っ当な事を言う。
明日は雨か槍が降るんじゃないか?
「え、だってお前、目立つじゃん、顔が。」
「それはそうですが。」
認めるんかーい。
「エリオット様の言う通りですよ。潜入の仕方にもよりますが、町長の屋敷内で他の使用人に顔を見られる可能性が高いと考えると・・・あの人、格好良くない?って噂になるでしょうね。屋敷に仕える使用人は、圧倒的に女性の方が多いんで。・・・あと、顔だけじゃなく、執事は立ち居振る舞いが貴族らしい優雅さで品がありますから、更に面倒です。目立つ色男より、地味で粗野な男の方が絶対偵察向きです。印象に残りませんから。」
鬼軍曹メイドが持論を述べ、自分で納得して、うんうん、と頷いた。
俺、地味で粗野?
褒められてんのか貶されてんのか、どっちだ。
いや、答えなくていい。
聞かなくても分かってるからさッ。
・・・ちょっと、泣いていい?
「でも、エリオット様だって目立つ黒髪縮れ毛で・・、」
「ニャ―ン。」
執事が食い下がり、猫兄様が愛らしい声で心配してくれる。
「黒髪縮れ毛はほっかむりで隠すし、俺は地味で粗野を極めている、安心しろ。」
自分で言ってて、悲しいけど。
今はそんな事を言ってる場合じゃない。
「どんな脅され方をしたのか知らねぇけど、町長がこの町に毒を撒くのを黙認したんなら、そいつに町長の資格はねぇと思う。」
「エリオット様、」
急にまともな事を言いだして、熱でもあるんですか?と言いたげな顔をしつつも、執事は黙っていた。
最早、チャラける局面で無い事は、執事も分かっている。
「もう、逃げない。今日からこの町は、・・・いや、この国と猫兄様は、俺が・・、俺達が守る!」
俺の決意表明に、鬼軍曹メイドが微笑して付け加える。
「いいですね。夢はでっかく、世界征服といきましょう。」
どっかで聞いたようなセリフだ・・・。