猫兄様と王冠
10 猫兄様と王冠
気まずい。
何だ、この空気は。
俺の不幸が大好きな優秀な執事よ、今日ばかりは早く帰って来てくれッ。
執事、カムバーック!!
猫兄様と二人きりなのに、全然甘くないんだッ。
空気がッ。
寧ろ、ビター。
「まずは、国内の粛清から入ろう、エリオット。」
入りたくないッ。
入りたくないんだが、猫兄様が無表情のまま、淡々と入っていくよッ。
誰か、止めてくれッ。
「アイスワルズ以外で残っている王子は、一人。・・・王城は、少数で攻め入るには不向き故、王子には、王城より出てもらわねば。」
「・・・・ふぇ、」
俺はだんだん、喉がカラカラになっていくのを感じた。
「狡猾で臆病な性格故、なかなか王城より出て来ぬかも知れぬ。」
「は・・はぁ?」
「能天気なアイスワルズと違って、宿屋の軒下で固まった人間を、きっと部下の目で確認させたであろう。そして今頃、神の天罰を恐れている。」
「猫兄様、・・・あの固まっちゃうのって、神様の天罰なの?」
「・・・・・・。」
しれッと猫兄様が視線を逸らす。
違うの?
綺麗なオッドアイが、逸らした視線の先には、何も無い。
「・・・・私は間違いなく”鍛冶神”の使いだ。大いに怯えてもらって構わない。」
えーっと。
基本、無表情なので、感情が読めません。
そもそも”鍛冶神”って、怯えるような神様でしたっけ?
そんな事を考えていると。
「エリオットに、沢山の国をやろう。まずどの国が欲しい?」
「え?」
まるでお菓子でも買い与えるみたいに、俺に尋ねてくる。
「ちょっと、タイム!猫兄様。戦争がしたいの?そういうの、俺、望んでない。人が死ぬのはッ。」
「エリオットは、優しい。」
優しい、とか、そういう問題ではない。
幸いにもここ数十年、隣国との争いは無い。
「猫兄様、命を軽んじては、ダメだ。」
俺は、少し強めに猫兄様を窘めた。
「・・・・・分かった。善処しよう。」
猫兄様は頷いたが。
「しかし、海を挟んだ大陸では、大規模な戦争が始まっているぞ、エリオット。」
「ああ、それは・・・・。」
確かに俺も、旅の行商人などから情報を小耳に挟んではいた。
“豊穣”や“鍛冶”などという神は、響き的にも穏やか。
だが。
神は神でも、危険な神を引き当ててしまう国も当然ある訳で。
例えば。
“戦い”の神。
戦争でしか、国民に豊かさを与えられない。
その戦天使が今、海を挟んだ大陸で次々と戦争を起こし、周辺諸国を潰して巨大国家を築きつつある。
”戦いの神”に加護を受けた国は、未だ負け知らず。
多くの国が壊滅した。
負けた国の天使を殺し、代わりに”戦いの神”の神殿を建てて支配していると聞く。
・・・・いずれ、こちらの大陸まで海を渡って来るだろうか。
そしたら、猫兄様は・・・。
「・・・・た、戦うべき時は、戦うッ。」
最悪の事態を思い浮かべてしまった俺に、猫兄様は小さく頷き、何の感情も籠らない声で応じる。
「人間の命は軽んじない。善処しよう。」
ん・・・。
何か、上手く伝わらなかったかな?
「・・・猫兄様、言い辛いんだが、・・・海の向こうで暴れてる天使は、」
「“戦いの神”の僕だ。」
何でも無い事のように、猫兄様が答える。
俺は、続けて言うべきか迷う。
・・・・・通常、天使は背に羽が生えている。
二枚羽、四枚羽、六枚羽。
格式高い天使になればなる程、羽の数が増えるという。
俺の得た情報では、“戦いの神”の加護を得た天使の羽は、最高位の六枚。
見た目も精悍な青年の体躯で、どんな戦でも、その右手を上げれば勝利するという、“勝利の右手”を有している。
最早、反則だろ、そんな秘密道具・・・というか、右手。
こんな天使相手に、勝てる訳が無い。
戦いを挑めば負け。
降伏しようものなら、その場で自国の天使の首を刎ねよ、と命じられる。
要するに、軍同士でぶつかり合って終末を迎えるか、自国の天使を殺して、じわりじわりと国が滅亡していくかの二択だ。
非情で無慈悲。
敗北の仕方を、選択できるだけ。
俺は再度、猫兄様に視線を落とす。
羽の無い、少年のように華奢な体躯。
“勝利の右手”などなくても、殴られただけで致命傷になりそうだ。
想像したくも無い、そんな戦い。
「・・・どうした?」
表情の無い、猫兄様。
唯一勝てるとしたら、睨めっこ、か。
うん。
そんな勝負に応じてくれる戦天使じゃねーわ。
これは。
なるべく早く、対策を練っておいた方が良い事案だ。
我が国の、周辺諸国と連携を取ってみるのはどうだろう?
・・・・・天使はプライドが高く、互いの仲は悪いと聞くけれど。
そんな事、言っている場合ではない。
猫兄様の・・・ひいては国の命運がかかっている。
「ニャ―ン?」
うおッ、いきなり何?
その弱々しい「ニャ―ン?」は。
やっぱ、めっちゃ可愛いぞぅ、猫兄様。
俺が珍しく真面目に押し黙ったから、小首を傾げて鳴いちゃったよ。
・・・・いけるんじゃないか?
この可愛さなら、周辺諸国の天使だってメロメロだ。
既に、俺がメロメロだからな。
「ね、猫兄様、」
「ニャ。」
くッ。
真顔なのに、このキュートな顔面の破壊力。
「だ・・抱き締めても、良いだろうか、」
大丈夫だ、俺は嫌われていない。
寧ろ、好かれている。
自信を持て、俺。
「ニャ。」
え?
どっち?
抱き締めていいの?
それともダメなの?
俺が困惑した、その時。
バーン!!
ドアが開いた。
「ただいま戻りました!」
いらんとこで戻って来た、鬼軍曹メイドと優秀な執事。
「何ですか、その迷惑そうな顔は。」
ビシッと鬼軍曹メイドが床を鞭打つ。
その凛々しい姿は、もう見慣れたが。
いつの間にか、鞭が革製になってない?
『聖弓』を換金した金で新調したの?
うんうん。
それはさぞかし、ドMの執事も喜ぶ事だろう。
良かったな、執事。
「エリオット様、分かってるんですよ。」
執事が、くいッとエア眼鏡をかました。
「何を?」
「私で変な妄想して遊ぶの、そろそろ止めてくれませんかね。」
ドアを閉め、執事が嫌そうに俺を睨む。
「本当は鞭打ちが好きなくせに、照れちゃってもう。」
「分かりました。では私は、角ダンゴムシの抜け殻を夕食の為に集めてきますね。」
「止めろ!」
チッ。
これではお互い、消耗戦だな。
膠着した俺達の間に、サクッと鬼軍曹メイドが入って来る。
「それより、エリオット様。換金ついでに、町の噂を集めてきたんです。」
「おお、流石、鬼軍・・・いや、メイドだ!」
「その前に、疲れたんで、お茶を淹れて下さい、エリオット様。」
「イエッサー。」
メイドの指示でお茶の準備する王子って、どうなの?
まぁ、この空間で一番の権力者は鬼軍曹メイドだから、気にしない事にしよう。
革の鞭で叩かれるのも嫌だし。
「猫兄様って、猫舌?」
「ニャ。」
やっぱり、どっちか分からんな。
だが、俺の後ろからトコトコついて来て、お茶の準備を眺める猫兄様は、可愛い。
猫兄様の分はミルク多めにしとこう。
「王城は今、ちょっと面白い事になってますよ。」
ソファに、ドサッと座った鬼軍曹メイドが、ふふん、と笑う。
「面白い事って?」
お茶っ葉をティーポットに入れながら俺が問うと。
「どの王子に付くか、壮絶な派閥争いになっているそうです。」
「そっかー。」
「何で他人事みたいなんですか?アホなんですか?」
「地味にディスるの止めてくれ。俺は猫兄様が居てくれれば、それで満足だから。」
「やっぱりアホですね。猫兄様を擁するという事は即ち、それが王の証し。」
「何か、格好良いな。猫兄様が聖剣エクスカリバー的な、」
「・・・・しばきますよ。」
「ごめんなさい。」
俺が反省していると、反対側のソファに座った執事が、首を傾げる。
「エリオット様って、取り合うくらい人気ありますかね?」
「お前は地味に酷いな。」
「・・・・・・・・。」
「黙るな。」
「ちょっと不安にさせてみました。」
執事は真面目な顔で続ける。
「こちらも、領地の兵力をできる限り集めるよう、速達で手紙を出しておきました。早くて一週間、これでエリオット様の警護兵が増えます。それまでは下手に動かず、この町に留まるのが得策かと。」
「おおッ、流石執事!相変わらず優秀だな!ドMだけど。」
「・・・・・しばきますよ。」
「ごめんなさい。」
俺は、二人が向かい合わせに座るソファの間にあるローテーブルに、淹れたての紅茶を運んだ。
「ご苦労。」
偉そうだな、鬼軍曹メイド。
いや、実際、何か知らんが偉いんだが。
「ご苦労様です、エリオット様。」
「執事、お前もか。」
主人より、断然偉そうな部下達。
まぁいい。
掃除、洗濯、料理に紅茶の準備まで、器用にこなせる、俺、優秀。
恋人にすると、ちょっとお得感があると思うんだが、どうでしょう、と猫兄様の方を見ると。
「・・・・待て。」
猫兄様が愛らしいボーイソプラノで制止の言葉を告げる。
「猫兄様?」
「飲むでない。」
「え?」
ほんの少し、嫌そうに猫兄様はオッドアイを眇める。
「今、王城に居る王子の渾名を、エリオットは知っているか?」
「??いや、知らないけど。」
実を言うと、渾名はおろか名前すら覚えて無い。
猫兄様以外、アウトオブ眼中なんで、俺。
「“ポイズン王子”と呼ばれている。様々な毒薬を調合するのが趣味故。奴の周りには、沢山の動物の死骸が転がっている。・・・時には、使用人たちも体調を崩す。」
俺達は、真っ黒いローブに身を包んで立つ猫兄様をじっと見詰めたが。
内心、「だっせ、何その渾名」と思っただろう、執事が。
「・・・エリオット様、また私で何か想像しませんでしたか?」
「いいや。」
俺は否定し、猫兄様に向き直る。
「最低だな、そいつ。」
「ニャ。」
と頷く。
猫兄様が、否定しない。
相当酷い奴だ、間違いなく。
「猫兄様、王城に居る時、そいつに何か吞まされたりしなかった?」
「呑まされそうになったところを、動物好きのアイスワルズに何度も救われた。」
「・・・・ッ、」
猫兄様、やっぱり王城では、ろくな目に遭っていない。
その危機を救ったのが、あの“ズ”だって事も、何かムカつくけど。
できれば、俺が傍に居て、守ってやりたかった。
「そのお茶に使った水、毒が入っている。」
猫兄様が、淡々と告げた。
「は?」
「だから、飲むな。」
執事は、手にしたカップを、そっと皿に戻した。
「何でそんな事が分かるんだ、猫兄様?」
「私は”鍛冶神”の使いだ。お茶を淹れる道具に使われた金属が、微妙に変色していた。」
え?
さっき、俺の傍で、そんな所を見てたの?
「”鍛冶神”の使いである私の目は、誤魔化せない。」
猫兄様の、オッドアイが怪しく光る。
「・・・・・俺を、狙った感じ?」
もしも本当に毒入りだったら、そのダサい渾名の王子が、俺を暗殺しようとしたんだろうか。
いや、待て。
仮にそうだったとしても、これでは猫兄様も死んでいたかもしれない。
どういう事だ?
「この部屋の水は、町の共同水場で我らが自ら汲んできたもの。恐らく、無作為だ。この町の水源に毒が投げ込まれている。」
「ちょっと待て、それじゃあ、この町の人達全員が・・・、」
「毒性は弱い。死に至る程では無い。」
それでも、こんなのって。
「今すぐ、町の人に水を飲まないよう、注意喚起しに行こうッ。」
俺の言葉に続き、執事は立ち上がったが、鬼軍曹メイドは立ち上がらなかった。
「なるほど。こうやってエリオット様をおびき寄せる気ですね。」
「おびき寄せる?」
「この町にエリオット様が潜伏している事は知っていても、居場所までは分からない。だから町全域の水に毒を撒いたのです。」
そんな・・・ッ。
「鍛冶の天使なら金属の性質を利用して毒を見分けて騒ぐかもしれないし、見分けられなくても毒を飲んで弱ってくれますから。」
そんな・・・・ッ。
愕然とする俺に、猫兄様が抑揚の無い声で尋ねる。
「王冠が、欲しいか、エリオット?」
猫兄様は、自身の黒いフードを被った。
まるで、自分は被りたくないとでもいうように。
「欲しければ、町の人間は私が助けよう。命は、軽んじない。エリオットが逃げたければ、私も従おう。お前がどのような生き方を選ぼうとも、この私が跪くのは、生涯、エリオットの前のみ。」
一拍遅れて、俺の顔は真っ赤になった。
これじゃ、まるで・・・。
「熱烈なプロポーズみたいですね、エリオット様。何か、ムカつきます。」
俺の不幸が大好きな執事が、厭味ったらしく俺を睨む。
「プ、プロポーズは、俺から改めてちゃんとするッ。」
「そうして下さい、長年追っかけ回してたくせに、いざという時に情けない。」
「・・・辛辣、だが、ご尤も。」
「それにしても、天使が王を選ぶのは当たり前ですが、プライドが高いといわれる天使が、所詮人間に過ぎない王の前に跪くなんて聞いた事が無いです。余程好かれておいでですね、エリオット様は。・・・腹立たしい事に。」
うう・・・、ちょっとは、喜んでくれてもいいのに。
執事は俺の前で両腕を組み、長い溜息を吐いた。
「婚約指輪は後からじっくり選んでもらって結構ですが、一先ず、猫兄様から王冠は受け取って下さい。私の為にも。」
「執事・・・、」
「エリオット様も大概だと思ってましたが。・・・・他の三バカ王子に比べたら、私の主の方が数千倍ましだと確証致しましたので。」
執事は、ニコリともせず、静かに怒りを押し殺して呟いた。
そうだな。
俺を殺したいなら、正々堂々、決闘を挑めばいい。
それを、卑劣にも。
自国の町一つ、全員に毒を撒くとか。
王子として。
いや、人間として。
クズだ。